大阪カクテル悲話

2014/11/20 10:26:11 | 旅行 | コメント:0件

今から25年ほど前に筆者は店頭支援という名目で大阪の上新電機いち番館で2ヶ月ほど働いたことがある。これは配属初年度の教育研修の一環として販売現場を学ばせるという名目だが、実態は年末商戦時の人手不足に困った大手小売店からの売り子の補充要請で、山奥の工場で無聊を囲っていた筆者は上司の命令で大阪へと行かされる羽目になったのだ。

さて大阪には大学時代に属していたサークルのメンバーが3人いて、共同通信の大阪支社にいたK先輩と連絡を取ったところ、早速会おうじゃ無いかということで梅田で待ち合わせをすることにした。なお当時の日本は大変景気が良く、とくに報道系は残業代も含めると月100万円くらい給料を貰っていたようで、このK先輩はいきなり「まあ寿司でもつまんでからゆっくり話そう」ときた。

曽根崎新地の市力寿司で真っ直ぐ歩けなくなるほど寿司を食った後、このK先輩は「俺の行きつけの店に行こうじゃないか」と言う。スナックかピンサロかな?と思ってついて行くと、なんとそこはNUTS BARというカクテルバーで、ドアを開けると長い一枚板のカウンターとジャズが流れる小洒落た店である。この瞬間「こりゃ参ったな…」と思った。

と言うのは筆者は大学時代はカクテルバーなんか一度も行ったことが無いからである。カクテルらしきものと言えば樽平とか村さ来みたいな居酒屋の青リンゴサワーくらいしか飲んだことがないし、だいいちカクテルの名前なんて一つも知りやしない…。それで恐る恐る「水割りを…」とバーテンさんに言うや、この直後にK先輩は「お前さぁ…。給料もらう身分になったんだからカクテルくらい頼まないとぉ」と嫌味っぽく言った。





この屈辱、この怒り…。ちなみにK先輩は学生時代は貧乏でマヨネーズを舐めて飢えを凌いでいたのに、一体この代わり様は何だ!。そして俺が勤務しているのは山奥の工場だから洒落たバーなど一件も無いのだ!と心の中で言い訳をしたが、込み上げてくる自己への不甲斐なさは如何様にも出来ず、その場はただただ屈辱に耐えながら先輩のカクテルレクチャーを受けたのである。

翌日店での仕事を終えると旭屋書店へ駆け込んでカクテル関係の本を2冊買った。ホテルに戻り本を読んでみると、そこにはマティーニとかギムレットなんてカクテルの名前が数百も出ている。それでそれを全部覚えようとしたが、どうもベースとなる酒から体系化した方が効率が良さそうである。それで縦軸にはウォッカ、ジンなどベースを書き、横軸にはライムジュース、アロマティックビターズなど加えるものを書き、各マス目にトムコリンズなどとカクテル名を書き込んで行った。

そしてそのチャートを手元に忍ばせてカクテルバーに行き、最初はギムレット、次はサイドカーと一つ一つ頼んでいく。行くのは梅田のナッツバーと丸ビルの地下のバー、そして心斎橋のアメリカンバーの3つで、ほぼ毎日のようにハシゴをしたのでチャートにある数十の主要なカクテルは1週間で一通り飲むことが出来た。ただし毎日ひどい二日酔いに悩まされたけれど…。

さてその後も筆者はK先輩や当時サントリーにいたY先輩と一緒に大阪の街を飲み歩くことでカクテルを自分のモノにして行き、バーテンさんと「今日は二日酔いだからネグローニにしよう」などと冗談が言えるようになってきた。人間必死に勉強すればなんとかなるものである。しかし大阪滞在も終わりになりかけた頃に、筆者の軽い思い上がりをぶち砕くようなある出来事が起こった。(続く)





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