恥ずかしくない終わり方をするために・・

2016/01/27 07:31:22 | 日記 | コメント:1件

今日1月27日は筆者の亡父の5周忌に当たる日だが、無神論者だった父は葬式も○○周忌の類も一切やるな!とデスノートに書き残したので筆者は日本にも帰らずマニラに留まっているのだが、神社に生まれて後を継がなかった父も何故だかキリスト教は力がある!と死の床で語っていたので、筆者は言いつけを破ってパッシグの教会にお祈りに行く予定である。

筆者の父は酒も博打も女もやらない堅物で一体何が楽しみで生きているのか全く窺いしれない人だったが、諸般の物事に対しては何事も真摯に取り組み、人に対しては公平に接し、そして誰かに頼り切る事なくすべて自分で解決する姿勢には筆者は大変尊敬していた。親バカならぬ子バカで申し訳ないが、あれほど高潔な人物と言うのを会社員時代は一人として出会ったことは無い。

しかしそんな父に対して筆者は一度だけ嫌悪感を持ったことがあって、それは母親の母、つまり筆者にとっては祖母であり亡父にとっては義母に当たる人物が長らく寝たきり生活を続けたあげく16年前死んだときに「エラい時に死なれちゃったよ」と言ったのである。しかし当時父も母も叔母も全員ご隠居の身分だし、やる事といったら猫の世話くらいしか無いのだから、一体なにがどうエライ時なのか分からない。

ちなみに祖母が死んだのは11月16日で、奇しくもこの日は父の誕生日だったから「まったく嫌味なババアだ!」という意味だと筆者はとらえていたのだが、祖母の葬式の際に父がポロッと言ったのは「死ぬタイミングを巧く選んでいない」という面妖な話だった。毎日中国人相手に喧々諤々だった筆者はすっかり忘れてしまったが「だから何だ!」としか思わないちっぽけな事情だったように思う。

元々気が合わないとはいえ(父にとって義母の)死ぬタイミングまで文句をつけるとは!と筆者は憤慨したが、それから11年が経過した2011年1月27日の早朝に筆者はその意味を知ることになる。しかし父の発病から死にまでを書くと長くなるし、それに読んでいる方も退屈だと思うので結論だけ書くが、父は自分の最後のタイミングまで計算しつくしていたのだ。





父が亡くなったのは筆者が1年のうち唯一ゆっくり休めて日本に2週間ほど滞在してもまるっきり問題の無い旧正月の時期であり、しかも精神的に弱く小さなことでも自己崩壊になりがちな妻(筆者の母親)がたまたま眼鏡を取りに自宅に戻っているたった30分、傍に筆者と病院の院長だけがいるごくわずかな時間を見計らって逝ったのだ。

父は自分の父親(筆者の祖父)が1960年だか死んだ瞬間に「自宅に寝ていたオレのところへ幽霊となって来たんだよ!あれば怖かったなあ!」と言って幼い筆者を脅かした挙句、オレも死んだ時はお前の枕元に出るからな!と冗談でなく何千回と言い続けてきたが、本音では最後の瞬間は筆者に付き合ってもらいたかったのだろう。それで筆者が香港から来れるタイミングを選んだのだ。

ちょっと失礼・・。現在ウィスキーを飲んでいる筆者はここまで書いて涙が止まらなくなってしまったので、話のオチも何もない形で日記を終息へと向かわせてしまうが、父の火葬を済ませて自宅へと持ち帰った時筆者が確信したのは、ちゃんと自らを律せる人間は誰にも迷惑をかけずに旅立っていくものなのだ・・という事である。

今年1月に筆者の高校時代のクラスメイトで現在は熊本でナントカ士を開業している守屋君が自分の母親が死んだのは1月1日、全国に散らばっている子供たちが全員東京・八王子の実家に里帰りしている最中だったという珍事を知らせて来た時に筆者の考えは確信に変わった。守屋の母親も立派な昭和の母だったからだ。

しかし世の中いろいろ抜かす割に最後になって他人に尻拭いばかりさせている人間が多いのも事実である。筆者はまだ死ぬときの事を考えるような年齢ではないが、しかし父の死を考えるたびに自分は最後の最後に妻に辛い思いをさせては絶対にならない・・、最後は感謝の言葉を述べて逝こうと何度も何度も固く心に誓うことにしている。

中途半端な日記で失礼、ここで一旦切ります。






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コメント

いいお話だなぁ…

2016/01/28(木) 05:32:32 | URL | 通りすがり #HyfWqjIo
昔に読んだ誰かの実話を思い出した。

…ある老夫婦が住んでいて旦那様の方は、ずっと病気で寝たきりの状態だったそうな。
普段は奥様と二人きりの生活だが、その日は旦那様の米寿だか何だか(うろ覚えです)のお祝いで、なかなか会う機会も少ない身内やら子供達、孫達が大集合して賑やかに祝ってもらったそうな。
普段は医師に止めらてれる大好きな葡萄酒を特別に一杯だけ飲み、まだ宴が続くなか寝床についた旦那様は枕元に奥様を呼んで、涙を流しながらこう言ったそうな…

「とても幸せだ。こんなにも幸せな今日、この時に俺は逝きたい…。」

明くる朝、その旦那様はとても幸せそうな顔で亡くなられたそうな。

…誰にでも訪れる「死」とは、一見コントロールできない不可抗力にみえても、「強い想い」を持ってる人には案外、コントロールできるのかもしれない。

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