奢る運命、奢られる運命

女房と二人でソイ33にある居酒屋で食っていると、背後のテーブルから「支店の皆様にはいつも迷惑ばかりかけてしまいまして・・」という声が聞こえてきた。見ると20代と思しき日本人がえらく恐縮した表情で日焼けしたオヤジ相手二人にお酌していて、それを鷹揚に受けていたオヤジたちは頃合いをみはからって「まあこんな色気の無いところで話もなんだから、続きは昨日の店で・・」と切り出したのだ。

その姿を見ていると、一番下っ端だけど会社を背負った気分で飛行機に飛び乗っていた筆者自身の20代の頃が急に懐かしく思えたと共に、この若造は気を使ってくれるオヤジ共がいて羨ましいなと思ってしまった。筆者は17年も香港支店にいたので日焼けしたオヤジ達のようにずっと出張者を受け入れる側に非常に長い間いたのだが、それでもたった1年だけだけれども出張する側だった時があるのだ。

今から23年前に生まれて始めての単独海外出張で台北を訪れた筆者は、到着日の翌朝一番に市内の目抜き通り中山北路にある支店に挨拶に行くと、中西支店長と野沢マネージャー、それと陳という現地マネージャーから「今晩君の歓迎会をやるから客周りが終わったら真っ直ぐここに戻ってくるように!」と言い渡された。

それでオフィスの近くの台湾料理屋で紹興酒を浴びるほど飲み、それから林森北路にあるメモリーというスナックで女性相手にお喋りした後、タクシーの中で中西支店長がうんと気を使った表情をしながら「○○くんも若いんだからやりたいよね・・」と探るような口調で言って頂いたのだが、根が正直な筆者は「ええ、昨日やりました」と返答したところ、車内でエッ!という声が3つこだましたのだ。

実は昨晩ホテルに深夜チェックインした後、そっち方面に大変嗅覚が働く筆者は横道を入ったところにある如何わしいオーラを発散したサウナに入り、いやらしそうな顔つきをしたママさんの吹っかける料金を思い切り値引きさせて台湾美人の肉体と絶妙なテクニックをたんまり胆嚢していたのである。





「サウナ代込みで3000元って言ったら現地人と同じ値段だよ」と陳マネージャーは驚いていたが、それ以前に到着したその晩に右も左も分からない台北の夜の海に一人で突撃して、日本人が絶対に行かないローカル向けのHな店でちゃんと目的を達して来るとは、この若造は一体何者なんだ・・と中西支店長は唖然としていたのだ。

あのねえ・・、日本から始めて出張して来る人の中には怖くてホテルから出れないとか、一人でメシを食えないから毎日一緒にいてくれってのも居るんだけど、どうやら君は違うようだね?と言うから、ええ私は学生時代からインドや東南アジアをほっつき歩いておりまして・・と答えたところ三人はお互い目配せして運転手に筆者の泊まってるホテルへと行き先変更を命じた。お前は一人で勝手に遊びに行け!という事である。

それ以降筆者は放っておいても全く問題が無い存在とみなされ、以降台湾には2ヶ月に一回に頻度で出張したものの筆者のために歓迎会が開かれることは滅多に無く、しかしその一方「いま林森北路で飲んでるからお前も来い!」と真夜中に電話で呼びつけられたり、麻雀のメンツが足りないから来い!、大人数の出張者が来たから接待要員で来い!と言った他、「自宅でカレーを作りすぎたから食いに来い!」というゴミ箱代りの扱いになってしまったのである。

台湾担当として1年が経過した後、筆者は晴れて香港支店勤務へと栄転することになったので業務引き継ぎと顧客挨拶のため後任の山口という先輩と最後の出張に訪台したのだが、最後の日の歓送迎会では「私は長いこと台湾支店にいるが、○○(筆者の事)ほど手が全くかからずに気も使わなくて良い出張者は見たことがありませんでした」という余り嬉しくない言葉をいただき思わず失笑してしまった事を今でも覚えている。

あれから四半世紀が経ち、筆者は自分が接待する側で支払った額を暗算したところ会社員生涯24年間でウン千万円という金額が浮かんだが、一方接待される側として払ってもらった金額はせいぜい10万とか20万円くらいにしかならない事に気づいて複雑な思いになってしまった。まあ自分の懐が痛んだ訳では無いのだけれど、なんか人生損しているような気分が拭えないままでいる。






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ブログ、楽しませて頂いております。
突然懐かしいメモリの名が出てきて思わず初めてコメントを書いております。
23年前というと美沙ママがG線を辞め独立、開店して2,3年で日本もバブル崩壊後もまだまだ景気の良い頃でした。
台北のサウナもまだ20代の女の子がいた頃でしたね。水扁ちゃんが市長になるまでは喫茶店でもサウナでもオネーチャンと親交出来たいい時代でした。

 

美沙ママですか。ひょっとすると店違いもしれませんが、僕が行っていたのは感じで美慕里という名で、ちょっと名前は失念しましたが、えらく年の離れた姉妹がままとちーままでやってた覚えがありますね。
ちなみに僕の馴染みは麻里という源氏名の女でしたよ。

 

そこですよ。理恵という美人の妹がいました。
実は私は23年前から4年間のブランクがありました。その間に行かれていたようですね。
店は大分前に閉められました。今は居酒屋より少し上等の飲み屋をやっています。

 

美人の妹さん覚えてますよ。
なんか最後は姉妹同士いがみ合ってしまって店を閉じたとか聞きました。
あの頃の林森北路が懐かしいですね。

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