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神戸カハンガハンガ

熊野の完全に寂れきった重苦しい漁村で3泊を過ごしてきた筆者らは、次の土地へ飛行機で移動するまでの暫しの間、神戸で時間を潰すことにした。本来なら那智勝浦の後は伊勢神宮に行くつもりだったのだが、雨の熊野三山を散々歩かされた女房がついに炸裂し「もう神社はコリゴリだ!」と叫び始めてしまったからだ。

さて電車に乗って神戸元町駅に降り立った女房は目を大きく剥いて左右をじろじろ眺めている。今までいたゴーストタウンそのものの熊野と違ってここは大都会だし、それにショッピングアーケードも大阪心斎橋みたいに中国人で溢れておらず、店に置いてあるものも大阪よりもずっとシックで洗練されているのに驚いたようだ。

「ここよ!アタシが好きなのは!全くドンぴしゃりだわ!」と嬉しそうに叫ぶ女房。10代後半でリサール州のド田舎から香港に出て来た女房にとっては、西欧文明の香りがするこの手の国際貿易都市というのが体に合うようである。そう言えば香港でもミッドレベルとかソーホーなんて毛唐どものコロニーが好きだったな・・。

それでいつもならホテルでゴロゴロしているはずなのに、なぜか神戸では積極に出歩いては「ここは素晴らしい」を連発する女房。そして「神戸にいる女の人は大阪人とは別人種みたい。アタシたちが日本に住むのなら大阪じゃなくて神戸が最適だわ!」と言いだした。

神戸ねえ・・。でも洗練されてて上品な町に住みたいのなら関西じゃなく東京や横浜でいいし、それに神戸人って何となく気取っててオレは好きじゃないんだよね・・。それにヴィトンとバッグとカルチェの時計はいいけど、スケッチャーズのスニーカー履いてて豹柄のブラウスを着ているお前は、神戸よりも天王寺、いや岸和田の方が向いてると思うんだけれど・・。






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さよならダムゴンさん

今から10年ほど前に筆者が香港で消耗している時に、なんと無くネットで女房の国のことを調べた時に見つけたのがダムゴンさんの「はっぴい定年ライフ in ダバオシティー」というブログである(数年前からはボイボイリターンズという新シリーズになっている)。

筆者はダバオという土地は知らなかったのだが、子供の頃から海外に住みたいという願望が強かったし、また女房もフィリピン人なので今回の赴任を終えたら中途退職してマカオかタイ、もしくはフィリピンの何処かにでも住むか!と漠然とだが考えていたのだ。

ダムゴンさんの日記にはダバオでののんびりした毎日と現地での生活の知恵が色々と書かれていて、その奇をてらわない非常に素直な文体は毎日営業目標や株価に為替など無味乾燥な数字に磨耗している筆者にとってはPC画面の向こうから南洋の極楽鳥の鳴き声を聞くような心境になれた。

それにこの方は元々ヤクルトの社員で、若い頃サンパウロに派遣され10年以上も駐在員を勤めておられたという経歴にも何と無く親近感を覚えた筆者は毎週の様にアップデートされるブログを楽しみに読んでいたのである。

それでかくいう自分も10年香港にいた後ついに日本帰国を命じられ、ここで帰れば俺は日本に縛り付けられてしまうぞ!と思ったので辞表を叩きつけたのだが、退職までの2か月ほどの有給消化の期間中にものは試しとダバオを訪問してみたのである。





普通ならここでダムゴンさんに連絡でも取るのだろうが、相手側にして見れば何処の誰とも知らない訳だし、それに詐欺師と思われるのも嫌なので結局自分たちだけで行動したのだが、ダムゴンさんの日記をさんざん読んでいたおかげで迷わず色んなところに行くことが出来た。

しかし女房がタガログ語が通じないところは嫌だと言い張って聞かないので、結局今のところリサール州なんて日本の埼玉県に押しとどめられているのだが、毎週火曜日にアップされるダムゴンさんの日記は欠かさず見ていたのである。

ところがここ最近は更新頻度が目減り始め、そして2ヶ月ほど前に「しばらくブログをお休みします」と書かれてあったので、きっと何処かへ旅行にでも行かれたのかな?と思っていたのだが、昨日久しぶりに訪れて見たら「日本に帰ります」という一文とともに「またこのサイトで会えることを願って・・」というお別れの言葉で結ばれていた。

まさかあのダムゴンさんが帰国・・・?と目を疑ったが、10年と言う年月は色んなことが起こるし、なにより為替とフィリピンの物価の逆相関関係が厳しくなっている。だからダムゴンさんが最初のブログで書かれていたようなのんびりと余生を楽しめる環境では無くなってしまっているのは嫌でも分かる

さてダムゴンさんにお別れのコメントを入れようと思ったが、gooブログを見ても書き方が判らなのでこの日記を代役にしたい。ダムゴンさんのブログの影響を受けて筆者も3年前にフィリピンに移住することになりました。一度メールでやり取りしただけで結局お会いすることは叶いませんでしたが、10年間いろいろな情報をいただき本当にありがとうございました。






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ワキあま記念碑

那智勝浦の町がまるでゴーストタウンの様に荒んでいる為、この雰囲気に耐えられなくなった筆者と女房はバスに揺られて隣の新宮町まで出かけることにした。もっともこの町も発展しているとは言い難く、筆者は二度とここに来ようとは思わないが、それでもスーパーやアーケード街を歩いたことで多少とも寂寥感を薄めることが出来た。

さて新宮駅からの帰り道に、オレンジ色をした奇妙な中国風の建築物が20メートルほど先に有るのを見つけた。何となくそこだけ奇妙な違和感が漂っている・・。バスの出発時間まで15分ほどあったから何だろうと思って近寄って見たところそこには徐福公園という看板が掲げられていた。

徐福・・。言わずと知れた中国秦王朝時代の探検家兼ペテン師である。始皇帝に不老不死の薬を持って帰ると約束して金を出させ、3000人の若い男女を引き連れて遙か東方の日本に逃げおおせた男だ。こういう書き方をした理由は当時の中国は極端な圧政と虐殺で人口が激減しており、徐福の目的は薬で一儲けするのでは無く単に亡命だったように見えるからだ。

一部の歴史家はこの徐福こそが弥生人の元祖だとか、スサノオとニギハヤヒは徐福の末裔だなどと諸説繰り広げるが、筆者はどれも当たらずも遠からずだと思っている。それに日本各地に徐福の伝説が伝えられている事から、日本にやって来た徐福船団の連中が各地に中国人コロニーを作った事は間違いなく、当然日本の古代史に何らかの影響を与えたと考えている。


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さて天皇家と藤原家が焚書を繰り返して5世紀以前の記録を自分たちの都合の良い様に変えてしまった以上、中国や朝鮮の史書を頼りに日本の歴史を紐解いていかなければならない訳だから、こういう外国人の来日記録は大事にせねば・・と筆者は思っていたのだが、公園の中に入った途端に意見が変わってしまった。

何故ならそこにはおびただしい中国人観光客がいたのである。そしてツアーガイドらしき中国女が「ここに奉られている徐福は中国人なんです」と何度も叫んだ後、日本を作ったのは中国人です!と断定していたのだ(筆者は中国語が分かる)。

ねじくれた笑みを浮かべて優越感に浸る無教養な中国の下等生物たち・・。しかしこういう連中は実態の無いプライドだけで満足するから気楽な存在だが、徐福公園に立っている石碑を見て「これはまずいなあ・・」と思った。

日本国籍の日本の公人たちが公の予算を使って「この土地は古来より中国人によって文明が持ち込まれ・・」と言明してしまっているのである。と言うことは何十年後かには和歌山は中国領土だ!と中華人民共和国の支配者たちが言い出しかねないではないか。





今のところ中国が自国領だと言いがかりをつけているのは沖縄で、これは中世までの朝貢の事実を盾に自説を正当化しているのだが、最近の南洋諸島の様に中国の史書に航海実績があって文明を持ち込んだ!という風に軸足が移っていくと日本沿岸部はかなり危ないのだ。

もちろん住民投票で中国に割譲する方に入れる和歌山人はいないだろうが、国際結婚や中国人留学生が大挙して住民届けを出す、日中友好を叫ぶおめでたい売国奴に二階俊博に票を入れるバカ県民など和歌山には切り崩しの突破口は幾つもありそうだ。それに今や中国の忠犬ポチなった創価学会と公明党のポスターがあちこち張られているのも気になる・・。

日本人には大して価値のない和歌山も、中国人の目から見れば温暖な気候に豊富な海の幸に温泉、そし中国海軍の潜水艦軍港建設に便利なリアス式海岸などヨダレが止まらないほど魅力的な土地である。道路や電力などの社会資本は整っていて白浜には空港まであるから、和歌山に足りないのは観光客と子供だけ・・。これなら中国人には腐るほど提供できる。

なので半世紀後に「和」歌山が「中」歌山や「華」歌山にならないようにするためにも、文化大革命の先例に見習って日本中の徐福の記念碑を全部ぶっ壊すとともに、鑑真は日本人だ!唐の開祖は蘇我馬子だ!、毛沢東は実は山形県民だ!と全て日本に都合の良いように歴史修正するところから始めよう。こういう記念碑をいつまでも残しとくのは脇が甘すぎるよ!。






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神社が教えてくれるアナタの血統

神道の家に育った方なら「行く神社を間違えるな」という決まりをご存知だろう。神社はおおざっぱに分けて国津神と天津神の2つの系統があるし、製鉄民の稲荷(鋳成り)、蘇我系の恵比寿、藤原家の春日など業種や氏族によっても行く神社は変わってくる。例えば毛利家の末裔が尼子氏の謂れの地に行ったら怨霊に取り囲まれる様に、自分の系統をよく見極めないととんでもない目に遭ってしまうという話である。

亡くなった筆者の父は神社の跡継ぎとして生まれたものの左翼運動に嵌まり込みすぎて神社を追い出されてしまったのだが、筆者をびびらすために「ウチは氷川神社、つまりスサノオという国津神の大王様の血統だから、お前が天津神の神社に行ったら台風が来るぞ!」とよく話していた。

しかし父以上に無神論者、と言うよりも神社や教会、仏閣にまるで興味が無く、自ら行くことさえほとんどなかった筆者は神道の決まりなど全く気にもかけて無かったのだが、数年前に商談のため取引先を訪れた際に近くにある諏訪大社に行ったらえらい目にあったのだ。

その日は朝から快晴だったのにも関わらず諏訪の上社にたどり着いたら大雨、それもどえらい暴風雨になったのである。それで慌ててタクシーを呼んだが予約で一杯である為に駅まで30分間ずぶ濡れになりながら田舎道を歩いて帰ったのだ。

だけど諏訪大社と言えば国津神である。なんでお前らの親玉の流れを汲む俺がこんな目に・・と怒ったが、なんとなく愉快でもあったので神道に詳しくて迷信深い久保という先輩に面白がてら聞いたところ筆者の遭遇したケースには可能性が3つあると言う。





1つ目は筆者の父が神社を勘当された言わば裏切り者だから神道全体の敵になってるというもの、2つめは実はお前ん家は国津神じゃ無く天津神の末裔なのではないかという基本的な間違い、3つ目は国津神と言っても内部は一枚岩ではなく、つまり反米では利害の一致するファタハとハマスが内ゲバをしているように、お前の先祖は諏訪の敵なのではないか?と言うものだった。

どれも当たっている様な気もする・・・。というのは筆者の家系は曽祖父までは井草八幡宮という神主を何百年にも渡って務めていたのだが、ここはスサノオでは無く応神天皇と秦氏を奉る神社である。つまり同じ国津神でも応神天皇の定義がこんがらがって理解していた可能性があるのだ・・。

それから諏訪大社について調べてみるとここは一枚岩では無いことが分かって来た。大国主と同族で国津神のタケミナカタ(宗像神)が敵に攻められて諏訪の地へ逃げて来たのは確かだが、冷静に考えてみればその前に此処に住んでいた氏族というのがいるわけである。

つまり諏訪はタケミナカタ自身とタケミナカタを滅ぼした敵に2度攻められていて、元々諏訪に居た縄文系ミシャグチ神を報じているのが上社、そしてタケミナカタの氏族が母国から運んで来た神を奉じているのが下社ということになる。筆者が行ったのは上社だ。

ではタケミナカタとは何者か?というと、これが出雲系やら北九州の海洋民族だと言うものや、物部氏から尾張氏など諸々の意見があってさっぱり分らないのだが、あの地域では守矢という名字の人が祭事を行っている事から、恐らく物部氏(物部守屋のこと)だと思っている。





物部に攻め滅ぼされた地元神に嫌われた筆者。つまり筆者は父が話していた様にスサノオの末裔ではなく、応神天皇の神社の神主という出自とおり物部氏の系統では無いのか?。そこでそれを確かめる為に今回は神社ばっかり回っているので有る。

まず物部系神社から説明すると、これは大神神社に石上神宮、さらに大阪の石切神社へ行ったのだが、この3神社は交通不便なところにあって足腰は疲れたものの天候は良好だったし、何よりおみくじも中吉以上であった。

一方スサノオ系では京都八坂神社で小雨に降られたのはまだ良かったが、スサノオの総本山である熊野三山に来たら呆れるくらいのざあざあ降りである。しかも麓の那智勝浦は曇りであり、天気予報でも雨は上がると出ているのに筆者夫婦の乗ったバス亭の近くに来ると雨脚が強くなる・・。

まあそれでも折角来たのだからと往復3000円も払ってバスに乗り、やけに長い階段を登っていよいよ熊野本宮にお参りをし、早速おみくじを引いて見たところ、昨日熊野那智大社で見たのと同じ一文字がそこに書いてあった。

結論 : 筆者はおそらく物部氏です。






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飛んで火にいる夏の虫

女房が那智の滝を見たい!と不思議なことを言うので、ヘー・・不思議な縁だな・・と思った。と言うのは今を去ること40年前、当時東京から那智勝浦まで就航していた「さんふわらあ丸」に乗って筆者ら一家は那智勝浦に来たことがあるからである。

大学で折口信夫の薫陶を受けた筆者の父は東京中野区の氷川神社のせがれと言う血統もあってか日本の古代史に深い興味を持っていて、夏の家族旅行と言えども京都とか南九州の神宮廻りといいように何かと歴史がテーマになっていたのだ。

もっともたかが8歳の筆者がそんな事を分かるはずもなく、6つ年上の従姉妹エミコとともにホテル浦島のプールで一日中泳いでばかりいて、父が何度も滝を見に行こうと誘ったのに筆者は断固としてこれを拒絶したのだ。





しかしあれから40年が経ち、筆者も当時の父と同じくらいの年齢になったら急に古代史に興味を持つようになってしまい、今回も大神神社に石上神宮、八坂神社など周り続けているのだが、当時の筆者のように女房はお冠になってしまい「アタシは金輪際神社にはいかない!」と言い出したのだ。

ところがその女房が「滝を見たい!」と何度も言うのである。これは千載一遇のチャンスだ!。なぜなら那智の滝のすぐ脇には熊野那智大社が有るのだ。そして隣の新宮市には速玉大社がでんと控えていて、ちょっと奥には熊野本宮があるではないか。熊野三山のうち一つでも見たら残り二つを見ないとスサノオと言う闇の大王に呪われるのだ・・とでも脅してみるか。

よし分かった!お前がそんなに滝をみたいなら行こうではないか!と即答する筆者。それでさっきから女房は嬉しそうにしているが、明日からどれだけ退屈かつ長いこと歩かされるのか全く気が付いてない様子である。こう言うのを飛んで火にいる夏の虫、いや那智の虫とでも言うのだろう。バーカ!






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がんばれ!日本のロートル旅館たち!

筆者がただいま滞在しているのは南紀白浜にある割と大きめの温泉旅館である。全室ビーチビューで天然温泉付きと言う以外は特に際立ったところも無いが、1泊2万円で二食付きと値段がこなれている割には楽天やるるぶで評価が高かったのでここを選んだのだ。

しかし部屋も風呂も料理もまあ期待したよりは良かったわ・・程度のこの旅館だが、筆者となかんずく女房はここを大変気に入ってしまったのだ。というのは従業員の人たちが非常に親切と言うか、外国人を相手に出来るだけサービスを良くしようと奮闘しているからだ。

筆者の働いていた会社がある新潟県にも加賀屋や佐勘みたいな大規模旅館と言うのがいくつかあって、和風を好む欧米人客を工場案内がてらに宿泊させたことが何度もあるのだが、ここで働く連中は英語の一言も話せない割にはヤケにプライドが高く、これがサービス業かと思うほど不快な対応しかできないため、怒った筆者は二度と日本式旅館に外国人を連れて行くもんか!と決心したのだ。

しかし今回は女房のたっての望みなので、まあ酷いサービスを受けても損した感が出ない様にB級の旅館を選んだのだが、到着当日ホテル入口の坂道を上がるあたりから「さあさあ、荷物はこのトレーに!」とアロハシャツ姿のジジイが向こうから走って来るのには面喰ってしまった。

受付では担当が女房に微笑みかけるし、部屋に案内してくれたオバちゃんも女房相手に下手糞ながら英語で非常口の説明をする。食堂では案内係が女房を最初に誘導するし、2階にあるカラオケラウンジではマネージャー(1時間前は食堂の誘導係だった)が女房に英語で世話を焼いてくれる。





甲信越という百姓文化のド田舎と何百年も客を迎え入れて客慣れしている南紀白浜の歴史的な差はあるだろうが、それにしても実に外国人相手に親切だな・・と思っていたら、彼らがそうなった理由が食堂に来てよくわかった。香港人だらけなのである。

先日の日記でも書いたが、南紀白浜の温泉旅館は今のところ中華人民共和国のお登りさんにはそれほど浸食されておらず、日本に来るのはこれで3回目なのよ!という香港人リピーターが主役を占めているが、この温泉旅館は特にその傾向が強くて隣と斜め向かいのテーブルは広東語が交わされていた(ただし割と上品な人たちでにぎやかでは無い)。

感心したのはここの従業員が全員もれなくロートル世代であるにもかかわらず差別なく外国人と接している事で、はっきり言ってカラオケラウンジのマネージャー兼食堂係以外はそれほど英語が上手なようには見えないのだが、それでも彼らのできる範囲のボキャブラリーを駆使して何とか顧客に話しかけてコミュニケーションを取っていることだ。

今や日本の観光地も外国人が来なければやっていけない時代。だからどの温泉旅館も英語力を高める必要に迫られているが、大きな方針転換により外国人達と直面して何とかこなしていかなければならないのは社長や経営管理部のウラナリたちではなく現場のおやじ達・・しかしこの旅館では筆者の目で見ても各自がちゃんと責任感を持って出来ることをやっているようである。

「このホテルは阪急インタナショナルより満足だわ!」という女房。昨年泊まった大阪の高級ホテルの英語力は問題なかったが、あのツンと澄まして気取った雰囲気が何とも嫌だったのだそうだ。それに比べるとこの南紀白浜の手作り感あふれる接客の心地よい事。さらに上手でも洗練されていないのもかえって好感が持てる。なので皆さんもフィリピン人のご家族と関西に来る機会があれば、是非とも紀白浜のホテル三楽荘に足をお運びいただきたい。






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怠惰な生き物の楽園

女房と付き合い出してからかれこれ20年がたつが、コイツと一緒に旅行をして困るのは余りにも怠惰な事である。筆者などは学生時代から今日はカルカッタ、明日はアグラ、そして夜8時の電車でベナレスへ向かって・・といったスケジュールで動くのを常としているが、女房はこれとは全く逆の感覚の持ち主なのである。

例えば新しく来た町でホテルにチェックインすると女房がまずやるのは寝ることで、夕食はホテルの目の前か歩いても最長5分くらいのところで済ませてしまうのである。そしてその土地の名跡と呼ばれる場所に行くのは早くても3日目くらいからで、2日目は半径100メートルくらいを1時間(ただし途中休みが30分ほど入る)出かけてお終いなのだ。

もちろん3日目以降も加速度的に行動範囲が広がる訳も無く、同じようにダラダラしているだけで、今回も大阪滞在3週間のうち二条城や大神神社、神戸に行ったのは筆者が強制的に尻を押したからである(後から「疲れた疲れた」と何度も何度もお小言を言われることになったが)。





しかし今回の旅で女房に最適な場所をついに発見することになった。それは一泊二食(希望を言えば三食)の温泉旅館である。食事は黙っても出てくるから今日は何を食うか店を選ぶ必要も無いし、ホテルの中にずっといて温泉につかっていれば良いので出歩く必要も無い。それに朝から晩まで浴衣を着ているので洋服を手洗いしなくても良い。

「あー!こんな素晴らしいリゾートがあったなんて!」と100円マッサージチェアに揉まれながら嬉しそうに言う女房。そうか・・今まで筆者ら夫婦のホテル選びは1)繁華街のど真ん中か歩いて2~3分の距離にある、2)古くてもよいから広めの部屋がある、という基本線を守ってきたが、こと日本に関しては温泉宿のみにしたほうが良さそうだ。

なお筆者の部屋は食堂へ向かう廊下に面しているのだが、ここを通る客はみな70歳以上のジジイとババアばかり・・。この人たちでさえも昼間は三段壁とか海鮮市場に出かけていると言うのに、昼の2時から部屋に布団に入って(女中さんに頼んで万年床にしてもらった)ぬくぬく寝ている女房とは一体どこまで怠惰な生き物なのだろう・・。なお当初4泊で予約したところを女房はさらに3泊延長を要求してきたが、筆者は問答無用で却下した。






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野良犬のような一家

女房が従兄弟ジェンと盛んに話し込んでいるので一体どうしたのか?と聞いたところ、どうもジェンは親戚とのトラブルにウンザリしているらしい。昨年は番頭を勤めていたコールセンターが社長の持ち逃げで潰れたり、住宅ローンが払えなくなってアパートを差し押さえられそうになったりと不幸が続いたが、今年は親戚トラブルかよ・・と奴の運の悪さに呆れてしまった。

よく御存じの通りフィリピンはやたらと人間が多いため、いちいち固有名詞をあげていたらややこしくなるので関係名称だけを書くが、ジェンの女房の姉(こいつだけジュリーという本名を書いておく)が相続でごねているのだという。ちなみに相続と言っても義理の父母が死んだ訳ではなく、彼らはもうフィリピンに帰ってくる可能性が無いから、フィリピン国内にある資産の生前分与を始めたのだ。

ジェンの女房の一家はアメリカに住む両親の下、同じくアメリカにいる長男、そしてフィリピンに住む二人の娘(ジェンの女房とジュリー)の3人兄妹なのだが、昔からジュリーは男出入り派手で、最初の結婚で二人の子供をもうけたが不倫して旦那に捨てられてしまい、その後誰とも知らない男と同居して子供を一人作ったが出産前に逃げられ、今現在は別の男と同居してこれまた子供を作ってしまったのだ。

そしてここから先が問題なのだが、この3番目の男と言うのがギャンブル狂のヤク中で、朝からシャブを打っては一日中テンパってるような野郎だというのだが、どうやらジュリーも一緒にヤクにハマりこんでしまったらしく、ジェンが以前訪ねたところ、ゴミだらけの家で二人とも何か大声を叫びながら一日を過ごす心が凍るような光景を見せつけられたのだそうだ。





当然こんなジュリーが育児など出来るはずも無く、4人の子供のうち最初の二人(二人とも十代後半である)はジェンと奴の女房が引き取ったのだが、残りの二人はジュリーの家に多分居るはずだ・・という。この「多分・・はず」というのはもはや誰もジュリーの家には行かないので確認が取れてないという意味である。

しかし週に何日かジュリーと夫、そして時々子供たち(一人の時もあれば二人の場合もある)が突然フラリとジェンの家に現れて、勝手に食卓に割り込んでメシを食ったり、冷蔵庫の中身を漁っていくから、一応同居している(というより生存している)ことは確かなようである。

ジェンの父親エド叔父さんによると、この一家は他人の家の食いモンを漁るのに礼一つ言わないし、食い終わったら食器の片づけもせずに、何も言わずプイッと帰ってしまうらしく、「あれは野良犬みたいな連中だ」と義理の娘の親戚ながら軽蔑感を露わに説明していた。

さて今までアメリカからジュリーに送金していた両親も、もはや娘は改善の見込みが無いし(どうも他にもっと深刻な問題がいくつかあるようだ)、近くにいる人間はヤク中にされかねないので娘を見捨てる決意をした様なのだが、フィリピン国内の財産の生前贈与をするための書類にサインをしないとゴネているのだという。





だったら戸籍上縁切りしてジュリーを法定相続人から外せば良いだけだと思うのだが、どうもフィリピンの法律では色々と面倒な手続きが必要らしく、どうしてもジュリーにサインさせないと手続きが進まないというのだが、悪党の旦那が色々と入れ知恵されたらしくジュリーは居直りを決め込んでいるらしい。

「4人の子供たちと一緒に住める家が欲しいの!そのためにはお金がいるのよ!」とジュリーは説明しているらしいが、実際には長女の18歳の成人式パーティーにも参加しなかった(当然だが費用も払っていない)ような母親だから、1ペソたりとも子供たちに使う気はさらさら無く、全てヤクに消えるに違いない。

ちなみにジュリーの兄は相続放棄に同意したらしく、自分の相続分は2番目の妹(ジェンの女房)に全て譲ると申し出ているそうだが、ジュリーは「アタシはそんな事許さないから訴えてやるわ!」と喚きだし、なんとそのための弁護士費用を妹(ジェンの女房)が払え!と言い出したらしい。

殺人犯が私選弁護人の費用を被害者一家に要求するのと同じくらいぶっ飛んだ話だが、どうもジュリーの頭の中は完全に壊れてしまったようだ。でも・・これって客観的にみるとジェンの一家は非常に危ない状況に入りつつあるんじゃないだろうか・・。だったら争うのは止めて、金の代わりにもっと常習性が強く、何かをする意思を確実にそぎ落として死へと導いてくれるヤクを毎日与えた方がいいんじゃないかな・・。






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アジア人の目から見る最高のビーチリゾート

女房がどうしても温泉宿に泊まりたい!と言い出したので、メジャーな温泉地のうち大阪から一番近い南紀白浜にやって来た。筆者も子供時分は親父に連れられてこの手の旅行を随分したが、本音を言うと昔から畳というのが苦手で、しかも料理付きなんて選んで糞不味い料理でも出されたらまな板に鯉の状態に追い込まれてしまうので、自分の旅行では今まで一度も旅館と言うのは泊まったことは無いのである。

しかし今回は女房のたっての希望だから朝夕食付きのセットで渋々4泊ほど滞在することにしたのだが、3時間ほどバスに乗って白浜に来てみると、意外なことに女房が「わー!こんなきれいなビーチがあるなんて凄いわ!」と騒ぎ出したのである。

きれいって白浜がか?そんなこと言ったら今までプーケットに何十回も泳ぎに行ったし、ボラカイやバリ島、それに津波前のピピ島なんて想像を絶するするくらい海が綺麗だったじゃないか!と言ったところ、女房は「アンタは全然間違っている」といきなり全否定しやがった。





話を聞いてみると、どうも女房の基準は元々自然として綺麗というのではなく、ゴミ一つ落ちてないとか、防波堤が整備されている、ビーチハウスがゴミゴミしていない、イカタコ洋服などモノ売りがあんまりいないと言った人工的、人間的なモノを言っている様なのだ。そして多くの日本人のご想像の通り、筆者はこれに真っ向から異議を唱えたのである。

随分前に仕事の合間に行ったマイアミビーチは確かに綺麗ではあったが、しかし同じ年に行ったピピ島の海底まで透き通って見える美しさ、そして島北部の手つかずの自然美とはもちろん比較にならない。もっと言うと、例え売春婦やオカマ、如何わしいマッサージを施す派手なオバちゃんがビーチに屯っていても、ビーチ事態の素材が美しさを保っていれば素晴らしいリゾートなのである。

だがその時筆者は3年前の変な体験をふと思い出してしまった。それは中国・青島(チンタオ)のお客に商品を売り込みに行った際に、香港人の代理店の社長ら一行がチンタオのヨットハーバーや波止場に海沿いのホテル群を案内してくれて「こんな素晴らしい場所があるなんてチンタオは素晴らしいだろう?」と何度も何度も力説していたのである。





しかし筆者の目にはチンタオというのはどう見ても熱海や伊東温泉に毛が生えたくらいのモノ悲しくて鄙びた観光地にしか見えない・・。でもこの代理店の連中はみんな貧乏では無く、毎年旧正月とイースター休みにはパンコール島やタオ島、ゴールドコーストに遊びに行っているのである。それがどうしてこんなどーでも良い風景を愛で讃えるのか・・?

だがこの時筆者は自分が一方向でしかモノを見ていないことに気が付いた。シンガポールの友人が新潟県のどうしようもない山奥(筆者なら1分たりとも居たくない場所)を何と美しい!と言ったように、人間は生まれ育った土地に無いモノを愛でる傾向が強いから、南紀白浜のどうみても冷帯系の寂しげな風景も女房の目にはバハマのように映っているのだ。

「まったく白浜に比べたらサムイ島なんて何でもないわ!」と1ミリたりとも理解できない台詞を吐き捨てる女房。なるほど・・最初から見えている画像が違う演算式で処理されていたのである。だからこのホテルにも中国人観光客が溢れているんだ・・と納得してしまった。それとも俺だけが変なのかな?いずれにせよこんな所一刻も早く去りたいんだけれど・・。






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霊感リサイクルショップ

昨日の日記で筆者が間借りしているマンションがある一帯は呪われている!ということを書いたが、オカルト好きでこの手の話に目が無い筆者は実を言うと半信半疑でいるのである。というのは霊感が多少ある女房はこの家では全く何も感じないからだ。

女房は昔から霊が強い場所に行くと気分が悪くなって突然しゃがみ込んでしまったり、吐き気を催したりするのだ。例えば昨年11月に訪れた法隆寺では入ってすぐに具合が悪くなり、「ここは寺じゃなくて誰かのお墓なんじゃないの?」と日本史の本質を突く質問をしたり、今回訪れた大神神社では参道に入った途端にサッと顔色が変わり「ここは異界みたいね」とこれまた意味深な一言を漏らしたりしているのだ。

それで筆者も調子に乗って大阪屈指の心霊スポットであるビックカメラ千日前店に連れていく事にしたのだ。ここは100人以上が焼死した1972年の千日前デパート火災の跡地で、焼けただれた女やエレベーター内での絶叫など多くの心霊目撃談が伝えられている横綱級の恐怖ゾーンなのである。

このビルがまだプランタンだった時代に店員として働いていた宝屋というアマチュア怪談師が「7階のトイレがハンパじゃないんや!」と言っていたので、さっそくエスカレーターを昇って女房を連れて行ったのだが、これが期待に反して「一体ココの何処が不気味なのよ?」とスカッと外されてしまい、筆者は思いっきり失望してしまったのだ。





もっとも霊感もラジオのようなモノで、何百回も霊に遭遇した高感度の人も日本最凶と言われる犬鳴峠では何も感じなかったと言うから、どうも女房にも当たり外れがあるようである。だけど霊の憑りついた人形だけを集めた和歌山・淡島神社では何にも反応しなかったからなあ・・。どうも女房の霊感も最近錆びついてんじゃないだろうか。

しかし今回の訪問でも女房が異常な反応をしたことが2回だけあったのだ。一回目は心斎橋アメリカ村のビッグステップという商業ビルの地下1階にある店で、服を見ていた女房が「この店は嫌な気配が満ちている」と言い出したのだ。何で明るい感じのブティックに霊が?と思ったが、良く見てみるとそこは古着屋だった。

2回目は難波のアーケードにある中古のバッグ屋で、ルイヴィトンやヘルメスのバッグの品定めをしていた女房があるバッグの前で足を止め「このバッグから変な気が出ている」と言ったのだ。最初のアメリカの古着屋では単なる偶然だと思っていたが、ある1つだけのバッグで変な反応を示した瞬間にこの理由がはっきりと分かった。

筆者の昔の取引先に中古のロレックスやオメガを取り扱っているバッタ屋のオヤジがいたが、自殺したり殺された人間の遺品のうち高価なモノは捨てられるよりもリサイクル屋に持ち込まれるケースの方が圧倒的に多いのだ・・とこのオヤジが話してくれた事があるのだ。





例えば事故物件専門の不動産屋や死亡謄本の付いた事故車だけを取り扱う中古車ディーラーの商売が成り立つのも、顧客の中にはそういった不吉な事を全然気にしない人がいるからなのだが、しかしカバンや時計、宝飾品に服などは次の買主に告知義務がある訳ではないから、ごく普通の商品と混ぜて売られているわけである。これは不吉なモノが嫌いな人間には冗談では無い話だ。

もちろん女房の霊感がまるっきりトンチンカンになってしまった可能性もあるが、年間自殺者3万人、それに変死という統計に出てこない人数を合わせれば自殺者は年間18万人と言われるから、大阪の繁華街のショーケースに彼らの身に着けていたものが入っていてもおかしくは無い。だから女房の反応は正しいのだと思う。

筆者は今から10年以上前に会社の同僚がリサイクル屋からソファを買ってえらい目にあった現場に居合わせたし、バンコクの知り合いから貰った仏像のせいで一人の人間が死んでしまうなど散々な目に遭ってきたせいで、誰かが大切にしていたモノには念や別の魂が籠ってしまうものだと信じるようになった。これを迷信だと思うのは自由だが、自分が現実に経験すると事実として受けいれるしか無い。

という訳で女房は日本で中古品を買う事は無くなり、その代わり新品を求めるようになったため筆者の懐はたいそう痛んでしまったのだけれど、物の怪が付いた品物をフィリピンに持って帰るよりは、女房に事あるごとにお小言を言い続けて損失の半分でも発散する方がマシだと思っている。という訳で皆さんもリサイクル品を買う際はご注意を。特になんか嫌な感じがしたら迷わず買うのを止めましょう。






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事故物件と忌み地と日本人形

筆者ら夫婦が大阪で間借りしているのは地下鉄松屋町駅の近くにあるウィークリーマンションで、ここは心斎橋から徒歩圏内にあるにも関わらず信じされないくらい閑静な場所である。梅田までは谷町線に乗り換えて5駅、難波までは御堂筋線で4駅とどこに行くのも大変便利なため、女房はここにマンションを買って毎年春から秋にかけて住もうじゃないかと言い出した。

筆者は東京出身なので大阪で余生の半分を過ごすのはチョッとな・・と思っているし、それに住むにしても天王寺とか十三みたいな半分静かで半分猥雑(これは永井荷風的な色気のある町という意味)な場所が好きなのだが、まあ中古マンションの相場がどれくらいかだけは見ようと思い町の不動産屋を覗いてみたところ、その販売価格を見て少しばかり驚いてしまった。

安いのである。大阪の中心から徒歩圏内にある松屋町界隈のマンション(駅から徒歩5分以内という前提)の坪単価は東京だったら国分寺市とか調布市と同じくらいなのだ。大阪市民には失礼かもしれないが、東京の山手線内とほとんど変わらない生活の質を維持しながら、23区外のコストで済むと言うのは大変魅力的である。

それで松屋町か天王寺かはたまた神戸かは知らないが大阪に住むのもいいじゃないか・・と考え始めたのだが、大島てるという事故物件検索サイトを覗いてみたところ、筆者が不動産屋に聞いた松屋町界隈で一番良いマンション(〇屋タワーと言う)に事故があった事を示す焔マークが2つついているのを見つけてしまった。





1つ目の事故はこのタワーマンションが建つ前に、ここにあったパチンコ屋で発生した強盗殺人で、2つ目はマンション建設直後に物件見学に来た人が発作的に飛び降り自殺をしたというものだった。不動産屋の紹介中に飛び降り自殺するというのも随分と狂った話だが、それ以上に気になったのは隣のマンションでも飛び降り自殺がある事だった。

そんなの昔からの町なら事故くらいあるだろ!とお思いだろうが、この2つのマンションとも完成してから数年しか経っていないのである。それでチョッと不吉なモノを感じた筆者は何回か通って顔見知りになった居酒屋のオヤジに「マンションを買おうと思ってるんだけど、自殺があったという話を聞いて思わず引いちゃったよ」と言ったら、いつもは多弁なオヤジが急に顔を曇らせて「ええ・・ええ」と呟いた。

もちろんこの店には自殺の有ったマンションの客も来るだろうから迂闊な事は言えないのだろうが、筆者はそんな事は気にせず明朗快活な声で「阪急オアシスの上のマンションも孤独死や飛び降り自殺が多いみたいじゃないか!」と言ったら、このオヤジはまたもや筆者の目を見ずに「ええ・・まあ・・そうです」と呟くだけである。

この居酒屋のオヤジからは何も聞き出せそうにないので、今度はいつもモーニングを食ってる喫茶店のオバちゃんに聞いたら、さすが大阪のオバちゃんだけあって開口一番「ここら辺は昔からいろいろあるんやで・・」と答えてくれた。なんでも東西は長堀通りと千日前通り、南北は堺筋と松屋町筋で囲まれた一帯は歴史的に余り良い土地では無いと言うのである。





「あるマンションなんて同じ部屋で3回連続で首つり自殺があったり、全然居住者でも無い人が他人の家に上がり込んで自殺したりするんよ」と言うオバちゃん。それに殺人や一家心中なんてのはオバちゃんが若いころはごく当たり前に起こっていて、特に高速の西側一帯の島之内はオバちゃん曰く「あそこはアカンでぇ」なのだそうだ。

しかし続けてオバちゃんが「だからここに人形の会社が集まってるんや。分かるやろ?」と言ったのだが(そう、松屋町は東京・浅草橋の様にやたらと日本人形店が軒を並べているのである。)、筆者が「エッ?判らないよ!それどういう事?」と聞く前にオバちゃんは調理場の中に引き上げてしまい、事故が多い事と人形の関連を聞き出すことが出来なかったのである。

居酒屋の大将が目を合わせずに頷いていたのは、単に自殺のあったマンションの顧客から嫌われたくないと言うより、なんとなく触れちゃいけないタブーへの懸念だったようにも思える。それに喫茶店のオバちゃんの話によってここら一帯は忌み地のような場所であることは分かったが、それと人形つくりの業者が並んでいる理由と言うのがイマイチ判らない。

しかし東京・浅草橋というのも何となく暗~い感じのする町だし、積極的に住みたいと思わせる場所では無いから、人形と忌み地は何か関連性があるに違いない。さて自殺や心中などの事故が多い、忌み地としての長い歴史、そして不気味な人形の数々・・。しかしこんなことをフィリピン人の女房に話しても理解されるはずも無いので、どうやらここら辺は地盤が弱いらしいぞ!と言ったら、「あっ!そう!じゃ止めましょ!」とあっさり諦めた。






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船場の洋品屋街での昔日の日本を思う

大阪に来ていろんな店を回ったが、洋服やアクセサリーを買う場合に女房の一番の気に入りは船場センタービルという衣料品の卸売店が集まった建物である。ここは東京・御徒町と同じような役割をしている場所なのだが、アクセサリー400円、ブラウス470円などと途轍もなく安いのだ。

このビルは地下鉄本町駅から堺筋本町の間の1キロの距離に並ぶ10の建物の総称で、合計で800店もの卸店が地下と地上2階の3フロアにかけて軒を並べているのだ。半分以上の店は卸専門だが、それでも3割くらいの店は1個でも売ってくれるし、前述の様に大阪市内の普通の店に比べて半額くらい安いのが魅力である。

「先代のころは外人さんもよう来てはって、ウチも子供ながら店で外人さんのお相手してたんですよ」と言ったのが50過ぎのオバちゃん店主。戦後から70年代まで日本の主力産品は繊維製品であり、とくに大阪の船場はその中心だったから、確かにここには世界中の服飾バイヤーたちが集まっていたはずである。現在では香港のライチ―コック駅の北側一帯がこの地位を引き継いでいる。。

しかしニクソンショックでドルの切り崩しが始まり、1980年代後半のプラザ合意で120円を付けた当たりで日本の繊維産業は壊滅的な打撃を受けてしまったから、外人が来たのはもうかれこれ30年近くも前。そして日本に溢れる中国人達もノンブランドで低価格な服飾には目もくれないから船場センタービルにはウソのように姿が見えない。

むかし外人の相手をしてたか・・。そう思った時に筆者の子供の頃の光景を思い出した。東京都下の自宅の近くに従業員数十人ほどのガラスレンズ工場があって、そこには良く外人さんたちが来ていたのである。そして外人たちに説明をする工場のネーちゃんが何やら面妖な言葉を喋っているのを筆者ら馬鹿ガキは不思議な目で眺めていたものだ。





今考えればあの言葉は英語で、それにあの当時に町工場で働いている社員は商業高校か工業高校卒の人たちばかりだったから流暢な英語では無かったに違いないが、それでも外人相手に丁々発止のやり取りをやっていて、それに工場もちゃんと生き残っていたのだから今考えるとなかなか大したものである。

あれから30年経った日本では、例えば筆者の働いていた会社などは東京外語大や上智に津田塾を出た女たちで溢れていたけれど、みんなお上品と言うか金魚みたいに生命力の弱い生き物になってしまい、大手顧客と1%の値引き交渉に名乗り出るような女は一人もいなかった。はっきり言って中国女と伍せるような女性を日本が生み出すのは無理だと思う。

まあ日本女性にばかり文句は言ってしまったが男の方も五十歩百歩で、日本の大企業の問題とは文系出身の社員が小難しい経営用語を披露する事にばかり長けてしまい、1ドルの卵を路上で売ったり梅田駅構内の僅か1坪の店で何を売れば儲かるのか?といった基礎的な能力が大きく欠落してしまった事に原因があると思う。シャープや東芝はこの傾向が強いのではないだろうか。

筆者はユダヤ人のお客から「オフィスの机から世界を眺めることほど危険なことは無い」「ストリートに経っている人間が大手を打ちのめす」としつこいくらい言われた事があるのだが、どうも日本はプラザ合意のあたりから頭でっかちになってしまい、そして円高で現場が東南アジアや中国に出て行って空洞化してしまったあたりから崩壊の兆しが出ていたに違いない。

さて船場から話が随分とずれてしまったが、言いたかったのは船場に若い世代のユニークなデザイナーや経営者が店を開き、昔の様に外人バイヤーが集まってくるような日本になってほしいという事である。でもそうなっても店の奥に閉じこもって金勘定だけしているのはダメだよ。常に客から刺激を受けていられるのは店頭だけ・・、だからオーナーが率先して店を仕切りなさい。






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100人のセクシー美女ランキングの意外な1位

雑誌FHMが毎年行っている「100人のセクシー美女」に投票をしようと思ったら何と一昨日が締め切り日になっていた。ちくしょう・・今年こそはと思っていたのに、日本に来て浮かれていたらタイミングを逸してしまったようだ。

それでFHMの中間集計を見て見たところ、さすがに昨年の王者マリアン・リベラは結婚式と妊娠によりトップ10には入っていなかったが、エンジェル・ロクシンやサム・ピントにジェニリン・メルカドなど毎年お馴染みの名前がズラリと並んでいる。

ところが過去3回の中間集計で今年ずっと1位をキープし続けたアンドレア・トレスという名前だけは見覚えが無い。ハテ・・こんな人いたっけ・・?と思い、昨年のランキングを見てみたところなんと47位・・。それで一体どんな絶世の美女かと期待して写真を検索したら出て来たのがコレである。



アンドレア・トレス


うーん・・。人の好みは千差万別なんだろうけど、この顔つきで並み居る美女を抑えて大躍進の1位か・・?。まあこの人のテレビ番組見てないから何とも言えないけどなーんか変だな・・と思ってアンドレア・トレスのことを調べて見たら意外なことがわかった。

なんと昨年の王者マリアン・リベラが「私のファンはアンドレア・トレスに投票してください」と呼びかけていたのである。どうやらこの二人は従姉妹か叔母か義理の姉妹の関係なのだそうだ。

ちなみにアンドレア・トレスも単なる町のねーちゃんでは無く、一応GMAチャンネルでドラマか歌番組に出ていて人気者だというのだが(筆者はこのチャンネル見たことない)、筆者の目でいくら好意的に眺めても46人抜きの偉業を達成するご面相には見えない。



マリアン・リベラ


しかしそれとは別に理解出来ないのはアンドレア・トレスに投票するフィリピン人男性の心理である。セクシーかどうかはあくまで個人の趣味の問題であり、二世議員じゃあるまいし昨年の王者の推薦でアンドレア・トレスに投票するというのは主体性が無さすぎるではないか。

それにアンドレア・トレスとマリアン・リベラはこれが親戚か?と思うほどかけ離れていて、まるで哺乳類と魚類くらい生物学上のギャップがある。ネコ好きの人が犬を飼うならまだしも、これじゃナマズをペットにするようなものでは無いか。

まあ芸能事務所がサクラを雇ってアンドレア・トレスを売り出そうと画策したのかも知れないし、FHMが読者を増やすため大穴を一番人気につけて煽っているのかもしれない。まあアンドレア・トレスは大化けするかどうかは別に興味無いけど、結果はFHM7月号で発表されるようである。フィリピンに帰ったら早速FHMを買わなきゃ。



中間発表



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デブ女との闘い

筆者と女房は日本の美味いメシと快適な生活をエンジョイしているが、物事には完璧と言うモノが無いように大阪の致命的な欠陥というものに直面し、時には不快感そして時には現実的な不利益を被っている。その天敵ともいうべき相手は表題にある通りデブ女たちである。

東京で地下鉄を待っている時に最前列から2番目くらいにいたとしよう。やがて電車がやって来たがドアの開く前に中を眺めると左右各2メートルくらいの間で座席が5人分くらい空いていれば「まあ座れるな」と思うのだが、大阪ではそうは問屋が卸さないのである。

なぜなら3番目か4番目にいた女が降りる客と乗り込みを待ってる客との間にズリズリと割り込みをかけ(体積が大きいためスルッという表現は当てはまらない)、その猛烈な突進に寄って最低でも1席はアナタの後ろにいた女に盗られてしまうからである。





こう書くと「それは大阪のオバちゃんに違いない」とお思いになるだろうが、実は筆者が見た限りでは大阪のオバちゃんは予想したほどは図々しくも無く(それでも東京の中年女性に比べると異次元にいるが・・)、また豹柄の服も着ていてなくて思いのほか大人しいのだ。

その正体は表題に有る通り20~30代のデブ女である。ちなみに筆者の住むフィリピンではデブ女というのは人口比の80%くらいを占めていて、身長160センチ、体重70キロというのは割と頻繁にいるのだが、ダイエット大国日本ではこういうデブは希少生物の類で、他人の目を気にせずブクブク太り続ける女と言うのは超神経の持ち主と言って良いだろう。

このデブ女による被害を書くと、例えば大阪のバイキングで列に割り込んだ揚げくに皆の目当てである伊勢海老の冷製を根こそぎ持っていかれた、551蓬莱軒の行列に3人組で横入りした挙句に豚まんを大量に買い上げて回転在庫を切らさせる、繁盛しているバルの6人がけカウンター席にデブ女3人が陣取って(しかも大量の買い物品を抱えている)他の客が座れない、などキリが無いのである。





それでこっちも頭に来て、ワインバーで筆者らのテーブルに汗臭い上着(腋臭の臭いが強かった)を置こうとしたデブ女に注意をしたところ、この海原やすよに似た女は正に愚鈍そのものと言った顔つきで筆者の顔をジッと眺めるだけだった。きっとなぜ自分が怒られているのか、この肥満女には1ミリたりとも理解できなかったに違いない。

しかもこの女の醜い事。肌は吹き出物か汗疹で赤いブツブツがアチコチ広がっていて、汗でビチャッと肌に引っ付いたワンピース、それに臭そうな足に引っかけたサンダルなど、体中の何処を見ても欠陥人間そのものといった外観である。それとだらしなく半開きの口がこの女の中身のダメさを物語っている。

「%$#7YA&やん@―」と何やら小言を言った後、隣のボックス席にドスンと大きな音を立てて座ったデブ女。まったく何ともふてぶてしい面構えである。まったく何でこんな厚かましい生物が堂々と表を歩いているのか・・。コイツがクチャクチャと音を立てて牛肉のグリルを口に運んでいるのを横目に見ながら、こういう奴にはデブ女税という別の税金を課すべきだと本気で思った。






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なんで日本にフォアグラが無いの?

日本に来て早や2週間がたったが、日本の食品の豊富さに目を剥いた女房は連日の様に店に食のルーブル美術館ともいうべき梅田・阪急百貨店のデパ地下に出かけては何かしらの食品を買い抱えて家へと帰るのだが、ここで女房の大好物が見当たらない事に気が付いた。

世界三大珍味の一つと呼ばれるフォアグラ、つまりガチョウの肝である。香港時代に女房はフォアグラの味を覚え、家から歩いて5分の距離にあるそごうデパートの食品売り場で生フォアグラを買ってはしょっちゅう自宅でソテーにしていたのだ。

フォアグラなんて贅沢な・・と思うかもしれないが、香港じゃ100グラム200香港ドル(3000円)くらいでごく普通に売られているので、少食だけど味にはうるさい女房にとってはサラダとパンとフォアグラというのが格好の夕食だったのだ。





しかしフィリピンに来てから一度マカティでフォアグラを探し求めた時は、ガチョウならぬアヒルの肝の缶詰に法外な値段が付けられているのを見て諦めたので、女房の頭の中の買い物リストには常にフォアグラがトップを飾っていたらしい。

ところが誰の目から見ても香港より遙かに食品レベルが高く、かつ高級な品物が多い日本のデパ地下にフォアグラが見当たら無いのである。それで阪急や大丸、近鉄の売り子や総合案内に聞いてみたのだが「フォアグラはちょっとぉ・・」と言うばかり。

それで成城石井に向かったところ、フォアグラ率50%なる不思議な表記をしたパテと、97%という円形をしたモノがあったので、値段の高い97%を買って帰ったのだが、これがペーストにしたフォアグラ(クズ材を集めたものらしい)を整形しただけの代物で、味の方も近からず遠からずといったところだった。





なんでこんな豊かな国なのにフォアグラが無いのよ!と女房は言うが、おそらく日本人には家でフォアグラを使う食習慣が無いのか(確かに味がくどい)、それとも上物はレストランに買い占められてしまうからに違いない。

それで滞在先のアパートから近い心斎橋の小洒落たレストランのメニューを見たら「フォアグラソテー」というのを見つけたが、これが法外な値段の割にはメニューの写真でもヤケにちょびっとしていて小ぶりであることが判った。

という訳で筆者ら夫婦は世界一職が豊富と言われる日本に居ながら今の所フォアグラを食べられないでいるのである。日本に行けば何でも食べられると思ったが、どうやらフォアグラだけは勝手が違ったようだ。でも日本人の舌に向かないフォアグラも、昔から犬肉に親しんでいる「今里」では普通に売ってることを期待して明日一日歩いてみよう。






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虚飾の語り部たち

先日の日記で日本のテレビ局はソ連による日本人抑留の責任がまるで日本にあったかの様な偏向報道をしているという事を書いたが、若い世代の無知に付け込むこういう姑息な輩は身の回りにも結構いるものなので、今日の日記では筆者の卑近な体験談を書きたいと思う。

筆者の会社員時代の同僚にMという10歳上の男がいた。筆者が20代の半ばにはこの男は筆者の上司だったのだが、それから10年後には同じ立場となり、20年後には筆者の方がMの直属の上司になってしまったので正直やり難い関係であった。特にMは酒癖がたいそう悪かったため酒の席では毎回Mに辟易させられたものである。

名古屋大学時代に民青に入っていたというMは典型的な観念サヨク思想の持ち主で、要するに戦前の日本と自民党とアメリカの悪口を言っていれば飲み会のヒーローになれると思っている単細胞だったのだが、近隣諸国の軍事的脅威の高まりに対抗するため日本も通常兵器を3倍に増やすか核武装に踏み切るべきだ!という意見の筆者とは当然の如く毎回ぶつかり合いになった。

もっともMは空論を振りかざすだけだから議論にすらならないのだが、ある時このMが「オレのオヤジは戦争で地獄を見たんだ!」とドヤ顔で叫びだした事があった。見識ある方ならMの言っている話は平和憲法護持の合理的説明には全くならない事はご存じだと思うのでここではいちいち触れないが、要するに社民党の女性陣と同じロジックである。





なんでもMの父親は陸軍に徴兵された後に満州へと派遣され、八路軍との戦闘で何度も生死の境を彷徨った後にさらに激戦地である南方戦線へと送り込まれ、最後は台湾で終戦を迎えたというのである。「オヤジは銃弾の飛び交う中で何十日も泥水と草を食って戦っていたんだ!」と迫真の表情で筆者に対し反戦を訴えるM・・。

中国共産党史には多少詳しい筆者は「満州で八路軍と戦闘・・」という話は全くのウソだと直ぐに分かったが、日本の陸軍師団の配置状況については殆ど知らないので敢えて反論はせず、しかしMの父親の苦労程度なら第2次大戦参戦国のどの兵士も経験していること、そして過酷な経験が反戦政策に結びつくのならばなぜ一番戦死者を出したソ連は非武装国家になっていないのか?!と言ったら案の定「お前なぁ!」と年長者特有の説教を叫び始めた。

さてここで普通の人なら「まったくMはどうしようもねえな!」と言って終わるのだろうが、何事も調べクセのある筆者はMの父親がいた部隊について家に帰ってから調べてみたのである。ネットに陸軍部隊最終位置という便利なツールがあるので、終戦時に台湾にいた部隊を検索すると何個師団か出て来たのだが、一つ一つ見ていくうちに「これに間違いない!」という部隊を見つけたのだ。

陸軍第12師団。北九州出身者で構成され文豪・森鴎外もいたことがある歴史ある師団である。精鋭小倉師団という名を聞かれた方も多いだろう。この配下の第24連隊と第48連隊がMの出身地で編成されており、両連隊とも満州で治安任務に就いた後1944年に台湾に派遣されたと書かれていた。なお一度南方戦線に行った後から台湾に転戦したという記録は見当たらないが、第24連隊の一部はヤップ島に派遣されそこで終戦を迎えていた。





まずここで気になったのは満州での治安任務という表現である。これは国民党軍と正面切って戦闘行為をしたという事では無い。それから満州にいた関東軍は1939年のノモンハン事件で多大な犠牲者を出しているが、この時Mの父親は15歳か16歳だから絶対に従軍しているはずは無く、関東軍にとってノモンハンの次の戦闘である1945年のソ連侵攻時期は第12師団は台湾にいたから満州では一切戦闘に巻き込まれていないはずなのだ。

さらに次は南方戦線に送られ、そこから台湾に戻ったという話である。まあヤップ島からごく少数が台湾に配置転換されたのかもしれないが、ヤップ島は米軍が上陸せずに素通りしてしまったためにガダルカナルや硫黄島のような戦闘というのは全く行われて無かったのだ。なおヤップ島は漁業のメッカで、陸地ではヤムイモとタロイモが豊富に獲れるため補給が途絶える米軍通過前に飢餓になったというのはちょっとありそうに無い。

そして最後に台湾だが、これは皆さんご存じの通り米軍の上陸に備えて大本営は満州や沖縄から戦力を台湾に移動させたが、ここも予想と違って米軍は台湾を素通りして沖縄に上陸してしまったため、台湾にいた陸軍兵士たちは地上戦どころか一発の銃弾も撃っていないのである。なおMの父親がいた新竹市も一度だけ飛行場が爆撃に遭っているが、死者数は25人と非常に少ない上に全員が海軍の軍人であり、さらに爆撃されたのは1943年で第12師団はまだ台湾には移動せずに満州にいたのだ。

つまりMは「俺のオヤジは銃弾の中で何十日も生死を彷徨ったんだ」とここぞとばかりに言うが、記録を見る限りそういった事実はたったの1日どころか1分たりとも有り得ず、どう贔屓目に見ても陸軍12師団と言うのは満州では森林警備隊か町のお巡りさんくらいの任務しかしておらず、ヤップ島と台湾では陣地を作っているだけで一度も戦うことなく終戦を迎えた日本軍きってのお気楽部隊だったのである。





他の部隊が玉砕とか壊滅的な打撃をくらい兵士たちの屍が野ざらしになっている中で、食うもんをたっぷり食って帰国できた第12師団の兵士たち。ところが海軍や他の陸軍師団兵士の遺族たちが「あいつら楽してたんじゃないか?」とざわめき始めた為、戦争の事は何も言いたくない!今でも悪夢にうなされるんだ!俺たちは戦地で地獄を見たんだよ!と出まかせを言って周囲の険しい視線をかわすことにしたというのが事の真相ではないだろうか。

ちなみに筆者はMの父親に「テメエ!おめおめ帰ってきやがって!」などと非難するつもりは全くない。しかし父親がウソを言ったのか、それとも息子のMが場当たり的なウソを言ったのかは知らないが、自分より若い世代は知らないだろう・・と思って有りもしない地獄の体験談を吹き込んでは有らぬ方向へと世論誘導している事が頭に来るのである。

死んだ兵隊たちには申し訳ないが俺は本当にツイてたよ・・とか、いつ死んでもおかしくない環境にいるのは苦痛だったね・・や、仲の良かった名古屋師団の男が硫黄島で死んじまってな・・と泣くだけなら筆者も文句は言わないし同情もするが、戦地でお気楽な身分にいた人間が防衛とか安全保障という話になると「軍靴の音が聞こえる!」と騒きだし、あたかも反戦の旗手、平和の先兵としてヒロイズムに浸っているとは厚顔無恥も甚だしいではないか。

さてこの次の飲み会で筆者が完膚無きにまでMを叩きのめしたことは言うまでもないが、Mはその後も愚鈍な相手を選んでは自慢の反戦話を滔々と話し続けているらしい。まったくヘルメットとゲバ棒も持たずに安全なところでフォークソングを歌いながら反戦・反体制を叫んでいたサヨクは死ぬまで自虐的な虚言に浸りきっていくのだろう。お前らそろそろ退職してヒマになるんだから、全員イラクでも行ってイスラム国のメンバーに反戦を説いてきたらどうだ!。






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何でこんなトコまで中国人がいるんだ!!

日本に来てから2週間が経過したが、想像以上に中国人観光客が押し寄せていることに驚いてしまった。筆者が最初に到着したのは和歌山市なのだが、夜11時を過ぎて和歌山駅からホテルまでの閑散とした大通りですれ違った8組の人間のうち何と5組が中国人であったのを皮切りに、行く先行く先で中国人の群れとぶつかるのである。

和歌山城の天守閣を目指して歩いている時にすれ違ったのが全員中国人だったり、大阪千日前の大通りを歩いている人口の半分が中国人、さらに海鮮丼を食べようと和食の店に入ったら客が全員中国人であるだけでなく、ウエイトレスからキッチンまで従業員全員が中国人なのはまだ分かるが、全く想像外の所にも中国人で溢れているのだ。

例えば昨日行った奈良県天理市にある石上神宮というのは現天皇家の前の日本の大王であった物部氏を奉る神社であるが、タクシーの運転手曰く「今じゃ1日バスが5本しか行かないほど寂れちまったんだ」と言われるほど人々から忘れられた存在なのに、なんと参道でパチパチ写真を撮りながらキャッキャッと騒いでいたのは香港女のグループであった。

帰りのバスまでどエラク時間が余ったので香港人達に広東語で話しかけてみたところ、日本に来るのはこれで十数回目で、伏見稲荷や東大寺など有名どころは何回も行っちゃったから今回は大神神社や吉野の山奥にある丹生川上神社という超ツウ(と言うか相当なもの好き)しか知らない神社に行く事にしたと言うのである。





日本人もめったに行かない(と言うかまず知らない)ところに香港人のネーちゃんが・・と唖然としてしまったが、目下香港人にとって日本は最も行きたい旅行先1位を何年も爆走していて、そのトップを走る彼女らのクラスになると日本名所100選なんてのじゃ満足出来ないのだそうだ。

しかしこの香港人の日本史に詳しい事・・。それであんた歴史関連の出版社にでも勤めてるのか?と聞いたら、理学部卒で検査会社に勤める理系女なのだという。確かに中国や朝鮮の古文書を読んだ方が古代の日本の成り立ちは枠組みが見えやすいし、それにあっちじゃ桐のタブーが無いから日本の先史時代の事もガイドブックに気軽に書いてあるようだ。

さて彼女らの話を聞いていると、この中国人の群れにもちゃんと階層があるらしく、毎年のように日本を訪問している黒帯たちは道頓堀で大騒ぎしている中華人民共和国の民たちを思い切り卑下しているようで、同じ中国系でも香港人と台湾人は別のクラスなのよ!特にアタシ達はその中でも別格なの!と鼻を膨らませて自慢していた。

尖閣諸島の件では中華民族として大同団結するクセしやがって、ライフスタイルになると一気に分裂し始める。まったく中国人と言うのは自分に都合よく出来ている民族である。しかしニギハヤヒや大物主を訪ねに来るとは、あんたら日本史の本質を良く見ているよ。掃き溜めに鶴じゃないが、ダメな民族の中にも結構まともな人間もいるってことだね。この点は褒めてつかわそう。






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ヤマトの神々とフィリピンそうめん

日本最古の神社のひとつと言われ、ヤマト最初の古代王朝の証とされる大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りに行って来たのだが、参拝を終え神社の長い参道からJR三輪駅へと歩いていく途中で何軒もの素麺(そうめん)屋を見かけた。

「何でこんな寂れた町にやたらとミスア(フィリピンにある素麺そっくりの麵)があるのか?」と女房が不思議そうに聞くので、ああ、これは三輪素麺と言って遥か昔からここは素麺作りが有名なんだよ」と答えると、ここで女房が「おー!ミスワを作るミワか!なるほどね」とおかしな事を言う。

何を音感で遊んでいやがる・・と小馬鹿にしたが、しかし数秒してからハッとしてしまったのだ。三輪はミワだけでなくミツワとも読む。一方フィリピンで素麺のことはミスアと呼ぶから、もしかすると単なる偶然とは言えないかも知れないぞ・・。

それでてっきり呂宋助左衛門の時代に堺の商人たちが三輪の素麺をフィリピンでミツワという名前で売り込んだに違いない!と思ったのだが、天理市に向かう電車の中でフィリピンで素麺の意味で使われるミスアの語源を調べたところ、これが全くの大外れで有ることが判った。





福建省南部で素麺のことをミースアと称していて、どうやら何世紀か前にフィリピンに移住した華僑達が使う呼び名を一般のフィリピン人もそのまま使ったようなのだ。つまりミスアの語源は日本人とは全く関係ないことだったのだ。

それで電車の中で一人笑っていると、女房がどうしたの?と聞くから、筆者の勘違いの顛末を話したら、「だったら日本の三輪(ミワとミツワ)も福建語のミスアから来てるんじゃ無いの?」と言う。

お前ね・・。日本の三輪は場所を表す地名で素麺という食品名を表しているわけじゃ無いんだ!と答えたら、だったらこの場所が素麺(ミスワ)の生産を一手に賄っていたから、そのうち地名になっちゃんじゃないの!と畳み掛ける。たしかに播磨(針、つまり砂鉄が取れた)とか丹波(丹、つまり水銀が取れた)という古代の命名法から考えるとあながち間違っては無いかも・・。

まあいつもの筆者ならアホらしくなって会話も思考も打ち切るところだが、実は数日前に始皇帝の命で不老不死の薬を求めて日本に来た徐福(秦氏の祖と言われる)の話を読んでいた為に、急に興味を持ってしまったのだ。





よくご存知の通り三輪山付近に初期の王権が登場したのは3世紀で、一方徐福は紀元「前」3世紀の人であり、しかも浙江省から出港しているので時代も場所も全然違うのだが、中国の古文書には中国沿岸部各地から何十隻もの船で三千人もの若者を引き連れたとあるから海の民である福建人が一行に混ざっていた可能性は十分あるし、それに日本に分散して流れ着いたあと何百年にもわたり各地でミニ国家を作っていた可能性があるというのである。

例えば吉野ヶ里遺跡や丹後半島に熊野のコロニーなどが徐福の分派によって形成されたように、ヤマトの三輪王権も福建人をリーダーとする分派が作ったか、もしくは崇神天王か饒速日尊の指示で素麺製造者組合を形成していたのでは・・なんて閃いたのである。

もっとも素麺の歴史を紐解けば案外と歴史は浅く、5~6世紀の渡来人が一儲けを目論んで素麺を作った可能性の方が高そうなのだけれど、福建語のミスアと日本語のミワ・ミツワ(三輪)というのはたとえ時代が下ったとしても何か関係があるように思えてきた。

あのね・・たまたま名前が似ている事は良くあることだし、それに日本中の三輪や美和、三和で麺類を作っている訳じゃないだろうが・・という反論も分かるが、古代史など現天皇家と藤原家が過去の王朝の記録を隠滅したせいで何も判ら無くなってしまったのだし、それに本日ただいま古の都にいる身としてはそう考える方が楽しいではないか!。






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日本の捻じれたニュース番組

テレビを見ていたらシベリア抑留の特集をやっていた。主人公は淡路島に住む91歳の老人で、14歳の時に満蒙開拓団の一員として満州国に渡り、終戦時にソ連軍に抑留されてシベリアの収容所に収監され、文字通り生き地獄を味わってきたという話であった。

筆者の母方の一家は終戦時に満州のハルピンに居住していて、しかし祖父が配属されたのは秘匿性が高い部隊であったため特別列車に乗ってソ連軍の到来をかわしながら日本へ逃げ帰ることが出来たのだが、叔母や母親の通っていたハルピン花園国民学校の同級生たちは消息不明になった人も多いと聞いていたので、シベリア抑留と言うのは筆者の中では他人よりも少しばかり敏感になってしまう話題なのだ。

しかしこの老人の説明を聞いている内に筆者はだんだんと違和感を覚えてしまった。と言うのはこの老人は「戦争は絶対にしちゃいけません」「平和は何より大切です」とやけに何度も何度も力説するのだが、シベリアでの2年間(ここでやけに抑留期間が短い事が気になった)に渡る過酷な体験をしたにしては、この2つの結論は筆者の価値観ではピント外れだからである。

言うまでも無いが、日本が戦争を仕掛けたのはABCD諸国、つまりアメリカとイギリスと中華民国とオランダであって(フランスは同盟国ドイツの支配下にあったので除外する)、ソ連とは戦争するどころか中立の関係を維持しようとしていたのに、ドイツ降伏後3か月にしてソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して攻め込んできたのである。

もちろん当時の国際関係から見れば、日本はソ連に攻め込んだ天敵ドイツの同盟国であり、また英米がソ連と組んだ段階で日ソ関係を中立で維持できると読んでいた日本はあまりにナイーブすぎるのだが、あくまでも事実関係から言えば対ソ連に関する限り「戦争はしちゃいけません」という表現は全く当てはまらず、むしろ日本はほとんど無防備のまま攻め込まれた被害者であるはず。ところがこのニュース番組ではこういう肝心なところをすっ飛ばしているのだ。





それから平和が大事というのは筆者だってそう思うが、現に他国の領土を勝手に占領されながらも平和!平和!と叫んでいる国ほど敵にとって組みしやすい相手はいないわけで、この老人が言っているのは2年もの間マイナス40度での重労働という想像を絶する境遇にいたにしては、随分とねじくれた結論に思えてしまうのだ。

軍人に政権を握らせたからこんな事になったんだ!昭和天皇は自分だけおめおめと生き延びやがった卑怯者だ!俺たちを棄民しやがった役人どもは縛り首にしてやる!と怒るのなら筆者も納得できるが、こと戦争意志と平和についてはやはり本来ならば「負ける戦争をしてはいけません」「平和は大切だから敵に攻め込まれないための相互確証破壊のための抑止力は必要です」と言うのが本来の筋であろう。

おそらくこの老人もそう言いたかったのにテレビ局が無理やりと左巻きに編集したのか、もしくは筆者の友人イチイくんの祖父のように収容所で思想班に洗脳されてソ連の手先になった赤唐辛子なのかもしれないが、いずれにせよ歴史的事実を歪曲してソ連による大量虐殺を(しかも死者数を5万人とエラく低く見積もっていた)さも日本の自業自得の様に編集するというのは偏向報道も甚だしい。

今国会を賑わせている安全保障関連法案に反対するため、テレビ局がこういった特集を組んだに違いないが、若い世代の知識の空白に付け込むように歪曲したプロパガンダをさも事実であるかのように刷り込むのはいい加減にしろ!と思わずテレビ画面に向かって叫んでしまった。

ちなみに筆者は日本のテレビを12年くらい見たことが無かったのだが、筆者の若いころは左巻きの傾向は今より強かったとはいえ戦争に行った人間がまだ生きてたから、歴史的事実を歪曲して報道することは今ほどなかったように思える(もしかしたら全然違うかも)。なので若い人たちに言いたいのは、自分の思想を固める前に思想家や歴史家の原著を読むとか、全ての事象についてはまずは左右両軸の意見に耳を傾けるようにして貰いたい。






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大阪人民共和国

昨日筆者は外国人と伍してけるのは大阪人だ!大阪はもっと元気になってほしい!という日記を書いたが、どうも筆者は大阪人の過剰に評価していたようである。今日の日記では筆者が感じた深い失望感について書くことにする。

ヨードチンキのようなコクのあるアイリッシュウィスキーを飲みたくなったので難波にあるBという名のカクテルバーに立ち寄ることにした。同じ難波の吉田バーは筆者の中では四半世紀前に封印してあるので、酒揃えが豊富な事で知られるBに来たのである。

カウンターに陣取った筆者はお目当てのラフロイグにありつくことが出来たが、マスターらしき人物が「どちらから?」と聞くのでフィリピンのマニラだと答えたところ、ほうそうでっか!、最近は外国から来たお客で大阪の店は大助かりなんですわ!と朗らかに答える。

すし屋やたこ焼き屋が儲かるなら分かるが、玄人好みのバーも外国人頼みなんですか?と標準語で言ったら(筆者は東京人なので仕方が無い)、このマスターはちょっと顔をしかめて「ええ!そうですけど!うちだけでなくコチラの方たちも大助かりでっせ!」と言って3席ほど離れた2人組の方を指差した。

どうもこの2人は飲食店のオーナーらしいのだが、夜の10時にバーに飲みに来られるという事は客が全然いないか、もしくは自分が頑張らなくても十分金が稼げる体制になっているという事だろう。そして2人のうち(この初夏にも関わらず何故か)タートルネック姿の親父が「橋下ももっと中国人や韓国人が来れるような政策を打ち出せば当選したんや!」と言い切る。





筆者は外国人と結婚しているので当然排外主義者では無いし、国籍に関わらず外国人が日本に観光に来て外貨を落としてくれることは国益に叶うので「そういう意見も重要だな」と思って聞いていたのだが、このタートルネックの親父はもう一歩どころか百歩も踏み込んだ意見、つまり百万人とか二百万人単位で中国の富裕層を大阪に在住させるべきだ!というのだ。

まあ筆者も香港とフィリピンの永住権を頂いている身だからアンフェアな事を言う気はないが、永住権(帰化とは違う)というのは本来なら日本に来てから10年連続して納税するとか、研究者や文化人、雇用を生み出す優れた起業家など一定の条件を設けるべきなはず・・。しかしこのタートルネックの意見はむしろ逆で、1億円投資したら即座に一族郎党に無条件で永住権を与えればいいんや!という驚くべきものだったのだ。

アンタいくらなんでもそれは・・と筆者は反論したが、なんとマスターが会話に割り込んできて(あくまでヤンワリだか)「大阪の人口の半分くらい中国人になればええですわ!」と言い出したのである。お前は何を言っとるんだ!と言う筆者に対して、今度はタートルネックの親父が「そうなりゃワシ等は笑いが止まらんで!」と大笑いする。

そして今まで沈黙していたタートルネックの相方であるウィンドブレーカー姿の男の口から「大阪に必要なんは東京や無くて北京やで!」と唖然とするような一言が・・。そうか・・コイツら大阪人は400年も反江戸・東京だけを叫んで満足してきたため民族とか国家観を喪失したアナーキストに成ってしまったのだ。

ワシ等にとっちゃお上は東京でも北京でもどっちでもええんや・・。それに金にならない日本人にはさっさと見切りをつける時がきたでぇ・・。大阪は中国の海外植民地になるべきなんや。そういう大阪人の本音を垣間見た覚えがした。大阪と言うのは元々そういう土地、つまり同じ民族と思ってはいけない存在だったのだろう。それで目下筆者はどの地点に水爆を投下すれば大阪と大阪人が綺麗さっぱりこの世から消えていなくなるのか地図を眺めている。






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大阪人の見えない競争力

海外に出て長らく商売をされていた方なら良く御存じだろうが、一旦海外に出ると東京よりも大阪の会社の方が現地に巧く溶け込んで強固な立ち位置を確保している。もちろん経済規模から言えば東京と大阪は5対1もしくは10対1くらいの差があるが、香港に長らくいた筆者の目から見ると3対1か2対1、業種によってはタメに持ち込んでいるものもある。

会社名を言えば住友に伊藤忠と丸紅、三和銀行とパナソニックに今は絶滅寸前のシャープなど大手は色々あるが、筆者の目のひいたのは東大阪の工具メーカーや堺市の金属加工メーカーなど零細企業があの手この手で中国の当局や香港の意地汚い競争相手と伍している事で、さすが商人の町大阪だなあ・・と生ぬるい大企業にいた筆者は驚きの目で見ていたのである。

筆者は関西人と商売をする前に中国人やユダヤ人、インド人とガッツリ事を構える事になてしまったので正直言うと大阪商人の底力と言うのは経験したことはないのだが、取引があった電池メーカーが大阪資本で、そこの営業マンがこれまた大阪人だったから、香港の裏町にある狭苦しい四川料理屋で彼から大阪人の商いというのについて良く話を聞かされたものである。

ただしここでは大阪人は買い値を割らない限りは売り続けるとか、顧客の自尊心をくすぐる秘訣、それに江戸への反骨精神などを皆さんとっくによく御存じのこと書くつもりは無い。筆者が彼ら大阪人から聞いた話の中で、どうやら「これだ!」と思ったのは、関西独自の歴史的風土、つまり棲み分けの巧みさということであった。

要するに関西には在日と部落、それからもっと昔でいうと江戸から来た侍や京都のお公家に寺の坊さんなど有りとあらゆるカーストが所狭しと身を寄せ合って生きてきたのだが、当然各カーストはお互い腹を割りきって付き合えるわけがないから、関西人の心理の奥底には本音と建て前の二面性、あるいは名誉や金がからむ三面性が必然的に培われると言うのだ。





これが商売とどう関係があるのか?というと、一番簡単な例で言うと企業の中間管理職というのは大手中小に関わらず案外合理的には出来ていなくて、新しい商談や顧客が来た際には当人の好き嫌い、もしくは本社の方針に合う合わないという単面的な判断基準で進める、もしくは断るを決めてしまうのだが、関西人の場合はそれとは別の見えざる販路を広げられる、もしくは二次的な効果が期待出来る、もしくは出来ないという別の物差し、間口の広さを持っているという事である。

これは上海や広東省の商人も同じで、しつこくて値段にうるさい客とは案外と長続きするものだ・・という彼らの経験則が示す通り、東京や北京の底が浅い人間よりももう一段(もしくは二段)奥行きが深いのである。じゃあ東京人も同じことをすればいいじゃないか?と思うかもしれないが、ガキの頃から棲み分けの文化に浸ってでもいない限り、付け刃で真似できるものでは絶対に無い。

という訳で筆者は30代になるかならないかのうちに純粋な東京人、しかも公立学校の教師の息子という商人としては致命的な我が身の境遇を呪ったのだが、まあ石の上にも何年と言う言葉通り、必死に香港人と伍していくことで何とか会社で生き残っていくことが出来たのだ。しかしたった一人の人間になった今、やはり棲み分けの違いと言うのは最後まで引きずるものだな・・と思っている。

さて昨年25年ぶりに大阪に来てみて驚いたのは、なんとも大阪人の元気が無い事である。22歳の筆者が店頭支援で派遣された上新電機一番館でヒーコラ言いながら、大阪のガメツイ客にテレビを売りつけた日本橋の電気街はすっかり廃れてしまい、東京資本のヨドバシカメラやビックカメラにやらっれっぱなしになっているではないか・・。

変わって目に付くのはどの通りにも溢れる中国人の数々・・。さらに難波の目抜き通りの商店が中国資本に塗り替えられていると言う悲しいニュース。いやはや大阪人はいったいどうしてしまったのか・・。おい!大阪人!。中国人の向こう張って闘っていけるのはお前らしかいないんだから、もっとシッカリ胸張って頑張らなあかんで!






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大阪・阿倍野の黒帯酒場

天王寺のキューズモールで買い物を済ませた後、ちょっと一杯ひっかけたくなったのであべのウォークにある居酒屋に寄ることにした。これは大阪版の「吉田類の酒場放浪記」ともいうべきテレビ番組で紹介された明治屋という店で、はるか昔からあべの横町で営業していたが、阿倍野の再開発により一旦は姿を消し、キューズモールの完成で再び姿を現した老舗なのだという。

それなら刺身を冷酒でクイッと・・と思って暖簾を開けたのだが、店の中を除いた瞬間に「これはまいったな・・」と固まってしまった。見た目は舌の肥えたオヤジたちが通う銀座一丁目の三州屋のような大衆的な風情な店なのだが、フランスの三ツ星レストランや銀座の超名店で感じたある種のカチッとした緊張感をここで感じてしまったからだ。

この店は何か勝手が違うぞ・・と思い、恐る恐るメニューを見たが、カツオのたたき700円、きずし(〆サバ)550円、だし巻き卵200円と新宿のションベン横丁よりも遙かに安い。それに日本酒も一合420円から高くても600円とお手頃で、場所がら腹巻にどてら姿の西成労務者が屯っていてもおかしくないのだが、なぜだか店全体を奇妙な気品が支配しているのだ。

「いらっしゃいませ。何にしますか」と登場したのは大変無愛想な女主人で、この店の硬さの半分は女将よりも歯科医が似合いそうなこの女によって作られているのだな・・と思ったので、コイツの嫌な顔を見てやろうとメニューの中で一番よく飲んだことがあるミーハー酒の典型、八海山のしかも一番安い本醸造480円を冷やで頼むことにした。





それが待つこと1分で頼んだカツオのたたきときずしが出て来た。なんだよ・・作り置きか・・と思って口に含んだところ、美味い事は美味いが絶品どころか中の上くらいの味である。しかし「まあ700円だからな・・」と心の中で舌打ちしながら八海山の冷酒を一口呑んだ時に思わず筆者は固まってしまった・

絶品・・・・・・・。

これは筆者が過去20年間にさんざん飲んできた八海山では無かった。いやもっと正確に言うと、筆者が今まで飲んだ如何なる日本酒とも全く別次元の人生で初めての一番美味い酒であった。うそだろ・・八海山の一番下のグレードの本醸造でこれか・・?

ちなみに筆者は海外が長いとはいえ、出張で日本に行けば銀座や新宿の日本酒が美味い店に毎晩のように通っていたし、日本酒好きな友人が勧める中央線界隈でナンバーワンの西荻窪の知られざる名店で日本各地の地酒を堪能してきたが、この大阪阿倍野の一杯480円の酒ほど美味いものを飲んだことは無い。





それで今度は三重県の地酒(名前は忘れてしまった)とともに、大阪名物のどて焼きと蛸の子というのを頼んだのだが、案の定ツマミは大したことはなかったのだけれど、この500円の酒と言うのが体がとろけるんじゃないかと思うほど美味くて、思わずアッハ~ンと唸ってしまったのだ。

一体これは何の冗談なのか?正々堂々と八海山とか名乗っているのだから、まさか別の純米大吟醸を代わりに卸しているわけはないし、相手も商売だから元値を割るような商売をする訳が無い。では一升瓶に詰めないで樽ごと買っているのか?と女主人に聞いたが、冬のバイカル湖のような冷笑を返されるだけで終わってしまった。

しかしこの明治屋が大阪の酒飲みたちの間で長らく愛されている理由がやっと分かった。魚や肉が味付けが美味い居酒屋と言うのは星の数ほどあるが、酒が飛びぬけて美味い店と言うのは聞いたことが無いし、それに料理の方は酒を飲むためのアテでしかないのだから、早くて安くてそこそこ美味ければ良いのである・

そう考えると・・、確かに店にいるのは酒が好きそうな(と言うより半世紀くらい酒浸りを続けてきたような)超玄人ばかりである。しかもグループで来るのは稀でみんな一人呑みで店に来ては黙々と杯を重ねていく。こりゃ相当の酒飲みが来る場所で俺なんぞほんの小僧だわい・・と怖気づいた筆者は三杯目の樽酒を干したあとは早々に退散することにした。






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日本の中華料理と肉まんと自己矛盾

懐石から天下一品のラーメンまで日本のグルメを堪能している女房だが、今まで食べた料理の中で唯一ハズレだったのが中華料理である。そんなの和歌山の場末の店で八宝菜でも食ったんだろう!と思うだろうが、何事も念入りに調べる筆者はそんないい加減な店選びはしないのである。

筆者らが行ったのは中国からのニューカマーが集まる島之内(心斎橋の東側)にあるIという店で、ここはキッチンからウエイター、床掃除に至るまで全員とも中国人が働いている店なのだ。もちろん客も大部分が中国人で、しかも日本化が進んでいないニューカマー(別名不法滞在者)だから、ここは絶対本場の味があるに違いない!と思ったのだ。

しかし最初に頼んだ前菜を一口食べただけで筆者ら夫婦の期待はスカッと裏切られてしまった。出てくる料理はみな中国料理独特の素材と調味料を高温で炒めた強烈さが鳴りを潜めてしまっていて、大変上品だけどせせこましい味、つまり日本人に合わせた横浜中華街の味付けになっていたのだ。

筆者の職場で香港や広州など広東省に長らくいた人たちの間では日本に帰ったら絶対に中華を食べないことが暗黙の了解の如く守られていた。そんなの神戸や横浜に行けば美味い中華があるじゃないか!と思うかもしれないが、朝から晩まで本場の中華を食ってきた人間にとっては如何なる名店であろうと別種の料理なのである。





筆者も一回目の赴任を終えて日本にいた時には新宿の新大久保で美味い店を見つけたが、店の評判が広がって日本人客が大量に現れるようになると当然味の方も日本人の味覚の方に振れてしまい、半年後に再度食べた時には味覚と脂分が盆栽の様に細かく刈り取られたみみっちい料理店になってしまっていた。

「日本のイタリア料理や料理はこんなに美味しいのに、なんで中華だけはダメなのよ!」と女房は言うが、それは中華料理の美味さの秘訣である尖がった部分がことごとく日本人が嫌うモノなんだ・・と説明してもいまいち理解されない。それで内に向かって作り込む料理なら美味いが、思い切り外に向かって開放する料理はダメなんだ・・と超感覚的なことを言ったら1/10くらい通じたような気がした。

それで今回の滞在中は中華を食うのは諦めて、今日も昼間から海鮮丼やウニいくら丼など刺身系の料理を食っていたのだが、生モノに飽きた筆者が551蓬莱軒の豚まん(関東で言うと崎陽軒の肉まんと思えばよい)を立ち食いしていたら、女房が横から覗き見て「それはナニ?」という。それでどうせ不味いというに違いないと思って一口だけ食わせたら女房は目ん玉を丸めて「美味しい!」と叫んだ。

全く日本は何もかも美味しいわね!この日本料理の肉まん(中華オリジナルと認識してない)も香港のモノとは大違いだわ!と言って筆者の手から肉まんを引っ手繰る女房。いや・・これは中華料理なんだけど・・と言いたかったが、どうも半世紀くらいかけて完全に日本化した中華料理は案外といけて、日中両国のお客を跨いだ立ち位置が曖昧な店はダメってことなのだろうか・・。何だか矛盾する事になってきたが、案外と駅前の中華屋で作ってる昔ながらの天津丼とか美味く感じたりして・・。






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関西弁を関東に定着させた開拓者

今から30年ほど前の新宿の狭苦しいパブでの出来事である。大学の同級生である森下という男に「お前は堂々と関西弁を話すべきだ」と酔いに任せて半ば強引に説得していると、この神戸出身の男は「東京で関西弁がこれほど市民権を得ているとは驚いたよ」と嬉しそうに呟き始めた。

この森下君には年の離れた兄がいて、大阪大学を卒業して東京の会社に就職したのだが、入社して最初の会議で「関西弁を喋るのは止めろ!」と上司に諭されてしまい、以来かなり無理して標準語を習得したらしく、哀れ森下君は「いいか!ほんの一言のイントネーションの違いが命取りになるぞ!」と兄からさんざん脅かされていたのというのである。

ところが森下君は運が良いことに、彼が大学に入学する数年前から明石屋さんまや島田紳助が関西弁を駆使してゴールデン番組を席巻し始めていたし、俺たちひょうきん族という人気番組では西川のりおや大平シロー、アホの坂田ら相当大阪臭が強い芸人を散々見させられた東京人は免疫が出来ていたから、森下君が関西弁で何を喚こうが「ああ、あの人は関西の人なんだな・・」程度しか思わなくなっていたのである。

しかし森下君の兄が言っていた事もある面では本当で、その数年前、つまり筆者が小学生の頃に関西から来た転校生は全校生徒から相当バカにされ続けたし、筆者の叔母などはデパートの食堂で関西人の一行と隣り合わせると「いやねえ、あの野蛮人達は・・」とあからさまな差別感をむき出しにしていた。





しかし1980年の漫才ブームを境に関西弁は東京都民にも受け入れられるようになり、それから35年たった現在ではテレビを捻れば関西芸人のオンパレードになってしまったが、この1970年から80年代のほんの数年の違いながら、関西人の立ち位置を飛躍的に広げた人物は誰なのか?という点に関して森下君を囲む席で意外な人物の名が出て来たのだ。

この時森下君は「まったくさんまや紳助のおかげだよ」と言ったのだが、その場に同席していた東京出身の同級生2人がほぼ同時に「それは違う!」と言い切ったのだ。それでこの二人はお互いに目を見回せて「じゃあ君から答えをどうぞ!」と譲り合ったのだが、その時に同じく東京出身の3人目の級友、つまり筆者が「あのねのねだろ!」と口出しをしたら、二人とも「そうだ!」と答えたのだ。

「あのねのね」のとは京都産業大学出身の清水クニアキと原田伸郎のフォークコンビ兼お笑いユニットの事なのだが、この名前を知らない人も多いだろうし、仮に知っていたとしても「なんでそんなマイナーな芸人なんか・・」とお思いだと思う。仮に筆者が10歳年上なら、そして東京圏出身でなければ間違いなく皆さん同様に否定的な意見を言ったに違いない。しかしもしも筆者と数年くらいしか年齢の変わらない東京人で、子供の頃に歌番組を良く見ていた方なら、今この段階で筆者が言っている意味を直ぐにご理解いただけたと思う。

あのねのねは当時テレビ東京で放映されていた「ヤンヤン歌うスタジオ」というバラエティ番組のメインキャラクターで、そこにはピンクレディーや松田聖子、田原俊彦ら当時人気絶頂だったアイドルたちが(ちょっと今では考えられないくらい)毎回大量出演していたので、筆者らミーハーなガキどもは毎週欠かさずこの番組をみていたのだが、筆者には歌手たちよりもあのねのねが関西弁で繰り広げるショートコントがこれが大変に面白かったのだ。





時系列的に言うとさんまや紳助が東京のテレビ番組の漫才コーナーと言う狭い枠からバラエティータレントとして活躍し始めたのは1981年だが、ヤンヤン歌うスタジオはその4年前から始まっている。もちろんそれ以前に漫画トリオや桂三枝に桂文珍、月亭八方に山城新伍、それに横山やすしが出ていただじゃないか!という意見もあるだろうが、この人たちは筆者らガキにとっては相当おじさん臭かったし、何より関西特有のくどさが前面に出ていてとてもじゃないが湯引きしないと食べられなかったのだ。

しかしあのねのねの二人は若かったし、若手アイドルたちのお兄さんといった雰囲気がにじみ出ていて親しみ易く、なによりも関西特有のえげつなさがが殆どしないから、筆者は彼らが関西弁で繰り広げるコントを何の拒絶反応も無く見続けたのだ。そして数年後にあのねのねよりも脂臭い関西芸人が東京に押しかけても、あのねのねで培われた耐性のおかげで割と彼らをすんなりと受け入れることが出来たのである。

しかし残念ながらあのねのねはヤンヤン歌うスタジオ以外の番組を持てるほど人気が伸びず、そしてひょうきん族出演の芸人たちに道を譲るかのように表舞台から消えてしまったが、1970年代後半の数年間にまだ子供だった東京人に関西弁の地ならしをし、ダウンタウンら90年代の関西芸人の大躍進の下地となる20代の観客層を作ったことは確かなのだ。

しかしネットでいくらあのねのねの事を調べても彼らのことは殆ど書かれておらず、それに見つけたとしても単なる一発屋的な記述しか見当たらない。歴史は不公平に出来ているとは言うが、あれだけ間口を広げたあのねのねが全く評価されないと言うのは余りにも酷い話である。なので筆者も微力ながら彼らの勇姿を讃える意味でこの駄文を捧げたい。






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竜宮城へと通い詰める女

日本に来て1週間が経過したが、筆者が風邪をこじらせて憂鬱な一日を過ごしているのとは対照的に女房は実に生き生きとしている。

食い物の方は女房の好みに合わせて懐石料理や海鮮丼、炭火焼肉や鰻からココイチまで一通り食べ回ったが、食い物以上に女房がエキサイトしているのがスーパーマーケットである。

日本在住の方はお気づきで無いだろうが、イトーヨーカドーやイオンなどの食品売り場と言うのは世界的に見るとこりゃ相当レベルが高く、香港一番のそごうの食品売り場に通っていたとは言え、女房の目に日本のスーパーは竜宮城に映るのである。

特に梅田の阪急デパートの地下食品売り場はその筆頭で、昨年秋に来た時には入ったまま出てこなくなってしまったのだが、今回は多少経済観念が芽生えたのか、天王寺のキューズモールや大阪ドーム横のイオンモールへ出かけるようになった。

そして目下女房の中でお惣菜は阪急か近鉄デパート、肉や野菜はイオン、乾麺や醤油、調味料など全く差別化出来ない品物は大阪の激安スーパー玉出で買い求めるなど、やけに早く現地化が進行しつつある。

「ああ、バターを買わなくっちゃ」と滞在先ウィークリーマンションから徒歩2分の距離にあるスーパー玉出に向かう女房。しかもこの店は24時間営業・・。そして毎回食い切れないほど食品を持ち帰って来るんだけど、すでに今朝から冷蔵庫が一杯な事に早く気づけよな・・。




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そして死刑は執行される

ボウイ叔父が亡くなってから5日目の今日、亡骸は故郷パンパンガ州サンタアナへと運ばれ、一族郎党が集まった葬儀が行われることになった。

筆者ら夫婦は随分前に日本旅行を予約してしまったため、亡くなった当日にマニラでの通夜に参加するだけになってしまったが、そりゃ仕方ないよ・・、あんたら夫婦はボウイ叔父の入院の際に随分と資金援助してくれたから充分だ!と親戚全員は不義理を容認してくれた。

彼らが筆者に対して寛容なのは普段から懇意にしていることもあるが、実は一族のもう一人の外国人婿であるイギリス人ボブが余りにも酷すぎる事の反動でもあるのだ。

ボブはボウイ叔父の長女ティナイの夫なのだが、なんと義父の葬儀に参加しないだけでなく、妻ティナイが葬儀参列のための費用(居住先のスペインからフィリピンまで)を払うことも拒絶したのである。



「もう死んだんだから君がお父さんにしてやれる事は無いだろ」というのがボブの説明。普段から1ユーロの金の出入りまで管理されていて貯金が全く無いティナイにはスカイプで兄妹達に怒りをブチまけるくらいしか出来ない。

このボブの異常さというの今回が初めてではなく、4年前に妹のアダが脳幹出血で死の床にあった際も、わずか数十ユーロの航空運賃の違いに固執した為にティナイは妹アダの死に目にあえず、また今年初めの父親ボウイの発病と入院の際もニュージーランドでのバカンス(自分が楽しむための金は惜しまない)途中に渋々マニラに寄ったという具合なのだ。

企業コンサルタントでスペインのマラガに自宅を持ち、何隻かのヨットをレンタルしているそれなりの金持ちにも関わらず、妻が父親の葬儀に行くための数十万円の金を出したく無い・・。これはケチとか守銭奴というのを超えた人間軽視、いや何かが大きく欠落しているとしか言いようが無い。

確かにフィリピン人は金をたかる癖があって、親切にすればするほど付け上がると言うのも事実だが、かと言ってボブの様にフィリピン人を虫ケラの様に扱うのは余りにも異常である。筆者が知らないもっと凄いエピソードも幾つかあるらしく、これは妻と言うよりも家政婦やペット、いや昆虫としか見てないことの表れであろう。



ちなみに筆者は女房の親戚からは金をたかられた事は無いし、せいぜい宴会の際にウィスキーを数本提供するくらいしか期待されてない。はっきり言えばこの親戚達は自立した善良な人々である。しかし彼らもボブに対してはついに堪忍袋の尾が切れた様で、ちょっとおかしな事態になりつつ有るのだ。

ティナイの妹や従兄弟がボウイ叔父の葬儀後に外国人との離婚や遺産相続に強いとされる弁護士にアポを入れたのである。もちろんフィリピンの弁護士だからスペインもしくはイギリスでの訴訟はもう一枚人を噛ませなければならないが、訴訟をすると言うよりも対策を考えるのが目的な様だと言うのだ。

「対策って何を?」と聞いたら、義妹はじっと筆者を見て「財産分与に決まってるじゃ無い」と答える。そりゃ無理だ!あのケチなボブは1ユーロだって渡す気は無いよ!それに資産はイギリスやドバイなどあちこちに分散させてるだろ!と言ったら、またまた筆者の目をじっと見て「そりゃ正攻法じゃ無理よね・・」と意味深な事を呟く。

つまりボブに予想外の死が起これば、何処かに隠した資産は無理でもスペインにある資産だけはティナイが相続出来るってことらしい。となるといつかフィリピンにバカンスに来たときボブはお陀仏ってわけか・・。俺は別に反対はしないが、だったら手を下した後で全てがオジャンにならないようボブの遺言状の有無だけは何が何でも確認しておけよ。




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稀代のテロリストと影の男

和歌山市駅前のバス停でいつ来るかも知れぬバスを待っている時に、ボックスに貼られた紙を一枚一枚眺めていると、そこで物凄く懐かしい顔に出会った。

桐島聡、連続企業爆破犯人と書かれているが、一般には三菱重工ビル爆破事件を引き起こした東アジア反日武装戦線のメンバーと言った方が馴染みがあるだろう。その人物ともう一人もっと古い警官殺し犯の指名手配写真が壁に貼ってあったのだ。

筆者が子供の時分にはこの桐島聡と赤軍派の爆弾エキスパートといわれた梅内恒夫の指名手配写真があちこちに貼られていて、ポスターに映る二人がなんとも不気味な風体していたため幼心にも恐々と見ていた記憶がある。

しかしそう思った時にアレッ?と思った。三菱重工ってもう40年も前の事件だからとっくに時効になってるんじゃないの・・?。それに同じ反日武装戦線の一員だった宇賀神寿一は確か25年だか30年の長期刑を終えてとっくに出所していたはず・・。





それで調べてみたら、桐島の共犯である大道寺あや子が1977年のダッカ事件の際に超法規措置で出国してしまったため、幾つかの犯罪については時効措置が停止されたままになっているというのだ。なるほど大道寺あや子か・・。法律上はそう言うことになるのかも知れないが、そりゃ警察も執念を沸かすわな・・。

以前読んだ雑誌に引退した警察幹部のインタビューが載っていたのだが、戦後警察が最も手を焼いた過激派は赤軍派でも山村工作隊でもオウムでも全学連でもなく意外にも東アジア反日武装戦線なのだという。

何故ならこのグループは政治集会や公然部門を持たないなど一切の無駄が無く、さらに普段はごく普通の社会人として社会に溶け込んで生活していたため警察は尻尾さえも掴むことが出来なかったのだそうだ。つまり自己顕示欲の塊である諸派と違って本当のプロ、完成されたテロリスト集団だということである。

なかでもリーダーの大道寺将司死刑囚の奥さんであるあや子は大変優秀な薬剤師として勤務先の製薬会社から重宝され、また近所の住民たちからは日本女性としての美徳を全て兼ね備えた若奥さんと噂されていたのだそうだが、実は彼女こそこのグループの実質的なリーダーだったらしい。





しかし警察の地道な地取り捜査とちょっとしたミスからメンバーは一網打尽にされてしまうのだが、前述の通り大道寺あや子だけは日本赤軍によって身柄を奪還されてしまったため警察は地団駄を踏んだのだという。あまり公表されていないが、それ以来大道寺あや子は日本赤軍メンバーの中では重信房子より重要な標的だったのだそうだ。

なお日本赤軍合流後の大道寺あや子の消息については、アラブ人テロリストが書いた本に「あの女ほど冷静に人を殺せる奴はいない」「全く臆することなく目的を達成するプロ」と評されるほど大変優秀なテロリストになったらしい。何より日本赤軍のメンバーが続々と逮捕される中で女性の中で唯一大道寺あや子だけはどこの政府にも一度も拘束されて無いと言うのが彼女の狡猾さを物語っている。

と言うわけで桐島聡はこの知られざる希代のテロリストのとばっちりを食う形で生涯警察に追われる身になってしまった気の毒な男のようである。

スラリとした美人で聡明な大道寺あや子に比べるとこの桐島くんは短躯だしベルボトムのジーンズが似合いそうな非モテ男だが、まあ美女のとばっちりを食って一生台無しになるのは大抵こういう男である。しかしせっかくここまで逃げ延びたのだから是非とも天寿を全うして貰いたい。生きてりゃそのウチいいことあるよ。


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謎のコラーゲン

和歌山のガランとした街を歩いていると女房が薬局に行きたいと言い出した。なんでも従姉妹のジュミから資生堂が出しているある商品の値段を調べてくれないか?と頼まれたというのだ。

このジュミは元ヘアスタイリストだけあって美容関連に目がなく、いろんな化粧品や健康食品を集めてはニンマリとしている女だが、今現在は資生堂のザ・コラーゲンなる品物にはまっているらしい。

コラーゲンねえ・・。30年くらい前に名前を聞いたことが有るが、そっち方面は知識も興味のゼロの筆者。それでコクミンドラックなる和歌山じゃ強い薬局に入り店員に聞くと「ああコレですよ」と言って手渡してくれた。

高美活パウダーという分かったようで分からない能書きを銘打ったその商品は税込で2036円だった。それでペソだといくらなんだ?と女房が聞くから0.36を掛けて732ペソだと答えると「安い!」と叫ぶ。

なんでもジュミらパッシグ地区の高感度奥様グループ(あくまで自称。実態は埼玉県川越市あたりの派手めな主婦)の間では1200ペソで売られているというのだ。そりゃお前マージンや輸送費だって入るだろうが・・と答えたが、女房がすぐにジュミに電話したら「100個くらい確保して欲しい」と受話器の向こうから言ったらしい。

ケータイで検索したら楽天の最安値は486ペソ換算で売られてるのを見つけたので、女房に買うならこっちだよ・・と言うと、じゃあ200個くらい仕入れようかしら?と嬉しそうに答える。

筆者はよく知らないが、前回の旅では大学生の姪からはダイエット酵素、従姉妹のフィリンからはを乳白液だかなにかを大量に頼まれが、これらは全部彼女らに知り合いに売るらしく、フィリピンじゃどの職場や学校、地域にも歩くアムウエイみたいな人間が一人や二人は必ずいるようだ。

試しにコラーゲンなる品物を一つ買って見たのだが、パッケージに書かれている説明を読んでみても、特許がどうだとか、ヒアルロン酸と低分子なんとかとかあるだけで、「高美活」という曖昧な単語以外は一体なんの効果があるのかさっぱり読み取れない。

そこでコラーゲンの効果についてネットで調べたところ「美肌や関節の痛みに効くと言われていたが、何ら科学的な根拠は見当たらない」という一文が・・。だから資生堂は能書きを誤魔化してやがったんだな・・。

しかしそんな事も知らずにフェイスブックを通じて笑い声をあげながら一緒に取らぬ狸の皮算用をする女房とジュミ。いいのかねえ・・こんないい加減な商品に大枚を叩いて・・。まあ天下の資生堂の品物だから誰も疑わずに買ってくれるか・・。



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温泉パワーにビックリ

日本に来て2日しか経っていないが筆者は自分に体調の回復ぶりに驚いている。先日の日記に書いたとおり、ここ一ヶ月ほどの筆者は咳が止まらないだけでなく寝ている最中に窒息死するんじゃ無いか・・と思うほど肺の調子が悪かったのだが、たった2日で半分くらい治ってしまった。

まず日本は気候が温暖であり空気が異常に綺麗であるから1週間くらいすれば良くなるだろうとは思っていたが、どうも急回復の原因は気候や空気よりも温泉なのでは無いかと思えてきた。

と言うのは筆者が只今いるのは和歌山の温泉宿で、入浴は無料なので一日3回くらい温泉に浸っているうちに肺の中に溜まってた痰が一気に吹き出て呼吸が物凄く楽になっただけでなく、身体中から悪い水分が抜けたのか身体が詰まった感じが全然しなくなったのだ。

筆者は今まで温泉なんてものはバカにしてて、父親や叔母達が嬉しそうに伊豆の温泉宿に行くのを冷たい目で見ていたが、どうやら50歳を手前にして自分自身が猫にマタタビ年寄りに温泉という諺通りになった様である。

それにしても・・温泉宿に溢れる中国人の団体客の多いこと、しかもなんだか嬉しそうに湯船に浸かってるのである。まあこっちも暇なので中国語で話しかけたら江蘇省の商店主で、筆者も広東省の温泉には何度か行ったことが有るよ・・と言ったら、このジジイは日本の温泉に比べると中国の温泉は何処もダメだ!日本の方が効用が段違いに良いのだよ!それに比較出来ない位清潔じゃないか!と言い張る。

それから図に乗ったらしく、いやいや日本の温泉は素晴らしい!それに食い物も最高だ!それにここは風光明媚で気候も温暖だし和歌山県ごと中国企業が買い上げたいくらいだよ!だって和歌山は斜陽なんだろ・・と抜かしやがった。

筆者は温泉どころか和歌山県なんてど田舎は1ミリも評価したことはなかったけれど、見る人によっては宝の山になる様だ。ただしこの連中をほっとくと本当に100万人単位で移住しかねないから日本もいつか鎖国しなければならない日が来るだろう。





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何で90日もビザが出るんだ

昨年11月に生まれて始めて日本に行った女房はすっかり日本に惚れ込んでしまい、以降こと有るごとにジャパンジャパン🎵という鼻歌を歌う様になってしまった。

今年の春先に親しい友人が3ヶ月ほどタイのチェンマイに滞在するというから、筆者も彼に続けとタイ行きを女房に持ちかけたところ、あたしはタイはもう飽きた!それに円安だから日本に行くべきだ!と痛いところを突いてくる。

それで次回の旅は渋々行き先を日本に変更することに同意したのだが、こうなると一日当たりの費用は倍以上に跳ね上がるし、何より女房のビザの関係上滞在日数が限られてくる。

一応法律上は日本人の配偶者なら30日まで可能とのことだが、前回は15日しか貰えなかったし、3回目のビザ申請の際にはもっと長い期間滞在することも可能と書いてあるが、今回はその中間の2回目である。



それで一応申請は30日で出したが、まあ実際は15日がいいところだろうとな・・と腹積もりし、大阪1週間+九州1週間のスケジュールで計画を立てていたのだが、なんと旅行代理店でパスポートを受け取るや、そこには滞在期間90日可能という記述が・・。

おまけにこのビザは何度も入国が可能なマルチプルで、しかも有効期限は1年もある。これを見た女房は早速旅行代理店に「東京イン、福岡アウトの90日チケットは幾らかしら?」と聞き始めやがった・・。

ちちちちょっと待て!俺にとって日本は少しも観光的には魅力がない国だし、90日も滞在する費用があればヨーロッパに行った方がいいじゃ無いか!と押しとどめようとしたが、すっかり日本贔屓になった女房はまるで聞く耳を持たない。

と言うわけで筆者はただいま和歌山市のホテルでこの日記を書いているのだ。滞在日数は5割引にさせて貰ったが、それでも筆者にとっては痛い出費である。しかし筆者の心痛など一向に居に介さない女房は鼻歌交じりにジャパンジャパン🎵と口ずさんでいる。



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