人を魅了し堕落させる甘い香り(3)

2015/02/02 01:08:30 | 事件と陰謀論 | コメント:0件

戦前の上海を描いた小説にはアヘン入りの市販煙草ルビイが頻繁に登場するし、なにより日本軍が中国沿岸部を占領した後は日本人の商店にアヘン流通を独占させることで軍費を稼いでいたと言われるくらいだから、目の前にいる西村の爺さんが中国大陸でアヘンを栽培していたとか売っていたというのなら理解はできる。

しかし爺さんの言う「裏山」というのは新潟県内の山の事で、つまり日本国内で栽培していたという意味なのだ。しかも時期を聞いて見ると戦後である・・。子供の頃タイとラオスとビルマ国境に黄金の三角地帯と呼ばれるアヘン栽培地があるという話を聞いたことはあるが、まさか居酒屋から歩いて行ける場所に日本版の三角地帯があったなんて・・。

西村の爺さんの話ではケシという植物は山の斜面、しかも標高の高い場所で栽培するのに最適らしく、畑と違って全然金にならない山の土地を持っていた西村の爺さんの父親はケシ栽培に手を出したらしい。すでにアヘン栽培は法律で禁止されていたが、当時は食うや食わずの時代だし、だいいち山にハイキングに来る人間など皆無だから誰の目を気にする必要も無い・・。

収穫したアヘンは東京のブローカーが一括で買い取ってくれたそうで、このブローカーはよほど販売が巧みなのか、それとも睨みの利く政治家と繋がってるのか知らないが、ただの一度も警察に踏み込まれたりした事は無かったらしい。ケシの坊に剃刀で切り込みを入れて一本一本果汁を採取するのは面倒だったが、捕まる心配は無いしそこそこの金になるので20年近くアヘン栽培を続けたのだそうだ。





しかし60年代に入るとアヘン常習者の人口が減ったためかブローカーの買い取り量が目に見えて減り始め、さらに警察の目も厳しくなってきたし、何より西村の爺さんも工場でそこそこ出世したので危ない橋を渡るのが怖くなったらしい。それで60年代の半ばにアヘン栽培に見切りをつけることにした。

しかし喫茶店のアルバイトじゃないのだから下手すると秘密保持のため殺されかねない・・。それで怖くなかったか?と我ながら陳腐だと思う質問をしたが、東京のブローカーもその時はいろんな合法事業を展開していて向こうもアヘン商売に見切りをつけていたようである。なので全然揉めるようなことは無かったのだそうだ。

「むしろ山の土地の利用方法について向こうから代替案を持ってきてね。そのアイデアに乗ったおかげで今でも副収入があって大いに助かってるんだよ」と笑う西村の爺さん。副収入・・?という事は他の作物でも飢えてるんですか?と聞くと、まさか!。山の土地を貸したんだよ。借地権ってやつだ!と笑う。

そして爺さんは新潟県でも結構知られたスキー場の名前を挙げた。つまりアヘンを栽培していた西村の爺さんの山は今はスキー場の一部になっているということらしい。このスキー場は筆者も冬になると滑りに行ったのだが、あのゲレンデに積もった雪の下にそんな秘密があったとは誰も知らないであろう。なおこのスキー場を出資者の一人に例の東京のブローカーがいるそうである。






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