イスラム原理主義者ムラット君の楽園

2014/06/19 00:12:28 | 昔話 | コメント:1件

イスラム過激派「イラクとシャームのイスラム国(ISIS))」がイラクの首都バグダッドの目前に迫っているようである。軍事音痴のオバマ米大統領が側近の言うことも聞かずに駐留米軍を撤退させて以降、その軍事力の空白に付け入る形でISISは勢力を伸ばし、今やベトナム戦争時のサイゴン陥落と同じ状況を生み出しつつある。第二のイランとなるのか、それともアメリカは再び軍事攻撃を開始するのか?今後の展開が見ものである。しかしこのISISというのは正体がよく分からないが、政治テーゼや登場の仕方はアフガニスタンを一時期支配したタリバンそっくりである。そして兵員の方もタリバン同様にこの地域に無数にいる貧困層から補充しているそうだが、欧米やアラブ周辺国でも比較的裕福な家庭で育った青年たちが数千人ほど義勇軍として参加しているというニュースを見た時に、筆者の元顧客であったムラット君の事を思い出して思わず笑ってしまった。

このムラット・バルシオグルという男はトルコ・イスタンブールの大変裕福な商家に生まれ、小学校から名門私立に入って一貫教育をうけたあとロンドン・ビジネススクール(LBS)でMBAを取得した典型的なエリートである。さてここでちょっとだけトルコの概略について触れるが、東西文明の交差路という言葉通りトルコは「西欧型=近代主義=国家主義=ビジネス志向」と「中東型=保守主義=宗教グローバリズム=一次産業志向」の2つの性格を併せ持っているのだが、このムラット君は出自は典型的な西欧型にもかかわらず、成長するにつれ中東型、それもイスラム教徒の原理主義者たちからも異端と目される暴力肯定型の過激派になってしまったのである。(本当の原理主義者は平和的な人たちである)。当然ムラット君は父親の逆鱗に触れ、幾つもある会社の一つだけ渡されて半分勘当されてしまったのだが、そこへノコノコと商品を売りにイスタンブールへと現れたのが筆者である。



さてこのムラット君、やり手で評判の父親から商売人としての遺伝子を存分に引き継いだらしく実に値段にシワイ。あーだこーだと難癖をつけてはもう1%と値引きをしつこく要求してくる。しかし商談が終われば愛嬌のある笑顔へと戻って「一緒に食事に行こう!」と誘ってくるのだが、この食事というのが曲者なのだ。最初の10分は世間話などをやり取りするが、この後最低4時間ムラット君はイスラム教の話を一方的に話し続けるからである。筆者はフンフンと聞いてるフリをし続けていたが、さすがにコーヒーを飲む頃にはすっかり気が遠くなってしまい、このまま洗脳されるのではないかと我が身を危ぶんだ。しかしムラット君はイスラム教徒特有の過大な親切さと筆者が興味深く聞いているとの勘違いを発揮して話を途中で止めることは無い。結局彼とは十数回食事をして毎回イスラム教の話ばかり聞かされる羽目になってしまった。

ある時ムラット君になぜ君は原理主義者の過激派(ラジカル・ファンダメンタリスト)になったのか?と聞いたことがある。ムラット君は「成ったのではなく目覚めたのだ」という前置きをした後で、自分は20代までは酒も呑んだし色んな乱痴気騒ぎにも参加したが、ロンドンで学んでいた辺りから自分が西欧文明に浸っている事に違和感を感じ始めたのだと言った。そして「世界の仕組みは白人のキリスト教徒に都合良くできていているんだ!」と突然話が飛んで、ウォール街やシティの金融資本とアメリカの石油資本による途上国への収奪について一席ぶったあと、30歳になってあるイスラム教の師匠に出会ったことで自分の中の葛藤が氷解したのだそうだ。「自分の意識を構成する全ての源流がイスラム教にあることに気付いたんだ。なので俺は今楽園に住んでいるんだよ」



1923年のケマル・アタチュルクによる革命以降、トルコはイスラム教国の中では唯一の例外とも言うべき西欧型近代化を急いで来たが(明治維新後の日本とソックリ同じである)、あるとき西欧に追いつくどころかむしろ引き離されていることに気がついたのだ。そしてどうも自分たちが目指している方向は間違っているぞ!と気が付き、ではどこの進めば良いのか?と思って周りを見渡してみるとそこにはイスラム教の伝統的な世界があったということである。そこへ欧米に圧迫され続けた犠牲者としての積年の恨み辛みが混じり合ってより過激な思想が生まれたのだと言う(これは日本で言うと昭和の閉塞感から法華教の信者が台頭したのに似ているが、話がややこしくなるので後日別の日記にします)。だけどオスマン・トルコはむしろ植民地を所有していた側じゃないか?と筆者が要らぬ指摘をすると、ムラット君は親切そうな表情を浮かべて「俺はイスラム原理主義者だから、国境線の中に閉じこもってナショナリズムを唱えるのではなく、全てのイスラム同胞の視点でいつも考えているのだ」と笑った。

さて何杯目かのコーヒーを飲んでいる時に、ムラット君が筆者の後方に目を合わせ「アッ?」というような表情をした。あまりに長いイスラム教徒の講義から逃れたくて筆者も後方に首を回すと、そこには随分と派手な感じの若いトルコ美人が二人座っていた。この二人は体型的にふくよかでおまけに凄い鳩胸である。すると「そろそろ出よう」と言って慌てて勘定を済ませるムラット君。なんだかソワソワしていておかしい。それにイスラムの食事は塩に始まり塩に終わると言ってたのに、オマエ最後に塩を口に含むのを忘れてんぞ・・。やがてソソクサと駐車場へ出たムラット君は開口一番「あの二人の女は両方とも昔のガールフレンドだ」といった。えっ?二人ともかよ?だけど元カノにしては随分と若いじゃないか・・、おまけにクリスティーナ・アギレラみたいな化粧に服装してるけど・・・。



敬遠なイスラム原理主義者のムラット君が(イスラム的に)そんなふしだらな行為をしているとはとても信じられなかったが、後日彼の秘められた趣味を垣間見るような出来事があった。最初の出会いから2年後にムラット君は香港に調達事務所を設立し、月のうち1週間は香港に常駐するようになったのだが、彼の事務所に仕事がてら遊びに行くとそこには3人の香港女性が働いていて、全員とも大変ふくよかな体型をしているだけでなく、いずれ劣らぬ見事な鳩胸の持主だったのである。そして香港にいるムラット君は相変わらずイスラム教の話ばかりして周囲から煙たがられていたけれども、イスタンブールにいるよりは何故だか随分と幸せそうに見えた。

しかし残念ながらムラット君もついに年貢を収める時が来た。彼の師匠を通じてイスラム過激派グループに多額の資金援助していたことが警察にばれてしまい、父親から完全に勘当された上に会社から追い出されてしまったのだ。その後ムラット君との連絡は途絶えてしまい、イスタンブールにいる彼の商売仇たちに消息を聞いても誰も分からない・・。それで筆者の同僚はムラット君はアルカイダにでも身を投じたのでは無いか?と身を案じていたが、筆者は思想的にはそういう事もあるかもしれないが、あの鳩胸好きのムラット君が男ばかりのゲリラ部隊に入るとは本能的に考えにくいと心の中では思っているのだ。さてムラット君、君は今どこにいるのかわからんが、もしも行き場所が無いのだったらフィリピンのイスラム地域に移住して、ふくよかな鳩胸娘たちに囲まれながらコーランを唱えている日々を過ごしたらどうだろう?。それに政治より娘たちの鳩胸の事で頭を悩ませている方が長生きするよ。



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コメント

2014/06/20(金) 00:49:34 | URL | hanep #-
結構よくあるパターンだと思います。イスラム社会は、私も非常に興味があります。(日本人は全くといっていいほど知らなすぎると思います)イスラム教からキリスト教に改宗した人を身近に知っているのですが、やっぱり最後は、自分の土台となった考えに根源を求めるのではないかなと思います。
フィリピンでは、よくハラムを見かけますが、コーランを読んでみると、厳密には「キリスト教徒の触れたものはダメ」という意味の内容が含まれているのが、いつもいつも疑問に思いますね。比でそれは難しいんじゃないのと。

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