ジュライホテルの天使ポンちゃん

2016/10/11 08:17:44 | 旅行 | コメント:2件

香港の日系業界団体の会合で出会った地方銀行勤務のY君と水割りグラスを片手に立ち話をしているうちに、彼もまたバンコクの伝説の安宿ジュライホテルに滞在した事があって、しかも筆者とは半月ほど時期が重なっている事が分かってお互い大喜びした事がある。

でも・・失礼ですがお顔を拝見した覚えが無いんですが・・というY君に、そりゃあの時オレはロビンソン百貨店の成田という日本料理屋にいた女と付き合ってて、朝から晩まで彼女と一緒に外出してたからね・・と答えると、えっ!現地のガールフレンドがいたんですか!羨ましいなぁ・・と朴訥した口調でY君は言った。。

話を聞くとどうやら彼は「地球の歩き方」を字でいく真面目な学生ツーリストで(元高校球児で旧帝大から地銀という経歴が彼の性格をよく物語っている)、ヤク中と売春マニアに人格破綻者だらけのジュライホテルでは少数派に属していたようで、冷気茶室なんて悪所には行ったことも無いのだと言った。

しかし楽しそうに昔話をするY君の口から突然ポンちゃんの名が出た時に思わずハァ?と思ってしまった。ポン、あるいはポームと呼ばれた彼女はジュライホテルに住み着いた売春婦かつ麻薬密売人、さらには自身も薬物中毒者というどうしようもない女で、筆者は彼女と関わり合うのを避けていたからである。

過去何度か日記で書いたとおり筆者だって女やクスリを嗜んでいたから別に彼女の生業を軽蔑していたわけでは無い。筆者が嫌悪したのは彼女がいつも多くの日本人とつるんでいるのを見る度に、右も左も分からないY君みたいなウブなツーリストをだまくらかしている狡賢い女に見えたからである。





それに筆者はある時彼女からズベ公みたいな口調で言いがかりをつけられ「なんだオマエは」と逆上しそうになったところを一休さんという渾名の日本人の爺さんが気がついて慌てて引き離すという一幕があったため、以来彼女と顔を合わせる度にシッシッ!と野良犬のように追い払っていたのである。

そのポンちゃんを懐かしそうに語る善良そうな男が目の前にいる・・。しかも彼の中でポンちゃんはまるでマドンナのような存在、とても美しい思い出に昇華していることに驚いてしまい「いや・・キミねえ・・」と反論する機会を逸してしまうと共に、どうも彼女の実像は筆者が思っていたのとは違うのでは無いか・・と思えてきたのだ。

ちょうどインターネット黎明期だったので後日「ジュライホテル」「ポン」で検索したところ、これがまあ出てくる出て来る・・、ちょっと信じられないほど多くの人が彼女との思い出をとても懐かしそうに描いていて、中にはポンちゃんコーナーなんてのがあって、そこには日本人と嬉しそうに戯れた写真や、ヤクで捕まって留置場にぶち込まれている写真(保釈金を払って引き取りに行った日本人が撮ったらしい)、さらにシンナー吸ってラリってる写真などと共に彼女の経歴が出ていたのだ。

そのウエブによるとポンちゃんは子供の頃に両親に売られて売春婦になったが、どう言う経緯か知らないが日本人と結婚し一時期日本のどこかに暮らしていた事があるらしい。だから日本語が上手だったのか・・と納得したが、結局この結婚も破綻してしまいポンちゃんはタイに戻ってきたものの故郷には戻らずに日本人の文無しバックパッカーと破綻者が集まるジュライホテルに流れ着き、そこを住処にしてしまったのだ・・と書かれてあった。

そして彼女に関する記述や多くの人の思い出話に目を通した筆者が確信したのは、彼女の日本語能力と見た目の良さを駆使すればもっと他の場所で稼げたはずなのに何でよりにもよってジュライホテルなんて怪しげな場所にいたのか?という理由は、彼女は基本的に日本人が好きで、そして自分と同じ目線に立ってくれる日本人を求めていて、彼らと一緒に自堕落で享楽的な毎日を過ごすことによって彼女自身が癒されていた・・と言うことであった。





出会った日本人と酒やシンナーをやりながらバカ話に興じ、相手がセックスをしたければ体を与え、ヤクが欲しければ他所から仕入れて来て売るけれども、そこで得るカネはあくまでも副次的な目的でしかなく、彼女は自分をちゃんと直視してくれる日本人とくだらない毎日を過ごすことが何より大好きで、そんな刹那的な生き方をいつまでも続けたかったのだと思う。

数日前の筆者の日記で、幼い頃に両親に売られ、自分の意思ではなくて売春婦に堕とされた女が白馬に乗った王子に助けられて幸せな家庭を築こうとしても、結局は自らの手でそれをメチャメチャに壊してしまい薄暗い闇の世界に戻ってしまう話を書いたが、同じような人生を歩んだポンちゃんにとってジュライホテルは等身大の自分でいられる場所だったに違いない。

しかし彼女について書かれたウエブの最後に「悲しいお知らせがあります。ジュライホテルが1995年に閉鎖されたのと歩を合わせるようにジュライが誰よりも好きで、ジュライのアイドルだったポンちゃんが翌年死んでしまいました。死因はエイズでした」という悲劇的な結末で締めくくられているのを見た時に何かが筆者の胸がギュッと掴むのを感じた。

そうか・・オレはあんたの事を誤解してたよ。あんたはオレに話しかける取っ掛かりを探していただけなのか、それともあんたを人間として見なしていなかった連中と同じ臭いをオレから嗅ぎ取って若い頃の屈辱感を蒸し返してしまったのかも知れんけど、とにかくあんたを野良犬みたいに追い払ったのはオレが悪かった、謝るよ。

でも世の中死んだらそれっきり忘れ去られてしまう人間ばかりだと言うのに、堅物のY君や掲示板に書き込んている沢山の日本人達の思い出の中にこんなにも残れて、それに今でもこうやって思い出してくれる人がいてくれるなんて最後は本当に幸せな人生だったじゃ無いか。あと20年もすればオレたちもぼちぼちあの世に旅立ち始めるから、それまでは大好きなシンナー袋をスーハーさせてあの世のジュライホテルで待っててくれ。






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コメント

う〜ん…

2016/10/12(水) 01:18:36 | URL | 通行人 #ax4px7aw
他人様の人生観を決めつける訳じゃないけど、ポンちゃんの人生は幸せだったんだろうなぁ。
彼女が求めるものは結局、安寧とかではなく刹那の刺激や、こんな自分でも受け入れて求めてくれる「世界」だったんだろうなぁ…。

つくづく、幸福とは絶対じゃなくて相対なんだと気付かされました。

気の合う友とサッポロ一番塩ラーメンを

2016/10/12(水) 17:32:39 | URL | ま #-
親に売られた(しかも売春婦として)女の哀しみが、いかほどの物なのか想像もつきませんが、ポンちゃんの話聞いてると、彼女は彼女なりに懸命に生きたんだろうなあ…とちょっと胸を打たれましたね。同時に平和惚けした自分には少し息苦しく感じました。
だって、あろうことか己れの親に『お前は身体売るくらいしか価値の無い人間』だと宣言されちゃったみたいなもんすから。ポンちゃんの人生は自我の崩壊を何とか食い止めようとする、自分とのギリギリの戦いだったような気がします。
自分を必要としてくれている人たちがいる!!私は無価値じゃない!!端から見れば地獄のような日々でも、きっと彼女にはキラキラ輝いていたんでしょう。
心を許せる仲間の中で逝けた彼女に乾杯!!すね。

一方、メコン川に沈んだプンさんは一途が仇になった…。人生って難しいっすよね。

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