日本に押し寄せる香港人

香港人はフェイスブック好きで、筆者の友人たちもパーティーやレストランでの一幕をアップしては「最高!」とか「おいしかった!」などとコメントを入れているのだが、ここ半年ほどの彼らの行動をよく見てみたところ、ある奇妙な事に気が付いたのだ。

日本旅行が多い、いや正確に書くと日本にしか海外旅行に行っていないのである。こう聞くと「そりゃ日本企業勤務とか日本とビジネスの付き合いがある香港人だからだろう?」と思うだろうが、確かにそういう面はあるものの何度見直してみてもおかしいのだ。

数年前のページにはタイや中国・雲南省、台湾あたりの写真で占められているが、2~3年前から日本の写真がチラホラと増え始め、そして今年に入ってからは海外旅行先は全部日本の写真だけになっているのである。

例えば昨年末に札幌雪まつりの写真をアップしていたサンディーは先週には沖縄に出没し、那覇市内の九州ラーメンらしき店で麺を頬張っている写真がアップされていたし、金持ちの実業家リョン氏と奥さんは社員旅行と称して今年だけで4回大阪に来ているのである。

スキューバダイビング好きなキャットは日本の文字が書かれた船に乗り込んでいる写真をアップしたし、筆者の元秘書役だったカレンは今年5月に富士山付近から「この界隈の(?)美味い寿司屋を教えて」とピントのズレた電話をかけてきたし、代理店のマックスは(どういう理由か知らぬが)世田谷区桜新町近辺に頻繁に出没しているのだ。

この他にも海鮮丼を持ってニンマリ笑うジェニファーに、講師の指示のもと蕎麦打ちに励んでいるブランカとその友人一行、名古屋の熱田神宮でお祈りしてるクリスタル、それと大阪・新世界で熱燗を呑んでるキャロルと旦那などとにかく全てがすべて日本なのである。





それで何人かの友人に「最近日本に来るのが多いね!」と聞いてみたところ、全員が全員とも「今までいろんな国に行ったけれど日本が一番居心地が良いからね」と回答し、タイとかマレーシアには行かないのか?という質問には即座に「NO」と書いてきやがったのだ。

その昔日本の芸能人が海外で年末を過ごすのはハワイと相場が決まっていたが、どうやら香港人の間では急速に「日本で週末を過ごす」という雰囲気が広がっているようなのだが、何事もリアリストな筆者は正直こりゃちょっと困ったな・・と思えてきたのだ。

と言うのはこいつら日本に住み着こうとするからである。1997年の香港返還の前に数十万人の香港人がカナダやオーストラリアに移民したのと同じように、彼らにとって居住地を変えるとか国籍を変えるのは想像以上にハードルが低い事なのだ。

「こんなに居心地が良いんだったら住んじゃおうよ!」というのが香港人の感覚で、それに香港の住宅価格の高騰で現在所有している狭苦しいアパートにも1億円なんて値がついてるから「だったら家を売り払って日本にマンションでも買うか!」と言い出しかねないのだ。

日本の永住ビザ条件がどうなってるのかは筆者が知らないけれど、仮に5千万円くらい投資すれば永住できます!なんて法律が出来ようものなら、筆者の感覚だと多分香港人だけで10万人、中国の政治圧力が強まればその倍から3倍くらい平気で居ついてしまうのではないだろうか。

「昨年訪れた大阪が余りに素晴らしかったから、今年も行こうと思うの」と筆者が妹のように可愛がっていたキャンディーがメッセージを送ってきたが、その後ビザ関係の質問がいくつか入っているのを見た時に筆者は複雑な思いになってしまったのである。それでキャンディーからの問い合わせには未だに返事しないままでいる。






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教会を壊す男

フィリピンじゃめったに教会に行かない女房も異国にいれば信仰心が増すらしく日本滞在中にはしょっちゅうカミサに参加していた。2か月いた京都では2週間に一回開かれる河原町教会の英語ミサに参加し、松山や広島、函館と言った訪問地でも週末には欠かさずカトリック教会に出向いていたのである。

その中に日本の北の方の教会があった。差しさわりがあるから具体的な場所は書かないが、ある日曜日にその町にある教会へ入ると、過疎化が進んでいる町だけに参加者は日本の老人ばかりだったのだが、礼拝堂の端っこの方にフィリピン人らしき女性が数人座っているのを見つけたのだ。

後で話しかけてみるわ!と女房が言うので黙ってミサを見守っていたのだが、伊武雅刀に似た信徒会の幹事らしき男性が壇上に進み出て「このあと各部会の方たちはそれぞれ集まって今回の議題について話し合ってください!結論は私に報告するように!」と言ったのである。何となく険悪な空気があたりに漂っていた。

教会に入口で目についた張り紙には「信徒数の減少に伴い他の教会との併合することに・・」云々の事が書かれていた。過疎化に高齢化が進めば数年後に行き詰まるのは確実・・。なるほど教会も民間企業と同じなんだな・・と妙に納得していたのだ。

ところがミサを終えて帰途に就こうとすると幹事役らしき伊武雅刀が筆者に近づいてきて「あなたの顔は初めて見ましたね」と声をかけてきたのだ。いやいや妻がフィリピン人なので‥などと説明をしたところ、この教会にも日本人と結婚したフィリピン人が来るんですよ・・と説明したのだ。





へえ、そうなんですか!と適当に相槌を打っていると、そこで伊武雅刀が「どうです?ちょっとお茶でも飲みませんか?」と言ったのだが、その瞬間に筆者は「えっ?」と思ったのだ。なぜなら少ないとは言え百数十人の信徒たちは各部会に分かれて将来の方向性について現在議論を始めたばかりであり、幹事役はその仕切りをする必要があるはずだからだ。

いえ、自分たちは午後の飛行機でこの町を出ますので・・と申し出を断ると(実際そうだった)、伊武雅刀は残念そうな顔をしたのだが、その顔つきにも何となく薄気味悪さを感じたのだ。通常ごくごく普通の宗教のリーダーはシンプルで快活な人間が多いのだが、この伊武雅刀はいくつもの隠れた小部屋を抱えた一筋縄で行かない人間に思えたからである。

気まずい雰囲気のさなかに女房が筆者を呼び止めたので振り返ると、そこにはフィリピン人の女性3人がいて、今から彼女らと話をするの!と言うから近くのファミレスへ向かったのだが、筆者が先ほどの伊武雅刀のなんとなく嫌な感じを伝えると、女性3人はしばらく沈黙していたが、女房に対してタガログ語で話し始めたのだ。

筆者は空港の待合室で説明を聞いたのでその場で詳しくは聞けなかったのだが、この伊武雅刀は他所からやって来たのにたった数年で幹事役に就任し、そして他の教区との合併を強行に進めているそうなのだが、彼はカトリックの信者ではない!韓国人だ!と現地在住のフィリピン人女性は言ったというのである。

ただ間接的に聞いたニュアンスだから正確かどうかは自信がないが、カトリックのふりをした他の宗教の信者の韓国人!と言う捻じれた話なのである。それで昔からの信徒たちは伊武雅刀の進める他の教区との合併に相当戸惑っていて、反対の意向を示したため各部会で話し会い・・みたいな日本人的抵抗を試みているらしい。





こう聞くと荒唐無稽な話、あるいは韓国人は何でそんな意味のない事をやってるんだ!と笑うかもしれない。しかし冷静に考えてみれば実は恐ろしい事態が進行しているのではないか‥と思えてきたのだ。だって日本のキリスト教、それもカトリック教会という世界に対して最も発言力のある教団が過疎の進む末端から韓国人に侵食されているのだ。

例えば仮に民進党の蓮舫が台湾人ではなくカトリックの韓国人二重国籍者だったらどうだろう。政治家としての資格云々を敵対政党が攻撃した時に日本カトリック教会が「日本人はキリスト教徒を弾圧している!」「キリスト教徒の政治参加を拒んでいる!」と公式表明を出したら一体どうなるのだろうか?

その場合主戦場は日本国内ではなく海外になるのである。だから日本の憲法の規定がどうのこうの!なんてミクロな話は払拭されてしまい「日本=弾圧者=悪」のイメージが世界的に喧伝されてしまうのだ。日本じゃマイノリティーだからキリスト教徒はついつい忘れがちだが、彼らの世界への発言力はホワイトハウス以上である。

それと気になるのは伊武雅刀は実はカトリックではない!という話だ。これには筆者は思い当たる筋があって、これはずいぶん前に日記に書いたのだが、プロテスタントの最大会派であるペンテコステ派(福音派)の一部が近年韓国の汝矣島福音教会に乗っ取られてしまい、米韓両国を起源とする反日運動本部として機能しているらしい。

だからこんな田舎町で大きな教会との統廃合を進める韓国人がいるのを「バカじゃないの!」と笑ってはいられないのは、グローバルな見方をすれば伊武雅刀は大きな計画の一部としてそれを着実に実践しているからである。住民からも見捨てられつつある僻地の町が悪意を持った異民族に侵食されている・・。この現実はあまりにも苦すぎるではないか。






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騒音コンペティション

3か月の旅から帰って来て一番困ったのは騒音である。筆者の住んでいるアパートは目の前に大きな運送会社のトラックターミナルがあるのだが、なんとその敷地の一部がフィリピン風の屋台村(数軒のキッチンと共有座席150席くらいの飲食店)になっていたのだ。

スウィッシュ、スウィッシュ、ビッシュ♪
アナザー・ワン・イン・ザ・バスケット♫
キャント・タッチ・ディス♪
アナザー・ワン・イン・ザ・カスケット♬

ケイティー・ペリーのリズムと歌声は良いけれども問題はその音量だ。なんとかデシベルという単位で測ったわけでは無いが、イメージ的には50メートル先で選挙カーが「○○党の円より子をお願いします!」と叫び続けているのと同じくらいの音量なのだ。





うるせえな!こんな夜中に!と怒った住民たちはバランガイ・キャプテン(町内会長)を通じて屋台村の責任者に文句を入れたのだが、なんでも3日くらいは音量を少しは下げただけで再び元の騒音状態に戻ってしまい、それでまた抗議するとまた3日・・という状態が繰り返されて来たらしい。

スピーカーのすぐ近くに住んでいれば夜も寝れないだろうが、まあ筆者の部屋は騒音元からは離れているので窓を閉めればある程度シャットアウトできるのだ。それでバランガイ・キャプテンへの抗議グループには参加してなかったのだが、つい一昨日にシャレにならない状況になったのだ。

以前の日記にも書いたが、アパート裏のターミナルに出入りするトラックの中にカーステを大音量で垂れ流す輩がいるのだ。それも真夜中に2~3時間である。思うにこのドライバーはシャブ中で聴覚がマヒしてる様だが、ターミナル側も深夜勤務の連中は同じくラリパッパになっているらしく放置しているのである。





幸運にも筆者が帰国してからはこの壊れたドライバーはしばらく現れなかったのだが、それが一昨日ドンスカ♬ドンドン♪ドンドンスカ♬という重低音が近づいてくる窓のが聞こえたのだ。そのうるさい事うるさい事、これはカーステというよりスピーカーを車外に向かって取り付けた街宣車である。

で、困ったのはその直後に階下の屋台村がボリュームを最大にして対抗しやがったことで、深夜1時にも関わらず辺り一帯にドンスカ♬ドンドン♪ドンドンスカ♬の重低音と、テイラー・スイフトの伸びやかな声がこだましたのだが、そのうるさい事と言ったらガラス窓を締めきっても眠れたもんじゃないのである。

昨夜は例のドンスカ♬ドンドン♪ドンドンスカ♬トラックは来なかったので屋台村も音量を押さえていたが、これじゃ沖縄の極左団体デモに右翼の街宣車が突っ込むようなものである。と言う訳で筆者ら夫妻は一体いつ騒音抗争がおっぱじまるのかと戦々恐々としている・・。






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暗闇に放り出された駐在員

そのむかし宇宙に打ち上げられたら国が無くなってしまい、どこに帰還するのか判らないまま大気圏外を漂流し続けたソ連の宇宙ステーションがあったが、筆者が香港駐在時代に日本から派遣されている駐在員が同じような境遇に陥るのを何度か見たことがある。

香港の業界団体の懇親会で出会った山一証券のA君や中国語講座で机を並べたそごう百貨店のB君がそれで、つい先日まで「我が社は今こんなプロジェクトを!」などと鼻高々な表情で語っていたのが、ひとたび新聞に債務超過の話が流れ始めると沈痛な面持ちになり、破綻が決まった頃には表情よりも姿格好がだらしなくなっていった。

ただ両名とも元々は優秀だから、当然ながら競合他社からヘッドハンティングの話は来たし、破綻したとはいえ退職金はたんまり貰えるから、一時的なショックは相当なものの再起のチャンスに恵まれた訳だけれども、日本の会社とは言え底の底というのはあるのだなあ・・と呆れたのはC君のケースである。

国際的に展開している日本の流通企業と聞くと現在ならイオングループの名前が思い浮かぶが、筆者が80年代から90年代半ばにかけてその栄冠を享受していたのはヤオハンで、筆者が住んでいた香港でもホンハムやツェンワン、ラムティンといった住宅街にデン!と店を構えるヤオハンは連日多くの地元顧客で賑わっていた。

ヤオハンは90年代初頭に本社機能をタックスヘイブンである香港に移転し、会長自らビクトリア・ピークの豪邸に移り住んで采配を振るっていたのだが、この会長と一緒に管理部門の一員として来たのがC君で、筆者と彼はコーンヒルという香港島東部の住宅街にあるラーメン屋で週に1~2回顔を会わせては、その後Hなサウナやおさわりバーに流れ込む仲であった。

低賃金な会社ほど社員に犠牲的精神を求めるというが、このC君もその給料袋の薄さと反比例するかのような愛社精神の塊であり、さらに生長の家というヤオハンじゃこの信仰を持ってないと出世できないという宗教の信者に改宗してしまうほど身も心も会社に捧げた男であった(Hな店好きはさておいて、この点筆者はC君とは真逆である)。

しかし筆者と同年配の方ならご存じの通りヤオハンは上海の巨大商業施設の投資に失敗してしまい、筆者の記憶だと香港返還の時期に破綻してしまったのだが、C君が気の毒だったのはその時に帰国するのでも転職活動を開始するのでもなく、全店舗の閉鎖を取り仕切る残務処理部隊員に任命され、それを受諾してしまった事だ。

いくつかの店舗はイオングループに引き継がれたとは言え、契約金を払ったばかりのテナント主や取引先の怒りは凄まじく、その怒号を一身に受けたC君は会うたびになんだか落ち武者みたいな風体へと変化していったのだが、しかしC君は持ち前の愛社精神(実際は対象となる会社はもう無かったけど)と信仰心で何とか全てをやり遂げたのである。





しかし頑固なC君も信じていたものがすべて崩れ去る日がついにやって来たのだ。待ちに待った日本帰国の日に空港のイミグレを通過しようしたら係員から「ちょっと別室に来てください」と呼び止められたのである。何だろう‥と思いながら言われた通りついていくと、出てきた上役らしき人物から驚愕の事実を告げられたのだ。

あなたは所得税を払ってないから出国できません・・・。日本のヤオハンが目下倒産手続き中とはいえC君は正社員、それも会長直属のスタッフである。現地採用なら税務署で自ら手続きをするけど、普通どんな会社でも駐在員の所得税は国内勤務同様に支店の経理とか総務が手続きをするものである。だからこの話はC君にとって寝耳に水だったのだ。

ところがなんとヤオハンはその年どころか過去数年に渡って支払うべき所得税も払っていなかった事を知らされたのである。あまりの屈辱感と怒りにC君はすっかり赤面してしまったそうだが、手持ちの日本円(香港ドル貯金を日本円に変えていた)を再び香港ドルに交換して何とか出国は出来たものの、日本に帰ったらさらにとんでもないことを知ったのだ。

年金も払ってなかったのである。一応法律上では日本国内の住民票を抜いていれば国民年金の支払い義務は無いのだが、しかし最低でも厚生年金の積み立てはしていたはずだし、現に給与明細には社会保険料を差し引いた形になっていたのに、実は払ってなかった・・(と言うより騙し盗られていた)という事実を前に今まで積み上げてきたモノが完全に崩れ去ったのだそうだ。

それ本当なの?と数年後にC君と再会した折に何度も聞き返したのだが(筆者の理解だと会社の厚生年金基金があるはずである)、C君は出鱈目を言う人間ではないし、それに払ってない(正確には騙し盗られた)のは香港の税金と日本の年金だけでなく、香港赴任の最後の半年は給料さえも貰えなかったのだ・・と聞いてそれ以上の言葉が出なくなってしまった覚えがある。

まあ人間追い込まれれば平気で友人を騙すくらいうだから、会社だって最後は社員を食い散らかすものだけれども、こんな無責任極まりない会社のために粉骨砕身していたC君の純粋な姿を思い出すたびに気の毒に思えて仕方がないのだ。(なおC君は帰国してから転職を試みたものの、めぼしい所はずっと先に職探しをした元同僚たちに抑えられた後だった)。

さて何でこんな昔話を書いているのかと言うと、筆者といささか関係があった日本企業が経営再建のため巨額の追加支援を要請した由のニュースを見つけたからである。一応企業規模的には大手とは言え構造的に将来お先真っ暗だから筆者の古い知り合いの中から新たなC君が出てくるのでは・・と危惧しているのだ。

まあ寄り合い所帯とは言えヤオハンと違って企業倫理的にはまともな会社が集まっているから大丈夫とは思うが、しかし何かが壊れていく時は何処にも行き場のないヘドロ社員が最後まで残って最後の瞬間まで采配を振るうのが常、そんな状態で一番馬鹿を見るのはC君のような・・。旧友たちよ、早く酸素があるところへ逃げ出しましょうね。






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別々に開かれるバースデーパーティー

フィリピン人は大家族主義であり、誰かの誕生会となると爺ちゃん婆ちゃんから赤ん坊までが大勢で駆けつけて皆で祝うのが習わしなのだが、今週末の従弟ジャネルの30歳の誕生日はちと様相が違うのである。

同じ日に2つのパーティーが開かれるのだ。1つはジャネルと同居している母ピーナ(本当にこういう名である)と姉メイが共同主催する昼から始まるパーティーで、誰の目から見てもこれが本筋なのだが、これとは別にジャネルの兄ジェン主催の夜のパーティーが別の場所で始まるのだ。

なるほど昼の部は十数人いる子供たちが中心で、夜の方はオレら酒飲み大人向けか・・と筆者は勝手に解釈し、だったら俺は夜だけ参加するよ!とジェンの誘いに乗っかったのだが、本日ピーナ叔母から「日曜日は何時ころに来れるの?」と連絡が入ってきたのに驚いてしまった。

「いや、オレは夜の部に出るってアンタの息子に答えているけど・・」と答えると、受話器の向こうからはしばし「・・・・」な沈黙が続いた後で「ワタシはその夜の部は知らない」「他に誰が出ることになっているのか?」と聞こえてきたのには参ってしまった。

ちょっとしてまだ争いは続いてやがったのか・・。あのジェンの馬鹿野郎め!秘密でやるなら最初から言えよな!と思ったがもう遅い。結局筆者はピーナ叔母から愚痴を聞かされた上に(かなり長かった)昼の部の方も参加を約束させられたのである。

ややこしくて恐縮だが、事の始まりはジャネル・ジェン兄弟の実妹メイがシャブに手を出す、奔放な男遊びで誰が父親だかわからない子供を産むなど軌道から大きくズレちゃったからで、1年ほど前に「お前みたいなクズはもはや妹でも何でもないわ!とジェンが面と向かって三下り半を叩きつけたのだ。

ところがこのジェンに態度に対し実母ピーナが爆発し「実の妹と縁切りするとは、アンタみたいな冷血漢は私の息子ではない!」と叫んだ事から罵りあいが始まってしまい、弟ジャネルとその場にいた従兄妹たちの執り成しも空しく分裂してしまったのである。

ただ二十年前にピーナ叔母と元夫ジェン叔父さん(三兄弟の実父)は骨肉の争いを経て離婚したし、このエド叔父さんとジェンも2年前に冷戦状態に入っているから何も今始まったわけでは無いのだが、まるでこれは相続人の一人が創価学会員のせいで葬式を別々にやらざるをえない困った家庭のようだ。

こうなると筆者は関係したくないのでとりあえず今週日曜日は当日すっぽかすが、一見仲が良さそうな一家にも実はいろんな対決軸が内部にあって、ちょっとしたことで旧ユーゴスラビアのような内戦状態に陥る危険性を秘めていること改めて思い知った一日であった。






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クリスマスを祝わないキリスト教徒

女房の幼馴染アイリンが娘を連れて我が家に来た。買い物の帰りがてらどうも交通渋滞を避ける一時避難所代わりに使う気のようだが、筆者も10年前にアイリンが香港で出稼ぎ家政婦をして時からの付き合いだからむろん拒む理由もない。結局我が家で夕食をとる事になったのだ。

さて話題は先週土曜日のフィエスタ(聖母マリアを祝う祭。この時期マニラなど都会に出ている人間は里帰りする習わしであり、筆者の女房も帰郷していた)になったのだが、アンタはまたウチの女房らと一緒に夜遅くまで話し込んでたのか?と聞いたところ、いいえ私は誰とも会ってないのよ!と変な返事をしたのだ。

でも、お前らいつも駄弁ってるじゃんか・・と不思議に思ったのだが、それを察したのか女房が「アイリンはグレンシアだからフィエスタは祝わないのよ!」と横から口出した。グレンシアとはイグレシアス・ニ・クリスト(略称ING)というプロテスタント系の宗教団体で、日本だと創価学会に相当する規模と政治力があると考えていただけば良いだろう。

「フィエスタはカトリックの祭礼だから私たちは関係ないの」とアイリンは真っすぐ目を見据えて筆者に説明したのだが、だけどカトリックであれ正教、プロテスタントであろうとも二千年前にナザレで生まれたイエス・キリストを源とするんだから参加してもいいんじゃないのか?と聞いたらキッパリと「NO!」と答えたのだ。





筆者は特定の宗教は持っておらず、三位一体論なんか議論するだけの知識も持ち合わせてないから、この場でアイリンと議論する気はない。それで話題を変えてお互い家族の話をしていたのだが、インドネシアに出稼ぎに出ているアイリンの旦那に話が移ったところで「クリスマスには帰ってくるのか?」と聞いたらところ、なんか意地になった表情で「私の家族はクリスマスも祝わない」と答えたのだ。

は・・?クリスマスを祝わないだと?だけどアンタの教会はキリスト教系じゃないのか?と聞いたら「そうだ」と答えたのには????になってしまう。でもその後アイリンは何を思ったのかグレンシアのイベントの話をし始めたのだが、なんとクリスマスだけでなくホーリーウィーク(イースター、復活祭)も祝わない、と聞いて何が何だか分からなくなってしまったのだ。

いや、祝いだけならまだしも、アユーノとかいうラマダンみたいなお祈り期間がある事や、動物の血は一切口にしない戒律、宗派違いの人間とは結婚することは厳禁など、聞けば聞くほど「グレンシアってどっちかと言うとイスラム教徒あるいはユダヤ教の分派なんじゃないの・・」という違和感が脳内に広がっていく。

まあ世の中には事故に遭った息子の輸血を拒否して死なせてしまっても「息子は天国に行ったのだ!」と叫んでいる壊れたカルト信者もいるからグレンシアの事を奇異の目で見るべきではないのかもしれないが、しかしキリスト由来の祝い事を否定するなんて・・。やっぱこの教団って異端だよな。






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フィリピンで禁煙令が発布、だけど・・。

一昨日7月23日からフィリピン全土で禁煙令が発令され、公共施設や公共機関内では全面禁煙、また飲食店や商業施設では指定された場所以外での喫煙も制限され、違反した人間には初回は500ペソ、2回目は1000ペソといった段階別のペナルティーが課されることになったらしい。

法律の内容をよく見ると2007年に施行された香港の禁煙令によく似ていて、ある日以降暖かいオフィスから寒風が吹く屋外へとタバコを吸いに行かねばならなくなった自分自身の苦労を思い出したが、しかし筆者は5年前にタバコから卒業しているからフィリピンの禁煙令ではもはや何の被害も無い。

それにレストランの隣の席でスパ~と無神経に煙をふかしている輩が居なくなるのは望ましいけれど、しかし保健相(DOH)のお役人らしき男がしたり顔で「肺がんを激減させるため・・」と話しているのを聞いたときには「そんなら他にもっと禁止すべきことがあるだろうに・・」と呆れてしまったのだ。

排気ガスである。マニラ首都圏のオフィス街や高級住宅街じゃトヨタや三菱あたりの低排ガス車しか走ってないから気にならないかもしれないが、筆者の住むパッシグ下町とそれ以下の所得レベル地域、つまりフィリピン国土の98%は煙を濛々と吐き出す粗悪な車両、ジープニーにトライシクル、それと古いトラックで溢れかえっているのである。





これらの車がそばを通ろうものならゲホ!ゲハ!ウゲ!と咽てしまうほどの酷さで、フィリピン政府も一応は段階的に毒ガス車両の登録を廃止していく方針を出しているものの、そこは運転手のストライキとか代替交通手段が無いとかの理由で大気汚染が今後どう改善していくのかさっぱり見えないのだ。

タバコなら吸っている人間から離れれば良いだけだが、道路で車待ちしている時なんか排気ガスから逃れることは不可能である。だから国民の健康を考えるのなら禁煙令よりもまずは排ガス規制の徹底、それも煙モウモウの車両を発見したら即逮捕くらい厳しい法律を発令すべきなのだ。

もちろんタバコと排気ガスは別問題だが、日本でも香港でもタイでも国民の肺を汚染から守るにはタバコよりもまずは排ガス規制が先!という前提で法整備していったのに、フィリピンの場合は順番が逆なのである。それに厳しい禁煙令を発令したことで「どうだ!俺たちは進歩的だろう!」とどや顔しているだけの底の浅さが透けて見えるのだ。

「これで肺がんに怯える人たちの・・」とニュース番組で今回の法律をヨイショするバカ女司会者。一応ジャーナリストの端くれなら実は煙草と肺がんの相関関係には疑問点が多く、むしろ排ガスやアスファルト粉塵など車が原因となるケースが意外に多い事も付け加えろよ!と思ったが・・・。まあ無理だろうな。






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死神が訪れる季節

3か月ぶりにフィリピンに戻ってきて周囲の人間の安否を確認したところ、やはりかなりの人間が壊れていた。女房の親友ジュリーの母親と義妹の親友マアンの父親が脳卒中で倒れて死に、従弟ラフィーの姉が原因不明の感染症で目下この世とあの世の間を行き来していたのである。

それと従弟ジェンの義母もなんと4月下旬に心臓発作でSaint Luke病院に担ぎ込まれ、集中治療を受けて何とか命をつなぎとめたものの治療費を50万ペソも請求されてしまい、しかもいつまた心臓がバクバクしだすか判らない状況が続いているらしい。全ての原因はもちろん暑さである。

若い自分にインドやタイをほっつき歩き、香港に20年近く住んだ筆者でさえフィリピンの4~6月の暑さというのはハンパなものじゃなく、3年前には片耳が常にキーン!と鳴ったままの続けた状態が続き、2年前は夜中に窒息死するんじゃないか・・と思うほど肺活量が縮んでしまったのだ。

この季節にフィリピンにいたら死ぬ!と危惧した筆者はここ3年連続で日本に滞在しているのだけれど、こうして帰ってみればやっぱりこの季節の健康悪化というのは尋常じゃなく、まったくこんな国に移住したことは失敗だったわい・・と我が目の見通しの悪さを嘆いているのである。

3年前の祖母に2年前のボウイ叔父と女房の親戚二人があの世へと旅だったのもこの季節であり、昨年は幸運なことに誰も死ななかったのだが、今年も何とか無事に終わるのかな・・と思っていたら(健康とは関係ないけれども)エスター叔母の家が全焼してしまったのだ。付け加えるがこの時期は同時に火災が頻発するのだ。

そしてつい先ほど「ついにその時が来たか・・」という事態が発覚した。リサール州の奥地に住む義父が体調不良を訴えていたので女房が病院に連れて行ったところ、なんとCOPD(肺気腫)と診断されたのである。ここ2~3か月ほど息苦しさを訴えていたが、暑さのせいと高を括っていたら最悪の結果が判明したのだ。

義父の様態については詳しい情報がまだ入ってないので後日別の日記にするが、しかし本当にこの季節は本当に死神の季節である。フィリピン在住者の方はこんなこととっくにご存じだろうけど、これから移住を考えておられる方は4~6月は運の巡りが急速に悪くなる事を十分肝に命じておいてほしい。






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日本に研修に来た未来のリーダー

京都に滞在していた5月のある日、女房が「同じ町の出身者から突然日本のKARASAKIにいる!と連絡が入ったの。今日会いたいんだけど?」と言い出した。へえ、リサール州のあの田舎町の出身者が日本旅行ねえ・・。そりゃ構わんがKARASAKIってどこだ?と調べたら、琵琶湖の東側、ソープランドで有名な雄琴より手前に唐崎という駅があるのを見つけた。

「日本政府に招待されまして。7月上旬まで研修を受ける予定なんですよ」とにこやかに話すディンド。彼は三十代半ばの男性で、女房の故郷のバランガイ(フィリピンの最低行政単位で日本なら村あたりに相当)のキャプテンを10年以上勤めた後、現在は州(もう二つ大きい行政単位で日本なら県)の上から数えて一桁くらいの立場にいるそうなのだが・・。それが何で日本に?とさっぱり解せなかった。

日本と違って外国の自治体や企業は中長期の研修には結構熱心だからフィリピンが同じ事をしてもおかしくは無いのだが、それが日本、それも全国市町村国際文化研修所(JIAM)なる全然聞いたこともない施設に送り込まれて教育を受けている・・という事が筆者の理解の外にあったのである。

ブラジルやメキシコからも生徒が来てるんだけど、フィリピンからは僕とベンゲット州の女性の二人が選ばれたんだ!というディンドに「一体アンタらは何を学んでいるのか?」と聞いたら、地方行政や福祉サービスなど実践的なレクチャーなのだという。ちなみに講師は自分たちと同じ日本人公務員だそうである。





そう聞いても「あんなダメな公務員が他国の人間を教えられるのか?」と皆さん疑問に思うだろうが(筆者もそうなんだけど・・)、目の前にいる人に「そりゃアンタ無駄な勉強しているね」と言う訳にも行かないから黙って聞いていたのだが、しかしディンドの話だと同級生たちには大変好評だと言うのである。

ディンドからは案の定学業のレベルの高さについては話が全然出てこなかったけれど、日本の社会資本の整備の高さと清潔さ、治安の良さ、それと人々の礼儀高さはまさに驚嘆すべきもので、授業の合間には同級生たちと「いやー!この国にこのまま居続けたいね!」と会話を交わすなど急速に親日派が醸成されているそうなのだ。

へえ、そうなの・・と納得する筆者。第二次大戦後の冷戦期にアメリカは膨大な西側諸国の人間をニューヨークやグランド・キャニオン、NASAの施設に招待して自国の優位性のアピールに勤めてきたが(同時期にソ連と中国も同じことをやっていた)、それに比べるとスケールは遥かに小さいものの日本も同じことをしていた・・と聞いて安心したのである。

と、ここまでは良かったのだが、しかしディンドの話では唐崎というのはとんでもない田舎であり、周りに何にもないから敷設の食堂でメシを食った後はみんな部屋に戻ってゲームするくらいしかやる事が無いのだ・・と聞いてため息が出てしまった。(実際はJR湖西線に乗れば15分で京都、1時間で大阪まで出て来られるのだが、やはりというか電車は外国人にとってはハードルが高いらしい)





それを聞いたときに「こういうところが日本がダメなんだ!」と舌打ちしてしまった。教育みたいな立派なことにはカネはかけるが、対象者の食事や娯楽の範囲になると突然ケチ根性、あるいは日本人特有の製品さが頭をもたげてしまうのである。実際筆者のいた会社でも日本での研修後の味気無さについては不評だったが、ディンドらは将来のリーダーにcであり日本政府にとっては親日派の育成というもっと重要な目的があるではないか。

日本の学位は海外では通用しないし、プラグマティズム大国アメリカの大学並みの教育は期待出来ないんだから、だったら3か月とか半年の短期研修に絞り、かつ場所もせめて市内にある京都大学とか、或いは東京・秋葉原や大阪・道頓堀といった観光スポットに場所を借り、毎日5千円渡して夕食くらい自分たちの好きなものを食わせるべきであろう。

私は○○国が好きでしてね!という人の話に耳を傾けると、たいていは行きつけのカフェやレストラン、毎日顔を会わせる新聞売りのオバちゃんに店先で寝ているネコといった何気ない日常の記憶と強く結びついているものである。だから外国人を受け入れる側としてはそういう演出をするのが大事なのに、残念ながら日本のお役人はそこまで気が回らないらしい。

ありがとう!久しぶりに美味い料理を食べたよ!と河原町通のごく普通のイタリア料理を称賛するディンド。もちろんお世辞だろうが、帰りにコンビニでドーナツやサンドイッチをビックリするほど買っていったところを見ると、滞在先の寮の食堂は相当口に合わないようだ。親日派を醸成するならまずはこういう点から気を回さないとね。






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不味いウィスキーが蔓延する国

一週間ほど前にエド叔父さんと義弟アベット、それと義弟の友人の3人が我が家に来たので、成田の免税店で買ったシーバス・リーガルを供したところ、これが余りにも美味いので全員ビックリしてしまった。香りのすばらしさ、豊潤さ、のど越しのまろやかさ、そして酔いの心地良さのいずれもが普段飲んでるウィスキーとは格段に違うのだ。

「これは30年モノか?」という義弟に「いや、シーバスの中では一番安い12年モノだ」と答えると一同「そんなことは無い!」と言い始る。確かに同じ12年でも筆者がいつも買ってくるジョニーウォーカー・ブラックラベル(ジョニ黒)とは明らかにレベルが違うのだから、彼らが疑うのも無理はない。実際いくら飲んでも悪酔いしないのだ。

昨年のクリスマスにはジョニ黒1リットルボトルを呑んだのだが、4人で1本空けたあたりで急に悪酔いし始め、そのまま寝ころんだら翌朝になっていた経験があるのだが、その時は「俺も随分と酒に弱くなったもんだな」とわが身を嘆いたのだ。まあ齢五十になったし中性脂肪やコルステロールに尿酸値とどれもが基準外なのだからある意味自業自得である。

ところが日本でニッカの余市を一人呑みしたときは700mlボトルを半分呑んでもシラフのままでいるのに驚いてしまい、そして日本の免税店で買ったシーバスも一人当たりボトル半分呑んでも心地良い酔いにかな~り上機嫌でいるのだ。つまり筆者の肝臓は別段弱くなったわけではないのだ。

「ジョニーウォーカーがダメなんじゃないか!」と言うエド叔父さん。確かにSMとかロビンソン、ピュアゴールドなんて大手チェーン店だとジョニ黒1リットル瓶で999ペソ(2200円)なんてやけに安く売られているから、前から「変だなぁ」と思っていたのである。

ウィスキー好きな芸人タモリの話だと、蒸留酒とはいえ樽によって出来上がりの良し悪しのバラツキあるそうだし、輸出先の法律に合わせて防腐剤や添加物を増やす会社もあるそうだから、おそらくジョニーウォーカー社は一番ダメなグレードの品をフィリピンに回しているんじゃないか・・と思えてきたのである。





それとサントリーに勤めていた大学の先輩によると、80年代か90年初頭に代理店契約を結んだアイルランドかどこかのウィスキーが大手酒販店から突っ返されてしまったのだが、味見をしてみたら確かにこれが全部マズくてどうしようもない代物に・・。なんと真夏にコンテナ船で何十日もかけてインド洋を移送したために熱ですっかり変化してしまったのだそうだ。

「インド洋航路のコンテナの中はサウナみたいになってるよ」と船乗りだったアベットの友人が言うや、確かにあんな安い値で売られてるジョニ黒がまともな輸送方式で運ばれたはずも無いな・・と納得する酒飲み4人組。それで今後一切ジョニ黒はやめてシーバスに切り替えようじゃないか!と言うと「だったら今から一本買おうじゃないか!」とエド叔父さんが言い出した。

筆者が日本から運んだシーバスは700ml入りの2本で、この段階ですでに2本目のボトルの四分の一ほどしか残ってない状態だったのだが、我々4人は俄然元気のままで、多少酔いが回っているとは言えこのまま社交ダンスでも始めそうななほど意気揚々としていたのだ。

ところが・・。アベットの友人に近くのロビンソンまで買いに走らせたシーバス12年1500ペソ也(3300円)の封を開けたら・・、「これはまったく別種の液体です」と名乗っているかのような粗悪な味が口の中に広がりはじめ、一同「ん?」と顔を見合わせてしまったのである。

まあオレたちゃ十分酔ってるからな!とお互い慰めあって本日3本目のシーバスを呑み続けたのだが、次第に口数が少なくなっていき、15分後にはエド叔父さんが「酔いが回ったので横になるよ」と場を辞してしまい、残り3人も胸やけがし始めてボトル半分残したままお開きになってしまったのである。

フィリピンじゃジョニー・ウォーカーだけでなくシーバスもダメだったのだ。となるとジャック・ダニエルやヘネシーなんかも全部同じなのだろうが、しかしこの味の違いって輸送時の熱による変化だけなんだろうか?と疑問に思えてきた。つまり粗悪な添加物どころかひょっとして全部ニセモノとかね・・。どなたか事情をご存知だったら教えていただきたい。






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ラ・ウニオンまでパスポート更新の旅

一昨日のこと、筆者ら夫妻は従弟ジャネルの運転する車で一路ラ・ウニオン州のサンフェルナンド市へと向かった。出発したのは朝7時前で、グーグルマップによると片道5時間弱の旅のはずなのだが、実際に到着したのは予約時間の10分前である午後3時50分、実に9時間の旅となってしまった。

一体どうしてこんな北方の僻地まで来たのか?というと、それはこの地にあるフィリピン外務省パスポート発行オフィス(DFA)でパスポート更新手続きをするからで、たとえばアナタのフィリピン人奥方が「あら!パスポートが切れちゃうわ!」と本日7月20日に気が付いた場合、最短の予約(書類等を用意して窓口に更新申請する日)がいつになるか・・と言うと、

マニラ首都圏 10月11日午前8時
アンヘレス  10月12日午前9時半
バギオ    9月25日正午
セブ     10月30日まで空き無し、それ以降も一切見通し立たず
ダバオ    9月4日10時

になってしまうのだ・・。いかがだろう?これロスに住んでいる実母が緊急入院してしまった!なんてケースでは死に目に会う事は100%諦めたほうが良さそうな混雑ぶりである。そして女房もまさかこんな状況だとは知らずに悠長にしていたからすっかり慌ててしまったわけで、結局6月末の段階で陸路で行ける地域内で一番空いていたラ・ウニオンのDFA事務所に予約を入れたのだ。





さて女房は午後4時の組に予約を入れていたのだが、DFA事務所外の廊下に設けられたボックスには午後3時の組の連中があふれていて、思った通り作業遅れのためしばらく待てと言われてしまった。それでヒマなのでラ・ウニオンまでついてきた従妹フィリンと一緒に廊下で時間をつぶしていたのだが、同じ4時組の人達と話すと実に9割の人間は筆者ら同様マニラ首都圏の在住者である。

しかしそれにしても遅い・・。1つの組は50人くらいのユニットになっていて、ガラス越しに見える空港のチェックインカウンター風の窓口は6つあるから、仮に1人5分かかるとしても1時間に72人捌けるはず・・。ところが大人数がどんどん後へ後へとずれ込んでいるという事は、なんか中では非常に難しい作業をしているのでは?と思えてきたのだ。

「過去のデータと照合してるのかしら?」「いや、奥の部屋で面接でもしてるんじゃないか?」と話し合う筆者と従妹フィリン。やがて女房ら午後4時予約組が1時間遅れでついにDFA事務所内へと入ったのだが、ここからがまた長いらしくて、待合ボックスを警備している職員が「1時間以上かかるからアンタら下のカフェテリアに行ったほうが良いぞ」と忠告してきた。

それで従妹フィリン、従弟ジャネル、それとエド叔父さんと一緒にカフェテリアへと行き、今回女房が用意した①古いパスポート、②出生証明書(Birth Certificate)、③結婚証明書(Marriage Contract)、④無犯罪証明書(NBI国家警察発行)、⑤TINカード(BIR国家歳入庁発行)、⑥パスポート更新申請書、それと⑦予約回答のゼロックスコピー、など話をしたのだが、そこでジャネルが気になる事を言い出したのだ。





各証明書&書類に記載された住所に違いがあるのはマズいんじゃないか‥と言うのである。これは筆者ら夫妻は移住当初はリサール州タイタイ市に住んでいて、その後マニラ首都圏のパッシグ市に引っ越したという証明書発行時の住処の違い、というよりも住所変更手続きをしていない事が原因なのだが、「それは多分申請拒否されるんじゃないかな・・」と言うのである。

なんでも3年前サウジアラビアに出稼ぎに行った際に書類上の住所の違いでさんざんトラブった経験があるらしい。「フィリピン外務省(DFA)というのは役所の中で最も書類の適合性に拘るんだよ・・」と力説するジャネルの顔の表情にはかなり説得力があったが、だけどそれほど住所にこだわるのだったらマニラ首都圏民のパスポート更新をこんな北部の地方都市で受け入れてること自体なんか変じゃないか・・。

しかし筆者だってこれまでフィリピン行政システムのダメさをさんざん見てきたから、こりゃ今回はすごすご退散することになるかな・・と覚悟をしたが(次回最短の予約が取れるのはパラワン島のプエルト・プリンセサであることを確認した)、そこへ女房から「今終わったわよ!」という電話が入った。時刻は午後6時。予定からちょうど1時間遅れである。

で、一体どんな手続きをしたんだ?とカフェテリアに降りてきた女房に聞いたら、「いや、特に変わったことは無いんだけど・・」と言って説明し始める女房。なんでも最初に前述の①から⑦の書類やカードの記載漏れがないかの「書類チェック」があり、そのあと「写真撮影」と「指紋押捺(スキャナー)」、それと「サイン登録」の4つだったのだそうだ。





「住所の違いでなんか言われなかった?」と聞いたが、別になんにも言われないし、というかそれ以前に気にも留めてない様子だったわよ・・という女房。なんだよ!ジャネルの野郎め!脅かしやがって!と思ったが、しかし女房の言った「書類チェック」から「サイン」までの作業を脳内で反芻しているうちに・・・、たったそれだけ?という違和感が強まっていったのだ。

そんな簡単な作業のためだけにフィリピン人はパスポート更新をこんなに長く待っているのか?。これがパスポート本体の素材が非常に特殊な上に製造設備がぶっ壊れてしまったとか言うならまだ理解できるけれども、大学生のアルバイトでも出来そうな簡単な作業がボトルネック化しているからである・・というのは全然解せないではないか。

もしくは機密上の理由から外部の人間は臨時には雇えない!とDFAが言い張ったとしても、なら比較的空いてる地方事務所の専門職員をマニラやセブに長期出張させて混雑解消を図れば良いではないか!と筆者は怒ってきたのだが、残念ながらフィリピンのお役所には駅前のコンビニでもできる人事シフトの発想がハナから無いのが実情である。

なのでフィリピン人の奥方をお持ちの方は、年のために奥さんのパスポートの有効期限をチェックし、切り替え申請タイミングの3か月前になったら取り合えずDFAのウェブサイトで申請予約をしておくことをお勧めしたい。なおパスポート本体はDFAでの手続き後2週間と申請とは違って案外と早いタイミングで出来上がること(郵送可)も付け加えておく。






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臭い女は臭いオカズを好む

日曜日の昼下がり、自室で動画サイトを見ていたら廊下から変な臭いが漂ってきた。ちょっと筆者の稚拙な語彙ではうまく説明できないが、何かの発酵食品を質の悪い脂で炒めたようなイヤ~な臭いである。

おい!なんか変臭いぞ!とキッチンへと向かうと、そこにいたのオルティガスでOLをしている女房の姪イナで、食卓に座って何やら変な色をしたチャーハン状のモノを食い始めたところだったのである。

臭気はここから漂ってくる・・。そう確信した筆者は「オマエは何を食べてるのか?」と聞いたところ、えっ?日本料理だけど?と変なことを言い出した。バカも休み休み言え!こんな臭いがするメシが日本にあるか!と言い返したら、イナは冷蔵庫の扉を開いて中から目的の品を取り出したのだ。

それはカニみそだった。カニみその手巻き寿司が好きな女房が最後に滞在した横浜のデパートで何本か買い求めたのだが、イナはこのカニみそをオイスターソースか何かと一緒に混ぜてチャーハンを作ってやがったのだ。





以前の日記にも書いたが、イナは外見上はそこそこ美人なものの靴を脱ぐとあたり一帯にムワ~ンとした汚臭をまき散らす足臭女で、これはどうも足の裏が月のクレーター状に凸凹になる皮膚病が原因なようなのだが、こいつは足だけじゃなく食い物まで第三者を不快にさせる悪臭生物なのか!と唖然としてしまったのである。

こいつの食生活を思い返したら、アラマンとかバグオンという臭い発酵食品をご飯にかけたものが好きだとか、臭みの強い魚の干物、それに賞味期限の切れたウニのスパゲティソースを食って「前よりも美味しい!」と言うなど癖の強い、臭い食い物が好きだった事を思い出した。

そうか・・臭い女は臭いものが好きなんだな・・と今更ながら納得してしまう筆者。そう言えばアソコがあまりに臭くて思わず反吐を吐きそうになったジョセフィンも、初めて食べた日本料理の中では特にイカの塩辛を絶賛していたっけ・・。

そこで突然「イナのあそこも相当・・」という疑念が脳裏に浮かんだ。なるほど今まで何度か男を家に連れてきたけど、3か月も続かなかったのはそういう理由か・・と、臭気の漂うキッチンで変な色をしたチャーハンを美味そうに頬張るイナの姿を見るにつけ、筆者はその思いがますます強くなっていった。






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曰くつきのラーメン屋

以前の日記で「5年も未更新なのに何故かランキング上位にいる不思議なブログ」の事を書いたことがある。これは北海道在住の通称サムタなる人物がご自身の訪比記録を綴った「マニラPhotoバージン」というブログなのだが、この日記をアップしたところ翌日「これは曰くつきのブログだから近寄るな!」とのコメントを頂いてびっくりしたのだ。

曰くつき・・なんか事故物件みたいなすごいブログである。しかし意味がいまいち判じかねた筆者はこのサムタ氏について検索してみたところ・・・これがまあ凄いのだ。2チャンの海外掲示板や「寒汰物語」というウェブサイトに書き込まれた罵詈雑言の羅列に唖然としたのである。

筆者はフィリピンでは日本人との付き合いは一切避けているし、それにサムタ氏が出没するマラテ・パサイ地区には一切立ち寄らないので彼を取り巻く事情は全く把握してないのだが、一体全体この人はどうしてここまで迫害されるものなのか?と思うほどの彼の悪行が難渋何百ページにもわたって書き込まれているのだ(詳しくは寒汰物語を参照してほしい)。

で・・オカルトマニアで生来怖いもの好きの筆者はこのサムタ氏に会ってみるかな?と思ったのである。日本旅行の際に釧路平原を見たい!と女房が言っていたので、暇な時間を見つけてサムタ氏の営む釧路市内の海皇なるラーメン屋へと出向き、単なる客を装ってさりげなく会話を試みてみよう・・と思ったのである。

それで釧路到着のその日、昼寝している女房を残して駅前のホテルから歩いてサムタ氏のラーメン屋へと向かったのだが、地図上ではほんの近くにあるように見えたものの北海道の1ブロックというのは途轍もなく広いもので、結局小一時間もかかってやっと店のある愛国地区へとたどり着いたのだが、しかしそこで思わぬ不運に見舞われたのだ。

店の前に停めてあったレガシーがちょうどブオン!と音を立てて走り去ったところだったのだ。寒汰物語をくまなく読んだ筆者はサムタ氏がこの車に乗っていることを知っており、どうやら間が悪いことにちょうど行き違いになってしまったようである。時刻は午後5時。あたりには小雨が降り始めていた。

しょうがねえな・・。サムタ氏には会えないけどラーメンだけは食ってくか・・と思った筆者はとりあえず店の写真を撮ろうと通りの反対側からケータイのシャッターを切ったのだが、さて店のドアを開けると(客は誰もいなかった)四十代と思しき店のオバちゃんから「あなた今シャシン撮りましたよね!」と第一声をかけられたのだ。





へ?ええ撮りましたけど・・。それが何か?と答えたのだが、そのオバちゃん二人の表情を見たときに筆者は彼女らが尋常じゃない警戒モードにいることを悟ったのだ。ちょっと筆者のつたない文章力ではうまく伝えられないが、交番のポスターに張られた重要指名手配犯が店に入ってきたとの同じ恐怖の反応・・と思っていただくと良いと思う。

あなたは誰なんですか!何が目的なんですか!と目をカッと見開いて詰問するオバちゃん。しまったな・・、こりゃ相当疑心暗鬼になってるぞ・・、と心底この店に入ったことを後悔したが、しかしここで引き返すと後ろから追いかけられそうなので「訪れた店をフェイスブックにアップするのが趣味な東京人」と自己紹介したのである。

もちろんいったん高まった警戒モードは容易に落ちることはなく、オバちゃん二人が発するもの凄い重圧を受けながらまんじりともせずに出てきた豚骨ラーメンを食ったのだが、あの~気に障ったのなら謝りますが、ひょっとしてヤクザにでも脅されてるんですか?とのピントのズレた一言を言ったらオバちゃんの態度が微妙に変わった。

実はね・・と相変わらず表情は強張っているものの話を始めるオバちゃん。その話の節々から彼らはプライバシー侵害にさらされて重大な精神被害を受けている節が伺えたのだが、実はウェブサイトを隅から隅まで眺めたことで事情に通じている筆者はもちろん「そうですねえ」なんてことは言えるはずも無い・・。

競合他社の嫌がらせですか・・。うちの業界でも似たようなことが・・と相槌を言ったら、オバちゃんはカッと目を見開きながら「そうじゃないのよ!あたし達が直面しているのは・・」とだけ言って途中で言葉を詰まらす・・。その只ならぬ雰囲気に筆者はすっかりいたたまれなくなってしまったのだ。

まあ火のないところに煙は立たずという言葉がある通り、サムタ氏自身が叩かれるのは仕方ないのだろうが、しかし痰案る従業員のオバちゃんたちまでもがここまで被害妄想に悩まされてしまうとは・・。一体どんなことが起きているんだろう・・。

さて肝心のラーメンの味の方だが、食べログ等で徹底的にこき下ろされているのとは裏腹に出汁のしっかり感は幾分薄いものの案外と旨かったことを付け加えておく。よって釧路を訪れた際はこの店でラーメンを食うのは悪くはないと思うが、ただしくれぐれも店の写真を撮ってオバちゃんたちを深い疑念に陥れないようご注意を。






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肩書が多い男の死

高校時代の同級生で熊本に移住していたモリヤが死んだ・・という連絡が入った。今年春に手術を受けて1か月以上入院していたことは知っていたが、つい2か月ほど前に「仕事再開!」とフェイスブックに健在ぶりをアップしていたから、来年の日本旅行の際には九州までモリヤを訪ねにいくか・・と思っていた矢先の出来事である。

筆者とモリヤは東京都内の私大付属高校の同級生で、勉強せずともエスカレーター式に大学進学できるのを良いことに新宿のディスコやパブに風俗店で遊び歩いた仲だが、筆者を含む帰宅部の仲間たちと違いモリヤだけはなぜだかバトミントン部の活動を地道に続け、筆者の記憶ではインターハイどころか東京都大会でも勝った記憶が無いにも関わらず何故か主将に祭り上げられていたのだ。

モリヤはどう見ても青春スポ根ドラマに出てくる主人公よりも、コメディ「モンティパイソン」に登場するトラブルに見舞われ続ける冴えない中年男に様な風貌であり、、性格的にもリーダーというより付いてくる派だったから「バトミントン部はよほど人材が枯渇しているに違いない!」などと仲間たちと茶化していたのである。

ただ大学では学部が違ったことと、高校時代さんざん夜遊びしたことの反動から筆者は根暗系の映画サークルに入ったためモリヤら高校時代の仲間とは段々と疎遠になっていき、さらに地方の企業に就職してから香港に十数年もいだためモリヤとの縁は完全に切れていたのだが、それがつい5年前にフェイスブックで実に25年ぶりの再会を果たしたのだ。





モリヤが大手ゼネコンに入ったことは知っていたが、なんでも入社早々に配属された現場でいきなり目の前で死亡事故に出くわした上にその後処理を全部押し付けられたこと、小泉構造改革のまっさ中に予算削減に人切りのおかげで阿鼻叫喚状態だったあちこちのダム建設現場の所長を任されていたことなど聞いたときに思わず笑ってしまったのだ。

ら校内で喫煙してないのに他の生徒の代わりに体育教官にぶっ叩かれる、頭のおかしい通行人に絡まれる、中央線で泥酔客にゲロをひっかけられる、吉祥寺の本屋で万引き客に間違えられる・・。実際こういう訳の分からない事態に見舞われてマンジリともせずにいる運の悪い男というのがモリヤの持ち味だったからである。

40半ば過ぎてもモンティパイソンぶり相変わらずだな・・とPC画面上の彼を見ながらそう笑ったのだ。それで熊本でも様々なトラブルに見舞われてさぞかし大変な毎日をおくっているのだろう・・と想像したのだが(実際昨年の熊本地震でもモリヤ宅は甚大な被害にあったそうである)、しかし奴の肩書を見た筆者はちょっとビックリしてしまったのだ。

モリヤは数年前に独立し、資格を生かして自分の事務所を開いていたのだが、その責任者の他に業界団体の専務理事に内容不明な社団法人の事務局長、国会議員陳情団の事務局長、ロータリークラブのなんとかガバナー、そして大学同窓会の熊本県支部事務局長にマンション管理組合の理事長、それと託児所だか幼稚園の理事長といった肩書がずら~りと並んでいるのだ。





お前・・こんな役職ばかり押し付けられて寝る時間あるの?と聞いたところ、本人はそれに対して「大変なんだよ」とか「困ったもんだ」なんて気弱な発言をするわけでもなく、しかしその一方「頑張らなければいけないんだ」みたいな気負いも全然なくて、最近庭の雑草が伸び始めてね・・くらいの微感覚でいる様子だったのである。

モリヤにそんなマルチな才能、さらにリーダーシップがあるようには全然思えなかったのだが、しかし確かに高校時代の奴から「やってられないよ」みたいな弱音は一度も聞いたことがないし、コンパで飲みすぎてゲロ吐いてる奴の世話や集金係みたいな皆が面倒くさがる仕事を文句ひとつ言わずに淡々とこなしていたモリヤの姿を思い出したのだ。

そう、確かに大人数の旅行団の幹事や冠婚葬祭の仕切り、立ち上げ直後のベンチャー企業の総務部長や選挙運動の本部長みたいな面倒な仕事こそモリヤには打ってつけなのである。他人の世話を焼くことが宿命と自分自身に折り合いをつけていたのか、あるいは(おそらく筆者はこっちだと思うが)面倒という感覚が他の人間に比べると相当薄かいことが奴の多重肩書人生のキッカケになったのだと思う。

おそらくモリヤの周囲にいた人間は外見とは裏腹の奴の脅威の忍耐力および仕切り能力特に気が付き、前述のような事務局長的な仕事を本人の意思とは関係なくどしどしモリヤに回していったが、モリヤ自身は別段それが大変だとは感じておらず(微量もしくはゼロ)、したがって熊本市内のホテルで開催される団体懇親会の懐石ディナーを毎週3回食わされる事態になっても別段何とも思わなかったのではないかと思う。





モリヤもこの超感覚と体力をずっと持ってれば10年後には熊本県選出の衆議院議員、あるいは熊本市長、もしくは少なくとも自民党県会議員団幹事長か県連事務局長くらいにはなっていたのだろうが、しかし数か月前に病魔に侵されていた事が発覚したのだ。尚なんの病気なのかは筆者は知らないしもちろん聞く気もなかった。

「ありがとう。これからはあまり急がずにゆっくり行くよ」。モリヤがチャットにそう書いてきたときに「奴にもこういう気弱な感覚があったのか?」とちょっと驚いてしまったが、おそらく手術後の体力低下はあまりにも激しく、タフと言うか忙しさ感覚が欠如したモリヤも目の前に残った仕事をこなす事が出来なくなっていたのではないかと思う。

さてモリヤの葬儀は昨日熊本市内の寺院で執り行われる様なのだが、異国にいる筆者は当然そこへは出向くこともかなわぬから近くの教会で彼のために祈り、そして一杯のウィスキーを飲みながら彼への追悼の思いを込めてこの日記を書くことにしたのだ。文章が変なのはただいま酔っているからである。

さてさてモリヤよ、どうせあの世でもいろんな仕事を回されることになるだろうけど、着いた直後はゆっくり休めよな。それとオレもしばらくしたらオマエの所へ行くから、その時は悪いけど見守り役として面倒見てくれよ。あとあの世じゃ熊本日航ホテルじゃなく1984年の夏みたいに新宿のパブでまた一緒に飲み明かそうぜ。






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背骨が通ってない博物館

(前日からの続き)インドの不可触民や米ブラックパンサーが人間平等を謳うイスラム教に帰依したように、差別される人間が共産主義に走るのが常なのだが、こと水○社に関しては共産党ではなく近衛首相の大政翼賛会に馳せ参じて発展的解消をしているからだ。言うまでもなく近衛文麿はファシストであり共産主義者たちを投獄した側である。

そして最後は中国・半島目線な展示がやたらと多いことなのだ。水○社の年表に「ニセ満州国」という表現があったり、やたらと朝鮮の被差別民である白丁(ペクチョン)の権利保護団体との繋がりを強調しているのだ。大日本帝国に併合された可哀想な人々に手を差し伸べたのかはどうにせよ、大政翼賛会の一翼を担った団体が旧満州国を表するのに「ニセ満州」とは無いだろう。

○○問題と聞くと人は敬虔な気持ちになるものだが、残念ながらこの博物館を見れば見るほど底の浅さが透けて見えてくるのである。これが共産党と組んで地下活動を戦い抜き、投獄され何人もが獄中死したのなら筆者も彼らの運動に骨太な歴史を感じるのだが、ここではむしろ後出しジャンケン的な小狡さが透けて見えたのだ。

もちろん謂れなき差別なんてのは言語道断だし、長い歴史の中で蔑まれてきたことへの深い怨念、苦しみには筆者も同情するけれども、水○社運動が貧困や社会革命運動とは逆のファシズム体制内改革を指向してきたと言う事実を、戦争に負けたら無かったことにするとは幾ら何でも如何なものだろう。

もしくは後継団体の○○解放同盟が「戦前の水○社運動は方法論として間違いだった」「社会主義的エッセンスが欠けていた」と批判をし、我々と水○社の両団体には歴史的継続性が無い!と明言しているのならば納得出来るのだが、筆者のつたない知識内で判断する限りなんかそこら辺は随分と曖昧にしているとしか思えないのだ。

広島や長崎の原爆資料館にせよ、この水平社博物館にせよ、昨今は在日や中国ら外国勢力の浸透によって運動自体が歪められてしまい、この連中のイデオローグに合致するよう主張をいじってしまった結果、実態とはほど遠いオール左翼まぜごはん的な空虚さが目立つ展示になってしまったらしい。

「訪問者の減少により最寄りの駅をつなぐバスが減便してしまい・・」といった説明がウェブサイトに書かれていたが、本当にリアリティのある博物館なら館内はごった返しているはずである。話し方に勢いはあっても内容自体にはほころびが目立つ上部団体をそのまま反映したような残念な博物館をなってしまったようだ。






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閑散とした博物館

新入社員のころ同僚の女性から小説「橋のない川」を薦められた筆者はこの大河小説を読破したのだが、今回関西を訪れた機会に小説の舞台となった水○社発祥の地、奈良県橿原市を訪れることにした。目的はもちろん水○社博物館を見学する事である。

今までこの日記で反日運動の根源は在日と○○の二つである!と何度も書いて来たように、筆者は彼らについて正直斜め視線で見ているのだが、東京出身の筆者には○○問題というのはあまりピンとこないし、それに今まで向こう側の言い分というのをちゃんと聞いたことがない。

それで一時間に一本しか通っていない電車に乗って掖上(わきがみ)という無人駅に降りたち、そこからコンビニひとつない田舎道を15分ほど歩いてやっとこさ目的地へとたどり着いたのだが、ネットに書かれていた様にこの博物館はあまりにも閑散としていて、一時間半滞在した最中にも筆者以外ただの一人も訪問者が来なかったのだ。

さてこの博物館は名前の通り戦前に政府主導系の中央○○会(自由○○会の前身団体)と並ぶ二大人権団体であった水○社が、第二次大戦時の挙国一致体制下で発展的解消するまでの歩み、つまり明治初期から太平洋戦争までの時期の活動史を展示しているのだが、しかし丹念に資料を見た筆者は奇妙なズレを徐々に感じてきたのだ。

第一はこの地域の○○民は実はもともとそれほど貧乏ではなかったという展示である。地元の名産物ニカワのおかげで「一般の村と所得の違いはほとんど見られない」という館内の説明を読むにつれ、思い描いていた○○の人たちの心の叫びがなんだかトーンダウンしてしまったのである。

アメリカの黒人やインドのアウトカーストの悲惨さを訴える文物は筆者も何度か見た覚えがあり、そこに感じ取れた彼らのパワーの源泉は食うものも食えないという貧困への憤りである。そしてその怒りをバネにした生活闘争に思わず共鳴してしまったのだが、それがここ奈良・橿原では「他の地域と違いは見られない」という記述にいきなり出鼻をくじかれた格好になったのだ。

第二は共産主義者、無政府主義者との連携をやたらと訴えていることである。堺利彦に佐野学、幸徳秋水といった戦前左翼や無政府主義者のご歴々の方々の名が展示物に頻繁に登場し、水○社は戦前の社会主義運動の一翼を担ったのだ!と謳っているのだけれども、そういう面はあるにせよ現実にはアベコじゃないか・・という疑問が燻ってきたのだ。(続く)






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無謀無計画な一家のビル建設

火災で家を失ったエスター叔母の元へ訪れた際に、弟のエド叔父さんから「あんた息子のビルのテナントにならないか?」という意味不明なお願いをされた。テナント?なにを言ってるんですか?と問い返したら、ほら、最近フィリピンに日本人が英語を学びにきてるじゃないか。だったらお前さんが学校を設立して・・とモゴモゴ話すのだ。

このエド叔父さんは酒を飲むと変な話を始める癖があって、現にこの日も筆者が持ち込んだジョニ黒をしこたま飲んで酩酊寸前だったのだが、たどたどしい説明に耳を傾けたところエド叔父さんの息子ジェン(女房の従弟にあたる)の将来にちょっと影が差し始めたことを知ったのだ。

従弟ジェンは現在筆者が住んでいるアパートの元々の保有者で、出資&勤務していた零細コールセンターが倒産して一文無しになったため借金差し押さえがしら3年前に筆者がこいつのアパートを取り上げたのだが、実はその時ちょうどジェンの女房ジュミが生家を相続することになり、ジェンは女房と娘を連れてパッシグ旧市街の一軒家へと移り住んだのだ。

そしてそこで大衆食堂を開き、夫婦一緒に朝早くから夜中まで働くことで大して金にはならないがまあ食うには困らない程度の稼ぎを得ていたのだけれども、米アリゾナ州フェニックス市に移住していたジュミの母親が夫の浮気にあきれ果ててフィリピンに帰国(その家に同居)した辺から状況がおかしくなってきたのだ。

シャブ中で頭が壊れた長女(ジュミの姉)を引き取ったために家がゴミ屋敷化してしまい、子供たちの目の前で男とセックスをおっぱじめるジャブ中姉の痴態にあきれ果てたジェン・ジュミ夫妻が家から逃げ出してしまったまでは良いけれど、厄介なのは母親が「この家を壊してビルに建て替える」と言い出したのである。





旧市街の表通りに面しているから大そうな価値になる!と思ったようなのだ。しかし筆者の目から見れば表通りと言ったって歩いているのは上半身裸の労務者と近くの公立学校の中学生、それと穴の開いた服を着た主婦くらいで、正直こんな場所では大衆食堂と零細商店くらいしか成り立たないはずなのだが、十数年アメリカにいたジェンの義母は脳内感覚がすっかりズレちゃったようなのである。

「おい!そんなの破産への近道だぞ!」と半年ほど前に筆者は従弟ジェンに念を押したのだが、義母が強硬に言い張ってる上にアリゾナ州に残った長男(ジェンの義兄)も出資するから逆らえそうにない・・と消え入るような声で答えており、それが今回帰国してみるとなんと既に銀行のローンをすでに組んでしまい、建設会社と契約まで結んでしまった様なのだ。

自己資金がいくら有るかは知らないが銀行と結んだローン金額は1100万ペソ(2500万円)である。建築面積はこれこれで建築費は一平米あたり幾らいくら・・と計算すると「まあそんなものかな」という額なのだが、しかし・・・この連中は基礎工事が始まった段階になって「誰がテナントになるの?」という現実に行き当たったらしい。

前述の通り上半身裸の男たちがうろうろ歩いているような通りに5階建てのビルを建てても、いったい誰が上層階を借りるというのだろう?。それに家賃をちゃんと払うような会社なり店がこの地域でどれほどあるのだろう。それが今ごろになって気になり始めたので「だったらあの日本人に英語学校でも開いてもらって・・」とろくでもない案を捻くり出したらしい。

お前の息子と嫁一族は阿呆か・・という言葉が思わず出かかったが、それをグッと飲みこんでエド叔父さんの話を聞く筆者。無計画というのを通り越したあまりの出鱈目さに呆れかえってしまったが、しかしフィリピン人というのは正直どいつもこいつもこんなものなのである。だいたいビルに入ったって電気やガスが来るかどうかも怪しい限りだ。当然ながらエド叔父さんの願いなど却下である。






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パスポート発行が異常渋滞

パスポート残存期間というのは結構面倒なもので、筆者の場合サラリーマン時代に日本の田舎工場の技術屋たちを某国へと引率するさいに「この方は向こうで入国できないからチェックインできませんよ!」と空港で言われてしまい、出張自体がおジャンになった苦い経験がある。

ヨーロッパ諸国なら概ね3か月、中国とシンガポールなら6か月だが、中にはインドネシアみたいにパスポートの空白ページが残り3枚必要なんて余計な追加条件がある国もあるけれど、日本の場合は大変良心的なことに有効期限内であれば良いから筆者ら夫妻は今回大変助かったのだ。

というのは女房はパスポートが今年9月に切れることを把握してなかったのである。前述の田舎技術者よろしく女房も残存期間というが概念が脳内に無く、日本に滞在してからヒマなので韓国でも遊びに行くか!という企画段階で期限が迫っていることが初めて露呈したのだ。

なんだよ‥。日本から帰ったらすぐに香港に行く計画でいたのに、これじゃ入国できないじゃないか!との筆者のお小言にうな垂れた女房はさっそく知恵の回る従妹フィリンに「パスポート更新のためにはどういう手続きをすればよいのか?」と問い合わせたところ・・、ここからひと悶着始まったのだ。これは6月終盤のことである。

なんと・・フィリンから返ってきたのは10月2日まで予約がいっぱいだ!という信じられない答えだったのだ。はぁ?なに言ってんの?と状況が理解できない筆者はフィリンのメッセージに書かれていたフィリピン外務省(DFA)のウェブサイトを開いてみたところ・・・これが本当だったのだ。

日本みたいに自分の都合の良い日に申請するのではなく、フィリピンの場合は事前にパスポート事務所に予約しなければならないのだが、一番近所にある窓口SMメガモールの予約可否をみたら10月2日まで(というか予約募集期間内の最終期限日まで)ただの1日、10時とか4時とかの1コマさえもの空きがなかったのだ。





こんなバカな!と焦った筆者はマカティやマラテ、ケソンシティなど他のパスポート事務所を探したが、そこで見つけたのは「マニラ首都圏(NCR)、および日帰りで行けそうな全ての窓口は今後3か月半に渡って、ただの1日1コマの空きさえも無い」という呆れた事実だったのである。

こりゃ無理だわ!もう香港に行けないじゃないの!とパニクった女房を宥めながら、どこかに空きがないか?と目を皿のようにして探してみたところ、ビコール州のナガやミンダナオ島のダバオ、ルソン島北部の地方都市なら7月中旬以降にかろうじて空きがある。それでその内の1コマを押さえたのだが、しかしこれ大丈夫なのかな・・と不安に思えてきたのだ。

なぜなら東京都民が東京都の住民票や戸籍謄本を持って青森市のパスポート事務所に行くようなものだからだ。いくらお役所仕事とは言え提出書類のチェックくらいするはずだが、それが他府県のものならどうやって確認作業を行うのだろう・・との疑念が過ったのである。

それに大体なんでマニラ首都圏の窓口がこんなに込み合っているのかが理解不能である。だいいちこんな状況なら海外に住んでいる肉親が病気で死にそうだとか、海外で就職先が見つかった様なケースでも出国さえ出来ないではないか?いくらフィリピン政府がダメとは言え国策の海外出稼ぎ(OFW)を阻害する状況をほったらかしにするとは・・と呆れてものも言えないのだ。

ちなみにフィリピン政府もこの問題は一応把握しているらしく、一般の申し込みとは他に大手企業や各自治体に対して特別枠を提示したらしいが、帰国後すぐにリサール州都アンティポロ市役所に申し込んだ女房は700人枠のところを780番目と出遅れたため、キャンセル待ち番号を貰っただけで後はお帰りください!と言われてしまったそうである。

というわけで筆者と女房はただいま某地方都市への1泊旅行(場合によっては2泊)の準備をしているのだが、これ行ったは良いけど「他の州の方は手続きできませ~ん」と言われるのではないか・・と不安で仕方ないのである。最悪の場合はその地方都市の住民になるしかないが、そうなると今度は住所移転の手続きに時間がかかって・・。いや考えるだけでもウンザリしてきた。






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姿をくらました疫病神夫婦

昨日の日記で女房のエスター叔母夫妻の住居が火事で全焼してしまい、焼け出された一家はご近所の好意で目の前にある空き家に移り住んだ・・由のことを書いたが、焼け跡を掃除していた甥姪グループやご近所の若造たちの間から火事の原因は人災なのではないか?という話が出始めたらしい。

ふつう原因特定は消防署がやりそうなものだが、ここフィリピンじゃ消防隊というのは怠惰の極みにあって、現に叔父叔母夫妻の家に駆け付けたのは家が完全に燃え尽きた後であり、一応仕事でもするか・・とそこら辺の燃え残りにちょこっと水を撒いてサッサと帰ってしまったというから、この連中に原因究明など当てにできないのである。

で、話を元に戻すと、壁にこびりついた煤の色の濃さや家具調度類の燃え具合をつぶさに見たところ、どうも出火現場は家の一番右奥の小部屋、叔父叔母の小遣い稼ぎのために賃貸に出していた部屋に違いない!という結論になったというのである。ここには30代の夫婦が間借り人として住んでいたのだ。

エスター叔母の旦那ダニーの記憶によると、火事の前日にこの間借り部屋近辺でガスの臭いがするので(日本と違いフィリピンはボンベ式のLPガスである)間借り人夫婦に元栓をチェックするよう注意をしたというから、どうもこの夫婦は自室にLPガスボンベを持ち込んで煮炊きしていたようである。

そして翌日早朝ダニー叔父が煙を発見した時にはもはや手の打ちようがないほど炎と煙が広がっており、一家は命からがら逃げ出したのだが、この間借り人夫妻はというと家が燃えている最中はエスター叔母一家と一緒に泣きわめいていたものの、ひとたび鎮火するや突然家の中に入っていったというのだ。

「あいつら半分溶けかかったトースターを持って帰ってきたんだよ」と渋い顔で言うダニー叔父。火事直後は混乱していて間借り人夫婦が一体全体なんでそんなモノを最初に持ち出したのか気にも留めなかったが、今考えれば家財道具なんかよりも真っ先に現場から移動させるべきは火災原因の証拠である。

ガスが漏れているのに間借り人夫婦はトースターで調理してやがったのである。それがガスに引火して大家の家を全焼させてしまったという事のようだが、この間借り人夫婦は案の定というかトースターを持ちだした後は忽然と消えてしまったというから、これはもう有罪確定であろう。

「ケータイに電話しても出やしないし、勤務先の工場に連絡したら『辞めて田舎に帰った』と言われちゃったのよ」とむくれ面で語るエスター・ダニー夫妻の娘アニー。ちなみにこの間借り人夫妻はここ数か月分の家賃も払ってなかったというから、このバカ夫婦は他人の家を全焼させた上に家賃も踏み倒す気でいるらしい。

アニーの話だと家を再建するため300万ペソ(680万円)ほどかかるらしいが、もちろん火災保険など入っていないから丸損である。たった月3千ペソ(6800円)の家賃で間借りさせていた、それも常に滞納していたバカ夫婦のおかげでこれだけの損害を被るとは・・全く踏んだり蹴ったりである。

フィリピンに在住された方ならご存知の通り、この国にはこういった無能な上に他人に多大な損害をかける疫病神がかなりの割合で存在しているので(筆者の感覚だと全国民の2割程度がそうである)、この民族相手に家の賃貸や会社の共同出資などされる場合はよくよくご注意いただきたい。でないとアナタもすべて失いますよ。







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地獄に仏なフィリピンのご近所さん

フィリピンに帰って来た翌日、筆者は自宅から歩いて10分の距離にあるエスター叔母を訪れ、彼女と夫のダニー叔父を慰める事にした。慰める・・とは奇異な感じを受けるだろうが、実はこの老夫婦はつい先日火事により家が全焼してしまい、何もかも失ってしまったのである。

先月末のある早朝、家の中に煙が充満しているのに気がついたダニー叔父が火元らしき部屋のドアを開けると、そこは火炎地獄と化しており、いくら水をぶっかけようが打つ手など無く、消防車が到着する以前のたった30分間で何もかも焼き尽くしてしまったのだ。

幸運な事に老夫婦、ならびに同居している娘夫婦と二人の孫は火傷どころかかすり傷一つ負わずに脱出できたのだが(平屋だった事が大きい)、家具や家財道具から衣服や写真アルバムに叔母の常備薬の類まで一切合切焼き尽くされてしまい、文字通り身一つで放り出されたのである。

33年間住んだ家が一瞬にして無くなる・・。70代の老夫婦にとっては手足をもがれるほどの喪失感に打ちのめされたに違いないから、せめて慰めの言葉でもかけようと帰国翌日に老夫婦の元へと出向いたと言う事だが、しかし・・意外にも予想したよりも遥かに矍鑠としていたのに驚いてしまったのだ。

と言うのは一家は前からずっと空き家化している目の前の家に住むことを大家から提案され(一応幽霊が出ると噂されている物件だけれども)、親戚や娘夫妻の職場の同僚、それと近所の人達から要らなくなった衣服や鍋釜、支援金の類を戴いた事で当面は電気洗濯機だけ買えばなんとか生活が成り立つ状態になっていたからだ。

それと娘夫妻は大手企業の管理職を務めているので現金に困っているわけではないし、焼け落ちた家の掃除の方も金はないけど子供だけは多いフィリピンの特性からか人手に困る事なく着々と進み、火災から2週間足らずで以前と大して変わらない生活レベルに戻っていたのである。

先進国と違い社会福祉がてんでダメなフィリピンだけあって、こういう草の根レベルでの助け合いは案外と充実しており(ただしシャブ中の泥棒一家なんてのはその恩恵には預かれないが)、ひょっとして東北大震災の被災民よりもフィリピンの方が当座の立ち直りスピードは速いのでは?などと考えてしまったほどである。

さてエスター叔母に見舞いに言葉とダニー叔父に好物のジョニ黒を進呈したところ、ニッカリ笑った二人は筆者と女房に「飯を作ったから食っていけ!」と命じたので、遠慮なくご相伴に預かる事にした。彼らの表情からは深い悲しみは微塵も感じなかったのが心の救いになった。






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なんで日本円が両替出来ねえんだ?

先週東京の実家でうとうとしていると筆者より1週間早く帰国した女房から緊急メールが入った。あんたから受け取った日本円のうち25万円分が両替できない!これは古い札、新円切り替え前の使えない札じゃ無いのか!というのである。

ちなみにこの一万円札は先々週横浜の銀行ATMで下ろしたもので勿論ちゃんとしたカネである。ところが女房の話だと毎度両替しているパッシグの両替商のみならず、SMメガモールの銀行でも拒否されてしまったと言うのである。

筆者はてっきり最初の両替商が悪意を持って手持ちのニセ円札とすり替えやがったんだ!と思ったのだが、ずっと義弟と二人で相手の動きを見ていたからすり替えはあり得ない!単にこの円札がダメなのだ!と女房は言い張るし、それに怪しげなインド人両替商のところに持ち込んだら相場よりも二割安い屈辱的レートでなら両替してやる!と言われたそうなのだ。

しかし・・円の切り替えなんてずっと聞いた事ないし、それに本当に偽札だとしても日本のATMを通れる事はまずあり得ないだろうし、だいいちシール(日銀のハンコ?)を忘れるような思い切りトンマな偽札業社なんて世の中にいるのだろうか?

で、結局この25万円はその翌々日に従兄弟ラフィーの勤める製薬会社の名でBPI銀行に持ち込まれ、まあこんなもんかね?というレートでなんとか両替できたのだが、しかしこんなの毎回ラフィーに頼むわけもいかぬから筆者は今後どうしたものか?と考えあぐねているのである。

これはパッシグ界隈だけの現象で、マラテ辺りならクシャクシャの一万円札でも替えてくれるのか?もしくはフィリピン中央銀行が為替両替のなんらかの制限を打ち出したのか?あるいは北朝鮮が大量のニセ日本円をアジア各地で捌いて静かなパニックになっているのか?

筆者は昨夜フィリピンに戻って来たばかりで、この3ヶ月間なにが起こっているのか分からないのだが、もしこの日本円両替拒否問題について何かご存知の方がいたら教えていただきたい。と言うかまずそれ以前に、皆さん両替に何か粗相が出て来てますか?






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Author by ほにょ / 全記事一覧 / ページトップ
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