名物オカルト番組存亡の危機

年末恒例の長寿オカルト特番「ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル」に出演している大槻教授が「番組にヤラセがあった」と自身のブログで告発し、この手の話が大好きな人間の間ではかなり大きな話題になっているらしい。

なんでも他人の思考を読み取れるアメリカ人超能力者という輩が番組に出演し、会場にいた数人の考えていることをズバリ当てたので、オカルト否定派の大槻教授は早速「だったらオレの脳内も読み取れ!」と申し出たところ、なんとこの超能力者は大槻教授に誕生月を聞いた後で「6月生まれは難しい」と逃げてしまったというのだ。

不味い事に番組の裏方ディレクターが「大槻教授とは事前の段取りは出来てない」と皆の目の前で発言してしまい、さらに「テレビ局の意図もあるから一旦は引き下がるが、この一連のやり取りはカットせずに流せよ」という大槻教授の要求も無視して実際の放送ではオールカットされてしまったらしい。

それで怒りに駆られた大槻教授は自身のブログでヤラセを暴露するとともに、放送倫理委員会に訴える!もうこの番組には出ない!と息巻いているそうなのだが、この一連のニュースを見た筆者は思わず「これもヤラセの一種なの?」と失笑してしまった。と言うのはこの大槻教授は表向きオカルト否定派だが裏の顔はその逆だからだ。

この大槻教授は今から40年近く前にスプーン曲げで一世を風靡した〇〇少年(現在は中年)と親友の様に仲良くしているし、如何わしい科学雑誌主催のこれまた如何わしいオカルトイベントにも出演者ではなく観客として度々顔を出しているのを数多くのオカルトマニアに目撃されているのである。





つまり実像の大槻教授はオカルト大好き人間であり、オカルト番組に否定派として出演してたま出版の韮澤編集長らトンデモ人間と激論を交わしているのが何よりも好きな方なのだが、一応早大理工学部教授としての体面もあるし、それに否定派でいた方が自分が大好きな番組にお呼びがかかるから表と裏の顔を巧く使い分けているのだ。

それがなぜ今回番組存続の危機に発展するような行動に出てしまったのか?と筆者も首をかしげてるのだが、しかし動画サイトに上がっている過去の放送を丹念に見てみたところ、ここ数年明らかに番組の質が落ちてきていることを再認識したのである。それと大槻教授のブログにも「数年前に製作スタッフが入れ替わって・・」と気になる書き方がされているから、どうもここ辺りに怒りの原因がある様だ。

筆者はこの手の東スポ的なオカルト番組というのが結構好きで、心霊写真や心霊動画が仮に作り物であったとしても恐ければそれで良しとする人間なのだが(現実問題としてテレビでは本当に怖い画像映像は自主規制されていて出せない)、そういう寛大なオカルトマニアから見てもこの番組の数年前から全く怖くないし笑えもしないほど作りが粗末になってきているのである。

だったらその昔たま出版の韮澤編集長と大槻教授の間で繰り広げられた「どう見ても普通のアメリカ人にしか見えない金星人」論争みたいなアナーキーなシーンを増やせば良さそうなのだが、昨今のテレビ事情ではそれも出来ないため、ウンと議論の幅が狭くなった上に安っぽい作り物だらけの退屈な特番になってしまったのだ。こういう諸々の齟齬が大槻教授の中に蓄積され、今回の事態になってしまったのではないだろうか。

大槻教授のブログは「もはやこの番組、来年はないだろう」「20周年記念を前にして異色の『たけしの超常現象特番』も消えるのだ」という言葉で結ばれているが、この番組を楽しみにしている全国のオカルトファンも多いのだから、是非とも窮屈なテレビを出て低予算でも良いからアナーキーな作りが出来るネット番組として是非とも残してもらいたいものだ。






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世渡り達人ジョーの意外な転職先

筆者が香港にいた頃の知り合いのカナダ人ジョー・アトルーが来年から仕事が変わるというメッセージを送って来た。へえ、あれだけ待遇が良い会社を辞めるなんてねえ・・と驚いた筆者は奴のメッセージを読んでみたところ、なにやら世界経済の動きに微妙な変化が起こりつつあるのでは・・という疑念が頭をよぎったのである。

このジョーは筆者と同じ年齢ながら元々はアーサー・アンダーセン所属の公認会計士というエリートで、米エンロンの粉飾決算への関与で2002年に会計事務所が破綻して所属会計士に莫大な損失請求が寄せられる数年前に(訴追へのギリギリのタイミング)会計事務所を辞めて何と香港にやって来たのである。

1990年代のクリントン政権というのは米中経済パートナーシップが本格化した時期であり、中国への中継拠点として最適なタックス・ヘイブン香港はそんなアメリカ企業にとっては拠点を置くのに極めて便利な場所であったため、アメリカの企業が続々と香港に進出して来たのである。





ジョーが最初に勤めたのは筆者が営業担当を務めていたアメリカ系電機メーカーで、これはエリート会計士ジョーにとって見劣り感のする職場に思えたのだが、本人が「中国ビジネスを覚えるのにこの会社以上に便利なところは無いのだ」と言う通り短期間で中国工場を立ち上げたり、中国国内への販売ライセンスを巡って政府の役人と丁々発止の交渉を繰り広げるなど短期間に中国関連の経験を積んでいったのである。

電機メーカーでは最後は香港支店長を勤めるまで順調に出世し続けたが、2000年にジョーは突然アメリカ系投資顧問会社の香港支店へと転職したのである。これ今じゃ驚かないが当時は世界の相場はいつブラックマンデーが来てもおかしくないと思われるほど限界にあると思われていたのだが、イラク戦争以降のアメリカのドル印刷ペースを見ればお判りの通り実際の経済の流れはジョーの予想の方が正しかったのである。

この投資顧問会社でもジョーは副社長まで出世したのだが、2007年に母親が病気という理由で会社を突然辞めてしまい、皆さんよくご存じの通りこの翌年リーマンショックがあったわけで、ジョーの会社は案の定大打撃を食って社員たちは血反吐を吐くまで追い詰められた挙句に解雇されたというのに、ジョーは2年ほどカナダ・ケベック州で奥さんと子供を一緒にガーデニングの腕に磨きをかけただけだったのだ。





そして2009年に香港へと戻って来たジョーが入ったのは何とアメリカ系カジノ会社なのである。もちろんサイコロを振ったりカードを配っているディーラーではなく、マカオの資金運営部門にいて毎月ウン百億円の上がりを更に転がす仕事なわけだが、ここでも如才無さを発揮して3年くらい前に執行役員に就任していたのだ。

有象無象の顧客たちに気を使う必要もなく、週に一度ラスベガスの本部に運用状況を報告する以外は特技の投資に専念できる気楽な職場だったはずなのに(こいつにとっては仕事はゲームの一環だから楽しいのだ)、それにJPモルガンの香港支社長と並ぶほどの高給取りだったのに何故ジョーは今回辞めることにしたのだろうか?しかも・・・、ジョーの転職先はアメリカのテキサス州ダラスにある不動産投資会社なのだ。

あれだけ目端が利く男だからそこにはちゃんと勝算があっての事だろうし、実際今までのジョーの立ち回りを見れば彼の選択は常に正しい事は判るのだけれども、都合20年も過ごした香港を捨てるということは、しかも今やラスベガスを超えて世界一の売上規模を誇るまでなったマカオのカジノを辞めるという事はひょっとして中国で何かが起こるという事なのだろうか?





だいいちアメリカの不動産というのは筆者の目から見ると随分と値上がりしていて既に限界に近いように思えるのだが、しかしアメリカ第一を挙げる次期トランプ政権は大量のドルを刷ってそれを国内投資に回すだろうし、それに金持ち減税も実施されれば海外に資金を回す必要性は減るのだからテキサス州などアメリカ南部の不動産はもっと天文学な額になるのかも・・とも考えられる。

しかし(書き忘れたけれども)ジョーの奥方は中国系カナダ人で香港ライフを相当エンジョイしていたはずだから、いくらトランプが何を言おうがまだ就任もしてないのに香港を引き払うというのは時期尚早な気がする。ということはやはり・・中国の経済崩壊が始まってアメリカの資金が中国から一気に引き上げるような事態になる・・という事なのだろうか。

もちろんそんな事ジョーに聞いても切れ者の公認会計士よろしくの沈黙を冷笑と共に返されるだけである。しかし誰が何を言ったかよりも何をしているかに重点を置く筆者は「これはひょっとして中国だけでなくアジアの米びつが空になる事態が来るのかも・・」というお告げではないか・・と思い始めた。どうも来年1年の相場関係は様子見に徹したほうが良さそうだ。






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退屈なクリスマス

筆者がフィリピンでセミリタイアを決めてフィリピンに移住した4年前、今はもう亡くなってしまったボウイ叔父が酒を飲み飲み「フィリピンのクリスマスは素晴らしいから、この時期は絶対に国外に出るべきではない」と宣ったのを聞いて「なるほど流石キリスト教国だ」と思ってしまった。

筆者の父親は神社の神主の息子だが若いころ共産主義者になったために宗教に関するものをとことん嫌い、母親は自分のこと以外なに一つ考えられぬ欠陥人間だから、筆者はクリスマスどころか菖蒲湯とか豆まきといった季節の行事というのが皆無の環境で育ったのである。

それに日本じゃクリスマスと言うのは恋人同士が高いホテルで時を過ごす時間であり、香港も元イギリス植民地とは言え旧正月祝いに比べるとバーゲンセール以外は特にこれと言ったものはない。だからフィリピンのクリスマスというのはトンデモなく珍しいイベント続きなんだろうなぁ・・と楽しみにしていたのだ。

ところが・・何にもないのだ。街にはイルミネーションが飾られて、あちこちでクリスマスと銘打った広告が目立つけれども、それ以外は教会に行ってお祈りをする、テレビで宗教番組が増える、子供たちはプレゼントを貰う、誰かの家に集まってファミリーで食事をする・・単にそれだけなのである。

遠方から親戚が来て久しぶりに盃を交わすというのに楽しいとは思わないのか!と批判するかもしれないが、それはあくまで日本人の目線であって、現実には遠方の親戚と言うのはしょっちゅう帰国しているし、久しぶりに盃を・・というのも筆者の親戚でいえば最も久しぶりでも3週間ぶり、短い人なら5日ぶりくらいなのである。

要するに筆者にとってのクリスマスとはしょっちゅう顔を突き合わせている大学サークルのメンバーが集まってコンパやってるのと同じ程度の有難さでしかなく、しかも割り勘どころか請求書の1/3くらいは筆者に回って来るから、これって単に迷惑なイベントでしかないのだ。

ああ!なんて素晴らしいクリスマスなんでしょう!あと1年も先なんて待ち遠しいわ!と従姉妹メイは呟いていたが、こんなつまらないイベントを感極まってしまうなんてオマエの人生は一体どれだけ不毛なのか・・と呆れた筆者はこの女をジロリと冷たい目で一瞥しただけで一切返事をすることは無かった。来年はこの時期フィリピンから脱出するぞ。






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ロックスターの生命力

イギリスの歌手ジョージ・マイケルが亡くなったというニュースを聞いて驚いてしまった。享年53歳。筆者は高校生の時からポッパーズMTVやベストヒットUSAといった英米音楽番組をよく見ていて、ジョージ・マイケルがまだワムという二人組で活動していた時から彼らの新作を楽しみに待っていた一人である。

80年代を代表する歌手と言えばマイケル・ジャクソンとプリンス、マドンナの3人で、すでにこの内2人が鬼籍に入ってしまったのだが、ついにそこへジョージ・マイケルまでも・・と少しばかり悲しい気分でいたら、この訃報についてポール・マッカートニーが声明を発表!という記事に目が留まった。





「彼の甘いソウル・ミュージックは突然の訃報の後も生き続けるだろう。一緒に共演したいくつかの機会のなかでも彼の偉大な才能は常に伝わってきて、彼の自分を卑下するユーモアのセンスはそうした機会をより楽しいものにしてくれたん」というあんまり意味のない文章だが、その時筆者の脳裏をよぎったのは次の言葉である。

アンタまだ生きてんのか―――!!




ポールは1942年生まれだから今年74歳、まあ最近の金持ちは長寿だから死ぬような年齢ではないけれども、ビートルズの中盤以降の麻薬漬け生活を鑑みればこの方はとっくの昔に死んでいてもおかしくないはず・・。ところが今や音楽界の殿堂に英王室から勲章まで貰って昨年は東京ドームで公演までしていたというから驚きの生命力だ。

しかしポール以上におかしいのはこの男である。





お上品なビートルズに比べて社会のゴミ、クズとまで呼ばれたローリング・ストーンズのミック・ジャガー御年73歳・・。彼らの音楽は如何にも反社会的であり、実際朝から晩までヘロイン漬けの生活を送っていたのにもかかわらず、このミック殿は別段生命の危機にさらされることも無く今でもワールド・ツアーで得意の炸裂する声で歌いまくっているのだ。

しかし・・世の中上には上がいるもので、21世紀の世界七不思議に数えても良いほど異常事態なのはミックの相棒キース・リチャーズである。





年齢はミックと同じ73歳だが、ポールやミックと違うのは今でもハードな麻薬を常習していることで、裁判の度に病院に行っては血液を全て入れ替えては陽性反応を逃れているという重度のジャンキーであるにもかかわらず、これまたローリング・ストーンズのワールドツアーでギターを奏でてはお馴染みのキメのポーズを演じているのだ。

筆者が聞いた話ではこのキース・リチャーズはオーバードーズ(薬物の過剰摂取)で何度も病院に担ぎ込まれたり、ヤシの木に登って頭から落ちて半死半生になった事がニュースで報じられ、「ついにキースが死ぬのか!」と世界中のファンを奇妙なくらい納得させたのだが、何故だか毎回神の手がスッと伸びて来てキースをステージへと連れ戻すのである。





マイケル・ジャクソンやプリンスが何らかの薬物の常習者であったという噂は根強いし、そいれに1960年代後半の音楽は明らかにLSDやヘロインの影響を受けていて、実際ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンは薬物が原因で死んでしまうのだが、その元祖とも言うべき上の3人(あとエリック・クラプトン)は今でも新作アルバムの作成に余念がないほどしぶとく生き残っているのである。

よく美人短命とか天才は早死にずる・・などと言う諺があるが、こと音楽界に関する限りこの諺は半分間違いで、ノーベル賞貰ったかの御仁よろしく成功したミュージシャンにはこういう踏んづけても死なない様なしぶとい人間も結構多い様だ。なんかこの人たちって頭がボケて噺などとっくに出来ないのに高座に上がるだけで芸になった落語家の域に達してるね。






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血も凍る恐怖の瞬間

筆者の女房の親戚にえらく足の臭い女がいて、さらに最近こいつの入った簡易サウナを掃除したら右手に水虫を移された件を日記にしたが、昨日こいつの足が一体どうなっているのかが判った。

筆者の家でささやかなクリスマスパーティーを行ったあと、寝具が十分に無いから各自床に雑魚寝をしてもらったのだが、白花油というアジア版キンカンを忘れたことに気づいた筆者はそれを取りに行ったところ、運悪くそれは寝っ転がっている姪イナの臭い足の傍にあったのだ。

水虫に塗りたくってやがったのか・・と思った筆者は白花油を掴むのを諦めかけたが、なんせダニに刺されたらしく痒くて仕方が無い。それで指の先でつまむように白花油の小瓶に手を掛けたところ、薄暗いにも関わらず窓から差し込む灯りに照らされたそれを見てしまったのだ。

ギョエ───(((;'Д' )))───!!!!

それは・・足の裏がまるでスポンジの様のブツブツだったのである。いや、ウンと細かい穴が無数に開いたハチの巣とでも言うべきだろうか。そのブツブツの穴が白くぶやけた足の裏一面にブワブワブワーッと広がっているのだ。





な・・なんだこの足は・・と凍り付く筆者。それで白花油はすぐに投げ捨てるやトイレに向かって手を石鹸でゴシゴシと洗い、今見て来たものが何者であるのか知りたくてハチの巣、皮膚、足の裏、臭い・・などとキーワードを打ち込んで検索したらすぐに答えが出た。

点状角質融解症・・。水虫菌とは異なる別の細菌が原因の皮膚炎症の一種で、足が蒸れた状態をずっと放置したために菌が増殖し、この菌が皮膚の表面の角質を溶かす融解酵素を出すために、皮膚の表面の角質がクレーターのような虫食い状態の凸凹になってしまう病気だと書いてあったのだ。

この症状の特徴としては上の写真のようなブヨブヨふやけたハチの巣状態になる他、足がモーレツに臭くなるらしい。なるほどだから姪が靴を脱ぐと部屋中にもワーッとした悪臭を巻き散らかしていたのか・・と妙に納得してしまったのだ。

しかしこの姪は裸足で我が家を歩いていて、そして簡易サウナに入ってたっぷり足から腐臭液をにじみ出し、そしてそこから筆者は右手薬指と小指に感染したということは・・・、俺の指はまさか・・・・。


血も凍る瞬間、ホラー映画以上の恐怖とは正にこの事であろう。






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右手に水虫を移された件を日記にしたが

お粗末な正義を振りかざす狡猾な民

ひょっとしてエイブラハム氏は親衛隊の中に新設された武装親衛隊(軽武装の親衛隊と違いドイツ国防軍以上の兵器を揃えていた)とドイツ国防軍を混同しているのかな?と思った筆者は「貴方の親戚を強制収容所に送り込んだのは武装親衛隊ではないか?」と聞いてみたのである。(ドイツ語ではWaffen SSだが、ドイツ語を知らなそうなので念のため英語でArmed SSと言ったのである)

ところがこのエイブラハム氏はせせら笑うや「Armed SS?なにを言ってるんだお前は?オレはArmy(ドイツ国防軍陸軍)と言ったのだ!」とトンチンカンな論法で筆者の指摘を退けた後(この人は武装親衛隊の存在を知らないのではないか?という疑念が頭をよぎった)、「君の国ではホロコーストについて十分な情報が無いようだから黙って聞きたまえ」と言ったのである。

それから先の話も実にお粗末なもので、ドイツ国防軍は西部戦線のオランダやベルギーでもユダヤ人の街を丸ごと殲滅したのだとか、ナチス親衛隊とは全く関係ないクロアチアの絶滅収容所でもドイツ人はセルビア人を殺戮したのだ!(実際はウスタシャというクロアチア人民兵組織)などと史実と全く違う事を立て板の水の如く話し続けるのである。

筆者は高校の時からホロコーストの問題に興味を持っていて、色んな小説やルポタージュを読んでいたからポーランドのユダヤ人摘発と虐殺の責任者だったのは総督でも国防軍将軍でもなくオディロ・グロボクニクという親衛隊将軍である事を知っていたのだが、なんとエイブラハム氏は筆者の問いかけに対し「彼は関係ない」と答えたのだ(この時この名前を知らない事を確信した)。

結局筆者は彼の話を最後まで聞かされる羽目になったのだが、筆者が疑問を持っているガス室の有無について意見が相違する以前に、エイブラハム氏の話は余りにも稚拙な間違いが多く、またホロコーストを実施したのはナチス親衛隊だけである!という歴史の事実を無視して、文民行政官やドイツ国防軍までもが当事者だった!と断定していたのだ。





エイブラハム氏は筆者より数歳若いから、ユダヤ系の日曜学校なり教会の勉強会でホロコーストについて教わったのは1980年代のはずである。父親は早く死んでしまったがホロコーストを生き延びた第一世代は当時はまだ存命中でありニューヨークにも数多くいたから、正しい歴史を学ぼうとすれば歩いて話を聞きに行けたはずである。

にも関わらずなぜこんなパラノイアな歴史観を持った人物となってしまい、しかもユダヤ人協会の理事として自分たちの正当性を示すための寄付を外国人にタカっているのか・・?。その場では正直何が何だかわからなかったが、後日別の機会に筆者は1980年代に突然持ち上がった南京大虐殺論争に思い至ったのである。

同時代の生存者が死に始めた頃に有りもしない罪をでっち上げて贖罪意識を植え付ける。国は違えども生存のためには如何様にも狡猾になれる民族が取る手法は同じである。そう言えばこの時代になって「ソフィーの選択」や「サンスーシの女」など見ている人間にナチスへの激しい怒りを引き起こさせる映画が作られるようになっていった。

で、結局1万5千ドルの寄付はどうなったのか?と言うと、それは争い事を好まない上司の前例主義によって支払い続けることになったのだが、今でもエイブラハム氏が筆者の(ホロコーストについては何も知らない)後任者たちに明らかに間違ったお粗末この上ないユダヤ人悲劇史を騙っているのかと思うと内心忸怩たる思いがする。

仮にガス室が無かったにせよユダヤ人が人類史上まれに見る人権蹂躙にさらされたのは事実だから、この点に関して筆者は彼らに対し憐憫の情を持つけれども、それを拡大解釈して事実を捻じ曲げ、さらに反論を封じ込めようとするのは言語道断である。エイブラハム氏との会食以降筆者がユダヤ人の話はマトモに信じないようになった事は言うまでもない。






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間違いだらけのホロコースト信者

会食の際に政治と宗教の会話はタブーというのは世界の常識で、筆者もその教えを忠実に守って来たのだけれども、中にはイスタンブールのムラット君のように自分が帰依したイスラム原理主義について延々と話し続けてウンザリさせられるようなケースもあるものである。

筆者の経験だとインド系、アラブ系の他スラブ系もこの傾向が強いらしく、モスクワでは共産主義の暗黒時代について無数の小話を聞かされた後に飛行機に飛び乗ってポーランドに行ったら、顧客に第二次大戦中にドイツ軍が行ったワルシャワ破壊行為を証左する歴史博物館に案内されてしまったことがある。

しかし実は筆者はこの手の問題に関しては他の人よりも多少詳しいので、同行した同僚の死んだ目をものともせずに客と長話を決め込むのだが、一度ニューヨーク在住のユダヤ人ジャック・エイブラハム氏とホロコーストの話をしたときには正直筆者はかなりゲンナリしてしまった。

ユダヤ人と親しくされた方なら彼らが如何なる場でもホロコーストの話をしない事はよくご存じだろうが、なんでジャック・エイブラハム氏とこの話題になってしまったのかと言うと、当時彼はニューヨークのユダヤ人協会の理事の地位にいて、筆者の会社は毎年末にこの協会が出す出版物に多額の寄付をさせられていたからである。

雑誌の半ページに「日本の〇〇株式会社は貴方たちの活動に賛意を示すとともにホロコーストの犠牲者に対して深い哀悼の意を・・」という文字だけの広告を印刷してもらうだけで1万5千ドルも払うのだ。この会社は値段に厳しく利益が出ないため筆者は寄付など止めたかったのだが、並み居る日本企業がズラリと寄付しているから筆者の一存では反故に出来ない。





それで新しく営業担当になったが「こういうのはもうそろそろ・・」と言い出した筆者相手に、このユダヤ人協会の存在の意義と「なぜあなたの会社は1万5千ドルを払わなければならないのか?」の義務についてエイブラハム氏は説明を始めたのだが、これが聞いていて実に呆れかえるような代物だったのである。

君はツカハラを知ってるかね?日本の外交官でユダヤ人にビザを与えた・・とエイブラハム氏の話は乗っけから人名間違いで始まり、シンドラーが救ったのは五千人でツカハラ(杉浦千畝のこと)は五百人と救った人数までもが間違っているのだが、まあ遠い日本の事など間違っていても仕方はないな・・と思ってこの段階では黙っていたのである。

ところがエイブラハム氏の父親が生まれ育ったポーランドを統治するためドイツから派遣されて来た総督の名をハインリヒ・ミュラーと言ったり(正式には総督は弁護士出身の文官ハンス・フランクで、ミュラーは秘密警察ゲシュタポ長官でありずっとベルリンにいた)、彼の祖父をその場で射殺し家族を強制収容所に送ったのはナチス親衛隊(SS)のはずなのに、彼の話ではなぜかドイツ国防軍になっているのだ。

ナチスに詳しくない方のために一応説明すると、ホロコーストを実施したのは親衛隊(SS)で、この隊員たちは後年国家保安本部(RSHA)など色んな政府機関に浸食したため党機関と政府機関が混同しがちになるのだけれども、親衛隊とはあくまでナチス党所属の党機関であり、ドイツ政府の政府機関であるドイツ国防軍とは全く別の存在なのだ。

前線に立って敵軍を蹴散らかすのはドイツ国防軍の任務だが、敵国占領後の治安任務とユダヤ人狩りを行ったのはSDやアインザッツグルッペンら親衛隊という様に組織の棲み分けが出来ていたのである。ところがエイブラハム氏の頭の中ではドイツ国防軍に殺害・拘束された事になっているのだ。(続く)





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稀代の虐殺者の真実

ユーチューブで日本のテレビ番組を見ていたらアイヒマン・ショー」「アイヒマンを追え」「アイヒマンの後継者」と立て続けに3作もの映画が世界中で公開されると知って驚いてしまった。アドルフ・アイヒマンはナチス親衛隊中佐で、逃亡先のアルゼンチンから拉致されてイスラエルに連れこまれ、世界中の注目を集めた裁判の末死刑判決を受け1962年に刑死した人物である。

アイヒマンは「ホロコーストの実行者」「天文学的な人間を殺害した狂信者」などと呼ばれ、実際テレビの出演者もアイヒマンのことを稀代の悪魔であるかのようにコメントしているのだが、筆者はこの連中に対して冷笑を浮かべてしまった。ナチス親衛隊に関する資料をある程度読めばアイヒマンはそういう称号には値しない小者である事は簡単に判るはずだからだ。

ユダヤ人虐殺のメカニズムとは、まず国家保安本部(RSHA)のSDとゲシュタポがユダヤ人を摘発して全財産を没収し、彼らをドイツ・ポーランド両国にある強制収容所に送った後は経済管理本部(WVHA)が死ぬまで徹底的にこき使うのである。アイヒマンは国家保安本部(RSHA)の移送部門を扱う職場のチーフではあったが、これ会社でいうと本社物流課の課長くらいの下っ端である。





常識的に考えれば中佐なんてポジションでは国家的プロジェクトであるホロコーストの中では一つの歯車でしかないし、実際アイヒマンは自身の裁判で自分は移送担当でしかなく、虐殺に直接手を染めたわけではない!と何度も何度も説明したのだが、イスラエルは彼の主張を責任逃れだとして封じてしまい、以降半世紀にわたってアイヒマンはホロコーストの主役級へと格上げされてしまったのである。

なぜこんなことになってしまったのか?と言えば、それは多くのホロコースト戦犯が連合国とドイツ自身の裁判によって裁かれたのに対し、アイヒマンは被害者であるユダヤ人たちによって裁かれた唯一の人物だからだ。つまりこの裁判は怨念を晴らす場でしか無いのだが、実はユダヤ人にとってはもう一重要な目的があったのである。

それはホロコーストは実際にあったのだ!という事を既成事実化する事である。工場管理のプロがアウシュビッツに展示されている死体焼却炉のサイズと数量を見れば、どうもこれでは数百万人どころか数万人を焼却するのも無理な事は直ぐに見抜けるし、ユダヤ人収容者の死因は実は殆どが餓死と病死で、これは大戦後半のドイツは爆撃によって鉄道網がズタズタに切断され各収容所が絶対的食料不足に陥っていたためである。





実際アイヒマン裁判以前にはドイツは劣等人種ユダヤ人の強制労働や資産没収は確かに行ったけれども、人種絶滅のためガス室に送ったというのはあくま虚像のプロパガンダでしかなく、実際は強制収容所で軍需生産に従事させていただけではないのか・・という意見も根強くあったのだ(ただし労働に適さない老人・女・子供のうちある一定の人間は殺されたことはホロコースト否定派も認めている)

しかしアイヒマン裁判ではヴァンゼー会議というアイヒマン自身が書記役として参加していた会議に焦点が当てられ、実際この会議の目的はユダヤ人の処遇に関する会議だった様なののだが、イスラエルによってユダヤ人絶滅計画を決定した場だと捻じ曲げられてしまい、ユダヤ人たちはついに全世界に対して自分たちの復讐の圧倒的正当性を主張することに成功したのである。

その結果ホロコーストにちょっとでも疑問を呈しようものなら文春の雑誌マルコポーロのように廃刊へと追い込まれてしまい、その勢いは未だに衰えるどころか増していっており、極東の島国のアイドルグループが写真撮影でナチス風の軍帽を被ったというだけで因縁をつけてくるような事態が放置されてしまっているのだ。





ユダヤ人たちが人権マフィアとしての免罪符を獲得したきっかけになったアドルフ・アイヒマをテーマにした映画が半世紀以上たった今になって急に3作も作られた理由は、ヨーロッパの移民排除の動きやイギリスのEU脱退、そしてアメリカのトランプら移民排除の動きに対するアンチテーゼであることは間違いないだろう。

ローマ帝国によって2000年前に国を失い、以降世界中の国に難民として住み着いて生存権を広げていったユダヤ人が台頭する移民排除主義に対して本能的に危機感をつのらせるのは心情的には理解できるけれども、しかしその背後では人権侵害や難民をビジネス化する狡猾な顔も併せ持っているのを見るにつけ胸糞が悪くなる。

ちなみに筆者が営業マンとして働いていた業界はユダヤ人が多く、筆者も数多くのユダヤ人とビジネス以上の関係を築いてきたから、全てのユダヤ人がそうだと言っている訳ではないが、それにしても彼らの主張は年を増すごとに拡大解釈や捏造が溢れてきてもはや見苦しさしか感じなくなってきた。






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死線を乗り越えた信仰の女

女房の遠い従姉妹で香港に出稼ぎ中のカルメンが元気になったと連絡が入った。このカルメンは今年6月に胃ガン、それもちょっとヤバい部位に発症していることが判明し、難しい手術になることから周囲の人間はかなり心配していたのだが、雇い主の香港人夫妻が名医を探し出したおかげで生命を長らえたのである。

「あ~、一時はどうなる事かと思ったけど良かったわ!」とカルメンの妹グレースと喜びを分かち合う女房。筆者ら夫妻が香港にいた頃は毎週のようにカルメンが我が家に遊びに来ていたから、筆者だってホッと胸をなでおろしたのだが、しかし同時に「これでカルメンのもう一つの病は更に重くなるな」と思ってしまったのだ。

このカルメン、困った事に創価学会の熱心な信者なのだ。25年前に出稼ぎ家政婦として香港にやって来たカルメンは付き合っていたトムボーイ(オナベ)に有り金すべて騙し取られて絶望のどん底に落とされたのだが、その時にカルメンに手を差し伸べたのが今の雇い主である香港人夫妻(創価学会員)だったのである。





ちなみにこのカルメンは偶然というのは信じ無い性質で、例えば道端で出会った犬や猫が自分になついてくるのにも何かの因縁を見つけ出してしまうような思考回路を持っているから(だから20年間コツコツ貯めた金も騙し取られた)、ひとたび創価学会の会合に行くや雇い主もびっくりする程の速いペースで熱心な信者へとなっていったのである。

当然こういうのが毎週我が家に遊びに来れば宗教の売り込みを始める訳で、あまりのしつこさに筆者は「お前が信じているのは邪教だ!」と叫んで、皆の前で創価学会が行ってきた強引な勧誘行為と信者の資産略奪、そして数多くの経済事件への関与に東村山女性市議など反対派の殺害事件などをまくし立てたのである。

結局それ以降カルメンは我が家に来ても宗教の話を一切しなくなっただけでなく、カルメンの二人の妹は創価学会ではなくフィリピン・ダバオに本拠を置くキングダム・オブ・ジーザスクライスト(KLC)に入信したから筆者のこの脅しは一定の効果があった様なのだ。





しかしその後もカルメンは創価学会への傾倒を深めていき、毎年雇い主の娘2人と一緒に創価学会の本山だか何だかに巡礼するようになり(怪しげな日本語を話すようになった)、筆者が香港を離れた4年前には香港創価学会のフィリピン人部会の幹事のようなポジションに昇格していたのである。

そのカルメンが死線を乗り越えて無事生還したとなれば、これはもう今まで自分を押さえつけていた常識なんか全てかなぐり捨ててしまい、穴という穴から液を出しまくって日蓮だか牧口だか池田のデブといった邪教の指導者への感謝感激に身を震わしている訳だから、そんなのと出会おうものなら・・。

今年のクリスマスは無理だけど、カルメンは旧正月はフィリピンに一時帰国できそうなんだって!と女房は嬉しそうに言うが、そんな歩く南無妙法蓮華経布教マシーンが家に来られたらエラい事になってしまうではないか・・。そして筆者の脳裏には「だったらカルメンはもう一度何か軽いけど慢性的な病気になって・・」などと大変不謹慎な思いがよぎってしまったのである。貧血症なんてどうかね・






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血のリアリズム

トルコのアンカラでロシア大使が暗殺されるというニュースが流れた。ロシアとトルコは歴史的に対立関係にあり、また隣国シリアではアサド大統領派と反政府組織と別々の勢力を支援しているから、今年8月のプーチン=エルドアン会談で何とか繋ぎ止めたガラスの外交関係にも重大な影響を与えそうである。

それで暗殺現場の動画を何度か見てみたのだが、筆者は見るたびに何だか違和感が深まってしまった。なんでこの暗殺者は背後に入れたのか?とか、カメラアングルがやけに作り物っぽいな?とか色んな疑問符が頭に浮かぶのだが、愚鈍な筆者もようやくその正体に気が付いた。出血してないのだ。





ふつう銃で撃ったのなら破裂したように血が飛び散るはずなのに、それが全くないばかりか倒れた後でも血が流れでいる様子が無いのだ。筆者は医者ではないからそういうケースもありますよ!と言われれば黙るしかないが、その昔雑誌に良く乗っていたテロ事件の悲惨な現場にあるようなリアリズムがこの動画からは全く感じ無いのである。

もちろん国際政治はシビアだからそんな陳腐な演技などで誤魔化せるはずも無いのだけれdも、しかし筆者は2年前に世界中にショックを与えたイスラム国(IS)によるヨルダン人パイロット焼殺シーンと、同じころ誘拐され殺された二人の日本人の首切りシーンが脳裏に蘇ってきたのだ。





ちょっとショックな写真を掲載して申し訳ないけれども、下にある後藤さんの血の色をよくご覧いただきたい。人間と言う生き物は血の色に興奮する傾向を生まれつき持っていて、たとえ釣り番組で鯛やカンパチを〆る時に流れ出す血を見ただけでも何らかの反応を示すものなのだが、さてこの後藤さんの写真の血の色をみて何か感じるだろうか?

カメラの状態とか石の色、あるいは天気の具合などによってこういう色に見えることもあるのだ!と言う意見もあるだろうが、筆者にはこの血の色を見ても何の心の動揺も浮かばず、スタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」に登場する血まみれの双子の少女の方がよっぽどリアル感があるように思えてしむあのである。





お前は頭がおかしい!と言われるだろうが、筆者の正直な眼で見る限りこれらの動画は全て作り物としか思えないのである。でもそれは誰が何のため?と問われれば、それは中東で混乱を作り出したい国際金融資本のような勢力で、実行部隊はブラックウォーターといった民間軍事会社ではないか?と推測するだけだ。

だからここから先は推論を積み上げるだけになってしまうだけだからこれ以上は止めるし、だから何をどうしたいという事ではないのだけれども、この世界には自分の意思を実現するため陳腐な芝居を打って世論を喚起したい勢力がやはりいるんだな・・と陰謀論への傾倒をますます深めてしまうこの頃である。






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外国人カップルが日本で結婚式を挙げる?

筆者ら夫妻の仲人で女房の叔母の夫でもあるユン叔父(中国系香港人)から「沖縄のブセナテラスってどんなホテルだ?」という電話が入った。ブセナテラス?そりゃ沖縄でも一番のリゾートホテルですけど・・と答えたところ、じゃあ来年6月にそこに来てくれ!と切り出されたのだ。

筆者は会社員時代にはウェスティンやマリオットなんて結構値の張るホテルに泊まっていたが、それは休日が年に1回1週間しか取れなかったからであり、現在1年365日お休みの筆者はそんな高級ホテルに泊まる費用があるのならハノイかコタキナバルの安ホテルに1週間ステイする方を選ぶのだ。

しかし再三チェンマイに来るよう誘ってもガンとして応じなかったユン叔父が、なぜ大嫌いな飛行機に乗って沖縄なんかに行くのか?と思った筆者はその理由を聞いてみたところ、なんとユン叔父の妹の子ジェイソンが沖縄で結婚式を挙げるからだと言う。

ジェイソンは香港で受験英語進学塾を経営しているからそこそこ金はあるのだが、でも何で沖縄なんかで結婚式を挙げるのだろう・・。しかしユン叔父の口から「最近の香港の若い連中の間では日本で結婚式を挙げるのが流行り始めたんだ」という言葉が飛び出たのに驚いてしまった。

本当ですか?でも俺の周りの香港人ではそんな兆候ないんですけど・・と反論したのだが、オマエは4年近く香港から離れているので事情を知らないだけだ・・と言う。例えば昨年ジェイソンが日本の金沢に行ったのも香港に住んでる香港人同士のカップルの結婚式に参加したからなだと言うのだ。





だけど香港の結婚式と言ったら最低でも20テーブル(200人)参加とかなり大掛かりなものである。それだけの人間に沖縄に来い!というのは相当な負担を強いることになるが、しかしジェイソンのようなイギリス大学留学組たちは結構な給料もらっているから結婚式のため20万円なんて大したカネじゃないらしい。

しかし・・・。ジェイソンと大して面識もない筆者がなんで沖縄に行くんですか・・と聞いたところ、どうも結婚コーディネート会社だけでは心もとないし、なにより参列者はユン叔父自身を含め日本語が出来る人間が皆無だから・・とユン叔父はとんでも無い事を言い出したのである。

いくら仲人とは言えいい加減にしろ!なんで俺が自腹で沖縄まで行き大勢の香港人のガイドをせにゃならんのだ!それでユン叔父にその時期は京都で用事があるから会うのなら京都までご足労願いたいと断りを入れるとともに、沖縄はハブという毒蛇がそこら中にいるから気を付けるように!と脅かしておいたのだ。

さて電話を切った後で筆者はユン叔父の図々しい申し出にしばらく呆れていたのだが、しかし冷静に考えると興味深い話である。香港人の間で日本旅行ブームが始まったのは10年ほど前で、ある雑誌の「金が無尽蔵にあったらどこの国に観光に行きたいのか?」というアンケート結果でここ数年日本が連続して1位を獲得しているのは知っていたけれども、まさか結婚式まで挙げるとは・・。

その昔日本の間でハワイでウェディングが流行ったけど、日本中の結婚式場に「周家、楊家」と書かれた垂れ幕で埋め尽くされる日がそのうちやって来るのかね? だとしたら過疎化が進む四国なんか、いっそのこと県挙げてこれを事業化してみたらどうだろう?金比羅なんか階段多くて高齢化社会の日本じゃ将来誰も来なくなるんだから、中国人向け結婚式場に模様替えしたら?






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水牛のいる風景

女房の従姉妹アニーがフェイスブックに旅先でのスナップショットをアップした。真っ青な空にホワイトサンドの見事なビーチ、そして透き通るほど美しい海に囲まれたその島はフィリピン中部レイテ島の沖合にあるカランガマン島である。

このアニーは結婚して子供を二人産んでから急にビーチリゾート巡りに目覚めてしまい、大学時代の友人や職場の同僚を誘ってはコロン島やシャルガオ島、スリガオの何とか言った主にビサヤ地方のビーチへとせっせと出かけているのである。

3年前に最初に出会った時も「あなたはプーケットに通っているから判ると思うけど、真っ青な海に飛び込む時の日常の雑務から解放されて真っ白になるあの感覚が溜まらないのよね!」と言って彼女のケータイを渡したのだが、彼女がニッカリ笑っている写真を見るうちに筆者は複雑な気分になってしまったのだ。

このアニー、ビーチが全く似合わない外見をしているのである。身長160センチに推定体重70キロと横幅がかな~り広い上に、顔つきもあっさりした南方系より犬ゾリに乗ってホッキョクグマを追いかけてるエスキモー系を彷彿させる作りなのだ。





そういう人物がビーチで寛いでいる写真は一体どういうものになるのかは上にある写真を見て各自で判断していただきたいが、筆者にとってはどちらかと言うとオットセイやトド、セイウチといった肥大系海洋哺乳類が被写体になっていた方がまだしも芸術性が高いのではないか・・と思ってしまう。

「アタシはフィリピンのベストビーチを全部征服するつもりなのよ!」とアニーは自信満々に言うが、行くのは故人の勝手だから別に良いけれども、写真の方は如何なものか・・と面と向かって言いたかったが、もちろんこんな事は口に出しては言えるはずもない。

しかしフェイスブックに掲載されるアニーの写真でも料理関係なら「いいね」が80くらいつくのに、ビーチ関係、特に水着姿の写真は20前後と激減し、時たま10を切るのを見れば如何にアニーと言えども自分の肢体の評価について勘違いしていた事に気が付くはず・・。

それで本日アップされたアニーの写真のうち風景だけのものにはHow Beautifulなどとコメントを書き入れ「いいね」も押すが、アニーが被写体になっている写真、とくに海岸で水牛が水浴びしているシーンを彷彿させる写真については一切黙殺することにしたのである。早く気が付いておくれ、アニー。






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危険な足を持つ女

3週間前から右手の薬指と小指の先に痒みを感じるようになったが、ついに数日前になって皮膚がガサガサになってしまった。筆者は高校生時代にバイト先が使っていた洗剤の後遺症から手の指がアレルギーを起こしやすい体質になったので、同じ症状がぶり返したのか・・とオロナインを塗り込むようにしたのだ。

ところが直らないばかりか悪化する一方なのである。それでちょっと不安になったのでアパートの近くにある医者に行ったところ、若い医者は指を見るなり「これは疥癬(スケビー)の一種ですね」と言い出した。疥癬・・?ダニが原因ですか?と聞き返したら、違うよ、あの足に出来るやつだよ・・と答える。

そりゃ疥癬じゃなくて白癬、つまり水虫だろうが!と若造医者の間違いにムッときたが、それ以上に自分が水虫、しかも足ならともかく手の指に出来たことにカッとなってしまった。筆者は革靴履き生活を30年続けたが、いつも丹念に足を洗うので水虫などなった事は一度たりとも無いのだ。

しかし医者が「あんたは右手先で水虫に触れたはずだ」という一言を聞いた時に筆者の脳裏にハッ!と閃めくものがあった。3週間前と言えばちょうど女房の姪イナが職探しのため我が家に居候を始めた時期なのだ。このイナは外出先から帰って来て靴を脱ぐやムワ~ンと蒸れた異臭をあたり一帯にまき散らす足臭女なのである。

筆者はもちろんイナの臭い足に触れることは無いし、臭みが濃縮された靴には1メートルと近づかない事を心掛けているのだが、この足臭女が毎日嬉しそうに入っている簡易サウナ(首から顔だけ出す箱みたいなやつね)の中に貯まり込んだ水をタオルで拭う、さらに布製のサウナを洗う作業を何度かしてしまったのだ。

イナの足の臭いが染みついているので筆者は簡易サウナに入るのは止めたのだが、なんと足が臭いだけでなく水虫まで持ってやがったとは・・。筆者は奴の足から染み出た汚染水に触れた後はちゃんと石鹸で手を洗っていたのだが、高温で蒸されたイナの水虫菌は細胞分裂を繰り返し制御不能なほど活発化していたのだろう。

今日も顔から汗をダラダラかきながら鼻歌を歌ってるイナ・・。こいつの強酸性の足の臭みと水虫菌が濃縮され培養された簡易サウナはチェルノブイリの原子炉並みの危険レベルに達しているに違いない。この簡易サウナはもう封印しないと駄目だ。とっとと新しい職を見つけて我が家から出て行け!この足臭水虫女!






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代議士を死に追いやった馬鹿秘書

先日4回にわたって旧ソ連のスパイ浸透工作について日記にしたが、テーマが多岐に渡っている上に登場人物をいちいち説明するのに行を割かねばならず、筆者にとってはほんの入口に入ったばかりだと言うのにエラく長い文章になってしまった。

1930年代に進歩的な教育を受けたエリートが戦後になってソ連の工作員として密かに活動していた・・という点にだけ絞れば良かったのだが、瀬島龍三から陸軍統制派あたりで戦前の赤化浸透に拘泥してしまい、結果として戦後までモグラとして活動してたのは誰なんですか?という基本的なテーマにいつ辿り着けるのか見えなくなってしまったのだ。

それで今まで読んでいただいた方には大変申し訳ないのだが一旦この話は取りやめにして、今後は不定期で、さらに一人とか二人のスパイについて出来るだけ簡単な話にするようにします。ということで、今回はプーチン来日で報道番組にやたらと顔を出している鈴木宗男代議士に関するちょっと笑えないスパイ失敗談について書くことにしたい。





1975年にアメリカに亡命したKGB駐日工作員レフチェンコ少佐が議会で証言した「対日スパイ網」というのをご存じだろうか?。彼は「暗合名ギャバー:社会党中道派のベテラン指導者」という具合に自分が担当していた三十数人の日本人協力者(スパイ、情報提供者、あるいは西武の堤清二のような単なる親ソ派人士)の名を公表したのだが、この中に鈴木宗男らしき名前が登場するのである。

暗合名フェン・フォーキング、自民党の党員で、党内の一派閥の指導人に影響を及ぼしうる人物、72年から接触がスタートし、75年頃にかなり進展がみられ、ついには正式なエージェントとして取り込まれた・・というレフチェンコの証言を多方面から分析した結果、公安筋やジャーナリストはこのフェン・フォーキングはほぼ間違いなく鈴木宗男だと特定している。

当時の鈴木宗男は北海道の熊の異名をとった中川一郎の秘書だったのだが、ソ連KGBの目標にとって鈴木宗男は単なるとっかかりに過ぎず目標はあくまで中川一郎であった。中川は石原慎太郎や渡辺美智雄ら自民党内の若手右派を結集した青嵐会のボスであり、青嵐会解散後も弱小派閥の長ながら党総裁選に出るほどの大物代議士だったからである。




自民党の右派とソ連との間に一体何の共通点があるのか?と訝るかもしれないが、実は青嵐会の外交政策の基本は対米依存を脱した自主防衛と中国敵視であり、ソ連に対してはかなり融和的だったため、中ソ対立が深刻化して戦争に入ることを危惧していたソ連にとっては、米軍撤退と中国敵視を叫ぶ青嵐会とは外交上の利害が完全に一致するのだ。

そして中川の秘書であった鈴木宗男に接近した1972年というのも、ちょうどその前年にキッシンジャーが訪中して米中接近へと舵が切られ、米中一緒に組んでソ連を封じ込めませんか?という歴史的な外交転換が始まっている時期だったから、KGB東京支局にとっては万年野党の社会党の他に政権与党内に一つ楔を打ち込みたかったのである。

当時の自民党でも新中派である田中・大平派と親米派の福田派、風見鶏の中曽根派では相手にならぬから、結局は中川派に的を絞り(三木派は石田博英代議士がKGBのエージェントだった)、そこの領袖の秘書である鈴木宗男を取り込むことに成功したのだが、実はこれが世紀の大ポカというやつで、大変皮肉な結果を生み出してしまったのである。





なぜなら中川一郎はとっくの昔にソ連に取り込まれていたからだ。しかも中川一郎のカウンターパートはKGBよりもずっと格上なソ連共産党中央委員会国際部(MO)のイワン・コワレンコという超大物スパイマスターだったのである。旧ソ連の諜報機関と言うとKGBと軍系のGRUが思い浮かぶが、実は最も重要な情報機関はこの国際部(MO)なのである。

これはロシア革命後から第二次大戦までのソ連を見ていただけば分かりやすいが、もともとソ連は国際共産党(コミンテルン)の一支部という位置づけであり、海外情報工作活動はコミンテルンの情報部門が管轄しており、ソ連政府の諜報機関であるKGB(当時はチェカーやNKVDという名だった)が管轄するのはソ連国内の治安・謀略・防諜なのである。そして1943年のコミンテルン解体時に海外協力者リストを引き継いだのはソ連共産党国際局なのだ。

またジョン・ル・カレの小説を読むとKGB13局という他の部局とは完全に独立した最高機密部署が登場するが、実はこれはソ連共産党国際局(MO)の事なのである。後にイギリスの首相になったハロルド・ウィルソンなど最重要スパイはここが扱っていて、大所帯で職員のレベルも玉石混合なKGBには手を触れされるどころか存在さえも伝えて無かったのだ。





これ会社に例えれば党国際部(MO)は○○銀行本店営業部でコワレンコはそこの次長、一方KGBのレフチェンコは〇〇銀行大和郡山支店の係長くらいのポストである。もちろん本店営業部が取り込んだ人間は秘匿だから大和郡山支店の壁に「3丁目4番地の大富豪中川一郎さんは本店が管轄するので手を出さない様に!」などと貼ってあるわけもない。

そうとは知らぬKGBレフチェンコは中川の秘書鈴木宗男にアプローチしてしまい、鈴木宗男も幾何の金銭に目がくらんで中川から聞いた情報を渡していたのだが、生来の虚栄心から田中派の知り合いから聞き出した噂の類まで漏らしたため、KGBレフチェンコは鈴木宗男を田中角栄の情報もタッチできる人物と報告していたようである。

ところが困った事にKGBレフチェンコのヘマが見つかってしまい、身の危険を感じてアメリカに亡命するや前述の通りアメリカの議会で自分が日本で誰と何をしていたのか?をベラベラを喋ってしまったのである。当然ながら日米両国でハチの巣をつついた様な騒ぎとなり、そしてフェン・フォーキングの一件から鈴木宗男→中川一郎ラインが浮かび上がってしまうのだ。





ただしレフチェンコのリストには三十数名の名前があって、その中には上田卓三や勝間田清一、伊藤茂ら社会党選出の国会議員もいたのに、世間が騒いでいる最中に中川一郎だけが自殺(本の中では自殺に見せかけた暗殺と書かれてある)したのは、中川一郎の先までついたソ連共産党国際部の足跡を徹底的に消し去りたかったからだと言われていた

中川一郎の先って言うと、やっぱり青嵐会の面々だよな・・、石原慎太郎に渡辺美智雄、加藤六月に浜田幸一、三塚博、それと森喜朗に山崎拓なんてのもいるが、今となっては誰が何だかわかりはしないし、それに前述のソ連共産党国際局コワレンコが何かと中川一郎との付き合いをひけらかすことを考えると殺したのはソ連ではなく日本の権力者ではないかとも思えて来る。

まあそういう国際社会の難しいところを綱渡りで歩いていた中川一郎センセイも、秘書の鈴木宗男がコワレンコ曰く「大酒のみで精神に欠陥を抱えた」レフチェンコに引っかかった事で破滅してしまったのである。つまづいてちゃぶ台ひっくり返した男が今でもテレビに出て領土交渉が云々抜かしているけど、日本のメディアはなんでこんな野郎を未だに登場させるんだろう?






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狙われた政権

昨日の日記で旧日本陸軍の統制派の中にソ連の回し者がいて、戦前の日本を誤った方向に導いたのではないか?ということを書いたが、今日の日記では大日本帝国のもう片方の車輪、軍ではなく日本政府に巣くっていたソ連のスパイについてちょっと触れたいと思う。とはいっても有名なゾルゲ事件の尾崎秀実ではないですよ。

尾崎秀美は大変優秀なスパイであり、日本はソ連に参戦せずに南進を決定!という情報は西部戦線でドイツの猛進撃に直面したスターリンにとっては万金に値するものだったけれども、じゃあ尾崎が近衛内閣の政策決定を動かすほどの人物だったのか?と言えばはっきり言ってノーである。

それから尾崎を近衛内閣に接近させる労をとった西園寺公一は文化大革命中の中国に亡命して毛沢東万歳を叫んでいたような人物だし、1920年代に英オックスフォード大学で共産主義にかぶれたと公言している位だからコミンテルンのお手付きなのはほぼ間違いないが、尾崎にしろ西園寺にしろたかが30代の若造が当時の日本の国策に与える影響など限定的だ。

近衛内閣時に実施された蒋介石を相手にせずの日中戦争泥沼化に総動員法、大政翼賛会の結成、日独伊三国軍事同盟に日ソ中立条約、アメリカの対日資産凍結を引き起こした南部仏印進駐、、そして対米戦争の準備といった諸々の出来事はよく見ればスターリンの砕氷船理論に忠実になぞったものであることがわかる。





つまり筆者が言いたいのはゾルゲ事件なんかよりも遥かに重要なソ連スパイが近衛内閣の中にいて、その人物に引きずられる形で近衛内閣は一連の愚策を連発してしまい、ついには亡国の憂き目にあったのではないか?という事である。で、それは誰なの?と結論に行く前に近衛文麿と言う人物の特異性についてちょっと触れたい。

東京帝大からわざわざ京都帝大へと編入し左翼の河上肇の薫陶を受けたり、朝飯会や昭和研究会という私的なブレーン機関に蝋山政道や正木千冬、犬養健に勝間田清一といった少壮気鋭な左翼人士を集めている事などから、近衛文麿は公家最高峰の家柄に生まれながらも共産主義にシンパシーを感じやすい性質の持ち主という矛盾の塊だったように思えるのだ。

ソ連から見ればそういう脆弱な人物が日本の総理になるのは好ましい事態だから当然ながら早い段階で近衛の周りに鼻薬を利かせた人物を送り込んでいるはずで、筆者はおそらく昭和研究会の幹事を務めた後藤隆之助がそうだったと思っているのだが、ただこの人物に関しては情報が少ないので、ここではもう一人かなり怪しい風見章という人物について述べたい。

風見章は第一次近衛内閣では内閣書記官長(現在の官房長官)、第二次内閣では法務大臣を歴任した近衛の懐刀とでも言うべき男で、ゾルゲ事件に関与した疑いから1942年に政界引退しているのだが、これが巧く回って連合国による戦犯訴追を免れ、戦後は左派社会党選出の国会議員となり、なんと日ソ友好協会の副会長を務めているのである。





さらに中ソ対立前の中国を訪問して周恩来首相と面会して戦前の日本の行いを詫びるとともに、日本は台湾を見捨てて中国と国交を回復せよ!と近衛の朝飯会メンバーだった細川嘉六とともに共同声明まで出している。言っておくが風見章は瀬島龍三の様にソ連に抑留されて思想教育を受けたわけでも無く、アメリカ軍に掴まって拷問を受けていたわけでも無い。つまりこの男は戦後になって本性を現したのである。

近衛の周囲にいた人間は風間はソ連の回し者!と指摘していたのにもかかわらず戦後を美味く立ち回り、死んだときにはなんと勲一等まで貰っているのだ。こんな野郎がのうのうと生き延びたこと自体噴飯ものだが、しかし不思議なのは新聞記者時代に極左的な記事を書きまくっていた風間をなぜ近衛は官房長官に迎えたのだろう?

実はここから先はまだ調べている最中ではっきりとは言えないのだけれども、尾崎秀実や風見章、そして風見の師匠格だった中野正剛ら数人の政治家と、先にあげた朝飯会と昭和研究会という近衛の私的ブレーンたちの経歴を見ていくと、要所にいる人間にはある共通点があるのだ。

朝日新聞社の記者だったのである。戦後の朝日新聞の左派ぶりはあまりに有名で、その反面戦前は右翼っぽかった・・と免罪符を与えられているけれども、近衛内閣の周辺にあった朝飯会と昭和研究会と言うブレーン機関、西園寺公一と尾崎が出会った太平洋問題調査会というシンポジウム、そして大政翼賛会の会員たちには朝日新聞の記者たちがチラチラ見え隠れするのだ。






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赤い軍人たち

稀代のスパイであるキム・フィルビーがケンブリッジ大学の学生だった1930年代に、イギリスから遠く離れた極東の島国でも一人の重要人物が陸軍士官学校にいた。瀬島龍三である。この人物については山崎豊子の小説「不毛地帯」が有名だからよくご存じとは思うが、簡単な経歴だけざっと書きたい。

1911年富山県の農家の次男として生まれ、陸軍士官学校を次席、陸軍大学を主席で卒業後に大本営参謀となり、終戦時の階級は中佐。日本降伏時に満州にいたことから11年にわたってソ連に抑留。日本帰還後は伊藤忠商事に勤務し自衛隊向けの次期戦闘機売り込みで実績を上げた後は経営管理畑を歩み副社長から会長を経て退職。

退職後は土光敏夫の下で臨調の委員兼参謀役や中曽根内閣のブレーンなど政府の要職を務めあげ政財官界に睨みを利かす「昭和の名参謀」の名を欲しいままにした。その人物がソ連のスパイだった?お前なに言ってるんだ?と思うだろうが、ある一定以上の年齢の方ならご存じの通りこの瀬島スパイ説の噂は根強くあったのだ。

2013年に元警察官僚の佐々淳行が雑誌にある確証を書いたことから瀬島スパイ説には一応の決着がついたのだが、瀬島がソ連にリクルートされたのは11年間のシベリア抑留中であるという説には筆者は同意できないのである。たしかに瀬島が朝枝繁春、種村佐孝、志位正二ら拘束されたエリート参謀とともにウランバートルにあった第7006俘虜収容所に連れ込まれここで思想教育を受けたのは確かである。

しかし戦時中の瀬島の行動を見ると、ドイツ降伏前の米英ソ三国によるヤルタ密約を掴んだ小野寺駐在武官の電報や台湾沖航空戦の当初の戦果発表には疑念が多いと伝えた堀情報参謀の電報も握り潰す、そして日本降伏時に日本人捕虜を使役に使って良いと申し出るなど、戦争以前にソ連に取り込まれていたのではないか?と思える節がある。





ただここから先は明確な証拠があるわけではないのであくまで筆者の推測だし、天皇カチカチ主義で集団生活をしている陸軍士官学校にコミンテルンの工作員が入り込めるはずも無いのだけれども、戦前の陸軍を先入観なしに俯瞰的に見てみると組織全体が何やらソ連の意向に沿った動きをしているのではないか?と思えてしまうのだ。

例えば226事件の首謀者たちが主張した私有財産の制限と大資本の国有化、貴族制度の廃止に男女平等というのは天皇制度への妄信を除けばロシアの十月革命そのもののように思えるし、この信じられないほど稚拙なクーデターのおかげで対ソ決戦を視野に置く皇道派は瓦解し、変わって権力を握ったのは対米決戦の統制派である。

そして日本は統制派が思うが儘にアメリカへと戦争を仕掛け、その結果満身創痍となってしまうのだが、ポツダム宣言受諾をせずにソ連を通じた終戦工作を持ち出した近衛文麿、東郷重徳ら親ソ派に与するだけでなく、「スターリンは西郷隆盛のような怪傑で信用出来る人物」など首をかしげたくなる発言までする人物が出てくるのである。

戦後に出版されたが忽ちGHQに発禁処分にされた「戦争と共産主義」という名著があるので、これらの具体例はぜひこの本を読んでいただきたいのだが、この著者の結論は士官学校での将校たちはエリートとは言え元々はみな貧乏人の倅であり、彼らは本質的には大資本や富農たちの存在を憎んでいた、つまり共産主義と共鳴するだけの土壌が十分にあり、コミンテルンはその弱点に付け込んで軍内部に親ソ的な人脈を育成した・・というものであった。

で、このソ連と士官学校出の将校との紐の結び目になった人物は誰なのか?という点だが、筆者はその人物は統制派のトップであった永田鉄山軍務局長(写真上)本人か、またはすぐ近くにいた人間だと思う。バーデン会議で東条英機らと結託して薩長閥による軍支配を終結させ、ソ連攻撃に一人反対して中国大陸の泥沼へと日本を向かわせた軍人、スターリンの砕氷船理論の通りに陸軍を導いた男である。






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コミンテルンの風を受けた男たち

ケンブリッジ大学時代にコミンテルンにリクルートされたエリートたちは思想信条を隠したままイギリス外務省や国防省に入り、自分たちの目の前を通り過ぎる機密情報をソ連に流す「もぐら」として活動するようになったのだが、出自の良さと頭脳明晰さがモノを言いぐんぐんと出世していくにつれ彼らが提供する情報の価値も飛躍的に重要なものになっていったらしい。

しかし何度もこのイギリスの裏切り者たちに関する本を読み返している内に筆者が興味を持ったのはエリートたちの心情よりもコミンテルンのやり口の方だった。イギリスは徹底した階級社会であり、革命家を募るならロンドンの赤毛の工場労働者を組織する方が合理的なはずだが、どうもケンブリッジの上流社会の申し子たちの方を重視しているように思えたのだ。

そして実際にケンブリッジの学生へオルグを行ったコミンテルンの工作員たちも、プロレタリア風で武骨なソ連人ではなく、ドイツやチェコ、オーストリア出身の比較的裕福な環境に生まれた人間たちであった。後にスパイ罪で尋問を受けたあるイギリス政府高官は自分は理論的傾倒と言うよりもオットーやエリと言ったコミンテルン工作員たちとの繋がりから共産主義者になったと証言しているのである。

イギリスの階級と人口を三角形に見立てると、人口が大きい下の方にいる赤毛の労働者には同じ地区出身の無教養で暴力的な指導者からイギリス共産党への入党を勧め、工場デモや破壊活動など危ない工作にも手を染めさせるが、三角形の天辺にいるエリート層には彼らと共鳴できそうなブルジョア出身の中欧人を使って取り込むが、イギリス共産党への入党や危ない事は一切させずに密かに温存する。

なぜソ連がこんな手の込んだ二面作戦を採ったのかと言えば、言うまでも無く彼らケンブリッジ大学の学生は将来絶対にイギリスの中核に入り込むからで、赤毛の工場労働者1万人よりも遥かに重要だったからであろう。そして後にスパイ摘発捜査に当たったMI5のピーター・ライトは自著でもう一つの危惧を述べているのだ。





ケンブリッジと並ぶ名門オックスフォード大学でも同じ事態が進行していたはずだ。常識的に考えてイギリスの名門大学の二つのうち一つだけしか手を出していないと考える方が間違っている訳で、実際に1930年代のオックスフォードの古い記録や関係者の証言を集めていくにつれ疑わしい人間がゾロゾロ出て来たそうである(その中には労働党選出のウィルソン英首相もいた)。

そしてこの本の「一つだけしか手を出してないはずはない」という記述を見た時に筆者はピクンとしてしまったのだ。ケンブリッジ大学だけでない様にイギリスだけで無く、当時急速に復興して軍事的脅威となりつつあったドイツや、世界最大の大国になっていたアメリカにも同じような工作を仕掛けていたはずだが、同時に極東で軍事的に対峙する日本に対しても同じなのではないか・・。

こう書くと真っ先に頭に思い浮かぶのはリヒヤルト・ゾルゲだが、この事件のアウトラインを調べていくとゾルゲはすでに共産主義のモグラに仕立て上げられていた尾崎秀実ら日本人を活用しただけで、彼自身が若くて有望な学生を青田買いしたような形跡は無い。筆者の興味は尾崎はいつどこで誰にモグラにされたのか?であった。

1930年代当時、将来の日本のリーダーになる人間を育んでいた教育機関と言えば真っ先に2つの系統が頭に浮かぶ。一つは日本のケンブリッジとオックスフォードとも言うべき東京帝大と京都帝大で、外務省や内務省など日本の中央官庁の情報を入手するためにはベストな人選であり、なるほど確かに調べてみると東大新人会や河上肇ゼミなど疑わしいのがある。

しかに日本の場合はそれとは別系統の学校卒業者が国家の中枢を握っており、しかも帝国大学卒業の官僚よりもそちらの情報の方がソ連にとっては遥かに有難かっただろうな・・と思わせる学校がかつて存在したのだ。将来確実に重要機密に接することになる人間がまだ思想的に柔らかい状態のまま集っている場所。それは明治維新から終戦にかけて歴代首相の半分近くを輩出した陸軍士官学校と海軍兵学校である。






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寒い国のモグラたち

筆者はスパイ小説が好きで、特に米ソ冷戦期をテーマにしたジョン・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーの仲間達」やグレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」と言ったスパイの内面にまで迫った作品がお気に入りである。

どうも機密が漏れているぞ・・から始まって、長い時間をかけてスパイを探し出したらそれが全く意外な人物であり、そのスパイが国を裏切る結果へと導いたものは自分たちの社会の構造的矛盾だったり、実に人間的な弱さを付け込まれていた、あるいは実にくだらない事だったといったストーリーだ。

イアン・フレミングの荒唐無稽な007シリーズとは真逆の人間ドラマ。分かりやすく例えると松本清張がスパイ小説を書いていると思えば良いだろう。実はル・カレやグリーンの他にもレン・デイトンという小説家が・・などと急に気分が乗って来たので本日の日記ではこのスパイたちの世界について思いつくままに書いてみたい。

実は一番上に登場した3つの小説はキム・フィルビーという1960年代に世界を賑わせた実際のスパイ事件を下地にしているのだ。フィルビーはイギリス海外諜報局(俗称MI6)の幹部であり、一時はMI6ワシントン駐在員として米CIAから機密情報を入手する重要な立場にあったが、その陰ではイギリスやNATOの機密情報をせっせとソ連に流していたのである。

現在の日本で言えば公安警察のトップが中国のスパイだったというような話だ。当然ながら発覚直後のイギリスでは何人もの人間のクビが飛ぶだけでなく英米関係にまで影響してしまったのだが、イギリスにとってはさらに困った事に実はフィルビー事件は氷山の一角であり、この他にも重大なスパイがいることが露呈してしまったのだ。





外交官ガイ・バージェスにドナルド・マクリーン、美術顧問として前英国王に仕えていた学者アンソニー・ブランドや、大戦中に独エニグマ暗号解読部門にいたジョン・ケアンクロスらケンブリッジ大学卒業のエリート中のエリートたちがソ連のスパイであった事がキム・フィルビーの線から発覚したのである。

ロンドンの波止場やヨークシャーの工場で低賃金に喘いでいる赤毛の労働者がソ連工作員に釣られてスパイになるのなら理解できるが、なぜ階級社会のイギリスでもかなり上の方にいるエリートたちが・・と当時多くのイギリス人は震撼したのだそうだが、この捜査に当たったピーター・ライト(元国内諜報局MI5の職員)が自著「スパイ・キャッチャー」で実に興味深い事実を書いている。

彼らは1930年代のまだ学生時代だった頃にソ連の工作員のよってスパイに仕立て上げられていたのだ。1930年代とは熾烈な第一次大戦から20年後とそろそろ平和ボケが始まる頃で、スペインではフランコ将軍に対抗する反ファシズム人民戦線の戦いが繰り広げられていたから、時代的はベトナム反戦ムードに満ちた1960~70年代と同じような左翼的な空気が全世界に蔓延していたのだそうだ。

そういう時代にドイツ人やチェコ人のボヘミアン風な雰囲気を漂わせた人間がケンブリッジ大学にふらりと現れ、彼の進歩的な思想にすっかり感化されたエリート学生たちは自分たちの階級への贖罪感からイギリス共産党への入党を申し出るようになるのだが、後にスパイになった人物は「彼らから入党を思いとどまる様に説得された」と発言しているのである。

イギリス共産党に入れば身分が周囲に知れてしまうから君の将来はもうお終いだよ。それよりも君にしか出来ない方法で国際革命に貢献できる方ではないか。君は自分の思想信条をひたすら押し隠して体制の中に入り込み、中から革命を目指せば良いのだ」という論法である。実際ほとんどの学生はコミンテルンの通称モグラになることを了解したらしい。(続く)





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あの世に持って行くもの

筆者の好きなアマチュア怪談師の話で、大好きだった祖父が亡くなった後で化けて出て来た話がある。まあこんなのはよく聞く怪談話だが、変わっているのはこの爺ちゃんは刻みタバコと赤貝の煮付けを頼むわぁ・・と棺桶に入れて欲しいモノをこの怪談師に何度も頼みこむのだそうだ。

それで婆ちゃんや叔父叔母たちにこの話をしたところ、幽霊話など信じない上に爺ちゃんが一番好きなものが間違ってる!と言い張られてしまった。皆さんよくご存知の通り例えばカレーライスが大好きでも一年中カレーばかり食べてるわけじゃないし、ヒマだから大して好きでもないけど磯釣りなどしていれば釣竿を棺桶に入れられてしまうものである。





ところがこの怪談話、死んだ爺ちゃんが欲しいものを入手するため死ぬほど(実際死んだんだけど)頑張って数々の超常現象を起こすことに成功し、あまりの不気味さに震え上がった遺族が怪談師の言う通りに刻みタバコと赤貝の煮物をどっかから買ってくると怪現象はピタッと収まったというオチである。

身内に死なれて葬式を取り仕切った経験がお持ちの方ならお分かりの通り、故人が何を持ってあの世に行きたいのか?というのは長年一緒に暮らそうが案外判らないものである。例えばデブ専とかスカトロビデオ愛好家や女装マニアなど特殊な嗜好の人の場合、奥さんや娘がその趣味を把握していることはまず有り得ない。





それと筆者の身近な例でいえば、父親が亡くなった際にも棺桶に何を入れるのか?については最後まで頭をひねってしまったのだ。なんせ50年連れそった母親は生まれてこのかた自分の事だけしか考えて来なかった上に錯乱していて支離滅裂だったし、筆者も20年近く別々に暮らしていたから、父の中の優先順位がさっぱり判らなかったのだ。

それで亡父が大学時代に師事して後生大事に本棚に入れてあった折口信夫の学術書と我が家で飼っていた歴代の猫の写真を棺桶に入れて焼いたのだが、火葬場の待合室で待っている間に「やっぱり向こうへの道中腹が減るから食物を入れておくべきだったかな・・」などと考えてしまった。いや実は焼いてる最中に浮かんだのは食い物だけでは無い。





チャイコフスキーの第6交響曲「悲愴」にパイプと刻みタバコ、わざわざ遠くのコーヒー屋から取り寄せていたブルーマウンテンコーヒーに値の張る一眼レフのカメラ、ラドーの腕時計に常に最新版を買い求めたビデオやDVDなどの映像機器、そして食い物はタコの刺身と播州手延べ饂飩、それから本棚にぎっしり並べられた時代小説など挙げればキリが無いのだ。

同じことを繰り返すが、人間が死んだ直後というのは遺族の気が動転しているため、あの世へと何を持たせたら良いのかなど的確に思いつかないものである。それで後から後悔することになるのだが、だったら最初から何が欲しかったのか言ってくれ!と思ってしまう。これこれを棺桶に入れてくれ・・とか、死んだらビル・エヴァンスの曲をかけといてくれ・・というようなことだ。





さて筆者もその時に備えてどう葬って欲しいのか?を考えることにした。筆者は食い物にうるさいから女房はフォアグラやリブアイステーキとか棺桶に入れそうだけれども、正直食い物は京樽のイカ大葉巻きくらいで結構なのである。そう、棺桶に何を入れて欲しい?と問われると、人生の中で何に楽しみを見出していたのかの優先順位が見えてくるから何とも不思議だ。

それで一日考えて出た結論は、ジョン ・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」と「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」の文庫本、それとジミ・ヘンドリックスとケイト・ブッシュのCD数枚にウォン・カーウェイ監督の「重慶森林」のDVD。後はスコッチウィスキー1本とマルボロ・ライト1カートン、そして最後に恥ずかしいけど女房の写真、それだけあれば十分である。






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ソフトドリンク狂奏曲

筆者の住むアパートでは飲料水の無料提供サービスがあって、4ガロン(15.2リットル)ポリタンクに入れて運ぶのは筆者の役割なのだが、最近やけに水の減りが早い事に気が付いた。以前は1週間に1回程度階下に降りて水を貰っていたのに、今はほぼ2日に1回のペースになったのだ。

「だって一人増えたんだから仕方ないじゃない」と女房が言う通り、左腕の具合が悪い女房を助けるため従姉妹ローズアンが先週から我が家に常駐したので家人口が2名から3名になったのは事実だけれど、多少算数が出来る人間なら計算が合わない事に気が付くはずだ。

使用者数は2名→3名と1.5倍になのに対し使用総量は7日→2日の逆数3.5倍だから、一人当たりの使用量は2倍以上に増加しているのだ。そして先週から急に筆者ら夫妻が水をガブガブ飲み始めたわけでは無いのだから、増加分は全て従姉妹ローズアンに帰せられるのである。

それでお前は飲料水でシャワーでも浴びてるのか?と聞いたら、怯えた顔をしながら「とんでもない!料理に使う水だって自分は水道水を使っているのだ」と言う。いや、飲料水は無料なのと、ポリタンクを運びに行く手間がどうのこうのと文句を言ってる訳じゃないんだよ・・と言ったのだが、自分が全て飲んだのだ!と言い張る。





だけど本当にそうだとしたら、今まで俺たち夫婦2人で1日0.6ガロン飲んでいたのが今は3人で1日2ガロンに増えちゃったってことは、君だけで1日1.4ガロン(5.4リットル)もの水を飲んでる計算になるんだよ!と言ったら、う~ん・・と考え顔をしたあげくに「まあ、そんなものだろう」と答えたのだ。

なんとこのローズアン、リサール州の実家ではスプライトの2リットル入りボトルを1週間に最低10本かかさず飲んでいたというのである。これ水とは別にスプライトだけで1日当たり2.9リットルということだ。ところが生憎と我が家は健康上の理由でソフトドリンクは一切置いてないから仕方なく水で我慢しているのだと言う。

おまえ・・どうかしてるんじゃないか・・と呆れたが、本人はそれが一体どうしたのだ?と言った風で、自分が糖尿病まっしぐら、いや身長165cmに対して体重が90キロあるから最早とっくに発症している可能性もあるのだけれど、自分がそういう危険な事をしているという自覚が全然無いのである。

フィリピン人のソフトドリンク好きは今まで日記にさんざん書いてきたけれども、従姉妹ローズアンはかなり重症な部類だ。ただ無ければ無いで我慢できるのだ!と言うから、「だったらお前しばらく俺の家にいて糖分抜き生活しろ!」と言ったのだが、当の本人は「なんで私がそんなことをしなきゃならんのだ」みたいにムスッとしているだけだった。こいつ・・10年後はあの世にいるな。






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鉄道オタクの品格

大学時代のY先輩は鉄オタ、いわゆる鉄道オタクで、家業の酒問屋の仕入れのため札幌に行くにもわざわざ新幹線乗って大阪のサントリーに行き、そこからトワイライトエクスプレスに乗って北海道のニッカウィスキーを回り、そしてわざわざやっととれた予約のために札幌で何日も時間を潰しカシオペアで帰ってくるような方である。

しかし昨年だか一昨年のトワイライトエクスプレスとカシオペアの廃止からY先輩は大変無念の日々を過ごしていたのだが、ニュースでJR西日本の瑞風とかいう豪華クルーズ列車がお目見えしたことを聞いた筆者は早速「良かったですね」とメールを送ったら、その晩メッセンジャーのビデオ電話がかかって来たのである。

「あんなのはな、ちっともお目出度くないのだ」と不機嫌なY先輩。それは一体どうしてですか?と聞いたら、鉄オタって人種は狭くて不便な夜行寝台車に情緒を感じるものなんだよ、あそこまで豪華な列車は俺たちの原点に反する存在なの、といつものノンビリした感じとは打って変わってご立腹の様子である。





これが薄給サラリーマンの負け惜しみなら理解できるのだが、年収ウン千万円のY先輩にとっちゃ瑞風の運賃50万円なんて屁みたいなはずである。という事はこの人にはA寝台とかB寝台といった決して広くもない寝台でゴトゴト揺られながら旅をすることに価値を見出しているようだ。

確かにそう言われてみるとY先輩の口から豪華クルーズ列車の先駆けであるJR九州の「ななつ星」の名前を今まで聞いた事が無い。それで試しに「じゃあ九州の方もお気に召さない・・」と聞いたら、「そうだよ。それになぁ、オレはななつ星の九州一周ってルートが気に入らないんだ」と筆者の言葉を最後まで聞かずに遮る。

Y先輩によると鉄道とは何処かへと行くためのものであり、同じ場所に戻ってきてしまう一周というのが気に入らない!と言いはるのだ。でも・・だったら途中下車すればいいだけだし、それに鉄オタってのは鉄道にゴトゴト揺られていれば何処へ行こうが幸せなんじゃないんですか・・と思ったが、「あと一周ルートだと経費で落とせないんだとな」と言い出した。





筆者は税金の事は詳しくないのだけれども、Y先輩の言った事をそのまま書くと大阪→札幌とか東京→出雲など出発地と到着地が別々の場合はスイートだろうがB寝台でも出張旅費として計上できるけれど、ぐるっと回って元に戻る一周ルートは出張費用として見なされないのだそうだ。なんか急に話がセコくなってきたな・・。

「俺の入ってる鉄道クラブの面々はみんな自営業者で、みんな経費で落としてたんだよ。ところがJR九州も今度のJR西日本の瑞風もみんな一周コースだろ。だから俺たちはああいう列車にゃ乗らないの」と断言するY先輩。なんかこのセーフとアウトのラインは判ったようで判らない。

じゃあ鉄オタにとってどういう路線がベストなんですか?と聞いたところ、それはカシオペアの復活だけれども、青函トンネルの電気系統がどうのこうので札幌には入れないから・・、やっぱり東京→鹿児島にサンライズ△△型で座席は全部ツインにして、食堂車とラウンジは○○系を改良した・・と長い事説明し続けるY先輩。何でもいいけど早く終わってくれないかな・・。






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怪しい嫁入り

雅子妃が53歳になったというニュースを見た時に「オレと3つ違いだったのか」と少しばかり驚いてしまった。筆者はもっと年上だと思っていたのだが、雅子妃の登場から婚約、結婚に至るまでの一連のニュースを思い返してみたところ、なるほど確かにそれくらいの違いだったワイ・・と再認識したのだ。しかしその際筆者の悪い癖でつい余計な事も思い出してしまったのである。

筆者の記憶では雅子妃が世に最初に登場したのは皇太子と付き合うずっと前、外交官試験に合格した二人の女性!という題で写真週刊誌フォーカスに掲載された時である。確か地味そうな東大生の女性と二人でニッコリ笑っている小和田雅子はそれなりに美人には見えたものの、筆者はなんでこんなどうでも良い記事を載せたのだろう?と不思議に思った覚えがある。しかし今考えればこれは単なる始まりだったようだ。

と言うのは、米ハーバード大から来た小和田雅子さんに東大男子色めき立つ!小和田雅子さんの初登庁!小和田雅子さん手料理をご披露!小和田雅子さんイギリス留学!という様に彼女はフォーカスの常連になったのだ。言っておくが当時の彼女は外交官の卵とは言え単なる民間人だし(実際当時は皇太子とは全く関係なかった)、それに他に乗せる記事が腐るほどあったから、彼女のためにわざわざ1ページ割く必要など無いはずなのだ。

新潮社が小和田雅子をスターにしようとしている様に見えたのである。それに小和田雅子の方もプライベートな写真が随分と流失しているのに新潮社に対して抗議しているような話は聞かなかったし、おそらくあの当時フォーカスを定期購読されていた方なら「小和田雅子とフォーカスとの間には何かあるな」あるいは「どうも何か別の意図があるぞ」と思われたはずだ。

だけど何で外交官の彼女を・・。まさか職をなげうって女優になるはずも無いし、美人とはいえ女性外交官の記事で本が売れる訳もないのに・・。それがまさかああいう結果になるとは考えもしなかったのだ。というのも当時皇太子は別の女性との婚姻話が順調に進んでいて、当時全国民はその女性が将来の皇后になるとばかり思っていたからである。ある出来事が起こるまでは・・。





実は筆者はそのお妃候補の父親が社長を務める企業と少なからぬ関係があって、その会社のお偉いさん達から「先々代の社長の死因は怪しいんだよ」という話を何度か聞いた事があるのだ。このお妃候補の父親はまだ若く健康そのものだったのに、ゴルフ場でプレー中に突然体調不良を訴えるやあっという間に死んでしまったのである。

皇太子妃の父親がいないというのはマズいということで結婚話は一方的に破棄されてしまい(父親の会社の面々は宮内庁に対してはひどく憤慨していた)、その翌年には皇太子と小和田雅子は急速に接近してフォーカスがお妃候補!として報道を繰り返し、やがて公家でも財界人の娘でもない女性が将来の皇后の地位を射止めるのである。

なお筆者は天皇家は昔からあるんだから残しておけば・・程度の発想しかない男だが、海外にいた時に時々漏れ聞く結婚後の雅子妃の評判は大変よろしくないものばかりであり、中には「あの妃は日本の皇室を破壊することが目的なのではないか?」といった物騒なものもあるのだが、筆者はそれを冗談で受け流せないのだ。

彼女のあの不自然な登場の仕方、そしてお妃最有力候補だった女性の父親の突然の死、それから最後に彼女の周りと彼女自身が持っていると言われる信仰、日蓮上人を祭り上げ、釈伏という強引な手段で信者を増やし、巨大な財源を武器に自分たちの教えを日本の国教にしようと息巻いている出自の怪しい男の野望。

そう考えると雅子妃の誕生ってこの教団の意向に沿った一連の工作なんじゃないか・・などと考えてしまうのだ。まあこんなの考えすぎだろうし、それにこれは筆者の妄想だと最初にお断りしておきますけれども、皇位継承問題のゴタゴタの内幕って、候補の一人が実は天皇家の血じゃなく違う男のを継いでる事なんじゃないかな・・なんて思ったりする今日この頃です。



(写真の人物は単なる海外名誉博士号収集マニアで本文とは一切関係ありません)



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陽のあたらない銅像

筆者が海外営業マンとして最初に担当した地域は台湾で、3カ月おきの出張では一旦台北に入国した後は高雄に飛び、そこから色んな顧客を訪問しながら順次北上して再び台北に戻るというルートを採っていたのだが、その客の中に対中市の竹華(仮名)という会社があった。

竹華は昔からの付き合いがある大きな会社だから就任早々挨拶に行ったところ、出て来た初老の男性が「私が董事長の陳、これが総経理をやってる私の弟だ。まあお座りなさい」と物凄く流暢な日本語で言うのには驚いてしまったのだが、もっと驚いたのは流暢なのはこの董事長や総経理だけでは無かった事である。

品質問題が発生した時に交渉した工場のマネージャー達が揃いも揃ってツアーガイド顔負けの日本語使いなのである。日本統治時代に教育を受けた老人やアンアンやノンノンを定期購読してるネーちゃん達が訛りのある日本語を話すのなら理解できるが、工場のオヤジどもが日本語を龍柱に話せるというのはちょっと変だ。

しかし同行した日本技術者が工場を見た際に「ここは日本人の手が相当入ってるね」と断言した時に「ああ、そうか」と思ってしまった。訓練を積んだ工場技術者なら作業台の配置や工作機械に張り付けられた工程指示マニュアルの書き方ひとつでその工場に流れる一貫した思想が読み取れるものだ。この竹華は日本に行って学んだのでなく、大勢の日本人がこの場所に入り込んで手取り足取り教え込んだはず!だというのだ。

それで次回会った時に董事長に日本との関係を聞いたのだが、ところが意外にも即答せずにはぐらかすのだ。1990年代の日本は世界最先端の工業国と見なされていたし、安かろう悪かろうの競合他社が溢れる中で日本の手が入っているというのは売り文句なのに、それを匂わせる様な事を一切言わないのだ。





さらに変なのはあれだけ日本語使いが揃っているのに、工場を流れてる相手先ブランドを見てもこの竹華社は日本とは全く取引していないのである。それで何か変だなあ、この会社はなんなんだろう・・と思っていると助け舟を出してくれたのは筆者のパートナーで台北支店勤務の物知りヤンさんである。

「ちょっと〇〇さん、こっち来て!」と呼ぶのでついて行ったところ、工場の建物の裏に存在さえ知らなかった中庭があって、そこに「創業者 竹田幸次郎」と書かれた銅像が立っていたのだ。創業者?それはあの陳兄弟のオヤジさんじゃないのか?と聞いたら、〇〇さん、竹華って社名良く考えてみなよ・・と悪戯っぽく笑いながら言う。

種明かしをすると、この会社は埼玉県の竹田電機工業(仮名)との合弁企業として1970年代に設立されていたのである。だから竹田の竹と中華の華で竹華電機股份有限公司という名なのだが、当時は外資100%は法律で禁制されていたから、フィフティーフィフティーにちょっと味付けした配分で日本と台湾のカウンターパート陳一家で株を分け合ったらしい。

場所と人は台湾側が出して金と技術は日本側の役割というそもそも公平とはいいがたい契約だが、それを承服した竹田幸次郎氏が資金と機材、それに工場パイロットランのための技術者を送り、何年かのよちよち歩きの状態を経て遂に工場としてやっていけるようになったらすぐに事件が起こったのだ。

「全然赤字なのよ。日本から生産委託した分以外は全く売上が無いの。それとは別に人件費だけは計画の倍三倍と何故か多いから儲かるわけないね。でも日本人もバカじゃないからスパイを送って調べたら工場はずっとフル回転してる。それと同じ敷地内に訳の分からない会社がいくつもいくつも設立されるのがわかったのよ」





要するに台湾の陳兄弟が取って来た注文は同じ敷地内に設立されたダミー会社に利益が落ちるようになっていて、合弁工場の設備と従業員をタダで使っていたのである。しかも日本から送った技術指導員ときたら陳兄弟の指示で酒と女ですっかり骨抜きにされてしまい、陳一家の背任行為にせっせと加担するという体たらくだったのである。

それで裁判で散々争ったものの全ては陳一家に有利な形になってしまい、日本の竹田氏は泣く泣くすべてを諦めたというのだ。なるほど、だから工場の主任クラスは全員とも日本語があんなに出来たのか。それに日本の顧客は全部竹田幸次郎氏にブロックされたから全然いないわけだな。こりゃ典型的な投資詐欺行為である。

だけどそれなら何でこの銅像は今まで立ってるんだろう?と思ったが、物知りヤンさんによればこれは実に台湾式の深い意味があるというのだ。実は立ち上げ直後はこの工場の正門はこの銅像の目の前にあって、全従業員や取引先はこの銅像を仰ぎ見る形で工場の建物へと入っていくようになっていたらしい。

ところが日本人を追い出した後は正門の位置を全く正反対の方向に移して、この銅像のある一帯は誰の目にもつかない様にしたというのだが、この手の込んだやり口は台湾のまじないの一種で、敵を滅ぼしてもこちらが悪い事をしたという自覚がある場合は墓まで壊すと祟られるから、こうして封印しておくのが台湾の習わしなのだという。

へえ・・、台湾にも日本の怨霊思想と同じようなものがあったってことか・・。でもこの銅像は日本側を追い出した後は手つかずのままでいたんだろうな・・と思ってネームプレートを見てみたらところ、下の方に「竹田幸次郎 1916-1987」とこの銅像本人が死んだ年までご丁寧に刻印されていやがった。以来筆者は台湾人に心を許すことは止めることにしている。






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カレーBEE

筆者の女房に「タイ旅行中一番美味いメシは何だった?」と聞いたら「MBKセンターで食べたCOCO壱番屋のカツカレー!」と答えるほどのカレー好きである。ちなみに日本に行けば懐石とか寿司なんかも喜んで食うけれども、昼飯は週に3回はココイチで済ませていて、和歌山なり鹿児島なり新しい町に移動すると真っ先に探すのはココイチ店舗があるかどうかなのだ。

フィリピン人と親しく付き合った方ならよくご存じの通り、フィリピン人が好きなファストフード系日本料理はラーメンで、辛いものが苦手な彼らにとってカレーはかなりマイナーな存在なのだが、女房の嗜好が変わった理由は香港に住んでいた頃に筆者に連れられてしょっちゅうカレー屋に通っていたからである。

その店は香港コーズウェイベイのワールドトレードセンター裏にあるカレーBEEという店で、筆者はこの店から歩いて1分の距離に住んでいたのと、調理場からウェイトレスまでこの店の店員は全員ともフィリピン人だったため、平日の昼間一人で食事がてら女房は無駄話を堪能することが出来たのだ。

この店がオープンしたのは香港返還を直前に控えた1996年頃で、当時日本料理がそれほど一般的でなかったから寿司や刺身でなければ商売にならない頃であり、実際すぐ近くにあった麺太郎という実に美味いラーメン屋などたった1年で閉店に追い込まれたというのに、カレーBEEは手ごろな値段と幅広いメニューを武器にしぶとく生き残り続けるのだ。





この店の開店当時の常連は筆者のような単身赴任の日本人駐在員ばかりだったのだが、やがて本業のカレーよりも味噌ラーメンや焼きそば、冷やし蕎麦からサバ塩焼き定食といったB級グルメに釣られた香港人がぽつぽつ店を訪れるようになり、筆者が香港を去った4年前には常時香港人のカップルで溢れるほどになっていた。

「まさかあの人の店がこんなに成功するとは思わんかっよ」というのが香港でレストランを営む同業者たちの弁だ。そう、実はこの店を立ち上げたのは60過ぎの日本人の爺さんで、この方は専門商社の香港駐在員だったという前歴からも判る通り実は飲食店経営は全くのド素人だったのだ。

ちなみにこの爺さんは「胡蝶」というフィリピンパブも併せて経営していたのだが、こっちは素人ぶりが露呈して2年とたたずに店を閉じる結果になったのだけれども、カレー屋の方は誰もが驚くほどの大成功・・。それでみんな変だ変だと言っていたのだが、実は成功の秘訣を店員から聞き出したのは筆者の女房である。マネージャーが凄くやり手だったのだ。

このマネージャー、もともとはフィリピン人のホステスで、駐在員として通っていた爺さんに色仕掛けで接近して直ぐに懇ろになり即妊娠。それに爺さんはちょうど定年退職を迎えたのを契機に日本の家族を打ち捨てて退職金とそれまでの蓄えを元手にこのフィリピン人ホステスと新人生をスタートしたのだ。





前述の通り爺さんが主幹のフィリピンパブは直ぐにつぶれたが、一方のカレー屋は愛人の妹やら弟、従兄弟たちが店員として入り込み、通常このパターンだと一気に潰れるコース一直線のはずなのに、この愛人(マネージャー)はものすご~く気が強い女で、妹だろうが雇われ掃除婦だろうが平等にとてつもなく安い給料で鬼の様にこき使ったのである。

それは爺さんに対しても全く同じであり、いちおう名目上はマネージング・ディレクター(代表取締役)なんて地位にいるけれども、店のコップ一つ購入する権限どころか連日満員御礼なのに1セントたりとも配当が与えられることはついぞ無く、時たま店を訪れる以外は家で小さい子供の世話をし続け、そして十年ほど前にその人生を終えたのだ。

そして爺さんの甥っ子だかの日本人との相続でのゴタゴタ発生とコーズウェイベイそごう支店の分離独立騒ぎを繰り広げる、リーマンショックやら競合日本料理店の進出で競争激化、路面店の家賃のハイパー沸騰など数々の危機を迎えたのもかかわらずカレーBEEはしぶとく生き残り続けたのだ。

そしてである・・。つい先ほどネットで調べたらなんとカレーBEEも一昨年マニラ・パサイに出店していたことが判ったのである。あの鬼嫁は母国に錦を飾るまでになりやがったのか!と快哉を叫んだが、その一方で気の毒な爺さんの姿が脳裏に浮かびあがった。爺さんへの配当はこれに化けたって事なら爺さんも草葉の陰で喜んで・・・いや、多分ないだろうな。






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日本にカジノを作るならここだ!

日本でカジノ法案が可決されたというので一体どんな企画なのか?と思ってみてみたら統合型リゾートだと聞いて呆れてしまった。目指している姿はラスベガスとマカオらしいが、日本の案をいくら見ようがどう考えてもペイしない様に思えてしまうからだ。

そんなことは無い!どのカジノ都市も発展しているじゃないか!と反論するだろうが、これら両都市は博打とエロ、そしてアトラクションという3要素が狭い場所にひしめいてるからお上りさんが来るわけだし、何より横浜の埋め立て地みたいな遠くて周りに何にもない場所までわざわざ足を運ぶとは思えないからだ。





例えばマカオである。ニュースではMGMやベネチアンと言ったアメリカの豪華ホテルが立ち並んでるから相当景気が良いんだろうな・・とお思いかもしれないが、こういう建物内に溢れている人たちは回遊魚みたいにグルグル歩いているだけで、食い物や以外のテナントはちっとも儲かってないのである。

そして未だにカジノ売上がトップなのは多くのエロサウナや連れ出しナイトクラブで溢れた下町にあるリズボア・カジノだ。カジノ法案は中国人や東南アジア人を当て込んでいるのだろうが、はっきり言ってほとんどの中国人はタクシーに乗って15分、料金100パタカ也(1500円)の距離にあるアメリカ系豪華ホテルさえも億劫でなかなか足が向かないのである。





だからディズニーランドとかユニバーサルスタジオみたいな常時人で溢れている場所にカジノを作るのならまだ理解できるけど、それとは別の大きな箱ものを新しく作ったってバブル期に日本あちこちに作られてただ今廃墟博物館と化してしまったリゾートと同じ末路を辿るのは必至である(カジノ本体以外は経済波及効果が無い・・という意味)。

しかしまあどうしてもカジノで町おこしをしたい!外国人が金を落とすようにしたい!と思い込みたいのなら、お台場や佐世保、沖縄みたいな街から離れた場所じゃなくて都心のど真ん中、それも交通至便な場所にありながらも都市空洞化で寂れちゃったような場所を選ぶべきだと筆者は思ってる。





例えば大阪の新世界である。大阪人の精神的エッフェル塔通天閣にジャンジャン横丁、スパワールドという巨大浴場に大阪臭の強いど派手なイルミネーションを掲げた飲食店、ヒョウ柄模様のオバちゃんにバカボンのパパみたいな腹巻ステテコ姿のオッちゃんや、知る人ぞ知るホモ映画館と熟女サウナ末広など大阪の縮図、いや人類史博物館の様な場所である。

しかしこんなチャーミングな新世界も人が溢れているのは昼間だけで、しかも北半分はシャッター街化しているのだ。だったらここにカジノ、それも莫大な資本投下が必要な巨大ホテル形式ではなくてパチンコ屋サイズ、あるいはスナックの階段昇ると2階で手本引きやってる様なミニサイズカジノを100軒くらい開業するのである。





そしてカジノに行かない人のため新世界地区は風俗特区にしてのぞき部屋やノーパン喫茶あべのスキャンダルが並ぶ昭和50年代通り、デブ専ブス専ババ専ら特殊嗜好を集めたマイノリティー通り、それと路上SM解放区や玉ノ井安倍定閣、遊郭湯女夜鷹の出る江戸村などありとあらゆる性の欲求に対応したサービスを提供すればいいではないか。

大阪は食い物美味いし、京都や奈良といった歴史遺産には片道500円以内であっという間に行けるし、電力や道路、地下鉄など社会資本も世界最高レベルに整備されているから投資なんか殆どかけずに世界中から観光客を呼び込めることは必至である。エッ?品性?治安はどうなるのっかって?、そんなの今だって同じようなもんじゃないの。それに大阪にはそんなご高尚な言葉似あわないよ。






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背乗り団地と三色旗教団

亡くなった叔父は若いころ自転車に乗って手紙を配達する郵便配達夫をやっていて、筆者が子供の頃に祖母の家に行くと叔父がトリスの水割りを飲み飲み仕事の話をしてくれたのだが、ある時小学校低学年の筆者には??な話をし始めた事がある。

叔父がいたのは江東区の郵便局で、担当域内にある団地があるのだが、そこに住んでいる殆どの人が日本人じゃなかったと逝ったのである。昭和40年代というのは外国人が非常に珍しかったからアメリカのホームドラマみたいな光景を頭に浮かべたのだが、その時に台所で料理を作っていた祖母が「〇×団地だろ!あそこはチョーセン人だらけなんだよ!」と甲高い声で叫んだ。

その当時の筆者は在日朝鮮人とか何のことか分らぬから「うちの裏に住んでるトモちゃん一家みたいな人たちがいるんだな」としか思わなかったが、それから20年近くたってKという会社の先輩の口から「〇×団地はヤバいんだ」という話が飛び出たのを聞いて昔日の叔父との会話を思い出したのだ。





このK先輩は〇×団地から目と鼻の先で生まれ育ったのだけれど、近所の人たちの間では「あそこに住んでるのはニセ日本人だ」というのが当たり前の様に語られてたというのである。ニセ日本人?それは戦後韓国から密航してきた不法入国民の事ですか?と聞いたら、いや連中はもっと悪質なんだ!と言って詳しく話し始めたのだ。

その団地はもともと中国や満州国など外地から引き揚げてきた日本人のために作られたのだと言う。東京大空襲の時に江東区は火の海となってしまい、海外から引き揚げて来たら元の住所は怪しげな連中が占拠していたのだから行き場がない。そういう生活困窮者への福祉政策の一環として建てられたのだ。

「ところがな、その引揚者たちの中にかなり朝鮮人が紛れ込んでたようなんだ」というK先輩。確かに満州国には朝鮮人が数多く住んでいたことはハルピンにいた祖母から後に聞いていたが、でもその連中が日本人に成りすますことなんてできるのだろうか・・と思ったが、突然映画「砂の器」を思い出した。そうだ・・犯人は大阪大空襲を利用して戸籍をロンダリングしたのだ。





だから叔父さんがあの団地の話をしたときに、祖母がすぐにチョーセン人!と反応したのだ。おそらく満州からの引揚者たちは「ハルピンでお隣さんだった山田さん一家が生きて帰って来たらしい!」と聞いて〇×団地を尋ねたところ、そこには人種が違う人間が山田さんを名乗って住んでいるのを見て面食らったなんて事が頻繁にあったのだろう。

戸籍を使って他人に成りすます、いわゆる背乗りという奴である。後年筆者は北朝鮮による組織的な拉致と被害者の戸籍やパスポートを使って本人に成りすます工作が明るみに出た時に、「なんだ、〇×団地と同じかよ」と思って他の人たちの様に戦慄したりはしなかったのだ。おそらく背乗りは朝鮮民族の伝統的お家芸なのだろう。

そして日本では在日韓国朝鮮人は60万人、帰化済み30万人などと言われているけれども、実はそれとは別に外地から引き揚げた320万人の日本人に紛れ込んだ朝鮮人の子孫が相当人数上乗せになるのではないか、あの連中の悪質さから言って下手すると50万人くらいが1940年代後半に日本人に背乗りしたのではないか・・と思っているのである。





日本人の戸籍を背乗りした朝鮮人一家が日本人のフリをして何十年も〇×団地で暮らしている・・。その光景をイメージすると得体の知れない恐怖感に背中がゾーッとするが、しかしK先輩が耳打ちする様に言った「あの団地は〇〇学会の信者がやたらと多いんだ」という一言に妙な説得力を感じてしまった。

背乗りしたチョーセン人たちは一応日本国籍でいるのだから朝鮮総連も大韓居留民団にも入れない。ということは自分たちの代わりに役所に押し掛けて金をせびったり、警察署に押し掛けて家業の密造酒製造を見逃させたり、電線泥棒のお父さんや売春婦の娘を保釈させるには別の団体が必要になって来る・・。

で、そういう背乗りチョーセン人が駆け込める団体、いや加入したというよりもこの連中が立ち上げメンバーになり得た団体って言ったら、やっぱりこの時期急成長していたあの〇〇学会だよな・・。ということはこの〇〇団体は朝鮮総連、民団に続く第三の民族系団体そのものだからやっぱり彼らの目的も・・。まあここから先は書くのは止めときましょう。



(この写真と本文は一切関係ありません)



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ゴッドマザーの致命的誤判断

昨日の日記でシャブ中の姉に住み着かれて家を出た従兄弟ジェン=ジュミ夫妻の事を書いたが、ちょっとそこでは書かなかった事があるので捕捉したい。このシャブ中姉には父親が違う4人の子供がいるのだが、一番上のチェルシー(女)と2番目のチョロ(男)は実は5年前から母親から引き離されてジュミ(シャブ中姉の妹)の家に預けられていたのだ。

理由はシャブ中姉の愛人(こいつもシャブ中である)がチェルシーに襲い掛かったからである。当時14歳だったチェルシーは運よく事が及ぶ前に逃げだして叔母ジュミの家へと駆けこんだのだが、それを知ったジュミの夫ジェンが爆発し、仲間を集ってこの愛人を半殺しの目に遭わせたのである。

ところが・・。信じられないことにシャブ姉は愛人をかばったのだ。自分の娘がレイプされそうになったのにも関わらず、愛人を袋叩きにしたジェンの事を悪しざまに罵り、そしてジュミには娘チェルシーに対して早く家に戻る様に伝えろ!・・と言ったのだ。これ大げさでも冗談でなく本当の話である。





それを聞いたジュミはもはや姉は人間として失格だと判断し、その場で訴えるような目をしていた2番目の子チョロ(男)を引き連れて姉に永遠の別れを告げたのである。下の2人の子供たちはまだ小さく連れて行かれるのを嫌がったためシャブ姉のもとへ残ったのだが、そのことをジュミはずっと後悔していたのだ。

それから5年が経過してチェルシーは全然孵化しないけど一応歌手の卵となり、弟のチョロもホモだけど一応学生やってるから何とか順調だったのだが、昨日の日記で書いた通り米カンザス州に住んでいた母親(チェルシーにとっては祖母)がシャブ中になった娘の余りの惨状に見かねて家に引き入れたことで新たな悲劇が始まったのだ。

ジュミと夫のジェンと子供たちが出ていくのは仕方が無いけれど、チェルシーとチョロはここに残って実母(シャブ姉)と二人の小さい弟たちと暮らすべきである!と厳命したのである。それは確かにシャブ中の人間に家族という概念を取り戻させるには必要かもしれないが、当然ながら「ここ」には件のシャブ中男も出入りする事になるのだ。





5年前にチェルシーの身に起こった事と、あとこれは推測だけれどもチョロがホモになってしまった事とシャブ中愛人とは何か因果関係があるのでは?と考えればこんなバカな決断はしないはずだが、この婆さんは米カンザス州に10年以上住んで頭がすっかり教条的かつ性善説に漂白されちゃったようである。

そして不思議なのは筆者ならこんなバカな事を抜かす家長などさっさと縁切りして出て行ってしまうのだけれども、現実に身の危険にさらされるかもしれないチェルシーとチョロはこのゴッドマザーの指示に渋々従った事なのだ。ここらへんがフィリピン人のメンタリティの違いというか不可解なところである。

しかしジェンの弟ジャネルが目撃したように現在この家の中は喰いかけの生ごみがひっ散らかっているそうだから、ゴッドマザーは皆の前でさっそうと現れて権威を発揮したまでは良いものの、その後はまるっきり役立たずの木偶の坊と化しているようである。何から何まで間違いだらけのニューファミリー、良からぬことが起こるのは必至だ。






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野良犬に乗っ取られた家

女房の従兄弟ジェンがパッシグ市から隣のタイタイ市に引っ越すと聞いてちょっと驚いてしまった。引っ越し先はジェンの実母が数年前に立てた割と大きな家なのだけれども、今住んでいるパッシグの家は昨年ジェンの妹ジュミが生存相続を受けた後に結構な金をかけてリフォームしていたからだ。

だけど大衆食堂はどうするんだろう?そう、実は大通りに面して場所が良い事から、実家の一部を大衆食堂に改装してそれを生計の種にしているのである。それにジェンの実母は元気でピンピンしてるし妹のメイと2人の孫、それとオカマの叔父(実母にとっては弟)が同居しているから実母の面倒を見る必要は現在も将来も全くなさそうなのに何故なのか?と思っていたのである。

しかし我が家に遊びに来た義妹やジェンの弟ジャネルが言い難そうに語ったところによると、なんとシャブ中のジュミ姉が住み着いてしまったというのだ。このシャブ中姉は今まで4人の男とくっついてはそれぞれの子供を産んだふしだら女で、男と一緒に朝からシャブ打ってテンパっては子供たちの目の前でセックスをおっ始め、腹が減ると妹ジュミの家に押し掛けては冷蔵庫の中身を食い漁るという野良犬の様な女なのだ。

このシャブ姉は改善の見込みが全く無いからカンザス州在住の両親はパッシグの家をジュミに生前贈与したのである。それでジュミの夫ジェンは1年前に筆者にアパートを売って洋々たる気分で大通りに面した家に移り住んだのに、なんでシャブ中姉が家に居ついてしまったのか・・と不思議に思ったが、なんとジュミの実母が原因だというのだ。

シャブ中の娘なんぞ縁切りだ!と啖呵を切ったものの、一応アメリカから一時帰国してシャブ中娘の様子を見にいったところ、その余りの凄惨な状況にすっかり狼狽してしまうとともに不憫に思えてきてしまい、「あたしがフィリピンに残ってシャブ中娘を更生させる!」と(カンザス州の夫をほっぽらかして)フィリピンに居ついてしまったというのだ。。





だけど更生されるったって住むのは一旦生前贈与でジュミに譲った家である。当然ジュミは抗議をしたものの母親は耳を貸すことは無く、ついにシャブ姉と路上犯罪者予備軍と化したガキ二人、それと朝から晩までシャブやってるジュミの愛人クズ男までもが入り込んでしまい、せっかく小奇麗にリフォームした家は早くも崩壊の体をなしているらしい。

「床にビール瓶やソフトドリンクのペットボトルに食べかけ緒の食い物が転がってるし、子供たちは大衆食堂の売り上げを盗んだのを注意しても反省するどころか面白そうに笑ってるんだ」と目撃談を語るジャネル(従兄弟ジェンの実弟)。それが耐えられなくなってジェンとジュミは子供を連れて逃げだしたという事か・・。

良くフィリピンは家族愛が強いとか言うけれども、こういうシャブ中の破綻者でも家に招き入れてしまうのがフィリピン人の実態であり、そしてカンザス州から戻って来た実母は血のつながりの一切無いジェンがリフォームにかけた金とか大衆食堂という生業など何一つ考慮しなかったのだ。

来なくて良いのにしゃしゃり出て来た自分のせいでジェン=ジュミ夫妻が1年かけて築いたささやかな幸福は粉々に壊れてしまった事をこのバカ母はいつまでたっても気が付くことは無いのだろう。悲しいかな女が強い社会はこういうトンチンカンな判断が有りがちだ。

だからですよ、もしあなたがこれからフィリピン人と結婚しようとしているのなら、彼女に性格どうこう云々よりも家族構成はどうなっているのか?ジュミの姉の様に人格破綻者がいるかどうかをまず最初に調べなさい。これを怠るとアナタは従兄弟ジェンの様にいつもババを引かされる身になりますからね。






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ついにその日が来てしまった

昔タイ人の友人に政治好きな男がいて、なぜ1996年の大統領選挙で米共和党はドールなんて男を選んでしまったのだ!負けるのは判っているだろうに!と嘲笑っていた。

確かに共和党の外から見ればそう見えるが、渦中にいる連中はそれが見えなくなってしまい、あとは自分たちが築き上げてきたシステムにのっとって着々と負ける候補者を上へ上へと持ち上げていくのだ!と反論しても、彼はふふんと笑うだけだった。

だったらそのシステムがおかしいんだ!それを修正できない米共和党は愚かそのものだよ!という彼の論理は納得できたが、筆者が反感を持ったのは何よりも彼の口調である。

しかし今ついに彼らタイ人が世界中から嘲笑を受ける身になった。

さて旧友よ、キミは今後の人生をどう折り合いをつけて生きてくのかね?






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昭和シンクロ二シティ

海外に長らく住まれた方なら日本語が恋しくなって噛り付くように日本語トーク番組を求めてしまった経験があるに違いない。とくに現地オフィスでは日本人は自分ひとりだけとか配偶者や恋人が外国人の方の場合は尚更で、更にその情報が自分とかなり価値観が共有できるものであればあるほど熱心なリスナーになるはずだ。

筆者の場合も最初の十年は外国の方に興味が行っていたら何とも無かったのに、三十代後半には日本恋しや!の心境になってしまったのだ。しかし幸運な事にこの時期ユーチューブに登場により情報ソースは飛躍的に増えたから色んなトーク番組を物色することが可能となり、そこで辿り着いたのが松本人志と高須光聖の放送室である。





このお二方は筆者よりも2つ年上で、また出身地が兵庫県尼崎市と東京都民の筆者とは大分環境が違うのだけれども、それでもほぼ同時代を生きたためか彼らの少年の日の話題にはかなり共通項が多く、毎回必ずと言っていいほど「ああ、オレもそうだった」などと懐かしい気分に浸ったものである。

あれほど海外を夢見てやっと脱出出来たのに気が付いたら昭和時代の話に没頭している。こういうのを中年期のノスタルジーとでも言うのだろうが、やがていろんなトーク番組を探しては聞いているうちに松本・高須ご両名を超えてついに自分と完全に一致する人物を見つけ出したのである。





それはアマチュア怪談師いたこ28号(最近は北極ジローと名乗る時も有る)である。こう聞いても普通の方は一体その人は誰?と思うだろうが、この方は「押忍!怪談バカ一代」という自分の番組の他に、ファンキー中村と雲谷斎というこれまたアマチュア怪談師と一緒に「不安奇異夜話」という番組をネットラジオで放送していたのだ。

なおアマチュア怪談の世界に詳しくない方には全く興味が無いと思うので詳しい説明はしないけれども、このいたこ28号は単なる怪奇心霊体験談だけでなく、エクトプラズムにUFO、雪男から一時期日本を賑わせた謎の類人猿オリバー君といった昭和生まれには懐かしいあれこれの不思議系出来事を軽妙な関西弁で語るのが売りだ。





筆者も子供時分からいたこ28号に負けず劣らずの心霊オカルトマニアだから、彼の番組を聞いていると筆者がその昔胸をときめかした怪異な出来事が記憶の底からよみがえり、あたかも10歳の少年の時に必死に買い集めた学研のジュニアチャンピオンコースを読み漁っているかのような気分になるのである。

慈雲法師という如何わしい霊能者や南太平洋のトロール船が引っかけた恐竜に告知した謎の生物、地底の底に生息する地底人に葉巻型UFOから吐き出されるアダムスキー型UFOにヒランヤというスピリチャル系シール・・。こういう単語を聞くだけで筆者はもうたまらなくなり、当時サラリーマンだったのにも関わらず明け方までアーカイブを聞きまくった覚えがある。





ただアマチュア怪談界のゴタゴタが起こった3年前からいたこ28号は軸足をイベントの方に移してしまったため彼のネット放送はかなり減ってしまったのだが、それでもかなりの音源がアーカイブとして残されているので、筆者同様に昭和の時代に「あなたの知らない世界」や「矢追純一UFO特集」を見まくった方は是非ともご視聴いただきたい。

なお一杯ありすぎてどれから選んだらよいか分からないという人へのお勧めは、いたこ28号と島村ゆに、XENと途中まで参加していた竈猫4名によるトーク番組「おかると井戸端会議」である。もちろんアマチュアによる自主制作番組だから音が悪いとかトークがへぼいといった欠点はあるけれども、一度聞けば昔懐かしい昭和ミステリーゾーンが開けていくよ。






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Author by ほにょ / 全記事一覧 / 次のページ / ページトップ
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