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ヤム・ウンセンとソムタムの思い出

2013/09/18 22:00:38 | タイ・インドシナ | コメント:0件

「旦那がタイ料理を作るから家に食べに来て」とジュミに呼ばれたので、ウィスキーを手土産に一家全員でパッシグまで出かけて行った。この従兄弟ジェンジェンとジュミ夫妻は数年間バンコクに住んでいたことがあるのだ。「週末はみんなでRCA(バンコクの繁華街)のパブで、ヤムウンセン(タイ風春雨サラダ)とウィスキーのソーダ割りで明け方近くまで飲んでてな」と笑うジェンジェンが只今作っているのはヤムソムオー(グレープフルーツに似たポメロのサラダ)、トムヤムクンにカオパットガイ(鶏肉入りチャーハン)、そして思い出の味ヤムウンセン(写真下)である。ジュミが「貧乏で行き当たりばったりな毎日だったけど私たち20代だったから本当に楽しかったわ」と言ってバンコクでの冒険譚をいくつか話し始めた。ジュミの話を聞きながら「あー。この夫婦もタイに魅了されたのだな」と思った。

     ヤムウンセン

筆者も短い間だが大学生活の終わりの方にバンコクに滞在したことがある。もっとも筆者が飲んでいたのはRCAなんてシャレた街ではなくて、どぶ川の臭いのするヤワラート(チャイナタウン)であったが・・。当時ヤワラートにはインドやアフリカから帰ってきた旅の猛者たちと、女とクスリを求めてタイに埋没するアウトローたちの2つの種類の日本人たちが混在していて、7月22日ロータリー広場付近にあるジュライ・ホテルや楽宮旅社、台北ホテルといったボロホテルに居をかまえていた。

この近辺はお洒落なカオサン・ストリートや高級ホテルの立ち並ぶスクムビットとは全く違っていて、ヤク中や立ちんぼ売春婦が真昼間から徘徊しているような街である。その怪しさは大阪・通天閣の南側の10倍くらい酷いのだが、ごく一部の日本人たちにとってはこの退廃的な雰囲気が何とも言えず心地良いのだ。この頃のヤワラートの雰囲気を書いた本に谷恒生の「バンコク楽宮ホテル(写真下)」やクーロン黒沢の一連のエッセイがあるので、興味のある方は是非読んでいただきたい。

     rakkyuu.jpg

筆者は2か月に及ぶインド放浪の旅の後にバンコクに辿り着いたのだが、ヤワラートのボヘミアンな世界にすっかり魅了されてしまい、日本に帰国してからさっさと就職先の内定を取ると、その後すぐにタイに戻って大学卒業直前まで都合4か月間ヤワラートのジュライ・ホテル(写真下)に沈殿していたのだ。

もちろん筆者はボヘミアンへと変色していったので仏教寺院や美術館・博物館の類には一切近寄らず、悪名高い冷気茶室(その中でも最も有名な通称エレベーター茶室)やスリクルン・ホテルの横にあったハーレムという格安のマッサージパーラーに真昼間から通いつめ、夜になるとジュライ・ホテルの前に出ているユーピンというオバちゃんの屋台でサバや貝の炭火焼をビールで流し込むと、いよいよメインイベントの「河っぷち」へ出発するのである。

     julyhotel.jpg

「河っぷち(写真下)」というのはバンコク中央駅(フアランポーン駅)周辺の路上にズラーッとゴザを敷いて酒とツマミを提供する貧乏人向けの飲み屋である。店主(というよりゴザの主?)は全員がタイ東北部のイサーンという貧しい地方から出稼ぎに来ている10代の娘たちばかり。ちなみに彼女たちは売春婦ではないし、おさわりとかも全く許さない純朴な田舎娘たちである。

この河っぷち、元々は彼女たちの故郷から来た出稼ぎ労働者向けの飲食店なのだが、筆者とタイで出会った日本人の友人たちはその純朴さにすっかり嵌まり込み、毎晩河っぷちに集まっては夜までソムタム(青パパイヤのサラダ)とガイヤーン(鳥の炭火焼)をツマミに得体のしれない赤酒を酩酊するまでワイワイ飲んでいたのだ。メンバーは5人の日本人と5人のイサーン娘、すましてるけど本当は優しいオラニー、姉御肌で説教好きなオラニーの姉アイ、歌が好きなニーノイ、いつも冗談を言って皆を笑わせていたゲー、男に振られてばかりのゴン。筆者にとってタイの思い出の味とは彼女たちの作ってくれたソムタムである。

     kawappuchi2.jpg

あれから25年たったが、あの時一緒に河っぷちで飲んだ日本人の友人たちとは今でも関係が続いている。タイで自分の会社を立ち上げた男、タイ駐在員の仕事に潜り込んだが今は中国商社に鞍替えした男、大使館の通訳官になった男、そして夏は日本の山小屋で働いて冬になると毎年チェンマイに移住するリーダー格の男、・・・筆者もここ数年はタイを訪問して友人たちと旧交を温めるのだが、彼らはみんな豊かになってしまったためか河っぷちには行きたがらない。

仕方なく寿司とか焼肉とかを一緒に食べに行くのだが、そのあと筆者はどんな深夜でもタクシーを飛ばしてフアランポーン駅へ行くことにしている。オラニー(写真下)は数年前に亡くなってしまい、ニーノイは日本人と結婚して北海道に移住、アイ・ゴン・ゲーは20年以上前に故郷のロイエット県スワンアナプームへ帰ってお母さんになってしまったが、たった一人だけ25年前から今でも店を出してるジャンがいるのだ。当時は17歳の暗そうな娘だったが何故か今はケバいオバちゃんに化けてしまった。

     oraneeblog.jpg

筆者がジャン(写真下)の目の前に現れると「あれー!今年も来たのね」と言ってゴザを開いて「座ってよ!」と言う。25年前と同じように赤酒を飲みながらジャンの作ったソムタムをつまむ。ジャンとの会話はいつもあいつはどうした、こいつは子供が手が付けられなくってね・・というような情報交換だ(筆者の乏しいタイ語ではこれが限界である)。

ジャンは無口な方だしそれ以外の会話は大して無いのだが、ここ来ると自分が25年前の薄汚い恰好をした若造に戻れるような感覚になれるのが嬉しい。あの頃いつも日本に帰る前の日に「梅は咲いたか~♪桜はまだかいな~♪」と唄っていたので、同じように歌うとジャンが静かに微笑んでいた。筆者はこの25年の間に会社員としてアチコチ寄り道したけど心はずっとここ「河っぷち」に居たのだと気が付く。きっと筆者が死んだら魂は河っぷちに現れ、夜の間ずっとソムタムをつまみながら赤酒を飲んでいるのだろうな・・。

     friend of orany

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