旅を住処とする余生

2016/06/09 00:12:38 | 旅行 | コメント:0件

大学時代にタイを旅していた際に出会ったH君と那覇の居酒屋で飲んでいた時の事である。H君は筆者より3歳年下ながらも商社や中国企業、そしてタイでも数年駐在するなどビジネス経験が豊富で、自分はどこに行っても生きて行けますよ!と豪語する強者であるが、彼に定年退職したら何処に住むのか?と質問したところ意外な答えが返って来た。

南房総あたりに一旦は行こうかと・・。それが彼の答えだったのである。いやいや、君みたいな経験豊富な国際人は当然海外へと移住して、それもチェンマイやペナンなんて素人向けの場所じゃなくハジャイや雲南省とかちょっと捻りのある処へ住み込むのかと思ってたんだけど・・と言ったら、このH君はイヤイヤ、千葉の田舎も捨てたもんじゃないですよ!と笑いながら言った。

このH君は年金とか医療とかそういうせせこましい事(あるいは超現実的な事)を熟考するタイプでも年齢でも無い。それが何でまた南房総なんて隅っこに引っ込むのか?と首をひねってしまった。皆さんご存じの通りせせこましい事を除けば「海外>国内」という方程式が筆者の中では強く染みついているのだ。

ところがこのH君、筆者の持つ方程式はあまりにも短絡的ではないか?と言い始めた。海外だからエキゾチックと結び付けるのは間違いで、日本国内にもいろんな素晴らしい場所があるのだ!とその昔筆者が徹底的にバカにしていた国内旅行派と同じ様なことを言う。そんなバカな・・君は俺と同じ海外至上主義派だったはずなのに。





しかしこのH君は最近国内旅行に凝っているらしく、北陸の全然名前も聞いたことも無い温泉宿や漢字自体が良く読めない鄙びた漁村に赴いて旅愁とか物思いにふけるのが堪らないのだと言う。それから最早どこに行ったのかという目的地に拘る次元を超えて旅している過程そのものを楽しむようになったらしい。

日々旅にして旅を住処とす、これはもはや松尾芭蕉の世界である。まあ確かにその昔インドで出会った白人ヒッピーたちは「旅に出たくなって家の前に来たバスに飛び乗ったら、そのままインドまで流れ着いてしまった」という様なイカれた連中ばかりだったが、出発段階で目的地を決定するという事は君の発想は制約されているのだ!と言われたときにショックを受けたことを思い出した。

最初から何処に住むとかカテゴライズせず、気に行ったら場所にたどり着いたら取りあえず旅装を解くが飽きたら目の前に走って来たバスに乗り込む、どこで人生を終えるなんか判らないし決める必要も無い・・。そういうアイデアが頭に浮かんだ後でH君の顔を覗き込むと、彼は筆者の考えが判るのか突然ニコリと頷いた。

だけどなあ、何事も計画型で最初からゴールを設定したがる性格の筆者はこんな旅を住処とするような事が出来るのだろうか?。そういう疑問を抱えた筆者は帰り道に「お前どう思う?」と女房に聞いたところ「あんたもH君みたいに制約を振りほどいたら?」と言った。制約か・・、確かもそうかもしれない。







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