旧日本軍に砲撃され九死に一生を得たフィリピン人の祖母

2014/05/13 00:06:40 | 日記 | コメント:0件

御年94歳の女房の祖母の体調がおかしくなり一族郎党大騒ぎの状態になってしまった。祖母の面倒を看ている従姉妹ローズアンの話だと数日前から食欲が急激に落ち始め、一昨日に食い物どころか水を飲むのも一苦労な状態になってしまったらしい。どうやら熱中症に罹ってしまったようである。それで現在祖母の6人の子供と15人の孫、さらに数えるのも面倒な数十人のひ孫、そして直系子孫の配偶者の合計100人が交代で病院に張り付いて、祖母の一挙手一投足を見守っている状態である。

この祖母はフィリピン人にしては随分と勝ち気な性格であり(つい先々週も息子たちに大声であれこれ指示していた)、一族全員のゴッドマザーとして長年に渡り君臨し、息子と娘たちだけでなく孫全員にも年がら年中しかり続けて来たと言う。「ローラ(一般的な祖母の愛称)の傍にいると息苦しくなる」と女房や義妹は筆者によくこぼしていたが、病気で倒れれば一族全員がビコールや香港から駆け付けてくるのは、やはり皆に深く愛されているか、もしくは来ないと後で怒鳴りつけられるからであろう。

ちなみに女房が日本人と付き合い始めたと聞いた時には祖母は激しく反対したらしい。「日本人は残虐な民族だ!」というのがその理由である。1920年生まれの祖母は第二次大戦をモロに経験していて、マニラ市内で店員をしていた時に日本軍の砲撃に遭遇し、数多くの友人や同僚が殺された記憶が拭いきれないと言う。それで筆者が初めて祖母と会った時には非常に気まずい雰囲気だったが、最後には「アタシは日本人は嫌いだがアンタの恋人は例外にする」と女房に言ったらしい。


さて昨年フィリピンに移住した際に祖母に挨拶に行き、その後一族全員集めてレストランで食事をしていた時のことである。止せばいいのに筆者が大戦中の日本軍の砲撃のことを聞いたところ、祖母は「徹底的に砲撃されて街中の建物は全てガレキの山になってしまった」と言った。それで「よく逃げられましたね?」と聞いたところ、本当の事を言うと砲撃の一ヶ月ほど前からお産に備えてリサール州の実家に戻っていたので自分だけは難を逃れられたのだ・・と照れ臭そうに白状した。

そして祖母は「この子はアタシの命を救ってくれたのよ」と義父の肩に手をかけて笑ったのを見た瞬間に頭の中でリーンッとベルが鳴った。あれっ?計算が合わないぞ・・。義父は当時68歳だった。今年(当時)は2013年だから2013引く48は1945。この1945年は戦局が逆転して日本はマニラを攻める側でなく守る側にいたのだ。しかも圧倒的な武力差で敗北を重ねたため平地から山岳部への退却と立て籠もりへと戦術変更を決定したのだから日本軍がマニラを砲撃する必要はない。と言うことは・・祖母の言う大規模な砲撃をしたのはアメリカ軍?!。

その場は親戚が大勢居たし、90代の老女の勘違いを問い質すような事はしたくなかったので適当に相槌を打っておいたが、帰宅した後にネットで調べてみたら1945年2月にアメリカ軍がマニラ市内を徹底砲撃していた事がわかった。あの婆さんめ・・やっぱりアメリカ軍じゃねえか・・。きっと孫娘が外国人と付き合うのが訳も無く嫌で場当たり的なウソをついたのに違いない。もしくは米軍の歴史改竄で本当に日本が砲撃したと思わされているのか、それとも随分前から頭がボケてしまっていたのかも・・。まあ今さら婆さんの記憶を修正する余地も意味も無いのだが、正直なんか今一つ面白くない。

婆さん!アンタは医者もビックリするほど頑丈で、しかもクワクワとか言ういかがわしい霊媒師に100歳まで生きると太鼓判を押された位だから多分今回も死ぬ事は無いだろうけど、もしあっちの世界を少しだけ覗けるチャンスが有ったら旧日本軍の兵隊たちに何時もの調子で「お前らがアタシの友人を殺したんかい〜っ!」と怒鳴りつけてみてくれないか。多分兵隊たちは婆さんの剣幕に気押されて山下とか横山という名のお偉いさんを説明しに連れてきてくれると思うよ。


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