チェンマイの頑固な日本食堂

チェンマイあるサクラという日本料理店が同国テレビのグルメ番組に取り上げられたと同地に逗留している旧友K氏が教えてくれた。筆者もチェンマイに滞在するときはターペー門の近くにある同店を訪れることにしているので懐かしく見させてもらったが、K氏にとってはこの店にちょっと特別な存在なのである。

K氏が毎年冬をチェンマイで越すようになってから20年以上たつが、その昔K氏から良く話を聞かされたのチェンマイのサクラと宇宙堂という2つの日本料理店であった。1990年代のまだチェンマイが長閑さを残していた時代にK氏ら長期滞在のバックパッカーにとってサクラと宇宙堂の二店は憩いの場であったのだと言う。

この時の様子については他の方のブログに詳しく書かれているので興味がある方はそちらを参照していただきたいが、オーナーの有山さんは自分の使命は異国で厳しい旅を続ける若者たちに日本のなつかしい味を腹一杯に食わせる事だと思っていてらしく、サクラは多くの貧乏な旅行者で毎日賑わっていたらしい。





「あとバンコクにはホワイトハウスって店があってな。ここは70バーツでオカズが3品選び放題だったから俺たち貧乏旅行者は良く通ったんだよ」と書いてきたK氏。しかしチェンマイの有山さん同様にこの店のオーナーもだいぶ前に亡くなってしまったのだが、残された奥さんは主人の意思を継ぐべく隣の空き地に屋台もどきの店を立て暫くの間頑張っていたそうである。

その昔読んだボーダーという漫画に「俺の店はなあ!貧乏で腹をすかせた若造にしか食わせねえんだ!」と叫ぶこだわりのオヤジが出てきたが、チェンマイのサクラやバンコクのホワイトハウス、そして70年代から80年代にかけてアジアを旅する日本人貧乏旅行者たちのオアシスだったバンコク北京飯店は正にそれを地で行くような店だ。

そういえば筆者が昔住んでいた香港にも若くて貧乏な駐在員や留学生を相手にした名物オヤジの店があったが、時代の流れからこういった店はどんどん淘汰されてしまい、新しく増えたのは客単価と回転率、それに損益分岐点にだけ頭を働かせるオーナーたちが経営する味気ない高級レストランばかりだった。





もちろんレストランはビジネスであり、利益を上げるためには四の五の言ってられない事は判るが、しかしチャーチルの「この焼き菓子は美味いがテーマが無い」という名言通り、オーナーはどういう主張を持っていて、一体誰のための店なのか?という背骨の無い店ばかりだったため、筆者は散々金を落としてきたものの大半の店は名前どころか何を食ったのかさえ忘れてしまった。

ピーター・ドラッガーの本に「君は何をもってして他の人の記憶に残りたいか?という問いに50歳になっても答えられなければ、その人は人生を無駄に過ごしている」という言葉が書いてあったが、アジアの片隅で安食堂を営んでいた諸氏らは「腹をすかせた同胞に腹いっぱい食わせる」という立派な役割を果たしたと言えるだろう。

砂漠を超えてきた旅人に一杯の水を施すパリサイ人のような話ですね・・と書くと、K氏は「マニラにもそういう店がまだ残ってるんじゃないか?」と返してきたため、いろんなレストランを思い起こしてみたのだが、「そんな店は現在過去未来ともマニラには無い」と書き添えた後物悲しさを覚えた筆者はPCの電源を落とした。






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昔はマニラにもあったよ 

アンバサダーホテル前のラーメン屋とか、確かアドりアティコの裏通りにあった日本食堂とかね。
コーンラーメン一杯300円位だった、彼方此方の島巡りしてきた後は、必ず食べてた。
セブもまだほんわかして面持ちがあったが、今はマニラ化して全然風情がない、治安も悪い奴が田舎の島から集結してダメだね。

 

アンバサダーの前か。旧京風ラーメンかも。今は、何とか会の会長さん。
その隣に、おいしいコーヒーで有名な店があったような。
アドリアティコの裏通りは、中村レストランかな??
MHデルピラにあった いせやレストランも、常連さんは2割引の特典があって、けっこう集まっていたような。

どちらにしても、バックパッカーを受け入れないフィリピンですから(笑)

貧乏旅行者が信じられない。飛行機代持ってるからフィリピンに来れる。金が有るなら、ちゃんとしたホテルに泊まるべきだ。っていう常識?

昔のタXコレストランも、まんがや日本の週刊誌などが揃っていたから、顔出していた人も多いかと。今は、結構な値段で貧困者には無理(笑)

アンヒリスのウッドベルレストランも閉店したようだし。ローカルなら、そのような店があるのかも。でも、若者というより、老人の家(爆笑)

懐かしく拝見しました。 

偶然ここに立ち寄り
懐かしい映像を見させて頂きました。
さくらはソイ2の時から行き
現在の場所への引っ越しも手伝わせもらいました。
ここ数年行ってませんがお店の雰囲気は
変わりないですね。シーチャンがメガネを外して
お化粧をしているので最初すぐわからずじっくり見たら
シーチャンでした。(^^)
日本食屋大幅増加で競争激化の中
パパさん亡き後も繁盛しているようで嬉しいですね。

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