虚飾の語り部たち

先日の日記で日本のテレビ局はソ連による日本人抑留の責任がまるで日本にあったかの様な偏向報道をしているという事を書いたが、若い世代の無知に付け込むこういう姑息な輩は身の回りにも結構いるものなので、今日の日記では筆者の卑近な体験談を書きたいと思う。

筆者の会社員時代の同僚にMという10歳上の男がいた。筆者が20代の半ばにはこの男は筆者の上司だったのだが、それから10年後には同じ立場となり、20年後には筆者の方がMの直属の上司になってしまったので正直やり難い関係であった。特にMは酒癖がたいそう悪かったため酒の席では毎回Mに辟易させられたものである。

名古屋大学時代に民青に入っていたというMは典型的な観念サヨク思想の持ち主で、要するに戦前の日本と自民党とアメリカの悪口を言っていれば飲み会のヒーローになれると思っている単細胞だったのだが、近隣諸国の軍事的脅威の高まりに対抗するため日本も通常兵器を3倍に増やすか核武装に踏み切るべきだ!という意見の筆者とは当然の如く毎回ぶつかり合いになった。

もっともMは空論を振りかざすだけだから議論にすらならないのだが、ある時このMが「オレのオヤジは戦争で地獄を見たんだ!」とドヤ顔で叫びだした事があった。見識ある方ならMの言っている話は平和憲法護持の合理的説明には全くならない事はご存じだと思うのでここではいちいち触れないが、要するに社民党の女性陣と同じロジックである。





なんでもMの父親は陸軍に徴兵された後に満州へと派遣され、八路軍との戦闘で何度も生死の境を彷徨った後にさらに激戦地である南方戦線へと送り込まれ、最後は台湾で終戦を迎えたというのである。「オヤジは銃弾の飛び交う中で何十日も泥水と草を食って戦っていたんだ!」と迫真の表情で筆者に対し反戦を訴えるM・・。

中国共産党史には多少詳しい筆者は「満州で八路軍と戦闘・・」という話は全くのウソだと直ぐに分かったが、日本の陸軍師団の配置状況については殆ど知らないので敢えて反論はせず、しかしMの父親の苦労程度なら第2次大戦参戦国のどの兵士も経験していること、そして過酷な経験が反戦政策に結びつくのならばなぜ一番戦死者を出したソ連は非武装国家になっていないのか?!と言ったら案の定「お前なぁ!」と年長者特有の説教を叫び始めた。

さてここで普通の人なら「まったくMはどうしようもねえな!」と言って終わるのだろうが、何事も調べクセのある筆者はMの父親がいた部隊について家に帰ってから調べてみたのである。ネットに陸軍部隊最終位置という便利なツールがあるので、終戦時に台湾にいた部隊を検索すると何個師団か出て来たのだが、一つ一つ見ていくうちに「これに間違いない!」という部隊を見つけたのだ。

陸軍第12師団。北九州出身者で構成され文豪・森鴎外もいたことがある歴史ある師団である。精鋭小倉師団という名を聞かれた方も多いだろう。この配下の第24連隊と第48連隊がMの出身地で編成されており、両連隊とも満州で治安任務に就いた後1944年に台湾に派遣されたと書かれていた。なお一度南方戦線に行った後から台湾に転戦したという記録は見当たらないが、第24連隊の一部はヤップ島に派遣されそこで終戦を迎えていた。





まずここで気になったのは満州での治安任務という表現である。これは国民党軍と正面切って戦闘行為をしたという事では無い。それから満州にいた関東軍は1939年のノモンハン事件で多大な犠牲者を出しているが、この時Mの父親は15歳か16歳だから絶対に従軍しているはずは無く、関東軍にとってノモンハンの次の戦闘である1945年のソ連侵攻時期は第12師団は台湾にいたから満州では一切戦闘に巻き込まれていないはずなのだ。

さらに次は南方戦線に送られ、そこから台湾に戻ったという話である。まあヤップ島からごく少数が台湾に配置転換されたのかもしれないが、ヤップ島は米軍が上陸せずに素通りしてしまったためにガダルカナルや硫黄島のような戦闘というのは全く行われて無かったのだ。なおヤップ島は漁業のメッカで、陸地ではヤムイモとタロイモが豊富に獲れるため補給が途絶える米軍通過前に飢餓になったというのはちょっとありそうに無い。

そして最後に台湾だが、これは皆さんご存じの通り米軍の上陸に備えて大本営は満州や沖縄から戦力を台湾に移動させたが、ここも予想と違って米軍は台湾を素通りして沖縄に上陸してしまったため、台湾にいた陸軍兵士たちは地上戦どころか一発の銃弾も撃っていないのである。なおMの父親がいた新竹市も一度だけ飛行場が爆撃に遭っているが、死者数は25人と非常に少ない上に全員が海軍の軍人であり、さらに爆撃されたのは1943年で第12師団はまだ台湾には移動せずに満州にいたのだ。

つまりMは「俺のオヤジは銃弾の中で何十日も生死を彷徨ったんだ」とここぞとばかりに言うが、記録を見る限りそういった事実はたったの1日どころか1分たりとも有り得ず、どう贔屓目に見ても陸軍12師団と言うのは満州では森林警備隊か町のお巡りさんくらいの任務しかしておらず、ヤップ島と台湾では陣地を作っているだけで一度も戦うことなく終戦を迎えた日本軍きってのお気楽部隊だったのである。





他の部隊が玉砕とか壊滅的な打撃をくらい兵士たちの屍が野ざらしになっている中で、食うもんをたっぷり食って帰国できた第12師団の兵士たち。ところが海軍や他の陸軍師団兵士の遺族たちが「あいつら楽してたんじゃないか?」とざわめき始めた為、戦争の事は何も言いたくない!今でも悪夢にうなされるんだ!俺たちは戦地で地獄を見たんだよ!と出まかせを言って周囲の険しい視線をかわすことにしたというのが事の真相ではないだろうか。

ちなみに筆者はMの父親に「テメエ!おめおめ帰ってきやがって!」などと非難するつもりは全くない。しかし父親がウソを言ったのか、それとも息子のMが場当たり的なウソを言ったのかは知らないが、自分より若い世代は知らないだろう・・と思って有りもしない地獄の体験談を吹き込んでは有らぬ方向へと世論誘導している事が頭に来るのである。

死んだ兵隊たちには申し訳ないが俺は本当にツイてたよ・・とか、いつ死んでもおかしくない環境にいるのは苦痛だったね・・や、仲の良かった名古屋師団の男が硫黄島で死んじまってな・・と泣くだけなら筆者も文句は言わないし同情もするが、戦地でお気楽な身分にいた人間が防衛とか安全保障という話になると「軍靴の音が聞こえる!」と騒きだし、あたかも反戦の旗手、平和の先兵としてヒロイズムに浸っているとは厚顔無恥も甚だしいではないか。

さてこの次の飲み会で筆者が完膚無きにまでMを叩きのめしたことは言うまでもないが、Mはその後も愚鈍な相手を選んでは自慢の反戦話を滔々と話し続けているらしい。まったくヘルメットとゲバ棒も持たずに安全なところでフォークソングを歌いながら反戦・反体制を叫んでいたサヨクは死ぬまで自虐的な虚言に浸りきっていくのだろう。お前らそろそろ退職してヒマになるんだから、全員イラクでも行ってイスラム国のメンバーに反戦を説いてきたらどうだ!。






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