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赤い軍人たち

稀代のスパイであるキム・フィルビーがケンブリッジ大学の学生だった1930年代に、イギリスから遠く離れた極東の島国でも一人の重要人物が陸軍士官学校にいた。瀬島龍三である。この人物については山崎豊子の小説「不毛地帯」が有名だからよくご存じとは思うが、簡単な経歴だけざっと書きたい。

1911年富山県の農家の次男として生まれ、陸軍士官学校を次席、陸軍大学を主席で卒業後に大本営参謀となり、終戦時の階級は中佐。日本降伏時に満州にいたことから11年にわたってソ連に抑留。日本帰還後は伊藤忠商事に勤務し自衛隊向けの次期戦闘機売り込みで実績を上げた後は経営管理畑を歩み副社長から会長を経て退職。

退職後は土光敏夫の下で臨調の委員兼参謀役や中曽根内閣のブレーンなど政府の要職を務めあげ政財官界に睨みを利かす「昭和の名参謀」の名を欲しいままにした。その人物がソ連のスパイだった?お前なに言ってるんだ?と思うだろうが、ある一定以上の年齢の方ならご存じの通りこの瀬島スパイ説の噂は根強くあったのだ。

2013年に元警察官僚の佐々淳行が雑誌にある確証を書いたことから瀬島スパイ説には一応の決着がついたのだが、瀬島がソ連にリクルートされたのは11年間のシベリア抑留中であるという説には筆者は同意できないのである。たしかに瀬島が朝枝繁春、種村佐孝、志位正二ら拘束されたエリート参謀とともにウランバートルにあった第7006俘虜収容所に連れ込まれここで思想教育を受けたのは確かである。

しかし戦時中の瀬島の行動を見ると、ドイツ降伏前の米英ソ三国によるヤルタ密約を掴んだ小野寺駐在武官の電報や台湾沖航空戦の当初の戦果発表には疑念が多いと伝えた堀情報参謀の電報も握り潰す、そして日本降伏時に日本人捕虜を使役に使って良いと申し出るなど、戦争以前にソ連に取り込まれていたのではないか?と思える節がある。





ただここから先は明確な証拠があるわけではないのであくまで筆者の推測だし、天皇カチカチ主義で集団生活をしている陸軍士官学校にコミンテルンの工作員が入り込めるはずも無いのだけれども、戦前の陸軍を先入観なしに俯瞰的に見てみると組織全体が何やらソ連の意向に沿った動きをしているのではないか?と思えてしまうのだ。

例えば226事件の首謀者たちが主張した私有財産の制限と大資本の国有化、貴族制度の廃止に男女平等というのは天皇制度への妄信を除けばロシアの十月革命そのもののように思えるし、この信じられないほど稚拙なクーデターのおかげで対ソ決戦を視野に置く皇道派は瓦解し、変わって権力を握ったのは対米決戦の統制派である。

そして日本は統制派が思うが儘にアメリカへと戦争を仕掛け、その結果満身創痍となってしまうのだが、ポツダム宣言受諾をせずにソ連を通じた終戦工作を持ち出した近衛文麿、東郷重徳ら親ソ派に与するだけでなく、「スターリンは西郷隆盛のような怪傑で信用出来る人物」など首をかしげたくなる発言までする人物が出てくるのである。

戦後に出版されたが忽ちGHQに発禁処分にされた「戦争と共産主義」という名著があるので、これらの具体例はぜひこの本を読んでいただきたいのだが、この著者の結論は士官学校での将校たちはエリートとは言え元々はみな貧乏人の倅であり、彼らは本質的には大資本や富農たちの存在を憎んでいた、つまり共産主義と共鳴するだけの土壌が十分にあり、コミンテルンはその弱点に付け込んで軍内部に親ソ的な人脈を育成した・・というものであった。

で、このソ連と士官学校出の将校との紐の結び目になった人物は誰なのか?という点だが、筆者はその人物は統制派のトップであった永田鉄山軍務局長(写真上)本人か、またはすぐ近くにいた人間だと思う。バーデン会議で東条英機らと結託して薩長閥による軍支配を終結させ、ソ連攻撃に一人反対して中国大陸の泥沼へと日本を向かわせた軍人、スターリンの砕氷船理論の通りに陸軍を導いた男である。






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