不思議な残務整理とコカ・コーラ

4日間に渡って731部隊に関する日記を書いてきたが、読まれた方の中には「こいつの祖父は中帰連じゃないか?」と思われた方もいるに違いない。これはソ連に拘束された後中国・撫順にあった収容所で共産党にすっかり洗脳され、涙にむせびながら有りもしない罪を騙りだすイカれた連中の集まりである。

残念ながら筆者の祖父は祖母たちとは違う列車ではあったもののソ連侵攻後に列車に乗って日本に帰って来たので収容所に入ることは無かったし赤旗を購読するようこともなかったので、731偽証説を何が何でも言い張りたい右派の期待には沿えないのが残念である。

さらにそれ以前に筆者が者心をついた頃には祖父は重度のアルコール依存症になっていて、家に遊びに行ってもいつも2階に籠って朝から酒ばかり飲んでいたので、正直会話らしい会話をした覚えが無いのだ。したがって731関連の話はすべて祖母から聞いたのである。





さて前の日記で「祖父は下っ端の総務係員だった」と書いたが、祖母や叔母たちが最後まで不思議に思っていた事があるので大して面白くは無いけれども書いてみたい。前述の通りソ連侵攻から1か月以内に祖父は日本に戻ってきていたのだが、家族の前に姿を現したのはそれから3年後なのである。

これは食糧難で逃げていたとか、別に女が居て駆け落ちしていたというわけではなく、ちゃんと復員扱い(正式に任務から解放されること)になっているので部隊の残務処理をしていたという事になるのだが、この残務処理というのがやけに引っかかるのである。

祖父は英語が出来る訳でもないし帳簿や算盤が得意なわけでもない下っ端隊員なのである。それが日本国内で部隊に関する何かをしていたわけだけれども、祖母や叔母たちは「元々部隊の事は何も話さない人だったけど、あの3年間の事は本当に何にも洩らさなかった」と言っていたのだ。





731関連の本を読めば、この時期はGHQ相手に戦犯訴追を免除してもらうために実験データをアメリカの医学部隊に引き渡していた頃だし、それに戦後の混乱期に起こった帝銀事件の様な不可解な事件に731部隊の隊員たちの関与が疑われていた頃でもあるのだ。

それから筆者の母親が祖父と3年ぶりの再会した時の思い出話のなかに、東京中央区の勝鬨橋(かちどきばし)で待ち合わせをした際に(どうもこの近辺に部隊の事務所があった様である)、当時大変珍しかったコカ・コーラを何本も手に抱えていて「これ美味いから飲んでみろ!」と勧めたのだそうだ。

謎の残務処理とコカ・コーラ、そしてこの近辺にある終戦直後GHQに接収された大変有名な病院とそこにあったとされる米軍医学情報班・・。この繋がりは単なる筆者の想像だから歴史的事実かどうかは不明だが、祖父がなぜ最後まで一言も話さなかったのかを考えると、なんとなく後ろ暗いモノを感じてしまう。






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