大財閥と大宗教家の点と線

奥の院まで続く2キロの参道沿いにある戦国武将達の墓を見て回っていると、ふいに住友本家の墓と言うのが目の前に現れた。ここ高野山には比叡山を焼き討ちにした織田信長からヤクルトなど企業が建てた墓まであるから住友家の墓を見つけても別におかしくとも何とも無いのだが、その時に筆者は「はは~なるほどね」と一人ごちてしまったのだ。

うちの創業者はね、元々は山の民で炭焼だったんだそうですよ。だから「すみとも」っていう苗字なんです!といったのは住友グループの素材メーカーの香港支社長A氏である。この会社は筆者の勤めていた会社の取引先であるため、若造の筆者も上司のお供で良く接待に誘われたのだ。

A支店長は相当の歴史好きらしく、南北朝時代に周辺部を敵で固められた武将がなぜ数千人の兵士を遥か遠方に派遣できたのか?というクイズを皮切りに、戦国時代の武将達が抑えていたのはあくまで平野部だけであり、山間部は全く別の王国だったのだ!というユニークな持論を語り出したのだ。





現代の感覚だと山の支配者ってのは相当貧乏なんだろうなあ・・と思うが、家を建てるための材木や鉄、銅、水銀などの鉱物、そして何より暖をとるための木炭は全て山から採れる。だから今で言えば住宅資材会社や天然資源を扱う商社のような経済的に重要な存在だったらしい。

そして住友家が発展する契機となったのも愛媛県の山奥の銅山開発で、これも山絡み。世間では三井や三菱と同じ感覚で住友一族を見るが、彼らが山の民出身でここに地盤を置いていたからだと考えると納得がいくでしょう!とA支店長は豪快に笑った。

しかし当時の筆者は山の民どころか住友グループにも何の興味も持っておらず(あるとすればイトマン事件くらいだった)、したがってA支店長の話も適当に頷いているだけだったのだが、後年筆者が歴史に興味を持ち出してから、A支店長から聞いた「統治圏外の民が日本には数多くいた」という概念が結構役に立つようになってきた。





例えば後醍醐天皇に馳せ参じた楠木正成とは何者だったのか?とか、なぜ豊臣秀吉は織田信長に(当然実力もあるが)あれほど重用されたのか?といった事である。彼らが平野部の常民の中から這い上がってきたと考えるから無理があるのであって、最初から別王国の民、あるいは別王国を押さえこめる立場の人間だったと考えればすんなりと理解できる。

そして高野山を開いた空海も杖を叩いたら水が湧き出たという言い伝えが示す通り元々が山師(鉱山技師)であり、彼の教えを受けた修験道(やまぶし)たちの多くが鉱山技師として生計を立てていた事からも、真言宗と言うのは宗教団体であるだけでなく山の民のなかの職能集団、いや企業体だったのでは無いだろうか?

その真言宗の聖地に住友本家の墓がある。まあ宗派出自に限らず誰の墓だってここにはあるから別に不思議でもなんでも無いのだが、住友と空海が同じ山の民という共通点に今更ながら気がつき、墓場の中で一人頷いてしまったのである。






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海の民、平野の民、山の民ですか。

フィリピンでは、今でも山の民npaがルソン島からミンダナオまで、山岳部を制しています。お騒がせの、ドテ氏が6年後に目指す、ミンダナオ共和国、やはり東西に分けるのでしょうね。
モスリムテロリストが制する、西半分とnpa(キリスト教より)が制する東半分。

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