お屠蘇の「蘇」

正月に呑む祝い酒に『お「屠」蘇』なんて縁起でもない文字を当てたのは、これは誰かを攻め滅ぼしたい!奪い去りたい!という強烈な悪意を実現するための呪術である!という推察を昨日の日記にしたが、では日露戦争時の「征露丸(元々の名前)」の露に相当する「蘇」とは何者なのか?という疑問について書いてみたい。

筆者は長らくこの「蘇」をそのまま「よみがえる」という意味で捉えていて、確かに平安貴族たちは疫病の蔓延や天変地異は菅原道真や長屋王の怨霊のせいである!と怯えていて、言霊の力で霊を退散するため和歌をひたすら詠んでいたのだから、お屠蘇を吞むというのも身近にいる悪霊たちがゾンビみたいに蘇えるのを封じる儀式である!と思ってきたのだ。

しかし一昨年に奈良・法隆寺を訪れた際に、この寺の聖霊会という重要なイベントのクライマックスに蘇莫者(そまくさ)という不気味な幽霊が登場すると聞いて何かぼんやりした像が頭に浮かんだのである。普通に考えれば蘇莫者は「蘇った亡き者=ゾンビみたいな悪霊」と解釈するのだろうが、ここ法隆寺は聖徳太子と言う架空の人物ではなく蘇我氏三代の魂を封じ込めた結界だからだ。





それと東北には蘇民祭りという奇祭が数多く残されていて、これは古代大和の王にして国津神の頭領スサノオに由縁がある蘇民将来のための祭りなのだが、この祭の所在地を調べていくと蘇我氏の旧領地を示す須賀や須加、曽我、あるいは菅というような地名が数多く登場することを何かの本で読んで知っていたのだ。つまり蘇我氏の古の姿を蘇民将来という架空の人物に移し替えたらしいのだ。

「蘇」というのは「よみがえる」ではなく蘇我氏の事ではないのか?それで興味を持った筆者が調べてみたところ(途中の詳細は長くなるので省くけれども)蘇我氏と言うのは良く言われる渡来系部族などではなく、北陸から東日本、東北に生息していた旧縄文系の原住日本人、つまり大王スサノオの末裔とでも言うべき一族だという仮説に辿り着いたのである。

ちょっとここで整理すると「屠蘇」とは「蘇我の連中は滅ほしてやるわい!」、或いは「打ち殺した蘇我どもは化けて出てくんな!」という意味を込めて酒を飲む・・という事だと筆者は言ってるのである。じゃあ一体誰がそんな悪意のある願掛けをしていたのか?と言えば、それはこの習慣が始まったのが平安時代であることからしても藤原氏で間違い無いであろう。





645年の乙巳の変とはおバカな天智天皇をそそのかして蘇我王朝を打ち滅ぼした百済系渡来人藤原鎌足のクーデターであり、藤原氏が大和の地を押さえた後も水銀や鉄、金など天然資源を収奪するために蘇我氏ら蝦夷たちのホームランド東国に攻め込んでは徹底的に打ち滅ぼし続けたのだ。その軍事行動が完了したのは蝦夷の軍事指導者アテルイの処刑した802年である。

つまりお屠蘇を吞むとはこれがアメリカなら先住民族インディアンたちに見立てた標的を銃で撃つ祭りが国民的行事として開催されているのと同じ様なもので、それを日本では「有難い事だ」とか「祝いだ」などと実態にそぐわない形容詞を付けては親から子、子から孫へと伝えていったとは・・。東国出身でスサノオを奉る氷川神社の末裔で有り筆者にとっては考えれば考えるほど実に不愉快極まりない行事である。

それにである。冷静に考えると今日お屠蘇を吞んでいるのは百済人藤原氏に収奪された日本人であり、特に東日本から東北にかけての日本人は今でも縄文の血統を色濃く残しているのに、前述のアメリカの例えでいえばインディアンの末裔たちがインディアンの標的を嬉しそうに撃っているのと同じ事を毎年正月にしているのだ。これは一体どういうことなのか?(続く)






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