ヤマトの神々とフィリピンそうめん

2015/06/13 00:04:39 | 日記 | コメント:2件

日本最古の神社のひとつと言われ、ヤマト最初の古代王朝の証とされる大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りに行って来たのだが、参拝を終え神社の長い参道からJR三輪駅へと歩いていく途中で何軒もの素麺(そうめん)屋を見かけた。

「何でこんな寂れた町にやたらとミスア(フィリピンにある素麺そっくりの麵)があるのか?」と女房が不思議そうに聞くので、ああ、これは三輪素麺と言って遥か昔からここは素麺作りが有名なんだよ」と答えると、ここで女房が「おー!ミスワを作るミワか!なるほどね」とおかしな事を言う。

何を音感で遊んでいやがる・・と小馬鹿にしたが、しかし数秒してからハッとしてしまったのだ。三輪はミワだけでなくミツワとも読む。一方フィリピンで素麺のことはミスアと呼ぶから、もしかすると単なる偶然とは言えないかも知れないぞ・・。

それでてっきり呂宋助左衛門の時代に堺の商人たちが三輪の素麺をフィリピンでミツワという名前で売り込んだに違いない!と思ったのだが、天理市に向かう電車の中でフィリピンで素麺の意味で使われるミスアの語源を調べたところ、これが全くの大外れで有ることが判った。





福建省南部で素麺のことをミースアと称していて、どうやら何世紀か前にフィリピンに移住した華僑達が使う呼び名を一般のフィリピン人もそのまま使ったようなのだ。つまりミスアの語源は日本人とは全く関係ないことだったのだ。

それで電車の中で一人笑っていると、女房がどうしたの?と聞くから、筆者の勘違いの顛末を話したら、「だったら日本の三輪(ミワとミツワ)も福建語のミスアから来てるんじゃ無いの?」と言う。

お前ね・・。日本の三輪は場所を表す地名で素麺という食品名を表しているわけじゃ無いんだ!と答えたら、だったらこの場所が素麺(ミスワ)の生産を一手に賄っていたから、そのうち地名になっちゃんじゃないの!と畳み掛ける。たしかに播磨(針、つまり砂鉄が取れた)とか丹波(丹、つまり水銀が取れた)という古代の命名法から考えるとあながち間違っては無いかも・・。

まあいつもの筆者ならアホらしくなって会話も思考も打ち切るところだが、実は数日前に始皇帝の命で不老不死の薬を求めて日本に来た徐福(秦氏の祖と言われる)の話を読んでいた為に、急に興味を持ってしまったのだ。





よくご存知の通り三輪山付近に初期の王権が登場したのは3世紀で、一方徐福は紀元「前」3世紀の人であり、しかも浙江省から出港しているので時代も場所も全然違うのだが、中国の古文書には中国沿岸部各地から何十隻もの船で三千人もの若者を引き連れたとあるから海の民である福建人が一行に混ざっていた可能性は十分あるし、それに日本に分散して流れ着いたあと何百年にもわたり各地でミニ国家を作っていた可能性があるというのである。

例えば吉野ヶ里遺跡や丹後半島に熊野のコロニーなどが徐福の分派によって形成されたように、ヤマトの三輪王権も福建人をリーダーとする分派が作ったか、もしくは崇神天王か饒速日尊の指示で素麺製造者組合を形成していたのでは・・なんて閃いたのである。

もっとも素麺の歴史を紐解けば案外と歴史は浅く、5~6世紀の渡来人が一儲けを目論んで素麺を作った可能性の方が高そうなのだけれど、福建語のミスアと日本語のミワ・ミツワ(三輪)というのはたとえ時代が下ったとしても何か関係があるように思えてきた。

あのね・・たまたま名前が似ている事は良くあることだし、それに日本中の三輪や美和、三和で麺類を作っている訳じゃないだろうが・・という反論も分かるが、古代史など現天皇家と藤原家が過去の王朝の記録を隠滅したせいで何も判ら無くなってしまったのだし、それに本日ただいま古の都にいる身としてはそう考える方が楽しいではないか!。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

No title

2015/06/13(土) 14:33:55 | URL | star child #/9hBKkrU
ところで、本場 みすわソーメン。お味はどうでしたか?

No title

2015/06/13(土) 15:19:50 | URL | ほにょ #-
行きの近鉄特急の中で女房が551蓬莱軒の豚まん4個を平らげてしまったため「あたしはおながが減ってない」と言い張られてしまい、結局そうめんを食うチャンスを逸してしまいました。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://dadesigna.blog.fc2.com/tb.php/622-c0e8adf8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)