左派の系譜2

日本の富裕な家庭の出身者や国費留学のエリート達が共産主義に取り込まれる事なんかあるのか?と思うかもしれないが、コミンテルンの工作員が自伝で述べている様に、どの国でも重労働と搾取に苦しむ波止場のおっちゃんよりも社会を牽引しようと意気込むエリート達の方が共産主義に転び易かったそうだ。

実際には何も出来ない頭でっかちな若造が社会正義という美名に感化されてしまうのは筆者も身に覚えがあるのであながち否定は出来ないが、当時世界から孤立していたソ連は巧妙なプロパガンダと共産主義化の過程で培われた心理戦のスキルを持っていたから、一度目をつけられた以上洗脳は避けられなかったのかもしれない。

しかも巧妙な事に彼ら留学生はドイツ共産党やアメリカ共産党に属していただけで徳田球一や志賀義雄ら日本共産党とは行動を別にしていたから、日本帰国後も公安に捕まることも無く大学や役所で昇格を重ね、そして近衛内閣の朝飯会や昭和研究会を通じて政権中枢へと食い込んで行ったのだ。まさにソ連の思うツボである。



この近衛政権というのも曲者で、天皇制護持以外は挙国一致・統制経済という社会主義国そのものを目指したため、戦後には社会党左派の議員となって日ソ友好協会の会長を務めた風見章を官房長官に任命するなど大バカ人事が蔓延し、近衛は鳩山・菅内閣の様に日本滅亡を目論む人物に取り囲まれてしまったのだ。

ゾルゲ事件の顛末を見ていただけば後のことは大抵分かるが、日独との両面戦争を避けたいスターリンの思惑通りに日中戦争を泥沼化させ、アメリカにいるホワイトら工作員と共同で日米戦争を引き起こさせる事でソ連の勝利と日本の敗戦に決定的な役割を果たしたのが留学組と西園寺らの選良たちである。

彼らは平和のために・・とか抜かすメディアもいるが、冷静に見ればこいつらは売国奴である。だったら特高警察やGHQに連行されても良さそうだが、敗戦直後はケーディスらリベラル派が主導権を握っていたのと大学という象牙の塔に籠っていたおかげて大したおとがめも受けずに占領時代をのうのうと生き延び、身の安全が確保された時代が来ると一気に日本の左傾化を演出し始めたのだ。



もちろん左翼運動は劣悪な労働環境に苦しむ工員や、酷い差別に苦しむ同和出身者、たたき上げの活動家が与えた影響の方が大きいのだろうが、ひとつ言いたいのは彼らは自分たちの生活を良くしたくて戦ったのであって、コミンテルンのメンバーの様に他の国の為に自国を売ったわけでは無いことだ。

自国民の幸福の為に社会主義化が必要だ!天皇を縛り首にしろ!と言うなら筆者も彼らの話を聞く気にはなるが、他国の為に日本の国力を抑え込もうとする現代の左翼のルーツを探って行くと、1930年代に日本の将来を担う為欧米に送られたエリート達だった・・というのはなんとも皮肉である。

そして筆者はもう一つソ連に浸透され、ソ連の意に叶う様に誘導されたらしきグループがあって、それは西園寺や留学生なんぞよりも遥かに力のあった組織なのだが、これを書くととんでも無く長くなってしまうので頭の中をもう少し整理した後で日記にしたいと思う。とりあえず一旦ここでこの日記は締めにしたい。



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No title 

最近骨太の日記になってきましたねぇー

No title 

勉強になります。

次は、商社の裏話、続編、お聞かせ下さい。

 

切り込みますねえ管理人さん。ずっと控えてましたが今回はコメントせざるを得ませんでした。管理人さんの何とも言えない、絶妙なバランス感覚に脱帽です。

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