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いや~な空気が濃厚な住宅地

2018/01/20 12:06:16 | オカルト系 | コメント:3件

筆者が通っていのは私立大学の付属高校で、教師たちは本家大学の助教授になり損ねて天下って来た学究肌の研究者だから授業も変なのが多かった。例えば日本史の教師は中世の荘園が専門なため古墳時代や蘇我氏なんかはサッと飛ばして平安時代に入ってしまい、そこでかな~り長い期間を過ごした後に鎌倉時代から後の時代を猛スピードで駆け抜けるのだ。

本業より能楽者の方が忙しい国語教師や、世田谷区議に立候補したために全然学校に来ない何の授業だったかさえも忘れてしまった教師、いつのまにか映画話にすり代わってしまう古文の教師など、生徒たちに受験の心配がない利点を生かして好き勝手な授業をする教師が多かったが,その中にタブー系が大好きなHと言う世界史の教師がいた。

創価学会は元々は都市スラムの貧困民や被差別○○の人間を積極的に取り込んでいるのだ!なんてところまでは良いのだが、△△市の◇◇地域に創価学会が学校を作ったのはあそこは元々○○だからだ!なんて言い出してしまい、当然生徒の中には△△市の在住者がいるわけだからこれ通報されれば大問題になってしまう話である。

また中馬(ちゅうま)という生徒に向かって「キミの苗字は元々中国から渡って来た貴族の!」なんてのはまだしも、「×」という漢字が付いた苗字は長らく差別されて来た○○の!と話し出したりしてしまい、これがクラスに×が付く生徒が二人いたりするから相当頭のネジが緩んだ先生なのだが、しかしこのH先生でさえ何故だか種明かしをしなかったのが狭山と相模原の話である。





もしもソ連が攻めてきたら自衛隊は一旦は北関東まで引き下がって陣営を組みなおし・・というのが冷戦期の軍事思想であるが、こういうからには「いざとなったら東北以北は捨てる」「守るべき重要地域は関東以西」という認識が日本の為政者たちにあるわけで、これは大和朝廷以来ずっと日本の為政者は東北の蝦夷たちと対峙してきた・・という背景、つまり「東北と北海道は土地も人間も関東以西よりも価値が下である」という本音があるからである。

これと同じことが江戸幕府と明治政府にもあって、「ここに住んでる連中はどうなっても構わんだろ・・」と見なされたのが狭山と相模原だというのだ。これ東京西部に住んでいる人以外には判り難いだろうが、ここで言っているのは狭山市とか相模原市という一つの市ではなく幾つもの行政単位にまたがる100平方キロくらいの広い地域の事を指しているのでご注意いただきたい。

H先生はその根拠として貯水池と病院が極めて早い段階でこの2か所に設立された事を挙げたのである。なるほど狭山湖に多摩湖、相模湖の3つは東京都民の飲料水の重要な供給拠点として大正から昭和初期に造成されたし、狭山一帯の一つである東村山市にはハンセン病、清瀬市は結核の療養施設が軒を並べているし。相模原は例の19人殺人事件の現場のように各種の医療施設で溢れている。

しかし東京の地形を見ていただけば判る通り狭山と相模原はずっと平野が続いていた先にある丘陵地帯であり、これ大阪だと平野部が行き当たる生駒山地みたいな場所だから地形的に貯水池や病院を作るのは理にかなっていると思えるのだが、しかしH先生は「ここにはちゃんと歴史的理由があって・・」と言った後でちょっとマズイな・・と言う表情に変わり、そのまま黙りこんでしまったのだ。





しかし実は筆者はこの時なんとなく思い当たったのだ。というのは筆者の母方の祖母はこの時期に狭山一帯の東村山に住んでいて、筆者は毎月最低一回ここら辺を訪れていたからである。祖母は元々は埼玉県の川越市の出身で(狭山域外と言う意味)、筆者の母親も川越から東京へと嫁入りしたのだが、何故だか知らぬが郵便局を退職した祖父は狭山一帯の東村山に家を買ったのだ。

これ、東京都民でない方がこの地域に来られたら何ともいや~な空気で満ちていることを気づくはずだと思う。清瀬、東村山、東大和、武蔵村山、それと所沢と入間の方がこの日記を読んでいたのなら申し訳ないが、筆者の祖母が「本当にここは嫌だ!あたしゃ川越に帰りたいよ!」と言うのも頷けるほど重苦しい空気が漂っているのだ。

地理的に見ると狭山よりも川越の方がより西北に位置するからずっと田舎なのだが、しかし芋堀りのガキどもや上半身裸の百姓オヤジが街を歩いているとはいえ田舎の長閑さとか大らかさというのは子供ながらも感じ取れるもので、一方東村山は当時住宅地として発展していたにもかかわらず陰鬱で排他的、そしてある種の不衛生さとか汚さが目に付いたのだ。

で、まあ筆者の祖母はそれから20年ほど後に東村山で生涯を終えたのだけれど、さて葬儀の時に祖母の姉妹や甥姪たちが集まって酒を呑むことになり、その場で「バアちゃんは東村山が嫌だったんだよ」と言ったところ、齢九十の婆さんたちが「そりゃそうだよ。ここら一帯は昔から色々あるからね」と言ったのだが、その話がちんぷんかんぷんだったのだ。





これは被差別○○の事を言っているのかと思ったが、そういう場所は両地域に何か所かあるものの100平方キロ全てがそうであるはずも無い。しかし婆さんたちが話していたのはどうも四国の狗神とか九州の蛇神のような忌に触れる話なようで、川越の古老たちは子供の頃には親たちから「あんまりあそこら辺に行くな!」と言われてようである。

しかしその後いくら調べてみてもここら辺に古墳がある訳でも山陰の尼子氏みたいに恨みを持って攻め滅ぼされた一族の支配する土地でもないし、雪女とか河童、小豆洗いみたいな幽霊妖怪変化の本場でもないのだが、しかしジジイババア全員がうんうん頷いていたところを見ると過去ここらは忌み嫌われていたことは間違いないようなのだ。

しかし前述のとおり何も出て来ないし、婆さんたちの口から出てくる「単語はさっぱり理解不能だったから、いつもと違って今回の日記は「何だか変な話を聞いた」で終わってしまうのだけれど、あの狭山湖や相模湖に行った時のなんともいや~な感じは何なのか?なぜこの地域は貯水池や病院だけでなくあちこちの道端に奇妙な塚や祠が建っているのか?が未だにさっぱり判らないのだ。

ひょっとしたら大昔にこの両地域に大量の入植者が入りこみ、北アイルランドとかヨルダン川西岸みたいにあちこちにコロニーを作り出したことで原住民と深刻な対立状態に陥り、何らかの理由でコロニーが全て皆殺しにされた!みたいな隠された歴史があるのではないか?と思っているのだが、もしも両地域の郷土史家がいたら筆者のこの疑問に答えていただけないだろうか?






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コメント

2018/01/21(日) 19:05:34 | URL | 名無しさん #-
いつも読ませてもらってます。
それにしても、文筆能力高いですよね。

ちなみに、あの某カルト教元有名幹部の上*なんかと同じ学年ですかね?
その辺の話も聞かせていただければ有難いです。

2018/01/23(火) 09:06:58 | URL | 名無しさん #-
両地域に限らず、武蔵国一体は後北条氏滅亡後、農村支配層(地頭・代官的な地方武士、上層農民)が甲州など他国出身者と入れ替わり、旧支配層がどこかに行ってしまったケースも多いと聞きますが、そのことと何か関係があるのでしょうか?

あとは、鎌倉街道沿いで古戦場などもあるのでしょうか?郷土史に詳しくないのでよくわかりません。

確かに。

2019/10/14(月) 22:16:01 | URL | 名無しさん #mQop/nM.
狭山、東村山、清瀬の何とも言えない陰鬱な感じ、なんなんでしょうね。実際に歴史的になにがあったのかとても知りたいです。

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