ロッテのもう一つの顔(1)

2015/03/25 01:13:22 | 事件と陰謀論 | コメント:2件

日本のニュースを見ていたらロッテの創業者の長男で将来の総帥と見なされていた重光宏之(以下「長男」と略)が今月末にロッテ建設の社長の座を失う予定だとのニュースが出ていた。さらに長男は去年からグループ十数社の役職を外されていて、その理由は組織の再編とか言われているが、本当のところは誰にもわからない・・などとはっきりしない記事の終わり方をしている。

これを見た筆者は「まだ日本のメディアは知らんぷりを決め込んでいるのか!」と呆れてしまった。ロッテ長男が日本から韓国への巨額の不正送金に関与した罪で韓国の検察当局から起訴され、これがロッテの裏の顔が露呈する切っ掛けになるかもしれないため、父親の重光武雄会長がトカゲのしっぽ切りをしていることは韓国では既に衆知の事なのだ。

ところが日本のメディアはこの一大疑惑に完全に沈黙しているばかりか、国民の目をあらぬ方へ向かせようと読者を馬鹿にした記事を書いてお茶を濁しているのである。まったくグーグルの翻訳機能のおかげで世界中の情報が簡単に読み取れるようになったと言う事実を日本のメディアはちゃんと理解してんのかね・・と思わず笑ってしまう。

まあそうは言ってもロッテには結構な額の広告宣伝費や在日に対する人権上の配慮、そしてもっとヤバい背後関係があるから日本のメディアがロッテの本当の姿を書くことは望み薄である。そこで今日の日記では筆者がこの魔境とも言うべきロッテの闇について事情を知る知人から聞いた話を披露したいと思う。





ここ30年くらいのロッテのおかしな点についてはちょっと前の日記に書いたのでそちらを見ていただきたいのだが、今回はロッテの創業時期、つまり戦時中に重光重雄青年が早稲田の理工学部(の前身の学校)に留学生として渡航し、そして1950年には新宿百人町に巨大なロッテ本社工場を設立してから10年くらいの期間にロッテは何をやっていたのか?について書くことにする。全ての答えはここにあるからだ。

ロッテの社史には裸一貫で日本にやって来た重光武雄会長がその実直さと能力の高さを見込まれて日本人実業家から現在の2億円に相当する資金提供を受け、戦争中に杉並区荻窪に機械油工場を設立したが、終戦間際に米軍の爆撃で工場は破壊されてしまった・・というちょっとばかり唐突な話から始まってる。

やがて敗戦後に進駐軍の兵士が噛んでいるチューインガムを見て「これは売れる!」と閃いた重光会長は再び日本人資産家の協力を得てガム工場を設立し、いろんなアイデアを駆使しながら商売を軌道に乗せただけでなく、機械油工場のカネを出してくれた日本人資産家への借金も完済し、そしてリヤカーを引きながらガムの行商に励んだのだ・・と立志伝中の人物に良くある涙ぐましい苦労話が書かれている。

そして終戦から5年後の1950年には新宿区百人町にロッテの本社工場を設立したのだというところで重光会長の創業時のエピソードが締められているのだが、はっきり言うとこれらは全て脚色されているかウソッパチなのである。そしてロッテの最初の10年のウソを剥ぎ取って見れば何故ロッテは戦後ずっとアンタッチャブルな存在だったのかが自ずと見えてくるのだ。





まず最初から説明すると重光会長が早稲田の留学生だったことは確かなようで、また成績優秀で理工学部の学生ながら文學好きな実直な青年であったことは確かである。しかし日本人から出資してもらって杉並の機械油工場を・・というのは事実でなく、彼は戦時動員としてどこかの工場で働いていてそこで終戦を迎えたと言われている。いずれにせよ日本人の介在でビジネスの経験を積んだと言うのは事実では無い。

ただしGIがガムを噛んでいるのに触発されチューインガムうんぬんは本当の話であり、実際現在でもロッテは製菓業が本職だから間違いではないのだが、ここで忘れてならないのは起業家なら一番苦労する創業期の資金の手当てを何処から工面したのか?というところが社史には全く出てこないのだ。潰れた機械油工場の篤志家の話はロッテとはほとんど関係ないのに美談として出てくるのとは対照的なのである。

当時日本は食うや食わずの時代であり、失礼ながら朝鮮から来た留学生に金を貸す人などいなかったはずである。しかし重光は何故だかこの時に多額の現金を引っ張ってこれる状態にあったのである。そして後にもロッテは企業としては例外的な事に資金的に苦しむことが無く、まるで魔法の様に資金を創出しては森永や明治などの先行ライバルに打ち勝って行けたのは、チューインガムと同時並行的に始めたあるビジネスがもたらす巨額のカネのおかげであった。

さてその答えを言うと、それは彼の同郷の志である朝鮮人たちが戦勝国民として新宿や上野の闇市の一部を仕切っていたからであり、そして何よりも重光会長が化学屋だったことに大きく関係しているのである。もちろん闇市で売られた芋や闇米、カストリと言われた粗悪な酒などを大学卒の化学屋が作るわけもなくて、もう少し専門知識が必要でもっと金になるもの、つまり覚せい剤の製造がロッテ創業時の収入源だったのである。






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コメント

2015/03/25(水) 23:32:38 | URL | でぶ熊 #-
社史では三菱同様本当の事はないですが新宿の家の町内会古老はあの会社はヒロポンで財を築いたと言います。当時は臭くてどうしもない工場だったと、ガムと並行して今で言う覚醒剤を造っていたのでしょう。

2015/03/26(木) 00:46:06 | URL | hanep #-
筆者さんの日記は、たまにシリーズ化するからおもしろいですねww

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