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ギョーザ 餃子 ペリメニ

沖縄で朝から晩まで推理ドラマばかり見ている生活を送っていた時に女房が突然「餃子が食いたい!」と言い出したのだが、その日は推理ドラマが目白押しで番組と番組の間の休み時間は長くても十数分しかない為、とてもじゃないが近所のラーメン屋に出かける時間が無い。

それで浜木綿子の女監察医なんとか・・という番組が終わった直後に筆者は目の前にあるスーパーマーケットに出向いて餃子の皮と白菜、ニラに豚ひき肉等の材料を購入してきたのだが、買い物袋の中身を見た女房は「エッ!アンタが餃子を作るつもりなの!」と驚きの表情を浮かべた。

女房は料理好きでちょっと手の込んだ料理も自分で作ってしまうのだが、なんと香港に二十数年住みながらも餃子は家庭でも簡単に作れるという発想が無かったらしい。それで「当たり前だ!オレはガキの頃から餃子を作ってるんだ!」と言ったら、女房の顔に疑念の表情が浮かんだ。

筆者の母方一族は戦争中に旧満州国のハルピン(現黒竜江省の省都)に住んでいたことがあり、当時この地域の多数派であった満州族や亡命ロシア人たちの影響を存分に受けたためか、着ぐるみ同然で日本に逃げ帰ってもハルピンの生活習慣というのは結構色濃く残されていたのである。

その一つが餃子を作ることで、正月になるとハイ餃子!筆者が小学校に入るとハイ餃子!叔母が紀伊国屋書店で出世するとハイ餃子!爺さんの年金額が上がるとハイ餃子!という具合に、お祝い事には必ずと言って良いほど餃子がテーブルに並べられていたのだ。





もちろんガキの筆者には寿司の方が大いに歓迎すべき料理だったが、餃子の良い点は筆者みたいなガキでも作成段階に参加出来る事で、次の餃子はシイタケが多めとかエビのすり身とキクラゲだけにするとか、皆が見てないのを良い事にニンニクとネギだけの餃子を作るのを楽しんでいたのである。

ただ二十代後半で香港に移住してからはスーパーマーケットで湾仔碼頭ブランドの豚肉白菜餃子という人類史上の傑作がべらぼうに安い値段でいくらでも買えたから筆者は餃子を手作りする機会が無くなってしまい、そのため女房は筆者が餃子を手作りできるとは知らなかったのだ。

さて祖母の作る餃子の具は豚肉に白菜、それとエビのすり身、シイタケにタケノコなどごくありきたりであったが、変わっていたのは皮の包み方である。ふつう餃子と言えば日本でも中国でも三日月形(ヒダ有りと無しの2タイプある)、あるいは丸い餃子の皮を単純に二つ折りした半円形とその両端をクルッと巻いた円形の4タイプが主流なはずだ。

ところが祖母が作るのは単純に2つ折りした後でヒダを付けた捻りワンタンの出来損ないの様な形だったのである。当然いつも中華料理店で食べる餃子とは形状が違うので祖母にこの包み方はなんか変じゃないか?と聞いてみたが、祖母は単に「ハルピンじゃこれが普通なんだよ」と言うだけであった。

だけどもその後筆者は香港に十数年住んで、さらに出張で中国各地をせわしなく回る様になっても祖母が作るような餃子を一度たりとも見たことが無いのだ。それでずっとあれは祖母のオリジナルなのだな・・と思い込んでいたのだが、今から十年くらい前に偶然にも全く同じタイプの餃子をロシアで発見したのである。





それはモスクワのトラベルスカヤにある古びたレストランで、ウォッカ片手にハムとチーズと黒パンの膨大な前菜を平らげた後に出てきたスープの中に入っていたのである。驚いた筆者はレストランに連れて行ったロシア人客に尋ねたところ、「こいつはペリメニ(ロシア版水餃子)というんだが、この形状は見たことないタイプだな」と言い始めた。

それでロシア人客が気を利かせてウエイターに尋ねてみたところ、なんとこの形状はシベリアのどこかの地方ではわりとポピュラーであり、アンタらが頼んだこの料理もシベリア風ペリメニというのだと言った。そしてその答えを聞いた時に筆者は祖母の昔話に隣に住んでいた大男の旦那と上品な奥さん、そして美人の二人の娘の亡命ロシア人一家が時々登場したことを思い出した。

このロシア人は大家であり、さらに祖母はこの一家とは毎日の様に往き交いしていたと言っていたから、おそらくこの水餃子はハルピンに来た直後にロシア人大家の奥さんから習ったのではないだろうか。そしてその後ハルピンで祖母はいろんな餃子の形状を目撃しただろうが、自分が最初に習ったこの不格好な餃子を頑固に守り続けたように思えてきた。

もちろんこの形状の餃子は案外と祖母の生まれ故郷である埼玉県川越市特有のものであるとか、あるいは祖母が若いころ働いていた銀座の文房具屋界隈の中華料理店で食べたのかもしれない。しかし祖母同様に孫の筆者が中国と深いつながりを持つようになった縁を考えるとハルビンの隣人から教えてもらったのだろう・・と思えて来る。

今から70年前の満州国ハルビンの厨房でロシア人妻が作るペリメニを見様見真似する日本人妻。もう満州国もロシア人もそして祖母もとうの昔に無くなってしまったが、その時作った餃子の包み方が遠く南方のマニラで今でも残っているというのもなんだか不思議である。そして筆者の傍には70年前と同じように見様見真似で餃子の皮を手に取る女房がいる。





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ペリニコがダンプリングの仲間なら、ピロキシも仲間なのかも?関係ないか(笑い笑)

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