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池袋ニューシネマ・パラダイス

歌舞伎町のディスコと並んで高校生の頃よく通ったのは名画座で、よく学校をサボっては三鷹オスカーや三軒茶屋東映、下高井戸京王にテアトル吉祥寺といった古ぼけた劇場へ足を運んではアメリカンニューシネマなど観たものである。

チケットを買って狭っこいホールへ入り、背もたれの皮が擦り切れた座席にドスンと座ると、やがて照明がだんだんと暗くなってくる。そして画面に新作の予告編が映し出される瞬間がなんともたまらない。あの心の高揚感は家でビデオでは絶対味わえないだろう。

やがて大学に進んだ筆者は学生運動をやるつもりが形骸化した左翼にすっかり失望してしまい、一方テニスやスキーなどの大学デビュー組は心から馬鹿にしていたから、ネクラ学生の集まる映画サークルへ入ったのだ。ここには本当に映画が好きな人間ばかり集まっていて、授業を終えてサークルの溜まり場に来れば映画の話ばかりしていたり、自主制作映画の撮影をしているのが大好きだった。

3学年上の江上さんもそういった映画好きの一人で、フランス映画から東映ヤクザ映画までユニークな批評文を書いていて、それに映写技師の資格をとって海外の名画を学内で上映したりするのが好きだった方だが、筆者らを驚かせたのはこの人が就職先に映画館、しかも名画座を選んだ事だった。





1985年という年はVHSビデオが末端まで普及する時期に入っていて、誰もが映画館から足が遠のいていた。つまり誰の目から見ても映画館は斜陽産業だったのだ。それにいくらこの年は冬の時代と言われるほど求人が無くとも、他の人たちは制作会社や代理店からちゃんと内定を受けていたのだ。

しかし江上さんが誰よりも映画が好きで、と言うより映画館が好きで、作品を製作するよりも知られざる名監督を日本に紹介するような仕事をしたがっていたのは知っていた。それに江上さんは営業マンや公務員どころかテレビ局のADも似合わず、活動写真時代の映写技師とか芝居小屋のオヤジが似合いそうな雰囲気を醸し出していることは筆者にもわかった。

けっきょく江上さんとは1年間だけの付き合いで、卒業後は疎遠になってしまったが、別の人の口を介して映画館でもなかなか活躍しているという話は聞いていた。江上さんはサークルの機関紙にユニークな漫画を連載していたのだが、その画力を生かして名画座の広報誌を飾っていると聞き、「あの人らしいな」と皆で笑っていたのである。

さてそれから20年近く経った先週末のこと。久しぶりのサークルOB会で参加できなかった人達の消息などを話していると、話題が江上さんになったので、名誉会長的立場でお呼びした江上さんの同期のY先輩に近況を聞いたのだ。しかしその答えは江上さんは遠の昔に亡くなっているという大変衝撃的なものだった。





凍りつく筆者。な・・何故?、それに何故ここにいる誰も江上さんが亡くなった事を知らなかったんだ?という問いに、「皆に知らせるような死に方じゃ無かったんだよ」と辛い結末を伝えるY先輩。ウソだろ!まさか・・あの人が!と思ったが、Y先輩は沈痛な面持ちを浮かべたまま目で合図をした。

せっかくの再会の場なのでY先輩の指示通り江上さんの話はそれきりにしたが、マニラに帰ってきてジッと江上さんのことを考える様になった。こう書くと残酷だが、正直言って涙を流すほど近しい関係だったわけでは無い。しかし亡くなる前日に江上さんと飲んでいたY先輩の話だと何かに苦しんでいた様子は微塵も感じなかったと言ったのが引っかかった。

もちろん長年離れていたわけだから死を選んだ理由など分かるはずもない。それでなんと無くネットで働いていた映画館名を入れてみたら2つの情報がヒットした。一つはこの名画座が経営難から90年代後半に一度閉館している事と、江上さんが広報誌に書いたコラムやマンガが遺稿集として出版されていたことだった。

疾風怒涛 江上和久仕事集というその本は既に絶版になっていたが、表紙に書かれたちっこいイラストは紛れも無く我々を笑わせた、あのサークル機関紙に載せられた富田先輩の自転車泥棒のマンガのタッチそのものである。ああ、俺はこのマンガで30年前に大笑いしたんだ!とその表紙をジッと見た時にある馬鹿げた考えが頭に浮かんだ。





大好きな名画座と軌を一にしたのではないか・・。普通自ら死を選ぶ場合には病の苦痛に耐えかねて・・とか借金で追い詰められて・・と言った劇的な理由を思い浮かべるが、江上さんにはそう言った深い絶望とか諦念といった感情は何も無く、ただ名画座と一緒に静かな死を選んだように思えてきたのだ。

確かに人はあまりよくわからない理由で死んでしまうものである。しかし直接死因を探るより、その人の置かれた環境とその人の社会での役割という見地で見れば、その人がなぜ去ることを決めたのか理解できるという話を年寄りに聞いた覚えがある。そして思わず「あんた、本当に映画館が好きだったもんな」と口ずさんでしまった。

名画座が好きで好きで名画座と一体化した江上先輩。活動写真やトーキーの出現など映画史の本の白黒写真に登場しそうな江上先輩。映画が国民の娯楽だった頃にいそうな映写機の光を通じて映像をスクリーンに映し出す魔術師、ベレー帽を被った活動屋だった。そして時代遅れの不器用な男として彼の役割が終わったから彼も去ったのだ。おそらくそれだけなんだろう。

最後に会ってからあれから30年近い年月が流れたが、今にして江上先輩の本当の姿がわかったような気がした。人生の中でこういう一瞬だけすれ違った人間のために涙を流すのも悪くない。江上先輩、オレはアンタの時代が好きだったよ。もう声も届かないところにいるのだろうが、あの世でゆっくりと名画を見てるんだろうね。






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映画界の浮沈 

小便臭かった学生時代は映画に嵌り実験レポートを映画で書く事もあり大泉の撮影所に行き助監督見習いにしてくれとねじ込んだらまず学校を卒業しなさいと諭されました。一番通ったのは飯田橋の名画座、銀座の並木座ですね。
新宿のコマ周辺の映画館もなくなりました。一時流行ったシネコンも次々と閉鎖してるらしいですね。

 

追コメですが池袋ニューシネマはどの辺なのでしょうか?池袋で2年余現場をやってましたが記憶にありません。

 

池袋北口の文芸座です。

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