エレベーター茶室のヨーニカ

筆者が学生時代最後の休みをバンコクで過ごしていた時に毎日お世話になったのが、タイ式火鍋で有名な店の名をとったソイ・テキサスにある通称エレベーター茶室で働いていた売春婦ナンバー18号、本名ヨーニカ・クワンカムという19歳の女ある。

いや働いていたという言葉ではヨーニカの境遇を表すのは不十分で、正確に言うとわずかな金で親に売られ、一発75バーツ(当時の金で300円)というタコ部屋売春宿に監禁されて1日最低10人、時には泊りコースも入れて不眠不休で客を取らされていたこの世の生き地獄の住人である。

1980年代のバンコクにはヨーニカのような身の上の女が10万人くらいいて、文字通り身をすり減らすまで(或いは過労や性病、さらに自らの手で生命を絶つまで)酷使されていたのである。え?なんで取り締まらなかったのって?。そりゃタイでは売春自体は一応非合法でも冷気茶室のオーナーは警官が多かったからね。

ヨーニカは故郷チェンライの奥地で小作人の子として生まれたけれども、母親の新しい旦那の酒代のために女衒に売りとばされたのだ・・と説明するのだが、ところでお前の本当の父親は何やってんだ?と聞いたところ筆者が会話用にいつも持ち歩いていたタイ日辞典を開いてある単語を指差したのだ。



死刑・・。なんと親父は殺人を犯して死刑になったのだと筆者を睨みながら言う。その凄みのある表情に妙なリアリズムを感じた筆者は何となくヨーニカに憐憫の情を抱いてしまい、筆者自身が大変ヒマだったこともあって(別の女にはまり込んでいた一時期を除くと)毎日昼12時の開店と同時に店に飛び込んで5時間コースなど頼んでは目の下にクマを作ったヨーニカを眠らせたりしていたのだ。

さてそんな7週間の休みも終わりに近づいたある日「お前が自由になるためには幾らかかるんだ?」とヨーニカに聞いたところ4千バーツ(当時の金で1万6千円)だと言う。なんか思ったよりも安いな・・と思ったが、一発75バーツのうち取り分が15バーツ(60円)しか貰えない身だから(そこから食費もろもろを引かれる)4千バーツはヨーニカにとっては大金である。

それで最後の日に4千バーツの現金と彼女がいつも欲しそうに見ていたウォークマンを差し出したら、「ありがとう!これで自由になれるわ!」と泣きそうな表情をしながら言い、そして最後に「あんたは客じゃ無い!あたしにとってはずっと恋人だったわ!」と言って踵を返すと彼女の檻へと帰って行ったのだ。

さてそれから4ヶ月経った会社員最初の夏休みに再びバンコクを訪れた際に、若さゆえ下の方が催してしまった筆者はエレベーター茶室を訪れたのだが、女たちがずらりと並んだガラス窓の向こうをよく見ると・・ヨーニカがいるじゃねえか・・。お前チェンライで尼になるんじゃなかったのかよ・・。



ところが小部屋に現れたヨーニカは全然悪びれた様子もなく「一旦チェンライに帰ったのよ!」とか言い訳するのだが、話の時系列が滅茶苦茶なのと死刑になってあの世にいるはずの本当の父親がなぜかこの世に復活していて、アタシはまたあの親父に売られたのだ!などと言い出す。

呆れた筆者は一個一個理詰めに反論していったところ、ついに小さい子がイヤイヤするみたいに仰向けになって「だってチェンライの田舎に帰ったら化粧品とか綺麗な服なんか買えないじゃないの!」と叫びながら足をバタバタさせた。この女・・ついに本性を現しやがった。

こいつはダメだ・・。涙も枯れ果てて性根まで完全にすれっからしになっていやがったんだ・・と気付いた筆者は一応75バーツの料金分の事を済ませるとヨーニカのもとから立ち去ろうとしたが、その瞬間ヨーニカは筆者の足をグッと掴んで「ねえ!聴いて!」と声を絞り出した。

あたしぃ!自由になりたいのぉ!もう一度4千バーツちょおだあいぃぃ!ともの凄い迫真の表情で言うが、なぜか片方の手は筆者が帰国後日本で新しく買ったウォークマンを握りしめている・・。でも当然ながら筆者はヨーニカの手を払いのけ、ウォークマンももぎ取ってさっさと冷気茶室を後にした。それ以来筆者は女の涙の告白は一切無視するようにしている。





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くせのものなんでしょうね。

一旦離れても、なにかもとの鞘に収まりたがる。ジャパユキのねーちゃんが、今でも、フィリピンの日式カラオケにでかけて、くつろいでいるのと同じなのかも。

7週間の旅なら、最初1週間位で新人を身請けして、6週間一緒に暮らした方が、効果的なのかも。

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