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戦前に天皇を讃えた人たち

筆者は終戦直後の日本の混沌とした時代に興味を持っていて、戦後外地から帰還した旧陸軍将校らによる秘密工作やGHQとの協力による対共産圏への情報活動などをテーマにした本をよく読んでいたのだが、こういった歴史の暗部に登場する人たちの中に不思議な集団がいることに気がついたのだ。

それは田中清玄や水野成夫といった元々は戦前の日本共産党の幹部でありながら獄中で思想転向し、後に右翼や財界人として暗躍したフィクサーたちである。左翼から天皇信奉者・・?という異形の思想遍歴に驚いた筆者は彼らの事を調べてみたところ、この他にも佐野学や鍋山貞親など共産党の大物たちが32年テーゼを拒絶して共産党を離党していたのを知った。

左翼運動に詳しい方なら良くご存じの通り32年テーゼとは「天皇を打倒せよ」というコミンテルンの命令である。当時の日本共産党の実力じゃとても出来そうにない誇大妄想的な内容だから呆れられたんだろうな・・と最初は思っていたのだが、調べるにしたがって田中清玄らは実現可能性どうのこうのではなく天皇の無い社会など想像も出来なかったことが最大の原因だと聞いて驚いてしまった。

赤の広場で帝政打倒を叫ぶ共産主義者が天皇を打倒できない・・。こんなのドリフのコントに出てきそうな冗談話である。しかし彼らの革命思想は天皇を超えられなかったのは厳然たる事実であった。それから戦前の右と左の境界線というのが曖昧と言うかお互いに重なっていたり、左右同士で人的交流があったりと調べれば調べるほど何だか良く判らなくなってきた。

例えば血盟団事件とか二二六事件は内容的には赤色テロそのものなのに、昭和天皇への直訴とか天皇を中心とした国の再構築などと実行犯は肝心なところで天皇頼みでいた事や、180度思想が違う北一輝と大杉栄が何故だか親交を結んでいた事に違和感を持っていたのだが、ある時天皇とは全く対極の出自である水平社運動のリーダーの発言が筆者の曇っていた目を開かせることになった。





「天皇の下では徳川の殿様も寺の坊主も財閥も百姓も被差別民もみな同じ赤子・・」。これは明治維新から敗戦までの日本の基本思想である。もちろん現実には財閥や大地主による国富の寡占状態がずっと続いていたのだけれども、しかしこの皆平等!というスローガンが社会の下層にいた脆い人々に与えた精神的な解放感を筆者は今まで深く考えてこなかった事に気が付いた。

戦前の天皇信奉の本質はこれではないか・・と思ったのだ。ちなみにこの天皇と言う単語を神に置き換えれば「神の下では全ての人間が平等」とプロテスタントと同じ思想だし、唯物論的な言葉を入れれば共産主義そのものである。つまり天皇制とは国民を中世の軛につなぐヨーロッパの王政とは本質的に正反対な存在で、むしろ革命的な意味合いを持っていたのではないか・・と思えてきたのだ。

では筆者の父方の祖先が京都の伝統ある神社の要職に有りながらもなぜ明治以降の天皇を冷たい目でみていたのか・・と言えば、それは彼らが大昔からの有産階級であり、自分たちと同じ高貴なる身分の天皇が東京に行ったら貧乏人どもの守り神に変貌してしまったという深い侮蔑心があったことと、天皇に熱狂するプロレタリアートの背後にある種のジャコバン党的な不気味さを感じ取っていたからではないだろうか。

もちろんこれはあくまで筆者の浅はかな推測であり、それに京都の叔父さんたちはとっくの昔に死んでしまったのと、戦前の有産階級の感覚をそのまま残している家庭など最早どこにもないだろうから確認のしようがない。しかし戦前の下層民たちがなぜあれほど明治天皇を敬愛し、日本国民であることを誇らく思っていたのかが何となく判るような気になった。

だからタイムマシンに乗って明治時代に移住をすることが出来たとして、どなたさんから「あなたは京都のご親類と同じく差別主義者として天皇を冷笑しますか、それとも平等主義者として熱烈な天皇主義者になられますか?」と問われれば筆者は迷うことなく天皇信奉者になることを選んだに違いない。しかし戦後まで生き残れたとしたら・・・。やっぱり左翼に鞍替えしただろうな。






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