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スワニーの店「北京飯店」

2014/04/07 18:06:53 | タイ・インドシナ | コメント:0件

明日タイを離れるので最後の見納めにヤワラート(チャイナタウン)を歩いてきた。スリクルンホテルからハーレムという格安マッサージパーラーを横目に7月22日広場へとまっすぐ進み、ジュライホテル跡地を左折して台北旅社前をまた左折すると、昔と同じように真昼間から客を引いている立ちんぼの娼婦たち数人から袖を引かれた。それを振り切って十字路を右に曲がってテキサス通りへと入り、通称エレベーター茶室と呼ばれた売春宿跡地を見上げると、なぜか自然と25年前の光景が蘇ってきた。

冷気茶室の娼婦たちとジュライホテルのエロジジイ軍団、ジュライホテルのアイドルだった娼婦のポンちゃんに一休さんと渾名された長期滞在の日本人。ジュライの前で炭火焼きの店をやってたユーピンというオバちゃん。ホアランポーンのソムタム売りのイサーン娘たちにチャイナタウンにたむろする無数のバックパッカーたち。これは筆者の大学生活の最後に彩りを与えてくれた思い出深い人たちである。しかし筆者よりもう5年以上早くココに長期滞留された人なら、懐かしき人として真っ先に楽宮旅社の真下にあった北京飯店の女主人スワニーの名をあげるに違いない。この店は名前は中国風だがれっきとした日本料理店もどきである。ただしエアコンも無い単なるタイの大衆食堂と言った風情だが・・。

筆者が北京飯店の名を最初に聞いたのはインドのベナレスにある安ホテルにいる時だった。夕食の際に一人の日本人と相席になったのだが、この男はアメリカン・ニューシネマに出てくるヒッピーそのものの格好をしていた。もう4年も旅をしていると言う。一方こっちは海外旅行は初めてだしナイキのスニーカーなんか履いてる旅のド素人だからそもそも会話が成り立つ訳がない。それでも何とか話しかけるとヒッピーは「お前インドにはどこ経由で来たんや?」と聞いてきた。バンコクです。あそこで一泊だけしまして・・と答えると、ヒッピーは「そんなら北京飯店に行ったか?おれスワニーの作る料理めっちゃ食いたいねん!」とまるで遠く離れた地にいる恋人を語るような口ぶりで言った。

その後もボンベイ、ゴア、トリバンドラムで出会った日本人のうち、ある一定の年齢以上の人たちの口からは決まって北京飯店の名前が出た。「アサリの味噌汁が美味いんだよな」「あの豚肉と野菜の味噌炒めがいけるんだ」と言った具合で有る。当時バンコクで格安の航空券を買って第三国に渡る旅の猛者たちはチャイナタウンに宿を取り、手持ちの寂しい財布から大枚をはたいてスワニーの店で貴重な日本の味を堪能していたのだという(日本人が経営してるもっと格上の日本料理店に行く金など当然コイツらに有るわけが無い)。もっとも筆者は前の日記に書いた通りロビンソンの成田という店に彼女がいたし、そこまで貧乏では無かったから実は学生時代に北京飯店に行った事は一度もなかったのである。

今から10年ほど前のタイ訪問の際に、昔バンコクで出会った友人たちとチャイナタウンをブラブラしていると北京飯店の前を通りかかったので試しに入ってみることにした。予想した通り薄汚れた店である。カオサン通りに客を奪われ衰退してしまったチャイナタウンのホテル同様に、この店も商売は下降線一直線といった感じで筆者ら以外の客は誰も居なかった。しかし店主のスワニーはもうお婆さんと言って良い年齢だが、まだカクシャクとしていて筆者らが注文した料理を中華鍋を使って手際良くジャーッと炒めてくれる。味は日本のどこにもある定食屋並みには作れているし、有名なアサリの味噌汁は出汁が効いていて実に美味かった。それで翌日も一人で来ては冷奴とビールを頼み、また翌日も一人で来ては焼きそばとビールというように今は過去の遺物となってしまった北京飯店に来るのが何故だか習慣化してしまったのだ。

店に置いてある油の染み込んだ随分昔の漫画本を広げてみると「汚いオマ◯コをむさぼれ」とか「◯×の女はタダでヤレる」みたいな電波系の書き込みとともに、インドのバグワンのコミューン情報やカイバル峠のどこのチェックポイントは気をつけろ・・という書き込みが幾つもあった。時期的には70年代終わりから80年代の始め、つまり北京飯店に多くの日本人の若者が集まって、俺はアフリカから帰って来た、俺はラジャスタンに半年いたんだとか情報交換をしていた時代の物らしい。筆者はそれらの書き込みを読んでいると昔にタイムスリップしたような気分が味わえたし、それに何故かスワニーの店で時間を過ごすのがすごく貴重な事のように思えたのだ。

今から30年以上前に、カブールやテヘラン、カトマンズの安宿に陣取る放浪者たちはスワニーの作る一杯のアサリ汁を毎晩のように夢想し、バンコクに戻ったら北京飯店で腹一杯食うぞ!と自らを奮い立たせ、そしてまた翌日から始まる厳しい旅を続けていたのだ。僅かな手持ちの金で1年2年と旅を続ける彼らにとって、北京飯店というのは絶対的な存在だったのである。しかし日本食が世界中に広がり、また前世代のようなハングリーな旅人が死滅してしまった現在ではスワニーの役割は終わってしまったのであろう。北京飯店は一昨年ついに閉店してしまった。今は「スワニーの店」という看板だけが残っている。

さて最後にスワニーさんに言いたい。数十年にも渡り日本から来た貧乏な若者に料理を作ってくれてありがとう。あなたの店は彼らにとってまさしくオアシスでした。



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