反骨の英語教師

先日父親から聞いた不思議な話を思い出したので今日の日記にすることにする。なおこれは筆者の父親も又聞きの話の上に幾ら何でもストーリーに穴があり過ぎなのだが、父親が勤務していた中野区の教師たちの間では一時期ずいぶん広がった話だそうだ。なのであくまで都市伝説だと思って読んで欲しい。なおストーリー自体が教師の視点で語られているだけでなく、終わり方が中途半端な感じであることをお許しいただきたい。

今から50年くらい前、初老の英語教師が中野駅北口から勤務先の公立中学校へと歩いて行く途中で、自分の横を歩いていた若い男から「先生!」と声をかけられた。見ると昔の教え子の山田君(仮名)が自分を見てニコニコしている。この山田君は自分が別の区にある中学校に勤務していた時の生徒で、記憶力抜群の教師は直ぐに思い出したのである。さて山田君はなぜか自分と同じ方向へと歩いて行くので、いったいどうしてこんな場所に勤務しているのかと不思議に思った。

というのは山田君はかつて自分が教えた中でも抜群に優秀な生徒の一人で、学区では一番の都立高校から現役で東大に進んだ超エリートであるため、霞が関や大手町ならともかくこんな中野みたいな田舎(当時)にある会社に出勤するハズがなかったからだ。それで英語教師がお前は今から何処に行くんだ?と尋ねると、山田君は「実はその先にある学校に通うことになったんです」と答えたのですぐに納得した。その先というのは警察大学校。山田君は警察のキャリア官僚になっていたのである。それ以降英語教師は何度か山田君と道端で会い、和やかに旧交を暖めたそうだ。

それから10年経ったある日、英語教師が自宅で週刊誌を見ていた時の事である。その雑誌には当時日本中を震撼させた凄惨な事件の特集記事が組まれていたのだが、その中に山田君らしき顔写真を見つけて驚愕してしまった。サイズが小さいので分かりにくいが、この英語教師は生徒の顔を覚えることには絶対の自信を持っていて、とくに山田君の特徴的な鼻の形は忘れようがない。過激派の内部分裂でリンチを受けた上に殺された被害者たちの顔写真のうちの一つが山田君だったのだ。

しかし顔写真の下には山田君とは全然違う名前が書かれているし年齢も山田君より5〜6歳若い。さらに東大ではなく京都大学の出身者とある。その時英語教師は何とも嫌な違和感を感じたのだそうだ。さて普通の人間なら他人の空似で済ませるところだが、この英語教師は教え子の身を案ずる昔気質な上に、退職して毎日ヒマだったこともあり、戸棚の奥にしまってあった卒業生の名簿を調べるとなんと電車に乗って山田君の実家へと向かったのである。





山田君の実家は名簿に記載された場所にまだあって、チャイムを押して自分は山田君の中学時代の担任だと名乗ると、むかし家庭訪問の時に見覚えのある山田君の母親が玄関に出て来て、家の中へと招き入れたそうだ。そして居間には元陸軍軍人の山田君の父親が座って居て、英語教師の顔を見ると「先生よく来ていただけました。線香の一本も立ててください」と言って嗚咽を漏らしたらしい。まさか!嘘だろ!と英語教師は驚愕したが、奥の間に通されると直ぐに仏壇が目に入り、そこに紛れもない山田君の遺影が飾ってあった。

息子は数年前に体調を壊して警察を辞めていたのですが、一月ほど前に息を引き取ったのです・・と父親が英語教師に説明した。そして葬式は身内だけで執り行ったので、先生や同級生の方達にお声をかけられずに大変申し訳ございませんでした・・といってまた嗚咽を漏らしたという。しかし長年教師をしていただけあって英語教師は父親は嘘をついていると直感で分かったが、両親の必死に耐え忍んでいる姿を見て黙って焼香をした後でその場を辞したそうだ。

この英語教師は当時の教師の大部分がそうであった様に日教組の活動家でバリバリの左翼、反権力の塊のような男であった。山田君は偽造された経歴と名前を与えられて潜入捜査官として左翼グループへと入り込み、それで公安警察に情報を流すだけでなくグループそのものを自滅に追い込む役割を果たしていたのに違いない・・。そしてほぼ任務が完了した時に計算外のことが起こって殺害されてしまったのだ!と英語教師は確信した。それで教え子の無念を晴らすべく告発の準備を進めようとしたが、その時に自分が間違っている事に気がついたのだそうだ。

英語教師は戦時中に配属将校から敵性言語の教師として迫害されても一向に怯まなかった気骨ある人物だけあって、たとえ自分と思想は違っても生命をかけて職務を全うした自分の教え子を裏切ることなどとても出来ず、けっきょく自分が知った秘密を黙って飲み込んだそうである。英語教師がこの事を話したのはそれから10年以上経過した亡くなる直前、退職教師たちの懇親会の場であったそうだ。そしてその話があちこちの教師に伝わり、一時期教員たちの間で話題になったそうである。

筆者の父親はこの英語教師とほんの少しの間だけ机を並べたことがあったらしく、「あの英語教師は気難しいが一本筋の通った人物だった。昔はああいう教師がいっぱいいたのだ」と懐かしそうに話していたのを覚えている。あれから30年近い年月が流れたが、教師どころか企業や政治の世界にもこういう気概のある人物はいなくなってしまったのが残念である。逆境は人間を作るとよく言われるが、戦後70年間惰眠を貪り続けた日本にはもうこういう人物は現れないのかもしれない。






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たしかに某事件の被害者の一人に、
Yと言う京大卒が一人だけいますね。

東京生まれ、山口県育ち。
出身高校は、県立西高校となっていました(笑)
山口県には西高校はないですが。

中野区の属する3学区の最難関は西高なので、
高校だけは当たってますねw

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