陽のあたらない銅像

2016/12/09 11:09:06 | 昔話 | コメント:2件

筆者が海外営業マンとして最初に担当した地域は台湾で、3カ月おきの出張では一旦台北に入国した後は高雄に飛び、そこから色んな顧客を訪問しながら順次北上して再び台北に戻るというルートを採っていたのだが、その客の中に対中市の竹華(仮名)という会社があった。

竹華は昔からの付き合いがある大きな会社だから就任早々挨拶に行ったところ、出て来た初老の男性が「私が董事長の陳、これが総経理をやってる私の弟だ。まあお座りなさい」と物凄く流暢な日本語で言うのには驚いてしまったのだが、もっと驚いたのは流暢なのはこの董事長や総経理だけでは無かった事である。

品質問題が発生した時に交渉した工場のマネージャー達が揃いも揃ってツアーガイド顔負けの日本語使いなのである。日本統治時代に教育を受けた老人やアンアンやノンノンを定期購読してるネーちゃん達が訛りのある日本語を話すのなら理解できるが、工場のオヤジどもが日本語を龍柱に話せるというのはちょっと変だ。

しかし同行した日本技術者が工場を見た際に「ここは日本人の手が相当入ってるね」と断言した時に「ああ、そうか」と思ってしまった。訓練を積んだ工場技術者なら作業台の配置や工作機械に張り付けられた工程指示マニュアルの書き方ひとつでその工場に流れる一貫した思想が読み取れるものだ。この竹華は日本に行って学んだのでなく、大勢の日本人がこの場所に入り込んで手取り足取り教え込んだはず!だというのだ。

それで次回会った時に董事長に日本との関係を聞いたのだが、ところが意外にも即答せずにはぐらかすのだ。1990年代の日本は世界最先端の工業国と見なされていたし、安かろう悪かろうの競合他社が溢れる中で日本の手が入っているというのは売り文句なのに、それを匂わせる様な事を一切言わないのだ。





さらに変なのはあれだけ日本語使いが揃っているのに、工場を流れてる相手先ブランドを見てもこの竹華社は日本とは全く取引していないのである。それで何か変だなあ、この会社はなんなんだろう・・と思っていると助け舟を出してくれたのは筆者のパートナーで台北支店勤務の物知りヤンさんである。

「ちょっと〇〇さん、こっち来て!」と呼ぶのでついて行ったところ、工場の建物の裏に存在さえ知らなかった中庭があって、そこに「創業者 竹田幸次郎」と書かれた銅像が立っていたのだ。創業者?それはあの陳兄弟のオヤジさんじゃないのか?と聞いたら、〇〇さん、竹華って社名良く考えてみなよ・・と悪戯っぽく笑いながら言う。

種明かしをすると、この会社は埼玉県の竹田電機工業(仮名)との合弁企業として1970年代に設立されていたのである。だから竹田の竹と中華の華で竹華電機股份有限公司という名なのだが、当時は外資100%は法律で禁制されていたから、フィフティーフィフティーにちょっと味付けした配分で日本と台湾のカウンターパート陳一家で株を分け合ったらしい。

場所と人は台湾側が出して金と技術は日本側の役割というそもそも公平とはいいがたい契約だが、それを承服した竹田幸次郎氏が資金と機材、それに工場パイロットランのための技術者を送り、何年かのよちよち歩きの状態を経て遂に工場としてやっていけるようになったらすぐに事件が起こったのだ。

「全然赤字なのよ。日本から生産委託した分以外は全く売上が無いの。それとは別に人件費だけは計画の倍三倍と何故か多いから儲かるわけないね。でも日本人もバカじゃないからスパイを送って調べたら工場はずっとフル回転してる。それと同じ敷地内に訳の分からない会社がいくつもいくつも設立されるのがわかったのよ」





要するに台湾の陳兄弟が取って来た注文は同じ敷地内に設立されたダミー会社に利益が落ちるようになっていて、合弁工場の設備と従業員をタダで使っていたのである。しかも日本から送った技術指導員ときたら陳兄弟の指示で酒と女ですっかり骨抜きにされてしまい、陳一家の背任行為にせっせと加担するという体たらくだったのである。

それで裁判で散々争ったものの全ては陳一家に有利な形になってしまい、日本の竹田氏は泣く泣くすべてを諦めたというのだ。なるほど、だから工場の主任クラスは全員とも日本語があんなに出来たのか。それに日本の顧客は全部竹田幸次郎氏にブロックされたから全然いないわけだな。こりゃ典型的な投資詐欺行為である。

だけどそれなら何でこの銅像は今まで立ってるんだろう?と思ったが、物知りヤンさんによればこれは実に台湾式の深い意味があるというのだ。実は立ち上げ直後はこの工場の正門はこの銅像の目の前にあって、全従業員や取引先はこの銅像を仰ぎ見る形で工場の建物へと入っていくようになっていたらしい。

ところが日本人を追い出した後は正門の位置を全く正反対の方向に移して、この銅像のある一帯は誰の目にもつかない様にしたというのだが、この手の込んだやり口は台湾のまじないの一種で、敵を滅ぼしてもこちらが悪い事をしたという自覚がある場合は墓まで壊すと祟られるから、こうして封印しておくのが台湾の習わしなのだという。

へえ・・、台湾にも日本の怨霊思想と同じようなものがあったってことか・・。でもこの銅像は日本側を追い出した後は手つかずのままでいたんだろうな・・と思ってネームプレートを見てみたらところ、下の方に「竹田幸次郎 1916-1987」とこの銅像本人が死んだ年までご丁寧に刻印されていやがった。以来筆者は台湾人に心を許すことは止めることにしている。






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コメント

そういう例もあるんだね

2016/12/09(金) 14:52:11 | URL | poyoyon #-
以前、台湾・香港・フィリピンの業者と取引してましたが
台湾の会社が一番誠実でしたよ。香港のは対応が冷たかったので止めた。
フィリピンの奴は、中国系でまあまあ良かったのだが、周りがバカなので×。

2016/12/09(金) 20:31:17 | URL | starchild #/9hBKkrU
台湾も、戦前から住んでいた日本人(台湾人)と、戦後、大陸から渡ってきた中国人が住んでるわけですから、大陸中国人の性格を引き継いでいる台湾人も当然居るのでしょうね。私的には非常に親日的な国だと。性格も良いような。

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