タイに日本食を根付かせた男との一瞬の会話

筆者はここ15年ほどは毎年タイを訪問しているが、ここでの日本料理店の躍進には正直驚いてしまう。バンコクやチェンマイのショッピングモールには必ず日本料理店が一番目抜きのフロアにズラリと軒を並べているし、ここ数年は8番ラーメンやココ壱番館カレーなど日本の大衆チェーンがもの凄い勢いで伸びている感じがする。もちろん食べているのはごく普通のタイ人達である。筆者のいた香港も20年間で日本食が一般大衆に定着したが、タイでの勢いは香港以上であり、あと10年後にはタイは世界一日本食が定着している台湾を超えてしまうのではないかと思えてきた。そしてそう考える度に昔筆者がちょっとだけ話をした一人の日本人の事が頭に浮かんでくるのだ。

今から25年前に大学生であった筆者はホアランポーン駅から25番のバスに乗ってシーロム通りにあるロビンソンデパートへと行くのが毎日の日課になっていた。当時ここの4階にあった成田という日本料理店に70バーツの刺身定食を食べに行くのである。何せ毎日行くので、じきにノイという女中頭にラシャニー、ニン、ポムサン、アルンといったウエイトレス達とはすっかり顔なじみとなり、タダでご飯3杯お代わりさせてくれたのが何より有難かった。そして2週間も経つ頃にはタイで良くある様にウエイトレスの一人ニンと深い関係になってしまったのだ。

当時バンコクには花屋や築地、日本亭など数十軒の日本料理店があるにはあったが、客はほぼ90%近くが日本人(焼肉の大同門は除く)であり、タイ人の客というのは皆無に近い状態であった。一度恋人ニンの友人夫妻を成田に招待したことがあったが、両名の反応はまさしく「こんなもの食えるか〜!」だったのである。それにニンに聞いたところ成田のウエイトレスも日本食は美味くない(と言うより食えない)と思っていたらしく、店が賄い代わりに出す残り物に手を付ける従業員は一人もいなかったくらいなのだ。「だってちっとも辛くないんだモン!アレじゃタイ人相手に食べろと言っても絶対に無理よ!」

さてニンは筆者と過ごす時間を増やしたいという理由から成田を辞める決断をした。オーナーは嫌な奴だし給料がべらぼうに安いから丁度良い機会だわ!とニンはケラケラ笑っていたが、最後の給料を貰いに行くのが気まずいらしく、筆者に一緒に行ってくれという。それでルンピニ公園の北(確かワイアレス通り)にあった一軒家のオフィスに二人して出向いたのである。

女番頭らしきメガネのオバさんとニンが給与清算を話している時に、筆者の目の前に(この暑い国にも関わらず)紺の上下のスーツを着た公家のような顔付きの男が現れて「君はいったい誰だ?」と何か訝るような顔をして聞いてきた。汚れたTシャツに短パン、ビーチサンダル姿だから筆者を怪しく思って当然だが、当時の筆者はビジネスマナーなんて知らなかったし、それに男の物言いにカチンと来た。それで「貴方の店を辞めるニンの恋人です」と自己紹介をした後、「タイで日本料理店はもう頭打ちですよ!」と言ってしまったのだ。

このいかにエリートサラリーマン然とした元銀行員(とニンから聞いた)の日本人は筆者をジロッと一瞥した後、「君は何でそう思うのかね?」と聞いてきたので、タイ人の給与レベルに比べて日本食は非常に高いことや生魚を気持ち悪がること、そして何よりも辛くない事がその理由だと言った。でも本当の理由はこの男が筆者の嫌いな全てのモノを体現していたから因縁をつけたいだけだったのだ。この男は筆者の意見をただ無表情で聞き、そして「それなら北バスターミナル近くのセントラルプラザにある富士という僕の店を見に行くといい。それに君が見ているのは過去のタイだ。世界は毎日変わっているんだよ。ではこれで失礼する」と言うや踵を返して奥にある部屋へ消えていった。なんだこの野郎!人をバカにしやがって!。

それから10年近く筆者はタイとはご無沙汰していたのだが、ちょうどアジア通貨危機の時期に当時付き合い始めた女房とタイを訪問した際に驚愕してしまった。町中に日本料理店が溢れていたのだ。それに大学生の頃に出会ったタイの友人たちは全員とも日本料理を日常的に食べるようになっていたのだ。そして何よりもワイアレス通りの事務所で出会ったスーツ姿の男が経営する「富士」レストランはタイ全土に数十店舗を展開するタイ最大規模の日本料理店になっていた。

実は筆者はこのオーナーに言われた翌々日にセントラルプラザの富士に行ったのだ。ここにはポムサンという実は筆者が本命として狙っていた女がウエイトレスとして働いていたからでもあるが、この日本人が全く来るはずもない場所(当時はとんでもない田舎だった)にある店で見たのは、おっかなびっくり刺身や天ぷらをつまむ当時新たに現れた新興中所得層のタイ人達だった。富士のオーナーには彼らが巨大な需要層に成長する図が見えたが、筆者の目には単なる滑稽な光景にしか見えなかったのだ。まこと目が節穴とはこの事である。

この途上国に現れた新興中所得層による消費形態の変化は、筆者が24年間の営業マン時代に追い続けた最大の課題であった。ブラジルやロシアに中近東、そして中国の市場変化を読み、商品と販売チャネルを整備する仕事である。しかし80年代前半にタイに日本食を持ち込んだ富士のオーナーの先を読む力に比べれば、BRICSの市場変化読みなど予め成り行きが分かる約束事のようなものである。富士のオーナーは頭で考えれば絶対に起こらない事に人生を賭けたのだから脱帽するしかない。

さて今回も大学時代の後輩とスクムビットにある美味いけどバカ高い日本料理店に行ってきたが、テーブルを占領しているのはタイ人達ばかりであった。旨そうに獺祭の大吟醸を飲む父親に、日本人マネージャーと料理方法について語る母親、そしてエビシンジョウを塩で頬張る小学生の娘。ハイハイ・・富士のオーナー様。貴方が正しゅうございました。あの時絡んでゴメンなさい。そして大人の対応をして頂いたことに今更ながら御礼申し上げます。


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BKKの日本食 

在泰時期が貴兄より少し前になりますが、70年代末から80年代初頭、当時からタイ人も日本食が好きでした。月一度取引先、ローカルスタッフを家に招待すると回数を重ねるたびに増え亡き妻は朝からアヤを指揮し準備に追われ手が足りず事務所の女中を土曜日(当時は半ドン)に行かせたりスタッフの女房連が覚えに来る始末。帰任時見送りに来た彼らが亡妻に言ったのは奥さん、又日本食を教えに戻って来て。日本食屋は当時は高すぎただけなのです。タニヤが事務所だったので築地は目の前でしたが後発で古い駐在員は行きませんでした。店主はKO卒の素人なので。
当時の取引先幹部とか腐れ縁の警察関係者は古くからの店を希望、
警察は無線で部下を呼び相伴させたり大量の持ち帰りを用意させましたが皆日本食が楽しみ。ワイヤレス近くの店は歴史ある店で隠れ家でもありました。記事の御仁知ってます、当時の駐在は皆スーツ、時代が違うのでしょうが飯屋の従業員には手を出しませんでした。セントラルプラザは工事が始まった時、PMのシンガポーリアンはゴルフ仲間でシンガポール転勤した時世話になりました。
食生活は所得次第、美味い物は誰でも同じで所得が上がったので日本食繁盛は分かります。
私事では現女房と再婚する時日本食を覚えたいと言うので昔の麻雀天敵老板前に長期に行ってもらい基本から教えてもらい今は女房実家も日本食主です。我家の家庭食は日本食6(女房+小生)華食3.5(阿馬+女房)タイ・マレー食0.5(小生+阿馬)の割合です。手前味噌ですが料理好きだった亡妻と比現女房は負けじ劣らずです。生れ育ちと好きこそものの何とかでしょう。
今盤谷ですが取引先との昼食は近くの日本亭です。日本ゼネコン現地法人社長の後押しで開業した新しいが旧知の店主が好きです。金魚の糞でついて来た二人は飯後に空港に送ります。

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