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ロッテのもう一つの顔(2)

ロッテが新宿百人町に工場を構えたのはちょうど覚せい剤取締法が施行される直前であり、終戦直後の隠匿薬物の大放出で日本中にヤク中が一気に増えていたから、覚せい剤の密造は大変美味しいビジネスであった。ただし重光武雄はあくまで実業家になるのが夢であり、覚せい剤は副業としか思っていなかったのだが、当時日本の銀行は朝鮮人に金を貸すことはまず無かったので資金の手当てのために他に選択肢が無かったようである。

なおこの百人町工場の土地は正式に購入したわけでは無くて、海城学園と言う海軍士官学校の予備校の敷地の一部を不法占拠してそのまま居ついただけなのだが、この実行部隊は重光の覚せい剤ビジネスの元締めである東声会という朝鮮ヤクザである。会長は町井久之と言って度胸と才覚で部下数千人を構える大物組長だが、町井はもう一つ南朝鮮を支持する在日本大韓民国民団(以下「民団」)の幹部と言う別の顔も持っていた。

北朝鮮系の朝鮮総連の悪評があまりに高いため民団については余り知られていないが、思想主義を別にすれば権利闘争と脱税などやってる事は朝鮮総連とほとんど同じである。当時の在日朝鮮人はまともな仕事に付けなかったからヤクザと民団と如何わしい業者は一枚岩のようなものであり、父ちゃんはバッタ屋で母ちゃんは民団の活動家、息子はヤクザで娘は上野のキャバレーのホステスなんてのはザラにあったのだ。

チューインガムでそここそ成功を収め始めた重光も町井の元締めヤクザの勧めるまま民団の商工人として活動していくことになるが、反日でコチコチに頭が凝り固まっていた李承晩大統領が失脚し、少しばかりごたごたが続いた後で1961年に親日派で軍人出身の朴正煕が政権を奪取すると、これまで韓国政府から裏切り者と見なされていた民団が俄かに脚光を浴びることになる。朴正煕が真っ先に手を付けたのは立ち遅れた韓国経済発展のために日本との国交を結ぶことであった。





日韓基本条約(1965年)についてはネットで検索できるのでそちらを見て頂きたいが、共産勢力と対抗するうえで共同歩調を取りましょうと言う政治的な思惑とは別に、朴正煕の本音は日本から賠償金をせしめることであった。そして実際に当時の韓国の国家予算の3年分という莫大な金額で合意するのだが、その際に日本政府に対するロビイストとして暗躍したのが町井ら民団のボスたちと、同じく在日であった児玉誉士夫である。

なお重光武雄は当時は単なる中小企業のオヤジであり、日韓基本条約に絡むほどの大物では無かったのだが、朴正煕とロッテの代理人(おそらく町井久之か児玉誉士夫)の間で覚せい剤の密造拠点を韓国内に作ることを了解させる代わりに、その上がりの一部を朴正煕に渡すことを合意したらしいのである。(ただし朴正煕は清廉潔白な人間だと言われているから、その側近や韓国軍そのものと交渉したのかもしれない)。

当時すでに日本国内は警察の取り締まりが厳しくなっており覚せい剤を製造できるような状態ではなくなっていたのである。それでロッテは生産を韓国に移し、売人組織から受け取った覚せい剤の上がりを韓国工場に送金するようになったのだが、この送金ルートは日韓両国ともノーチェックであったため、民団の他の商工人達も脱税でため込んだ金をロッテの送金に混ぜて送るようになっていた。これが現在まで続くロッテの地下銀行ビジネスの始まりである。

そして韓国内に溜まりこんだ資金をビジネスに転用しようと思った重光武雄は朴正煕に面会して韓国内で化学ビジネスを立ち上げたい!と何度も要望したが何故だか却下されてしまい、結局日本と同じ製菓業と東急や西武をモデルにした流通企業を立ち上げることになる。しかし今考えるとこれは朴正煕の重大なミスであろう。もしもこの時YESと答えていれば、韓国はサムソンと現代自動車のほかにもう一つの巨大な外貨獲得企業を抱えていたに違いないからだ。





さて重光武雄がいつごろ覚せい剤の製造から徐々に手を引き出したのは不明だがおそらく1960年代後半ごろだと思われる。この時期にロッテの事業は軌道に乗り始めたし、元締めの町井久之も東声会を解散して東亜相互企業TSKという合法事業へとウエイトを移し始めていくからだ。いずれにせよ本業が上手くいけば覚せい剤みたいな危ないビジネスを続ける必要は無いから体よく別の人間に譲渡したのだろう。

しかし終戦直後から日韓基本条約あたりまでに重光武雄が築いた人脈はその後も日韓両国の背後でうごめき続け、製菓業からホテル、百貨店、リゾート施設など日韓両国合わせて売上高数兆円の巨大企業となり日本の野球球団を持つまで公人となった現在でもロッテは昭和の時代同様にアンタッチャブルな領域で有り続けている。昨年発覚した地下銀行の件はおそらく朴正煕の娘の反対勢力が暴いたのだろうが、日本のメディアが全く沈黙してしまっていることが何よりの証拠である。

さて筆者がなんでこんな話を知っているのかと言うと、筆者の非常に親しい人間がこの会社に勤めていて、しかもど真ん中の職場で長年仕えているからである。それでずいぶん前に酒を飲みながら「ウチの会社は実はこんな事が・・」という感じでいろいろと教えてもらったのだが、友人はロッテ創業者という人物については根っからの実業家である!と太鼓判を押していた。

筆者のいた香港のジャーディンやスワイヤ、それに香港上海銀行などはアヘン商人が興した会社であり、また筆者の取引先にも60年代まで麻薬を取り扱っていた会社もあるから筆者はロッテが覚せい剤を作って大きくなった会社だと知っても別に驚きはしなかったし、同時に重光武雄が覚せい剤などの虚業でなく製菓業という実業に主軸を貫いたことは大変尊敬しているが、それでもこの男は死ぬときは地獄に落ちるのだろうな・・と思った。






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