産業スパイ体験記(3)

筆者はMからD社の機密情報を4年以上に渡り入手し続けたが、途中で一人の人間が現れたことで大きな転機が訪れた。D社のイカれた社長の思いつきで業界では悪評高い人物が経営する会社を代理店に任命したのだが、今までは単なる工場窓口でしかなかったMをこのヤバイ会社の営業窓口に抜擢したのだ。ヤバイ会社の親玉であるウォンが英語が苦手なため、D社の中で広東語が一番上手なMが適任されたのだとの理由だが、事実は他のエリート社員が担当を尻込みしたため、使い捨て可能な高卒Mが選ばれたというのが実情である。それもそのはずウォンは香港マフィアのメンバーで、10年近く前にヨーロッパ系の競合他社を食い物にしていたのだが、全てが発覚して代理店契約を切られそうになった丁度その時、ヨーロッパ人のマネージャーが深夜路上で複数の暴漢に襲撃されて半身不随の重症になってしまったのだ。

ここで香港の黒社会についてちょっとだけ説明するが、香港では法律上オレは黒社会のメンバーだと名乗ると警察に逮捕されてしまう為、彼らは14Kや新義安などの組織の看板をあげる代わりに「○○貿易」や「△□商会」という一見普通な会社の屋号を使って、正業(この場合はヤクザ稼業)と副業(ごく普通の職業)を同時に営んでいるのだが、中にはどっちが正業なのか分からない連中もいて、もの凄く成功した電子機器メーカーや運送屋、保険代理業者に学習塾経営者が実は黒社会の幹部だったりするのだ。そしてウォンも表向きはヨーロッパ系企業やD社の代理店の仕事をしているが、裏では債務超過に陥った会社の転がしや債権回収、それに中国で合成された薬の密輸が本業であった。

さて営業に昇格したMは大喜びで、今までのコンプレックスを跳ね返して仕事一筋になってしまうのではないかと心配したが、Mの心の闇は相当深いらしく相変わらずD社の営業週報をリークし続けてきた。しかし以前に比べると別料金の特別情報は目に見えて少なくなっている・・。おそらくMは自分の会社を売り渡す相手をウォンに切り替えつつあったのだと思う。それにウォンは年間100億円くらいD社製品を売る能力があったから、5〜6000万円くらいの賄賂を払う用意があるとMに耳打ちしたのかもしれない。いずれにせよウォンはその道のプロだから、筆者のようなサラリーマンが伍していけるはずもなく、Mに対するスタンスをここで変更する必要が出て来た。

これまでM情報を見て狂喜していた日本のお偉いさん達は、香港マフィアのウォンが登場したと聞くや一気にブルってしまい、自分は関与していないぞ!、事実が発覚したら責任は誰が取る!などと不毛な議論を繰り返した挙句に結局結論は出せないため、仕方なく筆者の方からMがウォンに完全に取り込まれる前に一気に重要情報を入手し、そしてその後Mと手を切るというシナリオを出した。するとお偉いさんや部長達は急に威厳を取り戻し、300万香港ドル(3600万円)を会社の裏金口座からひねり出すや、この金で今後5年間の商品開発計画や生産計画、変動費分析などを入手して来い!と偉そうな口調で言った。





日本のその筋の方も同じと思うが、香港マフィアもほんの少しのとば口を開けて大企業に食い込むや、やがて何人もの社員を金とセックスと恫喝で籠絡させて居場所を拡大し、そして大会社が枯れ果てるまで生き血をすすっていくというのがやり口である。ウォンもMを水先案内人として使うことでたったの1年で販売実績2番手の代理店にまで躍進し、やがてMの上司やそのまた上司を籠絡して代理店以外の分野、具体的にはD社の広東省の新工場の土地建物の提供や人材派遣、重要部品の外注先などを手がけ、更にはウォンの仲間である怪しい連中がD社の保険契約や別事業の中国包括代理店契約を結ぶなど、巨木に絡みつく蔦のようにD社に食い込んでいった。

現在でもD社は東証一部に上場していて、アベノミクスの影響で株価は少しは好転しているが、ウォン登場前と後とでは利益率が常に半分以下に落ち込んだままである。D社の社長は市場環境の激化と模造品による営業被害が原因だと毎年お決まりの説明をしているが、実際はウォンがD社を脅しあげて巨額のマージンや部品費用の暴利を貪っている為と、D社の特許を盗用した模造品を作っているのはウォン一味の男が経営する電子機器メーカーである。こんな事など長年業界にいれば誰でも知っていることであるが、D社の社長自体が今から10年前にウォンに籠絡されたのだから株主に本当の事など言えるはずもない。

さて筆者がMとの関係を切った日へと話を戻す。筆者が適当な理由をつけて今後の支払いをやめると伝えた時に、Mは意外に冷静で「へえ・・そうなのか・・」と言っただけだったのだ。この数か月前に合計300万香港ドルを払っていたのだからMの懐は相当潤ったはずなので、この冷静な反応は予想外だった。やはりMが機密漏洩をしていた理由は金では無く、自分の所属する会社を裏切ることで自尊心を満足させたかっただけなのである。そして軽率な事にMは「お前の会社は俺の中ではもう用済みだからな!」と言って可笑しそうに笑ったのだが、本当に用済みなのはMの方であった。

別れ際にMが言ったのは「赤いスティックはどういう評価だったんだ?」という一言だった。二十数回に分かれて入手した情報は前述の通りD社の最重要とでも言うべきデータ類だったが、1つだけ頼んだ覚えも無い長ったらしい書類がそれだけ別の赤いUSBメモリに入っていた。そしてこの一言はMが最もリークしたかった分書が何かを指し示している。これは全くの異質な資料で、D社のシンガポール工場が持つ数百億に登る巨額の簿外債務、というよりリファイナンスという違法行為を使った粉飾決算の証拠書類だった。

「すごい書類だがウチの会社は東証にタレ込んだりはしないよ」と言うとMの顔はサッと曇ったが、どうして君の会社の役員達はあんな馬鹿な事に踏み込んだんだろう?と筆者個人の意見を何気無くつぶやくと、この時にMは急に表情が強張るやみるみる何かがこみ上げて来るような顔つきになった。やがて口から出てきたのは「それはな!あいつらが馬鹿だからだ!あいつらみんな馬鹿だから何も見えなくなっちまったんだよ!」と辺りも憚らず感情的な声で叫ぶと、そのあとMは黙って筆者の目の前から立ち去った。







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