モスクワの白タク運転手と1ルーブル硬貨

モスクワでタクシーに乗りたい時にTAXIと表示された車を拾うと、雲助運転手たちにぼったくられた挙句に全く違う場所で降ろされかねない事になる。なので筆者らはもっぱら白タクを利用することにしていた。白タクの拾い方は至って簡単で、道端に立って手を上げると道行く普通の車のだいたい10台のうち1台が目の前に停車し、「あんたどこへ行くんだね?」と聞いてくる。「赤の広場まで行きたいんだが」と言うと、そんなら70ルーブルだ・・いや40にしてくれ・・うーん50でどう?これで交渉成立である。

筆者の泊まっていたメズダロードナヤから赤の広場まで正規タクシーなら400ルーブル、レシートは別途100ルーブル要求されるが、一方白タクは50ルーブルだから実に十分の一の値段である。おまけにこの白タクで一度も誤魔化されたり危ない目に遭ったことがない上に、たまに英語が出来る運転手に当たれば生のロシア情報を聞きだせるのだからこんなに価値のある乗り物は無いのだ。

ちなみにこの白タクは彼らの本業ではない。彼らは出勤・帰宅・移動途中の普通の勤め人なのだが、客の行きたい方向が同じならアルバイト的に白タクに変貌するのである。今は知らないが筆者が最後にモスクワを訪問した2006年まではモスクワ市内には数十万台の白タクが走っていて、みんなが小遣い稼ぎに励んでいたのだ。

さて2005年のモスクワ展示会は例年と違って市内からえらく離れたクロクスという郊外の別荘地で開催されたため、白タク確保に大変苦労した。なんせ運ちゃんたちの通勤方向と全く逆コースだから通常の倍の料金を提示しても誰も行ってくれないのだ。参ったな・・これじゃ地下鉄とバスを乗り継いで行くしかないぞ・・と途方にくれていると、通りの反対側でオンボロ車の運転手と話していた同僚が「200ルーブルで行ってくれるってよ!」とこっちを見て叫んだ。よかった!しかも通常料金より安いじゃないか!

展示会の会場まで1時間半ほどかかるので、助手席にいた筆者は体格が良くてインテリっぽい初老の運転手と会話することにした。この運転手は結構流暢な英語でロシアの経済状態や企業の動向などを説明し始めたのだが、話を聞いているうちにこのアレクセイと名乗った運転手はかなりの経済通で実業経験が豊富なテクノクラートではないかと思えてきた。だけどこんなオンボロの車に乗ってるなんて・・と不思議に思った筆者はアレクセイ氏に職業を尋ねたところ「数年前まで連邦政府の石油省で働いていたんだ」と答えてきた。

「ほら!これが若い頃のワシだよ」と言ってラックから取り出した写真帳を見せてくれたが、そこには砂漠の中に立つ何本もの鉄塔を前にしたアレクセイ氏や、アラブ人らしき一団に囲まれている写真、そして誰もが知っているイラクで一番偉かった男と並んだ写真が入っている。「元々は石油掘削の技師だったんだ。アゼルバイジャンやリビア、イラクに石油を掘りに行った時の写真だよ」と話すアレクセイ氏。だけど数年前に石油省は辞めて今は年金で食ってるんだ・・と言った後、「ところでお前ユーコスのベレゾフスキーって知ってるか?」と突然という感じで聞いてきた。


「ええ 一時期は良くニュースに出ていましたよね。汚職まみれの政商でしょう」と返事をすると、「ワシは石油省の官房次長だったんだが、ある日出社すると館内放送で幹部以上は大ホールに集まるように指示されたんだよ。皆なんだろうと思ってホールに入るとステージの真ん中に見たことない男が座っててな。それがベレゾフスキーだったんだ」

ベレゾフスキーは開口一番に「今日から石油省の事業部門は私の支配下に入ることになった」と言い出したらしい。聞いてた幹部職員は呆気に取られてしまったが、すぐに気を取り成してクレムリンに確認をとったところ、そこで判明したのはエリツィンが石油省をベレゾフスキーに差し出した事だった。「ソ連の官僚は確かに硬直化していたが、ベレゾフスキーが送り込んできた数十人のゴロツキに比べればよっぽどマトモだったよ。ゴロツキどもは石油省の財産を収奪しに来たギャングだったからな」とアレクセイ氏は皮肉そうな笑みを浮かべて言った。

アレクセイ氏の話の途中で展示会会場に到着したのだが、この会場、予想以上の田舎に位置していて帰りの白タクが掴まらないのではないかと思ったので、駄目元でアレクセイ氏に帰りも頼みたいんだけど・と頼むと、意外にも「すっぽかされると困るので200ルーブル前払いなら了解するよ」と言ってくれた。そこでお金を渡して夕方6時に会場入り口で待ち合わせとしたのだが、同僚は「バカだな!爺さんがわざわざ交通渋滞抜けてココに来るわけないだろう。爺さんの作り話にほだされて倍の料金払わされたって事だな」と笑ったが、筆者は騙されるならそれで良い、だけどアレクセイ氏は何故か約束通りに来るように思えたのだ。

夕方6時。予想通り会場入口は帰りの足を確保する人たちでごった返していた。おまけに雪まで降り出している。こりゃあ1時間待ちは確実だな・・と思っていると、駐車場の向こうから見覚えのあるオンボロ車がこっちに向かってきた。アレクセイ氏だ!まさか本当に来るなんて!と驚く同僚たち。

アレクセイ氏はやはり約束を守る男だった。お前らもたまには人を信じてみろよ!と同僚に嫌味を言うと、全員「そうだな」という感じで俯いた。なお筆者も人を疑いの目で見る性格であることは同僚以上で、中国人、ユダヤ人、インド人ら口八丁手八丁のろくでなし人種を相手にしているから、運転手が実は元大物だったなんて話を聞けば「嘘つけ!この野郎!」と食ってかかるのは確実だが、アレクセイ氏の話ぶりや内容には何故か頭の中の鈴をチロリンと鳴らすリアリティを感じたのだ。


帰りの車中でアレクセイ氏に石油省の続き話をしてくれと頼むと、「大部分話したから残りはあんまり無いんだけどね」と前置きした後、ベレゾフスキーに従うべきかどうか相当悩んだという話をし始めた。ロシア国民の財産をユーコス社が収奪することに協力すれば巨額の報酬が約束されていたし、妻と大学生の息子を養う責任もあった。それにベレゾフスキーの周りにはマフィアが控えていて何十人も殺されていたそうだ。「だけどワシは自分の信念を裏切ることは出来なかった。それでベレゾフスキーにお前には協力しないと言いに行ったんだ。そしたらその日のうちに解雇されたよ。でも全く後悔などしていないんだ」と笑いながら言った。

そのあと筆者ら一行は展示会最終日までアレクセイ氏と契約し毎日送り迎えしてもらったのだが、彼からロシアの社会状況や笑い話などを教えてもらい毎日が大変楽しい車中だったことを覚えている。さて展示会も最終日の帰り道にアレクセイ氏にお礼として100ドル札を渡そうとしたのだが、彼は「ノーノー!金なら十分払ってもらっているよ」と言ってガンとして受け付けない。

やはりそうか・・と感心していると、「だったらお前たちの国のコインをくれないか?ワシは外国のコイン集めを趣味にしてるんだよ」と言うので、みんなでカバンのなかを引っ掻き回して日本円、香港ドル、中国元、シンガポールドルのコインをアレクセイ氏に手渡した。その時のアレクセイ氏の嬉しそうな顔。ありがとう!早速今夜吟味させてもらうよ!という礼のことば。

翌日帰国の途につくためシェレメチボ空港へと向かう道中で、アレクセイ氏は「これは昨日のお返しだ」と言って人数分の小袋を筆者に手渡した。「中にソ連時代の1ルーブル硬貨が何種類か入ってるよ」というので袋を開けて見たところ、大小4種類の硬貨には鋳造年と今は消え去ってしまったソ連指導者たちの横顔が刻印されていた。「今のロシアルーブルと違って通貨が本当に国民生活に根ざした時代の硬貨なんだ」と楽しそうに笑うアレクセイ氏。そして空港のロビーで握手をすると彼はオンボロ車に乗って彼の職場である市内へと帰って行った。

それから数年して筆者もそこそこ出世し、香港で苦労は多いがやりがいもある毎日を過ごしていたのだが、今から2年前に精神が壊れた人間が上役として香港に赴任してきた。このことは別の日記で書くつもりなので詳細には触れないが、この男がひねくり出した営業革新プロジェクトと言う名のキチガイじみプランを実行せよ、さもなくばお前は外すぞ!いう厄介な状態に追い込まれてしまった。

そこで筆者もロシアの石油省の幹部同様に香港に出張に来た何人もの幹部に実情を説明したが、幹部たちはキチガイ上司のイカれた改革案にすっかり取り込まれてしまっていて筆者の率直な申し入れに耳を貸さなかった。(ちなみに改革案は1年後にボロが剥がれ事業は壊滅的な状態となり、この壊れた男は今年解任された)

自分もアレクセイ氏と同じ立場になってしまったな・・と思った時に、彼の「自分の信念は裏切れない」という言葉が頭に浮かんだ。よし!俺はアレクセイ氏のように殺される心配はない!なら徹底的に戦ってやる!そして半年間事業を守るため孤軍奮闘したが、ついに日本に強制帰国を命じられたので、その日に会社に辞表を出した。なお言っておくが筆者もこのことを後悔はしていない。先人たちが作り上げた営業組織を頭の壊れた男の指示に従って自らの手で崩してしまったら、自分は一生悔やんでも悔やみきれなかっただろう。

香港からマニラへの引越し荷物を整理していると、旅行カバンのポケットから数枚のソ連のルーブル硬貨が出てきた。おお!ここにあったのか!と思って(筆者は整理整頓が苦手である)フルシチョフやマレンコフの横顔を眺めていると、もう無くなってしまったソ連という国家、もう亡くなってしまったアレクセイ氏の笑顔、そしてもう無くしてしまった自分の会社員生活、いろんな思いが一気に心に込み上げて来てしばらくカートンBOXの散らかる中で佇んでしまった憶えがある。さてフィリピンに移住して1年が過ぎ、筆者は新しい人生をスタートさせたが、アレクセイ氏から貰ったこの1ルーブル硬貨はリサール州の筆者の小さな家の寝室に記念品として今でも大切に飾っている。

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