ある衝撃的な事実が・・

筆者が香港からマニラへと良く遊びに来ていたのは今から20年ほど前で、今じゃ高そうな住宅が立ち並ぶパラニャケやラスピニャスは畑の中にポツポツ建物が出来始めたような状態であり、筆者が今住んでるパッシグなんぞは工場がある以外は見渡す限り平原であった。

エスター叔母とダニー叔父夫妻がパッシグに移り住んだのも20年くらい前で、現在1平米あたり1万2千ペソする土地はたったの250ペソだったのだそうだ。それでエスター叔母に筆者らが住んでいるアパート一帯は何があったのか?と聞いてみたところ、一瞬躊躇した後で「あそこは自動車工場だったんだ・・」と言ったのである。

なるほど、地名や通りに自動車会社の名を残しているのはその為か・・と筆者は納得していたのだが、先日我が家に義父と義弟が遊びに来た際に「お義父さんの働いていた食品工場はどこにあったのか?」などと聞いていたら(40年前からパッシグ市内の工場に通っていたのだ)衝撃的な事を話し始めたのである。





「ここが自動車工場だった?何をエスター叔母はバカな事を言っとるんだ。ここは死体が良く捨てられてた空き地だったんだよ!」と聞いてエッ!と驚く筆者と女房。広大な自動車工場があったのは通りの真向いで、その周辺には工場で働く低賃金労働者たちが住む掘っ立て小屋がズラーッと軒を並べていたが、この連中ははとにかく喧嘩が耐えなかったのだそうだ。

ブスッと刺して通りの向かい側にある空き地に捨てるんだ。それで「またあの空き地で死体が見つかったんだって・・」「本当に物騒よね」なんて俺たちの工場の連中はみんなで噂し合ってたんだよ。でも今じゃこんなに綺麗なアパートが立ち並ぶようになって、随分と時代は変わったもんだ・・と義父はしみじみし始めたのだ。

あの~・・なんか論点がズレてませんか?と思ったが、若いころパッシグの住む叔父の家から学校に通っていた義弟に「それは本当なのか?」と聞いたところ、ブラザー!フィリピンじゃ殺人は何処でも起こってるんだ!そんなの気にすることないだろう!と全然否定しなかったのである。





確かにその通りだが、そう言われても良い気はしないのが多神教かつ無神論の日本人だ。しかしこの時点で話が終わればまだ良かったのである。というのも酒に酔っぱらった義父が「それに前に住んでいたタイタイ町の家の方がよっぽど不吉じゃないか?」と突然訳の分からないことを言い出したのだ。

シーン・・と黙って義父の次の一言を待つ筆者。その緊張した筆者とは裏腹に義父は割と軽い感じで「あそこは墓地だったからなあ」と言ったのである。なんだと!墓地の上にオレは2年も住んでたのか!と思わず激昂してしまったが、すかさず女房は義父に向かって何やら反論し始めた。

マニラから車に乗って東へと向かうとやたらと墓地が多い事に誰でも気が付くが、これは日本で言うと高度経済成長前の多摩川の向こう側一帯みたいにリサール州西部エリアが都市住民の墓地を引き受けていたからで、それが後に土地の値上がりに目を付けた目ざとい商人によって宅地へと切り替えられたのである。





だからあんなにツイてないことが2年も続いたのか・・と妙に納得してしまったが、女房は「あたしは家を買う時に業者に確認したのよ!墓じゃないって言ってたもん!冗談はやめてよ!」と言い張るし、その一方で義父は「いいや、そうじゃない」という感じでなんかムニャムニャ話しているだけで二人の討論は決着がつかない。

で、義弟はと言うと「ブラザー!人間はいつか死ぬんだから墓地を恐れる必要はないよ」と全然なんの助けにもならない話をし続けるだけ・・。いくらオカルトマニアの筆者でも香港で最後に住んだ家でえらい目に遭ったからそういう不吉な場所に住むのは嫌なのである。

翌日になっても「アタシはちゃんと確認したもん!」と女房は相変わらず自己の正当性を主張していたが、お前は古い地図で確認したのか?と聞いたらグッと顎を引いて暫く黙り込んでしまった。元墓場に死体遺棄現場・・。義父の話は怪しいけれども、フィリピンに来て4年が経過したが、あんまり幸せでないのはこれが原因か・・と納得してしまった。






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