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森の中に隠れた高貴な一族

日本史の教科書には古代の奴婢・私奴婢、それと親鸞の物語に登場する中世の賤民という〇〇とよく似た階層が2回ほど登場するのだが、日本の教育界(歴史学会ではない)ではこの古代・中世・近世の3つの最下級階層はお互い連続性が無い!つまり血統としての繋がりが無い!とずっと主張しているらしい。

古代の奴婢たちは律令制の崩壊とともに消滅しているし、中世の選民は戦国時代のゴタゴタでゴワサンになってしまったのだから、近世の○○はこの過去の下層民の血は引き継いでおらず、あくまでも徳川幕府が士農工商制度のガス抜き階層として新しく作ったのだ!と言うのがその主張のようだ。

しかし今回発見した全国数千カ所の○○を示した焚書(昭和初期に編集)には、○○がある場所と7世紀まで全国でやたらと造成されていた古墳がセットのように並んでいること、更に地名には古代豪族のゆかりの地であることを示す、あるいは何かを囲い込むような漢字がやたらと登場する(今と違って地名と言うのは千年くらい変わらないものなのだ)という教育界の言い分とは明らかに相反する事実が書かれているのである。

17世紀の為政者がガス抜き階層を封じ込めておくためにわざわざ1000年前の最下層民の土地を探し出すだろうか?それも全国数千カ所一斉に同じことをするだろうか?そんなの常識的な眼で見れば○○はもともとその場所に住んでいて、千年前の奴婢や中世の賤民の血を脈々と受け継いでいると考えるべきだ・・というのが筆者の結論である。

では○○はもともと何者で何処から来たのか?とじっくり考えてきたのだが、たしかに平氏の落人とか元寇の際の捕虜、それと犯罪者、疾病者、あるいは飢饉で土地を捨てた逃亡民なんかが流れ込んできた事もあるだろうが、もともとの始まりは古代に物部氏や蘇我氏、あるいは藤原氏に攻め滅ぼされた豪族とその取り巻き、そして東日本各地にいた蝦夷ではないか?というのが筆者の考えだ。





例えば近畿地方のある大きな川沿いの○○である。関東地方でいえば奥多摩や秩父のような農業には全く適さない山里に○○が数十か所密集しているのは、ここら一帯が伐採木材や水銀など天然資源・鉱物の産地として昔から知られた場所だからで、現にこの一帯には物部氏と蘇我氏を彷彿させる名のついた神社が幾つかあるのである(この神社が鉱山経営の事務所だったという意味である)。

そして大正年間に人類学者がこの一帯の○○の調査を行ったところ、○○の住民と周辺の「常民」との間に明らかな形質的違いが見つかったと報告されているのだ。近畿地方の住民のほとんどは大陸や半島の影響を受けたのっぺり型の頭をしているのに、○○の住民だけ東北の蝦夷(アイヌ人と同じ)と同じ特徴を示していた!という記述を見つけた時に○○の全体像がぼんやりと筆者の頭に浮かんできたのだ。

鉄や水銀は古の時代より戦略物質であり、物部氏ら中央豪族に限らず岡山の吉備氏や北関東の毛野氏ら地方豪族も鉱山獲得のため他国へ攻め入ったのだが、その際に捕虜となった兵士や領土民たちが鉱山労働者(江戸時代の佐渡金山送りを想像していただくと良い)や現在でいうところの3K職場、あるいは何もできない人間は単なるホームレスと化し、彼らを収容した場所が○○となったのではないだろうか。

やがて時代は下って大和朝廷が誕生した後につかの間の平和の時代が訪れるのだが、人口増加と都の整備などで物資が足りない事態に直面し、今度は東日本一帯に住んでいた蝦夷(「えみし」あるいは「えびす」)の土地を収奪することになるのだけれど、捕らえられた蝦夷の兵士たちは俘囚と呼ばれて全国各地に配置換え(正確には売られた)されているのである。

新しい奴隷たちのためにわざわざ新しい土地を与える気など大和朝廷には無いから、彼らが収容されるのは○○の原点とでも言うべき場である。当然そこは人間でごった返しているから衛生状態は悪いだろうし、まともな農地など無いのだから獣でも虫でもなんでも喰わなければ生きていけない。穢れとはこのことから来ているのではないか?というのが筆者の結論だ。





さて筆者は文章力が無いので一旦ここで書いてきたことを要約するが、○○の起源は古代にあって、中世に親鸞の周りにいた民や徳川時代の最下層民はその末裔である・・と言う事なのだが、しかし日本の表向きの歴史では「あくまでも徳川武家政治によって・・」に意固地なまでにこだわるのは何故なのか?という疑問が湧いたのである。

いや、こだわりは徳川家ではなく仏教についてもだ。仏教の持つ旧インド的な穢れ思想が○○差別を助長させた面はあるかもしれないが(牛頭天皇や馬頭観音などがそうだが、これ長くなるので別の日記で書くことにする)、全国各地の古代豪族を滅亡させ蝦夷を征服したのは神道の最高祭司である天皇と朝鮮半島百済を源流とする藤原氏である。

それから明治維新とは徳川の「武家」と彼らが信仰した「仏教」勢力を、日本の最高権威である「天皇」とその権威の裏付けとなる「神道」勢力が屈服させた構図になっていて、そして明治政府は○○を人道的見地に基づく法律によって解放したことになっているが、今回見つけた焚書を良く読めば○○を作ったのは実は「天皇」と「神道」だったことが見えてくるのだ。

つまり「○○は徳川によって・・」というのは革命の正当性を主張するために明治政府が捏造した虚構なようなのだ。もちろんロシア革命以前のニコライ二世を稀代の悪漢のように言うソ連みたいにほとんどの国が似たような事をしているから明治政府だけ悪く言うつもりはないが、しかしここに来て○○がタブー視されて来たのは本当に当事者たちの人道的な理由だけなのか?というもう一つ別の疑問が頭に浮かんだのである。

○○の研究が進むと一番困るのは実は天皇家なのではないのか?ずっと国民の幸福と平和を祈り続けて来た聖母のような存在、その下では大名も乞食もみな同じく赤子(せきし)である!と国民平等のシンボルであった天皇が何を隠そう日本のカースト制の創始者であった・・。過去半世紀○○の団体が目に余る方法で場所や苗字など○○に関する一切の情報を封印していくのを実は天皇は安堵の目で見ていたのではないか?そう思えてきたのである。






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