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原因不明の自然災害ってのは大抵・・

2018/04/13 12:37:53 | オカルト系 | コメント:2件

大分県中津市の山奥で大規模な地滑りが発生し1人が死亡、残り5人が生き埋めとなり捜索中だそうだ。大雨が降ったわけでもないのに?植林された山肌がそう簡単に崩れるのか?という疑問が浮かんでくるし、専門家が言う地下水の影響しているとか内部に亀裂が等々の説は正直ピンとこない。

で、一部の方は同意されるだろうが、筆者は「これって祟りなんじゃね?」という不謹慎なイメージを持ってしまうのだ。お前なにを言ってるんだ!という批判はごもっともで、もちろん筆者だって捜索中の5人の無事を祈っているのだけれど。しかし小学校の頃に世間を騒然とさせたある噂が頭に蘇ってくるのである。

1974年9月に発生した狛江市の水害である。多摩川が反乱して川べりの住宅街へ浸水し、苦労して建てた数十戸の家が川に流されていく様を呆然と見つめている住民の姿、あるいは山田太一脚本の「岸辺のアルバム」というテレビドラマでご記憶の方も多いと思うのだが、しかし当時その原因についてオカルティックな噂があった事も同じように覚えておられるだろうか?

あの場所で古墳だか遺跡が発見されたのに祓いもせずに住宅地にしてしまった・・という話である。当時の日本は高度経済成長期で今まで田畑や空き地だった場所がどんどん住宅地に化けている最中であり、不動産業者にしてみれば下手に役所に届け出ようものなら文化財やら何たらで開発できないから、そのまま黙って宅地にしてしまったというのだ。

今でも関西圏では土を掘れば土器がぞろぞろ出てきてしまうらしく、そういう場合の対処を教えるコンサルタントがいて短期間に開発再開ができるようになったそうだが、しかし狛江のその場所で出てきたのは歴史的価値が高いだけでなく他とは明らかに異なる遺跡だか古墳だった・・と話していた覚えがあるのだ。





で、大橋巨泉だか藤本義一が「それは恐ろしいことですねえ・・」なんて言ってたから、多分その時は歴史的考察を話していたと思う。ただ筆者は当時小学校2年だか3年生だからその深い意味をすることも無く、単に隣の席の女の子を怖がらせてお終い・・だったのだが、しかしそれなりに知識が付いた今は「それは恐ろしい」の意味が・・分かるのである。

長くなるので簡単に書くけれど、例えば神社がその場所に建っている理由は①その地域の住民が共同で建てただけで深い意味があんまり無いもの、②平将門といった怨霊化した人物に縁がある、③那智の滝みたいな自然信仰、とは別に④忌み地とされた場所、の4系統があるのだが、この④にあたる場所は縄文や弥生時代から引き継いでいるものが結構多いらしい。

空気が悪くて淀んでいるとか、湿地で作物が全然育たない・・なんてのはまだ良いが、そこに行ったら目や耳の機能を失ってしまった、或いは忽然と消えてしまった、死んでしまった・・なんて場所である。で、一神教でない日本ではそういった場所に神社を立てて呪いを軽減するとか、結界を張って封印するなんて事をやってきたのだ。

ただそういう場所は危ないから誰も近寄らなくなり、やがて神社や結界も朽ち果てて何だか判らないけど空いてる土地になってしまうのだが、北海道のアイヌ遺跡跡地で佐藤藍子が体験した恐怖体験や怪奇収集家の西浦和也氏の調査によるとこういう場所ってたいがい心霊スポットへとなっているらしい。狛江のあの場所はそういう場所だったようなのだ。

なお水害は公式には堤防を開門しなかったために溢れ出した水が住宅地へと迂回した人災という結論が出ているものの、オカルトマニアの筆者は古墳だか遺跡の祟りである!という当時の噂を固く信じてきたわけで、だから今回大分で起こったような原因不明な事故が起こると真っ先に「いにしえの時代からの因縁」を疑ってしまうのだ。





じゃああんたは大分の耶馬渓なる場所に行って実地調査されたことがあるんですね?と聞かれると、実は行ったどころか知り合いもおりません・・という情けない答えになってしまうのだけれど、しかし大分県の中津の山奥と聞くと、古代史がお好きな方なら「ああ、そういう事ね」と頭の電灯はチカッと光った方もいるのではないだろうか。

大分県の耶馬渓・・・。「やばけい」だから「ヤバい」なんて子供の駄洒落じゃないよ。大分の中津界隈と聞けば真っ先に思い浮かべるのは宇佐八幡宮であり、この有名な神社は応神天皇という新しい王朝を開いた天皇と、全王朝との懸け橋になった神功皇后という二人の「神」の字を名に刻んだ大王を奉っているのだ。(もう一人は卑弥呼らしき人物である)

そしてもう一人、称徳天皇が怪僧道鏡に皇位を渡すべきかどうか神託を聞くために使いの者を差し向けたのがこの宇佐八幡神宮で、これ位牌とお墓の関係で考えてもらえばよいが、要するに称徳天皇の曽々祖父で歴史の中で不思議な形で登場した天武天皇の出身地と考えても良いのである。

で、これを書いていくとトンデモなく長くなるので結論に行くけど、いわゆる磐井の乱と言う「地方勢力のクーデター」的な名を付けられて隠蔽されてしまった九州王朝がここにあって、大和から派遣された軍隊によって徹底的に破壊・収奪されてた虐殺の地、山奥へ送られて砂鉄や水銀採取の苦役に貶められた怨念の地が大分の山間部なのだ。

これ古代史を多少嗜んだ人間なら地図にそれらしい神社や地名の数々が中津市の山奥一帯に散らばっているから判るのである。だからこれから学者たちがそれらしい山崩れの理由を見つけようとも、筆者の中では「あの一帯はそもそも九州王朝を追われた人たちの塚があって、そうとも知らず移住したら」という話の方が・・。

不謹慎な話で失礼いたしました。






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コメント

2018/04/18(水) 21:10:14 | URL | 名無しさん #-
西日本、特に九州には大規模で神話に由来する位、謎めいた神社がたくさんあり、古代に大権力者が存在したであろうことは間違いと、素人の直感で思っています。宇佐八幡もなんでこんなところにというロケーションですし...

東日本、特にもともと未開の地で歴史の浅い旧武蔵、相模の地で何となく気味が悪いのは、各地の神社の創建スポンサー=武蔵七党などの土豪の多くが、戦に敗れて、入れ替わっていることのように感じます。旧武蔵七党系で幕末まで武士として存続した家系は少数です。

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2018/11/12(月) 13:18:16 | | #
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