専門家を突き動かす本能

2017/10/17 13:03:29 | 香港中国 | コメント:0件

筆者が香港に赴任したのは90年代前半で、当時の中国は外国資本の工場をどしどし誘致しはじめたころであり、一方日本企業側も人件費のメリットから東南アジアに配置していた工場を中国へと移転し始めたので中国語(北京語)が堪能な日本人は引く手あまたの状態であった。

ソニーや東芝といった大手なら中国語人材は社内に幾らでもいるが、売上規模が100億円以下の中小企業にはそんな余裕はない。したがって中国の大学に留学していた人間を中途採用し、日本で2~3か月研修を施した後で香港支店へと送り返し、中国工場設立プロジェクトの事務局役を仰せつけるケースが多かったのだ。

加藤女史もその一人で、九州大学で中国現代史を専攻したのちに北京語言学院、さらに北京大学へと留学したのだが、運悪く天安門事件のゴタゴタに関与してしまったために一旦強制帰国させられてしまい、その後香港中文大学に再留学していた時に日本の中小企業にリクルートされたのである。

九州女らしく性格は豪胆ながらアカデミックな方である。それになかなかの酒好きだから趣味が合う筆者は彼女をカクテルバーなんぞに良くお誘いしたのだが、ある時彼女に「研究者として今まで頑張って来たのにメーカーなんかに来て後悔してませんか?」と聞いたところ、中国の研究者って仕事にはもう面白みが無くなっちゃったのよ・・と言ったのだ。





意味が理解できない筆者は加藤女史にその意図を聞き返したところ、あのねえ、あたし達みたいな中国研究者の本質はノゾキ・・ノゾキ趣味なのよ。あんたの年頃だったら壁新聞とか人民日報って聞いたことあるでしょ。あれよあれ。中国が必死に隠したい秘密を行間から読み取るのが楽しかったのよ。とケタケタ笑いながら答える。

これどういうことかと言うと、加藤女史が大学に入ったのは四人組とか文化大革命の影響がまだまだ残っている頃で、最高指導者だった華国鋒がある日突然失脚して鄧小平に実権が奪われてしまう、あれだけの権勢を誇った四人組が逮捕され死刑が求刑されるなど、いつ何が起こるのかさっぱり分からない状況だったのだ。

そのうえ報道の自由など全くない国だから「江青女史が危ないぞ!」なんて事前情報が出てくるわけもない。例えば毛沢東の後継候補ナンバーワンだった林彪の異変(ソ連亡命の途中モンゴルで墜落死)に気付くためには、外国の賓客の見送り式典の画像になぜか林彪が写っていなかった・・なんて細かいところに頭が回らないと中国専門家としてはダメなのだ。

もの凄く大きな時代の流れや変化を捉える一方で、壁新聞の一字一句まで虫眼鏡を当ててみるわけよ。そうするとアレッ?姚文元の人民解放軍に関する論文に微妙な記述があるわ?なんてのが見つかるとね、これは軍が文革小組を潰しにかかってるんじゃないか・・ってイメージが湧いてきて、その瞬間に全身に快感が突き抜けるのよ!





ところが鄧小平から江沢民に政権が変わると「今までの様な秘密体質は結果的に党の力を弱めてしまう」と中国版グラスノスチが始まってしまい、また日本からの問い合わせも権力闘争とか対米外交姿勢といった女史好みの事項から「住宅建材の需要見通し」や「牛丼チェーン進出のための市場調査」なんてのに代わってしまったのだそうだ。

だったら液晶ゲーム機の工場設立みたいな別の仕事に鞍替えしよう!って心機一転したんだけど、でもやっぱりこの会社じゃ本能を揺さぶるような喜びは感じられないのよ・・と急にさみしそうな表情になる加藤女史。そりゃそうだよな・・と筆者は頷いていたが、ノゾキ趣味とは実に言いえたものだと腹の底で笑っていたのだ。

結局加藤女史は中国工場が軌道に乗るとジェトロに転職し、そこからいくつかのコンサルティング会社を経てマーケティングリサーチの専門家をしてのキャリアを積んでいったのだが、後年日本で再会した折に「今の仕事を満足してますか?」と聞いたところ、前とおんなじよ・・。わかるでしょ?と肩をすくめた。

さてさて筆者が何でこんなつまらない事を書いたのかと言うと、金正恩の妹が政治局員に昇格うんぬんのニュースを見ていてふっと加藤女史の事を思い出したのだ。そして訳知り顔で説明している北朝鮮専門家を見たときに、こいつらを突き動かしているのは知的好奇心でも正義感でもなく単なるノゾキ趣味だったんだな・・と気づいて笑ってしまったからである。






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