ペテン師の27年後

バンコクに長逗留している友人J君から「この人に見覚え有りませんか?」という写真が送られて来た。見ると2人のオッサンが写っているがK君によると右の人物だという。見たところ50代後半の様だが、その顔をジッと見ると確かに見覚えがある・・・。はて何処で逢ったんだろう・・と思っているとK君が「ヒデさんですよ!ほら!いつもホアランポーンのゴザ酒場にいた!」と助け船を出してくれた。

そうだ・・。今から27年前に筆者が毎晩呑みにいってたバンコク中央駅前のゴザ酒場でこのオッサンと良く顔を合わせてたんだ。タイ人の奥さんがいてバンコクでのビジネスを思案中なんだ・・とか言っていたが、チャイナタウンの安宿にいる貧乏旅行者御用達のゴザ酒場に何でタイ在住者が毎晩遊びに来るのか不思議に思っていたのである。

それで何となくうさん臭さを感じた筆者はヒデさんとは距離を取っていたのだが、自分探しの旅に出た日本人のおバカさん達にとってはタイのおすすめの観光名所や裏話、さらに女の口説き方まで熱心にレクチャーしてくれるヒデさんは貴重な人物で、中には一緒に事業をやらないか・・と持ち掛けられて舞い上がってる阿呆もいたりしたのだ。

「おいお前ら!あのヒデさんは要注意だぞ!」と念を押してくれたのはKという友人で、確かにヒデさんの話に耳を傾けていると「こうやればタイ女と結婚できるよ」とか「こうすれば人を集められるよ」といった方法論ばっかりが口に出るので、コイツはやっぱり噂どおり観光客相手のペテン師だな・・と確信したのである。





それでJ君に「覚えているよ、あの人はペテン師だったんだろう」と返事をしたら、「過去形じゃなくて現在進行形の様ですよ」と書いてきた。なんとヒデさんは今でもタイに在住していてバ〇コクラ〇フというフリーペーパーとビザ代行会社の社主をしていると言うのだが、ビザ会社の方は客から金を毟り取るので悪名が高いと言うのである。

筆者は知らなかったがタイ政府が決めた条件を満たしていなくとも裏技で永住ビザや長期ビザを取得できる方法があり、ヒデさんの会社はそれを専業にしているのだが、ここに申し込むと「役人が変わった」「制度が変わった」と言った理由を挙げて「今週中に5万バーツ賄賂を渡さないとアナタは強制送還されますよ!」と脅すのだそうだ。

これが正規な方法で取得したビザなら役所に抗議に行くか弁護士にでも相談すれば良いが、もともとインチキな方法で入手したビザなのだから客の選択肢は「払う」か「帰国する」の2つしかない。それで渋々金を用意するのだが、そうなると味を占めたらしく「また別の問題が起こりまして・・」と電話が掛かってくると言うのだ。

だけどその5万バーツって本当に役人の懐に入っているんだろうか?と思ったのだが、J君が言いたいのも正にその点で、巷の噂だと客が払った賄賂は全でヒデさんの小遣いになっているだけで、彼の会社で裏技ビザを買った客たちは単なる打ち出の小槌、あるいはキャッシュディスペンサー代わりにされているだけらしい。





なるほど・・。そう言えば27年前のゴザ酒場でも「100%自分の資本で会社を作れる裏技があってね・・」なんて脱サラ放浪者相手に話していたが、良く聞いてみると会社をヒデさんのタイ人の奥さん名義にして・・とか聞こえたから、資本金が降り込まれた段階で全額引き出してトンズラするつもりだったんだろう。

それになぜゴザ酒場なんて貧乏な日本人旅行者しか来ない場所に陣取っていたのか不思議だったが、おそらくその前にタイ在住の日本人相手にヘマをやらかしていて悪評が立ってしまい、タイの事は何も知らない旅行者しか相手に出来なかったのではあるまいか?。

「それとこの写真の左に写ってる男も、50万円払うと金持ちになる方法教えます!なんて事を生業にしているペテン師だそうですよ!」と付け加えるJ君。なるほど・・類は友を呼ぶと言うからな・・。能力の低い人をタコツボに落とし込んで毟り取る手口は一緒だから、さぞかしこの二人は気が合うのだろう。

ゴザ酒場の女の子を口説けない内気な日本人相手に「この娘と結婚したかったらまず親に金を渡して・・、なあにワタシと女房が話をしますから・・」とレクチャーしていたヒデさん。27年たってもやってることは一緒か・・。なのでバン〇ク〇イフというフリーペーパーとビザ代行会社をやっている初老の男から渡された名刺に、苗字は「根岸」で名前の最後に「秀」という文字が書かれていたら何も言わずに直ぐに退散することをお勧めする。

追記 : この男は東大大学院で地球物理学の学位を取得したと自称しているそうです。だけど27年前は東大の「と」の字も言ってませんでした。






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どケチな宴会幹事

日曜日の深夜にパンパンガ州サンタアナから帰って来た女房は筆者の顔を見るなり「あんた行かなくて正解だったよ」と言った。そりゃそうだ、こんな炎天下にガーデンパーティーやるなんて気がふれてるよ!と反論すると、そうじゃないのよ、今回は料理も酒も全然駄目だったのよ!という意外な答えが返って来た。

このファミリーリユニオン(一族大会合)とは日本の地方に見受けられる従兄妹会と同じようなもので、現在60代になった従兄妹たちはその昔一緒に遊んだ思い出を取り戻そうと夫や妻、子供に孫に曾孫を引き連れて年に1回集まるのだが(総勢200人を超える)、会場は毎年同じでも主幹事は8つの組が毎年持ち回り制でやるのだ。

例えば筆者の女房が属するのは従兄妹会の第3組で、これは女房の母親やエスター叔母、エド叔父さんにとって父親にあたる人物が8人兄弟の3番目だったのでこう呼ばれるのだが、この第3組が主幹事を引き受けた2年前のリユニオンでは会場費から当日の料理や酒代、プレゼントやアトラクション費用まで一切合切を3組だけが支払ったのだ。





もちろん他の組から差し入れもあるけれども基本的には全額負担である。それで3組の最年長者でその年の代表幹事であるボウイ叔父は特大レチョン(豚の丸焼き)を2匹奮発して参加者全員から大喝采を受けたのだが、今年のリユニオンで供された料理ときたら粗食に慣れ親しんだフィリピン人の目から見ても相当みすぼらしかったと言うのである。

さらに全参加者の1/4は成人男子が占めていると言うのに主催者(第5組、つまり今年の主幹事)からは酒が一滴も供されなかったと聞いて呆れてしまった。それで手持無沙汰になった男たちは近所の店で安酒を買うしかなかったのだが、当然自分と仲間達だけで呑んでしまうので普段付き合いの無い遠縁の親戚に分け与えるようなことは無かったらしい。

まあそれでもガキや若い女たちはお喋りを楽しんだらしいが、酒が楽しみで来た男たちは幾つかのグループに分かれてしまうし、さらにちょっとしたイザコザから険悪な雰囲気になってしまったためエスター叔母ら他の組の幹事が集まって「酒を買ったらどうか?」と提案したのだが、主幹事はその必要性を全く理解出来なかったというのだ。





要するに1ペソも払いたく無いケチな組が主催者になってしまったということである。そのうえに主幹事の一族の一人が「アンタの日本人の旦那(筆者の事)は去年プンタドールを1ダース差し入れしてくれたのに、今年は無いのか?」と図々しいセリフを吐いた事で皆ブチ切れてしまい、他の組に挨拶を済ませるやさっさとその場を持してしまったというのだ。

結局その後は車で10分の距離にあるエド叔父さんの家に集まって市場で買い込んだ肉や魚を料理し大量のプンタドールで流し込んだというから、パンパンガ行きの後半はみんな結構楽しかった様であるが、義弟や義妹は「来年のリユニオンでは絶対に5組とは話はしない」と力説していたから、これ以外にも色々と不愉快な事があったのだろう。

まあフィリピン人に限らずこういうケチな輩というのは日本にも沢山いるし、特に海の無い県出身者はその傾向がつとに顕著だから何もフィリピン人ばかり悪口を言う気も無いが、正直こういうカス連中とは一切席を共にしないのが筆者の信条なので来年のリユニオンも不参加とすることにした。






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出かける時は戸締りを忘れずに

筆者ら夫妻は来週からしばらく日本に遊びに行くが、この期間の我が家の取り扱いを巡って親戚たちの間でちょっと不穏な動き、というか実にフィリピンらしいみっともない兆候があるので本日の日記にしたいと思う。

不在の間に家のカギを預けるのはタイタイ市に住む義妹アイリーン(女房の妹)だが、ここ最近従兄妹たちから「二人が旅行中にパッシグのアパートはどうなっているのかしら・・?」と意図をぼやかした電話が度々掛かってくるらしく、どうやら彼らは家主のいない期間中に住み込もうとしている様なのだ。

義妹に電話をかけて来たのは他人の子供まで引き取ったため9人の大家族になってしまった従兄弟のジェンと、イギリス人の夫から逃げ出してフィリピンに一時帰国中の従姉妹ティナイ、それと貧民者向けエアコン無し住宅に住む従姉妹フィリンよボーヤの姉妹(及び夫とガキ3人)、そしてどこから聞きつけたのか知らないがシャブ中でヤクザ者と出奔中の従姉妹メイである。

我が家は小さいながらもエアコンは全室ついているし、結構立派なスイミングプールやジムもあるのでこのクソ暑い時期はあの家で過ごすに限る!と目を付けたようである。まったく普段はニコニコしているし金を恵んでくれ!などとは言わない従兄妹たちでも、「他人のモノは自分のモノ」という感覚は抜けきれない様である。





まあ筆者も昨年香港に遊びに行った時には旧友で住み込み家政婦をしているノエミーとキャシーの家に御厄介になったし(雇い主は休暇でイギリスに帰っていた)、リサール州の奥地に行けば従姉妹ミレットの実家、ヌエバエシハ州に行けば旧友アダの家にタダで居させてもらうなどフィリピン人の甘えの習慣を享受しているから、彼等だけを断罪するのはフェアではないかもしれない。

しかし例えば昨年まで住んでいたタイタイの家(所有権は女房)は元々居候のはずの義妹がずっと住み続けているし、つい最近就職した姪イナが勤務先に近いからと新宅のパッシグの我が家に居候を試みたように(2週間前に追い出した)空き家が出ればそこに入り込もうとするのはフィリピン人の習性なのである。

なのであなたが家政婦を雇っているご身分の方でちょっと1週間ほど家を空ける用事が出来ようものなら、家政婦が田舎から大勢の親戚を呼び寄せて室内でバーベキューなど始めてしまうし、戸棚の奥にちょっとしたウィスキーやコニャックなど置いておけば不心得者に呑まれてしまう可能性も大いに有るのだ。

それから仮に家政婦が居なくとも会社の同僚や隣人へ鍵を預けた人などいれば、「ねえ!部屋が空いたから泊まりに来なよ!」などと友人知人や無限に居る親戚たちに電話を掛けられてしまうので、とにかく家を空ける時はカギを変えておくか、侵入者を発見しだい斧で撃退してくれる番人を雇っておく事をお勧めしたい。






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噛み合わない映画談義

最近はホラー映画くらいしか見ていない筆者も大学時代は映画サークルに属していて、よく友人たちと名画座に出かけてはジャン・リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」や、ルキノ・ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」なんかを堪能し、その後駅前の居酒屋で長いこと映画談義に興じたものである。

この2つの作品名を見てお気づきの方もいるだろうが、筆者らが好んでいたのは神保町の岩波ホールで上映されているような難解で万人受けしない映画ばかりで、簡単に言うと米アカデミー賞に出品されるハリウッド作品など阿呆らしくて一切無視するが、仏カンヌ映画祭の速報は丹念に目で追うヨーロッパ・第三世界映画マニアなのだ。ベレー帽を被っていて喫茶店をカフェではなくキャフェィと発音するキザで嫌な野郎とご想像いただけば良いだろう。

当然映画の話など振られればアンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」やフェデリコ・フェリー二の「甘い生活」、それと溝口健二の「雨月物語」といった映画ばかりが口から出てきてしまうのだが、幸運なことは会社に入ってからも筆者の同僚にはこういう映画が好きな人間が結構多くて、また香港人たちも英植民地としての反発心から意外とフランス映画ファンが多かったため筆者は映画の話題では品位をずっと保つことが出来たのだ。





ところが・・、フィリピンに移住してからは筆者のこういう知的でお仏蘭西な映画談義は諦めざるを得なくなってしまった。女房が2時間の鑑賞に耐えられる映画はシンデレラみたいな子供向けの作品だけであることは重々承知していたが、なんと義妹や義弟、従兄妹や数少ないフィリピン人の友人知人たちも女房と五十歩百歩なレベルだったのである。

従兄妹たちの中で一番教養が高く、かつロビンソン・ギャレリアの映画館部門でマネージャーをしているアニーと一度映画の話をしたら「スター・ウォーズ・シリーズ」の素晴らしさを生き生きと話し始めてしまったし、オレは昔の映画が好きなんだ!と自慢気に言う従兄弟ジャネルのベスト作品は「インディ・ジョーンズ」だったのである。

昨年亡くなったボウイ叔父は内務省の役人時代に映画関連のプロジェクトに絡んでいて、「いやぁあれは全くもって素晴らしい映画だったよ!」というので題名を聞いてみたら「ウィロー」というどうしようもないファンタジー映画だったし、エスター叔母が一番好きな映画は「猿の惑星」で、映画好きのエド叔父さんも「ジェームス・ボンドは欠かさず見てるよ」と体たらくである。





この世代なら「ひまわり」とは言わないけど、せめて「卒業」とか「真夜中のカーボーイ」「カッコーの巣の上で」ぐらいは出てこないのかよ・・と思ったが、彼らをいくら追及してもせいぜい「ロッキー」や「ジョーズ」「ポセイドン・アドベンチャー」、さらには「テンタクルズ」という巨大な蛸が人間を襲うカス映画の名が出て来るだけである。

貧困や汚職に蝕まれた現実を一瞬でも忘れるために映画館に足を運んだのに、なんで悲しい気分にさせられるような映画を観なきゃいかんのだ!という気持ちも判るけれども、彼らの口から出て来るのは100%ハリウッド映画、しかも「ロード・オブ・リング」でさえ文芸の香りが漂ってくるのでは・・と思わせるほどの徹底した下層大衆向け娯楽映画なのである。

それで筆者は彼らと映画の話をするのは金輪際諦めたのだが、困ったのは彼らの中に「あの日本人は映画好きなんだ」という情報がインプットされてしまい、会話に詰まると「ハリー・ポッター・シリーズでは何作目が好きですか?」などと笑顔で聞かれてしまう事で、その瞬間に筆者は空虚感と深い悲しみに包まれてしまうのだ。






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殺しの季節がやって来た

「ああもう嫌だ!1分1秒でも早く日本に行きたいわ!」。このところ女房が毎日何度も口ずさむセリフである。3日ほど前から気温が急上昇して暑くて暑くて仕方が無い事もあるが、女房が最も嫌悪しているのは昨日から地方選挙のキャンペーンが解禁なったからだ。

5月9日にフィリピンの大統領選挙が行われることは日本にいる方も少しはご存じだろうが、実はこの日に選ばれるのは大統領だけでは無く、1人の副大統領と12人の上院議員、297人の下院議員、さらに正副州知事と州議会議員、さらにその下の行政単位である市町村の市長と市会議員まで一気に選ぶ日でもあるのだ。

改選されるポスト1万8千に対して候補者数は4万4千・・。全国に4万2千ある最小行政単位のバランガイ(日本では地区に相当)選挙は今年10月に実施されるので一番上から末端まで選ぶわけではないが、高速道路から家の横の小路の舗装まで政治利権化し、また汚職が蔓延したフィリピンでは選挙は誰もの命運をかけたビッグイベントである。

日本でいうと一昔前に保岡興治と徳田虎雄の間で繰り広げられた徳之島選挙を思い浮かべていただくと良いが、アレと同じかあれ以上のバカ騒ぎがこれから1か月半続くのである。しかもご存じの通りフィリピンは銃が蔓延した社会なので、この時期は殺人シーズンにもなるのだ。





2013年の選挙の際は「今回の選挙は随分と静かですねぇ」などとニュースキャスターが言っていた割には、連日のように何処かで候補者が殺された!選挙活動員に向けて銃が連射された!」といった見出しで躍っていたし、筆者が聞いた話では国民をエキサイトさせないために警察は事件の公表をかなり抑えていたはずなのだ。

それに3年前の総選挙は大統領選だけは無かったのだが、今回は4人の候補が接戦を繰り広げているし、全国組織をバックに持つ(つまり全国津々浦々の利権構造に深く関与しているという意味)2人の候補がいずれも劣勢に立たされていることから、利権享受者たちの間に何となくキナ臭さが漂っているらしい。

それにこの暑さである。なんで皆が暑くてイライラしている時期に選挙なんかやるのだろうか?。これじゃ冷静な筆者でもちょっと支持率が落ちて来たら一発ズドンとお見舞いしかねない天候だ。なんか選挙管理委員会はワザとこの時期を選んでいるんじゃないかと思う。

「ブラザーは正解だよ。こんな時期はフィリピンを離れるに限るね」というのが従兄弟たちの弁。女房も生まれてこの方選挙に投票したことが無いという人間なので好都合である。それともう一つのバランガイ選挙(日本でいう地区)のさっさと何処かへ逃げることにしよう。






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シャブ中も拾う神様って・・・

過去の日記で筆者の周りには従姉妹メイと従姉妹ジュミの姉という2人のシャブ中がいると書いてきたが、今回この不名誉なる称号にもう一人加わっていたことが発覚した。従兄弟クリスの妻ミシェルである。

ミシェルのことは半年ほど前の日記で一度書いたことがあるが、夫クリスが豪華クルーズ船の料理人として世界を回っている間に間男を連れ込み、この男からセックスの他にシャブまで仕込まれて完全なるシャブ中になってしまったのである。

結局クリスとミシェルは別離(法律上離婚が出来ないので)をし、二人の子供はミシェルが引き取ったのだが、この半年でミシェルの依存症は急激に進み今や言動がおかしくなって育児もままならなり、クリスは船を下りて自分で子供たちを育てることを考え始めたらしい。





この話を聞いた筆者はフィリピン人たちの誘惑への弱さに今更ながら呆れてしまった。スラム街育ちや両親が離婚して孤独な環境にいた人間がシャブに走るというのならまだ理解できるが、メイもジュミの姉もそしてミシェルとも父親が海外に出稼ぎにいっていた事から恵まれた少女時代を過ごしていたのだ。

当然ながら本人を含む兄弟姉妹は全員とも大学卒であり今ではホワイトカラーとして働いているのだ。何不自由なく育った彼女たちは20歳の頃は悠々たる将来が開けていたはずなのに、それが全員ともロクでもない男に引っかかってシャブを教えられ、数年もしないうちに今まで築きあげてきた物を全て失ってしまったのである。

もちろん筆者の周りにもおかしくなってしまった日本人や香港人の同僚はいるからフィリピン人だけを批判するのはフェアではないけれども、しかし何といっても発生頻度があまりに違いすぎるし(大阪・西成区民よりも酷い)、転落していくきっかけが余りに些細と言うか本能的過ぎてだらしなさ過ぎる事である。





それともう一つ気なるのは従姉妹メイもミシェルも実は敬遠なカトリック信者なのだ。捨てる神あれば拾う神ありと言うのは古今東西どんな国にもある話であるが、シャブ中が溢れつつ現象を解決できないばかりか、何もかも失って破滅していく愚者を更生させることすら出来ない神というのは本当に神と言えるのだろうか?。

筆者自身は宗教を持たないが、宗教というのは共同体を維持するためには必要なものだし、過去数百年にわたりキリスト教会がやってきた人道的な活動については正直尊敬するが、しかしシャブ中や借金踏み倒しでも何でもかんでも許しを与えてしまうカトリックの姿勢に対しては疑問を抱いている。

さて行方をくらましている従姉妹メイはホーリーウィークと言う事もあってか昨日「イエス様の犠牲に感謝します・・」みたいな記事をフェイスブックにアップしたが、それを読んだ筆者はこういう綺麗ごとじゃなくて「私がクスリを辞められるように祈ってください」とか「どんな裁きも受けますから構成させてください」って書けよな・・と思った。






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やっと抜け出せた・・

我が家に集まったエスター叔母と従兄弟ジャネルと従姉妹フィリンが困ったなあ・・という表情で話し込んでいるので、一体何があったのか?と聞いてみたところ、週末のパンパンガ行きのクルマが確保できないのだ・・と言いだした。

筆者の女房の母方の家系は10年くらい前からファミリーリユニオンという一族大会合を年に1回開催していて、これは今や60代となったエスター叔母らの世代が子供の頃に一緒に遊んだ従兄妹たちとの親睦を再び深めようではないか!という名目で始めたのである。

当然夫や子供に孫、さらには曾孫までゾロゾロ集まるので総勢200人を超える大人数になってしまうのだが、エスター叔母や女房らの枝族は殆どマニラ在住なこともあり筆者と従兄弟ジェンと従姉妹アニーの夫の車に分乗していけば足りたのである。

ところが大型クルーズ船の料理人としてずっと海外にいた従兄弟クリスとスプークがちょうど契約の谷間でフィリピンにいるので女房子供を連れて初参加したいと申し出たのだが、これだと車がもう一台必要になってしまうのであちこち駆けずり回っところこれが全く徒労に終わってしまったと言うのだ。

「最後は貸し切りジープニーも当たったんだけど、ホーリーウィーク中だから全部先取りされちゃったの」と情け無さそうな顔で言うフィリン。それじゃバスで行けばいいじゃないか・・と言ったら、アンタ何言ってるの?という表情をして「この時期のチケットなんてとっくに売り切れなの」と言う。





それで再び沈黙の時間となってしまったのだが、ここで筆者は彼らに助け舟を出すことにした。だったらオレは行くのを遠慮するよ!と言ったのである。そんな!アンタは車を出してくれる人だし・・などとエスター叔母は取りなすが、長年客先に反発心を芽生えさせる事無く値上げを飲ませてきた筆者の口上に叶う筈も無く、最後は「本当に申し訳ない!」という具合で了承してくれた。

筆者も実に残念だ・・という表情をしていたが内心では「ヤッター!」と叫んでいたことは言うまでも無い。40度近い炎天下で全然顔も知らない200人相手に愛想を振る舞いているのがどれだけ退屈なことか・・。アンタらは血族だから出会いが楽しいのかもしれんがオレにとっちゃ有象無象に挨拶するのも億劫だったの!。

筆者が不参加を申し出たことが伝わったためか、本日フィリンの旦那とリサール州の奥地に住む義弟もパンパンガ行きを遠慮したため従兄弟スプークと女房子供は晴れてクルマのスペースを確保することが出来たのだが、この辞退者たちをよく見ると全員とも一族の嫁や婿だけである。

それで義弟の嫁にフェイスブックのメッセンジャーでコンタクトし、「最近暑くなったねえ・」などとどうでも良い挨拶を皮切りに「ところでパンパンガ行きだけど・・」と話を段々本題に近づけていくと「元々あんまり行きたくなかったのよねえ・・」という本音が垣間見えてきた。

夫や妻の親戚だろうが分け隔てなく仲良く付き合うように見えるフィリピン人も実は日本人と感覚的には大して変わらないのだ。それでついでに「お前、義理の姉(筆者と義妹)ともあんまり気が合わないだろ!」と悪乗りして聞いたら暫しの沈黙の後「ニッコリ」マークが帰ってきた。






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敗北者の二度目の苦杯

一昨日の日記で筆者はシャープの事を随分と辛口に書いたが、実は筆者はシャープを自滅へと追いやった液晶事業に少しだけ関係したことがあるからなのである。長年香港で営業マンをしていた筆者も元をただせば理工学部の出身であり、大学卒業後は当時シャープと競合していたメーカーに就職して液晶部門に配属されたのだ。

当時の液晶は半導体を超える巨大事業になると期待されていたが、プロダクトサイクルの導入期から成長期にかけて必ず発生する巨額の設備投資の際に、シャープに比べて図体が小さく資金調達額に差が出た筆者の会社はTFT方式よりもスペック的に一段劣る別方式を選んでしまい、結局これが足かせとなって大型パネル化の流れについて行けずに後年事業撤退へと追い込まれたのだ。

ただし筆者が液晶部門を追い出されたのはTFT撤収の同時期とかなり早い段階で、当時の先見性の無い役員たちに文句はあってもシャープには何の恨みも無いのだが、そうは言っても筆者の会社を敗北にさせた液晶界の巨人であり、その一方で筆者らTFT推進派の正しさの証左でもあったシャープが20年後に何故こんな結末の迎えてしまったのか?と他人様には判りにくい捻じれた思いが心の底にあるのである。





今新聞を読めば「将来的には陳腐化すると判り切っていた液晶に注力したのは失敗だった」などとシャープ社員の弁が載っているが「ウソをつくな!と筆者は言いたい。筆者の会社だってシャープ同様に70年代終わりの第1次液晶陳腐化で痛手を被っていたが、80年代の終わりから90年代にかけて液晶の未来を疑うような人間など皆無だったからだ。

それから現に韓国サムスンは液晶でちゃんと利益を上げているのだし、筆者の香港の顧客も小さいながらも液晶パネル工場を持っていて携帯電話向けで大稼ぎしているのである。つまり液晶事業を選択したこと自体が間違いだった訳では無く、要は成長期から成熟期に入った段階では戦い方が変わるという基本的な事をシャープの社員たちは全く分かっていなかっただけである。

例えば筆者が小さいころのオーディオは20万円以上とかなり高額な商品で、パイオニアやトリオ、オンキョーなどの専業メーカーの商品を石丸電気やどの町にもある電機屋で買っていたのだが、80年代中盤にイノベーションが進むにつれ製品はコンパクト化かつ廉価となり、さらに安売り店の勃興から町の電機屋というのが姿を消し始めてしまった。





筆者の叔父は川越のパイオニアに勤める技術屋だったので当時の話は何度も聞かされたが、何をいくら頑張ろうが市場の縮小には歯止めがかからず、また製品開発から営業までのプロセスも今まで通りの十数個もある部や課を通す長いトンネル方式では市場の変化に追いついて行けなくなってしまい、結局ここでオーディオ業界のキャスティングボードを握ったのはソニー、しかもソニーでも異端であったウォークマン部隊だったそうだ。

ちょっと分かりにくいと思うので追加説明すると、ソニーもパイオニア同様に十数もの課が並立する長いトンネル(大企業特有の意思決定システムとサプライチェーンのこと)を通してオーディオを供給していたが、「オーディオは衰退期に向かいつつある!」と気づくや、設計者は設計だけでなく調達もやるし週末は店頭に立つ!というような身軽でフレキシブルな組織に商品ごと移管したのだ。

これをシャープに当てはめて言うと、イノベーションの進度が鈍化し始めた1990年代後半に液晶事業ごと中国や香港の工場に丸ごと移管するとか、ホワイトカラー社員が一人二役や三役をこなす小規模で小回りの利く組織に事業ごと移管して今後の市場環境の変化に耐えられる組織に作り替え、余った人員は新規事業立ち上げに回すか早めにリストラすべきだったという事である。





しかし液晶に代わる主軸事業を見つけられないシャープは簡素化どころか長ったらしいトンネルの権化である亀山・堺両工場を建設してしまったのである。おそらく経営者の頭の中には表通りの人通りが減ったから大ぶりなレストランを閉じて屋台村に変えなけれれば生き残れないな!というようなどの駅前にもいる商売人の発想が根本的に欠如していたに違いない。

技術者は科学の発展を呼んで自社に取り込み、商品マンは商品ポートフォリオの将来図を予想し、営業マンは商品の需給バランスによってどう流通チャンネルを変えるかを考え、経営者は組織の形態をどう環境に適合させていくかを考える。残念ながらシャープの幹部たちは細かい仕事に掛かりきりになり本来彼らがやるべきことが全然見えていなかったようだ。

名門大学の修士号を持つネクタイ組がいくらいようが、町工場から立ち上げて自分の金で一か八かの勝負をしてきたやり手の台湾人社長にかなう訳がない。おそらく今自分たちがどういう運命にあるのかも良く判っていないのではないだろうか。俺たちはこんな会社に負けたのか・・、かつての先輩や同僚たちは筆者同様に今ごろ苦杯をなめている事だろう。






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フィリピンらしいおバカな一日

先日近所のジョー爺さんの喜寿のお祝いに行ってきたのだが、その際起こった些細だけれどもフィリピンらしいエピソードがあったのでご紹介したい。

パーティー会場になったのはパッシグの公園内にあるレストランで、東京でいうと井の頭公園とか小金井公園の池のほとりにある食堂のようなものらしく、招待状には食事だけでなく公園内を散策することもできますよ!と書かれてあった。

どうせ時間通りに来る人間などいないから筆者ら夫妻は1時間遅れていったのだが、これは全く正解でちょうど皆が席について今からビュッフェを食べ始めるところである。しかしその日は朝から蒸し暑い日で、さらに食事会がスタートしたのは午後の一番暑い時間帯、しかもこの店にはエアコンが無いときた・・。

席に着くなりウエイターが飲み物を聞いてきたので暑さに参った筆者は「ビール!」と頼んだところ、申し訳ありませんがアルコール類は置いてありません・・と言う。なんとここは公共の場だから酒の販売だけでなく喫煙もダメなんですよ、サー!と言うのだ。

そんな・・。ジョー爺さんは真昼間から酒を呑むのを習慣としている男だし、だいいち筆者の座ったテーブルにいるのは全員とも爺さんの酒飲み仲間ばかりなのだ。それでみんな何となく手持無沙汰な感じでいるし、おまけに奥方たちにもタバコ吸いが多いから皆ソワソワしているのだ。

「爺さんの息子は気が回らないからね」と広東語でこっそり言う女房。たしかに人は良さそうだが一目見てバカだと分かる息子は本日の幹事であるにも関わらず気の強そうな奥方と、デブンと太ったこれまたバカそうなガキとのお喋りに夢中になっているばかりで、傍にいるジョー爺さんはなんだか取り残されたようにポツンと座っているだけだ。





さて小一時間経過してトイレに行きたくなった筆者はウエイターに場所を聞いたところ「公園内のトイレを使ってください、サー」と言う。この店にはエアコンだけじゃなくトイレも無いのか!とムカッと来たが、園内地図を見て探したたった一つのトイレに行くと、なんとそこには青いシートが掛けられていて工事中であった。

頭上では溶接工事をしていて火花がパチパチ落ちて来る中を無理矢理トイレに向かう筆者。この大きな公園にもかかわらずトイレは一カ所だけで、さらに便器もたった一つだけなのである。おかしいな、今日は土曜日で大勢の人間で賑わっているのに何で人が並んでいなかったんだろう・・と思ったが、帰り道でガキどもがそこら辺で立小便をしているのをみて納得した。

店に戻るとジョー爺さんが筆者らのテーブルに来て酒が出せないことを詫びていたのだが、傍にいた爺さんのバカ息子は「パッシグはグリーン・シティ(環境都市)ですからね」と阿呆な言い訳を抜かす。おまえなあ・・、単にお前が店選びを失敗しただけだろーが!。それと環境はいいけどトイレに便器が1つしか無くて、おまけにこの休みの日に工事してるから、皆あちこちで立小便、野グソしてんだぞ。

この他些細な事で鬱憤が溜まることもあったが、開始から3時間が経過してジョー爺さんの喜寿の祝いもお開きとなり、自宅へと帰る途中にもう一度トイレに行こうとしたら、なんとトイレはモクモクとした煙に包まれているではないか。アッ!溶接の火花が引火しやがったな!と思ったが、よく見ると薄汚い恰好をした労務者がたき火をしているのである。

公園にはただ一つのトイレしか無くし、しかも今日は土曜日で人が溢れているのにトイレは工事中で、さらに労務者が焚き木を始めたために近くに寄ることも出来なくなってしまった・・。それでみんな木陰で用を済ませるしかないので木陰は糞尿で溢れてしまうが、公園の入り口には市長の写真と共に「グリーンシティを心掛けるパッシグ市」の看板が掛かっている。

フィリピンに住むという事はこういう何気ないおバカな出来事に巡り合い続けるという事である。






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ちょっと変なシャープ報道

台湾企業ホンハイによるシャープ買収について色んな情報がメディアで飛び交っているが、それらを読んでいても筆者はなんだか釈然としない思いがぬぐえない。というのは全ての記事がシャープの再建という切り口ばかりで書かれているが、現実には買収された側には何の選択手段も無くただ黙ってバラバラになるのを待つだけだという視点が欠落しているからだ。

もちろんシャープは日本企業であり社員や関係会社の人たちが記事を読んでいるから希望的観測を基調にしたいのは判るのだけれど、現実にはシャープは会社としてはとっくに死んでいるのだし、商品開発や生産技術に属する一部の技術者を除く社員たちは国際基準から言っても価値の無い人間であることは明らかなはずだ。

こう書くと日本しか知らない方は反発心を持つだろうが、長年外国人相手にモノを売りつけていた筆者から見ると日本人の大卒文系スタッフ(特に総務や経理、システム、それと事業企画などの本社系)というのは世界的に見てかなり劣等な部類に入るため、日本の法律とシャープの懐事情が許せば真っ先に解雇されてしかるべきなのだ。

それと中でも筆者が一番奇異に思ったのは「シャープのブランド力とホンハイの資金力と生産ノウハウが合わされば・・」という安穏たる記事である。いろんな企業買収の歴史を見ればかなり巧くいった対等合併であってもA社とB社の良い所を両立するというのは至難の業であり(普通が悪い所同士が出る)、通常は買収した側に呑み込まれていく過程で相当の齟齬をきたすものなのだ。

そしてここで経済記者が見落としているのは中国文化圏の企業とブランド力のある日本の巨大メーカーとの相性がそもそも合うのかどうかという事である。例えば中国は過去20年間世界の工場で有り続けていて、それ以前はアジアNICSと呼ばれた香港・台湾・シンガポールがその地位にあったのだが、じゃあ皆さんはこの4か国に属する企業ブランドって幾つ頭に思い浮かぶだろうか?





おそらくエイサーとハイアールくらいしか出てこないはずである。じゃあ服飾ブランドはどうだろう?。世界に冠たるGAPやH&Mの服はつい最近まで中国で縫製されていたが、じゃあ中国発信の服飾ブランド、あるいは衣料品チェーン店というと皆さんは何を思い浮かべるだろうか?。それも無ければ食器やアクセサリーなど色んな商品を思い描いてみて欲しい。

おそらく何にも浮かばなかったのではないだろうか?。そう、中国人というのはブランドを立ち上げたり維持する事が徹底的にダメな民族なのである。たとえば筆者が長年いた業界は香港・中国地域にひしめく約3000社の工場が世界の90%に相当する分を供給していたが、じゃあそこで作られる商品にはどんなブランドが付いているのかと言うと、ことごとく欧米や日本にいる客先のものをつけたOEM供給なのだ。

筆者も香港や中国の業界団体に呼ばれて、理事たちが考え出した「次世代への戦略」なんて発表を毎年いやいや聞かされたのものだが、確かにここには付加価値を高めるためブランドを育成すべき!などと書かれているものの、その具体的施策となると大変お寒い限りであり、現実的に過去20年間ただの一歩だって前に進んでいないのだ。

中国人の発想と言うのは薄利多売が基調で(というかそれしか無い)、ブランドやキャラクター作りに必要な情緒的なメッセージ性を打ち出したり、或いは顧客への安心感を高めるためのサービス網の整備しよう!といった発想にはいつまでたっても至らないのである。けっきょく今作ってる商品にペタンとハンコを押して「これがブランドです」、あとは広告を打つだけ・・・。ここで発想が打ち止めなのだ。

それからシャープはBtoC(消費者相手)を基調にした会社であるのに対しホンハイはBtoB(会社相手)、しかもその中でも最も付加価値の低い委託製造業という鉛筆も使い切るまでは新しいものを支給されないくらい渋ちんな土壌の会社なのである。こういう会社がシャープのショールームや華麗な新商品発表会をどういう目で見るのかは高校卒の新米工員だってわかるはずだ。





ではこういう発想しか出来ないホンハイがシャープの何に価値を見出したのか?と言えば、これはもう世界有数の商品開発力と徹底的に安く作れる生産技術、それとこれまで蓄積してきた特許資産、そして割と優位な条件で金を貸してくれる日本の銀行との関係と10年くらいはコストに10%上乗せして売れるブランド力というのが本音ではないだろうか。

ただしホンハイの会長は「最終製品をやりたかった!」と公言しているので確かに最初シャープブランドに主軸を置くかもしれないが、会社の風土や経営者の発想と言うのは限界があるし、設備投資や今ある商品ラインアップを次の中期計画ではどうするのか?という判断局面では自分たちの成功パターンから脱却するのは難しいから、遅かれ早かれホンハイはシャープの刈り取り戦略に転じることになると思う。

つまり商品開発とマスターファクトリー、それと特許室以外は全て台湾や中国の工場に移管し、骨までしゃぶって後はポイ捨てというストーリーである。それと世界中に巡らした販売子会社も流れているのは先細っていく商品ばかりになるから、大幅な赤字を生み出す前にとっとと閉じてしまうか他社に売却するのが賢明な判断だ。

相手が自分よりも強い時は徹底的に相手を褒めるが、一たび自分の門下に下れば徹底的に搾り取る。これが中国人の本質なのである。シャープの社員だって中国人と長らくやってきた人間ならこんな事とっくに気が付いているだろうし、新聞社や雑誌社の連中だって色んな企業を取材しているのだからホンハイの本音は読めてるはずだ。

しかしここ20年くらいメディアに在日や中国の意向を受けた人間が入り込み、日本国民がアジアに淡い幻想を抱き続けるよう世論誘導を図っているそうだから、今回のシャープの件もその一環なのかもしれない。ナイーブなスタンスを取り続けて日本人の目を欺く・・、おそらく次に刈り取られるのは東芝かな?。






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謎の保釈金支払い人

結婚と離婚を繰り返したあげくに出来た4人の子供を実の妹ジュミに押し付け、若い男とのセックスとシャブに耽溺しているロクデナシ女の事はこの日記で何度か書いてきたが、つい先日開催されたジュミの赤子の洗礼式になぜ実姉が顔を見せなかったのかがやっと判った。ちょうどこの時に留置場にいたのである。

逮捕理由はシャブの密売容疑で、どうやら自分たちが使用しているうちに小遣いを稼ごうと密売人になってしまったたらしく、つい先々週に警察に踏み込まれてジュミの実姉だけがお縄となってしまったというのである。そして洗礼式の準備を進めていたジュミの元に「アンタの姉が会いたがっているから来い!」という電話が入ったのだそうだ。

姉の用件と言うのは保釈金を払ってくれ!という事だったのだが、子供4人を育児放棄して自分に押し付けただけならともかく、実妹の新しく生まれた子供にお祝いの言葉さえも述べずにただただ自分自身の事だけしか考えない姉にはもはや憐憫の上さえ湧かず、そのまま警察署を後にしてしまったらしい。

ところが洗礼式を終えた後にジュミの元に実姉から「生活費を貸してくれ!(フィリピンでは「恵んでくれ」と同意語」と電話がかかって来たというのだ。奇異に思ったジュミが「刑務所には行かなかったの?」と聞いてみたところ、なに言ってんだい!あんたが保釈金を払ったんだろ!と珍妙な答えが返ってきた。そう、ジュミは保釈金など払っていないのだ。

「警察に聞けば判るんだろうけど、誰が払ったのかしら・・?」と変な顔をして言うジュミ。それで女房や従兄妹たちは「同居している男じゃないの?」と言ったが、アイツは文無しだし、だいいち朝から晩までシャブでテンパってる人間が警察署など出向くはずもないじゃない!と反論する。なるほど確かにそうだ。

それにジュミの実姉は親兄弟から友人知人まで借りた金を踏み倒しているので便宜を図ってくれる人間などいる筈も無い。だとするとシャブ密売の親玉か顧客なんじゃないか・・?。でもそんな連中が表に出てくれば当然捜査網に引っかかるよなぁ・・。いや近所の誰かにこっそり金を渡して警察署に向かわせるって手もあるぞ・・。

でも一体誰がジュミの実姉の保釈金を払ったのだろうか?。捨てる神あれば拾う神ありという諺はあるから世の中には物好きだったりジュミの実姉でも利用価値があると踏んだ人間がいるのかもしれない。でも、ジュミの身になってみれば実姉はずっと刑務所に収監されている方が有難がっただろうな。有難迷惑とはこの事だろう。






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葬式の続くアパート

先日の洗礼式の宴会の際に従姉妹フィリンが「ウチのアパート今日もまた葬式が出たのよね」と不気味な事を言い出した。フィリンはパッシグ市の川べりにある低所得者向け集合住宅に住んでいるのだが、気温の急激な上昇が始まったために住民が死に始めたと言うのだ。

この集合住宅に住んでいる人間は勿論クーラーなど持っておらず、またエレベーターも無いために4階以上に住んでいる年寄りは慢性的な運動不足からくる成人病の患者が多いのだと言う。それで猛暑期になると熱射病や脳溢血、心臓発作に持病の悪化でバタバタ死んでいくらしい。

不気味話が好きな筆者はフィリンに対して「また(アゲイン)というけど、じゃあ前回はいつなんだ?」と聞いたところなんと昨日の事で、先々週から週に2人、先週は3人、そして今週は今のところ3日連続で死人が出ているのだという・・。

驚いた筆者は「お前・・、そんなアパート早く出ろよ!」と言ったのだが、旦那は収入が無いしアタシも今年は働き始めたけど会計士の資取得格にも未練があって・・と言い訳を始めた。フィリンと旦那は卒業よりも前に子供が出来てしまった同じ大学に通う学生の身分で、さらに旦那は研究職を目指して今でも大学院で勉強中というド貧乏カップルなのだ。





日本じゃ夜間部に通うむさ苦しい大学生でも部屋にクーラーはあるものだが、フィリピンじゃ国民の大半を占める中の下以下の家庭では扇風機が主流なのである。まあ気温が30度前後ならこれでも良いけれども35度を超えれば半分役立たずだし、何より噴き出た汗を一気に気化させるので体に悪い事この上ない。

「だけどね、死んでるのはみんな年寄りだから私たちは大丈夫よ」とフィリンは涼しい顔をしているが、同居人のフィリンの姉ボーヤの話を良く聞いてみたら一昨日死んだのは30代の奥さんで、かなりの肥満体を駆使して炎天下の中を買い物に出て行ったら死体になって家に帰って来たらしい。

また今日も死人が出たのよ・・。こう聞くとまるでアウシュビッツ収容所かシベリアのラーゲリのような地獄絵図を想像するが、ここフィリピンで不思議なことに死を待つアパートに住む人たちには悲壮感と言うのが全く無く、そればかりかフィリンやボーヤの子供たちは葬式で供される無料の食事を食べられるという思わぬ副産物に喜んでいたのだ。

郷に入れば郷に従えというのは外国で生活する際の便利な知恵であるが、筆者は例えどんなことがあろうとも自分がいつ死ぬか分からないような環境に堕ちる気など無いし、さらに他人の葬式でタダメシを食う事を思わぬめっけものとして楽しむという境地には達せそうにない・・・。






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野球狂の詩

筆者が通っていた高校は中央線沿線の長閑な住宅地にあって、毎日駅から高校まで15分の道のりを歩いて通っていたのだが、この道の途中に当時とても有名な漫画家が住んでいた。野球をテーマにしたメガヒット作品をいくつも世に送り出したM氏である。

筆者は野球に興味が無いのでM氏の漫画はろくに読んでいなかったのだが、一緒に通学する友人たちはM氏の漫画の熱烈な愛読者が多く、家の前でM氏に出くわす度に「あー!Mさんだ!ぼくら先生の大ファンなんです!」と声をかけていたのである。しかしMさんは筆者らの存在がまるで見えないかのように眉ひとつ動かさず黙って家を出入りするのを奇異に感じていた。

それともっと不思議なのはこの出くわす頻度というのがちょっと普通じゃないくらい多いことだ。筆者らは朝8時45分ごろと午後4時くらいの1日2回Mさん宅の前を通り過ぎるのだが、週5日のうち最低4日は朝夕ともMさんを道端で見かけるのだ。しかもMさんはいつも野球のユニフォームを着ているのである。





Mさん自身が熱狂的な野球好きで実生活でも草野球チームを運営していることは有名だったが、最低週4日、それも朝から夕方までご本人が野球をやってるというのはちょっと異常である。ふつう漫画家というのは締め切りに追われているはずなのだが、M氏ときたらリトルリーグの小学生よりもダイヤモンドを駆けまわっている時間が長そうなのだ。

「たぶん優秀なアシスタントを沢山抱えてるんだろうよ」「でもアシスタントたちも毎日野球させられてるらしいぜ」「だとしたら全ての漫画は幽霊ライターが書いてるんだな」などと筆者らは噂しあい、全くMさんはお気楽な商売で羨ましい限りだよ、俺も将来はMさんもアシスタントにでもなるかな・・などと筆者らは批評をしていたのだ。

ところがそれから30年以上が経過したつい先日のこと、アマチュア怪談師の放送を聞いていたら唐突に「M氏に関する奇妙な都市伝説」という話が始まった。なんでも野球雑誌の編集者のインタビューの場で「M氏から見て最も優秀なプロ野球選手は誰ですか?」という質問にM氏は「う~ん、やっぱり山○太郎かな・・」と答えたと言うのである。





ご存じの通り山○太郎はM氏の漫画に出て来る高校球児(のちに漫画ではプロ進出している)で実在の人物ではない・・。それでM氏は冗談を言ってるんだな・・と思った編集者は「先生、実在のプロ野球選手でお願いしますよ」ともう一度頼むと、今度は王貞治やイチローなどとともに別の漫画の主人公あ○さんの名前が出てきてしまい、実在の超名投手との死闘場面を真剣そのものの表情で語り始めたと言うのだ。

M氏は現実と虚構の区別が付かなくなっている・・。その異常さに気づいた編集者は慌ててインタビューを切り上げたところ、M氏は急に立ち上がるや「よっしゃー!じゃあ今からもう一試合やるか!」と言って何処かに電話をかけまくり、やがて別室に移るや野球ユニフォームに着替え始めたのだそうだ。

M氏に異常なモノを感じた編集者も一応場を取り繕うため帰り際に「先生は年間どれくらい野球をされてるんですか?」と聞いたところ、「う~ん、最近は400試合くらいかな」という凄い答えが返ってきた。すでに70歳を超えているにも関わらずM氏は1日1試合以上のペースでバットを振り続けていたのである。





「どうもMさんは野球の漫画ばかり描いているうちに壊れてしまったらしいね」とアマチュア怪談師は結論付けていたが、30年以上前にM氏を毎日見続けていた筆者は彼の寡黙さの中に潜む不思議な違和感を今さらながら思い当たるとともに、M氏がなぜ野球漫画であれだけヒット作を生み出せたのか何となく分かった気がした。

おそらくM氏の脳は野球の事以外ははじいてしまう構造になっていて、株価はそろそろ上限だねとか娘の進学先は白百合よりもちょっと遠いけど青山学院の高等部の方がいいか、さらには犬が夜鳴いてうるさいね・・といった問題に使われる思考力は全て野球に振り分けてられているのではないだろうか。

しかし一体いつ漫画にペンを入れているのかは謎として残るのだが、ゴッホにしろ芥川龍之介にしろ情人と違った狂気のエネルギーを持っていないと後世まで語り継がれる作品は残せないのであろう。筆者は今後もタダでチケットを貰っても野球場に行く予定はないが、狂人の頭の中見にはちょっとばかり興味があるので、来月日本に帰国の際は漫画喫茶なに立ち寄ってM氏の作品を読んでみようかな・・と思う。






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中年女たちの援護射撃

従兄弟ジェンの子供の洗礼式典の後で久しぶりの親戚同士の飲み会になったのだが、酔っぱらった従兄弟ジャネルから「日本人はペドファイル(幼児性愛者)が多いのか?」という話が出た。どうも最近警察にとっ捕まって自殺した日本人のニュースを見たジャネルは日本人は変態だらけだ!と思ったらしい。正直言って「やっぱり出たか・・」という話題である。

最初に覚えた日本語が「YAMETE!YAMETE!」というアダルトビデオの決め台詞なくらいだから、ジャネルの頭の中にはセックスアニマル日本人というイメージが相当固定化されているのは判るが、女子供もいる前でのジャネルの質問は余りに無遠慮である。

それで一同の前で自殺した男は日本国籍とは言え在日朝鮮人の典型的な苗字だからおそらくコリアンである!と純日本人の名誉を守ったのだが、3歳の娘ウィッシュウィッシュを持つ従姉妹フィリンはニヤけた表情で「アンタを娘に近づけないようにしないとね」と言い出したのだ。





冗談じゃない!筆者は幼児どころか10代後半の娘にも性的興奮は覚えない性質で、どちらかと言うと熟女好きなのである。小学生の時も級友たちが麻丘めぐみとか大場久美子で騒いでいる最中に筆者の口からは宇都宮雅代や二宮さよ子の名が出てきてしまい(両者とも当時30過ぎの和服系)、場が凍り付くことが度々あったのである。

それと高校生のころ父親の元教え子である慶大生3人が就職が決まったことを報告しに来たので、筆者は近所の酒屋にウィスキーを買ってくるよう使いに出されたのだが、その際に店主から景品でカレンダーを貰えるけれど鳥類のカレンダーと山本陽子セミヌードカレンダー(当時40代だった)のどちらが良いか?と聞かれた。

家に戻り父親にウィスキーを渡すと運悪くポリ袋に入ったカレンダーが見つかってしまい、父親がそれを広げた時のバツの悪さと言ったら・・。しかも慶大生の一人は「たしか鳥のカレンダーも選べるはずですけどねぇ・・」と余計なことを言ったため、一番知られたくない人に性癖がばれた筆者は耐えがたい屈辱にさらされてしまったのである。





それで親戚たちに対して以上の様な恥ずかしい過去をご披露したところ、従兄弟ジャネルは「えー!あんたババアが好きなの!信じられない!」と言ってさっきよりも厳しい目で筆者を見る。アジア全体に言えることだが女は若ければ若いほど良いという嗜好がフィリピンにもあって筆者の様な人間は幼児性愛者よりも更にマイノリティーなのである。

まあそうはいっても40代後半は流石に・・などとさっきまで嵩上げした年齢を今度は値引く方向で自分の正常さを説明しなければならなくなったのだが、ふと気が付くと幼児性愛に対しては思いっきり嫌悪感を示していた女性陣が筆者の熟女系については「そういう趣味は有ってもいいんじゃないかしらねぇ」と割と肯定的に転じていたのである。

そう、そこにいる従姉妹たちはみんな30代なのだ。つまり自分がまだ性的に興味を持たれる可能性があることを再発見したので満更でもない気分になっているのである。中でも巨大化している義妹は自分の外見はさておいてやけに親切に援護射撃をするし、従姉妹ボーヤもチラッツチラッと時々筆者を見ては何とも言えない表情をするようになった。今日はこの話して良かったな・・。こういう雰囲気好きです。






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無料託児所になった男

先日の日記でフィリピン女と付き合う前に相手の家族の収入状況、そして長女とか一番下といった女の立ち位置を良く見極めないと女の家族をしょい込まされかねない!という事を書いたが、ちょっと正確を期して言うとこれは何も外国人だけが被害に遭わされる訳では無く、当のフィリピン人にも当てはまる事なのだ。

例えば昨年亡くなったボウイ叔父は20年前までは内務省の役人として賄賂をたんまりもらっていて、奥さんも氷屋という副業もありそれなりに豊かだったため、自分たちの6人の子供の他に早死にした実姉の子供3人(そのうちの一人が筆者の女房である)と、若い頃からの子分とその娘の計5人を自宅に住まわせて養っていたのである。

現在でも従姉妹ミレットの旦那ラフィーは義理の妹ローズアンに毎月小遣いを与えているし、エド叔父さんの別れた女房であるピーナ叔母も自宅にオカマの実弟とパートナー、さらにはパートナーの妹を住まわせているので、ちょっと小金がある人物が誰彼の面倒を看るというのはフィリピンじゃ当たり前の事でもあるのだ。

だから親戚たちの間では最近生活費にも事欠くようになった義妹を筆者が助けるのは当然だ!という認識があって、親しき中にも礼儀ありとか金銭的に自立できない事は人間として失格、苦しければ自殺すればよい!という香港式の価値観を持つ筆者との間に軋轢が生まれてしまうのだ。でもまあ正確に言うとオレは結構助けてきたんだけどね・・。





しかし誰の目から見てもこれは幾ら何でも度を越しているな・・と思うのが従兄弟ジェンである。コイツは1年前に少数派出資者かつ支配人として勤務していたコールセンターが社長の持ち逃げで潰れてしまい、住んでいたアパートを筆者に売りつけた代金で大衆食堂を始めた男だが、奴の本当の苦労の種は女房ジュミなのだ。

10年前に出稼ぎ先のバンコクで知り合った二人はフィリピンに来て結婚をし、コールセンターの立ち上げと娘オレンジが生まれた頃は豊かでは無いながらも幸せな毎日を過ごしていたのだが、ジュミの姉が2回目の離婚をした後でシャブ中のゴロツキと同棲し始めたので「一番上の娘と息子を引き取ってくれ」と言い出したのである。

新しい男との再スタートに大きな子は邪魔だから・・という母親どころか人間としても失格な説明を聞いて怒り心頭に達したジュミだが、子供たちの目の前で朝から晩までセックスに溺れているような家庭環境を見て背筋が震えてしまい、旦那のジェンに頼み込んでチェルシーとチョロという十代の姉弟を自宅に住まわせたのだ。

ジュミの姉は学費や生活費を入れるどころか腹が減るとジュミの家に上がり込んで冷蔵庫の中身を漁っていくような人間なので、子供二人の生計費や学費は全部ジェンが払うようになったのだ。勤務先のコールセンターがちゃんと給料を払っていた頃でさえ生活は苦しかったのに、前述の様に社長の持ち逃げで何もかも失ってしまっても家族は増えていたのだからどうしようもない・・。





それでパッシグのアパートを筆者に売った代金でジュミの生家の一部を使って大衆食堂を始めたのだが、これが立地が良かった事と元々ジェンが料理上手な事もあり顧客の入りも上々で開店後数か月でジェンの生計は急激に改善しはじめ、預かっていた長女チェルシーも下っ端歌手とは言え自分で金を稼げるようになったのだ。

ところが喜んでいたのもつかの間、今度はジェンの実妹メイが「新しい男が出来たから娘を預かってくれ!」と言って10歳の娘ニッキを置いたままどこかへ駆け落ちしてしまったのである。このメイもジュミの姉同様にシャブ中の男に引っかかって本人もシャブ中になってしまったので、1ペソの金も兄に入れないことは言うまでもない。

それとつい先々月にジェンとジュミとの間に2番目の子供が生まれたのだから、数年前はたった3人だったジェン一家は今や7人家族になってしまったことになる。それで「あいつの懐は火の車だろうな・・」と気の毒に思っていたのだが、一昨日ジェンの子供の洗礼式後のお披露目会で奇妙なことに気が付いたのだ。

子供が2人増えているのである。この2人は一人は小学校高学年、もう一方は低学年くらいの女の子で、確かに時々ジェンの家に遊びに行くと何度か見かけた事があったので、きっと隣の家に住んでる娘かなんかだろうと思っていたのだが、本日のお披露目式ではジェンの実母や実弟のジャネルは筆者と同じテーブルにいるのに2人の娘っ子はジェンやジュミと一緒のテーブルに座っているのである。





それで隣の席にいたジェンの実弟ジャネルに「あれは誰だ?」と聞いてみたところ、ああ、ジュミの姉さんの子供だよ!チェルシーとチョロの妹たちさ!という答えが返ってきた。なんとジュミの姉は次女と三女も大きくなって邪魔になったからアンタが引き取れ!と言って実の妹ジュミに送りつけてきたと言うのである。

自分の子供4人を実の妹に押し付けてシャブとセックスに耽溺する・・。一体ジュミの姉はどういう感覚をしているのだろうか?と呆然としてしまったが、ジェンの妹メイも置いてったのは一人だけとは言えやってることは同じである。犬っころのようにしか扱われない子供たちと無料の託児所としか思われていない兄妹・・。いくら何でもひどすぎる話である。

それでチェルシーのショータイムの際にヒマが出来たのかジェンが筆者のテーブルに来たので、「あんた子供が増えて大変だな」と大して意味も無い労いの言葉を言ったところ、このジェンは「そうなんだよ、オレは今や総勢9人の家長になったからもっと稼がないとな!」と何だか爽やかな顔つきで言う。

その表情を見た筆者の脳裏には巨大な疑問符が浮かび、思わず「あのさあ・・お前サクリファイス(犠牲)って言葉知ってる?」と言おうとしたのだが、お祝いの日だし何より本人が爽やかそうにしているのだから水を差す様な事は言うべきではない・・と言葉を飲み込んだのだ。しかし筆者は心の中では「お前また金に困っても、俺にこの店の土地買ってくれ!なんて頼みに来るなよな!」と叫んでいたのである。






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これぞ天罰

香港人はバクチ好きで競馬やカジノにうつつを抜かす輩が多いのはつとに知られているが、最も多くの人を引き付けるのは当然ながら株式投資で、これは老若男女問わず香港人のほぼ80%くらいの人が金を突っ込んでいると断言できる。例えば筆者のいた会社でも二十歳そこそこのネーちゃんが1年分の給料を株式で回しているなんてごくごく当たり前だったのだ。

しかし昨今の中国株の暴落で多くの香港人は過去の代供覧がウソのように頭を抱えるようになってしまい、手持ちの資金の1/3を溶かしてしまった人間なんてのはザラで、筆者の知人の中にはデリバティブでへくって再起不能の借金をこさえてしまい、どこかへ忽然と消えてしまった人もいるのだ。

さて筆者ら夫妻の仲人で女房の叔母ルーシーの旦那であるユン叔父もその一人で、共同経営していたジーンズ会社を数年前に売却した資金がここ1年で半分にまで目減りしてしまい、現在朝から晩までピリピリしていて声もかけられない状態になっているため、アタシは一体どうしたら良いのかしら?とルーシー叔母は女房にスカイプ電話で愚痴をこぼしていたのだ。

しかし筆者は内心ザマアミロ!と叫んでいるのだ。と言うのは筆者が退職したのとちょうど同じタイミングでインチキ総理とイカサマ日銀総裁が日本に登場し、彼らの愚策のせいで筆者の虎の子がみるみる目減りして顔面真っ青になっている時に、ユン叔父とユン叔父の義兄は筆者に向かって「お前はまったく間抜けな奴だよ!」と笑いやがったのだ。





この他人を貶めてから自慢話をするのは香港人が誰にでも良くやる事なので本来なら腹を立てる必要はないのだが、金を失った当事者である筆者にとってはこの嘲笑は神経を逆なでするものであり、さらに彼らが比較的安値で仕込んだ株が毎日グングン上がって大喜びしている様を見るのは大変腹立たしい事であったのだ。

「日本円なんて駄目だ!これからは中国の時代だ!中国株なんだ!」と自信満々で言う二人に送られる形で負け犬の筆者はマニラへと飛び立っていったのだが、1年後に中国・広州で再会した際にも彼らの資産は順調に伸びていて、特にパートナーの義兄は本業である錦鯉の養殖ビジネスでウハウハの状態だったのである。

しかしその翌年に筆者は為替での負けの半分くらいを日本株の取引きで取り返していたので嫌味な香港人二人組とは案外対等に話が出来るようになった。なお中国株が下がり気味になった時期でもあったので株式しか収入の道がないユン叔父はちょっと気弱になっていたのだが、一方の錦鯉の旦那は「たったそれっぽっちの儲けか!」と相変わらず自慢話をし続けたのだ。

この野郎!気に食わないな!と思ったが、この錦鯉の旦那は文化大革命当時に深セン河を泳いで逃げてきた強者であり、裸一貫で露店のジーンズ商を始めてから一時期は従業員2千人の大工場まで育て上げた叩き上げの商売人なので、ひ弱な大卒サラリーマンでもはや会社の看板を持たない筆者などが叶う相手では無いのだ。





ところが、昨日再びルーシー叔母から愚痴の電話がかかって来て「旦那の株がまた下がっちゃってもう大声で喚き散らして・・」なんてお決まりの話となり、筆者は「そりゃ大変だね」「どこかで反転するに決まってるよ」なんて全然心にも思ってない事を返していたのだが、ここでルーシー叔母から正に待ってましたと言わんばかり話が出てきたのだ。

異常気象か工業排水が原因かは判らないが養殖池にいた錦鯉が全部死んでしまったというのである。それも被害額が2500万香港ドル(3.7億円)に達すると言うので、それは幾らなんでも桁を一つ間違えていませんか?と聞き返したのだが、この養殖池は100だか200ヘクタールにも及ぶ巨大な代物で、そこには万単位の錦鯉がいたと言うのだ。

ユン叔父の持っていた株価はこの2年間で半分になってしまい、錦鯉の旦那は金のなる木が全滅して巨額の損失を被ってしまった・・。もちろんこの二人は中国から裸一貫で逃げてきて事業を立ち上げた強者だからこんなことで再起不能にはならないだろうが、還暦のちょっと前の男にとっては相当の打撃であることに違いは無いだろう。

「なんで円なんか持ってたんだ?バカだな」と思いきり落ち込んでいた筆者を茶化していた二人の香港人(もともとは中国・広州人)。本来なら今度は筆者が彼らを笑う番なので今から飛行機に乗って香港に遊びに行きたいがそれは止めておく。他人を笑い者にする人はいつか自分笑われるようになる・・この諺はどうやら真実であることを今回実感したからである。






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アリが湧く時期が来た

フィリピンでこの時期になると悩まされることの一つに蟻の来襲がある。ソファで本など読んでいてふと壁の方に目を見やると何かがモゾモゾ動いていて、傍によってよく見ると小さな蟻が3匹くらい壁をよじ登っていたりするのだ。

エッ?あんた土管の中にでも住んでるの?と思われるかもしれないが、筆者のアパートは5階で一応鉄筋で出来ているし、その前住んでいたタウンハウスよりは遥かに環境的によろしい家なのだ。しかし生命力溢れるフィリピンの蟻にとってはこんな事何にも関係ないようである。

この時期に蟻があふれだすのは熱気で地表の温度が高くなるからで、あまりの暑さに蟻たちは建物の中に避難し始めるのだが、家の家主である人間たちにしてみれば台所に置いておいた調味料の瓶やトウモロコシにたられるし、ベッドに入り込むんで噛まれるわで大変迷惑な存在なのである。

それで移住したての頃は殺虫剤のスプレーをぶっかけて撃退していたのだが、こんなに毎日殺虫剤を振り巻いていたら寧ろ自分の方が病気になるのではないか・・と恐れた筆者は日本の蟻殺しパウダー(猫いらずみたいなものね)というのを買ってきたのだが、フィリピンの蟻とは味覚が違うのかこの仕掛けに引っかかる事は無いのである。





それで現在は見つけたら直ぐに叩きつぶすサーチ&デストロイ作戦に切り替えたのだが、2日くらい家を空けるとまた何十匹かが入り込んでいるし、蚊やダニほどではないにしろ噛まれると結構痒いので筆者は目を皿のようにして蟻どもの探索に乗り出すことのなるのだ。

しかし筆者のこういう事態を女房は冷たい目で見ていて、香港の家で一時期虫が繁殖した時は大騒ぎしていたくせにフィリピンに帰国したら郷に入れば郷に従えの境地に入ったのか「生き物を殺すのは神様の意思に・・」などと文句を言うのである。

冗談じゃない・・。生まれつき皮膚が固くってタバコ吸いのお前には虫は寄り付かないが、オレは夜中に虫に刺されて痒くて仕方ないので白花油(香港版キンカン)を枕元に置いてるんだぞ!と抗議するだが、女房は素知らぬ顔をしているのだ。

そしてついには「フィリピンの諺に蟻が入る家はお金もちになるって言われているのよ!」とトンチンカンなことを言いだしたのだ。あのなぁ、だったらパッシグ川の川べりに密集した床の無い家に住む不法占拠者はみんな金持ちになってるだろうが!。ちょっとは考えてからモノ言え!。






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シャブ中ターミナル

筆者が住んでいるアパートは総戸数400を超える大規模住宅で、部屋面積は50平米と小さいが広々した共用スペースとスイミングプールやクラブハウスがあるため、30代の若い夫婦がローンを組んで購入するケースが多いようである。

筆者から見ても住人はそれなりに上品であり、タイタイ市の旧宅の様に朝から晩までバスケットボールをやってるニートな若造など居ないので部屋の狭さを除けば筆者はそれなりに満足していたのだが、ここ最近ちょっと困った事態が始まってしまった。

ある真夜中に突然大音量で音楽が流れ始めたのである。な・・何だこの騒音は・・と飛び起きた筆者は早速音の鳴り響く方向を探ったところ、なんとアパートの裏手にある運送会社のトラックターミナルからであった。それでベランダに出てみたら暗闇の中で数人の男たちが業務用スピーカーから流れる音楽に合わせて踊っていたのだ。

なんだよ・・、誰かの誕生パーティーか?と思ったのだが、男たちがあげる奇声を聞いている内に筆者は昔インドのゴアの海岸で繰り広げられた狂宴を思い出した。言葉は判らなくてもそのトーンや叫び続けるような口調やいつまでも続く甲高い笑い声からこの連中はシャブをやっているに違いないのだ。





横を見ると隣やそのまた隣の住民もベランダに出ていて、バカ騒ぎをしている連中に一番近いところにいる別の棟の住人は手ぶりで「お前ら静かにしろ」というような合図を送ったのだが、頭がラリパッパになった男たちはそんな意図など気が付くはずも無く、結局そのまま明け方まで踊り続けたのだ。

翌朝女房がアパートのセキュリティオフィスに行くと女房と仲の良い担当者が「用件は判りますよ」とにこやかに言って、運送会社の代表に従業員を静かにさせるようにバランガイキャプテン(町内会長)に申し入れたと言い出した。フィリピンではもめ事の解決は警察よりも先に町内会に諮るのでこれは正攻法である。

ところがそれから2週間たったのに、週に2~3日の割合で大騒音パーティーが未だに続いているのである。それで先日女房がセキュリティオフィスに尋ねに行くと再び仲の良い女が出てきて、最初の会合で運送会社の代表者は一応了解はしたものの騒音問題が続くのでキャプテンが再び抗議しに行ったら「俺にはマネージできない」と言ったのだそうだ。

担当者が真似した口調だと「だってオレは夜中は会社に居ないし、夜番を任せた男には従業員を抑え込める力量が無いんだからな」と言う無責任きわまる回答で、どうもシャブに手を出していることに目をつぶる代わりに従業員を安月給でこき使ってるみたいなんですよ・・サー、という唖然たる回答である。





それでバランガイキャプテンは警察に話を上げるのか、それとも匙を投げてしまったのかは知らないが、今でも夜中の騒音は時々発生するため、せっかく良い風が通って心地よく眠れる部屋だったのに窓を全部締め切ってクーラーをかけて寝るようになったのだ。

まあ筆者の部屋は5階で連中からは比較的遠いので窓を締めれば騒音は完全にシャットアウトできるのだが、近場にいる30戸くらいの住人は窓を閉めたくらいではどう見ても不十分である。それでたまに窓を開けて寝ている時にヤク中とは別の叫び声が聞こえる事もあるのだけれど、その声は踊り狂ってるラリパッパには届くことは無いなら何をやっても無意味である。

ローンを組んで快適なマイホームを購入したが、そばにシャブ中が勤務する運送会社があるために騒音に悩まされる羽目になった・・。日本や香港なら直ぐに行政が飛んでくるが、何もかも出鱈目なフィリピンじゃラリパッパも堂々と踊り狂ってるし、だんだん黙認の道を歩みつつあるようだ。

なので皆さんもフィリピンに家を買ったり借りる時は家の中だけを見るのでは無く、周辺区域を歩いてみたり、念のために一晩過ごしてみることを是非ともお勧めする。運送業や零細工場などのブルーカラーの職場があって24H時間稼働、さらには社員寮なんかを発見したら幾らコストパフォーマンスが良くても敬遠すべきだよ。






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フィリピン人が日本に出稼ぎに行くためには・・

義妹の親友マアンから突然電話がかかってきた。このマアンは現在35歳とそれなりに若いのに2人の娘と1歳の孫がいるお祖母ちゃんで、長いシングルマザー生活から抜け出すべく新しい男を見つけて再婚寸前まで行ったものの両親や娘二人の猛反対にあってつい最近泣く泣く別れさせられた可哀そうな女である。

余りの寂しさに今度は筆者に手を出す気になったのか・・と一瞬思ったが、マアンの用件というのは日本で働くことを考えているので色々アドバイスを貰いたい!というもので、ちょっと意外な話に驚いた筆者は「あんたはバーのホステスにでもなるのか?」と聞いたら、失礼ね!アタシは真面目な仕事を探したいのよ!と怒り始めた。

そう言えば昨年テレビで日本政府が外国人労働者に門戸を開こうとしているというニュースを見たが、確かそれは看護婦や介護士みたいな慢性人材不足の医療現場か、大学教授や研究者、企業経営のプロなどの頭脳労働者に限られた話で、マアンの様なコールセンターの中間管理職にはどう考えても当てはまるとは思えない。

後考えられるのは短期間の研修名目で入国する工場労働者とか、人材派遣業に登録して掃除とか弁当工場の補助業務みたいなことしか頭に浮かばないのだが、マアンの質問に出て来るのは東京や名古屋の賃貸アパートの家賃とかマクドナルドの平均時給などで、どうやら割りあい都会で働くイメージを持っているようである。

「それで外国人登録とかはどうやるの・・?」とか聞いてくるが、筆者は純日本人なのでそんな経験は無いし、だいいちここ20年ほどずっと外国にいるので日本の事情には疎いのである。それでマアンの質問にもろくに答えられないのでいると、痺れを切らしたマアンは「もういいわ!POEAに聞くからアンタはあたしの日本語アドバイザーになって!」と言い出した。





POEAって何だ?と聞いたところ海外雇用促進のためのフィリピン政府の部署らしく、国際版ハローワークみたいな事もしてくれるのだと言う。だったら最初からそこに行けばいいじゃねえか・・と思ったが、マアンにしてみると筆者に聞けば意外な抜け穴があるんじゃないか?と思っていたようである。

最近は日本が注目されているのよ!と筆者に諭すようにマアンは言うが、だけど日本語の「に」の字も話せないマアンが日本に行っても見つかる職は限られているし、仮に工場の生産ラインに立ったとしてもキャリアアップになるとは思えない。

それで「あんたドバイやアブダビを目指したらどうだ?」と勧めたが、マアンは「あのねえ、日本の方が将来はチャンスがあるのよ!反論する。そして「じゃあ翻訳して欲しいファイルを後で送るから!バイバイ!と言ってガチャンと電話を切ったのだが、ケータイに耳を当てたままの筆者は何だかモヤモヤした違和感がぬぐえない・・。

日本ってマアンが思っているみたいに簡単に外国人労働者を受け入れるようになったの?。それと仮にマアンに幸運が訪れたとしても、日本語が全くできないフィリピン人がショップの店員やオフィスのOLなんか勤まるのだろうか?。それとも増え続ける外国人観光客の応対のために小売店が外国人店員の雇用を増やしてるの?

前述の通り筆者は日本から離れて久しいし、日本のメディアも全く見ないので母国の事情に疎くなってしまっているので、この点についてどなたかご存じの方がいたら是非とも教えて欲しい。それとマアンを雇ってもいいですよ・・という弁当工場のオヤジさんがいたら是非ともご一報いただきたい。






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フィリピン女に出会ったら最初に聞いておくべき事

筆者の女房は3人姉弟の一番上で、おまけに母方の従兄妹たちの中では最年長者、また父方の方は2番目だが一番上の従兄弟ボンギンは一族のつまはじき者と見なされているため実質最年長であり、また生まれつきお節介な性格でもあるため本人含めて23人いる従兄妹たちの中ではボス的な存在として君臨している。

これは幾つか便利な点があって、例えば○○を買って来い!と女房が命じれば皆おとなしく従うし、食事会やギュウギュウ詰めの車などでは必ず一番良い席に座っていられるのだが、当然ながらその代償というのは別に必ず回って来るわけである。

皆さんご想像通りに一番頻度が多いのは金がらみで、冠婚葬祭などでは一番高い請求書が回ってくるし、クリスマスパーティーや真夏の海水浴などイベントを主催したり、あるいは「今月の家賃が払えなくて困ってまして・・」などと相談を持ち掛けられるのも女房なのだ。

それと何かにつけ自宅が集合場所になることで、今でも週末になるとタイタイ在住の義妹と従姉妹ミレットは二泊三日泊まり込みに来るし、学校が休みの時期になればガキどもが大挙して我が家に押し掛け、そのワイワイギャアギャアのやかましさに耐えられなくなった筆者は一人ベッドルームに避難してヘッドホンで怪談など聞いているのだ。

もちろん女房も親戚全員に甘い顔をしている訳では無く、ギブアンドテイクが出来ない何人かとは村八分の付き合いだし、金の貸し借りも返済が滞れば家を差し押さえるなどクールに対応しているのだが、なんせ従姉妹だけで総勢22人もいるから日本じゃ想像も出来ないほど親戚付き合い忙殺されるのだ。





それで筆者と女房は親戚の件で何度も言い争いになるのだが、女房は10歳の時に母親が死んだ後に母親の兄弟であるボウイ叔父やエスター叔母に大層助けられたという思いがあるから、「自分が次世代のリーダーとして叔父叔母たちの恩に報いねば!」という自負がやけに強いのだ。

まあ筆者も第三者がこういう事を言えば「あんたは立派な人間だ」と褒めることもあるだろうが、しかし女房の自負の源泉になっているのは筆者が稼いだ金であることは紛れもない事実で、筆者にしてみれば何で血もつながらない有象無象のフィリピン人相手にこんなに翻弄されるのか・・とむくれ顔になるときも有るのである。

日本でいえば本家の長男がこういう役回りを押し付けられるのだろうが、女系社会で男がだらしないフィリピンじゃ長女がこれに相当するため、筆者はさしずめ遠方から嫁いできた本家の嫁であり、慣れない嫁ぎ先の因習にただただひたすら耐え続けているのである。やっぱり見合いで長男、長女、家付きババ付きを調べるようなことをやっておけばよかった・・。

なので現在意中のフィリピン人女性がおられる方がいたら、彼女の趣味や好きな食べ物を聞く前に、まず何よりも「あんたは兄弟の何番目か?」や「従兄妹たちの中で年齢的に上の方にいるのか?」と聞いてみることをお勧めする。あと出来れば兄姉や年上の従兄妹たちの経済状況なんかもさりげなく聞いてみて欲しい。

もしも答えが「アタシは一番年下で兄3人はアメリカにいて・・」というものなら、その場で押し倒して子作りに励んでいただいて結構だが、彼女が一番の年長者であればそのまま黙って退散するか、もしくは既に抜き差しならない関係になってしまっていたら、兄妹や親戚からは行き来どころか通信手段も困難な場所にお住まいになることをお勧めしたい。






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ベッドの上で水死する前に

本格的な夏の到来でフィリピンのメディアは「水分をもっと補給しよう」とか「毎日2~3回はシャワーを浴びるように」なとどフィリピン国民に呼びかけるようになった。先日の日記でも書いたがフィリピンの真夏は気温が36度や37度まで上がり、熱射病や脳梗塞で人がバタバタ倒れ始める危険な季節なのだ。

ただし筆者はこの時期は家から外出する事もほとんど無いし、朝から晩まで冷房の効いた部屋でゴロゴロしているだけなのだが、一昨年は耳がずっと詰まった状態になり、昨年は肺活量が半分くらいになった感じで息苦しいという症状に悩まされることになってしまった。

肺の方は和歌山の温泉につかったらピタリと直ってしまったのだが、この時期の体調異変に不気味なモノを感じた筆者は香港在住時代に仲のよかったやり手の商売人チョイ女史に証券口座の相談がてらに聞いてみたところ、アンタそれは水毒だよ!と言って、現在筆者が悩まされているあれこれの病名をズラズラと言い当てたのだ。





このチョイ女史は40歳を過ぎて漢方薬や気孔に興味を持ち始め、もともと頭も良くて性格的にも凝り性なだけあって今じゃそこら辺の漢方医者よりもよっぽど名医になってしまった人物なのだが、彼女の見立てによると筆者の身体は沼地の様に湿った体質に変わってしまっていて、呼吸によって水分を体外に排出すべく自律神経が水分を肺へと移動させているそうなのだ。

「海や川ではなくベッドの上で水死した人は沢山いるのよ!」と説教を始めるチョイ女史。そんな・・コメディー映画じゃあるまいし、だいいちオレはそんな話は聞いたことが無いんだけど・・と言うと、チョイ女史は雲南省や広西省などの中国でも温暖だけどどえらい僻地の名を上げて「この地域ではこういう症状が頻発してるのだ!」と言い張った。

まあ人口が13億人もいて歴史だけはやたらと長い中国にこういったビックリ人間がいてもおかしくないか・・と馬鹿にした表情で聞いてると、チョイ女史は早速お得意の漢方薬のレシピを長々と説明し始めたのだが(彼女は昔から話が長かった)、そんな専門的な素材などこのフィリピンで手に入る訳も無い。





マニラじゃ猪苓は手に入るか?、そんなもん聞いたことも無いよ。じゃあ茯苓は?一体なんだそりゃ?。大棗はどうなの?。あのさぁ・・そんなの中国文字で書いたってアルファベットしかないフィリピンじゃ説明できないよ・・と答えると、スカイプ画面のチョイ女史の表情がみるみる紅潮していく・・。

じゃあアンタでも簡単に説明できる素材を今から一個だけ言うから、それだけを毎日嫌と思うくらい食べ続けろ・・と言ってスッと息を呑んだチョイ女史はおもむろに「ジンジャー!!」と叫び、やがて筆者の陳謝の言葉を聞いて多少怒りは収まったのか、今度は凍結されてしまった香港上海銀行の口座再開について長々と説明を始めた。

それでつい先ほども味噌汁やウーロン茶にチューブ入りのショウガを注入して飲んでみたところ、汗が片田中から噴き出してきて何だか爽快な気分になった・・気がする。なので日本に行くまでのあと3週間は冷やし素麺とかマグロのタタキとかショウガづくしの料理を食うことにするか、ベッドの上で水死って症例はどう考えても無さそうだよなぁ・・。






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家庭内のゴタゴタで頓挫しそうな一族会合

女房の母方のファミリーリユニオンが迫ってきた。これは従兄妹会ともいうべき集まりで、全員60代を超えた彼らが子供や孫を引き連れて年に一度一緒に過ごす習わしなのだが、今回は家庭内のゴタゴタから女房の属する枝族(全体の1/8を占める)の参加人数は極端に少なくなりそうな気配になって来た。

と言うのは毎年会場となるパンパンガ州サンタアナ在住で我が支族の事務局的存在であるエド叔父さんと2人の子供たちがフルシチョフ時代の米中ソよろしく冷戦状態にあるからだ。元々エド叔父さんは20年前に奥さんと別居していて、子供たちは母親が引き取ったから関係自体が薄かったのだが、昨年起こった出来事により決裂が決定的になったのである。

まず最初はエド叔父さんと長男ジェンのケンカである。エスター叔母の家に集まって飲み食いしている時に酔ったエド叔父さんが「ワシの誕生日を誰も祝ってくれない」と愚痴を言い始めたのが躓きの発端で、長年この事をすっかり失念していたジェンは適当に受け流してたらエド叔父さんは今度は本気で怒り出してしまい、その後しばらく醜い親子の言い争いが続いたのちにジェンは家を飛び出してしまったのである。





次はシングルマザーの長女メイで、こいつは10歳の娘を置いて新しい男と出奔しただけでなく別の男とも肉体関係を持っていたふしだらな女だが、どっちが父親だか分からない子供を妊娠したのである。しかもこの二人の男とも麻薬常習者だったためにメイも覚せい剤に手を出すようになり人生の軌道がどんどんずれ始めてしまったのだ。

当然メイを更生させるべくエド叔父さんとジェンはメイとその男達と何度が話し合いを持ったものの(当然それぞれ別々に)これがことごとく罵り合い、ジェンの場合は殴り合いに発展してしまい、すでに常識から逸脱していたメイは父と兄に喚き散らした後どこかに行ってしまって音信不通になってしまったのである。

しかもジェンの女房ジュミは昨年12月、メイは今年2月にそれぞれ子供を産んでいて、エド叔父さんにとっては新しく二人の孫が生まれた事になるのだが、これが何と今だに赤子の顔を拝ませてもらっていない状態で、来週行われるジェンの子供の洗礼式の出展者リストにも父親と妹の名前が載っていないのだ。





フィリピン人は家族の結びつきが強いと良く言われるが、一旦歯車が狂えばとことんまで行くのもフィリピンで、一昨年一緒に仲良くクリスマスを過ごしたのがまるで嘘のように冷たい関係になってしまったのだ。

おい、3月末のリユニオンどうする?と女房や従兄妹たちに訊いても、そんなこと言ったってエド叔父さんも完全に沈黙しちゃったから判らないわよ!と言うばかりだし、エド叔父さんの姉であるエスター叔母に様子を探らせようとしたら「ジェンとメイは親の心知らずだ!」とここにも炎が上がりかけているからこれ以上は頼めない。

さて筆者ら夫妻はこの行事に参加するため日本旅行の出発日をわざわざ4月頭にずらしたのに・・とブツブツ言っていたら、そばでメシをガツガツ食べていた従姉妹フィリンが「だったらアンタが和平交渉を仲介しなよ!」と言い出した。なんでオレが・・、お前らこそ血がつながった親戚なんだから何とかしろよな!






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どんぶりの中のオアシス

昨日「マニラには貧乏な日本人旅行者の胃袋を満たそうという気概を持ったレストランが無い」という日記を書いたが、筆者の駄文を読んだ方から戴いた「アンバサダーホテルの前にそういうラーメン屋があったぞ!」というコメントを見た時に、オレは何を馬鹿なことを日記に書いているんだ・・と自分自身に呆れてしまった。

筆者がフィリピンに移住したのは3年前だが、20年ほど前に赴任先の香港からマニラにしょっちゅう遊びに来ていた時期があって、その時にフィリピンで最も感動したのがこのラーメン屋(たしか「道産子」という名だったと思う)だったからだ。そう、筆者自身がこの店の愛用者だったのである。

マニラ滞在中に筆者が宿泊していたのは当時出来たばかりのリビエラマンションで、2日か3日に1回くらいの頻度で道産子まで食べに行っていたのである。今じゃエルミタ一帯はいろんな日本料理店があるが、20年前当時はゴーストタウンの体をなしていて、筆者の記憶では伊勢屋という不味い居酒屋と道産子くらいしか日本食を食べるところが無かったはずである。





道産子に入ると幾分風体の悪い日本人が沢山いて、こいつらに話しかけられるのは閉口したが、ここのカニ玉だかエビ玉などの一品料理と味噌ラーメンは香港に来て1年以上マトモなラーメンに飢えていた筆者には全くもって衝撃の味で、女漁りにあぶれた日は筆者はこの店に来て腹一杯食いまくっていたのである。

意外と思われるかもしれないが天下のグルメ都市香港でも20年前はラーメンだけが飛びぬけて不味かったのだ。それで美味いラーメンを食いたければ日本に一時帰国するか休暇を取ってバンコクにあるラーメン亭に行くかの選択肢しか無かったのだが、マニラの道産子に出会ってからはエドコンとこの店目当てに年に3~4回マニラに遊びに来ていたのだ。

そう、チェンマイのサクラやバンコクの北京飯店よろしく、美味いラーメンへの飢えと何を食っても不味いマニラでの食に対する絶望感をいやすオアシスがこの店だったのだ。そして今から3年前にマニラに来て以来ことごとく日本食に裏切られ続けた筆者は失礼ながらこの店のことをすっかり失念していたのである。





さて休みになる度マニラ通いを続けていた筆者は香港で今の女房と付き合い始めたため女漁りには行けなくなり、また2000年以降は香港のラーメンが革命的に美味くなったので道産子に行く必要性も無くなってしまったのだが、こちらに移住した直後にイミグレで諸手続きを済ませた後で懐かしいエルミタやマラテの町を歩いてみた際に、筆者がいくら目を凝らしても道産子を見つけることは出来なかった。

やはり20年も行かなければ店など無くなってしまうものらしい。それで筆者は帰り道にマカティじゃ一番美味いと評判のYという店に立ち寄り道産子の思い出を幾ばくかでも取り戻そうと味噌ラーメンを頼んでみたのだが、一口口に含んだ途端に・・・・・。そして女房の顔を覗くと「香港の店の方がはるかに美味しいわね」という無情な言葉が・・。

一体マニラのラーメンのレベルが落ちたのか、それとも香港が一気に追い抜いたのかは知らないが、現在筆者はマニラではラーメンを食べることは滅多に無くなってしまった。しかしもしもあの道産子があのままの味で何処かで営業しているのなら是非とも駆けつけてあの懐かしい味噌コーンラーメンに舌鼓を打ってみたい。






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チェンマイの頑固な日本食堂

チェンマイあるサクラという日本料理店が同国テレビのグルメ番組に取り上げられたと同地に逗留している旧友K氏が教えてくれた。筆者もチェンマイに滞在するときはターペー門の近くにある同店を訪れることにしているので懐かしく見させてもらったが、K氏にとってはこの店にちょっと特別な存在なのである。

K氏が毎年冬をチェンマイで越すようになってから20年以上たつが、その昔K氏から良く話を聞かされたのチェンマイのサクラと宇宙堂という2つの日本料理店であった。1990年代のまだチェンマイが長閑さを残していた時代にK氏ら長期滞在のバックパッカーにとってサクラと宇宙堂の二店は憩いの場であったのだと言う。

この時の様子については他の方のブログに詳しく書かれているので興味がある方はそちらを参照していただきたいが、オーナーの有山さんは自分の使命は異国で厳しい旅を続ける若者たちに日本のなつかしい味を腹一杯に食わせる事だと思っていてらしく、サクラは多くの貧乏な旅行者で毎日賑わっていたらしい。





「あとバンコクにはホワイトハウスって店があってな。ここは70バーツでオカズが3品選び放題だったから俺たち貧乏旅行者は良く通ったんだよ」と書いてきたK氏。しかしチェンマイの有山さん同様にこの店のオーナーもだいぶ前に亡くなってしまったのだが、残された奥さんは主人の意思を継ぐべく隣の空き地に屋台もどきの店を立て暫くの間頑張っていたそうである。

その昔読んだボーダーという漫画に「俺の店はなあ!貧乏で腹をすかせた若造にしか食わせねえんだ!」と叫ぶこだわりのオヤジが出てきたが、チェンマイのサクラやバンコクのホワイトハウス、そして70年代から80年代にかけてアジアを旅する日本人貧乏旅行者たちのオアシスだったバンコク北京飯店は正にそれを地で行くような店だ。

そういえば筆者が昔住んでいた香港にも若くて貧乏な駐在員や留学生を相手にした名物オヤジの店があったが、時代の流れからこういった店はどんどん淘汰されてしまい、新しく増えたのは客単価と回転率、それに損益分岐点にだけ頭を働かせるオーナーたちが経営する味気ない高級レストランばかりだった。





もちろんレストランはビジネスであり、利益を上げるためには四の五の言ってられない事は判るが、しかしチャーチルの「この焼き菓子は美味いがテーマが無い」という名言通り、オーナーはどういう主張を持っていて、一体誰のための店なのか?という背骨の無い店ばかりだったため、筆者は散々金を落としてきたものの大半の店は名前どころか何を食ったのかさえ忘れてしまった。

ピーター・ドラッガーの本に「君は何をもってして他の人の記憶に残りたいか?という問いに50歳になっても答えられなければ、その人は人生を無駄に過ごしている」という言葉が書いてあったが、アジアの片隅で安食堂を営んでいた諸氏らは「腹をすかせた同胞に腹いっぱい食わせる」という立派な役割を果たしたと言えるだろう。

砂漠を超えてきた旅人に一杯の水を施すパリサイ人のような話ですね・・と書くと、K氏は「マニラにもそういう店がまだ残ってるんじゃないか?」と返してきたため、いろんなレストランを思い起こしてみたのだが、「そんな店は現在過去未来ともマニラには無い」と書き添えた後物悲しさを覚えた筆者はPCの電源を落とした。






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アラブの不夜城が似合う女

半年前に出稼ぎ先のドバイから帰国したっきりの従姉妹ボーヤがまた中近東に出稼ぎに行くことを決心したらしい。この従姉妹はまだ30歳前だが2人の子持ちで、しかもそれぞれの父親がド貧乏の学生や既婚者で養育費は1ペソも貰えなかったためアブダビとドバイに出稼ぎに行ったが、そこでも誰だかの子供を身籠ってしまい堕胎のためにフィリピンに戻ったのである。

手術後は実妹フィリンの家に居候をして自分の息子とフィリンの娘の面倒を看ていたが、さすがに居心地が悪くなったのか、それとも頭は空っぽでも性的能力だけは溢れているためフィリンの旦那と抜き差しならない関係に陥ったのかは知らないが、色んな出稼ぎエージェントに書類を送り始めたのだと言う。

それで先日のピーナ叔母の誕生会に顔を見せたボーヤに「どんな仕事に応募しているのか?」と聞いたところ、もともと働いていたアメリカ系のホテルマンが第一希望だが、ホリデイインもシェラトンからも芳しい返事が来ない場合は、応募したら何故かすぐに採用通知が来たバーレーンの現地資本ホテルに行くつもりだ!という答えだった。

へえ、そうなの・・と筆者は適当に答えたのだが、傍にいたエド叔父さんと従兄弟ジャネルはピクンと反応した後でなんだかイヤ~な顔をしている。そしてちょうどその時ボーヤをはじめ女性陣全員ともピーナ叔母に呼ばれて2階に上がったので、その場には男達だけが残される形になった。





「何で嫌な顔してるのさ?」と聞くと、お前はバーレーンがどういう国か知ってるのか?と真顔で答えるエド叔父さん。えっ?そんなのドバイやクウェートと同じような湾岸諸国じゃないか?と返事をしたら、1か月前までサウジアラビアにいたジャネルは「バーレーンはアラブのアンへレスみたいな場所なんだよ」と言った。

筆者は全然知らなかったのだが、バーレーンは酒も女も何でもやり放題なため、アラブの男たちは週末になるとバーレーンに集まっては享楽にふけるのだと言う。本当ですか?でもイスラム教徒ですよね?と聞くと、なんとジャネルは何度かバーレーンに遊びに行っていて、ディスコやバーでフィリピン人やタイ人の売春婦の群れと戯れているアラブ人を沢山見かけたそうである。

にわかには信じられない筆者は手持ちのケータイで「バーレーン」「売春」などのキーワードを調べてみたら、なんと世界の悪徳の町ランキングでバーレーンはベルリン、マカオに次いで世界3位につけていたのだ。ちなみにパタヤは世界10位で、あんなセックスワンダーランドより乱れたバーレーンって・・・、まるで異空間のような話である。

「もちろんバーレーンにもマトモな会社はあるからボーヤを採用する会社が売春ホテルとは限らんが・・」と苦渋の表情を浮かべるエド叔父さん。まあ血のつながった姪が苦界に堕ちるなんて考えたくないのは判るけど、でもボーヤの過去をつぶさに見てみるとバーレーンってお似合いな気がするんだけど・・。






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今年もまた嫌な季節が来た

昨日までクーラー無しでも過ごしやすかったのに急に今日から蒸し熱く感じるようになってきた。どうやら遂に夏が来た様である。日本と違いフィリピンの夏は4月と5月で、昼間は気温35度なんてメチャ暑い日が続くのである。

筆者は元来は暑いのが得意で、学生時代は猛暑期にインドやタイの路上を一日中ほっつき歩いても平気だったし、蒸し暑い香港の夏でもへたってる同僚を尻目にピンピンしていたのだが、3年前に移住したフィリピンの猛暑期には体調不良に悩まされるようになってしまった。。

一昨年は飛行機に乗った時の様に耳が詰まる状態が続いていたし、昨年は何だか肺活量が半分になったかのように呼吸が苦しくなり、5月末に訪れた和歌山の温泉につかって快方に向かうまでは寝ている最中に自分が窒息死するのでは?と震えていたのである。





しかし猛暑期に体調を悪くするのは何も北方民族の筆者だけではなく、女房や義妹、それにガキのイザベルなどほぼ家族全員が体調を崩していたし、特に老人たちへの健康被害は深刻で一昨年は高齢だった祖母、昨年は腎臓病を患っていたボウイ叔父がこの時期に帰らぬ人になってしまったのだ。

香港の最高気温32度に対してマニラは35度とその差はたったの3度だが、8000メートル峰になると死亡率がグンと上がるように、この3度の差が人間の身体に与える影響は桁違いらしい。それに食生活の杜撰さから成人病が蔓延しているフィリピンじゃ尚更であろう。

それで大変不謹慎ながらも我が家に遊びに来た義弟と義妹の3人で今年は誰が危ないか?という話を冗談半分にしていたら、まず71歳の義父は体調が悪いと言って病院で検査を受けに行っているくらいだし、エスター叔母とダニー夫妻は夫婦そろって重い糖尿病だから、誰か死ぬとすればこの3人のうちの一人だろうということで意見の一致をみた。





そして中年世代、つまり女房や従兄妹たちの中ではちょっと尋常じゃないほど過剰に肥満した従姉妹フィリンやシャブ中の従姉妹メイも危ないな・・などと笑いながら話していたのだが、そこで義弟が「ブラザーも2年連続で病気になってるから、案外と危ないんじゃないの?」と言うのを聞いて思わずスッと冷めてしまった。

そういえば・・健康診断の結果は血圧から血糖値、中性脂肪まで目に見えて悪くなっているし、体に現れる色んな症状は最近増えるわ原因不明の首の痛みに悩まされるわと最近おかしなことが相次いでいるのは事実・・。まあ猛暑に備えて4月頭から2か月半ほど日本に行く事にしているが、その前に気温がグングン上がっていけば・・。

その後も義弟と義妹は縁起でもない話を続けている中、何となくソワソワしてしまった筆者はタンスの奥をガサゴソを探り始めたところ、義妹が「何やってるの?」と聞いてきた。何って・・水中眼鏡を探してるんだよ、お前より長生きするために明日から毎日プールで泳ぐんだよ、それに暑いだろ!






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サウジアラビアの超ブラック企業

一昨日の日記で義弟フランシスの同僚ホセ・ルセロ(49歳)がサウジアラビアの職場で自殺してしまった事を書いたが、昨日義弟とメッセンジャーで今後の身の振り方などを話し込んでるときに、彼らの勤める建設会社がかなり危ないことが判って来た。

2年前までこの会社は大変景気が良く、義弟も高額の給料と年間60日の帰国休暇を貰えるなど羨ましい待遇を享受してきたが、昨年1月にサウジアラビアの新国王が即位するや公共工事発注で便宜を図ってくれていた役人たちが急にソッポを向き始めたのだと言う。

もちろんフランス人のオーナーも実業家だからこの手の災難は織り込み済みだし、風向きが変わるまで固定費を減らしてじっと耐えていれば良いだけなのだが、問題なのはサウジ政府の汚職摘発委員会から過去何件かの受注プロセスが不透明であると通達され、そして工事代金の支払いが一方的にストップされたと言うのだ。

カネが回ら無くなればあっという間に飛ぶのは必然である。それでフランス人のオーナーがある日突然金庫にあるだけの金を持って高跳びしたまでは過去の日記で何度も書いてきたが、今回義弟から残務処理を任されたレバノン人の番頭がなんと故国の選挙に出馬しているという話を聞いて呆れてしまった。

この番頭というのも会社が危機に陥り始めた頃にどこからともなく現れた謎の男で、社長が高跳びした後に「私が後任を任されたのだ」と言い張って会社の親玉に収まったのだそうだ。そしてこの男の連れて来た何人かの怪しげな幹部が会社を支配下に置いていくのと反比例するように、従業員への支払いが滞るようになってきたらしい。





義弟の話を聞いて日本のバブル崩壊の頃に怒った数々の奇妙な経済事件を思い出した筆者は、フランス人の社長は高跳びしたんじゃなくてそこら辺の砂漠に埋まってる様に思えてきたのだが、いずれにせよこのレバノン人は会社の一切合切を現金化して自分の選挙資金に充てる算段の様だ。

「先月28日に貰えるはずだった15年勤続特別金もあれこれ理由をつけて先延ばしにされたんだよ」と嘆く義弟。さらにレバノン人の番頭は新聞社の取材に対して「給料未払いは事実無根」「故人は健康診断の結果を提出拒否したから深刻な病気を患っていて、それを苦にした自殺だ」と噓八百の回答をしたあげく、この件を他所に話したら厳罰の処す!と従業員に対して緘口令を引き始めたらしい。

さて義弟からここまで話を聞いた筆者はふと不謹慎な疑惑を頭に描いてしまった。一昨日の日記に掲載したホセ・ルセロの首吊り自殺写真はレバノン人番頭の取り巻きが面白半分にフェイスブックに投稿したのをパクったものだが、この写真をよく見てみると足が地面に着くくらいの高さで死んでいるのだ。

おまけに近くには鉄鋼材とか台座の様なものもあるし、人間死を覚悟して首吊りに踏み切っても余りの苦しさから体を振って何かに足を引っかけ助かろうとするのだ・・と何かの本で読んだ覚えがある。そう考えるとホセ・ルセロって金の件で揉めたか、見せしめのために殺されたんじゃないの・・?と思えてきた。

レバノン人事件師に支配された会社で未払いの給料を貰えるまで働こうとする出稼ぎフィリピン人。そもそも汚職摘発委員会から始まるこの会社の青写真が筆者の想像した通りのモノなら、義弟は何も言わずサウジを立ち去るのが賢明であろう。さもないと・・背の高いもう一体の・・、いやいや、縁起でも無い事を書くのは止めておこう。






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やっぱり祟られた

先日3回にわたって「死神と呼ばれた男」という日記を書いたところ、むち打ち症になってしまいました。痛くて痛くて首を1ミリも動かせず、キーボードに一文字一文字打ち込むだけでも首にジンジンと痛みが回ってきます。

しかもこれが車に乗ってる最中に後ろから追突されたとか、首を変な風にねじったというのならともかく、ベッドに寝転がってパソコンで動画を見ている最中に首の後ろがズズズッというズレた感じがし、そして次の瞬間にズキーン!!と激痛が走ったと言う不可思議な状況です。

昨年8月にパート1だけをアップした際はテレビの画像が変な具合に歪み続けたり、痔の大出血や体中がかゆくなる、さらに女房は謎の発熱に悩まされるという怪現象に悩まされたため日記を消去したという経緯があるので、奇妙な現象に悩まされるのは今回で2回目ですから死神Yの祟りと言うのは本物の様です。

しかし再び日記を封印すればYのせいで路頭に迷いつつある香港人へYの放つ負のエネルギーが集中することになるので、筆者はあえて日記は封印せずにYの邪気を受け入れる決心をいたしました。

やはり死神Yは文字にしただけでも不幸におそわれるのは確実の様なので、誰かを服に陥れたい!と思っていられる方は「死神と呼ばれた男」のパート1パート2パート3を「これ読んでみて!」と嫌な野郎に勧めるなど現代版不幸の手紙として活用してください。






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人生を清算した出稼ぎ労働者

昨日サウジアラビアに出稼ぎ中のフィリピン人が自殺したというニュースがテレビに出たのだが、フィリピン在住の日本人のかたは「そんなマイナーなニュースを知る訳ないだろう!」と反論されるだろう。確かに同じサウジ在住のフィリピン人の生死の問題なら死刑確定囚の方へ興味が湧くのも当然である。

しかし筆者ら一家の場合はこのニュースは特別の興味があるのだ。というのは自殺したホセ・ルセロという溶接工は女房の妹の旦那、つまり筆者にとっては義弟に当たるフランシスと同じ会社で働いていた同僚であり(ただしホセ・ルセロや首都リヤド、義弟は商都ジェッダ勤務である)、両名とも昨年秋からの給料未払いで資金的に行き詰まっているからだ。

石油価格の下落による建設需要の凍結、そして新国王の取り巻き連中の汚職の酷さなどから義弟の勤める建設会社は商売が成り立たなくなり、オーナーのフランス人が金庫の有り金を持って逃亡してしまい、残務処理を押し付けられたレバノン人の番頭の下で現在破たんへの道をまっしぐらに走っていることは過去の日記で何度か書いてきた。

従兄弟のジャネル(義弟の下で助手を務めていた)ら若手スタッフたちは続々とフィリピンに帰国してしまったし、義弟も今年2月に貰えるはずの15年勤務特別報奨金を手に次第サウジを離れる計画でいるのだが、帰国のための航空運賃を持っていない末端の肉体労働者は何処にも行き場が無いため、今でも建設会社で奴隷同様の労働を強いられているらしい。





今回自殺したホセ・ルセロもそういった末端の人間の一人で、来月こそ給料未払い金を払ってくれるかもしれない!と希望をつないでいたらしいが、ここ最近は奇矯な行動が目立つようになりリヤドの精神科医に通うようになっていたと言うから、どうも何かがキッカケで自分の中にあった肯定的な未来図が壊れてしまい、発作的に自分の人生にケリをつけたということのようだ。

しかしこれが日本人なら納得するが、何事も家族第一のフィリピン人が異国で一人寂しく自死するというのは何となく変な感じがする。もちろん天涯孤独だとか奥さんが間男を作って行き場が無い、あるいは女房子供と親戚からは単なる金づるとしか思われていないという特別な理由があるのかもしれない。

義弟と従兄弟ジャネルがサウジアラビアで一文無しになろうが、帰りの航空券を手配したり、残された家族の数か月の生活費を喜んで肩代わりしてくれる親戚たちが彼らにはいる。しかし大家族主義で一見みんな仲良さそうに見えるフィリピンにも自殺したホセ・ルセロのような打ち捨てられた人間がいることも確かだ。

砂漠の国で人生を清算した出稼ぎ溶接工。しかし義弟の話だとサウジアラビアにはホセ・ルセロのように不法就労者は数多くいるし、もう故国とは完全に途切れてしまい、もはや働いて故国に送金し続けるだけで人生に何も見いだせなくなったフィリピン人が数多くいるそうである。彼らの冬はもう直ぐそばまで来ているようだ。






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死神と呼ばれた男(3)

度重なる不幸を持ち込む死神Yを追い出せなかった理由はYが当時の担当役員と格別な関係にあったからである。いくら同期入社とはいえ役員と万年平社員じゃ友情など遠の昔に無くしているはずなのだが、この役員に幾ら掛け合っても「かつての上司をぞんざいに扱うとは君は人間として恥ずかしくないのか!」と一喝されて本題には一切進まずにお終いになるのが常だった。

それで本社人事部に話を持ち込んだところ、筆者の後輩である担当者は「いや、Yさんの場合はですね・・」と言って過去Yがどれだけ労働組合を使って存命を図って来たかを説明した後、「あの人は組合の専従経験も無いのにこの手の対応はプロですから相当てこずりますよ」と言われてしまい、さらには「4人のお子さんもいることですし・・」と人道的な話まで持ち出してきたのだ。

死神というと独身で孤独な人物像を想像するが、実はYは元看護婦の奥さんと4人の子供に恵まれていて、この4人が揃いも揃って聞いたことも無い四流私大に通うボンクラなことや、住む家全てに不具合が続いて当時の千葉の家も3・11地震で地盤沈下して傾き始めた事を除けば案外と幸せな生活を送っていたのだ。他人を不幸に落としいれても自分の血は広げていく・・、死神の本当の姿と言うのは案外こういうものなのだろう。





さてその後も急激な円高による採算悪化や度重なる品質不良と中国工場の労働争議、そして大手顧客の倒産に日本工場の火災など諸々の問題に苦しめられたが、その極めつけは営業テコ入れのために派遣されて来た臨時上司が日本で精神科医に何度もお世話になっていたという異常者で、この壊れた男が繰り出すイカれた命令で会社そのものが崩壊に向かって行ったことである。

この男がやったことについては書くとものすごく長くなるため後日別の日記にするが、需要が増えている時に生産を減らすとかいう良く居るバカという次元ではなく、会議参加をサボってボイラー室の中に隠れこみ、部下たちの発言に聞き耳を立てながら「サポタージュの恐れあり」などと担当上司に報告するとか、四半期通じて売上利益とも対予算で+10%と好調なのに「お前たちのせいでこんな散々な結果になった!」と1時間も絶叫し続けるような異常者なのである。

当然筆者と部下たちは壊れた男を追放するために団結したのだが、皆さんのご想像の通りここでYは敵側に回ることになった。筆者らまともな人間についていけば次に切られるのは自分だとずる賢く計算したのか、それとも組織を破滅に向かわせると言う思想信条で一致したのかは知らないが、死神以外のYのもう一つの持ち味である寄生虫ぶりを発揮した決断だと言えよう。





さて実はこの日記は昨年8月にパート1だけアップしたのだが、その翌日にテレビがぶっ壊れたり夫婦そろって病気になるなど不運に見舞われはじめ、「Yの不運はブログにまで波及しやがったか!」と激高した筆者は一度封印しているのである。それがどうして半年もたって再び書き直したのかと言うと、先週金曜日に香港人の元部下たちからついにその日が来たことを知らされたからだ。

今年3月31日付で筆者のいた香港支店は閉鎖され、同じ香港にあるいくつかの別会社に人までもが分割されることになり、さらに三分の一近くの人員は受け入れ先会社が見つからずにリストラされることになったらしい。筆者が退職して1年後に頭の壊れた男は解任されたが、右も左もわからぬ新任支店長の懐刀となったYの打ち出す政策がことごとく裏目に出たためにこの2年間は赤字事業に転落ししていたらしい。

ところが会社を潰した張本人Yは再び巧く立ち回って香港の別の子会社に潜り込む事が出来たと聞いて驚いてしまった。Yの定年退職まで数か月しかないためそのまま香港に追い出しておこうと会社は判断したようだが、このYはみんなショックで一言も出ない状況なのに一人一人に「気を落とすなよ!」と笑顔で声をかけていたそうである。その笑顔は死神としての使命を達成した勝利の笑みであるに違いない。(完)







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