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ソコを嗅げば全てが分かる

会社の同僚が香港に出張に来た際に、酒の席で「アメリカとヨーロッパの女の簡単な見分け方を知ってるか?」と謎のような事を言い出した。この同僚は筆者と違ってアメリカとヨーロッパの駐在経験が非常に長く、また大鶴義丹に似た冴えない風貌にも関わらず金髪の女たちと浮名を流してきたプレイボーイとして知られ、その数は100人を超えると噂の剛の者なのである。

同席していた連中は「顔つきとか骨格だろ?」「言葉のアクセントとかファッションセンスじゃないか?」などと答えたが、いやいや女たちは裸のまま無言で立っているものと仮定してくれ!と条件を付けてきた。それでもこの方法だとイタリア系とかドイツ系といった人種ではなくてアメリカとヨーロッパどっちの地域で育ったのか見事に分かるのだ!と言う。

それでマニキュアの色合いやアクセサリーの纏い方、それに腋毛やアソコの毛の剃り方やソバカスの発生部位など答えたが全部不正解だと言う。そして誰も正解が出ないことに満足した義丹くんは筆者らを見回すと意味ありげな表情で「それはね・・ニオイだよ・・」と言った。その表情を察した筆者はそう言えばロスで買った女はアソコがえらく臭かったな・・と自分の体験を思い出したので「アソコ!」と答えたが、義丹くんはブーッと言った。

オレの経験じゃアソコの臭いに大した差は無いよ!という義丹くん。じゃあ一体なんだよ!勿体ぶらずに早く答えろよ!と言ったところ、義丹くんはゆっくりと「それはね・・足の臭いだよ・・」と答えた。足の臭い・・?そんなのアソコの臭い同様に大差無いんじゃないか?と反論すると、「違う!」と一喝の下に否定する。

義丹くんの経験では、アメリカの女は綺麗に着飾ったトライベッカあたりの女でも中身は結構ガサツで、脇とか足みたいな元々臭いところを綺麗にしておこう!という発想が乏しいのだそうだ。一方ヨーロッパの女性は女としてのエチケットを祖母や母親、そして友人達から時間をかけて学んでいくので、そういう細かいところまで気が届いているというのである。





「つまり足の臭いはその女が育った文明を表すんだよ!」と義丹くんは確信を込めて言うが、筆者には義丹くんがちょっと特殊な趣味の持ち主の様にしか見えない・・。しかし彼の法則に若干の興味を持った筆者は案外アジアにも応用できるのではないか・・と思い、後日、韓国・香港・中国・タイ・フィリピン・ベトナム、マレーシアの7か国の女性で試してみることにした。

ちなみに何でこの7か国なのかと言うと、これは筆者が仕事上頻繁に行く飲み屋のホステスたちの出身国だからである。まさか会社や取引先の女に「アンタの足の臭いを嗅がせてくれませんか?」とは言えないし、言えば言ったで変質者の汚名を浴びせられるだけでなくセクハラで訴えられかねない。だから普段からお触りしても平気な馴染みのホステスたちに事情を話して試させて貰ったのである。

なお各国一人だけだと統計的にバラツキが出てしまうので、一応3人(ただしベトナム人だけは2人しか了解してもらえなかった)に足の臭い嗅がせてもらったところ、なんと義丹君の法則に一遍の信憑性を持たせる結果が出たのである。その結果について臭かったを○、臭くなかったを×で表してみるとこうなる。

韓国     ×××
香港     ×××
ベトナム   ××-(注:ベトナム南部の色黒系)
タイ     ××○
マレーシア  ××○(注:中国系では無くマレー系)
中国     ×○○
フィリピン  ○○○





いかがだろう?。アジアの人種を色白系と色黒系の2人種に大まかに分けて考えても、色白系では中国だけに足が臭い女が発生し(それも2/3と過半数を超える)、色黒系ではフィリピンだけが全員とも臭かったのだ。一方韓国はニンニクやキムチなど普段から臭いものを食っているにも関わらず見事なくらい無臭で、性格的にきつくてガサツな香港女も意外と身だしなみはしっかりしていたのだ。

そしてこの結果を良く見てみると、肌の色や中国文化圏の影響度、食べ物、それに宗教の違いなどよりも、イギリス領やフランス領などの旧宗主国の影響の方が大きいのでは・・と思えてくる。念のために宗主国を書くと韓国は旧日本領、香港とマレーシアは旧イギリス領、ベトナムは旧フランス領、タイはずっと独立国で、フィリピンは旧アメリカ領なのだ。

ただ筆者のデータはサンプル数が少ないし、中国の女も旧満州国エリアの出身なのかどうかも不明だが(それ以前に日本人が教えた衛生観念は中国には根づいて無さそうだ・・)、女を売り物にするホステスでもフィリピン人だけが他国に抜きんでて足が臭いというのは、やはりアメリカ50年の統治がフィリピン女性を鈍感で雑な生き物に作り変えてしまったのではないかと一人納得したのだ。

さてフィリピンに移住してからは筆者はヒマだし、毎日なんにもやることが無いので義丹くんが発見した法則の検証でもしてみようかな・・とごくたま~に思う事があるのだが、イギリス最大の植民地だったインド人の女の足は別の理由で相当臭そうだから嗅ぐのは嫌だし、今のところミャンマーやインドネシア、ニューカレドニアなど別の旧植民地に行く予定も無い。

しかし地図を見ればカリブ海諸国にはフランス領アンティル諸島に英国領ヴァージン諸島なんかが隣り合わせで位置しているので調査するには絶好の場所に見える。なのでもしもどなたかカリブ海でバカンスを過ごす予定がある様だったら、文化人類学の発展のために各植民地の女性の臭いを嗅ぎ比べてもらって、その結果を上に書いたような○×にして筆者に送っていただけないだろうか?。もしも義丹くんの法則が正しければアメリカ自治領のプエルトリコの女だけが臭いはずだ。






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ガンが多発するクリニック(2)

名門アドベンティスト病院の医者はレントゲン写真を一瞥した後で、ドクター○○○が指摘した肺の影と言うのは皮膚上にできた大きなイボのことで、しかも診断結果には左肺に影と書いてあるがイボは右側にある、つまり研修中の医者でも絶対に犯さない初歩的な誤診をしただけでなく、なんと写真を裏返しに見たらしく左右を間違えていたのである。

まさか!と思ったが、その時筆者はドクター○○○の態度がここ2~3年随分と変わってきたことを思い出した。と言うのは筆者が香港に来たばかりの頃は健康診断を予約すると「この日とこの日しか空いてません!ダメなら来なくていいですけど!」と偉く高飛車な態度だったのに、最近は「今年の健康診断はいつ受けられますか?」という電話が向こうからかかって来るようになったのだ・・。

要するに客が減っていたのである。考えてみれば90年代には筆者の会社だけでも香港内に100人の日本人駐在員がいたが、物価上昇と中国国内の利便性の向上で業務を深センと広州の事務所に移管したために2010年には30人くらいしか残っていなかったのである。どの会社も似たようなものだったからドクター○○○の売り上げは激減していたに違いない。

ここで普通の医者ならば香港人の顧客を増やそう!と考えるはずだが、ドクター○○○は子供の風邪やオヤジ連中の脂肪肝のクスリを渡すことばっかりやって来たため、医者としての診断技能はおそらく香港でも最低レベルだっただろうし、はっきり言うと日本語が出来ることくらいしか能が無いので他に活路なぞ見つかる訳が無かったのだ。





そしてここから先は筆者の想像だが、おそらく自分が唯一出来る事は英語が出来ないアホ日本人をだまくらかして倍、いや3倍の診療をかすめ取る事しかないと気づいたのだろう。そこでまず最初に社会悪と見なされ始めた喫煙者に対して肺がんと脅すことにしたに違いない。駐在員の治療費は会社払いだから「がんの疑いあり。要再検査」を何回も繰り返しても金は気にせず検査に来るはずだとの腹積もりである。つまり不安産業への鞍替えだ・・。

そこで筆者は会社の同僚たちに「ドクター○○○に肺がんの恐れあり!と言われた人はいるか?」と訪ねて回ったところ、なんと6人も出てきた。やはり全員が再検査という名目で高額な費用を払わされていたのだが、筆者同様にドクター○○○の診断に疑いを抱いた人物がいて、この人は別の病院にレントゲン写真を持っていったところ、「ああ、これは乳首だね」と言われたそうである。

この話を聞いた筆者は自分の担当する職場ではドクター○○○を使わなくてよい!と決定したのだが、案の定日本から英語の診断書が読めない!molをmgに変換する公式が分からない・・などと「お前本当に保健担当の社員か?」と叫びたくなるような苦情が出始めたため、結局は筆者ら夫婦以外はドクター○○○を使い続けたのだ。やはり奴らの目論見通り英語の壁を越えられない連中ばかりだったのである。

さて筆者はその翌年に香港を離れたのでドクター○○○が今どうなっているのか分からないが、肺がんですっかり味を占めたので今年からは胃潰瘍にも拘らず胃がんの恐れあり!などと診断しているのではないだろうか。なお香港で日本語のできる医者と言えば香港在住の方なら既にお気づきだろうが、それでも分からない人がいた場合に備えてこの医者は女医であることを伝えておく。






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ガンが多発するクリニック(1)

香港にドクター○○○という日本人には大変有名なクリニックがある。この医者は香港大学出の香港人であるが日本語は下手な日本人より上手であり、またこのクリニックの看護婦は全員日本人であるため、英語が全くできないアホな駐在員夫人たちにとっては大変便利なホームドクターである。

さらにこのクリニックは健康診断レポートを日本語で書くので(筆者の知る限り香港ではここだけである)英語が全くできない日本の本社の人事部員や産業医にとっては大変貴重な存在であり、相場より2~3割高い費用をふっかけられても香港中の日本企業は文句も言わずにドクター○○○と契約していたのだ。

筆者の会社も長年このクリニックのお客であったが、確か2010年ごろに筆者の診断結果に「肺に影有り。肉芽腫もしくは他の腫瘍の恐れあり。要再検査」というコメントがあるのを見つけてビックリしてしまった。これは肺ガンじゃないか・・?。筆者は30年以上の喫煙者であったのですっかり恐れおののいてしまったのだ。

それで自宅から歩いて数分の距離にあるアドベンティスト病院に駆け込んだところ、この香港でも一二を争う名門病院が出した検査結果は「肺に異常は全くありません」というモノだった。それで会社にはアドベンティスト病院の結果を提出して海外赴任延長の許可を貰ったのである。





それから数か月後に部下の日本人が浮かない顔をしているので「どうしたのか?」と聞くと、健康診断に「肺がんの恐れあり。要再検査」と書いてあるのを見つけたのだと言う。はて・・この男はタバコを全く吸わないはずだが?と思ったが、ご母堂もタバコを吸わなかったのにも関わらず60歳で肺がんで死んでおり、どうやらこれは遺伝かもしれない・・と暗い口調で呟いた。

この部下は1週間後にドクター○○○で再検査を受けたが、再び芳しくない結果が出てしまったため何と細胞を採取してアメリカに送ることになったと言う。どうやって細胞を採取したのか聞き逃してしまったが、それ以前に香港には優れた検査機関が幾つもあるのに何でわざわざアメリカなのか?と不思議に思ったものの、部下はとにかく気が気でないようなので筆者も深く考えずに請求書にサインをした。

結局2か月後にアメリカから肺がんでは無い!とお墨付きを頂き、部下は飛び上らんばかりに喜んだのだけれど、この時筆者は「あんた、ドクター○○○に母親の死因を話したか?」と何気なく聞いてみたところ、ええ、一番最初に問診を受けた時に向こうから両親の死因を聞かれたので素直に答えたけれど・・と言った。

それからまた数か月後の筆者の女房の検査結果にも「左肺に影有り。要再検査」という結果が書いてあった。ちなみに女房は喫煙者で母親は若くして子宮がんで死んでいたのだ。すっかり狼狽えた女房は「ドクター○○○に今すぐ再検査に行く!」と言い張ったが、筆者は何となく胡散臭いものを感じたので、歩いて5分のアドベンティスト病院に連れて行き診察を受けさせたところ、その日のうちに驚くべき結果が出た。(続く)






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コカコーラのCMから思い出した輝かしい時代

テレビを見ていたら聞き覚えのあるメロディーが流れて来たのでハッとしてしまった。コカコーラのCMに使われている「99ルフトバルーンズ」である。この曲のオリジナルはドイツのNENAというバンドで、1983年にリリースされたこの曲は瞬く間に世界中で大ヒットしたのである。

筆者は当時高校2年生で、学校帰りに新宿・歌舞伎町のディスコで遊ぶ日々を過ごしていたのだが、当時はユーロビートなんてものは無かったから店内で流れている曲はハイエナジー系かポップスで、NENAの曲もたまには架かるのだがメロディ的に踊るのには向いてないためいつもフロアががら空になってしまった覚えがある。

1983年というのは音楽的には当たり年で、ポリスのシンクロニシティという名盤がリリースされたり、マイケル・ジャクソンとマドンナとプリンス、U2が一気にスターダムに上がるなど、その後10年間の音楽シーンを決定する分岐点になったのだ。





その中でNENAというのはイギリス、アメリカ出身ではないし、ほとんど持ち歌が無い新人バンドという異色の存在で、結局99ルフトバルーンズ以外は全くヒット曲が出ず、究極の一発屋としてあっと言う間にスターダムに登り、そして突然消えてしまったのである。

それが30年以上も経って突然筆者の耳にNENAのメロディが蘇ってきたのだ。そして大学生の姪が「この曲って聴き心地が良いわね」なんて話しているので、これ誰だか知ってるか?などと聞いたところ、当然「知らないわ」と答えた。まあ知る訳ないだろうな。俺だって30年間NENAなんて忘れていたんだから。

それで1983年という年はこういうアーティストが出てきて・・などとウンチクを垂れていたのだが、大学生の姪はハァ・・それ誰なの?と言う。誰ってポリスだよ!スティング知ってるだろ?と言い返したが、そんな名前ぜんぜん聞いたことが無いと言う。





それで色んな名前を出してみたが、なんと姪はマイケル・ジャクソンとマドンナしか知らないことが判明した。呆れた筆者は、お前はしょっちゅう音楽を聴いているが体系的に物事を突き詰めて見たことがあるのか!と一括したら、「生まれる10年も前の歌なんて聴く訳ないわよ!」と不貞腐れた様に言う。

ケッ!まったく何たることだ!と思ったが、この生まれる10年前の曲・・というのが気になったので、姪が上の部屋に行った後でパソコンで調べてみた。えーと、オレの生まれる10年前のヒット曲というと・・あった!エルヴィス・プレスリーのハウンド・ドッグとドリス・デイのケ・セラ・セラ・・。こりゃ古すぎて聴くわけ無いな・・・。

ということは・・、姪の視点ではプリンスは筆者にとってのプレスリーと同じ扱いってわけか・・?。冗談じゃない!音楽的には今のガキタレなぞ足元にも及びもつかないほどプリンスは偉大だぜ!、それにマドンナだって今でも!と思ってGOOGLEで画像検索をしたところ、そこで見たのはポップスが一番輝いてた時代がはるか彼方へと色あせてしまったと言う現実だった。






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花粉症の風俗嬢

筆者が日本にいる時に良く通ったのは御徒町にあるパンドラという風俗店で、此処には麻美と香織、それにサキという馴染みの女の子が3人いたのだが、ある日店に行くと3人ともお休みであった。

それで市川海老蔵に似た店長の勧めるまま「待たなくて済むけど結構な美人」というのを頼んだところ、この女性はいざ事が始まって筆者の愚息を口に含んでいる最中に途中で動きを止めてしまったのである。

「ごめんなさい!ちょっと・・」と言って慌てた様にティッシュペーパーを2~3枚取ると鼻に押し当ててチーン!と噛み始めたのだが、その時にグジュグジュグジュと低音の音が響いた。なんだかもの凄い鼻水の量である。

「すみません、ワタシ花粉症で・・」と謝る鼻水嬢。なんでも子供時分から花粉症がひどくて1年の三分の一は暗く閉ざされていると言う。筆者も「はあ、それは大変だね」などと優しい言葉をかけてやった。

さてその後に再び口でご奉仕していただき、筆者もかなり気持ち良くなって思わずイキそうになった時、この鼻汁嬢は再び口を外してしまい、そしてとハアハアゼイゼイと荒い呼吸をし始めた。

「ごめんなさい!鼻呼吸が出来なくて・・」と深呼吸をしながら謝る鼻水嬢。ちょっとぉ・・、せっかくイキそうだったのに!と少しばかり腹が立ったが、喘息の子供を叱るみたいで可哀想なので黙っていることにした。





そして再び口でご奉仕してもらい、筆者も相手が口を離すタイミングを誤らないようアッ!もう!ウッ!イキそう!とワザと声をあげていたのだが、もうちょっとでイク!という時に再び口を上げるやティッシュでチーン!そして鼻汁をグジュグジュグジュとやりはじめる。

キミィ!あとほんのちょっとだったのにい!とお小言をくれたが、この鼻水嬢はゴメンナサイ!と何度も謝る。どうも延長狙いの悪質なヘルス嬢ではないようだが、それにしてもコッチも蛇の生殺し状態だから気が立ってきた。

しかしその後もアッ!イクッ!とチーン!グジュグジュグジュ、それとハアハアゼイゼイ、ごめんなさい!を繰り返すばっかりでいっかな本懐を遂げることが出来ない。それに鼻水のグジュグジュグジュという音を聞いている内にリピドーの方もトーンダウン気味に・・。

すみません!今度はしっかり息を止めてでもやりますから!というので、摩擦係数を上げるためこっちも相手の口の上下運動に合わせて腰を上下に動かしたが、さあいよいよ噴火という時に相手の顔をちらっと見ると真っ赤に変色していて凄く息苦しそうである。

そして筆者が噴火直前になった瞬間に、鼻汁上はやはり口を外して大きくプハーッと深呼吸をしたのだが、吸った空気を吐き出す反動から鼻水嬢の鼻の奥からグジュグジュグジュという音が聞こえたと思うや大量の鼻水が筆者の愚息に向けて思い切り飛び散った。

これから花粉症の季節にはいるが、あの鼻水嬢は今でも鼻をグジュグジュ言わせているのだろうか? もうとっくのとうに風俗嬢は卒業して今頃2児の母なんて身になっているのだろうが、この日記をもしや読むことが有ったらお便りください。






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ロッテのもう一つの顔(2)

ロッテが新宿百人町に工場を構えたのはちょうど覚せい剤取締法が施行される直前であり、終戦直後の隠匿薬物の大放出で日本中にヤク中が一気に増えていたから、覚せい剤の密造は大変美味しいビジネスであった。ただし重光武雄はあくまで実業家になるのが夢であり、覚せい剤は副業としか思っていなかったのだが、当時日本の銀行は朝鮮人に金を貸すことはまず無かったので資金の手当てのために他に選択肢が無かったようである。

なおこの百人町工場の土地は正式に購入したわけでは無くて、海城学園と言う海軍士官学校の予備校の敷地の一部を不法占拠してそのまま居ついただけなのだが、この実行部隊は重光の覚せい剤ビジネスの元締めである東声会という朝鮮ヤクザである。会長は町井久之と言って度胸と才覚で部下数千人を構える大物組長だが、町井はもう一つ南朝鮮を支持する在日本大韓民国民団(以下「民団」)の幹部と言う別の顔も持っていた。

北朝鮮系の朝鮮総連の悪評があまりに高いため民団については余り知られていないが、思想主義を別にすれば権利闘争と脱税などやってる事は朝鮮総連とほとんど同じである。当時の在日朝鮮人はまともな仕事に付けなかったからヤクザと民団と如何わしい業者は一枚岩のようなものであり、父ちゃんはバッタ屋で母ちゃんは民団の活動家、息子はヤクザで娘は上野のキャバレーのホステスなんてのはザラにあったのだ。

チューインガムでそここそ成功を収め始めた重光も町井の元締めヤクザの勧めるまま民団の商工人として活動していくことになるが、反日でコチコチに頭が凝り固まっていた李承晩大統領が失脚し、少しばかりごたごたが続いた後で1961年に親日派で軍人出身の朴正煕が政権を奪取すると、これまで韓国政府から裏切り者と見なされていた民団が俄かに脚光を浴びることになる。朴正煕が真っ先に手を付けたのは立ち遅れた韓国経済発展のために日本との国交を結ぶことであった。





日韓基本条約(1965年)についてはネットで検索できるのでそちらを見て頂きたいが、共産勢力と対抗するうえで共同歩調を取りましょうと言う政治的な思惑とは別に、朴正煕の本音は日本から賠償金をせしめることであった。そして実際に当時の韓国の国家予算の3年分という莫大な金額で合意するのだが、その際に日本政府に対するロビイストとして暗躍したのが町井ら民団のボスたちと、同じく在日であった児玉誉士夫である。

なお重光武雄は当時は単なる中小企業のオヤジであり、日韓基本条約に絡むほどの大物では無かったのだが、朴正煕とロッテの代理人(おそらく町井久之か児玉誉士夫)の間で覚せい剤の密造拠点を韓国内に作ることを了解させる代わりに、その上がりの一部を朴正煕に渡すことを合意したらしいのである。(ただし朴正煕は清廉潔白な人間だと言われているから、その側近や韓国軍そのものと交渉したのかもしれない)。

当時すでに日本国内は警察の取り締まりが厳しくなっており覚せい剤を製造できるような状態ではなくなっていたのである。それでロッテは生産を韓国に移し、売人組織から受け取った覚せい剤の上がりを韓国工場に送金するようになったのだが、この送金ルートは日韓両国ともノーチェックであったため、民団の他の商工人達も脱税でため込んだ金をロッテの送金に混ぜて送るようになっていた。これが現在まで続くロッテの地下銀行ビジネスの始まりである。

そして韓国内に溜まりこんだ資金をビジネスに転用しようと思った重光武雄は朴正煕に面会して韓国内で化学ビジネスを立ち上げたい!と何度も要望したが何故だか却下されてしまい、結局日本と同じ製菓業と東急や西武をモデルにした流通企業を立ち上げることになる。しかし今考えるとこれは朴正煕の重大なミスであろう。もしもこの時YESと答えていれば、韓国はサムソンと現代自動車のほかにもう一つの巨大な外貨獲得企業を抱えていたに違いないからだ。





さて重光武雄がいつごろ覚せい剤の製造から徐々に手を引き出したのは不明だがおそらく1960年代後半ごろだと思われる。この時期にロッテの事業は軌道に乗り始めたし、元締めの町井久之も東声会を解散して東亜相互企業TSKという合法事業へとウエイトを移し始めていくからだ。いずれにせよ本業が上手くいけば覚せい剤みたいな危ないビジネスを続ける必要は無いから体よく別の人間に譲渡したのだろう。

しかし終戦直後から日韓基本条約あたりまでに重光武雄が築いた人脈はその後も日韓両国の背後でうごめき続け、製菓業からホテル、百貨店、リゾート施設など日韓両国合わせて売上高数兆円の巨大企業となり日本の野球球団を持つまで公人となった現在でもロッテは昭和の時代同様にアンタッチャブルな領域で有り続けている。昨年発覚した地下銀行の件はおそらく朴正煕の娘の反対勢力が暴いたのだろうが、日本のメディアが全く沈黙してしまっていることが何よりの証拠である。

さて筆者がなんでこんな話を知っているのかと言うと、筆者の非常に親しい人間がこの会社に勤めていて、しかもど真ん中の職場で長年仕えているからである。それでずいぶん前に酒を飲みながら「ウチの会社は実はこんな事が・・」という感じでいろいろと教えてもらったのだが、友人はロッテ創業者という人物については根っからの実業家である!と太鼓判を押していた。

筆者のいた香港のジャーディンやスワイヤ、それに香港上海銀行などはアヘン商人が興した会社であり、また筆者の取引先にも60年代まで麻薬を取り扱っていた会社もあるから筆者はロッテが覚せい剤を作って大きくなった会社だと知っても別に驚きはしなかったし、同時に重光武雄が覚せい剤などの虚業でなく製菓業という実業に主軸を貫いたことは大変尊敬しているが、それでもこの男は死ぬときは地獄に落ちるのだろうな・・と思った。






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ロッテのもう一つの顔(1)

日本のニュースを見ていたらロッテの創業者の長男で将来の総帥と見なされていた重光宏之(以下「長男」と略)が今月末にロッテ建設の社長の座を失う予定だとのニュースが出ていた。さらに長男は去年からグループ十数社の役職を外されていて、その理由は組織の再編とか言われているが、本当のところは誰にもわからない・・などとはっきりしない記事の終わり方をしている。

これを見た筆者は「まだ日本のメディアは知らんぷりを決め込んでいるのか!」と呆れてしまった。ロッテ長男が日本から韓国への巨額の不正送金に関与した罪で韓国の検察当局から起訴され、これがロッテの裏の顔が露呈する切っ掛けになるかもしれないため、父親の重光武雄会長がトカゲのしっぽ切りをしていることは韓国では既に衆知の事なのだ。

ところが日本のメディアはこの一大疑惑に完全に沈黙しているばかりか、国民の目をあらぬ方へ向かせようと読者を馬鹿にした記事を書いてお茶を濁しているのである。まったくグーグルの翻訳機能のおかげで世界中の情報が簡単に読み取れるようになったと言う事実を日本のメディアはちゃんと理解してんのかね・・と思わず笑ってしまう。

まあそうは言ってもロッテには結構な額の広告宣伝費や在日に対する人権上の配慮、そしてもっとヤバい背後関係があるから日本のメディアがロッテの本当の姿を書くことは望み薄である。そこで今日の日記では筆者がこの魔境とも言うべきロッテの闇について事情を知る知人から聞いた話を披露したいと思う。





ここ30年くらいのロッテのおかしな点についてはちょっと前の日記に書いたのでそちらを見ていただきたいのだが、今回はロッテの創業時期、つまり戦時中に重光重雄青年が早稲田の理工学部(の前身の学校)に留学生として渡航し、そして1950年には新宿百人町に巨大なロッテ本社工場を設立してから10年くらいの期間にロッテは何をやっていたのか?について書くことにする。全ての答えはここにあるからだ。

ロッテの社史には裸一貫で日本にやって来た重光武雄会長がその実直さと能力の高さを見込まれて日本人実業家から現在の2億円に相当する資金提供を受け、戦争中に杉並区荻窪に機械油工場を設立したが、終戦間際に米軍の爆撃で工場は破壊されてしまった・・というちょっとばかり唐突な話から始まってる。

やがて敗戦後に進駐軍の兵士が噛んでいるチューインガムを見て「これは売れる!」と閃いた重光会長は再び日本人資産家の協力を得てガム工場を設立し、いろんなアイデアを駆使しながら商売を軌道に乗せただけでなく、機械油工場のカネを出してくれた日本人資産家への借金も完済し、そしてリヤカーを引きながらガムの行商に励んだのだ・・と立志伝中の人物に良くある涙ぐましい苦労話が書かれている。

そして終戦から5年後の1950年には新宿区百人町にロッテの本社工場を設立したのだというところで重光会長の創業時のエピソードが締められているのだが、はっきり言うとこれらは全て脚色されているかウソッパチなのである。そしてロッテの最初の10年のウソを剥ぎ取って見れば何故ロッテは戦後ずっとアンタッチャブルな存在だったのかが自ずと見えてくるのだ。





まず最初から説明すると重光会長が早稲田の留学生だったことは確かなようで、また成績優秀で理工学部の学生ながら文學好きな実直な青年であったことは確かである。しかし日本人から出資してもらって杉並の機械油工場を・・というのは事実でなく、彼は戦時動員としてどこかの工場で働いていてそこで終戦を迎えたと言われている。いずれにせよ日本人の介在でビジネスの経験を積んだと言うのは事実では無い。

ただしGIがガムを噛んでいるのに触発されチューインガムうんぬんは本当の話であり、実際現在でもロッテは製菓業が本職だから間違いではないのだが、ここで忘れてならないのは起業家なら一番苦労する創業期の資金の手当てを何処から工面したのか?というところが社史には全く出てこないのだ。潰れた機械油工場の篤志家の話はロッテとはほとんど関係ないのに美談として出てくるのとは対照的なのである。

当時日本は食うや食わずの時代であり、失礼ながら朝鮮から来た留学生に金を貸す人などいなかったはずである。しかし重光は何故だかこの時に多額の現金を引っ張ってこれる状態にあったのである。そして後にもロッテは企業としては例外的な事に資金的に苦しむことが無く、まるで魔法の様に資金を創出しては森永や明治などの先行ライバルに打ち勝って行けたのは、チューインガムと同時並行的に始めたあるビジネスがもたらす巨額のカネのおかげであった。

さてその答えを言うと、それは彼の同郷の志である朝鮮人たちが戦勝国民として新宿や上野の闇市の一部を仕切っていたからであり、そして何よりも重光会長が化学屋だったことに大きく関係しているのである。もちろん闇市で売られた芋や闇米、カストリと言われた粗悪な酒などを大学卒の化学屋が作るわけもなくて、もう少し専門知識が必要でもっと金になるもの、つまり覚せい剤の製造がロッテ創業時の収入源だったのである。






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ついに馬脚を現した詐欺師

女房の従兄弟ジェンの会社が事実上破綻してしまい生活費にも事欠く状態になってしまったと聞いて驚いてしまった。というのはジェンは小さいながらも一応コールセンターのマネジャー兼マイナー株主で、つい半年前までは日本人のサラリーマンと大して変わらない収入があったからである。

それでウィスキーを飲みながらジェンの話を聞きだしたところ、破綻の原因は競争に敗れたからでは無く総支配人(兼第2位の株主)の横領が原因だと言う。コールセンター自体の運営は別段問題は無かったのだが、数か月前から使途不明金がちょくちょく発生するようになり、ついに顧客の支払いを全て総支配人の口座に入金させるようになったため会社の方は一気に金が回らなくなったというのだ。

へえ・・悪い奴がいるんだな・・、一体どんな野郎なんだ?と言ったら、従兄弟ジェンは「ブラザーは会ったことがあるよ」と言う。エッ?誰だ?と聞くと、ほら!ウチのベランダで酒を飲んでた時に突然倒れた!と言うので思い出した。若人あきら(現芸名:我修院達也)によく似た野郎だ!。

若人君とは自分がどれだけ投資で儲けたのかをベラベラと一方的に話すイカれ男で、筆者にもセブの投資案件を持ちかけてきたのだが、長年この手の野郎を相手にしてきた筆者は当然こんなインチキ話に引っかかるわけもなく、若人君の話を適当に流していると、そこでこの男は突然ぶっ倒れたのである。





この一件については以前日記にしたのでここでは詳しくは書かないが、どうもこれは自己陶酔がマックスになると脳機能が停止してしまう詐欺師特有の症状らしく、若人君は30分間意識を失った後でむっくりと起き上がると「食パンが食べたい」と謎のような一言を言い始め、やがて皆が止めるのも聞かずに家へと帰ってしまったのである。

「アイツが総支配人だったのか?そりゃどんな会社だって潰れるだろうな・・」と言ったところ、ジェンは「違うよ!1年前まではちゃんと利益を上げていたんだ!」と若人君を庇う様に言う。どうも詐欺師にまんまとしてやられた人間特有のストックホルム症候群の軛からまだ脱出出来ていない様である。

しかし会社設立の経緯をジェンから詳しく聞いていくうちに、何となく若人君の目論見が見えてきた。数年前までお互い貧乏でバンコクの外国人向けコールセンターで出稼ぎ職員として働いていた二人だが、先に帰国した若人君から「コールセンターに出資してくれる金主(第1位の株主)が見つかったから手伝ってくれ!」と頼まれたので、ジェンは現場監督の職に就いたのである。

そして最初のうちは若人君は真面目にコールセンターに出勤していたが、やがて不動産投資やコンサルティングの怪しい副業に手を出し始め、お客を引っ張ってくる以外はコールセンターの仕事はしなくなり、何もかも従兄弟ジェンに押し付けるようになったが、最後は会社のカネを横領して経営破綻に追い込んだというシナリオである。





ジェンの話を聞いている内に筆者の脳裏に浮かんだのは、若人君の目的は小さな成功を作って金主たちから信用を勝ち取り、より多くのカネをかっぱぐことにあったのではないか・・という事だった。それで過去1年間に若人君が手を出した事業について聞いてみると、故郷ダバオの宅地開発をしていたのだと言う。出資者は案の定コールセンター最大の株主で、かなりの利益が見込めると鼻高々になっていたらしい。

それが数か月前から会社のカネに手を付けるようになったという事は、ダバオの事業が何かの理由で雲行きが怪しくなったか、もしくは事業そのものがインチキで、出資者から大金をせしめた後でここらが潮時と逃げを決め込んだに違いない。いずれにせよ株主と番頭のジェンと社員たちに対してはいい迷惑である。

それで若人君はカンボジアにでも逃げたのかな?と思ったが、カジノで働いてるジェンの知り合いが毎日バカラに打ち込んでいる若人君を目撃したと聞いて笑ってしまった。法的に完全防御を施してあるのかもしれないが、カジノに「毎日」通って勝てると思うなんて若人君は本物の阿呆である。

「出資者は法的手段に出ると思うけど、ひょっとしたら危ない事になるかもしれない・・」と自分を裏切った友人の身を安堵するジェン。まあ一体いくら抜いたのかは知らないが、早く高跳びしないとマニラ湾で魚のエサになるかもしれない。まあ詐欺師なんてそれくらいしか世の中の役に立てることが無いのかもしれないけどね。


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東京ドケチ列伝

今から20年以上前、筆者が海外営業本部に配属になった時の上司は青木という名の50代の部長で、この方は30歳前にニューヨーク支店勤務、40歳でロンドン支店長と海外営業本部きってのエリートコースを歩んできたが、階級が上がるに従ってその金銭感覚のセコさが災いし、10年近く部長職に留まったままであった。

金銭感覚のシャープさも時と場合であって、新規事業の投資に噛みつき過ぎて競合他社に先を越される様なことが続けば立身出世もお終いである。若いころブロードウエイのユダヤ商人相手に1ペニー(1セント)の値上げ交渉に挑み、相手から「ミスター1円(当時1ドル360円だから1セントより安い)」と呼ばれたのだよ!と自慢されても、筆者ら若造は内心「それさえ無ければ今頃はもっと・・」と思っていたのだ。

しかし当時の営業部には青木部長とは反対にコストの半額で客に売ったり、円高になっていく局面にも関わらずドル建ての大安値、しかも3年契約なんて大ポカをやる頭のネジがぶっ飛んだ営業マンもいたから、有る意味会社の重しとして青木部長は必要な人物であった。

それに青木部長は株や麻雀、競馬などの賭け事も巧みだし、特に客が潰れた!貨物が盗まれた!という時には並々なぬパワーを発揮するのである。、コーヒーが10セント安いからと宿泊先のマンハッタンのホテルから1キロ南まで歩いていく様なシブチンな一面を見せても部下たちは一応上司だからそれなりに敬っていたのである。





しかし有る時を境に青木部長の評価は凋落することになる。その原因を作ったのは実は筆者で、今から20年前の秋の日、この日は交通遺児のための赤い羽根募金の日だったのだが、この日筆者はちょっとマズイものを見てしまい、そして聞いてはいけない事を聞いてしまったのだ。

この日全ての社員は胸に赤い羽根をつけて出社したのだが、朝一番から青木部長の机に呼ばれて細かいお叱りを受けていた筆者はふと部長の胸元をみた時に赤い羽根がやけにボワボワした感じになっていることに気がついた。

今はどうか知らないが当時の赤い羽根は全ての毛がピンッ!と真っ直ぐ張っているものなのに(しかも募金日の朝一番である)、毛と毛の間が幾つも割れていて、しかも一本一本の羽根もだらしなく弛んで毛玉みたいなのである。それで「こりゃ相当こすれたんだな・・」と思ったのだ。

部長のチェックに少しばかりウンザリしてた筆者は「東横線は今日はそんなに混んでいたのですか?」と聞いたのである。これは別にからかっている訳ではなくて話題を少しばかり逸らしたかったのだが、赤い羽根を指差した筆者の質問の意味に気づいた青木部長の口から「ああ、去年ラッシュに捕まってね・・」という言葉が聞こえたのだ。





去年つけていた赤い羽根・・?。思わず耳を疑った。つまり青木部長は赤い羽根を1年間保管していたって事か?。それで筆者は唖然としてしまったのである。たったの10円の募金を払いたくないためにか・・?。募金に賛同できないなら断れば良いだけなのに、世間体を気にして古い赤い羽根を使いまわしている・・?。

その日の昼休みに筆者がこの赤い羽根の一件を話すや同僚たちが飛びついたことは言うまでもない。そして全員の口からオオッ!と驚嘆の声が上がり、今までケチだと思ってたがまさかそこまで!と口々に叫び始めた。やがてこの話題は女子社員や海外支店まで広がり、オオ!アオキ!、ベリィベリィスティンジーッ!などと叫ばれてしまったのだ。

その後青木部長は部下からの冷たい目にさらされ続け、さらに5歳年下のあんまり細かくなくて思い切りの良い課長に出世レースで追い抜かれ、とても寂しい形で定年を迎える事になったのだが、部下の毎月の経費を1円単位までチェックして「だめだよぉこれぇ~」とお小言を言う姿勢は退職前日まで貫き通したようである。

さて青木部長は3年前に鬼籍に入られたが、奥方から「本人の遺志により葬儀は執り行わず・・」というハガキを受け取った時に、あの人は自分の葬式代もケチったのか!とかつての同僚たちと大笑いしてしまった。一体あの世に銭金を持ち運べるのかどうか知らないが、今頃あの世の友人達に焼酎お湯割りを飲みながらユダヤ人相手の1ペニー論争の自慢話でもしているに違いない。






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ドケチなイギリス人

女房の母方の親戚には2人の外国人の入婿がいる。一人は筆者でもう一人はボウイ叔父の娘ティナイの夫ボブである。ボブは50歳半ばを過ぎたイギリス人で、ドバイで業務コンサルタントをしていた時にレストランで働いていたティナイと出会って結婚、それからバンコク、ヒューストンと二人は移り住み、数年前からはスペインのマラガというリゾート地に定住している。

さてこのボブだが実は親戚一同の評判はかなり芳しくなく、とくにその金に対するセコさについては筆者も色々と聞いていた。曰くバンコクの炎天下の最中に40バーツのタクシー代を払うのが惜しくて親戚一同2時間以上も歩かされたとか、結婚祝いのためフィリピンに戻って宴会を催したのだが、いざ会計の段になってボブとティナイは会場から逃げ出してしまい、結局招待客たちは割り勘にさせられたといったエピソードである。

筆者もイギリス人とは商売上付き合いがあって、特にスコットランド人の金銭感覚のシワさには何度も苦渋を舐めさせられたが、ボブは世界中の大企業相手に渡り歩くコンサルタントであり、マラガでは何隻ものヨットを購入して観光客向けにレンタルしている位だから食い逃げするほど貧乏なはずがない。それで親戚連中はボブの吝嗇さを大げさに言っているのだと思っていたのだ。

ところが今年1月にボブとティナイがマニラに来た際に(初対面である)筆者はこの噂は本当なのでは・・と思う出来事にぶつかった。ボブの手土産はイタリア産のなんとかロートシルトという赤ワイン一本だけで、しかもこの紛い物も自分一人だけで飲んでしまい、さらにその後は筆者が持ち込んだジョニ黒を遠慮なくガブガブ飲むなど栄えある大英帝国の国民らしいケチさを発揮していたのだが、筆者の目を引いたのは別のエピソードだった。

その日レンタルした家の代金を計算をしている時にティナイが現れ、チラッとボブの方を顧みた後でシャツのボタンをサササッと素早く開け、ブラジャーの中から小さく折り畳んだ100ユーロ札を出したのである。もう一度言うが財布からでもポケットからでもなくブラジャーである。そのしぐさが地下鉄で財布を抜き取るスリとか売上の一部をサッと別の箱に入れる脱税商店主みたいに実に手慣れた感じがしたのだ。





「ティナイの妹のアダが脳出血で倒れて昏睡状態だった時に、ボブは何日か後の飛行機の方が数%安いからと言って中々費用を渡さなかったのよ。ティナイだけがアダの死に目に逢えなかったのはボブがケチだからよ!」と数年前に女房から聞いた時には正直信じられなかったが、ティナイのカネを隠す手際の良さを見せつけられた時に飛行機代値切り事件は本当だったのだ・・と確信した。

さて先月ボウイ叔父が腎臓不全で倒れた時はボブとティナイはフィリピンからニュージーランドに遊びに行っていて(ケチだけど毎年2か月の旅に出る)、どうもボウイ叔父は死にかけている!と勘違いしたためか急きょ二人してフィリピンに戻ってきたのだが、つい昨日ボブとティナイがスペインに突然と戻ったという話を聞いた。結局1か月いたのだが一度も会わなかったのだ。

従姉妹フィリンの話だと、スペインのヨットビジネスのパートナーが契約を切る!と言い出したため、売掛金の回収と代わりのパートナー探しのために帰国せざるを得なくなったというのだが、ティナイからコソッと聞いた話ではボブはスペイン人のパートナーに微々たるコミッションしか与えなかったため三行半を突きつけられたらしい・・という如何にもイギリス人らしい話だった。

さてフィリンと笑いながらボブのケチさについて話していると、女房が「アンタ笑ってる場合じゃ無いわよ」と言う。なんだよ・・、ウチも被害にでもあったのか?と聞くと、なんとボブとティナイが1か月間住んでいた病院近くの短期賃貸マンションは女房がクレジットカードでギャランティーしていたのだが、どうもボブは大家に家賃の一部しか払わずに帰国したらしいと言うのである。

「支払いを忘れたというなら分かるけど、なんで一部しか払わないのかしら!」と取り乱す女房。どうやらイギリス人得意の値切りらしい・・。それで筆者がボブとの交渉を押し付けられたのだが、まったくイギリス人と言うのは抜け目のない国民だと呆れてしまった。まあ大英帝国はその昔南アフリカ、中東、インドを紳士面しながらヌケヌケと盗んできたのだから、お国柄とでもいうべきか実にイギリス人らしい話なんだけどね・・。






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新興宗教に潜り込む工作員たち

昨日の日記でオウムには統一教会と創価学会、阿含宗、それともう一つ(名称不明)の4つの教団が隠れ信者が入り込んでいた・・という事を書いたが、筆者の言葉選びの稚拙さからこの意味について良くわからない人がいるかもしれないので今日の日記では補足説明をしたいと思う。

キリスト教の宗教団体が仏教団体に人を送り込んで何の意味があるのかしら?と思うかもしれないが、これを宗教という目で見るから思考に制約が出来てしまうわけで、一つの組織とか企業として考えれば実に当たり前な行為なのだ。

例えば筆者がイスラム教の教祖様だとすると、酒好きで豚肉食いの中国人相手の布教はまず望めないことはバカでも分かる。中国人は神や仏のために自己犠牲を耐えるような民族ではないからマーケティング上は絶望的だ。しかし「では全人類の1/4を諦めるんですね?」と問われれば、これはかなり惜しい市場であることに違いは無い。

信者数が増えないにしても中国内に影響力は持ちたい!いやお布施だって集めたい!でも中国人だけはマオタイ酒を飲んでもいいですよ・・と教義を曲げたらイスラム教団の本体がバラバラになってしまう。そこで思いつくのだ。そうだ!、酒と豚肉以外はマホメットと全く同じことを言っている宗教団体を作って後ろから操ればいい!それと現金を毎日触って匂いを嗅ぐ!という中国人好みの儀式も加えようじゃないか!

しかし早速行動に移ったのはいいが新規の信者獲得の困難さという壁にぶち当たる。信者を100万人集めるには何十年、何百年かかるかもしれない。そうなると既存の宗教団体を乗っ取ったほうが早いんじゃ・・。だって相手の教祖様を洗脳して「今日から私はイスラム教団○○の一信徒になったのだ!」と宣言させれば、敬遠な信者たち全員を宗旨替えさせられるかもしれないじゃないか!。





ただ現実はそんな甘いもんじゃなく、その教団内の非主流派や上海地区だけとか極一部しか切り崩せないのだが、ゼロから始めるより遙かに効果的であることは違いが無い。それで大手の宗教団体はダメ元でも隠れ信者を送り込むのだし、実際信者数が100人を超えた団体には必ず創価学会か統一教会の回し者が一人は入り込んでいると言われているのである。

隠れ信者たちはまず最初に真面目な信者として勤めあげ、やがて事業部や広報部など教団の主柱部門に入り込んで徐々に蝕んでいくのだが、教祖や幹部を洗脳する代わりに教団内部をガタガタにして崩壊させ、行き場を失って路頭に迷った信者を籠絡していくというケースもあると言う。どうもここらへんは左翼の手法を学んだようだ。

さて昨日の日記でオウムでは統一教会が最もアクティブだったと言ったが、これは統一教会が当時メディアでさんざんバッシングされ、この教団の名前を出した途端に一人の信者も獲得できないほど悪名が轟いてしまったことに大いに関係があるだろう。創価学会とはおかれた環境が余りに違いすぎるのだ。

自民党の力が強かった80年代までは統一教会を攻撃していたのは朝日ジャーナルや赤旗など左翼系メディアだけで、国民の大多数は統一教会などロクに知りもしなかったが、1992年の桜田淳子と山崎浩子の集団結婚式騒ぎをワイドショーが連日報じたことにより小学生から老人ホームのジジババまで統一教会の異常な姿が知られてしまった。

それで統一教会はいくつもの子会社を作って自分たちの影響力を残そうとしたのだが、その一つがオウム真理教である。ただし北朝鮮との危ない合同事業のために使い捨てられてしまったが、天地正教や天照皇大神宮教などは今でも大事にされていて、特に後者は教祖の息子が現職の自民党議員(清和会所属)に推されているのだ。*この団体はつつくと相当ヤバいらしい。





それから公には知られていないが生長の家がすでに統一教会に浸食されていると言う噂もあるし、以前筆者が日記で書いた崩壊寸前の花火教団のケースでは教祖の奥方を籠絡したのは信徒数日本一の京都の仏教教団系の怪しい団体である。いずれにせよ日本の弱小教団はよほど内部の結束を固めていないと大手に食い殺される運命にある様だ。

さてここまで書いてきてある有名な新興宗教の名前が全然出てこないことにお気づきだろうか?。それは立正佼成会でも霊友会でも天理教でも手かざし教団でもなくて、ちょうどソ連が崩壊し、統一教会の悪名が全国に響き渡り、創価学会が宗門と骨肉の争いを演じている時期に彗星に様に現れ、若い世代を中心に信者を増やしていったX教団である。

このX教団はどうやら電通の巧みなマーケティング手法を活用して今や日本最大級の宗教団体にまで膨張したが、筆者が不思議に思うのは一体なぜ総合商社の落ちこぼれ社員がそんな普遍性のある設計図を描くことができたのか?、いやそれよりも何故電通のバックアップを得ることができたのか全くの謎なのである。

陰謀論が好きな筆者はこの時間軸を見るとX教団の背後には別の巨大教団がいて、いつか化けの皮をはがす時期が来るのでは?と思っているのだが、ネットで見る限りX教団は統一教会と創価学会とは犬猿の仲みたいである。もっともバカじゃないから表向きはそう振る舞っているだけなのかもしれない。

しかし目を海外に向ければモルモン教やエホバの証人、サイエントロジー、そしてニューエイジ系の自己啓発セミナー団体(ここも闇が深い)など強力な巨大カルト団体もあるので、ひょっとしたらX教団の背後にいるのは青い目の連中なのかもしれない。なのでX教団を操っている人間は誰なのかもしもご存知の方がいらっしゃったらヒントだけでも良いから是非とも教えていただきたい。






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オウム真理教の背後にいた人たち

今日は地下鉄サリン事件発生から20年目の日である。筆者は丸ノ内線で銀座まで通っていたので事件の一報を聞いた時には驚いたが、実は当時筆者は香港に赴任したばかりで、日本よりも香港の事で頭が一杯だったためオウム事件の一連の報道はほとんど何も見ておらず、筆者がオウム真理教について興味を持ったのは事件から6年も経過した後であった。

1回目の赴任を終えて田舎町で無聊を囲っていた筆者はヒマに任せてオウム事件について調べてみたことがあるのだが、この事件はいろんなデマ情報が意図的に散りばめられた迷宮のような世界で、陰謀論が大好きな筆者はたちまち魅了されることになる。それで事件から20年経った今でもオウムと聞くと興味を湧きたてられるのだ。

オウム真理教について少しでも調べた事がある方なら、なぜ電車内という密室空間にも関わらず松本事件に比べて地下鉄サリン事件はあんなに死者が少ないのか?とか、なぜ地下鉄事件以前の警察の捜査はあれほどまだるっこいのか?、村井を殺害した徐被告の背後について何故踏み込まないのか?など疑念がいくつもあることにお気づきだと思う。

しかし高沢皓司や一橋文哉、それと信頼できそうな何人かのオウムウォッチャーの書いたものを読んでみたのだが、彼らの書いたものはことごとく前置きが長い割に結論が大変分かりにくいのである。なので今日の日記では彼らが何を言っているのか要点だけを書きたいと思う。ただし不明な部分は幾つもあるし、それに物凄く長くなってしまった事を先にお詫びしておきます。





**オウムウォッチャー達が語る事件の本筋**

① オウム真理教が90年以降に凶暴化していったのは麻原が気が狂ったわけでは無く、オウムを実質的に支配していた別の教団と外国勢力に誘導されたからである。

② オウムには統一教会、創価学会、阿含宗ともう一つの団体(名称不明)が隠れ信者を送り込みオウムの主導権を握っていったが、なかでも圧倒的に影響力が大きかったのは統一教会である。オウムは統一教会の仏教部と呼ばれるなど実質的に子会社化していた。

③ 統一教会は霊感商法や合同結婚式で有名なカルト教団であるが、同時に巨額の政治献金を武器に日本の自民党とアメリカ共和党、日本の右翼と官僚組織に食い込んだ政治団体でもあり、またKCIAとCIAの下請けの謀略機関、さらに武器製造や麻薬売買など黒いビジネスも抱えたヌエのような組織である。(これを説明するのトンでもなく長くなるので割愛する)。

④ 統一教会とオウムの結び目は早川紀代秀(オウム建設相)で、オウム生え抜きの上祐や村井の様に表舞台には出ずにオウムの事業部門を握る教団の実質的なナンバー2だった。早川は表面的には麻原に従っていたが、実際は統一教会の指示で動く潜入工作員である。

⑤ 統一教会は92年12月に旧来の敵である北朝鮮と友好関係を結んだが(冷戦終了で足元がぐらついた両者が手を組んだ)、今までさんざん右翼を標榜してきたシガラミから北朝鮮とは表立って取引が出来ないため、子会社のオウム真理教に北朝鮮のカウンターパートの役割を与えた。

⑥ オウムが北朝鮮から与えられた仕事は偽札やミサイルなどの開発技術を収集する事、北朝鮮の代わりに日本国内で覚せい剤を生産する事、そして日本国内にある不気味なテロ組織として国民の不安を煽り、日米両政府に「北朝鮮を攻撃すれば日本人を皆殺しにできるぞ!」!という無言の圧力を加える事であった。武器製造やロシアからのヘリコプター購入なども素人のオウムが手出し出来るわけもなく、北朝鮮もしくは統一教会の商社が間に入っていた。

⑦ 当時の朝鮮半島は北朝鮮のIAEA脱退、核開発疑惑が頂点に達しており、クリントン米大統領は北朝鮮の寧辺施設への爆撃を命ずる寸前まで追い込まれたが、当時の米国防総省の試算では北朝鮮と交戦状態になった場合、南北朝鮮だけでなく日本にも戦火が及び、民間人と米兵合わせて100万単位の犠牲者を生む第2のベトナム戦争になるという結果が出た。

⑧ 金日成はクリントンが戦争を回避したがっていることを知っており、アメリカとのギリギリ外交を続けながら最終的に巨額の援助金と食糧援助をせしめる目算だった(ただし核開発の責任者である金正日は意見が違うと言う説がある。後述)。オウム真理教は北朝鮮の政治交渉のカードの一枚として日本国内に打ち込まれたクサビだった。

⑨ 1回目のサリン事件(松本事件)は金日成=カーター会談直後に発生しているが、これは北朝鮮がアメリカに対しカーター合意が確実に実行されるようにアメリカを脅すのが目的である(ただし後述⑱のとおり異論もある)。使用されたサリンは北朝鮮製でオウムの第7サティアンで製造されたものでは無い。

⑩ 2回目のサリン事件(地下鉄事件)は米朝枠組み合意を受けて朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が発足した直後に発生しているため(北朝鮮の目的が達成した後だという意味)、このテロ行為は北朝鮮の意図によるものではない。そして使われたのはサリンとは違う神経ガスである。サリンは無色透明であり、被告たちが証言する茶色の液体ではありえない。





⑪ 2回目のサリン事件を命じたのは一連の事件の幕引きを図った統一教会であるという説が強いが、オウムを潰すためにアメリカが仕掛けた、日本の長老政治家がオウムを除去したなどと諸説があって今一良く分からない(ここは今でも謎のままである)

⑫ その一方、2回のサリン事件は金日成=カーター合意を反故にしたい勢力、つまりアメリカと妥協せず何が何でも核開発を継続したかった金正日がオウムに命じたとする説もある。元赤旗ピョンヤン支局長の萩原遼が指摘する通り、カーター会談を巡って金日成と金正日は激しく対立し、カーター合意後に金日成が急死したのは暗殺されたからだという説がある。

⑬ 元々北朝鮮で核開発を進めていたのは息子の金正日で、カーターが頭ごなしに金日成と軽水炉導入で合意してしまったため、再び対立関係に戻すためテロを実行したという内容である。なおカーター合意の直後に金日成が急死したのは金正日に暗殺されたためらしい。

⑭ 外国の軍事専門家が分析した通り山梨県の第7サティアンの設備ではサリンの製造は不可能である。従ってオウムが使用したサリンは北朝鮮で製造されたとみられているが、土屋死刑囚の証言通りオウムが自力で作ったとしたら、統一教会が実質オーナーの長野県にある化学会社の実験室で作られた可能性がある。(不明な点が多い)

⑮ それとは別に松本のサリン事件を実行したのはオウムではなく自衛隊の化学部隊だという噂もある。この場合は一連のサリン事件はアメリカと日本政府が北朝鮮のカードを潰すために仕組んだ謀略だという事になるが、そんな手間をかけなくとも警察が刈谷さん拉致で強制捜査すれば良いだけなので、筆者はこれはトンデモ話の類だと思う。

⑯ 村井秀夫の暗殺は統一教会の関与の証拠を消し、隠れ統一教会員である早川が演じた役割を村井におっかぶせるため、そして他の幹部に対し統一教会の話をしたらお前もああなるぞ!と無言の脅しをかけるために実行された。

⑰ 現在収監中の麻原ら幹部は統一教会を庇っているか(脅されている?)、もしくは自民党から政治的圧力を受けた検察庁が真実を隠ぺいしている。よって統一教会や北朝鮮は関係が無く、何もかもオウムが自発的に事件を起こした形で裁判は終了した。破防法の適用も

⑱ 国松警察庁長官の狙撃はオウム事件に便乗した在日朝鮮人実業家の指示で、背景は警察のパチンコ利権に関するものでありオウム真理教とは直接関係が無い。また狙撃したのは中村康という老スナイパーや小杉巡査長、そしてよど号赤軍の田申義三など諸説あるが全てデマである可能性が高い。

⑲ 創価学会はオウムに信者を送り込んではいたが、当時対立していた日蓮正宗への嫌がらせにオウムを使えないか?と考えていただけでオウムの一連の事件には殆ど関係していない。

⑳ 坂本弁護士が拉致された時に、自宅には江川祥子とオウムから逃げてきたと称する数人の人間がいた。坂本弁護士宅の鍵を開けたのは彼らである。江川祥子の夫は統一教会の信者であるが、一家殺害にまで関わったかどうかは証拠が全く無いのであくまで推測である。





いかがだろうか?。⑲と⑳についてはちょっと首を傾げたくなるが、その他の件については筆者は概ねそんなところだと思っている。特にサリン事件の発生時期は2回とも北朝鮮にとっては一息ついた時期であり、冷静に考えればサリン事件を起こす必要性は無さそうなので、オウムを潰したい日米両国か証拠隠滅を図る統一教会なのかな・・とは思っていたが、最近⑫の説を聞き、案外オウムが繋がっていたのは金正日の方なのかも・・と思い始めている。しかしいずれの理由にせよ証拠はないし、そもそも五里霧中の話なので真実など分かりっこない。

なおこの件に関してはピョンヤンに逃げたよど号グループ(日本赤軍)とオウムの不思議な関係や広域暴力団のオウムへの浸透、ロシアとオウムの不思議な繋がりや、それにアメリカCIAの関与など色々書きたいことがあるのだが、すでに相当長い日記になってしまったので今日はここらへんで終わりにします。中途半端な日記になってしまったが、筆者もいまだに調べている最中なのでご理解いただきた。最後に年表を書いておきますので興味のある方はどうぞ。

**朝鮮半島とオウム真理教関連の年表**
1989年11月4日  坂本弁護士一家殺害
1992年10月8日  チームスピリット再開決定
1992年12月6日  金日成と文鮮明(統一教会教祖)が会談 
1993年3月8日   北朝鮮、準戦時態勢宣布
1993年3月12日  北朝鮮、IAEA脱退声明(1回目)
1993年3月26日  文鮮明が特例措置で14年振りに日本に入国
            金丸信、中曽根康弘と会談
1993年5月29日  日本に向けてノドンミサイル発射
1993年6月11日  IAEA脱退を撤回
           米国の武力行使放棄の代わりに北朝鮮は査察を受け入れる。
1994年3月15日  北朝鮮による妨害によりIAEAが査察中止
1994年5月未明   第7サティアンに化学プラント建設
1994年6月13日  北朝鮮、IAEAからの脱退を宣言(2回目)  
1994年6月15日  カーター=金日成会談
1994年6月27日  松本サリン事件
1994年7月10日  金日成死去が公表される
1994年10月21日 米朝「合意枠組み」調印
1994年12月12日 大阪元信者VXガス殺害事件
1995年2月28日  刈谷さん拉致殺害
1995年3月9日   朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足
1995年3月20日  地下鉄サリン事件
1995年3月22日  オウム強制捜査開始
1995年3月30日  国松長官狙撃
1995年4月23日  村井秀夫暗殺






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フィリピン人に金を貸すと必ずこうなる・・

従兄弟の一人がパッシグのアパートを売りに出しているという話を聞きビックリしてしまった。と言うのは2年前にこの男が住宅ローンを滞納して差し押さえ寸前になった際に筆者は結構な金額を用立てたからだ。「娘の為にもどうしてもあの家を手放したくないんだ!」と必死の表情で訴えるほど愛着のある家なのに売却するとは一体どうしたのだろう?と不思議に思ったのである。

それで女房にこの話を聞くと、実は1か月前に従兄妹が「家を買ってくれないか?」と頼みに来たのだが断ったのだと打ち明けられた。どうも従兄弟の仕事は全く利益が上がらず住宅ローンを払ってない状態が続いており、銀行への差し押さえが目前に差し迫っているというのである。それで一昨日も買ってくれ!と頼みに来ていたらしい。

家を買うのはさておき短期的な借金なら親戚連中に頼めば良いではないか?と思ったが、普段あれだけ仲良くしている親戚たちも借金となると話は別らしい。だったら前回同様ウチに借金に来れば良かったのに!と言ったところ、女房が「それは無理よ。だって最初の借金も完済どころか半分も返して無いんだから!」と聞いてエッ!!と驚いてしまった。





フィリピン人に金を貸すといつもこうである。筆者が最初に貸したのは香港のパブで働いていたノヴァという女で、5000香港ドル(当時7万円)ほど貸した時には「ありがとう。絶対に返しますから」と半泣きで喜んでいたのだが、結局1ドルも返さないままトンズラしやがった。2回目は今の女房で1/4ほど返したところで同棲となったためウヤムヤとなったのだが、まあこれは良しとしよう。

3回目は女房の親友だったジュディーと言う出稼ぎ家政婦で、カナダで働きたいと言うのでビザ申請に係る費用を貸したのだが、このビザ代行業者というのはインチキ業者だったためジュディーの夢は潰えた上に借金だけが残ることとなり、ジュディーはフィリピンへと逃げ出して音信不通を決め込んだ。そして4回目はちょっと毛色が違うけれど、女房から金を借りてファイブシックスという高利貸しを営んでいたが突然バンザイした我が家の元家政婦のラセルである。

フィリピン人は計画性が全くないのだ。単純に「欲しかった!」という理由でローンで買ってしまうが、給料日になって「あれっ?帳尻が合わないわ・・」なんてのは毎度のことで、結局数か月後には資金的に行き詰って購入したモノをSULITやグリーンヒルズで売り出すことになる。与信枠がゼロになれば名前を変えればいいのよ!と宮部みゆきの「火車」を地で行ってるのがフィリピンなのだ。





だけど家を売ったら従兄弟一家は住むところが無くなるじゃないか・・?と思ったが、なんと資金捻出のため件のアパートは今月から短期の賃貸に出していて、一家3人は既に従兄弟の女房の実家に移り住んいるのだという。しかし賃貸料では生活費さえも十分に賄えず、つまりローンは全く払えていないので、今すぐアパートを売却しないと万事休すになってしまうらしい。

ということは筆者が貸した金も回収出来なくなるかもしれない・・。それで女房に対して従兄弟の住む物件の市場価格を調べるように命じた。つまり奴の家を筆者が買い取るのである。もちろんビジネスだから徹底的に買い叩くし、更にそこから前回貸した金の残高を差し引くのだ。バカだと思うだろうが確実に回収出来る方法はこれしか無いのである。

実は前述のジュディーの債権回収もジュディーの母親の土地を買い取る(貸した金を差し引いて)ことで完了したのだ。土地を売り出したので現金化したらお返ししますよ!と言っていたがトンズラされれば終わりだからである。今回の従兄弟の場合は一応親戚なので逃げはしないだろうが、クレジットカードや他の金融機関からの借り入れが相当有りそうだから、競売売却金など殆ど残っていないかもしれない・・。





ちなみに奴のアパート(一応コンドと呼ばれている)は小ぶりだし、筆者は将来は海の近くに住もうと思っているので投資目的以外は全く無用の長物である。一応今のところ不動産価格は上がっているが、今後も上がり続ける可能性は低いので損をするかもしれない。しかし放っておけば最初に貸した金は丸々損になってしまうから、確率論から言えば買い取った方が得である。

似たようなフレーズを繰り返して申し訳ないが、結局フィリピン人に金を貸すとはこういうことなのだ。100万円貸したら最初の返済日からスキップされるし、半分回収出来れば良い方だが再び別の問題が持ち上がってより大きな額の追加支援を要求してくる。そこでもう300万円貸すと半分まで返した後で再び問題が発生して・・と同じストーリーを繰り返すだけで元本回収は全く見込めない。

なのでこれからフィリピンに移住しようと考えておられる方は、とにかく絶対にフィリピン人に金を貸さないように気を付けて欲しい。ただし行きがかり上どうしても貸さざるを得なくなった場合は、貸すよりも相手が持っている何かを買うことを申し出るべきである。それでもダメならコンドでも美人の奥さんでも良いから事前に担保を取っておくように!。






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死の病院が連なる町(2)

父の話では国立療養所中野病院というのは東京都内にいくつかあった結核病院の一つに過ぎず、もっと多くの患者を収容する病院が密集している結核の終末治療の地があると言うのである。な!なんだって!それは何処なの?と興奮を抑えられない筆者をじらすように父はゆっくりとした口調で「き・よ・せ」と答えた。

清瀬市。そこは筆者の生まれ育った地区の隣の隣の隣、駅で言えば数駅の距離にあるこれと言って特徴の無い地味な住宅地である。あんなところに結核病院が沢山あったなんて?と驚いたが、父の話によれば清瀬市には国立と私立も合わせて十数もの結核病院がひしめいていただけでなく、近辺にはハンセン病患者を隔離する大規模な施設などがある日本最大の伝染病隔離地帯だったのだと言う。

「清瀬から東村山にかけての一帯は古代からから忌み地と見なされ悲田処が置かれていたんだ。つまり明治時代どころか途轍もない昔から清瀬はそういう場所なんだよ」という父。千年以上にも渡って世間から見捨てられた人たちが悲嘆に暮れていた土地だなんて・・。ここには江古田の森公園なんか目じゃないウルトラ級の怨念が籠っていそうである。





しかしネットで調べても清瀬の心霊話はあんまり出てこない。変だな~と思ったが、ここでまたしても父が助力を出してくれた。つまり江古田中野病院の心霊話が世間に広まったのは公園になって誰でも敷地内に入れるようになったからであって、清瀬は今でも病院として稼働しているのだから一般人の目撃例が限られるのではないか?と言うのだ。

調べてみたらなるほど清瀬にはビックリするくらいの数の病院が今現在でも営業中である。それに十年以上前に祖母が入院していた清瀬の複十字病院も元々は結核病院だったようで、叔母は「この病院はいろんな怖い噂があるのよ」と言っていたから、おそらく病院職員や入院患者の限られた間ではかなりの心霊目撃談があるに違いない。

しかし・・病院にオカルトマニアがズカズカ入り込むわけにもいかないので、清瀬がオカルトの聖地になるにはいくつかの病院が取り壊されて空き地になるのを待つしかなさそうだ・・。そのために一体何十年かかるのか分からないので清瀬をあきらめた筆者は江古田の森公園に深夜出かけて行ったのだが、期待と裏腹に幽霊どころか猫一匹見かけることもなかった。





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死の病院が連なる町(1)

アマチュア怪談師たちの間で東京最強の心霊スポットと言われているのが東京都中野区にある江古田の森公園である。この公園は昼間は子供たちが遊んでいるごくごく普通の公園なのだが、ある霊能者の一団が酒の勢いを借りて深夜突撃したところ、ある者は公園の入り口で体がすくんでしまい、残りの人たちも中に進むにつれて体が重くなりそのまま蹲ってしまったという折り紙つきの場所なのだそうだ。

心霊スポットにはそこで自殺があったとか江戸時代の処刑場の跡地だったなど何らかの所以があるが、この江古田の森公園の場合も結核病院(正式名称は国立療養所中野病院)の跡地という立派な由緒書きがあるのだ。皆さんも良くご存じの通りストレプトマイシン発明以前の結核は死病であり、不幸にもこの病気に罹った人たちはこの病院に隔離されただただ死ぬのを待ち続けたのである。

以前の日記にも書いたが広島・長崎など大量死の現場が案外心霊スポットになっていない理由は死の苦しみの時間が短い事と関係しているようで、逆に人数は少なくとも結核病院の様に患者たちが死の恐怖に怯えながら何年にも渡ってこの世への怨嗟や我が身の不幸を嘆いた場所というのは心霊スポットとしては上々の仕上がりになるらしい。





さて幼少の時分から心霊マニアである筆者も江古田の森公園の存在は全く知らなかったので、今から4年前まだ存命中の父にこの病院の事を尋ねてみたことがある。実は父は病院跡地から南に1キロほどの場所にある神社の跡取り息子として生まれたので、ひょっとして戦前病院の地鎮祭とか夏祭りなどへ神主だった祖父と一緒に病院に出入りしていたのではないか・・と思ったからである。

しかし残念なことに中野病院は祖父の神社の管轄外であり、なにより結核菌に感染しては困るからどの家の子供も親からは「絶対に中野病院に近づくな!」と言われていたらしい。それで子供たちの間で中野病院は不気味な存在ではあったが心霊話はあくまで子供たちの想像の産物であり、リアル感のある恐怖体験話は聞くことが出来なかった。

しかし筆者の残念そうな顔を見た父は「本当に中野病院が最強の心霊スポットなのか?」と聞いてきた。いや・・何人ものアマチュア怪談師がそう言っているから・・、結核みたいな長患いした上に苦しんで死ぬ病気は場にかなり怨念をのこすんだってよ・・と答えると、「それが本当なら中野病院なんかよりもとんでもなく凄いところがあるぞ」と言い出した。






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2015年を彩るフィリピンの美女たち

いつもは早寝する女房が珍しく夜遅くまでテレビに噛り付いていたのだが、筆者は東京都内のある心霊スポットについて調べるのに忙しく、結局1秒たりとも画面を見ることなくそのうち眠りについてしまった。

しかし朝起きてテレビを見ていると昨夜開催されたBinibining Pilipinasというミス大会のニュースが流れている。畜生!美女だと知っていれば心霊写真なんか見ていなかったのに!と思っても全ては後の祭りである。




これは今年度のミス・ユニバースなどの世界大会への出場者を選定する大変重要な大会らしく、義妹の説明には三大ミス大会のうちミス・ワールド世界大会への候補者が抜けているような気もしたが、いずれにせよ美女の多いフィリピンの中でも選りすぐりの美女が昨夜は出演していたらしい。

それで昨夜番組を見逃した筆者は暇にまかせて本日1日女性陣のお顔とおボディをじっくりと(というよりネットリと)眺めさせていただくことにした。では本日の日記では最終選考に残った7人の横顔をご紹介したいと思う。

第7位はマニラ首都圏マリキナ市出身のKimverlyn Suiza嬢。
テレビ番組の製作スタッフとして働く26歳の彼女は今回2nd Runner Upというタイトルを獲得したが、これは世界大会へのチケットではなく予備的なタイトルだそうだ。




第6位はアルバイ州出身のHannah Ruth Lulu Sison嬢。
現在26歳の彼女はマルチメディアアーティストとしてご活躍中だそうである。
今回1st Runner Upというタイトル獲得となった。




第5位はパンパンガ州出身のAnn Lorraine Colis嬢。
名門サン・トーマス大学で会計学を学ぶ22歳で、Miss Tourism 世界大会の参加者に選出となった。




第4位はセブ出身のRogelie Catacutan嬢。23歳。
現在看護婦の仕事をしているが、ホテルマンになるべく勉強中とのこと。Miss Supranational世界大会の参加者に選出となった。。




第3位は南カマリネス州出身のChristi Lynn McGarry嬢。
現在19歳の彼女は大学のバスケットボールとバレーボール部の選手として活躍中らしい。Miss Intercontinental世界大会の参加者に選出となった。。




第2位はパラワン島出身のJanicel Lubina嬢。    
スキューバダイビング好きな19歳で、下馬評では彼女が今年度の優勝者になると騒がれていたらしい。Miss International世界大会の参加者に選出となった。。




そして栄えある第1位に選ばれたのはカガヤン・デ・オロ市出身のPia Alonzo Wurtzbach嬢。現在25歳の彼女は女優兼モデルでありメイクアップアーティストとしても活躍しているらしい。ミス大会でも最高峰と言われるMiss Universe世界大会へのチケットを見事に獲得した。




さてさて皆さんのお眼鏡は如何だろうか?筆者の好みで言えば第2位のJanicel Lubina嬢と3位のChristi Lynn McGarry嬢はかなりの高得点だし、第5位のAnn Lorraine Colis嬢は毛唐好みの雰囲気なので世界大会では結構強いような気がするのだが、1位の方はちょっとばかし不安な気も・・。

まあそうは言っても一昨年は世界大会で一大旋風を巻き起こしたフィリピンであるから、審査員たちも彼女たちなら勝てる!という自信を持ってこの7人を選んだに違いない。何となく心もとない候補者もいるけれど、是非とも世界大会を勝ち上がって再びフィリピン旋風を巻き起こしてほしい。






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安倍を熱望していた男の末路

先日オンライン英会話スクールを起業した同期入社のMが消息を絶ってしまったという日記を書いたが、同じく同期入社のK君からMの奥さん(同じく同期入社組である)と連絡が取れたという知らせが入った。どうやらMは資金繰りに行き詰まり会社を放り出してしまったのだそうだ。

K君の説明によるとMの英会話スクールは後発組のため学費を安く設定することで何とか会員を集めていたのだが、2年半前の起業以来の円安進行によりずっと赤字がかさんでいたが、特に昨年10月末の日銀の追加緩和以降はにっちもさっちも行かなくなってしまったらしい。

「結局Mの野郎は安倍総理に殺されたようなもんだよ」とK君は書いてきたが、筆者はこの言外に込められたK君の皮肉に気付いて思わず笑い出してしまった。おい!同期の友人が破産したかもしれないのに笑うとは不謹慎な!と思うかもしれないが、Mは性根の歪んだ嫌な野郎だったし、なにより運命の皮肉というのを目のあたりにして湧いてくる笑いを堪えられないのだ。





現在40半ば以上の方ならよく御存じだと思うが、当時の学生たちは今じゃ国賊と罵られている河野洋平も右翼と非難するほど左翼的な傾向が強く(宇都宮徳馬あたりで多少右という評価であった)、自民党とアメリカと天皇制の悪口を言っていれば飲み会のヒーローという時代であり、当然ながら自民党よりも社会党や共産党へのシンパシーの方が強かったのである。

ところが同期組の中でMだけは堂々の自民党支持、しかも旧田中派ではなく旧福田派(清和会)などの保守本流支持者で、自民党は結党以来何一つ間違いはしていない!、自民党を疑う奴は頭がおかしい!、朝日新聞を読む奴は低能!俺は文春を愛読している!などと当時としては異端の思想を実に押し付けがましい口調で話すので皆から煙たがられていたのである。

しかしMの話に耳を傾けるにつれ、こいつは自分で考え抜いて保守派になったのではなく、多数派と違う意見を得意の詭弁でねじ込むことで自分を一段高く見せようとする小賢しい人間であることに気が付き、以降Mは同期の皆から疎んじられていくのだが、Mはその後も工場の高卒メンバーや愚鈍なオバちゃん相手に得意の保守思想を披露しては優越感に浸っていたのである。





それから20年以上が経った3年前の冬、中途退職するMと筆者の送別会を同期たちが開いてくれたのだが、ここは昔話をするべき場なのにMは「ついに保守のプリンスが戻ってきた!これで日本は変わるぞ!」と誰彼かまわず喚くので一同シラーッとしてしまった。この阿呆はよほど鈍感なのか安倍総理と同じく雰囲気も読むことも出来ないようなのだが、その時のMの優越感に満ちた笑顔を見るのは実に不快だった。

ところがMが会社を辞めて始めた事業は典型的な「外貨建て仕入モデル」であったため、待ちに待った保守のプリンスがおっ始めた極端な円安政策によって破たんを来たし、貯金も退職金も使い果たして夜逃げ同然に会社を畳まなければならなくなったというのだから、筆者は思わず快哉を叫んでしまったのである。まあ安倍みたいな勝共連合推奨議員を信奉すれば結局はこうなるんだよな・・。

同期のK君も「Mの奴は政治の見通しは良かったけれど、肝心の自分自身の事には先見の明が無かったようだね」と皮肉っぽいメッセージの後で、「今の日本は右派が多数派になって来てるから、Mの奴は今度は左翼になるんじゃないかな・・」と気になる事を書いてきた。そうだね・・保守のプリンスのおかげで何もかも全部失ったんだから、こんどは徹底した新左翼に参加したらどうだどう?M。






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今年は台風の当たり年なんだと・・。

現在南太平洋上3700キロ東の距離に位置し時速25キロのスピードで向かっている熱帯低気圧は今週火曜日に台風となってフィリピン領海内に侵入し、金曜午後から土曜日午前中にかけてルソン島ビコール地方に上陸する可能性が高いとフィリピン気象庁が発表した。

ただし途中で方向を変えて日本へ向かったり、低気圧そのものが弱体化して消失してしまう可能性もあるらしく、また台風となって上陸しても大雨になる程度なので現時点ではそれほど心配する必要は無いと呼び掛けている。

まあ猛暑に向かっている時期の熱帯低気圧というのは世界中どこでもそういうモノなのだが、実は筆者は今回の予想は半信半疑でいるのだ。というのは一昨日ニュースでエルニーニョ現象が顕著になってきた事により今年の台風は予想がしにくくなったと気象庁自身が報じていたからである。





気象学者の科学的な説明は半分も理解できなかったが、東太平洋の水温上昇により、①熱帯低気圧の発生頻度が上がる、②西方に移動中に台風に昇格しやすくなる、③凶暴度が高まる、さらに④台風シーズンの幅が広がる、というのが結論だった。要するに今年は台風の当たり年という事らしい。

さらにこれはどういう理屈か分からないのだが台風の進行ルートが北側にずれ込み、台風銀座と言われる2つのルートのうちビサヤ地方横断ルートの頻度が減って、ビコール地方→マニラ首都圏ルートの割合が大幅に増えるというリサール州にいる筆者にとっては大変困った年になりそうなのだ。

気象庁自身が予報は外れる確率が上がったと言ってるのだから来週到来する台風も予想とは裏腹に結構性質が悪いかもしれないのである。まあ筆者は毎日が日曜日なので1か月くらい外出しなくても一向に構わないのだけれど、ルソン島で仕事をしている皆さんは台風予報を注意深く聞きましょう。どうやら今年の台風はヤバそうです!






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親戚一同から村八分にされた男

女房の従兄弟ボンギンが来週から海外へ出稼ぎに行くというので突然と我が家へ挨拶に来た。このボンギンは一族のはみ出し者であり、さらに妻と子供二人とも盗癖があるので筆者は貴重品を全て2階の寝室へと運び込み、連中が餞別を要求して来たらニッコリ笑って「NO」と言ってやろうと身構えていたのだ。

ところがボンギンは祖母の遺産をガッポリせしめたせいか女房に金品を要求してくるようなことはせず、また筆者と義妹が目を大きくして一行の一挙手一投足を見張っている事に気が付いたらしく盗みの方も諦めたようで、予想と裏腹に女房とボンギン一行との会話は至極和やかであった。

このボンギンは20年前に香港、その後は韓国に移動して何年か不法就労していた事があるので、今回はアメリカにでも密入国するのかと思ったが、話を聞いてみたところ何とアンゴラに行くと言う。アンゴラ・・?たしか筆者が学生の頃は内戦状態でイエメンやレバノンと並ぶ超危険国だったはずだ。





「アンゴラのダイアモンド鉱山に仕事が見つかったんだよ」と言うボンギン。そういえば以前にアンゴラは凄い勢いで経済成長しており、中国人や旧宗主国ポルトガルの人間が出稼ぎに行っているとは聞いていたが、まさか女房の身内がそこへ行くことになるとは考えもしなかった・・。

しかし何と言ってもアフリカである。治安の方は大丈夫か・・と思い、さっそくネットで検索してみたところ、まあ出るわ出るわ・・。犯罪が多いとかいうレベルでなくギャングが国を乗っ取った形の様だ。それでお前大丈夫かよ・・と聞いてみたが、ボンギンは全然気にしていない様子である。

「俺がいるのは都市部じゃなくて鉱山だからさ・・」とケロッとした顔で言うが、昔から荒くれ者が集まる鉱山は殺人が横行しているものだし、特にダイヤモンド鉱山なんて一番ヤバそうな気がするんだけど・・。





しかし女房と義妹も別段ボンギンの身を案ずることもなく、愛想を浮かべながら適当にやりとりするだけで、小一時間ほどするとボンギン一行は帰っていった。それで女房にアイツ生きて帰ってこられるかな?と言ったところ、別にいいんじゃない・・と実にそっけない。

ボンギンは子供の頃から色々と問題を起こし続けたし、特に昨年亡くなった祖母に生前暴力をふるったり、土地を不法占拠して正規の相続人である叔母から立ち退き料をせしめてからは一族からは完全に村八分状態になったのだ。つまり生きようが死のうがどうでも良いってことだろう。

義妹も「どうせだったら一家全員アンゴラに呼び寄せて、そのまま永住しちゃえばいいのよ!」と言ったあと女房と顔を見合わせて大笑いしていた。フィリピンは家族愛が強いと言うけれど物事には限界があるという事らしい。あばよボンギン、死んでも化けて出てくるなよ!。






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民族派右翼F君の衝撃

会社の後輩にF君と言う少し変わった男がいる。県一番の進学校から上智大学に進んだF君は卒業後は県下一の企業にUターン就職し、入社後3年目にして香港支店に駐在員のご身分となり、そしてアメリカの大学院に企業留学してMBAを取得するなど絵にかいたような国際派サラリーマンなのだが、実は彼の頭の中身は経歴から想像できるイメージとは裏腹に生粋の右翼、いや民族派なのである。

筆者の知るかぎり新入社員の頃のF君はおっとりしていて思想的にはノンポリだったのだが、彼は昔からSPAとSAPIOを熱烈に愛読していたから、おそらく小林よしのりの右傾化につられる形で彼も思想転向していったのだと思う。まあここまでは特段珍しい事では無いのだが、数年前からF君はより過激な団体の影響を受け始め、彼の言動もより常人離れしたものになっていったのだ。

しかしF君は思想面を除けば元来は気の良い男で、筆者が困った時など良く助けてくれたから彼とは親しく付き合っていたのだが、困ったのは酒を飲むと会話の50%くらいが朝鮮人と中国人への罵詈雑言になってしまうことだった。筆者も両民族に対しては文句が山ほどあるのだが、F君は香港や深センのレストランでも大声で「傲岸不遜な支那人め!」などと叫び始めるので、彼と酒を飲むのは時には命がけになってしまうのである。





さて3年前のある日香港に出張に来たF君とサシで飲んでいると、いつもの様に「全くチョン公はゴキブリ以下の生物ですね!」などと喚いた後で、実は最近地元の私塾に参加するようになりまして・・と意味深な事を言った。私塾?なにそれ?と聞くと、志を同じくする地元の人間たちが集まる勉強会のようなもので、歴史問題や内外情勢について議論する場なのだと言う。

なんか怪しいな・・と思った筆者は「それは右翼団体だろ!」と聞いてみたところ、ええ・・まあそんなもんです・・と歯切れの悪い口調で答えた。40代半ばで二児の父であるF君が右翼に入団とは思わず笑ってしまったが、いえいえ!僕が通っている○○○○塾はヤクザみたいな人たちばかりじゃないんですよ!と弁明し始めた。

F君の話によるとこの○○○○塾というのは地元の郷士を自認する親睦団体なのだが(なぜか武道団体でもある)、メンバー全員が街宣車に乗って叫んでいるわけではなく、表立った活動はしない賛助会員という制度があるのだそうだ。おそらくF君は心情的には街宣車の上で「朝鮮人は日本から出ていけ!」と叫びたいと思うのだが、会社や家族の手前一番穏便な賛助会員になるつもりだと言う。





「左翼は韓国や中国の使い走りに堕ちてますからね!子供たちの将来を考えればやっぱり右翼ですよ!」と胸を張って言うD君。しかし・・80年代までに左翼運動に身を置いたことがある方ならF君は根本的な考え違いをしていることにお気づきのはずである。誇り高そうに笑うF君には気の毒だが、彼が誤った道に進まないためにも筆者は彼の不勉強さを指摘せざるを得なかった。

「あのさぁ・・。左翼よりも右翼の方が外国に浸食されているって知ってる?」と言うと、F君は「それはウソですね!」と直ぐに否定する。確かに世界的な反共政策の一翼を担うため一時的にアメリカと・・!とF君は誰もが知ってる話をしようとしたが、「いやアメリカと言うより韓国なんだけど・・」と途中で筆者が水を差すとF君はエッ!と言ったまま動きが止まってしまった。

日本の民族派のかなりの部分が実は韓国のカルト教団に支配されていることをF君は知らなかったのである。それで統一教会の下部機関である勝共連合が日本の街宣右翼の元締めで、彼らの目的は児玉誉士夫や笹川良一ら日本の利権右翼を使って日本を韓国の国益に叶うように誘導することだったことを説明したのだが、○○○○塾の勉強会ですっかりマインドコントロールされたF君は筆者の言う事を全く信じない。





やがて筆者の説明を聞き終わったF君は「でも!それはあくまで国際的な連帯の事であって、日本の右翼は児玉誉士夫ら愛国者が主導権を握っていたんですよ!」と言いはる。おまえ児玉がどれだけ金に汚い男か知ってんのか?と言ったが、ええ!でも金に汚くても左翼よりはいいんですよ!だって児玉は自分の母国を裏切っているわけじゃないんですから!と興奮した口調で言うF君。

それで仕方なしに「児玉は日本人じゃなくて朝鮮人なんだけど・・」と本当の事を言ったら、F君は「エエッ!!」と言ったきり黙り込んでしまった。これは児玉が朝鮮生まれだが父母は日本人という意味では無く、生まれた場所も両親も純粋な朝鮮人という事なのだが、笹川良一が日本史的に化外の民と位置付けられた特殊な集団の出身であるのと同様に、ある一定年齢以上の日本人なら誰もが知っている話である。

そのままF君は凍り付いてしまったので、その場は何とも気まずい雰囲気のままお開きとなり、そして残念な事にその後彼とは連絡を取り合う仲ではなくなってしまった。なのでもしアナタが「韓日友好」とペンキで書かれた街宣車の上で「朝鮮人を一人残らずガス室にぶち込め!」と叫んでいる小太りの中年男を見つけたら、それは十中八九F君なので筆者がよろしくと言っていたと是非とも伝えて欲しい。






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牛と○○した男が逮捕

カビテ州シランで牛を強姦した男が逮捕されたと言うニュースが出ていた。この男はアンディ・ロヨラと言う名の同地区に住む46歳の男で、先週水曜日に近所の牛小屋から1匹の牛を盗み出し、某所で事に及んだと言うのである。

事件は翌朝この牛の飼い主が付近を捜索したことが発覚し、通報を受けた警察がアンディ・ロヨラの自宅を捜査したところ麻薬使用のための道具を発見。どうやら麻薬によりトランス状態に陥った容疑者が欲望発散のため牛に襲いかかったらしい。

現在アンディ・ロヨラはカビテ州の州立刑務所に拘留されていて警察の取り調べを受けている最中だが、同州アルフォンソ最近で別の牛が強姦される事件が発生しており、警察はアンディ・ロヨラが事件に関与している可能性が高いとみていると言う。





2匹の牛を犯したことで強姦罪が適用されるのか?と不思議に思ったが、フィリピンにはACT8485(別名:動物福祉法)という刑法があって今回の事件ではこの法律が適用されるのだとか・・。

なお飼い主は被害にあった牛が妊娠している恐れがあるので獣医に健康診断を実施するよう強く訴えている様である。妊娠を疑うということはアンディ・ロヨラが強姦したのはメス牛だったようだが、妊娠云々の話を聞く限り加害者の男だけでなく飼い主の頭も大丈夫なのか?と思わず疑ってしまった。

どうやらこの事件に登場する生き物のうちマトモなのは牛だけのようだが、こんな壊れた人間に犯されてしまうとは実に痛々しい話だ。筆者はおバカ事件が大好きな人間だが、牛の気持ちを思うと何ともお気の毒な事件である。この牛嬢は忌まわしい過去に縛られず力強く生きていって欲しい。






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熱中症にご注意

MMDA(マニラ首都圏開発公社)は交通統制員や清掃員など屋外で働く職員に対し熱中症防止のために1日30分間の休憩を与えることを公表した。これは3月15日から5月31日までの猛暑期の特別措置で、MMDAの屋外職員は毎日1時30分から2時まで、もしくは2時30分から3時までのどちらかの時間帯に交代で休憩を取るとのことである。

MMDAは2012年に交通統制員が熱射病により死亡するという事故に見舞われており、今回の特別措置は事故の再発防止を狙ったものらしい。なお同じ屋外勤務でも午後6時から深夜2時までのナイトシフト組には30分休みは適用されないそうだ。

たかが一人死んだくらいで・・とお思いの方もいるだろうが、筆者には1人死亡というのは随分と少ないなという印象を受けている。というのは筆者の住むサブディビジョンでは今年に入ってからすでに二人の熱射病患者が発生していて、二人とも死にはしなかったものの脳血栓によって半身麻痺など重大な後遺症を発症しているからだ。





筆者も若いころは灼熱のインドを1日8時間も歩き回ったりしたものだが、数年前に香港人の同僚がトレッキング中に熱射病に罹り、そのまま森の中へと迷い込んで死んでしまう事件に遭遇してからは炎天下に動き回るのは止めることにした。

日本人は「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて精神論の持ち主が多いが、あれは気候的に温帯の日本だから言えることであって、タイやフィリピンみたいな国で炎天下に動き回れば即死ぬことに直結してしまうのだ。ブッダだって沙羅双樹の木陰にいたのだから精神論で解決できる話ではないのだ。

なので午後12時から4時まで屋外でずっと過ごすのは出来るだけ控え、どうしても外出せねばならない場合は防止と水分補給は忘れないように心掛けてほしい。半身不随とトレードオフの関係にある重要なものなど何一つないのだから、これから3か月間は郷に入れば郷に従えで昼間は家でゴロゴロしていましょう。






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ココナッツオイルの嘘

日本に勤務していた時の姉御から「フィリピンのココナッツオイルってダイエットに効くの知ってる?」というメッセージが入った。この姉御は生まれつき骨格が良いため昔から太目に見えるのを気にしていたが、最近フェイスブックにアップされる写真を見ると更に肉付きが良くなっているから、このままではマズイ・・と思い始めたようである。

さて姉御の用件というのはフィリピン人が愛用している知られざるココナッツ食品は無いか?という事だった。なんでも日本で売られているエクストラなんとかとか、スーパーなんとかというココナッツオイルを何種類も試してみたがあんまり効かなかったというのである。それでオイルじゃなくて別の加工食品を試してみたいのだそうだ。

ちなみに筆者はココナッツと言うのは今まで数回しか食べたことが無いし、健康への効果なんて考えたことも無いので姉御の話はチンプンカンプンなのだが、ココナッツに含まれる中鎖脂肪酸とか言う成分が動脈硬化防止やアンチエイジング、ダイエット、そしてお肌のしっとり感に効くと言うのである。





それで缶入りのココナッツジュースならスーパーで売ってますけど・・と姉御に言ったら、そうじゃない!ココナッツオイルの原料になっているのは殻の内部にこびりついた白い果肉なのよ!アタシはあの果肉の加工品が欲しいのよ!と書いてきた。なるほど、確かに女房や義妹はレストランに行けば必ずと言って良いほどココナッツを頼むし、スプーンで中の果肉をほじくり出して食べてるのに気が付いた。

しかしである・・。筆者の親戚連中はしょっちゅうココナッツの中身を食べている割には体型的には全員漏れなくブヨンと太目だし、30代になると全員中性脂肪や高血圧などの持病を抱えている。そして40代からはポツポツ糖尿病も発病し始め、50代は全員が全員とも何らかの成人病の持ち主なのである。

だが姉御は「フィリピン人の女の人ってみんなスリムでスタイル良いじゃない!。だから彼女たちだけが知っている特別なココナッツ食品があるはずよ!」と書いてきた。う~ん・・、どうも姉御の頭の中にはかなり間違ったフィリピン女性像が描かれている様だ・・。だけど他ならぬ姉御の頼みだから親戚に頼んではみるけれど、ただ効果があるとは正直思えないんだけどなぁ・・。






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バカバカしいニュースが世界を救う

筆者は通算20年ほど外国で生活をしているが、在住している国が今現在健全な状態にあるのかどうかを知る判断基準として、くだらなくて意味のないニュースがどれだけその国を代表する新聞の社会面を埋めているのか?というのを見ることにしている。

例えば筆者が初めて移住した1994年の香港はまだイギリスの支配下にあり人々は自由な空気の下せっせと商売に励んでいたのだが、当時筆者がとっていた新聞の社会面には毎日必ずと言って良いほど「発情した犬が次々と人間を噛んで捕獲」とか「女装マニアの教師がイカサマ祈祷師を殴って逮捕」といったバカバカしい記事が載っていたのだ。

もちろん筆者も鄧小平の健康状態や混迷するロシア政治、株式市場の動向などの真面目な記事も読んでいたが、ビジネス重視で毎日せわしない時間を過ごしている香港だからこそこういった一服の清涼剤が有難かったのだ。しかし3年後に香港は中国に返還されてしまい徐々に自由が失われていくに従ってナンセンスな記事も姿を消していった。

文化大革命中に徹底的に迫害され農村に下放されていた取引先の中国人幹部は「世界はキューバのカストロを賛美するがそれは大間違いだ!」と面白い事を言うので筆者は理由を尋ねてみたところ、政治スローガンが町中に貼られた国は秘密警察が跋扈する恐怖国家と同義語である!という持論を話し始めた。

それでふざけて「だったらミセスのためのダイエットや痔・水虫の特効薬の宣伝広告で溢れた国はどうなんですか?」と聞いたところ、この幹部は「その国で気をつけなけりゃならんのは税務署の調査官くらいだから大変健全な国家だと言えるね」と真面目な顔をして言うのには面喰ってしまった。





平和な時代しか生きたことが無い筆者には分からないが、恐怖政治の中を生き残った人間は広告一つ見ただけで自分たちは安全な体制の下にいるのかどうか皮膚感覚で感じ取れるのだろう。それで筆者も前述の様にナンセンスな記事の有る無しを一つの目安にするようになったのだ。

さてフィリピンのニュースだが、筆者が住み始めた2013年には「自分の母親の目玉をほじくり出して食べようとした女」とか「妖怪アスワンに怯える村人たち」など、迷信深くて人の好いフィリピン人を良く表しているナンセンスな記事が数多くあるので筆者は毎日楽しく新聞を読んでいたのだ。

ところが昨年の秋あたりから社会面はイスラム教徒によるテロとか全く笑えない陰惨な事件のウエイトが目に見えて増えていき、特に今年1月末の警察とMILF(モロ・イスラム解放戦線)との銃撃戦以降は笑える記事というのは全くお目にかかれなくなってしまった。

「だったら芸能面を見ればいいじゃない!。ヴァイス・ガンダやアイアイ・デラスアラスが出てるわよ!」と女房は言うが、北朝鮮だって芸能面にはユーモアのある記事が載っているのだから、これは社会の健全性とは全く関係が無いのである。社会の状態を一番良く映すのはやはり社会面なのだ。

昨年から世界の状況は暗雲が立ち込みはじめ、戦争12年周期説で言う「2015年の戦争」へと徐々に向かっているよう思えてきたが、こういったマイナスのオーラを払拭するためにも世界中の新聞の社会面に「廃ビルに潜む露出狂の男を逮捕」といったバカバカしい記事を読んで朝からニヤニヤと含み笑いを漏らせる社会になってもらいたいものである。






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モーレツ扇風機

香港時代に買った東芝製の扇風機が壊れてしまったので、女房に命じて近所のスーパーに新品を買わせに行った。日本にいる方は何で今の時代に扇風機なんて・・?と思うかもしれないが、電気料金が日本並みに高いフィリピンでは扇風機は今でも冷をとるための主力手段なのである。

さて女房が買ってきたのは480ペソ(1300円)の中国製の扇風機であった。香港では似たような製品が1000円以下で買えるからちょっと高いな・・と思ったが、フィリピンは電気製品に限らず何でも輸入する国だから仕方が無い。それで箱からキットを取り出して組み立てした後で早速スイッチの風力レベル1番というのを試してみた。

ブオーン!ブオーンオンオン!!。もの凄い風力である。今まで数多くの扇風機を購入してきたが、こんな強力なのは初めてだ。なるほど・・このレベル1というのは「強」という意味らしい。雨季に洗濯モノを乾かすのには最適のようだが寝ている時にはこれは幾らなんでも強すぎるな・・と思い、今度はスイッチを2に切り替えてみた。

ブオーン!ブブブブオーーン!!。なんとレベル1よりも更に強風になっている。ちょっと待てよ・・。スイッチは0、1、2、3と4種類しかなくて1よりも2の方が風が強い。ということは3は・・と思って更にスイッチを切り替えると、まるでヘリコプターの回転翼の真下にいるのでは・・と思うほどの猛烈な風とギイーンッという音が部屋中に鳴り響いた。

それで「お前!ダメだよ!この扇風機は!」と女房に抗議したのだが、女房は「何で?」と不思議そうな顔をしている。何でって・・、こんな強風に当たったら風邪ひいちまうだろうが!と言って目の前でスイッチを捻ってみたのだが、なんと女房は別段驚く事も無く「風が強い方がいいじゃないの」と言うだけである。





お前は何を言ってるんだ・・と筆者は不思議に思ったが、女房の話を聞いている内に扇風機に対する価値観が筆者と女房では大きく違っていることが分かってきた。筆者の場合は冷をとる手段はあくまでもエアコンが主役であり、扇風機はエアコンの補助品として心地良いそよ風程度の風を送ってくれれば良いだけなのだ。

ところが女房にとって扇風機はエアコン以上に主力選手であり、特に4~6月の猛暑を乗り切るためには5メートル先まで強風が届くくらいが良い!という考えなのである。なるほど・・、大家族が川の様に寝そべっているフィリピンならではの考えである。一緒に生活してから18年経つが、今初めて電気製品への価値観の違いに気付いた。

「これだけ強力な扇風機なら夜はエアコンをつけなくても大丈夫よ!」と自信ありげに言う女房。フィリピンの電気料金が高い高いと今まで散々ぼやいていたから、エアコン代わりにきっとスーパーでいちばん強力な扇風機を買ってきたに違いない。しかし筆者も円安のせいで家に入れる金が目減りしているから文句は言いにくい・・。

それで早速この扇風機だけの夜というのを過ごしてみたのだが、眠りについてから2時間ほどして目が覚めてしまった。どうも強風で体温を奪われたらしく咽喉の奥がチクチクと痛む。こりゃ風邪をひきかねないな・と思い、扇風機の角度を上に向けて天井に風が当たるようにしたところ、まるで北アルプスでビバークしているのでは・・と思うほど部屋中に風がビュービュー吹き荒れている。

翌朝「どう!この扇風機いいでしょ!」と女房はすっきり目覚めた顔で言うが、こっちは悪寒はするし咽喉は痛むわで散々な状態である。それで筆者は女房に苦言を呈したところ、なんと女房の口から「だったら寝ている時に毛布を2枚重ねてかぶればいいじゃないの」と唖然とするような答えが・・。何だかお互いの物差しが余りにズレていて、どこから説明したらいいのか分からなくなってきた・・。






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スーパースターへの遠く険しい道のり

パンパンガからの帰り道、筆者以外の全員がつい先日にファイナルを迎えたザ・ボイスという歌番組についてワイワイと話し込んでいた。これは元々ヨーロッパではじまった新人歌手の発掘番組で、4組に分かれた無名の歌手たちが練習を重ねながら6か月間のコンペティションを戦い抜き、最後の一人を選ぶという流れなのだが、このフィリピン版というのがあって大変注目を集めていたのである。

一昨年のシーズン1は筆者の知り合いが参加していて、彼女は惜しくもベスト4まで進んで敗退してしまったのだけれど、今回のシーズン2は参加者に知り合いが一人も居ないので番組自体見ていなかったのである。しかし筆者以外の親戚は毎週この番組を見ていたらしく、オレの見立てでは優勝者はダイじゃなくてアリサだよ!などと評論していたのだ。

みんなが余りに楽しそうに話しているので筆者も少しくらい会話に入り込もうと思い、「次のシーズンにはチェルシーを参加させたらどうか?」と発言したのだが、チェルシーの後見人である従兄弟のジェンから「いや、それは無理だよ」と一言のもとに否定されてしまった。

このチェルシーというのは従姉弟ジェンの女房ジュミの姪っ子で、現在パッシグのジェンの家に居候している18歳の娘なのだが、一昨年にマラテで開催された歌手コンテストで入賞し、6人組の歌手の一員としてCDデビューしているのである。もちろんヒットチャートのトップ10どころか50にも入らないマイナーグループだが、一応歌手としてメシを食っているのだからボイスに参加してステップアップしたらどうか?と思ったのだ。

「残念だけど今のチェルシーの実力じゃ最初の100人にも入れないよ」というジェン。ザ・ボイスにエントリー出来るのは既にホテルやクラブを満員にできるくらいの実力派ばかりで、CDを出してテレビにもたまに出ているとは言え、あちこちのイベントにお呼ばれされる程度の歌手じゃ箸にも棒にもかからんということらしい。





なるほどさすが音楽大国フィリピンである。まあ筆者は日本の音楽事情もロクに知らないので比較も何も出来るわけでは無いのだけれど、上はレア・サロンガやレイチェル・アン・ゴーからチェルシーみたいな下っ端歌手まで数万人(下手すると数十万人?)がひしめいているようだ。そんな不遇な無名歌手にとって何千万人ものフィリピン人が視聴するザ・ボイスに出演するという事は宝くじに当たる事より難しいのかもしれない。

しかしそう思った時に「あれっ?」と疑問が浮かんだ。昨年の王者であり、筆者の知人ジャニスを打ち破ったミトイってスーパースターになったんだっけ?。それで車中の全員にこの王者の近況を知ってるか?と聞いて見たところなんと誰も返事をしない・・。

ちなみにフィリピンのコンテスト番組というのはスーパースターを生み出す土壌となっていて、数年前のピノイ・ドリーム・アカデミーという番組は(筆者は香港で観ていた)イエン・コンスタンチーノという愛らしい女の子を一気にスターダムに乗せる原動力になっているし、現在フィリピン一の歌姫サラ・ヘロニモもStar for a Nightというコンテストの出身だ。

そしてザ・ボイスの注目度はドリーム・アカデミーより遙かに上なのだから昨年の王者ミトイや2位のクラリッサは今現在ビッグヒットを飛ばしていてもおかしくないはずなのに、ザ・ボイスが終了した後はとんとお顔を拝見しなくなってしまった。それに過去2回のファイナルスト(各4人、合計8人)ってビジュアル的にもかなり問題があるような・・。

「ミトイと言えどもフィリピンの音楽シーンで生き残るのは難しいのよ」と従姉妹フィリンは言うが、筆者の素直な目と耳で判定する限り、どうもザ・ボイスは見当はずれの人間を選んでいるのではないだろうか・・。だとすれば影が薄くて年金事務所か葬儀屋の受付の方が似合いそうなチェルシーでも審査員が勘違いしてベスト8くらい進めるかもしれない。なのでダメもとで応募申込みだけでもしてみたらどうだろうか?






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ネズミ算のように増えていく親族

女房の親戚が亡くなったというので、筆者ら夫婦は弔問のため昨日パンパンガ州サンタアナ市まで出かけてきた。筆者ら一行の代表はエスター叔母とボウイ叔父の2人、随行者は筆者ら風雨に義妹と従兄妹のジェンとフィリン、それと2人ガキンチョの合計8人である。

2時間半のドライブの後で会場についた筆者らは早速遺族へ弔いの言葉を向け、ご遺体に十字を切ることにした。今回亡くなったのは68歳になる女房の亡母の従兄弟で、今まで病気ひとつしない健康体だったのに先週食事中に突然心臓発作を起こしてしまったのだそうだ。

日本では母親の従兄弟の葬式に娘が参加するというのは珍しいのかもしれないが、大家族主義のフィリピンでは従姉弟同士が子供を連れてお互い行き来するのは非常に一般的である。それに女房の親戚はこの第一世代の従姉弟たち(全員60歳以上)が中心になって毎年ファミリー・リユニオン(親族合同交流会)を開催するほど仲が良いのだ。

これは第一世代の従姉弟たちが各自持ち回りで幹事となり、年に一度サンタアナ市のレストランを借り切って上は80歳の婆さんから下は生後1か月の乳飲み子まで一同に会し、朝から晩まで飲み食いと歌とダンスに明け暮れるという行事で、昨年はエスター叔母ら3兄妹と女房や義妹が幹事役だったのである。





さて昨日の葬儀の場ではエスター叔母やボウイ叔父は第一世代の従姉弟たちと同じテーブルに集まり、死んだ○×は子供の頃はヤンチャで・・と故人を偲んでいたのだが、会話に聞き耳を立てていた義妹によると、いつの間にか来月5日に開催される次期ファミリー・リユニオンの連絡会になっていたそうである。

まあ年寄りの葬式と言うのは悲しみの場と言うより親戚の再会の場と言うのはどこの国dでも同じだが、この第一世代のファミリー・リユニオンに対する愛着は並々ならぬものが有り、この会合を1回でも多く続けるためには私たちみんな長生きしなきゃ!と励まし合っていたらしい。

そしてこれは別の場で聞いた話だが、第一世代は自分たちが死んでいなくなってもファミリー・リユニオンを現在の形のまま(つまり第一世代の子孫が全員集まる形)継続してくれないか?ということを第二世代の主要なメンバーに打診し始めたらしい。まあ自分たちの友情の証を後世にいつまでも残したい!とは、いかに彼らの関係が強固であったのかという証だと思うが、残酷だが筆者はそれは無理だろうな・・と思った。

というのは、このリユニオンは凄いスピードで新規参会者が増えていて、今現在でも誰が誰だかさっぱり分からない状態になっているからだ。この第一世代の従姉弟の人数は元々は30人ほどだったのだが、それぞれが結婚して最低でも3人くらい子供を作っているから、第二世代は約90人、つまり第一世代の配偶者と第二世代も合わせて全部で約150人というのがファミリー・リユニオン開始時期の人数だったのだ。





ところが第二世代は現在全員が20代歳以上に成長し、ほぼ全員が結婚して子供がポコポコ産まれている真っ最中なのだ。仮に子供の数は夫婦当たり平均2人としても第三世代は現在180人くらいになっていて、しかも今も現在も力強く増殖中なのである。

仮に10年後に第一世代が配偶者もろとも全員お陀仏したとしても、第二世代は配偶者込みで180人、第三世代は最低でも270人には増えているだろうから、ファミリー・リユニオンは450人と開始時の3倍に増えているはずである。

「第二世代の半分くらいは顔だけは覚えているけど、第三世代はもう無理よ!」というのが女房や義妹の言。どんな仲が良いと言ってもこれだけの人数が一体感を維持するには限界がある。筆者など従兄弟が30人と聞いただけで気が遠くなってしまうし、450人の親戚などもはや統計上の数字でしか捉えられない。

「従姉弟会は残したいのよね」とエスター叔母は言うが、こんな膨大な人数だと実質統制不可能である。なので悪いけれど皆さんの美しい友情の場はあの世にたどり着いてから第一世代だけで継続していただきたい。なおメンバーが少ないからといって霊界から無理やり第二世代を引っ張りに来ない様に・・。






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いい加減なオンライン英会話スクール

筆者の会社員時代の同期で、同じ時期に会社を辞めてオンライン英会話の会社を経営していたM君が突然姿を消してしまった。共通の友人で娘をM君の英会話スクールに学ばせているF君の話によると今のところ会社の方は営業を続けているらしいが、ここ数日は予約が全然取れなくなっているらしい。

このM君は昔から自己顕示欲が人一倍強く、世界は自分のためにあると思い込んでいる身勝手な男だったので、筆者はこいつを毛嫌いしていたのだが、2年前に開催された同期会の際にたまたま同じ時期に退社することと、お互いフィリピンがらみの第二の人生を歩むという事を知ったM君は筆者に「一緒に組まないか?」と厚かましくも持ちかけてきたのだ。

しかし彼のビジネスモデルというのは一体何がセールスポイントなのか筆者にはさっぱり分からなかったし、しかも教師(フィリピン人)と受講者(日本人)が直結すればたちまち居場所を失うような曖昧な立ち位置である。そこにこれからの国際化の時代に日本人は英語は必要だ!という長ったらしくて高邁な理念を語るから中身のスカスカ感だけが際立って感じられる。





それで彼のお誘いを断ったところ、「いや~!英語が得意な人間が必要なんだけどな・・。考え直してくんない!」という台詞を聞いた時には驚いてしまった。エッ!お前英語出来ないの?と聞くと、何の恥じらいも無く「ほとんど判らないよ」と言う。それじゃあフィリピン人の教師が提供する商品(英語レクチャー)の質もお前は吟味できないじゃないか・・。

以前の日記にも書いたが企業の力とは①顧客との強固な関係、②商品力、③オペレーションの優位性、の3つの内どれかに行きつくが、M君の会社は②も③もダメということである。じゃあ大手企業や大学にしっかり食い込めているのか?と聞くと、これからチラシを作って勧誘するのだ・・という体たらくであった。

まあ自分で一から事業を立ち上げる人間の全員が全員とも明確なコンセプトを持っているわけでは無いし、例えドラッガーやミンツバーグからお墨付きをもらったビジネスモデルと言えども成功するとは限らないのだけれど、それにしてもM君の起業計画というのは行き当たりばったりである。こいつは昔から弁はたつものの中身の方はさっぱりだったが、20年たっても何も進歩しなかったみたいだ。





「でもな!フィリピン人の人件費なんて屁みたいなもんだし、いざとなったら客から金だけとってバっくれちまえばいいんだよ!」と酔いが回るにつれてM君の本音が出てきたが、その後の2年間にフィリピン人の給与アップと円安が進行し、しかも競合他社が彼の売り物の機能をいとも簡単に取り入れてしまったため、彼の目論見は何もかも完全に外れた様である。

それで被害に遭ったF君にこの話をしたところ、「いやいや!Mは全部外してはいないよ!」と言う。それは何のことか?と聞いて見たところ、Mが最後に言った「金だけとってバッくれる」という下りだけはその通りになったじゃないか!と言うのを聞いて思わず笑ってしまった。そうか!確かにそうだ。最初からそれだけは地に足がついた話だったのだ。

さてこれからスカイプを使った英会話を学ぼうとしている方は、くれぐれも1年分前払いなんてことはしない様に気を付けて貰いたい。はっきり言ってフィリピンからみで商売している日本人の大半はM君の様ないい加減な野郎ばかりです。






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南から来た少年窃盗団

義妹が買い物が帰ってくるなり「小さいガキたちに襲われてヒドイ目に遭わされたわ!」と叫んだ。小さいガキだと?。お前の体重をもってすれば腕の一振りでガキなどなぎ倒せるだろう?と冗談を言ったところ、「たった一人じゃないのよ!。何人もいるんだから!」と怒った様に言う。

義妹の話によると近所のスーパーの周辺には十人以上の浮浪児がいつも集まっていて、店から出てきた客が車に乗り込む直前に財布やモノを盗んで逃げるのだそうだ。義妹の場合も一緒に歩いていた2歳の娘に数人のガキが群がり始めたためガキどもを追い払おうとした瞬間にハンドバッグを引ったくられてしまった。

しかし幸運にもスーパーのガードマンがすぐに駆けつけてきて、バッグを持って逃げようとしたガキを取り押さえてくれたので事なきを得たのだが、その際にガキがもの凄く凶暴に抵抗するのを見て鈍感な義妹もすっかり怯えてしまったらしい。

「すごい大声で叫ぶのよ。それに爪で警備員を思い切り引っ掻くし、もしもナイフを持っていたら間違いなく刺すんじゃないかって剣幕なのよね!」と恐々した表情で語る義妹。さらにガキどもが訳のわからない言葉を叫ぶのも怖さを助長しているらしい。





「ガードマンに聞いたんだけど、あいつら台風で被害を受けたエリアから来たんだって」という義妹。筆者は知らなかったがサマール島やレイテ島の人間は昔から手癖が悪いので有名らしく、昨年の台風で両親を失った子供たちがシンジケートに引き入れられ、窃盗キャラバン隊として各地を巡回しているというのである。

だったら警察に突き出せばいいじゃないか・・と思ったが、ガードマンの話だとガキの場合は直ぐに釈放されてしまうし、そいつを追い出しても新しく交代要員が現れて同じ悪さをし始めるそうだ。どうやらシンジケートは膨大なガキどもを抱えているらしい。

また爪切り女リサの話では、近所のジョリビーやマクドナルドでは大人の後ろについて店内に入り込み、場所取りのためテーブルについている子供たちを脅して親のハンドバッグを盗む事件が頻発し、あの店は危ない・・という悪評から店の売上が落ち始めているのだという。

それで店主たちはバランガイ(最小の行政単位)のチーフにどうにかしてくれ!と泣きついているというのだが、こんなの悪辣なガキを見つけ次第こん棒で殴りつけて追い払うなどの実力行使に出た方が効果的ではないだろうか。人権団体は何か言ってくるかもしれないが、こいつらは野犬と同じだから地域住民は誰も反対しないと思うんだけど・・。






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マニラ解放から70周年

テレビを見ていたら明日3月3日はアメリカ軍によるマニラ解放から丁度70年目に当たる日である!というニュースが流れていた。1945年1月4日にリンガエン湾に上陸したアメリカ軍の分派は一路マニラを目指して南下し、2月6日にマニラ駐留の日本軍と交戦を開始。以後1か月に渡って両軍は激戦を繰り広げたが日本軍はほぼ玉砕したため、アメリカ軍は3月3日に勝利宣言を出したのだそうだ。

さてこの1か月の戦闘による被害は実に甚大で、マニラ市内の建物と言う建物はことごとく破壊され、さらには日本軍によるフィリピン民間人の虐殺により70万人のマニラ市民のうち10万人が死亡する第二次大戦中でも未曾有の大惨事となった!とナレーションが言っている。俗にいうマニラの戦いBattle of Manilaとマニラ大虐殺Manila Massacreである。

それから(これはテレビではないが)YAHOOのフィリピン版にはマニラ大虐殺の生き残りの人たちが当時を振り返り、「いかに日本軍が残酷であったか」を詳細に語っているのだが、その中で繊維会社を経営する老人が「私は戦後ビジネスのため多くの日本人と取引したが、なぜあの善良な日本人たちがマニラ大虐殺の様な残酷な行為をしたのか理解できない」と発言しているのを見た時に筆者は思わず独り言を言ってしまった。





「爺さん、あんたの直感は正しいよ」。つまり10万人のフィリピン人を殺したのは日本軍ではないという意味である。ちなみに筆者は一部の右翼の様に日本軍は一人も民間人を殺していないとか妄信しているわけでは無いのだが、常識的に考えれば守る側の日本軍が自分たちの陣地を破壊するはずが無いではないか・・と素直に考えるのだ。

いや!マニラから退却の際に日本軍はマニラを破壊したのだ!という御仁もいるが、正確に言うと日本兵一万四千人のうち一万二千人が戦死しているのだから退却も何もあったものでは無いし、北東南の3方向は全てアメリカ軍に包囲されていて民間人さえ脱出出来ない状態の中で、残り少ない弾丸を同じく封じ込められた民間人相手に消費するはずなど無い。

実際これだけの人間が死ぬとなると、ドレスデンのようなじゅうたん爆撃やスターリングラード攻防戦のような長期にわたる市街戦になったと考える方が普通であろう。となるとマニラを爆撃し、三方向からマニラを包囲したのはアメリカ軍の方である。つまり10万人の死者のうち大部分はアメリカ軍の仕業と考えた方が自然である。





ちなみに筆者はアメリカという比較的マシな植民者の下で気ままに生活してきたところへ日本軍がやって来たから俺たちはメチャメチャになってしまった!とフィリピン人が日本を憎む気持ちも理解できるし、マニラ防衛司令官が徹底抗戦を決めたおかげで大規模な市街戦に発展してしまい、これがマニラの徹底破壊へとつながるミスジャッジだったことは認めるが、だからといって10万人死亡の加害者は全て日本だと公に言うのは如何なものだろうか?。

当時マニラ防衛の任に当たっていたのは日本陸軍では無く軽装備な海軍の基地防衛隊だったという事や、日本軍が持っていた兵力と軍装であれだけ徹底的な破壊が出来るのかどうか、それに10万人の民間人を処刑するためにはどれだけ手間がかかるのか?などちょっと考えれば直ぐに分かりそうなものである。70年も経ったのだから少なくとも歴史的な事実に基づいて当時の戦闘を振リ変えるくらいの検証はして欲しいものだ。

しかしテレビ画面に目を移すと「アメリカ軍によるフィリピンの解放は・・・」と美人アナウンサーが笑顔で語っているところだった。アンタの爺さんやひい婆さんを殺したかもしれないアメリカ人を讃えるなんてジャーナリストとしては随分おめでたいね・・と思ったが、まあ勝てば官軍という言葉通り、敗戦国民である日本人が何を言っても負け犬の遠吠えなのだろう。無念・・。







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Author by ほにょ / 全記事一覧 / 次のページ / ページトップ
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