叛乱者たちは何処へ行った?

2015/08/16 01:08:54 | 事件と陰謀論 | コメント:0件

筆者は高校時代は新宿・歌舞伎町を根城にコンパやディスコに性風俗店と遊びまくったので、大学では是非とも学生運動なるものをやろうと心に決めていたのだが、期待と裏腹に80年代半ばの左翼運動は下火どころか燃えかすになってしまっていた。

今考えれば当たり前だが、当時の左がかった学生が直接対峙する中年層は60年70年安保世代なのだ。言わば左の本家本元達が実行部隊となって日本の左傾化を進行している真っ最中に、後から出てきたピンク色の学生達が喧嘩を仕掛けても大した争点など有るはずが無い。

筆者がいたのは学生数2万人超の結構大きな大学だったが、中核派とノンセクトラジカル、それにアナーキストの黒ヘル全部を合わせても過激派は100人くらいしかおらず、しかも内部抗争ばっかりやっていることに呆れた筆者は結局4年間を映画と海外旅行に費やすことにした。

しかし卒業して会社員になると意外にも筆者の周りにはゲバ棒振り回していた過激派学生たちがワンサカいる事に気がついた。とは言っても中年の「元」学生だが、なんと安保闘争の闘志たちがちょっと驚くくらい周りに居たのである。

これは筆者のいた会社が田舎にあって元々は吹けば飛ぶような小さな町工場だったからで、70年代以降の輸出カーブに乗って急拡大していったために慢性的に人材が足りず、特に優秀な理工系学生を確保するためには赤黒(白黒では無い)言ってられない状態だったからである。



田舎らしく駅前のスナックに行けば職場の上司や先輩たちが必ずと言って良いほど居たので、彼らに安保闘争の事を聞くとやたらと多弁になる人や、逆に挫折感や敗北感から寡黙になる人などいろいろ居たが、全員が共通しているのは「塀の中に入らなくて助かったよ」と言った事だった。

京大で火炎瓶を作ってた設計課長はデモでパクられたが幸い書類送検だけだったのだ・・と言い、どこかの駅の壁紙を剥がして燃やしてた東工大出の技術課長も放火の罪で実刑打たれる寸前だったなど「あと一列」「あと一石」という表現をやたらと使う(多分に虚飾もあるだろうが・・)。

ではアンタ達より一列前に居たために実刑を打たれ同志達はどうなったのか?と聞くと、これまた全員気まずい顔になって「百科事典のセールスマンになった」とか「塾の先生やってる」など旧帝大や東工大、東京教育大等の学歴からは随分と見劣りする職業名を呟いた。

上述の風来坊的な職業の他にはインベーダーゲームを作った会社やソフトウエアなどのコンピューター系、理学部卒なのに税理士などの有資格者から漁港の冷凍機保全サービス会社まで実に幅広い職についているようだった。

しかし最も過激で何度もムショに送られても一切屈しなかった言わば札付きの猛者達の行き先について聞くと、市民団体や革マル派の専従活動家、原始共同体のヤマギシ会信者などと並んで、意外にも寺の坊主やキリスト教の牧師など聖職者が結構いるのに驚いてしまった。(続く)




にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://dadesigna.blog.fc2.com/tb.php/681-91dc1d16
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)