眺めの良い開かずの間

筆者は若いころ3年間だけ銀座に勤務していた事があるのだが、筆者がいた別館とは隣り合わせの本館に立ち入り禁止になっている区画があった。その頃はバブルの最中で大変景気が良く、最上階のオフィススペースなぞ賃貸に出せば忽ち借り手が付くはずなのに、時々管財担当の事務員が訪れる以外は立ち入り禁止の札が掛けられて固く閉じられているのである。

怪談の世界でいえば開かずの間みたいなもので、一体あそこには何があるのだろう?銀座の街並みを見渡す絶好の展望だからオーナー専用の接待用クラブハウスにでもすればいいのに・・などと同じ世代の同僚たちを噂し合っていたのだが、年輩の社員たちはその正体を朧気ながら知っていて、あそこは20年くらい前までアメリカ人たちが居座っていたのだ・・と謎かけのような事を言っていたのだ。

筆者がいた会社は一社一社が半分独立した企業グループの一員で、グループ組織がかなり複雑なため説明するのが面倒なのだが、フジサンケイグループにとってのニッポン放送とか富士通グループの富士電機みたいな創業時点の中核会社がグループ内にあって、その中核会社所属のごく少数の社員たちはオーナー一族の財産管理が仕事で、開かずの部屋はその中核会社の管理下にあったのである。

会社の社史には「初代オーナーが画期的な製品を発明し、それを〇〇銀行と財界の長老格の協力のもと軌道に乗せ、戦争時には各地の工場が爆撃を受けて大損害を被ったもののオーナーと社員が一丸になって頑張ったことにより奇跡的に復興し、その後の分社化など多難な時期を経て今日の・・」などどの会社でもありそうな事が書かかれているのだが、しかしここには一番肝心な事は綺麗さっぱり抜けているのだ。





アメリカ占領軍司令部GHQとの関りである。奇跡的に空襲の被害を受けなかった本館ビルは占領時代にはGHQに丸ごと接収され、1950年代に返還されるまで色んな米軍機関が入り込んでいたのだ。GHQと聞くとマッカーサーがいた第一生命ビルが有名だが、司令部や行政機関以外にも米兵専用のホテルやデパート、クラブハウスなど色んな建築物が必要なわけで、例えば有楽町の宝塚劇場など米軍専用のアーニー・パイル劇場となっていたのだ。

さて終戦時点では銀座のビル1つと幾つかの田舎工場を所有しているだけだった会社が、GHQが日本から出ていった頃には「オーナーは有楽町駅から自分の土地だけを歩いて銀座の本館に出勤できる」ほどの銀座の大地主になれたのは、この時期にGHQに多大な便宜を図ってもらえたからであり、当然ながらそれ相応のお返しをしたんだってよ・・と年輩の社員たちは話していたのだ。

占領開始直後の経済政策については色んなメディアに書かれているからここでは割愛するが、大規模土地所有者から土地を取り上げ、公家や財閥などの極端な金持ちたちの資産を没収し、そして一旦は円を紙くずにしたということである。近年だとソ連崩壊後の経済混乱を想像すれば良さそうだが、旧権力側にいた勢力は徹底的に解体され一寸先は闇の状態に陥っていたのだ。

ところが初代オーナーはこの時期明らかに資産を巨額なものに増やしていて、さらに極めて早い段階で事業再建に必要な外貨資金をアメリカの投資銀行から獲得していたのだ。その時期は日本の産業は構造改革に向かう真っ最中であり、旧国鉄や東芝など日本の名だたる企業は膨大な余剰人員を解雇せねばならず、そのため組合運動が先鋭化してデモや破壊活動が横行する革命前夜とも呼ばれた時期なのに・・である。(続く)





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