七つの海を駆け抜けた男たち

筆者の日記を読んでいただいている方から、営業マンたる者は古い歌を覚えるべきだ!という趣旨のコメントを頂いた。確かにその通りである。結局はモノやサービスでは無く自分自身を売り込む事が営業マンの仕事なのだから、顧客の趣味や嗜好を身に着けることは必修事項だ。さてこう書くと筆者も数千曲のレパートリーを持っているように聞こえるだろうが、実は筆者はかなり音痴なために10曲くらいしか歌えないのである。

ちょっと言い訳をさせてもらうが、筆者が働いていたのはメーカーで、しかも1980年代に急成長した後発企業であるため大手商社や日本郵船、日立と違って営業の伝統というモノが殆ど蓄積されておらず、筆者らの世代が慌てて作り上げるような体たらくだったのである。それに筆者は日本に2つある国立外語大の出身者のように外国人とのビジネスについて手ほどきしてくれる先輩も居ませんでした・・。

ただし同じ会社にいる周りの上も横も揃ってレベルがかなり低いため筆者はすっかりお山の大将になっていたのだが、筆者が素直に感服してしまった出来事があるので今日の日記ではその事を書きたいと思う。なお今現在かなり酔っぱらっているので誤字脱字、意味不明の記述、さらには話題が段々ずれて行く等の不出来が有ったらどうかご勘弁いただきたい。





香港で偉そうに威張っていた筆者の元に日本の取引先から電話が掛かっていた。自分の部下が調達先の開拓に行くから手伝ってくれ!という厚かましいお願いである。この取引先は年間数千万円と取引規模はえらく小さいのだが、ここの社長は筆者の飲み友達でもあるので断るのは気が引ける。それでこの取引先にマッチしそうな小規模な数社にアポを入れ、件の部下の到着を待つことになった。

目の前に来たのは石川という名の60代半ばの冴えない爺さんである。まあアンタの上司には散々酒を奢ってもらってるから・・という挨拶もそこそこに筆者が選んだ香港メーカーに連れて行ったのだが、この爺さんは案に相違して無骨だけれども実践的な英語を駆使してガメツイ香港商人と丁々発止の交渉をし始めた。普通日本の会社からこの手の話を頼まれる場合は、英語どころか日本語でも意図を巧く説明できないダメ男が派遣されてくるのだが、この石川さんは全く逆のパターンなのだ。

そしてその次の訪問先でも癖のある香港人社長の言葉のレトリックを素早く見抜くなど常人離れした技を見せたが、実は筆者がもっとも驚いたのはこの人が自分が出来ることと出来ないことを十分弁えていて小賢しいブラフを使わない事であった。交渉スキルもつきつめれば外交交渉のそれに行き着く。つまりこの爺さんは相当場数を踏んでいるな・・という事である。





石川さんの交渉力にすっかり感服した筆者は一連の商談後に筆者の予算が許す限りのレストランにご招待したのだが、話を聞くとなんとこの人は筆者の大学の先輩であっただけでなく、奥さんはフィリピン人で(現在は別れてしまいロンドンで法律事務所に勤務しているそうだ)、明治大学に通う娘さんの学費を賄うために住友系の機械商社を退社後に今の会社に再就職をしたのだと話し始めた。

機械系商社マン・・。分かる人には分かるはずである。同じ住友でも住友商事や住友重機なんぞとは別次元の一匹オオカミの商人だ。彼らはカバン一つで外国に出かけ、現地の政治家や官僚、あくどい華僑や軍人たちを相手に何週間も時には何か月もかけてビジネスを獲ってくる本物の商人である。いつも数人で動いて「本社に持ち帰ってから回答します」なんてぬかすヘナチョコ営業マンとは全くの別人種なのだ。

興味を持った筆者は石川さんに昔話を聞いたのだが、新人の頃にインドネシアに中古貨物船を売り込みに行った話や、ベトナム戦争中にスービックにあったアメリカ海軍相手の不正だらけの商売、そしてどう見てもココムに引っ掛かるあろうベトナム経由旧ソ連行きの取引など血沸き肉躍る冒険譚であり、筆者は石川さんの話にすっかり魅了されてしまった。





「今と違って当時はコッチの腹の内を相手が中々見抜けない時代だったから商売は本当に面白かったんですよ!」と言う石川さん。確かにそうだろう・・。筆者も海外市場を志した時はそういった商売の旨味というのを期待していたのだが、実際に目にした世界は先人たちがさんざん手を付けて棲み分けが綺麗に決まってしまった世知辛い市場だった。それに筆者の会社の上司や先輩たちは元技術屋や生産管理屋ばかりで、揃いも揃ってあまりに退屈な人種なので退屈で仕方が無かった。

「でもね、私の同僚はみんな40歳前後で独立したんですけれども、みんな日本じゃなくて海外に出て行ったんですが、結局みんな外国で朽ち果ててしまったんです」と言う石川さん。この現実については色んな解釈が出来るだろうし、自分で起業もしていない筆者が何かを言うべきではないのだろう。だけど彼らは七つの海を渡り歩く自分が何より好きだったのだから、ある意味そういう結末は本望なのではないか・・と何となく思えた。

以前ペナンでかつての日本人街跡地を見た時には「兵どもが夢のあと・・」を感じだが、この機械系商社の猛者たちを思うと「老兵は死なず、ただ消え去るのみ・・」の一句の方がマッチするような気がする。さて酔っぱらった筆者が今言いたいのは、こういった鼻っ柱が強くて向こう見ずな男たちが筆者ら後人に道を作ってくれたという事である。なので今夜は誰もがもう忘れてしまった名もなきヒーロー達に対して一杯のウィスキーで献杯したいと思う。






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呼んだ?(チラッチラッ)

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