パキスタン右翼の涙(1)

パキスタンの商都カラチのお客に新製品の説明をした後、彼の立派な邸宅でのガーデンパーティーにお呼ばれした時の事である。この顧客は2人の共同経営で筆者らは先ほどからその一人のシャリフ氏しか話していなかったのだが、ちょうど木炭に火が回り始めた頃にもう一人のバリー氏が現れた。

「○○さん!このジジイは右翼だから気をつけてください!」と叫ぶ同行のD君。ちなみにこのD君も「朝鮮人は日本から出ていけ!」とか「大日本帝国はアジア解放のための聖戦だった!」など相当危ない発言が飛び出る男で、このD君に右翼と呼ばれるとは一体どういう人間なんだろう・・とちょっと怖くなったのである。

このバリー氏が差し出した名刺を見ると名字がスイスの靴ブランドと同じBALLYという綴りで、小松方正を色黒くした六十過ぎの外見からはゲルマンやラテンの血の一滴も見出すことは出来ないのだが、本人はいたって真剣な表情で「私の一族は代々この名前を名乗っているのです」と言った。





さて串焼きを頬張りながらバリー氏と気軽なビジネス話を始めたのだが、筆者の使っているロットリング社製の万年筆を手に取るや「パキスタンは日本の様に立派なペンは出来ないが核兵器は作れるのだ」と真面目な表情で話し始めたのにはちょっと呆れてしまった(ちなみにロットリングはドイツ製である)。

はあ、そうですか・・と適当に聞き流していると彼はパキスタン陸軍の勇猛果敢さや国内の高速道路網の発達(実際は酷い悪路のためラホールからカラチまで飛行機で来たのだが・・)、果てはマンゴーの種類の豊富さなどそれぞれ全く関係ない事項について力説した後「パキスタン・ナンバーワン!」と自信をもって叫んだである。

なんなんだこの人は・・。とにかくその後も何から何までパキスタンの自慢話だけを一方的に話し続け、同行のD君が愛国者ぶりを発揮して「でも日本の鉄道の方がスピードが早いですよ!」などと茶々を入れようものならピシッとその意見を遮断し「少なくともインドよりは発展しているのだ!」と今度はインドがいかにダメかを説明し始めるのである。





そして食事の後はバリー氏の強い希望でジンナー廟という日本だと明治神宮みたいな場所に連れていかれ、パシスタン建国の父ムハンマド・アリー・ジンナー博士の説明を話し出したのだが、大変失礼ながら当時の筆者はパキスタン史には全く知識が無かったため「その方はマハトマ・ガンジーの様な方ですか?」と聞いてしまったのである。

これは韓国人の軍人にアンタの国の初代大統領の李承晩ってのは金日成みたいなもんですか?と聞いたようなものだから、今ならバリー氏の怒りと言うのは心中察するものがあるけれども、その後帰りの車中でバリー氏にパキスタン独立物語を延々と語り続けられてしまい、このまま車から飛び降りてやろか!と思うほどであった。

さて翌日もシャリフ氏とバリー氏、そして会社のスタッフ全員に商品説明会を行った後、カラチ市の南にある海辺のレストランでパキスタン料理を食べたのだが(当然酒無しである)、なんだか知らないがバリー氏は筆者の事が気に入ったらしく、実は自分がデリー近郊の貧しい村の出身でイスラム教徒がインドから分離独立した時にパキスタンへと何十日もかけて歩いて移住したのだ・・と話し始めたのだ。(続く)






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

コメント投稿

  • URL
  • コメント
  • パスワード
  •  管理者にだけ表示

 

パキスタン。男女が別ですね。バスでも家庭にお邪魔しても。ミルクテぃーとチャパと鶏肉しか思い出せない。

トラックバック

http://dadesigna.blog.fc2.com/tb.php/907-969c6409