日本にキリスト教が根付かなかった理由

そもそも16世紀の日本人たちはキリスト教の教義を十分理解し納得していたのか?というとこれが結構怪しいのである。250年もの迫害に耐えた隠れキリシタンが表に出て来たら、彼らの教義はキリストではなく聖母マリア信仰になっていて、仏教や神道と融合していたし、神や天国の世界よりも現世利益、そして祖先崇拝と本来のキリスト教と全然違う宗教になっていたからだ。

もちろん禁教時代は外国人宣教師とは接触できないし、聖書の代わりにすべて口伝で布教したから教義がだんだんずれていくのは仕方の無い事である。しかし本来キリスト教が持っている犠牲とか父性の厳しさの部分はすっぽりと消えて、如何にも日本人が好みそうなエッセンスだけが残ったというのは実に興味深い。

特に現世利益と祖先信仰は日本人に限らず北アジア人全ての根本理念のようなもので、キリスト教宣教師が「神を信じないものは天国に行けません」などと発言しようものなら「キサマは毎日念仏を唱えていたオレの婆ちゃんが地獄に堕ちると抜かすのかああ!!」と怒りだしてしまうのに大変苦労した・・という書簡が残っているほどだ。

だからこの時代の日本人たちはキリスト教の教理に深く感銘したのではなく、もっと即物的な理由で改宗したとしか思えないのだ。そして当時のキリシタンを見ると高山右近とか細川ガラシャなんて高貴なご身分な方の名前が随分と出て来るが、書物に目を凝らせば彼らと別種の階層にいる人たちのチラチラと登場する。





それは日本に黒人と同じ存在がいる!とポルトガル人たちを驚かせた被差別部落民やハンセン病患者、そして為政者に踏みにじられても何も出来ない最下等の貧困層である。当時の宣教師は社会的に脆い人たちの救済に大変熱心であり、彼らを収容するための施設を作るだけでなく、時の為政者に対して手を打つようにとかなり積極的に圧力をかけているのだ。

部落に生まれたのもハンセン病になったのも貧乏なのも前世が悪いからだ!という一言だけで片付けてしまう寺の坊主と、もともと民政という観念が無い処へ勢力争いに明け暮れる当時の為政者、そして戦国時代に醸成された虚無感。こういった土壌が行き場の無い怒りを持った脆い人々をキリスト教に向かわせていったのではないだろうか。

ところがバテレン追放令から250年後に事情が一変してしまったのは、当時の社会階層で最も下に位置付けられる人々が脆くなかったからではないか。そしてそれは明治維新と言うよりもそれより前の長い期間にわたって醸成された物質的な豊かさや精神的なゆとりと公平な社会制度が出来上がっていて、聖職者がお題目を唱えても「何をいまさら・・」としか感じなかったように思えるのだ。

おそらく江戸時代と言うのは当時の外国と比べても下層民はそれなりに豊かであり、理不尽な暴力や貧困、経済混乱などを撲滅しようという社会正義がちゃんと機能した時代だったのではないだろうか。武士は食わねど高楊枝の言葉通りに彼らは清廉であると同時に責任と義務だけ押し付けられた大変気の毒な人達であり、つまり江戸時代と言うのは身分制を別にすればプロテスタントの牧師が統治しているのと大して変わらない国家であったと考えてもよいかもしれない。





しかし16世紀と同じ布教のための絶好のチャンスは1945年の日本の敗戦時に一度だけ起こるのだが、この時期にキリスト教徒が増えなかった理由は他ならぬキリスト教徒国によって日本国民は家を焼け出されたからであり、そしてキリスト教よりももう一歩踏み込んだマルクス主義が脆い人々に現世利益と精神的な充足感を与えたからだと思う。

さて日本以外の北アジア地域でキリスト教徒が急増した局面は、1)19世紀終わりから第二次大戦までの国民党政権下の中国、2)1960年代後半から90年代までの韓国、3)1980年代以降の中国、と3回あるのだが、すべてに共通するのは国内で貧困層が急増しているが政権は何の手も打たない事へのフラストレーションが蔓延している時期である。

そして2)と3)は本来なら溜まったフラストレーションは社会変革運動に向かうはずが、国内で左翼活動が禁止されているか、もしくはもともと労働組合が国を管理しているはずなのに政策では独占資本もビックリの奴隷労働を推奨しているなどの異常事態にあるため、代わりにキリスト教に向かったと考えた方が自然であろう。

さて同じことを何度も言うが、日本の為政者にはこういった脆い人たちを放っておくことは言語道断であるという気風が江戸時代以降隅々まで行き渡ったためキリスト教が入り込む隙が無かった・・というのが筆者の推論である。だけど・・、これだと蒋介石逃亡後の台湾でなぜキリスト教が増えなかったのかについては説明出来ないんだよね・・。なので今晩もう一度ミサで考えてみよう。






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もっと単純に、キリスト教って、日本人のメンタリティに合わないのでは。

現世で何をやっても、キリストを信じていればゆるされて天国に行けるという教義自体がおかしいと、誰もが感じたのではないでしょうか。

やはり教義が広まるには、バカでも納得して「ハマって」貰わないといけないわけで、その最初のとっかかりの部分での拒絶反応が強いというか・・・。

わが国は、哲学の発達無くして、数学が発展した国である。ここを議論の出発点にしたら面白いのではないでしょうか。

 

ええ合いません。でも日本人だけでなく中国人も朝鮮人も合わないと思います。
しかしこの3国の中でなぜ日本と台湾だけが、著しくキリスト教徒率が低いのかがメンタリティだけでは説明できません。

 

千と千尋を見て思ったのは
日本人は多神教なので
キリスト教の神も神々の内の
一人として受け入れるだけで
相変わらず他の神もいると
そういうことじゃないでしょうか

 

日本文化研究のバイブル「菊と刀」(ルーズ・ベネディクト)に、この日本人特有のメンタリティについて詳細があった気がします。

 

他の宗教からの、影響(侵略・宗教戦争)l脅威がなったからかも知れませんね。

日本にキリスト教がねずかなかった理由 

初めてコメントします。久々に深い考えのご推察についていつも読まさせてもらってばかりではいけないと、コメントさせてもらいました。私は「タイで老後を送ると決めた男の記録」というブログを書いているものです。フィリピンに興味があります。フィリピン情報はいつも読むのですが、面白いですね。。。。これからも読ませていただきます。よろしくどうぞ。。まずは、ごあいさついたします。。。。。。敬具。

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