左派の系譜1

2015/07/27 01:29:45 | 事件と陰謀論 | コメント:0件

知人のフェイスブックに日本を代表する進歩的文化人の鶴見俊輔へのお悔やみが書かれてあった。アナーキズムとプラグマティズムの伝道師、ベ平連、九条の会の発起人など日本の戦後左翼に多大な貢献をした鶴見だが、どうやら知人も彼の思想を受け継ぐ左翼の一人らしい。

こう言うのを左翼の系譜とか左翼の遺伝とでも呼ぶべきなのだろうが、以前筆者は興味本位で彼ら日本の進歩的文化人たちの系譜を辿って行ったことがあって、そこで非常に醜い結論に行き当たったことが有る。なので今日はその事について触れたい。

ことの始まりはベトナム戦争に反対する市民運動について興味を持った筆者がベ平連の指導部にいた小田実や小中陽太郎、高畠通敏ら進歩的文化人たちの経歴を見ていたところ、敵対している国アメリカへの留学という奇妙な共通点を見つけたからだ。



これがモスクワ大学とか北京大学留学組ならスッキリするのだが、なんでアメリカ東部の名門大学に留学した連中が社会主義陣営に肩入れしてしまうのか?と不思議に思った筆者は彼ら左巻きの留学生を戦前まで遡って行ったところ、その元祖的な人間として鶴見の師匠にあたる都留重人の名前が出て来たのだ。

津留の学問的功績を書くと長くなるので割愛するが、気になったのは都留が30年代にアメリカ留学していた時にハリー・ホワイトと大変親しい関係にあったことである。近現代史がお好きな方ならよくご存知の通りこの御仁はアメリカ財務次官という顔を持を持ちながらハルノートの原案を書いて日本を開戦に踏み切らせたソ連のスパイである。

都留が留学した1930年代は第一次世界大戦の後遺症から世界中が一息ついた時代であり、ちょうど1960年代と同じ様に自由主義と社会改革運動が盛り上がった時代だったが、実はこの時代にスターリンはコミンテルンを使って西側の将来のリーダー達をソ連の協力者に育てる活動をかなり積極的にしていたのである。



例えばイギリスではキム・フィルビーやガイ・バージェスらケンブリッジの5人組がコミンテルンに籠絡され、その後数十年に渡りソ連にイギリスの機密情報を流し続けることになったし、前述のホワイトや、ルーズベルトの側近としてヤルタ協定を取り纏めたアルジャー・ヒスもコミンテルンの工作員としてホワイトハウスの外交政策をソ連寄りに振り向ける事に成功している。

そして日本人でコミンテルンのターゲットにされたのが東大新人会や京大の河上肇の門下生、有力政治家の師弟、そして日本最高のエリートである海外留学生たちで、ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実らはほんの一角に過ぎず、コミンテルンの手は西園寺公一ら日本のセレブ達にまで伸びていたとも言われている。

特に留学生へのリクルートはかなり組織的に行われていて、都留らアメリカ組と並んでワイマール政権下のドイツにいた蠟山正道や有澤広巳、鈴木東民、蜷川虎三ら少壮気鋭の学者やジャーナリスト、青年官僚に劇作家たちがコミンテルンに取り込まれ、そして日本帰国後に近衛内閣の周辺に組織的に配置された形跡が有るのである。



にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://dadesigna.blog.fc2.com/tb.php/665-416db29b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)