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ネズミ算のように増えていく親族

女房の親戚が亡くなったというので、筆者ら夫婦は弔問のため昨日パンパンガ州サンタアナ市まで出かけてきた。筆者ら一行の代表はエスター叔母とボウイ叔父の2人、随行者は筆者ら風雨に義妹と従兄妹のジェンとフィリン、それと2人ガキンチョの合計8人である。

2時間半のドライブの後で会場についた筆者らは早速遺族へ弔いの言葉を向け、ご遺体に十字を切ることにした。今回亡くなったのは68歳になる女房の亡母の従兄弟で、今まで病気ひとつしない健康体だったのに先週食事中に突然心臓発作を起こしてしまったのだそうだ。

日本では母親の従兄弟の葬式に娘が参加するというのは珍しいのかもしれないが、大家族主義のフィリピンでは従姉弟同士が子供を連れてお互い行き来するのは非常に一般的である。それに女房の親戚はこの第一世代の従姉弟たち(全員60歳以上)が中心になって毎年ファミリー・リユニオン(親族合同交流会)を開催するほど仲が良いのだ。

これは第一世代の従姉弟たちが各自持ち回りで幹事となり、年に一度サンタアナ市のレストランを借り切って上は80歳の婆さんから下は生後1か月の乳飲み子まで一同に会し、朝から晩まで飲み食いと歌とダンスに明け暮れるという行事で、昨年はエスター叔母ら3兄妹と女房や義妹が幹事役だったのである。





さて昨日の葬儀の場ではエスター叔母やボウイ叔父は第一世代の従姉弟たちと同じテーブルに集まり、死んだ○×は子供の頃はヤンチャで・・と故人を偲んでいたのだが、会話に聞き耳を立てていた義妹によると、いつの間にか来月5日に開催される次期ファミリー・リユニオンの連絡会になっていたそうである。

まあ年寄りの葬式と言うのは悲しみの場と言うより親戚の再会の場と言うのはどこの国dでも同じだが、この第一世代のファミリー・リユニオンに対する愛着は並々ならぬものが有り、この会合を1回でも多く続けるためには私たちみんな長生きしなきゃ!と励まし合っていたらしい。

そしてこれは別の場で聞いた話だが、第一世代は自分たちが死んでいなくなってもファミリー・リユニオンを現在の形のまま(つまり第一世代の子孫が全員集まる形)継続してくれないか?ということを第二世代の主要なメンバーに打診し始めたらしい。まあ自分たちの友情の証を後世にいつまでも残したい!とは、いかに彼らの関係が強固であったのかという証だと思うが、残酷だが筆者はそれは無理だろうな・・と思った。

というのは、このリユニオンは凄いスピードで新規参会者が増えていて、今現在でも誰が誰だかさっぱり分からない状態になっているからだ。この第一世代の従姉弟の人数は元々は30人ほどだったのだが、それぞれが結婚して最低でも3人くらい子供を作っているから、第二世代は約90人、つまり第一世代の配偶者と第二世代も合わせて全部で約150人というのがファミリー・リユニオン開始時期の人数だったのだ。





ところが第二世代は現在全員が20代歳以上に成長し、ほぼ全員が結婚して子供がポコポコ産まれている真っ最中なのだ。仮に子供の数は夫婦当たり平均2人としても第三世代は現在180人くらいになっていて、しかも今も現在も力強く増殖中なのである。

仮に10年後に第一世代が配偶者もろとも全員お陀仏したとしても、第二世代は配偶者込みで180人、第三世代は最低でも270人には増えているだろうから、ファミリー・リユニオンは450人と開始時の3倍に増えているはずである。

「第二世代の半分くらいは顔だけは覚えているけど、第三世代はもう無理よ!」というのが女房や義妹の言。どんな仲が良いと言ってもこれだけの人数が一体感を維持するには限界がある。筆者など従兄弟が30人と聞いただけで気が遠くなってしまうし、450人の親戚などもはや統計上の数字でしか捉えられない。

「従姉弟会は残したいのよね」とエスター叔母は言うが、こんな膨大な人数だと実質統制不可能である。なので悪いけれど皆さんの美しい友情の場はあの世にたどり着いてから第一世代だけで継続していただきたい。なおメンバーが少ないからといって霊界から無理やり第二世代を引っ張りに来ない様に・・。






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古希祝いに義父が欲しがったモノ

先週末に一家総出でリサール州の奥地にある女房の実家へ行って来た。この日は義父の70歳のお祝いの日で、日本の古希祝い同様にフィリピンでも親戚数十人が集まる習わしなのである。それに今回は遠方から来る人も何人かいるので二泊三日かけて皆で祝う事にしたのだ。

さて義父に対してお祝いの品を何にするのか従兄弟世代で事前に話し合ったのだが、これと言って良いアイデアが浮かばない。時計や万年筆は全く興味無さそうだし、本人に聞いても「ワシは何もいらんよ」と言うだけである。

それで従兄弟のうち男連中は商売女とのボラカイ島旅行とか、70歳だから7人の女性の70本の指を使っての悶絶性感マッサージなど考えたが、当然の様にこの手の案は二人の娘(女房と義妹)から却下されてしまった。

それで皆が喜べるからとレチョン(丸焼き)、それも店で単に買うのではなく事前に豚を義父に選んでもらって(子豚が美味い)、当日目の前で焼くやつを用意したところ、義父は照れながらも嬉しそうな顔をしている。

本当は豚料理ならバグネットの方が各段に美味いのだが、レチョンというのはフィリピン人には格別の料理だし、それにスイス製時計よりは遙かに安いから筆者の女房と従姉弟世代は懐が痛まずに済んだと内心ニンマリしていたのだ。





しかし最期の晩に、義父は筆者の傍に寄って来てレチョンのお礼を述べた後、実は本当に欲しかった物は別にあってね・・と言い出した。えっ・・なんで今更・・と思ったが、どうやら照れ屋の義父は皆の前で言い出せなかったらしい。

それで何でしょうか・・率直に言って欲しいと頼むことにした。義父の性格を考えると多分孫をつれて旅行に行きたいとか、海外旅行に行ってみたい、という様なこととは思うが・・。まあ人生あんまり先も無いんだから出来る限りは叶えてやろう・・と思った。

そして義父の口から出た最初の単語はベトナム・・。おお!ベトナムに行きたいのか!てっきり思い出の地マカオかと思っていたのに、それは意外だなあ!と驚いていたのだが、続けて出て来たのはなんと・・ジンセンという言葉である。

そう、義父が言っているのは昨年ホーチミンのお土産で持っていった朝鮮人参茶100袋パックの事を言っているのだ。確か4箱買って帰ったのだが(合計400袋)、女房は全部義父にあげてしまったと言っていたのを思い出した。

もう全部終わってしまって・・あれは結構効果があってね・・とニヤニヤ笑う義父。20代の貧乏女子大生とたまに一線交えているとは聞いていたが、まさか毎日朝鮮人参飲んで滋養強壮を蓄えていたとは・・。でも心の片隅では多分そんな事じゃないかと思ってたんだけどね・・。






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女狂いの叔父の変節

先日の親戚一同の飲み会で久しぶりにボウイ叔父に逢う事になった。この人は女房の亡くなった母親の弟にあたる人物で、女房が10歳の時に母親が亡くなった後は一時期ボウイ叔父の家に預けられていたことがある。当時ボウイ叔父は内務省の役人を勤めながら、パッシグ市場での氷屋商売とコックファイティング(闘鶏)で羽振りが良かったから、男やもめになった義父が経済的理由から頼み込んだようである。

このボウイ叔父には無類の女好きという悪癖があって、10年前に奥さんが亡くなってからは若い女の尻、特に10代後半の若い娘の体がたまらん!と公言して憚らないエロジジイなのだ。毎週の様(週2回だそうだ)にパッシグの女子大生に小遣いを与えては若い体を貪り食い、数年前にはついにその内の一人と結婚すると言い出して娘3人の猛反対にあって無理矢理別れさせられた事がある。

しかし昨年アメリカでシェフをしている長男クリスと、スペインにいる長女ティナイが久しぶりにフィリピンに帰国した際に、父親の余りの破廉恥な生態を又聞きした二人は兄妹会議を開催し、哀れボウイ叔父は小遣いの大幅削減の憂き目に遭ってしまった。それでここ最近はそっち方面も随分おとなしくなった・・と風の噂に聞いていたのである。

さて会場のレンタルハウスに現れたボウイ叔父だが、何故だか見たことが無い2人のオバちゃんを伴っていた。それで亡くなった奥さんの姉妹を連れてきたのだ・・・と思った筆者は「さあさあ!こちらへどうぞ!」と一番奥の主賓が座る席へと3人を誘ったが、その時ボウイ叔父の娘のティナイとフィリンが思いっきり不快そうな顔をしているのに気が付いた。





やがて見かねたように筆者に手招きする女房。そして周囲に分からないように広東語で「あの二人はボウイ叔父の愛人だ!」と告げたのだが、この話を聞いて筆者は驚いてしまった。もう女遊びは収まったんじゃなかったのか・・?、それに・・この二人ってかなり年齢いってるじゃねえかよ・・。

義妹が従姉妹たちから聞き集めた話によると、小遣いを減らされたボウイ叔父は逆境にもめげず素人娘に手を出そうとしたが、金も無い60歳のジジイ相手に股を広げるわけもなく、これはあえなく撃沈。そこで同じ集合住宅に住む欲求不満の奥様たちに宗旨替えをしたところ、これが意外にも成果が上がり、そのうち二人と深い仲になったというのである。

まあ団地妻ころがし・・とは聞こえが良いが、正直言ってボウイ叔父が連れてきたオバちゃん二人のご面相はかなり芳しくない・・。この二人を見た男性陣の十人中八人は「タダでも要らん!」と言うだろう。どうやら金の無くなったボウイ叔父は飽くなき欲望のはけ口を確保するため自分の美的感覚はかなぐり捨てることにしたようである。

さて宴会の終わりごろ、人差し指をクルッと丸めて「バイアグラより効く薬は知らんか?」と筆者にこっそり聞いてくるボウイ叔父。あんなババア相手じゃクスリ無しじゃ出来ないんだろうなぁ・・と思うと何だか可哀想に思えてきた。きっと頭の中は若い女の肢体が渦巻いているに違いない。今度会ったときには女房経由で1000ペソくらい小遣いをあげることにしよう。






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一族引き連れラグナ州へ温泉旅行

クリスマスイブからマニラの南ラグナ州まで二泊三日の温泉旅行に行ってきた。元々筆者の親戚たちはこの時期に誰かの家に集まって飲めや歌えやの一晩を過ごすのを常としてきたのだが、最近は義父や叔父叔母などの第一世代が酒よりも温泉という年代に入ってきたため、今年から方針転換をすることになったのである。

筆者らが滞在したのはカランバという温泉町にある温泉プール付の一軒家で、敷地300平米、建物180平米、3ベッドルーム(ツインベッドが2つ付いている)の家を1日1万ペソでレンタルしたのである。このカランバという町は日本で言えば草津や修善寺のような感じの温泉町なのだが、こういった温泉付き一軒家があちこちに点在しているのである。

さて今回の旅に参加したのは筆者夫婦と義妹、それにサウジアラビアから一時帰国した義妹の旦那、近所に住む従姉妹夫妻にパンパンガ州から駆け付けた叔父、それにリサール州のド田舎村から来た義父に義弟夫婦、姪と従兄弟たち、それと無数にいるガキンチョ。これに後から加わる女房の母方ご一行を含めると総勢30名という大所帯である。フィリピンで親戚たちと一緒に・・というのは大抵一個小隊単位になってしまうのである。





イブの日の昼過ぎにカランバに到着。さっそくガキどもは温水プールに飛び込んでギャアギャア喚きながら水しぶきを上げ、義弟や従兄弟ら男たちのうち気が回る連中は荷物を解いてベッドルームに運んだり食料品の購入に出かけ、女たちは事前に準備していたシーズニングした肉を冷蔵庫に入れたり春巻きを巻いたりと食糧作りにかまけていたが、どこの集団でも必ずいるようにこの3グループに入らない役立たずたちが親戚のなかにも表れた。

役立たずグループその1 カラオケチーム
大学生の姪と歌手の卵チェルシーを中心とする料理能力が全く無く、さらにガキどもの面倒を見たり買い物の手伝い、ベッドメーキングなど家事系といった建設的行為を全くする気のない能無し娘たちの集団である(後で泳ぐために水着だけは用意してある)。カラオケセットはこのアホ娘たちに休日期間中ほど占領されていた。

役立たずグループその2 酒飲みジジイグループ
重労働するのには肉体的に適さず、かといってガキどもの世話やアホ娘と一緒に歌など歌っていられっかよ!というオヤジたちの集団。カラオケセットの傍にある応接セットに陣取り、到着早々から筆者の用意したジョニ黒をチビチビ飲み始め、酔いが回ると隣のカラオケ娘たちからリモコンを取り上げて、娘たちの冷たい視線を浴びながらも十八番の「マイ・ウェイ」を高らかに歌う迷惑な存在である。


blogyakutatazu写真


さて筆者はどのグループにいたのかと言うと当然酒飲みグループで、ここにいる限り女房に(年配者たちへの遠慮から)怒られること無く大っぴらに酒が飲めるし、それにここのメンバーはクリスピー・パタ(豚足の揚げたモノ)やキニラウ(生マグロの酢漬け)などの酒のつまみ類を作る能力だけはが非常に高いため(ただし女子供が食うものは一切つくる気はない)、食いモンに困ることが全く無いからである。

酒飲みグループの中で最もアクティブなのは御年69歳の義父で、飲み食い歌うは勿論のこと、突然気勢を上げながら温水プールに飛び込んだかと思うと、今まで見たことないクロール風の特殊泳法で水面を何往復するなど大はしゃぎの体であった。いままでタイやボラカイに誘っても一切来なかったのだが、西原理恵子画伯が言う「猫に小判、年寄に温泉」の言葉通り、カランバという環境で義父の脳波は2~3トーン上がってしまったようである。

けっきょく4~5時間は各自が自分の持ち場で時間を過ごし、さてさてやっと居住環境も整った上に炊事場からは今夜の食事の匂いが漂い始めたころになって・・・酒飲みグループが全員ともひどい酩酊状態に陥ってしまい食事どころの状態ではない状態に・・・。もちろん筆者のその一員で、全員とも若い連中にだらしなく抱きかかえられ退場・・と出だしから何ともみっともない事になってしまった。






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親日派ミュージシャンの本音

先日チェルシーの18歳の誕生パーティーが終了した後、会場閉鎖時間までまだ時間が有ると言うので野郎どもとウィスキーを飲んでいた時のことである。従兄弟のジェンが紹介したい人がいるから・・と言って連れてきた男が開口一番「おお!あんたニホンジンか?」と怪しい日本語で話しかけて来た。オワッ!こいつゼンジー北京かっ!。と言うのは顔つきが何と無くゼンジー北京師匠に似ているし、何よりいかがわしい日本語のイントネーションはゼンジー師匠そのものだったからだ。

「この人はジュミ(ジェンの女房)のオヤジさんでね。つまりチェルシーの祖父なんだよ」と紹介するジェン。ああ・・この人がアメリカに移住した爺さんか。それにしては随分と若く見える(後で年齢を聞いたら60歳だった)。だけど何でお祖父さんは日本語できるの?と聞くと、「ワタシ若い時はバンドマンとして日本に住んでたのヨ!。フクオカ、ヒロシマ、ナラ、ナゴヤ、ニイガタ、トーキョーのクラブで演奏してたのよネ!とよく聞いてくれましたとばかりに答えた。

ゼンジー爺さんの話では、1979年から1996年まで約17年に渡って日本の高級クラブを渡り歩いていたらしい。ビザの関係で2ヶ月間は日本、そして1ヶ月フィリピンに戻ってまた日本に2ヶ月というパターンだったという。「トーキョーでは六本木やニューオータニにあったクラブで演奏してネ!物凄く良いサラリー貰って、アカサカのマンション住んでたのヨ!ホッホッホッ!」と自慢するゼンジー爺さん。

しかしその後が長かった。この爺さんは日本は最高だった!日本人は親切だし、食べ物は美味しいし、それに日本の女の人はサイコーねっ!と遠くを見るような目つきで語り続ける。まあ筆者が日本人だから愛想を使っているのだろうと思っていたが、そこからトーキョーよりもフクオカやナラみたいな田舎がサイコーね!といった地方での体験談から、丼物はウナギ!特に電気ウナギの蒲焼きが抜群ネ!とそんなの日本にあったっけ?という様な食べ物の話まで実に嬉しそうに話し続ける。





「ワタシにとって日本は全てだったのよ。だけど日本の経済が悪くなっちゃって仕事が無くなったから、その後ホンコンやシンガポールに演奏に行ったけど、日本と比べるとクニとしての魅力はゼンゼン無いのヨ!」とあくまで日本贔屓である。爺さんはトイレに何度か中座して、やっと話が終わったか!と思っていても、また筆者のテーブルにスタスタ戻って来て日本話をベラベラ喋り続ける。だけど今はアメリカに住んでるんでしょ?アメリカの方が日本よりも魅力的じゃないですか?と聞いても、「ノーッ!オカ二(金)にはなるけどステーツはニンゲンがダメ!」とここでも日本が一番だと言い張って聞かない。

どうもゼンジー爺さんは右も左も分からない若造の時に日本人達から随分と親切にされたらしく、すっかり親日派になったようである。それとさっきからやけに奈良と福岡の女の人がサイコーッと力説するところを見ると、そこで日本人の愛人が出来たか希代の名器にぶち当たって何発も昇天させられたに違いない。道理でさっきからニヤニヤ笑っているわけである。

それに後から爺さんの娘ジュミに聞いたが、今回フィリピンに来るに当たって爺さんは何故か直行便でなく日本経由のデルタ航空をわざわざ選び(婆さんは直行便で来た)、しかも何故か謎の一泊を東京で過ごしていたと言うのだ。そしてその件を婆さんと二人の娘に問い詰められても、ゼンジー爺さんはただただニヤニヤ笑っているだけだったらしい。たぶん吉原にでも風呂に入りに行ったに違いない。まあゼンジー爺さんの80年代の日本での生活は爺さんにとっての遅まきの青春時代だったのだろう。

さて現在はアリゾナ州フェニックスで不動産業者としてしこたま儲けているゼンジー爺さんは孫のチェルシーが可愛くて仕方が無いらしく、昨年歌手の卵としてデビューしたと聞くや車(トヨタVIOS)を買ってやったほどだ。そこで「チェルシーも楽器を習わせてバンドマンとして日本に行かせたらどうですか?」と言うや、ゼンジー爺さんは突然表情を変えて「ブルルルルッ!とんでもないヨッ!日本の男はみんなスケベでヤリマクリ!ゼッタイだめっ!日本は最悪のクニよっ!」と激しく否定した。あれれ・・爺さん、あんたさっきと180度言うこと違ってるじゃないか・・。それにアンタがなんで親日派なったのか良く分かったよ。






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