30年以上経過して露呈した温度差

先週土曜日、女房の母方の親戚が一堂に会するリユニオン(懇親会)の場で昼から酒を飲み始めた筆者は夜8時には意識朦朧となってしまい、これ以上は無理と判断し一人自宅へと戻ったのだが、深夜遅くに戻って来た女房が目を覚ました筆者に向かって「あんた早く帰って正解だったわよ!」と言い出した。

なんと従兄弟たちの取っ組み合いのケンカになってしまったと言うのだ。ちなみに女房の母親方の親戚たちは一応フィリピンじゃ中流階級であり、それなりの教育も受けているから暴力を振るうような人間ではないのだが、この日ケンカの発端になったのは海外クルーズから戻って来た従兄弟クリスのついた悪態なのだと言う。

女房の母親と叔父叔母たち4人姉弟はパンパンガ州サンタアナ町の出身で、生家があった600平米ほどの土地には現在4人姉弟の末っ子であるエド叔父さんが住んでいるのだが、従兄弟クリスは「あの土地は均等に分ける筈だったのに、お前のオヤジが独り占めしている!」とエド叔父さんの息子ジェンに向かって言いがかりをつけたのだ。

これ事実を言うと叔父叔母4人は若いころ全員マニラに出て来てしまい、祖父母が死んで以降その土地は遠い親戚が不法居住しそうだったのだ。それでちょうど離婚して行き場の無くなったエド叔父さんが番人として住むことを姉弟で合意したのであり、それにエド叔父さんも賃貸住宅を建てて4家族で分け合おうじゃないか・・なんて今でも話しているのだ。





クルーズ船の料理人として年10カ月はフィリピンを離れていたとは言え従兄弟クリスだって亡くなった父親からその合意について聞かされていたはずだが、どうも妻ミッシェルとの離婚劇で精神的に参っているためか、酒の勢いに乗って今まで溜まっていたものが一気に噴き出してしまったようだ。そう、前置きが長くなってしまったが、いつはクリスの怒りの根底には古い話があるのである。

従兄弟クリスの父親(ボウイ叔父)は若いころ内務省の役人として賄賂をたんまり貰っていたから、他の姉弟たちに比べて随分と豊かだったのだ。20年前まではパッシグの大きな家に住んで車を2台買い、その車で大きなブロック氷を売る副業でまたまた儲けていたから、女房や従兄弟たちはずいぶん資金的に助けてもらったのである。

例えば筆者の女房など10歳の時に母親に死なれてしまい、父親は工場労働で貧乏暇なしなのと父方の親戚が丸っきり頼りにならなかったため、弟のアベットと二人で一時期ボウイ叔父の家に住み込んでそこから学校に通っていたし、恥ずかしい事だが学費や生活費など一切合切何もかも面倒見てもらっていたのだ。

ボウイ夫妻とクリスら6人の子供が豊かに暮らしている処へ貧乏な親戚の子が来たのだから普通はいじめられそうなものだが、血の繋がりの無いボウイ叔父の奥さんは大変優しい方であり、女房と義弟アベット、そして年々か後に同じようにボウイ叔父に世話になった従兄弟たちはクリスとその弟や妹たちと本当の兄弟だと思ってきたのだ。





ところがどうやらクリスはそうではなかったのである。ちなみに義弟アベットはクリスと同じ年で、一緒の学校に通い一緒に遊んだ仲だが、ただの一度としてクリスから上下関係を感じさせられることはなかったのだそうだが、これが人生の残酷なところだがお互い家庭を持って40歳を過ぎた頃になってクリスが心の奥底では「俺たちがお前に施しをしてやっているのだ」と見ていた事が露呈したのである。

ファック・ユー!オレを誰だと思ってるんだ!お前たちが今暮らしているのは俺たちのおかげだ!と喚き散らしらすや従兄弟ジェンを殴りつけ、そこに義弟アベットと従兄弟ジャネルが巻き込んで辺り一帯のモノをぶち壊す乱闘騒ぎになったらしい。最期はエスター叔母の一喝で一応その場は収まったものの火種は当然ながら消えたわけではない。

「クリスには全く失望したよ!」「なに!あの態度!」「止めに入ったエスター叔母にファック・ユーとなじるとは許せん!」と飲み会の翌日には電話連絡があちこちに駆け巡り、噂が増殖されてクリスは目下公衆の敵ナンバーワン化しつつあるのである。この件で唯一マニラにいるクリスの妹フィリンは非常に困った状態になっているようだ。

まあ人間リストラとか離婚みたいに追い込まれると地が出るものだけど、それを一族みんなの前でやってしまうとはクリスも随分と分別を無い野郎だ・・と筆者は呆れているのだが、従兄弟たちの怒りは収まらず今週末のクリスとフィリンを除いた別の飲み会が開催されるそうである。当然ながら筆者はやんわり参加をお断りしておいた。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

謎の人気ブログ

毎日ヘタクソなブログを書いている筆者も少しくらい外部の評価を気にするところがあって、その場合はFC2ブログが毎日発表しているランキングを見ているのだが、自分の順位を目で追っている度にいつも不思議に思う事がある。

この人のブログはなんでこんなに評価が高いのだろう?というのがあるのだ。筆者が参考にしているのはブログランキングの中の「アジア情報」というサブジャンルで、常時10位前後を行ったり来たりしているのだけれど、「マニラPHOTOバージン」という別のブログがランクの上の方にいるのが何だか解せないのである。





なんでかというとこのブログ最期の記事が2012年の4月、つまり過去5年間まったく更新されてないのだ。ちなみに同じく10位以内にいる「アンヘレス・バー・ガールズ」はセクシー美女の写真が沢山乗っているし、何より毎日新しい記事が出るからいつも筆者の日記よりランクが上なのは十分頷けるのだ。

一方の「マニラPHOTOバージン」の方もマラテ地区のお色気系の他にフィリピン人の習性や地域・生活情報も結構詳しく書かれているから一定の愛読者が付くのはうなずけるが、しかしいくら何でも5年も更新しなければ情報は古くなるから昔人気のあった「カイビガンの休日」や「パナボで昼寝」同様に圏外に追いやられてしまうのが常のはず。





それで「きっとこのブログの中に今でも普遍性があってもの凄く人気がある記事があるのだな・・」と思って毎日1~2の記事を眺めてきたのだが、今のところそんな革新的な記事は見あたらないし、それに読者が「この記事良かったよ!」と思う時に押す拍手(この日記の一番左下にあるやつね)も殆どの記事がゼロかあっても1~2拍手程度なのだ。

ちなみにもう一つの10位界隈にいる人気ブログ「フィリピンで農業に生きる青年の日記」という大変興味深いブログなど毎日40拍手なんてザラなのである。ところが5年更新していなくて拍手ゼロの「マニラPHOTO・・」はこの高尚なブログよりもランクが上というのは何とも解せない話ではないか。





ちなみに「マニラPHOTO・・」のブログ主は北海道・釧路でラーメン屋を営むSANTAさんという方で、この方は定期的にフィリピンにやって来ては夜遊びや旅行に興じていたらしい(5年前に途切れているから現在の動向は??である)。なお筆者はこっちに移住してからマラテやマカティでは遊ばぬからもちろんこの方と面識はない。

ひょっとしてFC2本社は「マニラPHOTO・・」のブログ主のためランキングを故意に修正でもしているのだろうか?などと考えたりするのだが、しかし常識的にはそんな事はなさそうである・・。よって謎は解決されずにそのままの状態になっていて、今でもランキングを見る度「あっ!前よりランクが上がってる!」などといつも驚いているのである






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

フィリピン人のウソとヒロイズム

先日の日記で近所のガス充てん業者が爆発して7人が死亡する事故が起こった話を書いたが、土曜日の親戚一同が集まった飲み会の場でリサール州の奥地から来た義弟が何気なくその一件を質問したところ、事故現場から200メートルほどの距離に住むダニー叔父がしゃしゃり出て来た。

タガログ語なので何を言ってるのか判らないが、身振り手振りから察するに凄い爆発音と爆風に驚いて目を覚ますと辺り一帯は火の海で、その炎をかき分けて現場に向かったオレは余りの惨状に呆然としてしまい・・というアクション映画の主人公みたいなことを表情豊かに語っているが、実のところこれは全てウソである。

正確に言うと事件当夜に自宅アパートから爆発の方向を見て青ざめた筆者と女房がダニー叔父の家に電話を掛けたところ、妻のエスター叔母は「こっちは音も何にもしないわよ。あたしたち寝てるから話はまた明日ね」と言っていたのである。だいいちダニー叔父の家は平屋であり、辺り一帯には背の高い建物で囲まれているから爆風なんて絶対に受けないのだ。

このダニー叔父の嘘っぱち英雄譚を聞いているうちに、どう考えても爆発時に5キロ離れた家に戻っていた筈の従兄弟ジェンまでもがオレは現場から1キロ離れた店に居たんだけど爆音と爆風を体験したのだ!と言い張るのだ。実はフィリピン人には大惨事や大事件が起こると自分との間になにがしらの関係性を捏造する癖があるのだ。

これは筆者の女房も同じで、香港SARS蔓延の時は自分の住んでいるアパートの住人たちがバタバタ倒れてしまい生きた心地がしなかったとか、WTO反対デモ隊が街を壊し始めた際には取り囲まれて行き場がなくなってしまい、さらにそこへ警官隊が押し寄せて来て・・などと事実とは全く違う話をするのだけれども、しかし女房の中で格好のチャンスを逃してしまい何とも口惜しく感じている大惨事があるのだ。





それは2004年のクリスマスに起こったスマトラ島沖地震とインド洋大規模津波災害である。死者22万も出した人類史上未曾有の大惨事で、皆さんもプーケットやピピ島のビーチリゾートに滞在していた観光客たちが津波に呑み込まれて生命を落としたことは記憶に新しいだろう。

実はその頃の筆者ら夫妻は毎年クリスマスから正月までプーケットで10日ほど過ごしていて、いつも宿泊するのはパトンビーチの砂浜の上、歩いて10歩で海という格好の場所に平屋のヴィラがズラーッと建っているプーケット・カバナというホテルだったのだが、この年だけは仕事の関係上で全く休みが取れなくなってしまい、仕方なく香港の自宅で寂しく過ごしていたのだ。

ところがクリスマス明けの26日朝にテレビをつけると物凄い映像がニュースに出ているではないか・・。海から10歩しかない文字通りオン・ザ・ビーチのホテルに10メートルの高さの津波が押し寄せれば死ぬのは確実だから、昨日まで「あのバカ上司め!」と悪態をついていた筆者ら夫妻は思わず目を見合わせて「助かった!」と呟いたのである。

しかし翌年プーケットを再訪し、恐る恐るパトンビーチを訪ねてみたところ、案の定プーケット・カバナは前衛芸術のオブジェみたいにグチャグチャに壊れていたのだが、ビーチに出てみると良く知ってるビーチパラソル業者の一家にオカマの洋服売り、焼きイカ行商のおばちゃんやビーチバレーをエサに客を釣る売春婦らは皆ちゃんと生きていたのに驚いたのだ。

ホテルは確かにぶっ潰れたが滞在客みんなが死んだわけではなく、それに顔見知りのホテル従業員たちとも数年後のホテル再建時には再会しているのだ。被害甚大だったのはパトンビーチの南半分であり、中央部にあるこのホテル一帯は建物はぶっ壊れたものの案外と生存率は高かったのだ・・と彼らから聞いたのである。





ところが・・。このプーケットの津波災害の件はなぜか女房の中では「アタシがおかしな夢を見たからプーケットに行くのをキャンセルした」と歴史修正されていて(旅行を決める際に奇妙な胸騒ぎがずっと続いたのよ・・という別バージョンもある)、さらにホテルにいた客やビーチで毎年会っていた知り合い達も殆どが津波に呑み込まれて死んでしまったのだ・・となっているのである。

同じことの繰り返しで申し訳ないがプーケットで出会った人たち、例えば毎冬ドイツからやって来るホモカップルや浜辺で営業している刺青師らはちゃんと生きていて、はっきり言うと知り合いで「あいつは死んだ」という人間は筆者の知る限り一人もいないのだ。それに女房も筆者と二人の時は「あのビーチ業者の息子ニックはもう大きくなったでしょうね」なんて話しているのである。

ところが事情を知らない人たちの前では、あの悲惨な出来事から幸運にも生き延びることが出来たヒロインになっていて(使い分けていて)、その嘘っぱちの話をフィリピン人たちはウンウンと頷きながら聞いてるのである。余りにもバカらしくて筆者はいちいち女房の言う事に反論もせずに黙っているのだが、これ年を追うごとにストーリーが劇的になっていくのだ。

まあ日本人にも台湾に駐留したため鉄砲の一発も撃たずに終戦を迎えたのに「オレは南方戦線で地獄絵図を見たんだ」と言い張ったり、若いころ男に引っかかって福島の実家から家出しただけなのに戦災孤児としてゼロから這い上がったと主張する銀座のママなんているからフィリピン人だけを非難は出来ないのだろうが、しかし近所のガス爆発みたいなつまんない事でも作り話をしてしまう習性はなんとかならないのだろうか。

さてフィリピンのテレビを見れば「両親は日本軍に連行されてそのまま消えてしまい、家は燃やされて兄弟とも散り散りになって・・。そのあと私は必死に働いて・・」なんて語り部たちが出て来るが、この場合はほとんどフィリピン人特有の脳内妄想ヒロイズムの産物なので、皆さんこの手の話は真に受けず話半分、いや話十分の一で聴きましょう。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

呆気ないアニュアルリポート

今まで面倒だったアニュアルリポートが随分と簡単になった。これは在住登録をした外国人がちゃんとフィリピンにいるのかどうか?或いは本当にそいつ本人なのかどうか?を確認するための年一回の手続きで、3年前はフィリピン移民局本部があるマニラ・イントラムロスに出向かねばならなかったのだ

マニラ郊外に住んでいる人間にとって交通渋滞のなか市内を横断するのは大変な事であり、また移民局の仕組みのダメさと言ったら旧ソ連の役所組織ももう少し効率的だったのではないか?を思わせるほどで、結局本人確認するというより単に昨年提出した書類の上書きと職員による間違い探しゲームに長い時間をかけるだけという代物だったのだ。

それが2年前にはイントラムロスではなく各地の支部での手続きが可能となり、まあその時は相変わらず紙に膨大な記入をした上にシステムがへぼくて数日後に出直する羽目になったのだが、昨年からオンラインで事前に必要情報を入力して手続き番号を入手し、あとは近くの移民局支部に出向いてダブルチェックするだけで良くなったのだ。

さて今年も旧宅のあったタイタイ町の移民局支部に出向くと、驚いたことに外国人の長い列は出来ておらず、係員から「外国人登録カードを出してください」と言われ、そして椅子に座っているとものの5分で係員が戻って来て310ペソを徴収した後「はい、これでお終いです」となったのである。

余りに呆気ないので驚いていると、このメガネをかけた係員の女は「われわれ移民局の努力でアニュアルレポートはこれだけ簡素化されたのです」と胸を張っていたが、だけどねえ・・オンラインなんか他の途上国だって20年以上前に導入してんだから、威張るような事じゃないんだけど・・。

それで時間が余ったから中華料理を食べに向かったのだが、しかしである・・。な~んか面白くない自分に気づいたのだ。人間不思議なものでイントラムロス本部のあの延々と時間がかかってビル内を右往左往していた時が奇妙に懐かしく思えてしまい、今回こう呆気ないとなんだか新しい年が来た!という気分が湧いてこないのだ。

「移民局もずいぶんよくなったわね!」と飲茶を食いながら女房が言うのだが、筆者はウッ・・ウウン・・と頷くだけで沈黙がちになってしまう。何だか毎週楽しみにしていた連載マンガが打ち切りになってしまったような気分なのである。やっぱりフィリピンはあの駄目さと終わった後の脱力感が無いとなんだか味気ないね。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

待っても来ない消防車

ここ数日フィリピンは急に涼しくなったので、アパートの最上階にいる筆者はエアコンをつけずに網戸越しの涼しい風を受けて眠りに落ちているのだが、昨夜遅く何気なく外を眺めると1キロほど先がぼんやりオレンジ色に染まっているのが見えた。

火事である。遠いけれども2階建ての建物の上の階が映し出されているから1階部分に火の手が上がっているようだ。つい2週間前には反対の方角でガス充てん業者が火事となり、LPガスボンベに爆発して7人死んだ事が思い出された。

こりゃ消防車の大合唱になるぞ!と思ってベランダからずっと見ていたのだが、火の手はどんどん大きくなってついに2階部分にまで火が伝わったのにウー!とかピーポー!の音がまったく聞こえてこない。それで女房を叩き起こしたのだが、眠そうに眼をこすりながら「きっと工場が廃材でも燃やしているんじゃないの?」と言うだけだ。

しかしパッシグ市政府のツイッターを見ると数分前に「〇〇地区で火災発生!」と書かれているし、そこに書いてある住所をグーグルの地図で見てみると果たしてドンピシャリの方角である。つまりこれは廃材焼却ではなく本物の火事なのだ。

それで筆者はずっと火事を見ていたのだが、消防車がウーッ!と鳴り響き始めたのは筆者が炎を確認してから1時間近くも経ってからで、その間に炎は2階をとっくに呑み込んで天高く舞い上がり、そしてあらかた燃やし尽くしたのか随分と勢いを無くしていた頃であった。





翌日ニュースを見たら燃えたのは福祉財団か何かが入っている大きな木造の家で、幸いな事に犠牲者はいなかった様なのだけれども、ニュース映像には火災現場の周辺一帯にマッチ箱のような小さな家が密集していたから、もしもあそこに引火していたら大変な事になっていたに違いない。

しかし解せないのはパッシグの中央消防署から2キロも無いの場所なのに消防車の到着は一体なぜあんなに遅かったのか?ということである。深夜だから交通渋滞と言う事は有り得ないし、1キロ離れた筆者でも午前4時にはボヤが始まっているのが見えたのだから近所の住民はその頃とっくに消防署に出動要請したはずだ。

ところがベランダにいた筆者が消防車のサイレン音と光を確認できたのは5時近くなのだから、実に1時間この建物は燃えるがままに任せてあったということだ。これもしも自分の住んでいるアパートが燃えたら、そして誰かが中に取り残されていたとしたら・・と考えると絶望的な気分になって来る。

日本の消防車が到着するのは通報を受けてから8分程度なのにフィリピンじゃ60分かかる・・。つまり家で不本意にも火の手が上がってしまい、炎が膝の高さを超えたら最後家は燃え尽きるところまでいくということだ。それから助けが来るなどと甘い考えをもって待っていようものなら間違いなく死ぬのである。

これからフィリピン在住して一戸建ての家を建てようとしている方は、大きなキッチンとか吹き抜けの居間、それと家の外壁素材はどうのこうのとかで頭を悩ます前に、天井裏に水タンクを置くとか、燃えたらすぐに外へと逃げられる間取りをまず第一に考えるべきだろう。それと消火器や縄ハシゴ、救命機材なども忘れないように。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

バギオに家を買わない理由

筆者が現在マニラのパッシグに住んでいるが、4年前にアーリーリタイアしてフィリピンに移住した時はマニラ以外の街に住むことを考えていて、その中でバギオはダバオに続いて有力な候補地だったのである。(ダバオは言葉が通じないので嫌だ!と女房がわめくので泣く泣くあきらめた)

標高1500メートルの高地にあるだけあってバギオは空気が清涼であり、また夏でも最高気温が20度台と涼しいし、一方10度近くまで下がる1~2月は旧友たちが滞在しているタイのチェンマイに長逗留する気だったから、このタイミングを考えるとダバオよりバギオかな・・などと思っていたのである。

それで水不足が深刻で地形的に凹凸の多いバギオ市内よりも隣町トリニダートの方が土地が安いし住むには良いんじゃないか?などと女房と話していたのだが、しかし女房と話を進めていくうちに筆者の中にある疑念が湧き始めたのだ。





在住者ならよくご存じの通りフィリピンの4~6月の熱さは猛烈であり、筆者も今までこの時期には耳がキーンとなりっぱなしになるとか肺の呼吸が苦しくなるなど体の変調に悩まされてきたし、そして現に女房の祖母や叔父が死んだのもこの時期なのである。

過酷な猛暑を避けるためフィリピンの金持ちたちはこの時期バギオ界隈の別荘へ、そして懐に多少余裕のある中流階級も2か月ほどバギオの短期賃貸物件を借りて学校が休みの子供たちと一緒に避暑に来るのだ。実際この時期に筆者もバギオに行ったことがあるが、賃貸別荘はどこも満杯であった。

そんな自然環境の下で従姉妹と日本人の夫妻がバギオに住みはじめた・・と聞いた親戚たちはまず何を考えるのかはご想像の通りだろう。暑さでへたっている義父や叔父叔母たちが「涼しい所ですごした~い」と言うのを断るのは人道的に相当難しい事だが、まあ連中は活動エネルギーが弱いからまだ良い方だ。





問題はガキどもだ。前述の通りこの時期フィリピンの学校は休みだから普通に働いている親たちはガキを持て余し気味になるのである。だから日本の親たちの様に「あんたは夏休みに山形のお祖母ちゃんの家に行っといで!」と言う事態になるのだが、これ一人ならともかくフィリピンはガキどもの人数がやたらと多いのだ。

例えば女房の母方の系統だけで現在学校に通っている、あるいは学校就学前のガキが23人いるのである。こいつらがクバオのバスターミナルからビクトリーライナーに乗ってバギオに現れる光景を想像した瞬間に「冗談じゃない!」と思わず叫んでしまったのだ。

家の中で騒ぐ、走り回る、物を壊す・・。しかもジジイババアと違って掃除洗濯から炊事まで一切役立たずの連中だから、当然その仕事は筆者ら夫妻に回って来るし、一方ガキを送り出した親たちは1ペソだって支払う気にならないから全ては当方の勘定だ。





しかも驚いたのは話を詰めていくうちに女房の中にはそういう生活は満更でもない!いや!血の繋がった大勢の子供たちに料理を作ってやるのは女として幸せな事である!というフィリピン女独特の発想があることに遅ればせながら気が付いたのだ・

それで自分はお前の世界観には全く了解できない由の説明をしたのだが、現実問題として10歳の時に母親に死なれ、母親の姉弟たちの中で一番裕福なボウイ叔父の家で毎年夏を過ごしてきた女房には、しかもその思い出が楽しくて美しいものであるだけに筆者の言ってることが全く理解できなかったのである。

と言う訳でバギオ移住計画は即刻中止し、親戚たちが多く住んでいて泊まる必要が無いマニラのパッシグに居を定め、なおかつ他人が住めないくらい小さめのフラットに現在筆者は居るのである。移住以前には庭付きの大きな家に住むことを思い描いていたのだが、現在の選択は戦術的には正しかったと思っている。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

真冬に高地でキャンプ

先週金曜日の夕方に従姉妹ミレットから「バギオにキャンプに行かないか?」と誘いを受けた。なんでも同行する予定だった人間がドタキャンしたので用意した料理が余ってしまうと言うのだが、筆者はその話を聞いて思わず耳を疑ってしまった。

フィリピン在住の方ならよくご存じの通り、標高1500メートルの位置にあるバギオは夏の都とも言われるほど涼しく、1月だと最高気温は18度くらいで最低の方は10度を切る日さえあるのである。これ日本人の温度感覚に置き換えると1月に南アルプスの高原に遊びに行かない?というのと同じなのだ。

それでお前の言っているキャンプとはテントと言う意味か?とミレットに聞いたら「そうだ」と言う。そりゃいくら何でも寒いんじゃないか?と尋ねたのだが、「上着を沢山持っていけば問題ないわよ!」と言うだけだから、筆者は頭の中ですぐに赤いランプが点灯した。

無計画・・。それでオレは風邪気味で体調がすぐれないと辞退したのだが、家で退屈していた女房は「アタシ行く!」と言い出したので、結局ミレット夫妻と妹のローズアン、それと女房と義妹に赤ん坊2人で金曜の深夜にバギオへと出発したのである。





それから48時間後・・、帰宅したことを知らせるチャイムが鳴ったのでドアを開けるなり女房はしゃがみこんでしまったのだ。見るとゴホゴホ咳をしていて顔色も大層悪そうである。それで抱えるようにベッドへと運び「一体何があったのか?」と聞いたら案の定な答えである。

昼間に市内の観光地を巡った後でバーナム公園にテントを広げた一行は早速バーベキューを始めたのだが、しかし1時間もしないうちに気温が下がり始めてから自分たちの用意した洋服では全然足りない事に気づいたのだと言う。

それで丘の上にあるSMデパートで厚手のセーターや毛布などを買い求めていざテントの中に入ったのだが、肝心の中敷きを用意して来なかったために地面の冷気が直接体に染み込んでしまうし、さらに周囲には誰もテントを張っていないから危なくて仕方が無い。

仕方なく順番で寝ずの番をしたのだが、そのうち子供たちがゴホゴホとせき込み始めたため「こりゃテントは駄目だ」ということで車に戻り、その中で暖を取っていたのだが、密封された空間ゆえウィルスが直ぐに伝播し明け方近くには全員ひどい悪寒に悩まされるようになったのだそうだ。





特に運転役のラフィーの具合が悪く、こりゃ長時間の運転に耐えられそうに無い・・と言うので、夜が明けるのと同時にウネウネ曲がる道を無理して下りてパンガシナン市にいる親戚の家にお邪魔して半日ほど寝込んでいたと言うのだが、これを聞いた筆者は「お前ら本当に学校出てんのか?」と呆れてしまった。

毎年1月になるとアナウンサーが「冬がやってきましたね!今日のバギオは10度を下回りましたよ!」と言うほど、さしずめ日本でいえば札幌の様に必ず引き合いに出される寒さで有名な町なのだ。そんな時期にバギオに行こう!と考えるのがそもそもの間違いなのに、テント泊を選択するとは馬鹿を通り越した話だ。

さて本日になっても女房はまだゲホゲホやってるし、ラフィーは2日連続で会社を休んでいるそうである。ガキ達の方はさすが生命力があるのかギャーギャー家で騒いでいるらしいが、その面倒を見るミレットとローズアンも相当体調が優れないらしく家事は放り出してしまったらしい。完全に失敗の旅だ。

「でもね、この時期のバギオは空気がきれいで風景も素晴らしくって!」などと女房は言うけれど、そして筆者はこういう何事も否定的ではなく良かった点を見る姿勢はフィリピン人の美徳と考えて来たけれども、最近になって単にこいつらは無計画で刹那的な生き物なだけだ・・と確信するようになった。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

アメリカさんの部屋

日本の製造業が息を吹き返したのは1950年の朝鮮戦争からと言われているが、筆者のいた会社はそれ以前にアメリカへ輸出を開始していて、しかもアメリカ側の代理店を務めたのが如何にもな一族の企業なのである。ちょっと驚くくらいのショートカット。これはどういうことなのか?はこれはもう皆さんのご想像の通りである。

GHQが戦争犯罪者を逮捕したり、上野駅の地下に屯する浮浪児たちの頭にDDTをぶっかけていたのと同じ頃に、GHQの経済部門の高官たちは日本解体を計画する一方で日本の財界人たちと裏取引をしていて、いくばくかの金を受け取れば「もうすぐ新円切り替えで手持ちの円が紙くずになるよ」とか「不在地主は没収になるぞ」なんて情報をリークしていたようである。

さらに大きな裏取引だとアメリカの投資銀行や弁護士なんかも一枚嚙んでいて、底力がありそうな会社の株を底値で買ったり、工場接収や幹部の公職追放をネタに脅しをかけて非上場の株を毟り取ったり代理店契約を結ばせていたらしいが、しかし一方の日本人側だってそこは巧妙に立ち回って資産を二けたも三ケタも増やしていたらしい。筆者のいた会社のオーナーもその一人だったのだ。

それと前述の通りGHQが本館を返還したのは1950年代だが、この最上階の一角だけは1970年代までアメリカ人が居座り続けていて、年輩社員の記憶によれば一応弁護士事務所かなんかの看板が掲げられていたそうだから、おそらくこのアメリカ人弁護士はここ銀座の超一等地でGHQ高官と日本の財界人達との間で交わされた裏取引のその後の見守り役兼管財人をしていたのではないかと思う。





当時興味を持った筆者は財務部にいた年輩の社員に古い外国人株主たちの事を聞いた事があるのだが、確かに株主リストにはアメリカの投資銀行とは別にアメリカ人の個人株主の名前がズラリと並んでいたそうなのだが、ずいぶんと昔の話なためいったいどういう経緯だったのかなんて判らないよ・・という答えが返って来た。

だから一体彼らがどういう立場の人間で、どれほどの規模の裏取引が行われたのか?それは筆者の会社の株式だけだったのか?案外銀座の超一等地のビルのいくつかはGHQの高官の子供や孫たちの手に委ねられているのか?といった事は最早調べることは出来そうにないのだが、しかし本館ビルの最上階の一区画をずっと空きのましているのはオーナー一族だから、ここには何か特別な理由があるのだろう。

銀座の街並みを見るのにここ以上無いのではないかと思えるほどの絶好のロケーションなのである。だからここには軍服を着たGHQの高官とスーツ姿のウォール街の代理人、それとオーナー一族と怪しげな日本人たちが集って復興していく銀座の街並みを眺めながらウィスキーグラス片手に嬌声を挙げていたのだろうな・・と思うのだ。

映画「シャイニング」の中に過去の亡霊たちが高原に建てられた古いホテルのボウルルームに集まってパーティーを開いているシーンがあるが、ひょっとしてあの銀座の豪奢なビルの最上階にも毎晩70年前の亡霊たちが集まって矯正を挙げているのかもしれない。そこにいるのはマーカット少将?それともケーディス大佐?それとも・・・。だとしたら深夜ちょっと中を覗いて見たい気もする。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

眺めの良い開かずの間

筆者は若いころ3年間だけ銀座に勤務していた事があるのだが、筆者がいた別館とは隣り合わせの本館に立ち入り禁止になっている区画があった。その頃はバブルの最中で大変景気が良く、最上階のオフィススペースなぞ賃貸に出せば忽ち借り手が付くはずなのに、時々管財担当の事務員が訪れる以外は立ち入り禁止の札が掛けられて固く閉じられているのである。

怪談の世界でいえば開かずの間みたいなもので、一体あそこには何があるのだろう?銀座の街並みを見渡す絶好の展望だからオーナー専用の接待用クラブハウスにでもすればいいのに・・などと同じ世代の同僚たちを噂し合っていたのだが、年輩の社員たちはその正体を朧気ながら知っていて、あそこは20年くらい前までアメリカ人たちが居座っていたのだ・・と謎かけのような事を言っていたのだ。

筆者がいた会社は一社一社が半分独立した企業グループの一員で、グループ組織がかなり複雑なため説明するのが面倒なのだが、フジサンケイグループにとってのニッポン放送とか富士通グループの富士電機みたいな創業時点の中核会社がグループ内にあって、その中核会社所属のごく少数の社員たちはオーナー一族の財産管理が仕事で、開かずの部屋はその中核会社の管理下にあったのである。

会社の社史には「初代オーナーが画期的な製品を発明し、それを〇〇銀行と財界の長老格の協力のもと軌道に乗せ、戦争時には各地の工場が爆撃を受けて大損害を被ったもののオーナーと社員が一丸になって頑張ったことにより奇跡的に復興し、その後の分社化など多難な時期を経て今日の・・」などどの会社でもありそうな事が書かかれているのだが、しかしここには一番肝心な事は綺麗さっぱり抜けているのだ。





アメリカ占領軍司令部GHQとの関りである。奇跡的に空襲の被害を受けなかった本館ビルは占領時代にはGHQに丸ごと接収され、1950年代に返還されるまで色んな米軍機関が入り込んでいたのだ。GHQと聞くとマッカーサーがいた第一生命ビルが有名だが、司令部や行政機関以外にも米兵専用のホテルやデパート、クラブハウスなど色んな建築物が必要なわけで、例えば有楽町の宝塚劇場など米軍専用のアーニー・パイル劇場となっていたのだ。

さて終戦時点では銀座のビル1つと幾つかの田舎工場を所有しているだけだった会社が、GHQが日本から出ていった頃には「オーナーは有楽町駅から自分の土地だけを歩いて銀座の本館に出勤できる」ほどの銀座の大地主になれたのは、この時期にGHQに多大な便宜を図ってもらえたからであり、当然ながらそれ相応のお返しをしたんだってよ・・と年輩の社員たちは話していたのだ。

占領開始直後の経済政策については色んなメディアに書かれているからここでは割愛するが、大規模土地所有者から土地を取り上げ、公家や財閥などの極端な金持ちたちの資産を没収し、そして一旦は円を紙くずにしたということである。近年だとソ連崩壊後の経済混乱を想像すれば良さそうだが、旧権力側にいた勢力は徹底的に解体され一寸先は闇の状態に陥っていたのだ。

ところが初代オーナーはこの時期明らかに資産を巨額なものに増やしていて、さらに極めて早い段階で事業再建に必要な外貨資金をアメリカの投資銀行から獲得していたのだ。その時期は日本の産業は構造改革に向かう真っ最中であり、旧国鉄や東芝など日本の名だたる企業は膨大な余剰人員を解雇せねばならず、そのため組合運動が先鋭化してデモや破壊活動が横行する革命前夜とも呼ばれた時期なのに・・である。(続く)





にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

サントリー山崎を自慢する台湾人

台湾人の鄭さんが「今夜は贅沢に最高の酒を!」と銘打ってサントリー山崎のボトルの写真を自身のフェイスブックにアップした。どうだ!オレはこんな凄い酒を飲んでるんだぞ!と言いたいらしく、実際コメント欄には「どこで入手したのか?」などと台湾人たちの書きこみが幾つもあって、その一つ一つに「日本の友人からもらったのだ」と返事を書いているのだ。

ドヤ顔している鄭さんの表情が頭に浮かんだが、同時に「このオヤジは今ごろ何を言ってるんだ!」とちょっとムカついてしまった。と言うのは今から20年以上前に筆者は2か月に一度のペースで台湾に出張していたのだが、その時毎回お土産に持っていったのはサントリー山崎だったのに、鄭さんを始め台湾人自体は「こんなもん持って来やがって」という顔をしていたからだ。

海外赴任された方ならよくご存じの通りゴディバのチョコレートと酒というのは出張者や営業マンのお土産の定番であり、女子社員にたちまち分配されてしまうチョコレートと違って、フランス産のコニャックやスコッチウィスキーはオフィスの戸棚やロッカーの奥に眠っているのが普通だから、もう一本眠り在庫が増えても仕方が無いな・・と筆者は思ったのだ。

それで日本のウィスキーを持っていったのである。当時筆者はバランタインの17年を最高のウィスキーと見なしていたのだが、毎週通っていたパレスホテルのバーテンダーが「外国人のお客さんの評価が高いのは国産ウィスキーですよ」と言うものだから、持ち運びに不便な響よりも山崎にしたのである。





ところがこれが評価がさんざんなのだ。彼らの中ではヘネシーのXOやコルドンブルーこそが感謝の意を返すべきお土産であり、山崎を渡しても「あっ!そっ!」と言うなりそれきりになってしまうのだ。特に筆者の会社の台北支社で副総経理を勤めていた鄭さんとその仲間たちなどは「山崎ってあんまり美味しくないね」と遠慮なく苦情を呈していたのである。

それが20年経ったらドヤ顔して山崎の写真をアップしてやがる・・。まああの時は山崎なんて海外どころか日本でもそんなに知名度が高くなかったし、シーバスリーガルやジョニーウォーカーと同じくらいの値段で結構それなりの味のシングルモルトが楽しめる程度の評価しか受けて無かったから仕方が無いとも言える。

実際香港でもコーズウェイベイの大丸の酒売り場を覗くと山崎も一応陳列されていたのだが、値札を見るとこれがシーバスやバランタイン12年より下の方の棚に山積みされていて、店主も「ノット・ソー・バッド(そんなに悪くない)」程度の説明しかしなかったから、いつもSALEの札が貼られていたのである。ようするに山崎の実力なんて「そんなもん」なのだ。

それが一たび評判が上がればミーハーたちが飛びついて、今や品切れに次ぐ品切れで山崎は全く入手できなくなり、今やアジアにも鄭さんみたいな底の浅い男が現れるようになってしまった。あのねえ・・山崎は大枚叩いて飲むような酒じゃないのよ。そんなお金出すくらいなら手始めにボウモアやマッカラン、それとラフロイグなんか飲んでみたら。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

東芝って何か変だ

東芝の原子力事業における赤字が7000億円へと膨らみ、債務超過を避けるために白物家電や医療機器に続いて半導体事業さえも売却するというニュースを聞いて胸が痛くなってしまった。筆者の学生時代の友人で東芝に入った人間は何十人もいて、特にS君は半導体の営業として香港に赴任し筆者と再会を喜び合った仲である。

筆者がいたのも電子部品業界だが、半導体の売上は1社で超円単位と莫大な規模だからスケールが全然違う訳で、よくS君からは韓国サムスンの背後には政府の情報機関がいるのだ・・とか、シリコンバレー駐在員がスキャンダルで脅されてしまい技術情報が韓国にバレバレになっていたのだ・・などとなかなか興味深い話を聞かされたものだ。

また課長島耕作の舞台になっただけあって東芝社内の権力闘争は相当のものらしく、特にS君は半導体事業部ではなく本社国際部というお目付け役職場から香港に派遣されて来た身分だから相当風当たりが強く、S君と香港のあちこちに居酒屋で逢う度に「こんな事で負けてられるか!」と呟くのを何度も聞かされたものである。





さて筆者はもともと日本のビジネス雑誌なんてのはハナからバカにしている人間だけれども、そうは言っても一応社内での会話について行くためにその手の雑誌も嫌々読んでいた時期があるのだが、東芝の連載記事を読んでいくうち「なんかこの会社アメリカに嫌われてるんじゃないの・・」と思えてきた事があるのだ。

筆者の世代だと東芝と聞くと最初に頭に思い浮かぶのはココム違反事件で、この会社が作った工作機械が第三国経由でソ連に流れてしまい、その結果ソ連の潜水艦のスクリュー音が飛躍的に静かになったために当時西側国家が結んでいた対共産圏貿易規制に引っかかってしまったのである。

ところが後年東芝機械に入った池田と言う高校のクラスメートに聞いたら「具体的な事は言えないがあれは嵌められたんだ!」と言うので、興味を持って調べてみたら当時あの程度の機械は住友でも石川島播磨でも三菱でもボンボン輸出していたし、それに東芝の機械と潜水艦のスクリュー音減少との直接の因果関係は無かった様なのだ。





つまり東芝はアメリカに狙い撃ちにされたようなのだが、となるともう一つ気になるのは原子力事業の最大手である米ウェスティングハウス買収後の大事件である。高値で買った事業も時間をかけてじっくり育てれば金の卵になるかと思いきや東北大地震が起こって福島原発が爆発し、日本全土で原発の灯が消えてしまったのだ。

1980年代の半導体や2000年代のDVDなど東芝の主力製品はなぜだかアメリカから目の敵にされて徹底的な妨害を受けてきたのだが、一方ライバルとも言うべき日立はあんまりそう言った話は聞かない。となるとなんか東芝とアメリカの間に深い遺恨となる出来事があったのではないか?と陰謀論好きな筆者はついつい考えてしまう。

S君が香港から帰任してから二十年もの時間が過ぎ、彼とはもう疎遠になってしまったが、いつか彼と再会する日が来たら東芝の社内に流れるアメリカの間に起こった噂話についてちょっと聞いてみたいと思う。それはうんと昔のまだ日本がアメリカの占領下にあった頃に端を発するんじゃないか・・と筆者は思っているんだけれどね。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

サイレンの赤い光の渦の異空間

1週間ほど前に近所のLPガス充填業者が爆発し現在まで7人が死亡する惨事となったが、それ以降も近所ではほぼ毎晩のようにサイレンの音が鳴り響くようになった。そのうちニュースに出たのは一昨日と昨夜の火事で、ウーッ!ウウーッ!という音が聞こえてくるたびに女房はビクッと反応するのだが、筆者はというと・・・嬉しいのである。

オカルトマニアというのは基本的には騒動好きであり、近所で覚せい剤中毒の男が人質を取って立てこもっているとか、毎週水曜日になるとある地域では女性が忽然と消えてしまう、下水が外に溢れ出て仕方ないのでマンホールを開けたら死体が出て来た・・なんて話を聞こうものならもう溜まらなくなって何が何でも見に行きたくなる性質なのだ。

実際筆者の住んでいた町で一家五人が惨殺される事件が起こった際など、筆者はさっそく事件現場の隣の保育園へと出向き、ガキどもの冷たい目線を一身に浴びながら鬱蒼と茂る垣根越しに惨劇の家を眺めたりしたものだが、一体筆者がなぜこういう偏執的な人間になってしまったのかと言うと、それは幼児期に経験したある恐怖の一夜が原因なのである。





筆者が生まれ育ったのは東京都内と言っても70年代前半には辺りの半分くらい畑が残っている町で、子供の頃にはよく近所の農家の人が「大根いらねえかい?」などと行商に来たものだが、その中の一人が本橋のオバサンであった。本橋というのは元々この一帯の名主だか庄屋であり、本橋の本家や分家がやたらとあちこちに居たのである。

さて筆者が幼稚園のある日の夜中に突然ウウーッ!ウウーッ!という消防車のサイレンの音が聞こえて来たことがあったのだ。驚いて飛び起きると筆者の父が「ちょっと様子を見て来る!」と言って家を飛び出したのだが、しばらくして帰って来るなり「正子ちゃんの家が燃えている!」と言ったのだ。正子ちゃんと言うのは筆者と同い年で、このあたりの本橋家の本家の娘である。

正子ちゃん一家は全員外で家が焼け落ちつつあるのを見守っていたから無事だった・・と父が言うので一安心した記憶があり、やがて筆者は眠りに落ちたのだが、再びその後事件が起こったのだ。記憶は曖昧だが確か明け方近くになって再びウウーッ!ウウーッ!という先ほどよりも遥かにデカいサイレンの音で目を覚ましたのだ。





雨戸を開けると驚いたことに外は真っ赤な光の海で、その光景は今でも筆者の脳裏に焼き付いていて思わず背中がゾワゾワするのだが、消防車とは別に遠方から救急車のピーポー!ピーポー!という音がだんだん近づいてきたのである。「今度はあっちの方向で火事か?こりゃ大ごとだ!」と叫んだ父親は数十メートル先の現場へと向かって行ったのだ。

筆者と母親は開けっ放しにした雨戸から恐る恐る成り行きを見守っていたのだが、しかし父親が一向に帰ってこぬので意を決して現場に行くことにしたのだ。サイレンの赤い光が渦巻いている方へとぼとぼ歩いていくのは何だか得体の知れない異界へと入りこんでしまう気分だったが、やがて人だかりの中にいた父親が筆者を見つけると「本橋のオバちゃんらしいぞ」と言ったのだ。

この事件の種を明かすと、正子ちゃんのお父さんと本橋のオバちゃんの旦那は実の兄弟で、遺産相続で揉めに揉めたあげくに決定的に決裂し、特に今まで分家の嫁として虐められてきたことで鬱憤が溜まっていた本橋のオバちゃんは頭に来て正子ちゃんの家に火をつけてしまったのだが、自宅に逃げ帰った後で「とんでも無い事をしてしまった」と悟り、今度は自分でガソリンを被って焼身自殺を図ったのだ。





「おい!来たぞ!」という掛け声とともにタンカに載せられた何かが運ばれてくるところまでは見たのだが、父親が筆者の目を手で覆ってしまったため「それ」を見ることは叶わなかったのだ。しかしあの時のサイレンの光の渦と周囲のザワッっというざわめきに囲まれた筆者は恐怖に震えながらも得体の知れない何かを心理の奥底に植え付けられたのである。

後日「熱いから畑の土を掻き毟って体にかけたらしいんだよ・・」などとお茶を飲み飲み噂話に興じる隣人たちの話を一言残らず耳にしては背筋がゾーッ!「病院についた時はもう手遅れだったみたいで、体の半分くらい炭になって・・」と聞いてはゾーッ!を繰り返すうちに・・・、オカルトマニアになる土壌が形成されたのである。

それで今でもウウーッ!ウウウーッ!というサイレンが聞こえるとスクッと立ち上がって狼男みたいに目をらんらんと輝かせてしまうのだ。だけどねえ・・、近所を通り過ぎるだけじゃちょっと物足りないから、出来れば同じアパートで一家心中とか、猟奇殺人犯が実は階下に住んでいて、そこにはホルマリン漬けの・・なんて事にならないかなぁ・・などと日々考えておる次第です。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

ゴールドの輝きに魅せられた女たち

新しいケーブルTV会社に申し込んだところチャンネル数が今までより随分と増えたので女房は大喜びである。特に20年以上香港で過ごした女房にとっては台湾だか中国のチャンネルに時々香港の番組が入るのが嬉しいらしく、約4年ぶりに我が家の食卓に広東語が流れるようになった。

そうした番組の一つに香港の女タレントが美容関連のレポートをする番組があって、そこには台湾の漢方を利用した蒸し風呂やスリランカのウミガメの卵の顔パックなんて不気味なものがあるのだが、そこに韓国の金箔ボディパックなるものが登場したのだ。金箔とは金閣寺の外面に貼ってある薄~く叩き延ばした金のことである。

画面には水着を付けた女性タレントがマッサージ台の上に寝そべっていて、そこに金箔をペタペタと張り付けるのだが、その後何をするのかな・・と黙って見ていると、無色透明な液体をトロ~リと振りかけながらゆっくりと体を揉みしごいていき、すると今まであった金箔がきれいさっぱり消えて無くなったのだ。

「金が細胞の中にしみ込んでいく感じがする・・」などと香港女はうっとりした表情で言うと、韓国人テラピストがハングル語で何やら説明をはじめ、画面の下の方にテロップで「滋養強壮」とか「黄金魔術」みたいな漢字が現れたのだが、それを見た筆者は思いきり馬鹿にした笑い声をあげてしまったのだ。

理系の方なら良くご存じの通り金は濃塩酸と濃硝酸の混合液である王水でしか溶かすことが出来ないのだ。そして濃×酸という名の危なそうな液体名が2つ出てきたことからも想像できる通り王水とは劇薬であり、こんなものが肌に触れようものなら直ぐにアルカリ溶剤をかけて中和しないと病院送りは必至である。





ところが番組ではその王水をテラピストは素手で触っていて、香港人タレントも全身王水まみれになっているのに二人とも異常を訴えるどころかマタ~リと気持ちよさそうにしているではないか・・。ということはこの液体は王水では無く、よって顔に貼られた金箔も本物ではない!ということだ。

それで画面に向かって「こいつはニセモノだよ」と筆者が話したところ、傍に居合わせた女房と同居人の足の臭い姪イナはなんと筆者に向かって「そんなことは無い!」と反論しはじめたのである。テレビ局が取材してるんだから間違いがない!という事らしいが、筆者も紳士だから彼女らの無知さをあざ笑ったりせずに科学的に説明を試みたのだ。

ところがダメなのだ。当然ながら女房と姪イナは王水という単語も存在も知らないし、さらに化学反応という概念さえも持ち合わせていない様なのだが、テレビに出ている!というのと共に「金は身体によいのだ!」という固定観念があるのだ。その理由はご想像の通り「希少価値のあるものは身体に良い」という女性特有の誤った発想の連鎖である。

贋作を売りつけるには値段が高ければ高いほど相手が信用する・・という諺があるが、どうも目の前にいるこの愚鈍なフィリピン女二人はその罠にはまり込んでいるようだ。それでその間違いを正そうと筆者は化学方程式などを紙に書いて説明したのだが、そんな事は一切聞かないし見もしない女房は筆者に向かって「アンタには夢が無い」と言い放ち、足の臭い姪イナもそれに相槌を打っていたのだ。

おまえ等なあ・・、錬金術師たちが千年以上かけて悪戦苦闘した挙句に見つけた科学上の真理ってのが世の中にはあるんだよ!いくら女の脳みそが科学的に出来ていないとはいえ、丁寧な説明をしている筆者に対して「アンタには夢が無い」とは・・。まったく美容に目がくらんだ女はもはやどうしようもない。おまえ等なんか王水に溶かされてしまえ!






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

高級ブランドの産地偽装

毎年9月に香港で大きな交易展示会があって、このミンフン社も3コマのブースを確保して出展しているのだが、ふつうどの会社もアイキャッチのためブースの外にショーケースを並べて、デジタルカメラ付きとか液晶パネルが七色に発光する時計をこれでもか!というくらい並べているのに、ミンフン社だけは何もないのだ。

ショーケースに商品が置いてないのではなくブースの四方八方にショーケース自体が無いのである。それはまるで巨大な段ボール箱が一個ボン!と置かれている様な見てくれで、外壁に「ミンフン」と書かれたロゴが辛うじて見つけられるのと出入り口が1つあるだけで、紺のスーツを着た白人がそそくさ出入りする時以外は入口は固く閉じられているのである。

言っておくがアジアの展示会とは言え3コマの出展なら600万円くらい費用が掛かるのである。それで最初から新規の顧客を掴む気が無いのなら会場の上にあるグランドハイアットホテルのスイートルームでも借りて、そこで既存のお客と商談をすれば良いのに、一体この会社は何を目的にこんな不気味なブースを立てているのか?と訝っていたのだ。

それでミンフン社のオフィスに出向いた際には相手の口から何処の会社と取引をしているのか?を聞き出そうとしたものの、これが信じられないくらい口が堅く(ふつう香港人はこっちが何も聞いても無いのに自分がどの国相手に商売しているのかベラベラ話し出すものである)、何を聞いてもはぐらかすのである。外部機関の調査報告書を入手しても財務状況が大変よろしい以外は何一つ尻尾がつかめない。





ミンフン社のオフィスには数十人の開発スタッフ、しかも工業製品の場合だと価格帯が上がるにつれて人数が増えていくデザイナーがかなりいるから相当有名な客先を掴んでいるはずなのだ。それで変だなあ・・と思っていたのだが、ある時液晶パネルの外観不良という品質問題が発生していまい、運良く担当者が海外出張中だったためピンチヒッターとして筆者がミンフン社の中国工場へと出向いたのである。

液晶の外観不良と言うのは主観的な面が大きいため「ここまでは不良でこれ以上は良品」の判定調整が難航したのと、さらに彼らの工員たちを借りての検品作業を指揮しなければならなくなったため三日三晩泊まり込みとなってしまったのだが、ある時筆者とタッグを組んでいたミンフン社の女主任が「この状態でも不良認定になるのか?」と言ってこれまで見せなかった完成体の時計を持ってきたのだ。

そこに書かれてあったロゴはS◆ATCH・・・。当時世界で最もファッショナブルなスイス製時計と言われ、一日を千分割したインターネットタイムを売り出していたあの超有名ブランドだったのである。なおこの会社はスイス最大の時計会社として上はブ◆ゲ、◆MEGAからLONG◆NE、RAD◆,ブラ◆パンなど十幾つものブランドを抱えたスイス最大の時計企業でもあるのだ。

S◆ATCHが中国・深センの工場で作られている・・。もちろん最初は「これはニセモノだ」と思ったが、しかし彼らが買う水晶振動子(時計1個に1つ必要)の数は毎月百万個単位とあまりにも膨大な量だから、これがニセモノならとっくの昔に大きな訴訟になっているはずだ。それにその時女主任に見せてもらった時計とは数週間後のプレスリリースで再会したのだ。その時点では未発表の新モデル・・、つまりこの工場は本物を作っていたのである。





その後親しくなった日本の時計メーカーの技術者に聞いたのだが、パ◆ック・フィリップやロレッ◆スなど100万円を超えるようなブランドは今でも全ての部品をスイス製に厳選しているが、オ◆ガ、タグ・ホ◆ヤー辺りから中国部品が少しずつ入りはじめ(フランスやイタリア産部品はもっと多いらしい)、ロン◆ンだと半分近くは中国部品となり、それ以下はそもそもスイス国内で最終組み立てさえしていないというのである。

ちなみにスイス時計業界が外国から安い部品を仕入れるのは何も今に始まった事ではなく、この老技術者が東北の原発が吹っ飛んだ県のメーカーに就職した時には既にロン◆ンやゼ◆ス、レイ◆ンド・ヴェイルといった会社の担当者が買い付けに来ていたし、日本から直接スイスに売ると商流で足が付くから、間にイタリアやドイツ、フランスのダミー会社を通していたのだそうだ。

日本円の価値が上がってアジア各地から調達し始めたのと同じように、スイスだって人件費の高騰でにっちもさッちも行かなくなったから安い国から調達するのは理解できるが、日本の場合はそのコストダウンを小売単価に反映しているのに対し、スイスは「伝統工芸のマイスターの技」などとウソを言って寧ろ価格を釣り上げて来たのだ。それを有難がって大枚を払うおバカさんが世界中にいるのだから、スイス人はさぞかし笑いが止まらないだろう。

デパートの時計売り場や専門店に行くと「一生もののスイス時計は如何ですか!」などと売り込みをかけられるが、当然ながらこの事を知って以降は心の中で悪態をつくようになり、ただいま筆者の腕を飾っているのは国産の機械式で、これはオーバーホールしなくてもすこぶる調子がよろしいのでずっと重宝しているのだ。なおこの国産時計の社員は「実は部品の大半はウチの中国直営工場で作っておりまして・・」と申し訳なさそうな表情で白状していたことも併せてご報告しておく。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

〇〇〇産の裏側

ワイン好きなイギリス人の知人が目の前のボトルを指さして「このワインは何処の国で採れたブドウを原料にしていると思う?」と変な事を聞いてきた事がある。その時いたのは香港のパパラッチというイタリア料理店で、飲んでいたのはそれなりの値段がする赤ワインであり、ラベルにはフランス産と書かれていた。

筆者は酒の中ではワインが一番苦手であり(理由はブドウが嫌いだから)、どの銘柄がどういった由来で・・などと言われても全銘柄押しなべて不味いだけだからハナから興味が無いのだ。だから何も考えずに「フランス」と答えたのだが、このイギリス人は人差し指をボトルの半分の所にあてて「ここまでがフランスで残りは他の国だよ」と嬉しそうに答えたのである。

フランス産として国内消費と海外輸出されるワインの合計が年間〇〇リットルだとすると、その量を賄うためのブドウ畑は△△ヘクタールとなるが、これだと実際の農地面積をはるかに超えてしまうというのである。と言う事はニセモノなのか?と聞いたら、いやいや法律上はフランス製で間違いないんだけどブドウとしてはね・・・と言ってイギリス人は楽しそうにウンチクを語り始めたのである。

世界のワイン貿易には、誰にもお馴染みの瓶詰めされたワインの他に未熟成のブドウ原液と言う業界関係者しか知らない別のカテゴリーがあって、フランスの結構名の知られた大手ワイナリーでもこの原液を外国から輸入して自農場産のブドウ原液と混ぜ合わせ(或いはフランス産の樽に丸ごと詰めて)、何年か経ったら樽を開けて「フランス産ワイン」として売り出しているというのである。

ワイン原液の輸出国は南米のチリとアルゼンチン、それとスペインとブルガリアの4か国だそうで(これはイギリス人の知人から聞いた話なので正しいかどうかは?である)、近年のチリワインの隆盛が示す様にこの4か国で採れるブドウはかなりの逸品だから、これからワイン農場に投資をするなら一番知名度が低いブルガリアが買いなのだ!と力説していたのだ。





なるほどワインも工業製品と同じなんだな・・などとその時は妙に納得したのだが、しかし最終的には品質で決定的な差が出る工業製品と違ってワインの場合はフランスという国のプレミア感で相当マークアップしているのが実情だし、そのために国として色んな規格を作っていたはずなのだが、こんなんでいいのかね?と考えれば考えるほど首をかしげてしまう。

しかしこういう誤魔化しというのは何もワインだけでなく、食品業界ではスコッチウィスキーやプロシュートなどのハム、それにキャビアなども同じらしいのだが、しかし筆者が垣間見て来た業界には同じくらいなのがあるのだ。ちょっと小じゃれたスーツに値の張る革靴とカバンなど身に着けた方なら興味があるだろう商品である。

以前にも書いたけれども筆者はもともと液晶関連の設計屋で、後に液晶パネルやフラッシュメモリー等の電子部品の営業職になったのだが、まだパソコンや携帯、タブレットが主流になる前の時代に顧客の中で大きなウェイトを占めていたのは時計業界であった。もちろん◎ショックで有名な日本の会社も顧客であったけれども、数量ベースでは香港や中国・台湾人資本の独立系中小メーカー群が世界の80%を占めているのである。

例えばユニクロやギャップが多角化のため時計も商品ラインに加えたい!と思ったら、彼らのために独自のデザインを開発し、部品調達から生産まで何もかも賄ってくれるOEM時計メーカーが香港・台湾・中国には数千社いるのである。その中でも年間売上高20億円、工場も含めた従業員が千人を超えれば大手と見なされ(日本よりケタ一つ少ないが、その一方利益率は1ケタ多いのだ)、ミンフンメタル社(仮名)はその一社だった。

この会社は香港人がオーナーで、ごく少量の液晶パネルと膨大な量の水晶振動子を注文してくれるお得意さんなのだが、筆者はここの営業担当では無かったものの上司に対して商談に参加させてほしい!と申し出たのだ。どうして自分の業績にもならないことをするのか?と言うと、この香港人の会社がなんとも得体の知れない不気味な存在だったからである(続く)。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

ウクレレを奏でる隣人

つい先日の日記で近所のLPガス業者でボヤが発生し、30分後に積んであったガスボンベに引火して大爆発を起こした一件を書いたが、死亡事故となった悲惨な一幕の中にも思わず爆笑してしまう出来事があったので大変不謹慎ながら今日の日記としたい。

筆者のアパートの隣には老夫婦が住んでいて、この家の爺さんはボケが回っているのか朝から晩まで廊下をウロウロ歩き回るし、とてつもなく臭い料理を朝と晩に作るので筆者ら夫妻は「お前ら早く出ていけ!」と陰ながら願っているのだが、この隣人もクリスマス前からちょっと変わった事になっているのだ。

若い娘さん二人をよく見かけるようになったのである。最初は家政婦を雇ったのかな?と思ったのだが、女房が見た感じではどうも孫娘が田舎から単に遊びに来ているのか、職探しではないか?というのである。(なお筆者ら夫妻はこの老夫婦と言葉を交わすことも無く、方言がきつくて漏れ聞こえる会話も解読不能のままでいるから想像するしかないのだ)。





この若い娘たちは音楽をガンガン鳴らすとかキャーキャー騒ぐようなことも無いのだが、ただ一点不思議なのは深夜になるとウクレレの音がかすかに漏れ聞こえてくるようになったのだ。あの牧伸二が「あ~♪嫌になっちゃうな♪」という唄と共に弾いていた弦楽器のウクレレである。これを随分と長い時間かけて弾いているのだ。

あの娘たちの田舎じゃウクレレ弾くのが習慣なのか?それとも常磐ハワイアンセンターみたいな施設で職を得ようと練習してるのかな?などと想像していたのだが、音がそれほどうるさくないのと何より若い娘さんだから腹は立たない。それで松明の火に照らされたビーチで長い髪の乙女がウクレレを弾いている光景など想像していたのだ。

そのウクレレのかすかなメロディーと筆者が大好きな怪談、それとサイレンの音を聞いている最中で例のガス爆発事故が発生したのだ。爆発音がズドドドドーン!と押し寄せて来たのにびっくりした筆者はドアを開けて別の隣人らと「今のはなんだ!」と話し始めたのだが、そのとき隣の部屋のドアが開いて「&%#*@?」という声が聞こえた。





振り向くとドアから顔を出して不安そうな表情で話しかけているのはボケジジイでも婆さんでもうら若き長い髪の二人の孫娘でもなく、40歳くらいの小太りでチリチリ頭のオヤジで(どうも孫娘の父親らしい)、その男をよく見ると・・・。月亭可朝にそっくりだったのだ。

ギターを手に「ボインは~♪赤ちゃんが吸うためにあるんやで~♫」と歌っていたあの懐かしの関西芸人である。その瞬間にウクレレを真夜中に弾いていたのはコイツだ!と確信するとともに、思わず笑いがこみあげて来て必死にガス漏れならぬ笑い漏れを耐え続けたのだ。

なおこの日記を読んでもちっとも面白くないだろうが、これは筆者の表現力乏しさからくるものであり、もしもアナタが夜中のウクレレ音を聞きながら南方の島のロマンチックな習慣をあれこれ想像し続けるところから経験されたのなら間違いなく大爆笑するであろうことを確約いたします。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

木枯らし吹く夜の虚しい話

歩いて10分の距離に住むエスター叔母から「今日は息子の命日だからパンシットを食べに来なさい」とお誘いを受けた。パンシットとはフィリピンの麵の事で、エスター叔母の故郷パンパンガ州では行事の際にパンシットを作る習慣なのだ。

それで女房と二人で30年前に事故で無くなったエスター叔母の長男の写真へと祈りをささげ、さっそく新しいジョニーウォーカーのボトルを取り出してダニー叔父(エスター叔母の夫)と飲み始めることにしたのだが、そこで突然「そうだ!日本人を呼ぼうじゃないか!」と言い出したのだ。筆者では無くて別の日本人である。

なんでもこの町内に日本人と結婚した娘がいて、ただいま里帰りで夫と一緒に滞在しているというのである。そしてこの娘と夫がお土産を持って挨拶に来た際に「俺の姪も日本人と結婚してこの近所に住んでいるんだ!」と言ったら、ほう、それは珍しいですね・・などと言っていたというのである。

ふつう里帰りと言ったらクリスマスから正月にかけてするものだが、航空運賃の料金が跳ね上がっていたのか、或いは日本人の旦那の仕事の都合がつかなかったのかは知らないが随分と変則的な時期に来たものだな・・と思った後で脳裏にチカチカッと電灯が光ったのだ。

旦那ってヤクザなんじゃないか?いや何か確証があっての事ではないのだが、マブチモーター事件の小田島死刑囚や市川一家四人殺人事件の関光彦死刑囚などフィリピンと関わりのある人間はとかく犯罪者が多いのである(その筆者だってフィリピンにいるんだけどね・・)。





ダニー叔父は筆者の意思も聞かずに「日本人を呼びに行く!」と言って出て行ってしまい、結局筆者は一人でちびちびウィスキーを舐めながら「ややこしい野郎の場合はこういう口調で追い払ったほうがいいかな」などと元営業マンらしく話のもって行き方をずっと練っていたのだ。

ところが15分後にダニー叔父はなぜか丸美屋のふりかけパック(わさび味とか海苔玉の小袋が10袋まざったやつね)を手に戻って来て「あの日本人はタガイタイに旅行に行ってもうパッシグには戻って来ないそうだ」と残念そうな口調で言ったのである。

へえそうか。まあこっちも別に会いたくもなかったからな・・と瞬間思ったのだが、そこへ背後からエスター叔母の「おかしいわね」という声が聞こえて来た。今朝なんとかマリア像のお堂に祈りに行くときにあの家の脇を通ったら日本人が家の中にちゃんといたし、それに車だってずっと家の前に停まってるじゃないか・・と言い出したのだ。

要するに居留守ってことらしい。その理由はもう間違いなく「こんなところに住んでいる日本人なんか危なくて会えるか!」と向こうさんも思ったからであろう。奇しくも両者とも同じ考えをしていたわけで、居留守を使った分だけ向こうの方がより高リスクだと判断していた様だ。

それで帰り道にわざわざ回り道してそのフィリピン嫁の実家の横の小路を横切ったら、案の定すべての窓から光がこぼれていて、愛車トヨタ・ヴィオスもガレージの中に停まったままだった。繰り返すが別に会う気なんかハナから無かったんだけど、なぜか心の中に木枯らしがヒューと吹き抜けた気分になった。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

藤に絡みつかれた高貴な一族

蘇我入鹿を殺害した乙巳の変(645年)あたりの朝鮮半島の情勢を見ると、アジア随一の大国である唐と朝鮮半島の東端にある新羅が軍事的に結びつき、間に挟まれた高句麗と百済がじわじわと追い詰められていた時期であり、現実にそれから15年後の660年に百済は唐の派遣軍によって滅ぼされている。乙巳の変の目的とは蘇我氏の専横どうのこうのでは無くて親新羅のスタンスを採る日本の外交政策を百済に向けさせるためだったと理解する方が自然であろう。

そして百済滅亡後の百済勃興運動を支援するため天智天皇とフィクサー藤原鎌足が軍を送ったことや、天智死後に権力を奪取した親新羅の天武天皇の血筋を絶やして親百済の天智天皇の血統へと皇統を無理やり移し続けた持統天皇(天智の娘で天武の妻)と藤原仲麻呂の奇妙な動きを見ると、やはり藤原氏は百済人だったのだろう・・と思えるのである。

この藤原鎌足の正体については既に何人かの学者が当時人質として大和の地にとどめ置かれた百済王子豊璋である!と明言しているのだが、そこまで大物だったら逆に朝鮮の古文書に「百済人が倭国を背乗りした」と書かれるだろうから、筆者は百済人ではあるものの藤原鎌足はもっと下っ端の人間だったのではないか?と思っている。

それと藤原氏が天皇を追い落として自ら政権を打ち立てなかった事は古代史の謎として語られているが、これも日本各地の豪族たちは藤原氏が日本人では無いことを知っていて、とても神輿に担ぎ上げられるような立場ではなく、それに藤原氏も矢面に立つよりは天皇家の外戚という立場を利用して裏で実権を操る方を好んだ・・と考えた方が合理的である。

そういう前提で見れば、藤原氏の出した諸政策が唯我独尊で無茶苦茶なのも、彼らが外国人で日本人など飢えようが死のうがどうでも良い!ただただ我々藤原氏と便利な盾になってくれる天皇家だけが繁栄すれば良いのだ!と思っていたからだ・・と考えれば妙に納得がいくのである。(ちょっと話はずれるけどこれって在日に浸食される現在の日本と似ているように思えるのは筆者だけだろうか)





さて以上今まで何日かに分けて藤原氏の出自について日記にしてきたが、筆者がこの事を考える度に思うのはやはり天皇家のことである。右の思想をお持ちの方たちは天皇は万世一系の高貴な血筋であり、古来よりずっと日本の安泰をお祈りしてきたのだ!などと誇らしげに言うけれども、筆者は「なに言ってんの?」としか思わないのだ。

藤原家の嫁を貰い続けて濃縮された血を高貴などと呼称すべきではない。それまで何事も合議で決めていた平和的な古代日本人から何もかも奪い去っていった殺戮者、収奪者の血を誰よりも濃く継いできたのが天皇家なのだ。いうなればアステカ文明を滅ぼしたスペイン人コルテスのような存在なのに、その子孫たちが人々の幸福を祈ってきたのだからお前らみんな敬え!と言われても白々しいだけだ。

もちろん明治維新の際には西欧諸国にとってのキリスト教のような柱となる思想が無い日本に「天皇の下では皆平等に赤子」という精神的中核の役割を果たし、近代国家の建設に多大な貢献をしたことは筆者だって高く評価するけれども、しかし平安時代以前の天皇家を調べるにつれこの一家には褒めるところが何処にも見つからなくて、正直日本に張り付いた害虫としか思えないのだ。

ちなみに筆者は英仏独三国を合わせた程度の通常兵器力を保持した上で日本は核武装すべきだし、在日は寝たきり老人だろうが全員漏れなく強制送還して、朝鮮半島と中国、ロシアに足しては恫喝外交を時には使うべきだという考えの持ち主なのだが、こと天皇家に関しては功罪吟味したうえで「有っても無くても良い」という結論である。

以前の日記にも書いたが筆者の祖先はスサノオを奉る氷川神社の宮司だから血統的にはどう考えても天皇と藤原氏に滅ぼされた東国の民、毛人とか蝦夷と蔑称された縄文系の末裔なのである。したがって日本の精神的リーダーとは百済人の泥棒一家とその付属物などではなく、天皇家と覇権を争った東国武士である!との認識を日々強くしている。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

異形の一族

外国人から「日本人社会の特徴を端的に表す言葉は何か?」と聞かれた場合、筆者は「身分の上下に関係なく同じメシを食う事である」と答えている。江戸商家を描いた小説など読めば大番頭と丁稚奉公たちが大勢集まってワイワイ食事をしているシーンが多いことを話すと、階級社会が根付いた欧米人は「信じられない」という顔をするのだ。

社会の中での位置や給料も違うし、お互い色々と文句もあるだろうけど食べ物に差は付けない。徳川時代の百姓は粟や稗みたいな雑穀しか食べられなかったと明治政府は喧伝したが、当時の米の生産量(約3千万石)と日本の総人口3千万人は釣り合いが取れていたからこれは全くのウソであり、庶民だって武士や寺の坊主と同じように白米を食べていたのだ。

それから武士と言うのは戦が商売だから、彼らが支配した時代とは人間の生命の価値が軽んじられていたのだ!などと言う御仁もいるが、戦争は数と言う諺通りどれだけ多くの人間を駆り出されるか?とともに、どれだけ安定した工業農業生産を確保できるかが鍵になるから、武士は自分たちの生産の担い手をむしろ出来るだけ大事にしていたのである。

もちろん江戸時代には身分制と言う現代人の目から見れば極めて非人道的な制度があったのは事実だけれども、しかし未熟な文明社会で安定を確立するにはヒエラルキーが重要であり、それに階層が上の人間たちも下層の人間がちゃんと生産活動に従事できるよう知恵を巡らせた施策を出していたのだから、今日われわれが考えるような過酷な社会とは実像は随分と違っていたようである。





ところが日本の歴史を俯瞰の目で見てみるとそういう上下一体の意識が全然ない時期があって、それは皆さんもうお察しの通り平安時代である。白黒映画にはすっかり荒れ果てた都の様子が良く出て来るが、この一見平和そうな名前の付いた400年間とは国家財政は完全に破たんし、都には盗賊が跋扈して人心はすっかり荒れ果てた暗黒時代そのものである。

そうなった原因は時の権力者藤原氏が国の財産をあらかたネコババした上に行政上必要な事を何一つしなかったからで、この一家は儒教という鼻持ちならない自己中心的な脳内麻薬的思想に囚われてしまい、我々の様な高貴な人間は下々の些細な事にかまわずに詩でも詠んでいればよい!と本気で思っていたのだ・・と言われてきた。

しかし本当に儒教だけでこの説明がつくのだろうか?。例えば後年の日本でも儒教は随分と盛んに学ばれたが、上杉鷹山のような高貴な人間が自ら肥桶を担ぐことが儒教の美徳と全くアベコベの解釈がされたように、日本の儒教は本来のグウタラ君子を目指せ!からすっかり姿かたちを変えてしまい、むしろ上下関係なく同じメシを食うとか労働は正しい!というプロテスタント的性格を帯びてしまうのである。

日本人に外来の思想を与えても全く別のモノに換骨奪胎されてしまう・・。これは日本人には何もかも古代共同体的な思考に変えてしまうプリズム的特性を持っているからなのだが、なぜだか平安時代の藤原氏だけはプリズム化せずに純粋な儒教の体現者でいれたのだ。この不思議な現象がなぜ起こったのかと言えば、藤原氏は日本人では無かったからだ・・と考えるのが妥当ではないだろうか。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

ガス爆発で命拾い

昨晩ベッドに横たわりながらアマチュア怪談師の話を聞いていたら外からやけにサイレンの音が聞こえてくることに気が付いた。1台や2台どころではない。また近所でヤクの売人の死体でも見つかったのかな・・と思ったが、サイレンの数はどんどん増えていき、それが割合と近所で止まるのである。

天変地異や事件事故が好きな筆者は一体何が起こったのか?と気になり、だったら今から見に行こう!と思ってステテコに履き替えたのだが、そこで女房が目を覚ましてしまい「あんた!こんな夜中にどこ行くの!」とうるさく喚くので仕方なくベッドに戻って怪談を聞き直すことにしたのだ。それが午前1時10分のことである。

ところがそれから20分後、怪談が佳境に差し掛かったころに突然ズドドドドドーンという凄い轟音があたり一帯に響き渡り、それとともにアパートの電気が一斉にパッと消えると何かの警報装置がピーピーピーッと鳴り始めたのである。

な・なんだ今の音は?と部屋を飛び出ると、隣人たちも廊下に顔を出していて「火事か?」「屋上の方から音が響いてきたぞ!」「クリスマス前にボヤを起こした階下の一家が今度はガス爆発を引き起こしたんじゃないか?」と話しているのだが、そこへ誰かが廊下の窓の外を指さしながら「◎△%@$#!!」と叫んでいるのを見つけた。

真夜中にもかかわらず濛々と煙が上がっているのである。どうも数百メートル先で何かが爆発したらしいのだが煙の大きさから言ってかなりの規模だ。そして窓から顔を出してみんなで煙を眺めていると先ほどよりももの凄い数のサイレンが周辺から集まり始めたのである。こりゃ見に行くしかないな!と筆者はまた思ったのだ。





しかしガードマンが筆者らの方に近付いてきて、近所のLPガスステーションが爆発したらしい事、もう一度爆発する可能性が高いので爆風にさらされると危険だから窓から離れる事、それと絶対に外に出ない様に!と言うので渋々ながらも部屋に戻ってテレビでニュース速報を見ることになったのだ。心の中でチッ!と舌打ちである。

事故の概要を知ったのはそれから2時間ほどたった頃で、ガソリンスタンドに隣接したLPガス充てん業者の建物内にガスが充満しているのを発見した人間が消防署に通報したのが午前1時の事で、この通報で集まって来た消防車やパトカーのサイレンの音に釣られた筆者は見物しに行こうとしていたわけである。

しかし1時30分に充満したガスが引火して大爆発を引き起こし、それがズドドドドーン!!の衝撃波となって押し寄せるのを聞いた筆者は再び外出の欲望に駆られたのだが、実はこのとき数十人の人間が炎に包まれて重傷を負っている上に、さらに隣のガソリンスタンドに引火しかねないという超危険な状態になりつつあったのである。

幸いな事に消防車が大量に押し掛けたおかげで二次災害は防げたわけだが、もしもガソリンスタンドが燃え上がっていれば近くのスカッター(不法居住者)地区まで火が広がって下手すると百人単位まで死者数が昇っていたかもしれなのだ。しかしそう聞いても筆者の脳裏を占めているのはもちろん自分自身の事だ。

もしもあの時女房が止めなかったら筆者は間違いなくLPガス充てん業者の傍まで行って、しかも性格的にも他の人間を押しのけて一番真ん前に立っていたはずである。そしてそこへ強烈な爆風が襲ってきたら今ごろ・・・。こういうのは命拾いしたとは言わないのかもしれないが、ただいま女房に心の底から感謝しております、はい。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

日本史の陰に隠された妖怪たち

筆者は毎晩アマチュア怪談師の話を聞きながら眠りにおちる重度のオカルトマニアであるが、じゃあ怪異系なら何でもかんでも好きなのか?と聞かれると実はそうでもなく、とくに妖怪変化の類については話が始まるとボリュームをOFFにしてしまうほど偏見を持っていた。

妖怪ヌリカベにヌラリヒョンなんて話をしている人を見ると「バッカじゃないの!」としか思わないし、狐の祟りやタヌキに化かされた話は精神医学が発展していなかった時代の統合失調症患者のことだ。昔からゲゲゲの鬼太郎が嫌いだったのも妖怪たちは筆者の中にある科学的線引きの向こう側にいる幼稚な存在だと見なしていたからである。

だから当然ながら河童や天狗、鬼などというのも全く興味が湧くことは無かったのだ。まあそうはいっても天狗は難破船に乗って流れ着いた白人種だとか、天狗の場合は修験道の格好をしているから世捨て人かなんかだろう・・といった合理的な解釈はしていたけれども、河童と来たらもはや話す価値も無いほど存在であった。

しかし考古学に興味を持つうちに民俗学的見地から妖怪変化を論じる学者が世の中にいることを知り、その方の書かれた本を読んでいくうちに今までとは打って変わって俄然興味が湧いてきたのだ。水木しげるの書く妖怪には箸にも棒にも掛からぬものが多いけれども、しかし河童や鬼と言うのは実際に存在した人間たちである・・と知って思わず引き付けられたのである。





鬼については一昨日の日記で書いた通り鉱山を生業とする部民(種族)であり、ついでに一つ目の鬼とか、一本足の鬼はというとタタラ製鉄に従事する人間は長年炎の温度を見る(=炎の色で判断する)うちに片目が駄目になってしまい、それと鞴を吹かし続けることで片足が駄目になってしまうという職業病に由来した不具者をデフォルメした存在なのである。

でもそれなら「お百姓さんに感謝しながら米を食べましょう」と同様に「鉄を使う時は片目片足の可哀そうな方たちの事を思いましょう」と感謝の気持ちを込めて人間として扱えば良いじゃないか!と思うだろうが、その反対になってしまったのは彼ら鉱山製鉄業者は大和朝廷にとって攻め滅ぼさねばならぬ敵、つまり後年の鬼畜米英と同じ扱いだったからなのだ。

筆者のような凡人は権力の度合いを平面図、つまり耕作可能な陸地の支配面積の広さで判断しがちだが、電撃戦という優れた戦術でヨーロッパの半分を制圧したナチス・ドイツが馬鹿にしていたソ連に敗れてしまったように、天然資源こそが権力基盤の為には何より重要で、百済から来て大和朝廷を背乗りした藤原氏はそのことを良く判っていたのだ。

それで大和盆地を押さえた後に四方八方に軍隊を派遣して鉱山を制圧していくのだが、日本の地下資源の問題は豊富にとれる水銀に比べると鉄の採掘量が余りに少ないことで、仕方なく葦の生える湿地帯に発生するスズ鉄で代用していたりしたのだが(鈴木の苗字はこのスズ鉄生産に由来している)、丈夫な農耕器具でより多くの土地を開墾するためにはやっぱりグズグズのスズ鉄じゃ硬度が弱いからだめだ!と言うことになったのだ。





当時アジア最大の鉄鉱山は朝鮮半島の新羅にあったが、海を越えての輸送が大変なのと百済出身の藤原氏にとって新羅は現に白村江の戦いまでした天敵だ。そこで出てきたのが古典的な砂鉄の大量採取なのだ。鹿島・香取両神宮がある鹿島灘一帯や「神奈川(金川)」とか「鎌倉」なんて金属っぽい名前がついた場所は鉄分を多く含んだ砂が取れる場所を表しているのである。

しかし鉄1トンを生産するために必要な砂鉄を採集するには膨大な数の労力が必要になる。で、それをしたのが誰かと言うと河童なのだ。は?あの頭に皿が乗っかった緑色の両生類がか?と思うだろうが、北九州の遠賀川流域や神奈川の目久尻川、茨城の牛久に岩手の遠野など河童伝承がある地域は同時に砂鉄の産地でもあることや、何より河童が三本指であることが彼らの正体を見事に表しているのだ。

指が三本しか生えてないのではなく元々五本あったものを二本切り取られたのだ(最近の漫画では別の理由から五本指に描かれている)。それは弓をひたり太刀を握ったり出来なくするためで、河童の正体とは藤原氏の軍勢に下るのを良しとしなかった豪族や東北の蝦夷たちであり、彼らの多くは軍事的に制圧されて捕らえられ、そして二度と武器を持てないよう不具者にされた上に川に放りだされた正真正銘の人間なのだ。

それを汚らわしい生きモノと見なしたのが天皇家と藤原氏なのである。そして当時の多くの庶民はそんな河童、または河衆(カワズ)に対して憐れみの目で見ていたが、いつしか時代が下るうちに自分たちを同じ人間であるという意識が薄れていき、やがて想像の中で奇怪な形にデフォルメされて石や棒で追われる可哀そうな存在になってしまったのである。(続く)






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

刑場の跡に建てられた街

年末年始の外国の友人たちを見ていると日本に遊びに行った人間が多い事に気が付いた。例えば筆者の旧仕事関係だけでも同僚だったサンディーはこの寒い中なんと札幌に出かけ、取引代理店オーナーのエリックは東京のホテルオークラに、そして頭脳明晰なチョイ女史は一家全員で九州の豪華温泉宿に長逗留し、アメリカ人のジェフは何でか知らないが名古屋ヒルトンにいたのだ。

世間では日本の観光ブームはピークを過ぎた!などと言う人間がいるが、筆者の友人たちは皆10回とか20回の訪問経験があるリピーターだから、日本の観光パワーはむしろ以前よりも深みを増していると断言してよいだろう。物見雄山の中韓両国民が減って懐と頭の中身が豊かな外国人訪日客の純度が増していくのは大変好ましいことである。

さてそんな知人たちの中にいたのが今から20年前に筆者と一緒に働いていた香港娘キャンディーである(ただし現在は中年化しているが)。筆者はこやつを妹のようにかわいがっているのだが、クリスマスの翌日に「大阪の美味しい店を教えてよ!」というメッセージが突然来たのだ。なんと旦那と息子と一緒に生まれて初めて大阪に来たのだが、ガイドブックに載って無い様な店に行きたい!と言うのである。





それで筆者が大阪に来たら絶対に行く東心斎橋の焼肉屋とか、梅田にある明朗会計で懐に優しい寿司屋、それとちょっと離れているけど松屋町の気の利いた割烹などを紹介したのだが、ところでお前は一体どこに泊まっているのか?と聞いたところ、これが大阪ミナミのど真ん中にある○○○○○ホテルだと返事がすぐ来たのだ。

キャンディーがこのホテルを選んだ理由は良く判る。このホテルは難波駅と道頓堀を結ぶアーケード街のど真ん中にあって、あたり一帯には寿司やうどん、551蓬莱軒や二見のぶたまん、ラーメン金竜に名物タコ焼き屋などがひしめいているのだ。それに部屋のサイズは23平米と少し広い割に宿泊費は1万2千円くらいと大変こなれているから、B級グルメ好きでミーハーでケチなキャンディーにとってホテルといったら確かにここ以外ないのである。

それと筆者も2年前に女房と一緒に大阪に5日だけ滞在した際には大阪名物コテコテを満喫できるこのホテルに泊まろうとしたのである。しかしたった1日予約するのを遅らせたせいで部屋が満室になってしまい、泣く泣く天王寺駅前のホテルに切り替えたのだが、後で何気なく調べてみたら、この1日の差は誠に僥倖としかいいようが無かった事を知ったのだ。





このホテルは幽霊が出るのである。これは是非とも心霊スポットサイトを調べてみることをお勧めするが、その昔ビートたけしがグランド花月劇場で公演した時に泊まったホテルに幽霊が出た!という話があるが、そのホテルというのがここなのである。千日前の幽霊ホテル・・と聞けば地元の人は間違いなく「ああ、あそこやな」とここの建物を思い浮かべるのだ。

千日前と言えばデパート火災で118人が死んだ千日デパートが有名で(火災後は建て替えられてプランタンになり現在はビックカメラ)、ここは筆者のようなオカルトマニアにとっては涎が止まらない逸話が数多く残されているのだけれども、実は幽霊が出るのはこの火災ビルだけでは無くこの一帯全てであり、いや正確に言えば千日前エリアと言うのは呪われた土地なのだ。

そもそも千日前と言う名前は大坂冬の陣と夏の陣で死んだ膨大な数の兵士の遺骸をここに運んで千日間読経して弔ったからで、やがて豊臣家は滅びて徳川の奉行が大阪に送り込まれるとここに刑場と墓場を作ったのである。東京でいえば鈴ヶ森や小塚原の様な場所で、ふつう刑場跡地と言うのは寂れているものなのに、なぜかだか大阪千日前は日本屈指の繁華街になっているのだ。





さて世の中には筆者のような不気味な話が好きな上に調べごとが得意な御仁がいるもので、その方が千日前の刑場は具体的にどこになるのか?を調べたところ、首を刎ねた刑場はアムザビルのある当たりで、ビッグカメラがある場所は墓場であり、罪人の骨を捨てた灰場は味園ビル、そして遺体を焼いたのは○○○○○ホテルのある場所であることを突き止めておられるのだ。それが上にある地図である

キャンディーが火葬場の跡地に建てられたホテルに滞在している・・。そう言えばその昔社員旅行で行ったマカオのホテルで怖がりなキャンディーをド迫力怪談で脅かして恐怖のどん底に陥れたことを思い出した。常識的な人間ならばこんな不吉な事は黙っているものなのだが、オカルトマニアというのは誰かを恐怖に震えさせた時のあの快感が忘れられないのである。

それでキャンディーに「お前の泊まっているホテルはこれこれこういう所で・・」とつい出来心で伝えたところ(漢字が読めるので当然地図と処刑イラストも添付した)、それから2週間「レストランの味はどうだった?」といった筆者の問いかけに対しキャンディーからは何の返事も来なくなってしまったのである。それでただ今自らの行いを後悔しているのだが、じゃあもう二度とこういうことをしないのかと言うと・・。また絶対やるよ。それが怪奇マニアの性(さが)なのだ!






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

豆まきと悲しき鬼たち

一昨日昨日と2回にわたって正月に呑むお屠蘇とは、天智天皇と共に乙巳の変を起こして大和の権力を背乗りした百済人藤原氏が「蘇我氏の残党どもを攻め滅ぼして何もかも奪ってやる!」という征服欲を実現するための呪術であり、それから千年経った今日われわれ日本人はこの狡猾な百済人の歪んだ欲望を意味も知らずに有難がっているとは何とも皮肉である・・という事を日記に書いた。

ちょっと筆者の文章力がヘタなので上手く伝わらないかもしれないが、これって広島原爆投下は正義の一撃だ!と後世の広島市民が叫んで紙飛行機と花火を使った行事をしているのと同じである。この狂った祭りの仕掛け人は当然ながら原爆を落としたアメリカで有り、お屠蘇の場合は藤原氏なのだけれども、しかし日本の昔からの習慣を見るとお屠蘇よりももっと酷いものがあるのだ。

豆まきである。今でもベランダに出た若い母親と小さな子供が「鬼は外!福は内!」と叫んで豆を播くのを見ると誰もが微笑ましい思いになるだろうが、しかしここでいう鬼とは何なのか?とじっくり考えてみれば多くの日本人にとってお屠蘇以上に大変屈辱的な意味合いがあることに気が付くのだ。





中国文化圏に滞在された方なら中国語の鬼とは角を生やした化け物ではなく「目に見えないもの」つまり幽霊を指す事をご存じだろう。ちなみに西遊記には金角銀角という角を生やした鬼が出て来るが、あれは日本向けにデフォルメされたものであり、本家本元の中国には日本風の角を生やして金棒を持った赤青二色の鬼というのは概念上存在しないのである。

ところが何で日本では角を生やした化け物に鬼と言う文字を当てたのかと言うと、これは「中国では見えない存在を鬼と呼ぶ」の「見えない」に相当する言葉が日本では「見てはいけない」という解釈、つまり儒教的な貴賤の概念から「見る価値が無い」、或いは扇子の仲骨の隙の部分から透かして見るほどの「汚らわしい存在」が鬼である・・という風に変化していったからだ。

で、その鬼とは具体的に誰なのか?というと鉄や水銀など鉱山採掘を生業としていた部族なのである。古代より鉄は武具や農耕器具、水銀は金精製のためのアマルガム媒介物、金銀は今と同じく貴金属として非常に重要な物資であり、古代の権力者たちにとって鉱山とは農地なんかよりもよっぽど重要な何が何でも抑えたい戦略目標だったのだ。





そこで鉱山の人間を殺戮することを正当化したいために「あの連中は人間ではなく鬼という化け物なのだ」と規定したのだ(ここで感じたであろう違和感は別の日記で説明する)。赤い色をした水銀原石(辰砂。朱とか丹と呼ぶ)を生業にしている部族なら赤鬼であり、青い色をした鉄原石鉱山なら青鬼である。話はずれるが今でも「鬼に金棒」なんて呼ぶのは彼らが棒なんかを鋳造する製鉄民の顔を持ち合わせていたからで、このデフォルメ化は理に適っている。

なお戦国時代の日本は攻める滅びるは日常茶飯事だったから、鉱山経営していた古代の部族が制圧されたことに対しては筆者は憐憫の情は湧かないのだけれども、しかし彼らを鬼と言う化け物にデフォルメして貶めた事や、さらに鬼の定義を良く見ていくと話はここで終わりでは無くて、藤原氏の軍門に下った後に土地を追われた上に鉱山送りになった東国の民までもが鬼と称されていることに筆者は憤りを感じるのだ。

捕えられ鉱山送りとなった彼らは鬼と言う化け物と見なされたから、ろくな食べ物も与えられず死ぬまで奴隷労働で酷使され続けたのだ。繰り返すが彼らは百済出身の藤原氏に軍事制圧されるまでは良き夫良き息子であった純朴な日本人なのである。その彼らを鎮魂するどころか「鬼は外!」と叫んで追い払っているのが豆まきという習慣なのだ。もちろん豆を播いているのは悲しきことに鬼の末裔である日本人なのである。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お屠蘇の「蘇」

正月に呑む祝い酒に『お「屠」蘇』なんて縁起でもない文字を当てたのは、これは誰かを攻め滅ぼしたい!奪い去りたい!という強烈な悪意を実現するための呪術である!という推察を昨日の日記にしたが、では日露戦争時の「征露丸(元々の名前)」の露に相当する「蘇」とは何者なのか?という疑問について書いてみたい。

筆者は長らくこの「蘇」をそのまま「よみがえる」という意味で捉えていて、確かに平安貴族たちは疫病の蔓延や天変地異は菅原道真や長屋王の怨霊のせいである!と怯えていて、言霊の力で霊を退散するため和歌をひたすら詠んでいたのだから、お屠蘇を吞むというのも身近にいる悪霊たちがゾンビみたいに蘇えるのを封じる儀式である!と思ってきたのだ。

しかし一昨年に奈良・法隆寺を訪れた際に、この寺の聖霊会という重要なイベントのクライマックスに蘇莫者(そまくさ)という不気味な幽霊が登場すると聞いて何かぼんやりした像が頭に浮かんだのである。普通に考えれば蘇莫者は「蘇った亡き者=ゾンビみたいな悪霊」と解釈するのだろうが、ここ法隆寺は聖徳太子と言う架空の人物ではなく蘇我氏三代の魂を封じ込めた結界だからだ。





それと東北には蘇民祭りという奇祭が数多く残されていて、これは古代大和の王にして国津神の頭領スサノオに由縁がある蘇民将来のための祭りなのだが、この祭の所在地を調べていくと蘇我氏の旧領地を示す須賀や須加、曽我、あるいは菅というような地名が数多く登場することを何かの本で読んで知っていたのだ。つまり蘇我氏の古の姿を蘇民将来という架空の人物に移し替えたらしいのだ。

「蘇」というのは「よみがえる」ではなく蘇我氏の事ではないのか?それで興味を持った筆者が調べてみたところ(途中の詳細は長くなるので省くけれども)蘇我氏と言うのは良く言われる渡来系部族などではなく、北陸から東日本、東北に生息していた旧縄文系の原住日本人、つまり大王スサノオの末裔とでも言うべき一族だという仮説に辿り着いたのである。

ちょっとここで整理すると「屠蘇」とは「蘇我の連中は滅ほしてやるわい!」、或いは「打ち殺した蘇我どもは化けて出てくんな!」という意味を込めて酒を飲む・・という事だと筆者は言ってるのである。じゃあ一体誰がそんな悪意のある願掛けをしていたのか?と言えば、それはこの習慣が始まったのが平安時代であることからしても藤原氏で間違い無いであろう。





645年の乙巳の変とはおバカな天智天皇をそそのかして蘇我王朝を打ち滅ぼした百済系渡来人藤原鎌足のクーデターであり、藤原氏が大和の地を押さえた後も水銀や鉄、金など天然資源を収奪するために蘇我氏ら蝦夷たちのホームランド東国に攻め込んでは徹底的に打ち滅ぼし続けたのだ。その軍事行動が完了したのは蝦夷の軍事指導者アテルイの処刑した802年である。

つまりお屠蘇を吞むとはこれがアメリカなら先住民族インディアンたちに見立てた標的を銃で撃つ祭りが国民的行事として開催されているのと同じ様なもので、それを日本では「有難い事だ」とか「祝いだ」などと実態にそぐわない形容詞を付けては親から子、子から孫へと伝えていったとは・・。東国出身でスサノオを奉る氷川神社の末裔で有り筆者にとっては考えれば考えるほど実に不愉快極まりない行事である。

それにである。冷静に考えると今日お屠蘇を吞んでいるのは百済人藤原氏に収奪された日本人であり、特に東日本から東北にかけての日本人は今でも縄文の血統を色濃く残しているのに、前述のアメリカの例えでいえばインディアンの末裔たちがインディアンの標的を嬉しそうに撃っているのと同じ事を毎年正月にしているのだ。これは一体どういうことなのか?(続く)






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お屠蘇の「屠」

正月に呑む酒と言うとオトソである。筆者の両親は正月はごくごく普通の一日を過ごすだけの祝い事に無関心の人間だったので自宅でオトソを呑んだ事は無いのだけれども、それでも親戚の家に出かければ「これは祝い事だからアンタも呑みなさい」と言われて大して美味くもないのにオトソを飲まされた覚えがある。

しかし筆者がある程度漢字が読めるようになってから不思議に思っていたのは祝い酒なのに何故「お屠蘇」などと縁起でもない名前はついているのか?という事であった。言うまでもなく「オトソ」の「ト」は「屠」という文字で、これは屠殺場にも使われる生き物を殺処分する「屠る(ほふる)」という文字である。

しかし子供時分は他に考えることがいくらでもあるから、オトソの「屠」と共に「蘇」が一体何を表しているのか?なんて考えていても忽ち忘れてしまうのだけれども、筆者がこの両方の意味を自分なりの解釈が出来るようになったのはお年玉をもらえる年齢を卒業してから30年以上たったつい最近の事なのである。





一回目の海外赴任を終えて日本に帰った筆者は上司と気が合わないために別の県にある大手メーカーに3年ほど出向させられた事があるのだが、このメーカーのすぐ近くには大変有名な神社が立っていて、そこの神官らしき一族の名前が「祝部」と書いて「ほふりべ」と読むのだと知ってエッと驚いてしまったのだ。「ほふりべ」とはつまり「屠り部」ある。

祝と書いて屠と読ませるなんてアベコベじゃないか・・と不思議そうな顔をしていると、そこへ郷土史好きな部長が「キミキミ、この神社はもともとこの地の大豪族を騙して打ち取った場所に建てられているんだよ。しかしそんな事は正史に書けないから「祝」なんて建前上の字を当ててるけど、話し言葉で「ほふる」としたのは打ち滅ぼした側の本音を表しているんだ」と説明してくれたのだ。

「屠る」というのは皆殺しにする!打ち滅ぼす!という強烈な悪意を示す文字である。この有名な神社でも書き物にはその文字は使えなかったのに、正月に祝い酒として呑む「オトソ」にはその「屠」の文字が平然と使われている・・。となると正月にお屠蘇を呑む行為というのは祝うどころかかなり強烈な悪意を実現するための呪術なのではないか・・と思い始めたのだ。(続く)






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

遥かなる心の故郷

筆者ら夫妻は毎年フィリピン以外の場所で2~3か月ほど生活しよう!と決めているのだが、今年の訪問先は大変不本意ながら3年連続で日本となってしまった。

不本意と書いたのは筆者がタイ・インドシナ推進派だからで、今まで何度も日記に書いた様に学生時代にタイを旅したことから筆者にとってそこは心の故郷になっているのだ。

それにその頃バンコクで出会ったKという友人は奥方と一緒に毎年1~3月をタイのチェンマイで過ごしていて、筆者も彼と一緒に毎晩飲み明かしたい!と思っていたのである。

しかしそれを阻むのが筆者の女房で、こいつは3年前に日本に2週間遊びに行ってからすっかり日本贔屓になってしまい、ある条件をクリアしたら今年はタイ!そうでなかったら日本!という賭けを申し出て、筆者は愚かにもその誘いに乗って敗北してしまったのである。

その賭けとは為替レートである。筆者の持ち金は全て円なので使い勝手が良いように目的地を選ぶのだ。賭けの設定レートはあいまいだが一応1ドル100円近辺(around 100 yen or less)ならタイ、それより円安なら日本という決まりなのだ。102円とか103円なら筆者の勝ち扱いである。





昨年6月に1ドル100円を切った辺りで筆者は「来年はついにタイだな!」と勝ちを確信し、その前借りと言っては何だが昨年10月に1か月ほどタイにいたのだけれども、帰りにタイ航空機内誌を読みながら「次回はチェンマイから陸路で入ってミャンマーを南北縦断だな」などと頭の中でスケジュールを組んではニンマリしていたのだ。

そしてトランプが大統領選挙で勝った瞬間には思わずガッツポーズを決めたのだが、翌日から事態は世の経済ジャーナリストが予測するのとは全くアベコベの方へと進んでしまい、ついに為替レートは元の木阿弥に戻ってしまったのだから全く金融とは五里霧中の世界である。

そして昨日1月4日は今年度の旅先を決める約束の日であったのだが、にんまり笑う女房が「じゃあ4月に日本行きで決まりね。大枠のスケジュールはアンタが決めといてよ。今回は90日。京都か大阪の2か月滞在は絶対に外さないでね」と言い渡されたのだ。

タイに駐在できると思って教授の紹介をけって入ったら行き先が香港になってしまい、タイ人と結婚するつもりがいつの間にかフィリピン人が相手になってしまい、それでもせめて毎年春先はタイで過ごせるかと思ったら日本になってしまうとは・・。

現在バンコクに永住して半分タイ人化してしまった大学時代の後輩から「○○先輩は自分からタイを2回もふったんだから今さら運は巡ってこないよ!」と言われてしまったことがあるが、どうも筆者とタイの巡り合わせはつくづく巧くいかないようだ。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

耳キーンの顛末

クリスマスあたりから左耳の状況がおかしい状態が続いてた。飛行機に乗って耳が詰まったのと同じ症状なのだが、筆者はこれと同じ症状を3年前の猛暑期に経験していて(原因は軽度熱射病である)、その時は鼻をつまんでフンッ!!とやればスッと耳が開通したのに、今回はそれが全く効かないのである。

奥からキーンと音がし続けるのだ。それで3年前に処方されたが飲まずに保管しておいた薬も飲んでもダメ、女房に命じて耳掃除を徹底的にやってもらっても何の効果も無いだけでなく、動画を見ていた際に左側のヘッドフォンから流れて来る音が変である事に気が付いた。

左側だけBGMが聞こえない上に全体的に音が小さいのだ。それでこれはヘッドフォンの問題だろうと左右逆にしてみたところ、やはり左側のスピーカーからだけはBGMが聞こえてこない・・。その瞬間筆者の脳裏に「難聴」という文字が浮かんだのである。

まさかこの年齢で難聴・・?しかし筆者には十分思い当たることがあって、実はここ4年ほど毎晩必ずと言って良い程怪談をイヤホンで聞いては眠りに落ちてきたのだ。イヤホンはいつも左耳だけに差し込むのだが、音量は小さいとはいえ寝ている間もずっと音声が流れている状態である。

それでネットで調べたら「難聴に気が付いたら2~3日のうちに手当てしないと取り返しがつかない事になる」と気になることが書いてあった。オレ・・耳が駄目になるのか・・とかな~り焦った筆者は早速近くの病院へと出向いたのだが、クリスマス休暇中ということから患者で溢れかえっていて、とてもじゃないが今日中に診察してくれる可能性は無さそうだ。





それに仮にフィリピンの別の病院で診てもらっても正しい診断と治療が施されるとは限らない。一応日本の国民健康保険には加入しているから、ここは今すぐ日本行きのフライトを押さえて医者に診てもらおう!と決めかけた時、同居人の足の臭い姪が英語版の医療ウェブサイトに「肩こりで耳がおかしくなる時もある」と書いてあるのを見つけたらしい。

ちなみに筆者は週に2回マッサージ嬢に家に来てもらっているから肩こりが慢性化するわけなど無い。しかし女房にはタンスの奥をゴソゴソ探して筆者の目の前に差し出したのは簡易マッサージ器であった。2つの大きな玉がグルグル回るタイプで3年前にSMメガモールで「大特価」に釣られて買ったは良いが忽ちお蔵入りになった代物だ。

こんなの聞くわけないだろ!と思った筆者はエコノミーが一杯なので安いビジネスクラスは無いかとスカイスキャナーで各航空のウェブサイトなど比較していたのだが、女房がしつこく「このマッサージ機を首にあててみろ!」と言うので渋々言う事に従ったところ・・・。奇跡が起きたのである。

グルグル回る2つの玉で首筋や両肩、それと肩甲骨のあたりをグリグリ揉まれている内に左耳奥がじわじわじわ~んと気持ち良くなるやスーッと開く感じがして、驚いたことに数分後には何でもなくなっていたのだ。さらにヘッドフォンでやたらと音程の幅のあるケイト・ブッシュの曲を聞いてみたところ、左耳の異常は綺麗さっぱり無くなっているではないか・・。

あんた寝てる時いつも同じ方向に首を曲げてるから耳近辺だけ慢性筋肉痛になったんだよ!と判ったようで判らない事を言う女房。しかし筆者には他に思い当たることが無いから案外それが真実なのかもしれない。だから一安心したのだけれども、もしもフィリピンの病院のヤブ医者から「これは直ぐに切らないと!」などと言われ、耳にメスでも入れられていたら・・。危なかったね。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

犬に食われる男

一昨日の晩に従兄弟ジェンがビール片手に我が家に現れた。あれっ?お前の店(大衆食堂を経営している)の面倒は見なくて良いのか?と聞いたら、いや、今日はヒマだろうし女房のジュミが店番をしてくれるからいいんだ・・と言った後で、ハーッ・・と言うようにため息をついた。

この従兄弟ジェンは2年前に住んでいたアパートを筆者に売り払って同じパッシグ市内にある妻ジュミの実家に移り住み、表通りに面した1階を改装して大衆食堂を開いたのだ。大して立派な店ではないが客層もみんな同じく立派じゃないから店はそこそこ繁盛し、2人目の子供も生まれて細やかながらも幸せな日々を過ごしていたのである。

ところがそこへアメリカ・カンザス州に移住したジュミの母親(ジェンにとっては義母)が帰国してしまい「この家は大きいからもう一人の娘(ジュミの姉)も一緒に住むことにしましょう」と言い出したのである。この姉は今まで4人の男との間に4人の子供をこさえた尻軽な上に、現在は新しい男と一緒に朝から晩までシャブでラリパッパになってる破綻者である。

真昼間から子供達の目の前でセックスをおっぱじめるシャブ姉など到底受け入れられないジェンとジュミ夫妻は結局家を出たのだが、大衆食堂を切り盛りするために昼間は嫌々パッシグの実家に来るのだけれども、あれだけ綺麗だった家がたった1か月でゴミ屋敷と化していくのを呆然とした目で見ていたそうである。

しかしジェンはとりあえず大衆食堂の店舗部分だけ無事ならばいいや・・と考えるようにしていたのだが、そこへアメリカ帰りの義母が「ここをビルに立て替えよう」と言い出したために大変困った事態になってしまったのだ。建設費用700万ペソ(1700万円)の1/3はお前が出せ!と言われたからである。





ちなみに残り1/3づつ出す義父と義兄(ジュミの兄)だってそれほど裕福ではないから頭金は幾らかは用意できたとしても資金の大部分は銀行から借金である。しかも彼らはアメリカ在住者だから銀行相手の代表債務者になるのはジェンになってしまうではないか・・。だいいちビル建設期間中は商売は出来ないし、それにシャブ中が2人住み込んでいるビルにまともなテナントが来るとはとても思えない。

「もともとあの家はジュミが全て相続するという約束だったから、俺は自分のアパートを売り払ってあそこに移り住んだんだ。ところがそこへ突然アメリカから義母が戻って来てシャブ中姉たちが住み始めてしまったから俺たちは住処を追われたようなものなのに、今度はそこをビルにするから金を出せだと・・」と愚痴るジェン。

話を聞いていて筆者もやりきれない気分になったが、しかし冷酷な様だけれどもこれはジェンの失敗でもある。シャブ中の姉がいることを知った段階でジュミとの交際を諦められなかった事はまだ理解できるものの、子供たちが不憫だからと妻ジュミがシャブ姉の子供二人を引き取った辺りから人生の歯車が狂い始めたのだ。

これからフィリピン人と結婚しようと思われる方に行っておくが、シャブ中で子供を育てられない様なクズでも家族であれば手を差し伸べてしまうのがフィリピン人なのだ。そして当然その請求書は回りまわって血のつながりが無いけれどもお人好しで比較的カネを持っている人間に回ってくるのである。ここじゃ血のつながりが無い人間は所詮は家族調和のための踏み台でしかないのだ。

それで暗く沈んでいるジェンに対して「お前は妻ジュミを切ることが出来るか?」と聞こうとしたが、しかしこんなの答えは最初から分かっているから聞く意味もない。結局ジェンは自分の一番大事なものが弱みとなって付け込まれてしまい、自分の幸福をまた一つ切り捨てていかねばならない運命なのだ。これがフィリピンの実態である。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

世界で一番危ない山

大学時代の友人達と一緒に昔の様に旅に出ようじゃないか!と過去数か月ほど話をしてきたが、正月の挨拶がてら意見集約を図ったところ、タイのパタヤと北朝鮮の2か所に絞られてきた。オヤジばかりハワイやシンガポールに行っても面白いはずも無いから、鉄砲の玉を打ち尽くす前に酒池肉林にふけるか、崩壊する前に異常な国を見物しに行くかが最終的に残ったのだ。

筆者はタイには過去何十回も遊びに行ったので今さら何でタイに?と思うだけだから、当然ながら北朝鮮推進派なのだが、同じ推進派でも中には全く違った思惑の人間もいることを知って今回驚いてしまったのである。なんと真面目な公務員U君は北朝鮮でトレッキングをするつもりなのだ。

ふつう北朝鮮に行く目的とは「金正恩マンセー!」と叫んでいる洗脳されちゃった民衆や、私の希望は祖国の統一!と涙を流しながら歌っているガキどもに噓八百の品物を展示した博物館、それと表通りは綺麗だが裏はスラム街そのものの矛盾都市ピョンヤンの街並みを冬のバイカル湖のような冷たい目で眺めることのはずである。

毎年ピレネー山脈やマレーシアのコタバル山、それとダバオのアポ山なんかに出かけては何日も山の中を歩き回ってるとはいえ何故U君は北朝鮮で山なんぞ・・と思ったのだが、北朝鮮みたいな国民が食うや食わずの状態で外国人が全然観光に行かない国の山というのは原始林が丸ごと残されており、自然を愛するトレッカーには涎が止まらない存在だと言うのだ。

そのU君が今回目星をつけているのは中国との国境にある白頭山(ペクトウ山)で、巨大なカルデラ火山の外周部を歩き回った後は内周部にある火山湖を一周して・・などと語りはじめたのだが、山に丸っきり興味がない筆者は当然こんな話などろくに聞いていなかったし、それとは別のもっとシャレにならない事をずっと考えていたのである。





白頭山は近々噴火する可能性が非常に高いのだ。それも御岳とか箱根の噴火なんてレベルじゃなくて最低でもピナツボ火山、最悪の場合は過去千年間で最大の噴火、いわゆる噴火の中でも王者中の王者である破局噴火になる可能性もあって、その場合の被害規模は死者数十万人になる見通しなのである。

ちなみに千年に一度と書いたのも、実は千年前に噴火したのもこの白頭山で、その際には朝鮮北部から満州、ロシア沿海州エリアに栄えていた渤海王国が滅亡してしまったのである。更にその千年前にはユーラシア大陸の西側でベスビオ火山の噴火によりローマ帝国の都市ポンペイが滅亡してしまったが、千年前の白頭山の噴火は計算上ポンペイの何十倍もの規模だったそうである。

白頭山が怖いのは吹き出す火山灰や火砕流、マグマだけでなく頂上にため込まれた火山湖の水があることで、カルデラ周辺が崩れてこの水が流れ出せば巨大津波となって周辺一帯を飲み込んでしまい、まるでノアの箱舟のようになってしまうと書いてあったっけ・・。そんな爆縮レンズむき出しの核弾頭みたいな山にUの奴は登りたいだと・・。

旅行会社のオプショナルツアーを見たら白頭山のトレッキングがあったんだよ!飛行機で近くの町まで飛ばなきゃならんけど、その価値は十分あるはずだから是非とも行こうじゃないか!とU君は言うが、こっちは階段を上るだけでゼイゼイしてるのに、そんな危ない山なんか行けるわけねえだろが・・。

まあ火山噴火なんて交通事故に遭う確率より低いんだけど、北朝鮮が核実験を行う度に断層に亀裂が入って噴火が早まっているらしいから気にならないわけが無い。山慣れしているUなら華麗なステップで溶岩が流れだす前に安全区域に逃げられるかもしれないが、筆者はどう考えても山の上に取り残されてそのままに・・。Uよ、お前は一人で山に行け!






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

当たるも八卦 当たらぬも・・・

筆者は占いの類が意外と好きな方で、今までも天中殺やタロットカード、四柱推命なんてものに凝って本など買ってきたのだが、色んな占いを試してみた結果「これだ!」と思うのがあったので、既にこの占いをご存じの方も多いと思うが一応今日の日記で紹介したい。

それは0学占いで、今から16年前に日本のど田舎で無聊を囲っている時に同じ趣味を持つ危ない女子社員から勧められたのでヤフージャパンにある無料占いを試してみたところ、これが実によく当たっているので驚いてしまったのだ。

0学占いは元々新宿の路上で易者をしていた御仁が色んな分析や経験をもとに体系化した日本独自の占いであり、誕生日からその人物の星座と支配星を探り出し、それぞれが今どういう運勢のもとにいるのか?を探り出すのだ。





ここで説明するよりも0学占いのサイトで直接やってみた方が話は早いのでこれ以上の説明は省くが、今年の筆者は上昇基調にはいるものの昨年とは打って変わって様々なトラブルに見舞われ易いらしく、特に健康と感情関連で要注意な一年だと出ているのである。

0学占いは今日の占い、今週の占いだけでなく、今月の占い、今年一年の占いと言う具合に対象期間が中長期にわたっていて、当然ながら今日の占いで「素敵な出会いがあります」などと出ていても誰とも会わない事も良くあるのだが、よく当たるのはもっと長いレンジの占いなのである。

いわゆるダメな年というやつである。筆者の場合だと1回目は小学校5年生で次は会社員生活1年目、そしてその次は1回目の赴任を終えて日本に帰国し無聊を囲っていた年で、最後は頭が壊れた男の下でこっちも壊れかけた会社員生活最後の年だ。これが4回とも年が見事に当たっているのである。





ただしこの4回の年はそれぞれ12年刻みだから、干支と同じなら別に目新しくも何ともないだろう!とご批判もあるだろうけれども、一番ついてない年の0地点から清算、開拓、生長、決定、健康、人気、浮気、再会、経済、充実、背信という一連のサイクルは筆者のその年のキーワードそのものだったのである。

ただしこの0学占いは誰にでも当てはまるのかと言うと案外そうでもなく、筆者の周りにいる人間で試してみたところ「その通りだわ!」となったのは3割くらいで、残り7割の方たちからは「箸にも棒にもかからない」「俺の場合はそもそも7年サイクルだよ」という散々な評判であった。

しかし昔香港にいた頃に出会った風水マニアが言うには「その人に合う占いと合わない占いがあるから、それを探せばよいのだ」という事の様だから、皆さんもおヒマだったら色んな占をお試しいただきたい。なおこれは誰でも知っている事だけれども、日本の場合は高額な費用を請求する占い師ほどニセモノが多いのでご注意を。






にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村