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東京ドケチ列伝

2015/03/23 16:22:31 | 昔話 | コメント:0件

今から20年以上前、筆者が海外営業本部に配属になった時の上司は青木という名の50代の部長で、この方は30歳前にニューヨーク支店勤務、40歳でロンドン支店長と海外営業本部きってのエリートコースを歩んできたが、階級が上がるに従ってその金銭感覚のセコさが災いし、10年近く部長職に留まったままであった。

金銭感覚のシャープさも時と場合であって、新規事業の投資に噛みつき過ぎて競合他社に先を越される様なことが続けば立身出世もお終いである。若いころブロードウエイのユダヤ商人相手に1ペニー(1セント)の値上げ交渉に挑み、相手から「ミスター1円(当時1ドル360円だから1セントより安い)」と呼ばれたのだよ!と自慢されても、筆者ら若造は内心「それさえ無ければ今頃はもっと・・」と思っていたのだ。

しかし当時の営業部には青木部長とは反対にコストの半額で客に売ったり、円高になっていく局面にも関わらずドル建ての大安値、しかも3年契約なんて大ポカをやる頭のネジがぶっ飛んだ営業マンもいたから、有る意味会社の重しとして青木部長は必要な人物であった。

それに青木部長は株や麻雀、競馬などの賭け事も巧みだし、特に客が潰れた!貨物が盗まれた!という時には並々なぬパワーを発揮するのである。、コーヒーが10セント安いからと宿泊先のマンハッタンのホテルから1キロ南まで歩いていく様なシブチンな一面を見せても部下たちは一応上司だからそれなりに敬っていたのである。





しかし有る時を境に青木部長の評価は凋落することになる。その原因を作ったのは実は筆者で、今から20年前の秋の日、この日は交通遺児のための赤い羽根募金の日だったのだが、この日筆者はちょっとマズイものを見てしまい、そして聞いてはいけない事を聞いてしまったのだ。

この日全ての社員は胸に赤い羽根をつけて出社したのだが、朝一番から青木部長の机に呼ばれて細かいお叱りを受けていた筆者はふと部長の胸元をみた時に赤い羽根がやけにボワボワした感じになっていることに気がついた。

今はどうか知らないが当時の赤い羽根は全ての毛がピンッ!と真っ直ぐ張っているものなのに(しかも募金日の朝一番である)、毛と毛の間が幾つも割れていて、しかも一本一本の羽根もだらしなく弛んで毛玉みたいなのである。それで「こりゃ相当こすれたんだな・・」と思ったのだ。

部長のチェックに少しばかりウンザリしてた筆者は「東横線は今日はそんなに混んでいたのですか?」と聞いたのである。これは別にからかっている訳ではなくて話題を少しばかり逸らしたかったのだが、赤い羽根を指差した筆者の質問の意味に気づいた青木部長の口から「ああ、去年ラッシュに捕まってね・・」という言葉が聞こえたのだ。





去年つけていた赤い羽根・・?。思わず耳を疑った。つまり青木部長は赤い羽根を1年間保管していたって事か?。それで筆者は唖然としてしまったのである。たったの10円の募金を払いたくないためにか・・?。募金に賛同できないなら断れば良いだけなのに、世間体を気にして古い赤い羽根を使いまわしている・・?。

その日の昼休みに筆者がこの赤い羽根の一件を話すや同僚たちが飛びついたことは言うまでもない。そして全員の口からオオッ!と驚嘆の声が上がり、今までケチだと思ってたがまさかそこまで!と口々に叫び始めた。やがてこの話題は女子社員や海外支店まで広がり、オオ!アオキ!、ベリィベリィスティンジーッ!などと叫ばれてしまったのだ。

その後青木部長は部下からの冷たい目にさらされ続け、さらに5歳年下のあんまり細かくなくて思い切りの良い課長に出世レースで追い抜かれ、とても寂しい形で定年を迎える事になったのだが、部下の毎月の経費を1円単位までチェックして「だめだよぉこれぇ~」とお小言を言う姿勢は退職前日まで貫き通したようである。

さて青木部長は3年前に鬼籍に入られたが、奥方から「本人の遺志により葬儀は執り行わず・・」というハガキを受け取った時に、あの人は自分の葬式代もケチったのか!とかつての同僚たちと大笑いしてしまった。一体あの世に銭金を持ち運べるのかどうか知らないが、今頃あの世の友人達に焼酎お湯割りを飲みながらユダヤ人相手の1ペニー論争の自慢話でもしているに違いない。






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