ニューハーフ殺人でDNA鑑定がまさかの不一致!

今年10月オロンガポ市で発生したニューハーフ「ジェニファー・ラウデ嬢」殺人事件で予想外の事態が起こった。証拠品として押収された2個の使用済みコンドームから採取された「体液」を科学検査した結果、現在拘留されているアメリカ海兵隊員ジョセフ・スコット・ペムバートンとDNAが一致しなかったのである。

オロンガポ市検察官は「今回のDNA検査とは別の証拠物件も考慮したうえで2週間以内に結論を出す」と公表したが、DNA検査結果でネガティブと判定された以上、容疑者ペムバートンの無罪はほぼ確定したようなものである。そしていったい誰がニューハーフ“ジェニファー嬢”を殺害したのか?という疑問が残る。すべては振り出しに戻ってしまう。

この疑問について我が家の暇人3人プラス従妹ミレット(同じく暇人)で素人探偵ながら推理してみることにした。まず事実関係を整理するとペムバートン容疑者とジェニファー嬢が合意の上で連れ込み宿に入り、しばらくした後にペムバートン容疑者が一人でホテルを出たことは間違いない。それから「実はあのコンドームは前の客が使ったもので、掃除し忘れたのです」というアホみたいなポカミスは除くことにした。





4人の中で一番頭がマトモなミレットの意見は「殺したのはペムバートン容疑者。ただしアメリカとの軍事同盟を考慮した結果、フィリピン政府が警察に圧力をかけて虚偽のDNA報告を公表した」と言うものだった。なるほど国の最優先事項である安全保障関係を考慮したもっともな意見である。おそらく大部分のフィリピン人はこれと同じ意見であろう。

筆者の意見は「殺したのは中国」である。ミレットが言った通りアメリカとフィリピンの軍事同盟で不利益を被るのは中国で、実際に両国の関係を悪化させるべく様々な取り組みをしてきているから・・と言うのが理由である。ペムバートン容疑者が立ち去った後ホテルで休んでいたジェニファー嬢を殺害したのは中国に雇われた工作員であろう。

しかしココで女房が「それならコンドームの説明がつかない」と言い出した。中国人工作員がよほどの低能でもない限り全然別の男の「体液」が入った証拠物件をわざわざ残すはずが無いと言うのだ。むむむ・・確かにそうだな。じゃあ誰がコンドームを残していったんだろう・・・?




そこで義妹が嬉しそうな表情で「たぶんペムバートンは起たなかったのよ」と言う。それにコンドームが2個あるというのが最初から変だと思ってた・・と言うのである。いや・・若いんだから2発くらい出すのかもしれんぞ・・と言いかけたが、いいや俺たちはそういう話をしてるんじゃないんだけど・・と思って言葉にするのは思いとどまった。

しかし義妹は「でもペムバートンの体液がどこにも見つからないし、済ませた後で使用済みコンドームを持ち帰る男もいないでしょ?」と言う。うん・・確かにそうだ・・、口の中や○○の穴に出したのなら遺体の検視結果で出てくるはず・・。それとも手で出してもらった後シャワーで洗い流されてしまったのか?

「起たないでバカにされたので逆上して殺したのかね?」と聞いてみたが、義妹はウフフと笑うだけで答えない。逆上して殺してしまった後でペムバートンがホテルのゴミ捨て場にあった使用済コンドームを部屋に置いた?基地に帰って上司に報告した後でMPが全然関係ないコンドームを偽造用に置いた?もしくは捜査段階で米軍に買収された捜査員が捜査かく乱のため置いた・・。なるほどペムバートンが「出して無い」と仮定すると、意外なストーリーが見えてくるものだ。





いやひょっとすると・・、ペムバートンが帰った後でジェニファー嬢はホテル内で別の客を引いたのではないだろうか?。当時スービックにはペムバートンが載る強襲揚陸艦が寄港していて数千人の米兵が夜遊びしていたから、すでに一発済ませた二人組の米兵を廊下でひっかけた可能性もあるし、もしくは中国の工作員が忍び寄った可能性もある。

ところが・・。義妹にその先の推論を聞いてみたのだが、これが全然何にも無いのである。いや正確に言うと、義妹の頭には誰が犯人なのか?なんてのはハナから興味が無くて、ペムバートンは起ったのか?出したのか?ジェニファーは別の男2人と3Pをしたのか?その場合は2人の男とどういう体位で事に及んだのか?という所で発想が打ち止めなのである。

やがて義妹がタガログ語で何やら嬉しそうに話し始めるや、いつもは真面目な従妹ミレットも顔に満面の笑みを浮かべて話に追随していく。そして女房も加わって上目使いの目付きあれこれ楽しそうに話し始める3人組。中年女の真昼の妄想が始まったようである。これ以上は何を話しても無駄なので、3人を置いて2階へと立ち去ることにした。






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青いマセラティの男を追え

ケソンシティで交通整理員を殴って逃走していた容疑者がほぼ特定されたようである。ニュースによれば容疑者はケソン市バレンシアビルに住むジョセフ・ラッセル・インコという39歳の男で、木曜日の朝に左折禁止の交差点で左に侵入しようとしたところを交通警備員に見咎められ逆上した挙句に交通整理員の顔面を殴りつけた疑いで捜査されていた。

さて同番組で交通整理員を統括するMMDA(マニラ首都圏開発庁)の担当者が「我々はたった24時間で容疑者の特定出来た」と誇らしげに公表したのだが、この会見を見た筆者ら一家はあまりの馬鹿さ加減に口をあんぐりと開けてしまった。と言うのは容疑者が乗っていたのはマセラティ・マーシャルという高級スポーツカーで、フィリピンにたった2台しか無い代物だからだ。





これがシルバーのトヨタ・イノーバとかならまだ少しは理解できるが、たった2台しか無い車(しかもブルー)を24時間かけないと見つけられないとは…、一体どんな捜査能力なんだろう。それに交通指導員なんだから、車のナンバープレートくらいすぐに控えるのが当たり前だし、それ以前に車載カメラで撮影してなかったんだろうか?。

「あいつらは道端に潜んで金をたかるダニみたいな連中だから殴られて当然よ!」と先月夫が交通指導員の罠にハマって500ペソ取られたミレットは快活な表情で言う。実は筆者も同意見なのだけれど、殴った方のジョセフ・インコにもひとつ苦言を呈したい。チンドン屋じゃあるまいし、お前の車は目立ちすぎて特定するのが簡単なんだよ。手を出す時は一旦現場を立ち去った後にトライしクルに乗り換えてからやるとか、ちょっと考えて行動しろよな。






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マニラの心霊スポット「オゾン・ディスコ跡地」

一週間ほど前テレビを見ていると、アナウンサーが「ついにオゾンディスコ事件の幕が下りました」というようなことを言っていた。フィリピン在住の方は良くご存じのとおり、この事件は顧客従業員合わせて162人が死亡したフィリピン史上最悪の火災事故で、被害者の遺族たちはディスコの経営者だけでなく店の営業許認可を出していたケソン市を訴えていたのである。

1996年3月17日の深夜、ケソン市ティモグ・アヴェニューにあるオゾンディスコは卒業パーティーに参加した大学生と高校生350人で溢れていたのだが、真夜中過ぎにDJブースで突然閃光が応じるや瞬くままに炎と煙が店内に広がり、慌てた顧客と従業員は店の外に出ようとしたが、ここで悲劇が起こった。非常口が閉まっていたのだ。





もともとケソン市当局から認められた最大許容人数は35人だったところへ、その10倍の人数がたった一つの脱出口に向けて一斉に逃げ出そうとしたのだから何が起こったのかは想像に難くない。けっきょく店にいた人数の4割が逃げ遅れて焼死(一部は一酸化炭素中毒死)してしまったのだ。日本で言えば2001年に44人の犠牲者を出した歌舞伎町ビル火災と似たようなものと考えるとよい。

さて今回の裁判は店を監督する立場にいたケソン市職員を相手取ったものだったが、今年11月20日に9人の職員に対して過失致死で有罪の判決が下されたのである。なお店の経営者であるエルミロ・オカンポとラモン・ングは2001年の裁判で懲役刑の判決を受け、さらに莫大な賠償金を払わされている。





さてここからが本題である。このオゾンディスコは火災後も誰もテナントが入らないまま放置されているが、ここは現在フィリピン全土で第4位の心霊スポットになっているのだ。夜間この跡地のそばを通りかかると悪寒がする、変な音がするなんてのは序の口で、大人数の絶叫が聞こえたり、体中が焼けただれた男の霊が現れたなんて目撃談がしょっちゅうある超ど級の怪奇ゾーンなのである。

なんで筆者がこの心霊スポットについてネット以上に知ってるのかと言うと、筆者の義妹はオゾン跡地の裏に店に勤めていたことがあって、(義妹は牛のように鈍感なので何も感じなかったが)義妹の同僚たちがいろいろ摩訶不思議な心霊体験をしていたからである。ちなみに義妹の上司である店長は動物好きで店でも猫を飼おうとしたのだが、この店に来た猫はどれも3日も待たずにどっかへ逃げ出してしまったそうである。





ちなみに逃げだしたのは猫だけではなくて、オゾンディスコ跡地の両隣のテナントも不気味な現象に悩まされ続けた挙句に店終いしてしまったという。2つの隣接した物件のうち一つは何人ものテナントが入れ替わった後で現在はホテルになっているようだが、もう片方は完全に空き家化してしまったらしい。それに2軒隣のガラス屋の親父は余りの恐怖体験にすっかりビビッて夜の営業は止めてしまったそうだ。

「オゾンの跡地には今でも焼死した人たちが住み着いているのよ」と確信を込めて言う義妹。本人が体験したわけではないので説得力はイマイチだが、同僚の怪奇体験や逃げ出す隣人の話を聞くにつけ、確かにそこには「いる」のだと思えてきた。そう聞くとオカルトマニアの筆者の心は躍るが、正直言うとここはかなりヤバそうだ・・。なので日本から遊びに来た友人をだましてモルモット代わりにオゾンに連れて行き様子を見ることにしよう。






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予想外に早い郵便局のSAL便

1ヶ月前に「いつまで待っても来ないバリックバヤン」という日記を書いたが、今回はこれと逆の体験について書きたいと思う。バリックバヤンのあまりの遅さと箱をボコボコに変形させてしまう稚拙な荷物の取扱いに懲りた筆者は、今回の日本の旅では郵便局の航空便、ただし一番安いSAL便(エコノミー航空便)で購入したモノを送ったのだが、意外や意外、このSAL便が説明されたスケジュールよりぜんぜん早く来たのである。

大阪の道具屋筋で鍋や窯を大量に買い込んだ女房は天王寺駅ビルMIOの3階にある郵便局へと出向いた。そこで何かの間違いじゃないかと思うくらいの美女(昔いた吉岡美穂というタレントに激似)にフィリピン向けに小包を送りたい由を告げると、それなら国内用のゆうパックの箱を使えば良い、送り状はコレ、料金はこんな具合と大変丁寧に説明してくれた上に、お顔に全く似合わない口調で「ガムテープ貸したるサカイ、あんたらココで荷造りしたらええワ ︎」と申し出てくれたのだ。

さて利用客が溢れる郵便局内で荷物を広げてのド迷惑な梱包作業を終えて受付に箱を持っていくと、吉岡美穂は「はい!16キロ!SAL便なので料金は8500円ですワ ︎」と言った後で、「この送り状に書いてある13桁の番号で小包の配送状況が検索できるんヤけど、フィリピンの場合は出来まへんネン ︎」と言う。何でもフィリピン郵便局がデータを全く入力しないため、一旦小包がフィリピンに入ったら後は待つだけしかない状態になってしまうというのである。





「規定のスケジュールだと2〜3週間で到着ですワ ︎」と笑う吉岡美穂。じゃあそれより早い便はありますか?と聞くと、EMS便なら何と2日で着くが料金は15,000円と約倍、通常の航空便なら10日間で10,250円とチョイ高、船便なら2〜3ヶ月かかりますけど4,950円ですワ ︎と言う。筆者らは別に急いでいないし、荷物も腐らないものだけだからSAL便で頼むことにした。

さてそれから10日たった一昨日のこと。女房が「荷物が来たんだってよ」と言い出した。はぁ?、天王寺の吉岡美穂も、そのあと頼んだ梅田・茶屋町郵便局の上沼恵美子似のネーちゃんも「最低でも2〜3週間かかる」と言っていたはず。しかし女房の携帯には「日本からの荷物が到着したから100ペソ持って取りに来い」と確かに書かれている。

それで女房と従姉妹ローズアンが昨日近所の郵便局に出向くと、果たしてそこには10日前に筆者と一緒に梱包したゆうパックの箱が置いてあった。しかもバリックバヤンと違って凹んでもいないし湿ってもいない(当たり前だけど)。日数から見るとどうもSAL便の料金しか払っていないのに、何故だか知らないが一つ格上の(通常の)航空便にアップグレードされたようである。





マニラ港の麻痺で通常から2週間の遅れが慢性化していても公表スケジュールを変える必要性が知覚出来ないバリックバヤンと、公表値よりも早く到着してしまう郵便局。航空便と船便だから料金が違うのは当たり前だが、いくら料金が倍以上違うからと言ってもどちらのサービスが優れているのかは一目瞭然である。これまで郵便局とか区役所、年金事務所など公的機関ってダメだダメだと言われてたけど、今は随分とサービス面が改善されているじゃないか!と驚いた。

しかし一点だけ腑に落ちないことがあるのだ。マニラ首都圏以外の宛先に国際郵便を送る場合、EMSは郵便局留めになってしまうが、それ以外(航空便、SAL便、船便)は宛先に配送される事になっているのだ。ところが筆者の近所の郵便局は何故か「取りに来い」と命じた上に100ペソをハンドリングフィーとして請求しているである。

まあ100ペソなんて対した金額ではないし、まあ早く到着したのだからいいじゃないか!女房は言うが、それでもフィリピン側の郵便局の怠慢にはちょっと腹が立つ。それに吉岡美穂は検索サービスの不備については知っていたが、フィリピン郵便局は宅配しない事を知らなかったようである。どうせならあの顔に似合わぬ言葉使いで「フィリピンの場合は実際は宅配されないだけヤなくて、取りに来させた上に100ペソ要求するんヤて。ホンマにフィリピンはあきまへんなぁ ︎」という説明聞きたかったなぁ ︎…。






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大阪の幽霊ホテル(2)

平成12年(2000年)9月20日、日債銀(現あおぞら銀行)の頭取が自殺…とそこには書いてあったのだが、その時筆者は「あっ!この事件か?」と思ってしまった。当時筆者は一回目の赴任を終えて日本に帰国していたので良く覚えているのだが、このニュースは当時の日本でちょっとした話題になったのである。この日記を読んでくださった方の中にも、あああの事件か!と覚えておられる方もいるのではないだろうか?

本間という名の頭取は日銀から日債銀に天下りしてトップになったばかりだったが、彼の自殺には不審な点が多いと言われていたのである。それに事故当日、隣の部屋に泊まっていたオペラ歌手でデブタレントの森公美子が深夜の物音に悩まされてフロントに文句を言っていたという顛末があったことから、本間の死は自殺ではなく不良債権処理にからんで闇社会に殺されたのだと巷間囁かれていた。

ちなみにH・Iホテルは客室が168室もあるので、筆者がいるのが本間頭取が死んだ部屋である確率は相当低いし(それにオペラ歌手が喫煙フロアにいると言うのも変だ)、だいたいシティホテルというのは自殺のオンパレードで半数近くの部屋が事故物件というのが当たり前なので、本当なら本間頭取以外の他の自殺者の事を思い浮かべるべきなのだが、この時は直感で「この部屋で本間頭取は殺されたに違いない!」と思い込んでしまったのだ。





さてここから先が常人と違う所で、幼少期より「あなたの知らない世界」などの心霊番組を見続けた筆者は、フロントへ部屋変更は申し出ずにこの部屋にずっと居たいと思ったのだ。実は筆者は人後に落ちないオカルトマニアであるにも関わらず怪奇体験はたったの3回、しかも内2回は首から背骨にかけて何かがズブズブズブと入り込んだ感じがしただけのちょっと他人より見劣りする怪奇体験で、一度だけ目で見た幽霊も余りにあり来たりで他人様に語れるような話では無いのである。

幽霊が見れるかもしれない…。しかも泊まった部屋は日債銀の頭取が変死した部屋で(確認のしようが無いのでそう言うことにする)、背後にはブラックな社会構造があったらしくてね…さぞかし無念だっただろうよ…というオチまでついている。ホテルニュージャパン跡地や日航機墜落現場に比べるとインパクトは弱いが、これは怪談話としてはなかなか味わいがありそうだ。題名は「頭取の部屋」とでもするか。

それで女房には「このホテルで事故は無かったよ」と嘘をついて安心させたのだが、今夜再び怪現象が現れた場合に備えて、日本のホテルは自殺や他殺が多いからこのホテルも半分くらいの部屋は事故物件だと思うよ…と部屋変更への道を閉じた後、「自殺があった部屋と他殺じゃどっちが霊的に危ないんだね?」と聞いてみると、そんなの自殺に決まってるじゃ無い!と言う。本間頭取は他殺に違い無いからこっちの命を持って行く様なことも無いだろうな…と一安心した。





さてその晩ベッドに入ると早速前日同様のイヤ〜な感じが全身にまとわりつき始めたのだが、期待した金縛りや霊はいつまで待っても現れない。どうも幽霊も様子を伺っている様だが、一方の女房は早速ウウーウウーと呻き声を上げ始めている。そしてベッドの中でジッとしていると丑三つ時に突然「ウワッ!」と叫び声を上げて女房が飛び起きた。一体どうしたのだ!とかなり期待して聞くと、「夢の中で叫び声がして!」と昨日と全く同じ話である。チッ(舌打ち音)!。

けっきょく朝まで待ってみたが、怪現象というのは初日に経験したのと同じく「生臭いにおい」「イヤ〜な感じ」「女房の夢の中の叫び声」だけだった。そして大変残念なことにその次の晩(最終日)もこの3現象だけしか現れず、突然部屋がガタガタ揺れてモノが動き始める、目の前に首吊りをした霊が現れる、頭取の霊が女房に憑依して真犯人の名を話し始める等のおぞましい霊体験を渇望した筆者の期待はあっさり裏切られてしまったのである。

3泊の滞在を終えチェックアウトして空港へとバスで向かう筆者ら夫婦。「あのホテルは気持ち悪かったわね〜」と女房は言うが、筆者の方は「まったくリキの無い幽霊だぜ…」と幾分おかんむりであった。銀行のトップになるくらいだから相当エネルギッシュな人物のはずだが、出てきた幽霊は小動物のように弱々しい感じである。そしてやっとここで「ひょっとしてあれは銀行頭取の霊では無いのかもしれない」と思い始めた。さてさてどなたか頭取が変死した部屋番号をご存じないだろうか?。ご存知であれば次回その部屋にチャレンジしてみたい。






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大阪の幽霊ホテル(1)

15日間にわたる日本の旅の最後くらいは良いホテルに泊まろうということで梅田のH・Iホテルに3泊することにした。実は旅行を思い立った時期が遅かったため東京と京都ではホテルの選択肢が余りに無くて、結局はビジネスホテルに毛の生えたような所しか予約出来なかったのだが(それでも両ホテルとも一泊18000円した)、20平米以下の部屋は如何にも狭苦しく、折角の初めての日本なのに女房に不憫な思いをさせてしまったな…と後ろめたい思いがしたからである。

このH・Iホテルは同じ梅田にあるヒルトンやインターコンチネンタルと並ぶ一流ホテルらしくて、部屋のサイズも42平米と今まで泊まっていたホテルの倍である。チェックインの後で27階へと登り、2717号室のドアを開けた時には女房は「うわーっ!すごい部屋じゃない!」と至極上機嫌となった。バスルームだけでも安目のビジネスホテルの部屋全体と同じくらいのサイズがあるし、おまけに窓からは大阪の夜景が180度くっきり見渡せるのだからほぼ満点に近いホテルだ。

ちなみに筆者ら夫婦はホテルに対してちょっとしたポリシーがあって、まず第一は繁華街のど真ん中にあること、第二は100〜200米ドルの予算内であるということである。繁華街である理由は言うまでもなく買い物と食事のチョイスが広がるからで、予算の方はマリオットやグランドハイアットみたいなワンランク上のホテルだと追加発生してしまう100米ドルが勿体無いと女房が言い張るからだ。なので筆者らにとっては閑静な場所にある一流ホテルやプライベートビーチを持つリゾートホテルなんてのは常に対象外なのである。





ただし一流ホテルが200米ドル以下のプロモーションをしていれば勿論例外で、筆者ら夫婦はこういう特別価格を念入りに探しては時たま超有名ホテルに泊まってきたのだが、実は今回のH・Iホテルもこのケースに当てはまるのだ。通常なら一泊27000円なのだが、平日の日月火曜日に三連泊すると何と税込で一泊18000円と言うのである。この値段って東京と京都のホテルと同じ値段じゃないか…。それで慌てて申し込むことにしたのである。

二人が楽々寝れる幅のベッドが2つついたスーペリアルーム。今までと違って今夜は思いっきり腕を伸ばして寝れるぞ〜と思ったが、実はこの晩に筆者は嫌な気配に悩まされて何度も目を覚ます事になる。言っておくが筆者には霊感と言うのはほとんど無くて、今まで恐怖体験したことは人生の中で3回しか無いのだが、ここH・Iホテルで以前体験したのと同じ様なイヤ〜な感じに纏わり付かれたのである。それに霊が出る部屋に特徴的な生臭いにおいが時々漂うのだ。

一方の女房はと言うと(こいつは筆者と違って霊感がある方である)、寝ながらウウーウウーと呻き声をあげている。どうやらうなされているらしく、「おい!起きろ!」と体を揺すると、パッと目を開けて「ああ〜嫌な夢を見たわ」と言ってムックリ起き上がった。夢って…どんな夢なんだ?と聞くと、普通の夢と違って画像は全く無いのだが、真っ暗な中から叫び声がずっと聞こえると言うのである。





しかしその日は日中ミナミを歩き回って疲れていたし、真夜中に部屋を変えてくれと言いに行くのも面倒なので、余り詮索もせずに二人とも再び床に就いたのだが、例の嫌な感じと生臭さはその後もずっと続いていて、筆者はけっきょく朝まで何度も目を覚ます羽目になった。そして女房も暗闇の中から叫び声が谺する夢に悩まされ、何度もウーウーと呻き声をあげては筆者に起こされると言う状態が何度か続いた。

翌日梅田界隈で買い物をした後でホテルに戻ると、女房が言いにくそうな感じで「この部屋は幽霊がいるんじゃない?」と言い出した。実は筆者もそう思ったのだが、昨日は単に疲れていただけじゃあ…と言って女房を宥めることにした。しかし女房が「日本には事故物件を調べるサイトがあるって言ってたわよね?」と食い下がるので、ああ、分かったよ、と言ってiPadに「大島てる」と打ち込んだ。

大阪近辺だけで3000件以上の自殺・他殺・変死物件がここに出ている。ただしこれは新聞に載った事故だけで、従業員や家族が秘密裏に処理した場合は網羅されていないのだが、大島てるには事故の概要が書かれているのでこんな時には十分役に立つ。こんだけあればこのホテルに事故があってもおかしくないな…と思ってサイトの地図を梅田の茶屋町に合わせていくと、事故を表す黄色い炎の印がH・Iホテルの位置に「あった!」。





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70年前の駅長への黙礼

JR大阪駅を通りかかる際に筆者が黙礼するのを見て女房が「あんた一体ナニやってんだ?」と聞いてきた。ああコレか!実は俺の母方の一族はこの駅の偉い人に大変お世話になったんだ!。なので今だに感謝の意味を込めてお礼をしているんだよ!というと、女房は一体どういうことだ?とでも言いたげに首を傾げた。

時は今から70年近く前の1945年の9月初めのことである。当時筆者の母方の一家は軍属だった祖父に伴い旧満州国のハルピンに住んでいたのだが、ご存知の通り同年8月9日にソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して軍事侵攻を開始し、満州国は文字どおり阿鼻叫喚の地獄と化した。

筆者の祖母は4人の子供と一緒にハルピン市内の馬家溝(まじゃこう)という地区にある一軒家に住んでいたのだが、陸軍の特別な部隊にいた祖父から「ソ連が攻めてきたから日本に戻れ」という連絡を受け取ったという。ちなみに近所に住む他の軍人一家らは緊急帰国どころかソ連侵攻のニュースさえ知らされていなかったらしい。

ハルピン駅の停車場には列車が何両も停留していて、祖父の属していた部隊の家族たちだけが集められていたという。祖父は通信部門にいた単なる軍属だったにも関わらず、関東軍の将校たちの家族よりも先に脱出出来たのは所属部隊の秘匿性が余りに高かったかららしい。実際この部隊の関係者は他の在満日本人と違ってほとんど全員が無事日本に帰国しているのである。





しかし部隊が家族の面倒を見てくれたのは日本上陸までで、ハルピンから釜山まで一直線に進んだ祖母達も、オンボロ船で山口県の仙崎港にたどり着くや「日本帰国完了!ここで解散!」と放り出されてしまったという。祖父は千葉の人だったが部隊の残存業務という事で拘束されてしまったから、祖母は出身地である埼玉県の川越まで子供4人を自分一人で連れて帰らなければならない。

仙崎から列車に何度も乗り継いで何とか大阪までたどり着いたが、ここでお金は尽きてしまった。それに換金出来そうな衣類や備品はとうに売り払ってしまい最早すってんてんである。おまけに3番目の子供である長男は生まれつき体が弱く、大阪駅構内で一度本当に息が途絶えたというのだが、たまたま通りかかった人が持っていた梅酢を無理やり長男の口に注ぎ込むと、やっと息を吹き返したという状態だったらしい。

言っておくがこれは現代の大阪駅の話では無い。敗戦直後の国中がメチャメチャになった時代の話である。大阪駅には祖母らのような行き場を失った避難民で溢れかえっていたし、大阪市自体が空襲で焼け野原だったのだ。どうしよう…このままでは全員飢え死にしてしまう…。しかし国全体が飢え死にしつつある状態だったのだから、誰かに助けを求めても何も期待出来ない。

しかし気丈な祖母は子供たちを連れて駅事務所に出向き、自分達をどうか埼玉まで帰らせてくれ!と懇願したのだが、当然ながら駅員達は「そんなの認めるわけにはいかん!」と言って取り合わない。しかし祖母は諦めずに(諦めれば飢え死にするか強盗になるしか無い)懇願を続けると、奥の部屋から偉そうな人が出てきて「一体どうしたんだ!」と言い始めた。





何やらお偉いさんに説明をする駅職員たち。しかし祖母は恥も外聞もかなぐり捨ててお偉いさんに自分達を何とか助けて欲しいと懇願した。そして駅長は4人の子供をジロリみると、ペンをとって紙に何かを書き込み、そこへ大きなハンコをベターン!と押して祖母に差し出した。ハンコは大阪駅長のものだった。

この紙にはこの人物たちが埼玉県川越市へ戻れるよう便宜を図ってほしい!と言う様なことが書かれていた。(ただし切符では無かったと祖母は言っていた)。そして実際この紙の効果は予想以上に絶大であり、米原や名古屋などの乗り換え駅でこの紙を駅員に見せるだけで優先的に列車に乗せてくれたそうである。東京駅駅長に次ぐ国鉄ナンバー2の威光というのはそりゃ物凄いものだったのだ。

「あの駅長がいなければアンタ(筆者のこと)も生まれて来なかったんだよ!。だからあたしはあの大阪駅には一生足を向けて寝れないんだよ」と15年前に亡くなった祖母は生前よく筆者に言っていたものである。なので筆者は名前も知らないこの駅長という人物には幼少期より尊敬たてまつっている(筆者が幼児期に使っていた変な日本語)のである。

「へーえ…戦争期の日本にも立派な人がいたんだね」と驚く女房。当たり前だ!戦前の日本人の方が今よりよっぽど道徳心が高かったんだぞ!と説明したが、アメリカによって残虐で冷酷な日本人というイメージを植え付けられたフィリピン人には言葉で説明しても理解出来ないだろう。さてこの場を借りて名前も知らない駅長さんに感謝の念を言いたい。あなたのおかげで俺は生まれることが出来ましたよ!。本当に有難うございました!。






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安倍政権の基本方針。名は体を表す。

横に読むべし。





黒田と一緒に太平洋の藻屑となって消えろ!


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大阪でんでんタウンでの奇妙な体験

数日前の日記に書いたとおり、今から25年前のちょうど今ごろの時期、筆者は大阪・日本橋にある上新電機いち番館に派遣され、販売員として2ヶ月間テレビを売っていたことがある。この日本橋というのは大阪の秋葉原みたいな場所で、上新電機というのはこの日本橋でもナンバーワンの店だったから、ここには各メーカーから派遣された大阪でもトップクラスの販売員が配置されていて、クセはあるが根は人好きのする大阪のオヤジたちに筆者はいろいろと商売のことを教えて貰ったものだ。

数人いたテレビ売りのプロの中でも西田さんという松下電器から派遣された方は「ええか!松下の商品だけ説明したら客は怪しんで逃げてしまうから、東芝も日立もソニーも一通り紹介するんや!。せやけど他社には説明にそれぞれ2分かけるが松下の製品には倍の4分かけて紹介すれば、だいたい6割の確率で松下を買うんや!。これをあと1分余分に説明したら何割増えると思う?」と言うので、試しに筆者自身も時間配分作戦というのを試してみたら本当にそうだったので驚いてしまったことがある。

それに日本橋の各電気店を回るメーカーの営業マンも実に人知にたけた商売人で、特に西田さんの担当である松下の営業マンは「ええか!このしょったれテレビを年末まで10台売ったらピンサロ連れてったるでぇ!」と他社から派遣されて来た筆者にまで厚かましくオファーしてくる位だったか、筆者がそれを信じて本当に10台売ったところ、いつの間にかピンサロ話は立ち消えになってしまった。パナソニックさん!。今からでも良いですからピンサロの約束実行してよ!。

さて売る側もさることながら店に来る客も一癖も二癖もある連中ばかりで、「おまえんとこで買うたテレビがポンポン言いよる」と言って何度も新品に交換しにくる自称「生野の朝鮮人」の金髪オヤジや、マルサの女に出てきそうないかがわしい風体のドヤ街の簡易旅館のオーナー、ド派手な化粧をしたネーチャンを連れた金銀ジャラジャラのホスト風のアンちゃんに、店の中で価格交渉中に突然喚き始めるヒステリー演技おばさん、なぜか全員とも小指が欠落した黒服軍団など、東京じゃ絶対にお目にかかれない連中を相手にテレビを売りつけるのである。

言っておくがこの人たちもちゃんとテレビを買いに来た客であり、大阪ではこういった標準範囲外の人たちを日常的に相手にしているのだから、店側も「キミキミ。そのお客はワシがお相手するで」などと助け舟は出してくれない。なので正直言うと最初は怖かったが、毎日店頭に立つうちにこういった連中のインネンや怒鳴り声にもすっかり慣れっこになってしまった。





しかし一度だけ店側から客と話すことを禁じられた事がある。そして不思議なことに、この時の出来事が一体なんだったのか?、そして彼らが一体何者なのか?、25年経った今でも皆目検討がつかないのである。随分と前置きが長くなってしまったが、今日の日記はこの一件について書いてみようと思う。そして筆者の疑問に答えを知っている人がいたら是非とも教えていただきたい。

その日は年末商戦も終わったヒマな時期で、筆者は3階の持ち場でボーッと立っていると、突然ドタドタドタッ!と階段を駆け降りて行く音が聞こえた。どうも5〜6人が慌てて走っている様に聞こえた。そして数分後こんどは下のフロアからまたドタドタドタッと階段を駆け上がってくる人影が見えたが、それは数人ではなく一人の足音で、踊り場でちらっと見えたのは若い女性だった。

数秒後「おい!こら!待て!」という叫び声とともに大人数の男が女を追う様に階段を駆け上がって行く。な何だコレ…?、何かの捕物かよ?。その時3階売り場の副主任が全員に向かって「おい!お前ら!。あの連中と一切関わり持ったらあかんで!なにいって来ても一言も話すんやないぞ!」と叫んだ。と言うことはあの男たちは警官じゃ無いってことか。だったら…警察には電話しないんですか?。

どうも女性は4階のトイレに隠れていたようだが、10分後には男たちに押さえつけられて(文字通り羽交い締めにされて)階段を降りていった。そしてこの10分間だれも警察に通報しないだけでなく、誰一人として男たちに「あんたらナニやってんだ!」と問い詰めもしなかったのだ。信じられないことだが、店も客も全員が女性が拉致される現場を黙殺していたのである。

そして困った事が起った。男たちのうち二人だけが何故か3階に昇って来てテレビ売り場を物色し始めたのである。この二人の男は20代の後半くらいで、一人はアルマーニのスーツを着た痩せた背の高い男で、もう一人はバイクに乗る連中が着るような皮のつなぎをまとっていて、はっきり言うとヤクザものには見えない。心斎橋のパブあたりで屯っている遊び人風のようである。しかしこの店には本物のヤクザも来るというのに、一体なぜ彼らを晴れものの様に扱うのかさっぱり分からない。





そうこうする内にバイク乗りが筆者の方に歩いて来て「これナンボまかる?」と声をかけて来た時に、筆者の中に違和感の様なものが出てきた。もちろん副主任から「話をすんな!」と言われた先入観もあるのだが、そばに寄って来られたときの皮膚感覚が赤信号を派手に点滅させて来たのだ。ヤクザやメンヘラ女にそばに寄られた時に感じるオーラとは別の、なんと言うか蛇やトカゲに接する時の様な得体の知れない皮膚のざわめきである。

「すみません。私は今日派遣されたばかりで何もわかりません」と言ってペコリと頭を下げると、このバイク乗りはアア…と言う様な表情をしたけれども、その奥底には蔑みか怒りか、それとも優越感があるのかは全く分かりはしない。バイク乗りの相棒のアルマーニはポケットに手を突っ込んで辺りを見回しているだけで何も言わない。頼む…早く帰ってくれ…。

すると筆者の後ろから「それは○○円までが精一杯ですわ!」という声が聞こえた。副主任である。やがて副主任とバイク乗りはあーだこーだとごく普通に商品の話をした後、ごく普通に金を払い、そしてアルマーニとともに帰っていった。そしてこの二人が帰ると同時にフロア全員の緊張感が溶け、みんな商品を雑巾掛けしたり無駄話をするなどごく普通の時間に戻っていった。

「助けていただいて有難うございました」と副主任に例を述べる筆者。まあええよ…という感じで手を振る副主任に向かって「あの人たちは警察ですか?」と聞いてみると、アホ言うな!あんな警官がおるわけ無いや無いか!と大阪人特有の切り返しで否定する。じゃああの人たちは何ですか?と聞いて見たが、副主任は「オマエはそんなこと知らんでエエ!」と言ってその場を立ち去ってしまった。

筆者の話はこれだけである。長ったらしい割にはオチも何にもなくて申し訳ないが、彼らが何者なのか店の誰も最後まで話そうとはしなかったのだ。もちろん連れ去られた女性がどうなったのかも知らないし、その後店に警察が来ることも無かった。なお彼らが頭のおかしい女を保護する類の連中では無いことは断言できる。もう一度言いたい。一体彼らは何者なんだろう・・・?。そしてあれは何だったんだろう・・・?






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吉田バーのギムレット

25年前、今宮戎神社に露店が立ち並んで賑やかだったから1月の10日あたりだと思う。もうあと数日で大阪を離れるということで先輩が送別会を開いてくれた。ミナミの割烹でフグだかカニをたらふく食った後、Y先輩が「この近くに偏屈なジジイがいるバーがあるからそこで飲もうぜ」と言いだした。サントリーの現役社員が勧める店だから美味いカクテルが飲めるに違いない!と思った筆者とK先輩はのこのこついて行ったのだが、道頓堀のラブホ街をクネクネ歩いて行くと急にK先輩の足が止まった。

「えっ!まさかこの店ですか?」と驚きの声を上げるK先輩。店は古ぼけた昔ながらの酒場といった風情で「吉田バー」という看板が愛想もなく掲げられている。チョッ!ちょっと!待ってください!となんだか慌てるK先輩。一体どうしたんですか?と聞くと、お前!このバーは物凄く有名な店なんだよ!。俺らみたいな若造が気軽に入れるような店じゃ無いんだ!と言う。

まず最初に頼むのはダイキリで、次はマンハッタンで…。でもこんな頼み方じゃコッチの底の浅さが見えちゃうよな、と心配そうなK先輩。何だか囲碁の名人とこれから対戦するような感じである。しかしそこはサントリーの社員Y先輩だけあって「おい!俺がいるから安心しろよ!」と宥めるので、k先輩も気をとりなしてオズオズと店の中へと進んでいった。

店内はカウンターだけの小さな店で、木目調のシックな内装と言えば聞こえが良いが、要するに昭和の白黒映画に出て来そうな古ぼけたバーである。そしてカウンターの中に横山やすしを老けさせたようなバーテンダーがいて「何にしますか?」とこれまた無愛想に言う。Y先輩はエイジング15というサントリーのウィスキーを頼み、K先輩は格好をつけてウォッカ・マティーニだかウォッカ・ギムレットを頼んだが、筆者は当時一番好きだったギムレットを頼んだ。





無愛想にシェーカーを振るバーテンダーにY先輩が「吉田さん、この前は…」と挨拶した。どうもこの人がオーナーのようである。そして筆者の前に差し出されたギムレットを口につけた瞬間、なぜK先輩がこの店に入るのを怖気づいたのかハッキリ分かった。すごく美味いのである。いや…美味いという表現では全然足りないだろう。全てが絶妙なのである。この店はライムジュースではなく搾りたての生のライムを使っているのだが、その柑橘系のフレッシュさを思い切り残しながらも、ジン特有の松葉の香ばしさも引き立てるという両輪の離れ業をやってのけているのだ。

当然お代わりをする筆者。本来ならここでダイキリとかマルガリータにするのだが、筆者はこんな絶妙なカクテルは二度とお目にかかれないと思い、肝臓が音を上げるまでギムレットだけを飲み続けることにした。それにこの店では美味いと思ったカクテルだけを飲み続けるのが作法のように何と無く思えたからである。

酩酊状態になってY先輩に抱きかかえられて店を出る筆者。K先輩も「この店は最高だぁ〜」と酔っ払い特有の変な気炎をあげている。そして帰り道で「吉田マスターは一体何万杯のカクテルを飲んできたんですかね?。オレももっと飲めば吉田のじいさんの半分くらいのバーテンになれるかな!」などとK先輩とふざけていると、Y先輩が「あの爺さんはなぁ〜、酒は一滴も飲めないんだよぉ」と言った。

一瞬にして沈黙する筆者とK先輩。ウソだろっ!。そんなバカな!。と驚愕する筆者。しかしY先輩は「あの爺さんは本当に下戸なんだよ」と念を押すように言った時に、筆者の酔いは完全に覚めてしまった。自分で味わうことが出来ないのにあんな完璧なカクテルを作る…。目が見えないのに名画を描くのと同じではないか。これは天才というだけでなく、人知を超えた人間の技である。そして正直言うと吉田バーに行くのが怖くなってしまった。





けっきょく筆者は数日後に山国に戻ってしまい、その後の数年は大阪に来る機会が何度もあったけれど前述の通り怖気ずいてしまったので吉田バーを再訪することは叶わなかった。そして1年半後には花の銀座に転勤となり、筆者は平日はキー・ラーゴというカクテルバーや大手町パレスホテルのラウンジで、週末は吉祥寺にあったOLD&NEWというバーで友人たちとカクテルを飲む生活を続けることでやっと半人前の酒飲みくらいには成長出来た。

銀座に3年いてから香港に転勤となり、この土地でも最低週に3日はカクテルを飲みつづけ、出張でヨーロッパやアメリカに行けば、わざわざダークスーツに着替えてパリのホテル・リッツやハリーズバー、ニューヨークのウォルドルフ・アストリアのバーなどにわざわざ出向いてはカクテルを飲んできたが、ハッキリ言うと大阪・道頓堀の吉田バーで飲んだ一杯のギムレットに及ぶモノは一度たりともお目にかかれることは無かった。

さてあれから四半世紀が経ち、今回の旅で最初に立ち寄った東京で、今は吉祥寺の大手酒屋を継がれたY先輩と再会をした折、来週女房と一緒に20年ぶりに大阪に行くのだが、自分も随分一人前の酒飲みになったので吉田バーに行ってみようと思う!と言ったところ、いやいや…あの爺さんはもうとっくの前に亡くなってね…、今は娘さんが店を継いでいるはずだぞ…と残念な話を聞いた。

当たり前だが20年も大阪に来なければこうなってしまうものだ。だけどあの味の片鱗でも…と思って大阪到着の日に道頓堀の吉田バーの目の前まで行ってみたのだが、ドアを開ける寸前でフッと思いとどまってしまった。あの味は今でも鮮明に記憶に残っているのだから、そしてこれからも残り続けるのだから、ずっとそのままにしておけば良いではないか…と思ったのだ。そして女房にその話をすると、「アンタそれがいいよ!さあウドンでも食べに行こう!」と言った。






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大阪カクテル悲話

今から25年ほど前に筆者は店頭支援という名目で大阪の上新電機いち番館で2ヶ月ほど働いたことがある。これは配属初年度の教育研修の一環として販売現場を学ばせるという名目だが、実態は年末商戦時の人手不足に困った大手小売店からの売り子の補充要請で、山奥の工場で無聊を囲っていた筆者は上司の命令で大阪へと行かされる羽目になったのだ。

さて大阪には大学時代に属していたサークルのメンバーが3人いて、共同通信の大阪支社にいたK先輩と連絡を取ったところ、早速会おうじゃ無いかということで梅田で待ち合わせをすることにした。なお当時の日本は大変景気が良く、とくに報道系は残業代も含めると月100万円くらい給料を貰っていたようで、このK先輩はいきなり「まあ寿司でもつまんでからゆっくり話そう」ときた。

曽根崎新地の市力寿司で真っ直ぐ歩けなくなるほど寿司を食った後、このK先輩は「俺の行きつけの店に行こうじゃないか」と言う。スナックかピンサロかな?と思ってついて行くと、なんとそこはNUTS BARというカクテルバーで、ドアを開けると長い一枚板のカウンターとジャズが流れる小洒落た店である。この瞬間「こりゃ参ったな…」と思った。

と言うのは筆者は大学時代はカクテルバーなんか一度も行ったことが無いからである。カクテルらしきものと言えば樽平とか村さ来みたいな居酒屋の青リンゴサワーくらいしか飲んだことがないし、だいいちカクテルの名前なんて一つも知りやしない…。それで恐る恐る「水割りを…」とバーテンさんに言うや、この直後にK先輩は「お前さぁ…。給料もらう身分になったんだからカクテルくらい頼まないとぉ」と嫌味っぽく言った。





この屈辱、この怒り…。ちなみにK先輩は学生時代は貧乏でマヨネーズを舐めて飢えを凌いでいたのに、一体この代わり様は何だ!。そして俺が勤務しているのは山奥の工場だから洒落たバーなど一件も無いのだ!と心の中で言い訳をしたが、込み上げてくる自己への不甲斐なさは如何様にも出来ず、その場はただただ屈辱に耐えながら先輩のカクテルレクチャーを受けたのである。

翌日店での仕事を終えると旭屋書店へ駆け込んでカクテル関係の本を2冊買った。ホテルに戻り本を読んでみると、そこにはマティーニとかギムレットなんてカクテルの名前が数百も出ている。それでそれを全部覚えようとしたが、どうもベースとなる酒から体系化した方が効率が良さそうである。それで縦軸にはウォッカ、ジンなどベースを書き、横軸にはライムジュース、アロマティックビターズなど加えるものを書き、各マス目にトムコリンズなどとカクテル名を書き込んで行った。

そしてそのチャートを手元に忍ばせてカクテルバーに行き、最初はギムレット、次はサイドカーと一つ一つ頼んでいく。行くのは梅田のナッツバーと丸ビルの地下のバー、そして心斎橋のアメリカンバーの3つで、ほぼ毎日のようにハシゴをしたのでチャートにある数十の主要なカクテルは1週間で一通り飲むことが出来た。ただし毎日ひどい二日酔いに悩まされたけれど…。

さてその後も筆者はK先輩や当時サントリーにいたY先輩と一緒に大阪の街を飲み歩くことでカクテルを自分のモノにして行き、バーテンさんと「今日は二日酔いだからネグローニにしよう」などと冗談が言えるようになってきた。人間必死に勉強すればなんとかなるものである。しかし大阪滞在も終わりになりかけた頃に、筆者の軽い思い上がりをぶち砕くようなある出来事が起こった。(続く)





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フィリピン妻デパ地下無間地獄

日本に来た当初はヴィトンやプラダなどのブランド品を買い漁られるのではないか?と女房の行動を警戒していたが、案に相違して女房は高級ブティックには興味を示さず、せっかく円安が進行してるんだから新作のバッグでも買ったらどうか?という筆者の親切な申し入れにも全く耳を貸さずどころか、ブランド品とは全く別の品物をただただ買い漁っているのだ。

それは日本の食料品、もっと言うとポンチリソースやエイヒレ、みやこ昆布などの庶民的なモノからフォアグラやモッツアレラチーズの様な小洒落た食料品である。最後の訪問地である大阪に来てからは毎日の様にあちこちの食料品店に入り込み、バスケット2個を運ぶカートいっぱいに品物を積み上げているのだ。スーパーからホテルまで荷物を運ぶのは筆者だから、これはいい迷惑である。

ことの始まりは日本に来た翌日、筆者の実家の近所にある駅ビルに立ち寄った時のことである。筆者は京樽の弁当が好きなので母親との昼食用に4食分ほど京風弁当を買い求めたのだが、隣にあるケーキ屋や高級食材スーパーにブラリと立ち寄った瞬間に女房の目がたちまち変わった。

「何だコレは?」「何でこんな素敵なものがこんなに安いのだ!」と目をまん丸くしているのである。いやお前これは別に…と説明するのも面倒なのでほっといたのだが、その後に立ち寄った実家のそばのいなげやや西友などの庶民向けスーパーに入った途端に「アッ!」と声をあげた後、店に入るやそのまま出てこなくなってしまったのである。





ちなみに女房は香港に20年以上住んでいて、買い物も香港の銀座であるコーズウエイベイにあるそごうやシティースーパーでしていたからアフリカの野蛮人みたいにスーパーマケットの存在に驚いたわけでは無い。こんな単なる住宅地に香港そごう並みのスーパーが何軒もあって、しかも香港とは比べ物にならないくらい品揃えが豊富であることに驚愕したのだ。

ホテルへの帰りに寄った池袋の西武百貨店の地下食品売り場に連れて行った時に女房の驚きは頂点に達し、もはや抑制を欠いた女房は最高級のショコラから坂角のえびせんべえ、それにどうみてもホテルじゃ食べられそうにないカレイの一夜干しなどを手当たり次第買い漁り始めたのである。

結局女房が買い求めたものが余りに膨大な量になり、どうみてもフィリピン航空の重量制限をはるかに超えてしまうため、乾燥したものは郵便局のSAL便すでに2回ほど送り、本日もこれから宿泊先の下にある郵便局へ物品発送に行くのだが、女房はこれからのメインイベントに備えて買い物リスト作成に余念が無い。

それは食のルーブル美術館とも言うべき阪急百貨店本店の生鮮食品売り場でタラバカニやらイクラ、ウニなどの海産物にアンキモ、カニミソなどの珍味類などを預け入れ荷物のギリギリまで買い込むつもりなのだ。リストに何かを書き込んではウーンと唸り、また何か計算し始める女房の姿を見るにつけ、ただならぬ執念のような物を感じてしまっ筆者は現在隣のベッドにいる女房に声をかけられないでいる。






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釜ヶ崎のフィリピンパブで一曲

飛田新地にある「鯛よし百番」という旧遊郭をそのまま再利用した料亭で食事を済ませた後、飛田から今池駅へと続く新開筋商店街を西へと歩いて行くことにした。この近辺には日本で一番安いスーパーマーケット「玉出」というのがあると聞いた女房が是非ともそこへ行って見たいと言い出したためある。

なお普通の日本人女性であればこんな危ない地帯を夜間歩くなんてトンデモ無いと思うのだろうが、香港に20年以上住んでいた女房の目には西成など小綺麗な商店街にしか映っていないので、商店街の左右にある商店を覗いては写真を撮ろうとするくらいである。流石にこれは「ここは逃亡犯が多いんだ」と言って止めさせねばならなかった。

さて玉出スーパーに面した大通りに近づいた時に右手にフィリピンパブという看板を見つけた。セット料金2000円、飲み物800円という低価格店である。へえ…こんなところにPパブがねえ…。どうせ40過ぎの年増スナックだろう…と思っていると、目の前に自転車に乗ったフィリピン人の女が現れて、女房に対してアテ〜なんとかぁ!とタガログ語で話しかけて来た。





どうも女房がフィリピン人だと遠目にも分かったらしく、ヒマだったら寄ってってよ!と言うことらしい。それで…京都に移動して以来あまり現地の人たちと会話をしていない筆者らは思い切ってこのYou-aという名のフィリピンパブに入って見ることにした。料金もたかが知れてるし、それに日本に来てから言葉が通じないという女房のストレス発散には絶好のチャンスである。

早速カウンターに通されると店の二人のフィリピン女性から筆者ら夫婦のアウトラインを聞かれたが、どうも筆者らはこの店の客層からは規格外らしくイマイチよく飲み込めない様だ。夫婦の共通語は英語で、香港で長年暮らしていて今はフィリピンに移住したんだよ!と説明してもあんまり良く理解出来ない様である。それで面倒臭くなったので日本に旅をしに来た日系人とフィリピン人の夫婦ということにした。

さてこの店であるが案の定女性は年齢層が高く、バギオ出身のママとノバルチェス出身のチーママ、そしてトンド地区出身のアシスタント3人の平均年齢は筆者の齢を多少下回る程度である。全員とも日本に来てから20年以上の大ベテラン揃いだ。まあ西成の客たちは50歳以上がざらなので彼女らでも十分セックスアピールがあるのだろう。それからこの店は女の子がそばに座るのではなくカウンターを挟んで接客するスナック形式である。





肝心の店のサービスはどうか?というと、これは流石に大阪らしく客あしらいが大変上手で、しかもたちの悪いディープ大阪の客を普段から相手にしているだけあってユーモア感覚たっぷりの会話を堪能させていただいた。女房もトンド地区出身の女性とは意気投合した様で、筆者を差し置いてタガログ語で女性たちとあれこれまくし立てていたくらいである。

一方の客たちの方はと言うとコレが意外に紳士的で、筆者らが英語とタガログ語で女性陣と話し込んでいるのにちっとも嫌な顔をせず、むしろ女房にタバコを差し出して(危ないタバコでは無い)対話を試みたり、筆者の知らないノリノリの歌で女性陣と踊り出したりと陽性で和やかな人たちばかりであった。昼間はエリートサラリーマンやってるのに、夜になると店に因縁をつける様な輩がはびこる池袋や上野のPパブとは大違いである。

かく言う筆者も会社員時代は高級ホテルのラウンジや会員制クラブで高級ワインなど飲んで格好をつけていたが、ここ西成のPパブで過ごしてみてはっきりと分かったのは、筆者はこういう下町の猥雑な雰囲気の方が好きだということである。元々単なる教員の倅で育ちも大して良く無いのだから、今までのようなスノッブな生活はやはり自分には向いてなかったのだ。フロアで楽しそうに踊っている西成のオヤジを見ていると何だか心の中に温かいものが込み上げて来るのを感じた。また大阪に来ることがあったら、この店にブラリと立ち寄ろう。


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大阪ドヤ街探訪記

飛田新地を訪れた翌日、いよいよ今回の旅のメインイベントである大阪・釜ヶ崎を訪問する時がやって来た。お前なんでドヤ街なんか…と思うだろうが、筆者は昔から危ない匂いのする場所が好きで、ニューヨークやモスクワなどに出張する度に「あそこはやばい」と言われる場所へ午前中に足を運ぶことにしているのである。

さて大阪の釜ヶ崎といえば日本最大のドヤ街であるだけでなく、暴力団と左翼団体と病院の三者ががっちり組んだ貧困ビジネスの牙城である。蛇足だが数年前にこの悪のトライアングルを告発しようとした矢島祥子という女医が水死体で発見されたが、どういう理由か警察は自殺と断定するなど得体の知れない空気が支配する場所なのだ。

スニーカーにジーンズ、それと香港の下町で買った中国製防寒着にリュックサックという出で立ちで動物園前から古ぼけたアーケードを進んでいく。このアーケードの途中にココルームという非常に怪しいNGOがあって、そこは一般人も立ち入れる喫茶スペースがあるのだが、カフェの暖簾をくぐるといきなり店員と客が一斉に筆者の方を向き、瞬きもせずにジーッと筆者の方を見つめて来た。「お前だれや?」という警戒感むき出しである。

このNGOの代表である上田○○○という女は釜ヶ崎労働組合書記長の正妻で、なおかつ自身も実態不明のNGO名義で多額の助成金を大阪市から掠め取っている貧困ビジネス界の女傑であり、さらに矢島女医の変死事件には夫婦揃って深く関与していると専らの噂の人物なので、このカフェでちょっと話でも出来たら…と思って立ち寄ったのだが、客らの無言の圧力の向こうでひたすらパソコンに何かを打ち込んでいる上田女史の和服姿が見えただけでその場を立ち去らざるを得なくなってしまった。残念…。

その後は釜ヶ崎をずっと南下していくと養豚場じゃないかと思うほどの異臭が漂よって来た。悪名高い三角公園である。ここには職にあぶれた日雇い労働者や人生丸ごと放棄しちゃったホームレス達が屯っていて、午前11時だというのに何だかみんな楽しそうに酒を飲んでいる。筆者も近くの酒屋でビールでも買って仲間入りをさせてもらおうかと思ったが、酒屋に向かう途中で鳥打帽の親父が通行人に声をかけているのが見えてきた。





「ニイちゃん仕事無いんか?」「簡単な仕事やで」という口上からみて手配師のようだ。どうみても50過ぎのジジイにまでニイちゃんニイちゃんと声をかけているから、相当キツイかヤバイ仕事に違いない。そして筆者がこの男の方向に歩いて行って、今度は俺が声をかけられるぞ!とワクワクしていると、案に相違してこの鳥打帽の親父はスカッと筆者を飛ばしたのである。

畜生…ココルームに続いてここでも俺は相手にされなかった。どうも釜ヶ崎の住人からは筆者は違和感を感じられてしまうらしく、仲間に入れてくれないようだ。やっぱり服装をもっと汚くするとか、もっとオドオドした目つきをするとか、両手の薬指にはめた金の指輪を外さないダメなようである。もしくはネイビーブルーのブレザーに短パン、ビーチサンダルみたいな精神が壊れた服装の組み合わせなら何とかなるかも…。

さて小一時間ほど釜ヶ崎の界隈をブラブラしたが、筆者の正直な感想を言うと全然怖いとは感じなかったし、それに巷間言われる様な悲惨さというのもあまり感じなかったのだ。たしかにここの住人達の成りは汚いし独り者も多いのだろうが、東京郊外の閑散とした住宅地に住む独居老人よりは仲間も多いし人間関係も濃密で孤独ではなさそうである。

それにうどん一杯200円とか立ち食いだけど実に美味そうな居酒屋、2000円で飲み放題歌い放題の店などのとにかく安いけれどそこそこコスパの良さそうな店がズラリと軒を並べているのが良い。筆者は釜ヶ崎の連中を憐憫の目で見て来たけれど、なんだか生活レベルも意外に高くてみんな幸せそうである。そしてその時ある衝撃的な事実に気がついた。

俺の方が釜ヶ崎の住民よりも不幸せなんじゃないか?。優雅な生活が出来ると思ってフィリピンに来たら意外な物価高に直面し、しかもメシと来たら話にならない不味さ。しかも円安が進む一方で物価はうなぎ登りに上がって行くだけ。しかもマニラ港の機能麻痺で商品選択の幅は狭まって行く…。それにマラテに比べると釜ヶ崎の方がかなり治安も良さそうだ。だったら…オレ釜ヶ崎に移住しようかな…。






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飛田新地の金魚たち

天王寺のイトーヨーカドーで女房が買い物に専念している際に、アンタは邪魔だから1時間ほどどっか言ってろ!と命じられたのをこれ幸いに、筆者は店から歩いていける距離にある日本最大の不思議スポット「飛田新地」へと足を運ぶことにした。

この飛田新地は東京の吉原と並ぶ旧遊郭、旧赤線地帯であるが、赤線廃止以降ソープランド街に変貌した吉原と違ってここ飛田新地は戦前の風情を残す現代の遊郭街として今でも営業していると言うのである。渡鹿野島とならぶ日本の裏風俗のメッカ飛田新地。これは是非とも見に行かねばならないではないか。

ちまみに筆者は今から25年前に2ヶ月ほど大阪にいたことがあって、職場の同僚や大学時代の友人たちから「飛田はいいぞ〜」と聞かされていたのだが、勤務先が日本橋、住んでいたのが南森町と飛田とは逆方向であり、そっちの方面は梅田の風俗店にどハマっていたため飛田とは全く縁がなかったのである。

大阪市立大病院の南側の通りを抜けて飛田エリアに入るとなるほどピンク色のネオンが輝いた遊郭(表向きは飲食店を装っている)がズラーッと並んでいるのが見えてきた。さて期待した姫様たちとこれからご対面となるわけだが、筆者の目的は実はこの娘たちと一線交えることでは無くて、ネットに書かれていることが本当かどうかを確認しに来たのだ。





「飛田にはアイドル顔負けの美女がいる」とか「芸能人の○○はかつて飛田にいた」という類の飛田美女伝説である。みんな自分の体験談として美女とチョメチョメと書いているが、常識的に考えればたかが一発11000円の格安売春店にそんな女いるわけねえだろぉ…。きっと飛田料理店組合がサクラを雇っているに違いない…と思っていたのだ。

さてついに最初の一軒目の前を通りかかり、こういう場所では世界共通のマナーである薄ら馬鹿笑いを浮かべて玄関に座っている姫様を見た時に思わず「エエッ!」と驚いてしまったのである。本当に…芸能人じゃないかと思うくらい可愛い女がそこにいたのだ。その可愛さに見とれてしまい、「ニイちゃん!寄ってんかぁ!この娘はサービス最高やでぇ!」という遣り手ババアの口上に危うく乗りそうになるところで有った。

そしてその次の店も次の次の店でも玄関にいてこっちを微笑む女の子は全員が全員とも「ウソだろっ!」と叫びたくなるほどの粒よりの美女ばかりなのである…。しかしここは飛田の青春通りという一番の綺麗どころを集めた通りなので、逆に熟女ばかりの妖怪通りへも足を運んで見たのだが、ここにいる30代後半の女性たちも池袋や鶯谷の人妻風俗店の女よりもよっぽど美人が揃っていたで(例外が一名だけいたけどね…)。

あまりの女のレベルの高さに唖然としてしまう筆者。畜生…女房には2時間ほど時間をもらっておけばよかった。明日でも絶対に時間を作って再チャレンジしてみるぞ!と心に誓う。それから皆さんも大阪に行かれる事があったら是非とも飛田新地に足を運んで見て欲しい。ただし絶対に写真は取らないこと。もし見つかれば命の保証は無いのでご注意を。






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祇園でスッポンを食いながら思うこと

今から20年近く前に香港にある日本料理店でアメリカの大手顧客と寿司をつまんでいた時の事である。筆者は寿司ネタでは赤ムツとキンキが大好物なのでマイクという名のこの顧客にも早速2カンづつ握って貰う様に頼んだところ、「この魚にウロコとヒレは有るのか?」と聞かれてギョッとしてしまった。言っている意図がよく解らなかったのだ。それでカウンターの中にいる板さんに尋ねてみると、訳知っている様に2種類の魚をマイクに見せてくれて「血も全部抜いてますよ」と自信ありげに言った。それを聞いて「魚の血は抜かなくてもいいんだけどね」と言ってニヤッと笑うマイク。筆者がポカンとしていると板さんがこそっと「この方はユダヤ教徒なんですよ」と言った。

周知の通りキリスト教徒や日本人のように何を食べても構わない人種というのは世界の中では割と例外の方で、大部分の人たちは食べ物の素材や調理法に関しては何らかの制約下に置かれている。イスラムの豚肉やヒンズーの牛肉禁止は誰でも知っているが、中国人の一部(特に潮州系)は牛肉を食べないし、ユダヤ教徒のコーシェルやイスラム教のハラルの様に家畜の殺し方まで細かく決められているケースまである。まあ顧客と食事をするのが仕事の海外営業マンなら各宗教ごとの規定を覚えているのは当たり前だが、時と場合によっては想定外の事態が起こって右往左往させられることもままあった。

有る時にドバイの大手客の一行と夕食を共にすることになった。宗教構成を聞いてみるとイスラム・スンニー派とヒンズー教徒、それにシーク教徒とカトリックだという。じゃあ今日はインド料理店ですな!と言ったが、相手はせっかく美食の都香港に来たのだから広東料理を食べたいと言い張って聞かない。それで一番問題が無さそうな海鮮料理店に連れて行き、アワビ、ロブスターや蟹にガルーパというハタ科の魚の蒸した料理など頼んだのだが、料理が目の前に並んでもカトリック教徒以外は誰も手を付けようとしない。それで一体どうしたのか?と聞くと「この油は何の動物から摂れたものだ」と聞いてきたのだ。それで一応マネージャーに聞くと植物油だと言うのでホッと胸を撫で下ろした覚えがある。

一方こうは巧くいかなかったのが筆者の同僚のケース。彼は同じく数人のインド人を日本の本社に引率して行ったのだが、夕食前になってこのインド人はなんと全員ベジタリアンである事が分かった。それで地元でも有名な精進料理の店へと行ったのだが、出て来た料理の匂いを嗅いだ途端に「何で魚の料理を頼んだのか?」と一行で一番上の人が文句を言い始めた。いえ違いますよ!これは大豆や野菜を加工したものです!と言ったあと、仲居さんを呼んで魚は使って無いですよね?と再確認したら、「いえ・・実はうちの店は出汁だけ鰹節を使ってるんです」と白状されたそうだ。けっきょく全員が一口も食べずに店を後にしてしまったという。





なお筆者は食事に関する宗教の不合理性をここで批判しているわけでは無いし、信者達が幾つもの食材を諦めてでも自分たちの信仰を守ろうとする姿勢には正直敬服するが、そうは言っても彼らと一緒に食事をしたいですか?と言われれば答えはNOだ。それに余りにも宗教的な要求が細かすぎてしまい、香港に来て何も食べられない原因は筆者ら招待側の事前調査不足であるとほざいたインド人に対して「お前は二度と香港に来るな!」と怒鳴りつけたこともある。選択肢を狭める宗教を選んだのは何より本人の問題だから、他国で通用しない不満感は現地人に当たり散らすので無く自分の神に向けるべきだ。

筆者は女房と付き合い始めてから17年経つが、女房および親戚・友人一同は食材の制約が無く何でも食べてくれるので大変助かっている。日本料理店に連れて行けば、牛肉、豚肉から焼き魚、イカ、タコ、ナマコに刺身、果ては納豆やタコわさびに烏賊の塩辛までなんだか旨そうに食べているし、焼肉屋ならミノやハツ、ハラミ、ガツ、ホルモンなど癖のある肉もお手の物である。そして普段から不味い物を食い慣れているせいか、ちょっとした料理店にでも連れて行けば美味い美味いと言って食い物をかっ込んでいるのをみると、やっぱりメシを食うならこういう連中に限るな・・と思う。

さて本日の日記でこんなに食い物の話ばかり書いているのかと言うと、法隆寺で霊感を発揮したご褒美に祇園にある迦陵というちょっとしたお店で女房の大好きな懐石料理を食べに行ってきたのだが、その際に出てきたスッポンのスープが出てきてしまったからである。懐石コースなので料理の中身を細かくチェックしてなかったので「あっ!しまった」と思ったが、女房に「これはソフト・シェル・タートルのスープだ」と恐る恐る説明したところ、「あっそうなの」と言っただけで早速スプーンを口に運び始めた。

待つこと2~3秒・・。口をピチャピチャを音を立てた後でいきなり「美味しいわね!」と喜ぶ女房。やがて器ごと手に取ってズズズッと汁をすすり始める。どうも随分と気に入ったようである。そして最後の一滴まで飲み干した後、「いや~カメがこんなに美味しいとは思わなかったわ!今度池にいるカメを捕まえてきてスープにしようかしら?」と不気味なことを言った。なるほど・・中国人は足が4本あるものは椅子以外は食べるというが、どうもフィリピン人も中国人に負けず劣らず雑食の様である。やっぱこの民族と結婚して良かった。






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霊感シリーズ「法隆寺」編

京都到着の翌日、清水寺や金閣寺には目もくれず筆者と女房は奈良に向かうことにした。京都はたった3泊しか出来ないのだが、やはりここは日本の古代史に燦然と輝く二大巨頭「法隆寺」と「東大寺」だけは見ておかなければ!と思ったからである。

ちなみに女房は寺社仏閣というのには丸で興味が無く、バンコクのワット・プラケオを見にいった際も、あまりの暑さに入場前に怒り出してしまい、けっきょく入り口のチケット売り場に並んだだけでサッサと帰ってしまったくらいの史跡オンチなのだ。

ブツブツ言う女房をなだめて法隆寺の敷地内に入ると、五重塔から金堂、そして精霊殿に差し掛かった辺りで突然女房に異変が起こった。なんか気持ち悪い…、この敷地内には変な物がいっぱい住み憑いている…と言ってしゃがみこんでしまったのである。

実は女房は自称霊感の持ち主で(フィリピンでは「サード・アイがある」と言う)、今まで結構不思議な場所にいってもちょっと顔を顰めるくらいだったのだが、突然しゃがみこんでしまうというのは今回が初めてだ。そしてその瞬間に「さすが俺の女房だ!」と筆者は思わず感服してしまったのである。





皆さん良く存知の通り、法隆寺を創建したと言われる聖徳太子は実際は存在していない架空の人物であり、また日本の天皇家が万世一系だというのもウソッパチで、ちょっと複雑な南北朝以前に、日本の天皇家は三回(北九州にあった王朝を入れると四回)血統が入れ替わっていると言うか、全然別の人物が王朝を開いていたのである。

いわゆる「神」の一文字が入る3人の天皇のうち存在が確認できる2名、つまり崇神天皇から仲哀天皇まではスサノオ(別名ナガスネヒコ、葛城氏?)が日本の支配者で、続く応神天皇から武烈天皇までは物部氏(別名ニギハヤヒ、猿田彦)が王権を奪い、そして継体天皇から大化の改新までは蘇我氏が日本の統治者だったのである。

じゃあ一体今の天皇家(いわゆる天智天皇系)は誰なのかというと、これは7世紀中盤に滅亡した朝鮮半島南西部にある百済から亡命して来た連中で、彼らは外国人のため日本の統治者として正当性が無いから「古事記」と「日本書紀」という改竄だらけの歴史書を作って後世の目を欺いたのである。

そして法隆寺は世界の平和を願って作られたのだ!とアホな教育者は綺麗事の説明をするが、実際は全く逆の話で、ここは大化の改新により滅亡させられた蘇我一族の怨霊を封じ込めた「霊の監獄」なのである。なお筆者の説明を信用されない方は立命館大学の梅原猛教授の「隠された十字架」という名著を読んでいただきたい。





さて精霊殿で体調をおかしくした女房は次の百済観音(これは蘇我が滅ぼした物部守屋に似せた像だとも言われている)でウゲッ!と悪阻のような症状を示し、秘宝中の秘宝で姿を表すと祟るからと長らく布にくるまれていた救世観音(これは蘇我馬子もしくは入鹿でないかとの説あり)の辺りでは顔色が真っ青になってしまった。

「ねえココって本当に寺なの?。アタシにはお墓に感じるんだけど」と小声で呟く女房。もはや満点の答えである。修学旅行のガキどもを引率してるアホ歴史教師よりフィリピン人の方が正確な答えを知ってるという事実に思わず納得してしまった。よ〜し!今日はお前が好きな懐石料理を予約してやるぞ!。

その後は東大寺を回って大仏を拝観し、鹿に鹿せんべいを与えて記念写真を撮るなどオーソドックスなスケジュールを終えて京都に戻ることにした。なお女房は東大寺ではすっかり元気を取り戻したので、さすが奈良の都にはびこる邪気と祟りと怨霊を祓い除ける大仏パワーは今でも健在のようである。ただしここの清め水は水銀含量が多いので触らない様に。

さて電車の中で女房に法隆寺と東大寺のどっちが良かったか?と聞くと、そんなのもちろん大仏に決まってるわよ!と当たり前の様な顔で言う。とにかく法隆寺はいや〜な空気が漂っていて薄気味悪いので二度と近寄りたくもないわ!と霊感のある人間らしく歴史的に正しい反応をしている。この瞬間に次回日本に来る時は熊野大社と出雲大社、そして太宰府天満宮にいくことを決めた。おっと!その前に四天王寺があったわい!。






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シャンプーを盗む女

滞在していた上野のホテルを引き払い、これから京都へ向かうために荷造りをしていると、女房が「アンタが使っていたマウスウォッシュのボトルを空けてくれ」と言う。まだ2〜3回分残っていたが、こんなプラスチックボトルを京都まで持って行くのは面倒なので女房に言われたとおり中身を捨てると、「じゃあアタシにそのボトルを渡してくれ」と言った。

その後筆者はスーツケースに衣類を押し込んだりしていたのだが、バスルームに入った女房が何をしてるのか不思議に思って見にいったところ、なんとホテル備え付けのシャンプーをマウスウォッシュのボトルに注ぎ込んでいるところだった。お…お前なにやってるんだ?と思わず聞いたところ、見ればわかるでしょ!持って帰るのよ!と唖然とするような答えをした。

言っておくが筆者ら夫婦は物盗りではないしシャンプーを盗むほど貧乏でもない。それに一泊200米ドルクラスのホテルなんかしょっちゅう泊まっているが、ホテルのアメニティを持ち帰る事を習慣にしているわけでもない。それで何で女房に「こんな行為をするのか?」と聞いたところ、「このシャンプーが今まで経験したことがないほど素晴らしいから」なのだそうだ。

素晴らしいって…、こんなビジネスホテルに毛が生えたような所にボカっとボトルごと置いてあるシャンプーがか?と聞くと「そうだ!」と胸を張って答える。今までシャングリラとかヴェネチアンとか超一流ホテルには何度も泊まったが、この東京のビジネスホテルのシャンプーほど豪勢なものは無い!。だから今日チェックアウトする際に是非とも一瓶まるごと持って帰るつもりでいたのだ!。だってタダなんでしょ!と真面目な顔で言う…。

たしかにいくら使っても文句は言われないが、コンディショナーとボディソープは満タンなのにシャンプーだけ空っぽというのは変だし、それにハウスキーピングのオバさんも違和感を感じるはずである。だったらボディソープも持って行けよ!そうすれば変じゃ無いだろう!と言ったが、いやっ!この3品のうちシャンプーだけが突出して良いのだ!、だからこれしかいらないのよっ!と言ってまた注入作業に没頭し始めた。

けっきょくボトルサイズの違いから大振りのマウスウォッシュの7割ほどしかシャンプーは満たせなかったため、ああっ!やっぱり昨日から盗んでおけば良かったわ!、あんたなんでもっと早くマウスウォッシュを使い切らなかったんだ!と訳の分からない怒りをぶつけられる筆者。そしてチェックアウトの際に受付のネーちゃんから「ありがとうございました!またのご利用をお待ちしております」と言われてウンウンと嬉しそうに頷く女房を見た時に、今まで感じたことの無い異種の羞恥心がこみ上げて来た。






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失踪していた後輩と再会

以前の日記にも書いたが、筆者の大学の後輩である○藤くんは今から20年前に忽然と失踪してしまい、それからようとして行方が分からなかったのだが、2ヶ月前に開催されたOB会の折に、○藤くんと先輩のY崎さんが年賀状を交換し続けていることを知り、一同○藤君の安否を確認できてホッと胸を撫で下ろした。

しかし○藤君の失踪原因については、北朝鮮に拉致されたとかオウム真理教の信者なのじゃないか…と諸々の憶測が飛び誰もコンタクトしようとしない。みんな子供が小さかったり住宅ローンが残っていたりするから兎角我が身が大事である。それでフィリピンで安穏な生活をしている筆者が○藤君にコンタクトを取り、一時帰国の際に斎藤君と会って状況を確認する役目を押し付けられてしまった。

吉祥寺の中央改札口で○藤くんを待つY崎先輩と筆者。○藤君から来た返事には「自分がとってしまったあまりにも無責任な行動は社会的な制裁を受けても…」というタダならぬ一文が書かれているのを見て一人で会うのが怖くなったため、Y崎先輩にも同席して貰う様に頼み込んだのである。Y先輩も随分緊張した面持ちで、話が話だから個室か客が全然いない店に行こう!と言い出した。

7時に改札口から出てくる○藤君を発見。外観はそれほど変わっていなかったのだが、妙なのは彼の態度で、本当にお久しぶりでございます…と言うなりいきなり泣き崩れそうな気配である。こりゃいかん…、こいつ相当精神を踏みにじられて来てるぞ…、と早くも危険信号が灯り始めた。○藤君は改札口でいきなり長口舌を振るおうとしたが、まあまあ…中華でもつまんで…となだめて、サンロードの三浦屋ビルにある中華料理店に行くことにした。





ザーサイをつまみにビールで乾杯する3人。そこでY先輩が「いやっ、○藤が失踪していたって聞いてびっくりしてさぁ…」といきなり内角直球高めを投げ込む。すると○藤くんはウンウンと首を縦に振りながら「今日は全てを話すつもりで来ました」と宣言。いやいや重苦しい夜になりそうだが、本当のことを言うと内心ではちょっと興味があったのである。

というのは筆者は北朝鮮とオウム真理教、それにS学会とT教会、そして山○組とロシア政府の悪の相関図を一時調べていたことがあるし、北朝鮮問題についてもセミプロ位の知識は持ち合わせているので、オウムにしろ拉致にしろ○藤くんの口から生々しい実体験を聞きたいな思っていたのだ。そして本日の○藤くんの尋常でない精神状況を見るにつけ今夜はかなり期待できると直感で悟ったのである。

しかし最初から質問責めにすると○藤くんが口をつぐんでしまう可能性があるので、昨今の円安や自分がブチ切れて会社を辞めたんだよ…など情けない話をして行くことで警戒心を緩めて行くことにした。涙目ながらウンウンとY崎先輩と筆者の話を聞く○藤くん。筆者の言葉のハシハシに「僕も役所に勤めている時が…」と言うや涙目になって言葉を詰まらせる。ところがこの店は9時閉店と予想外に早いため、2万円の食費は全額筆者が受け持つことにして河岸を変えることにした。

場所を同じ吉祥寺のバーに移して、スコッチを片手に身の上話をするY崎先輩。○藤くんは随分と口が滑らかになって来て、そろそろ自分の身の上に起こった事を激白したそうな雰囲気である。そこで筆者の方から「君の失踪については皆いろんな憶測をしている」「北朝鮮やオウムという噂もある」と言った後、ただし今日はあくまで親交を深めるための会合だから、言いたくなければ言わなくて良いと一応の心配りをした。





しかし○藤くんは意を決した様で、○○さん!僕はそれを話すためにここに来たんです!と言う。そうか…でもあんまり詮索したくも無いから(本当は嘘)、失踪していた時間に君はどこにいたのか教えてほしい。それで大体のことが分かるからね…と言うと、○藤くんは「実は僕は…」と言った後いったん口ごもり、やがて「実は大阪の西成にいたんです…」と息を吐き出す様に言った。

西成…?。な何だって?。ピョンヤンや第七サティアンじゃないのか?と思ったが、西成にも北朝鮮の秘密教育施設やオウムの支部があるのかと思ったので、西成のどこ?と聞き返すと、○藤くんは「実はドヤで日雇いの仕事をしていたんです…。あそこに行けばニイちゃん仕事ないんか?って声をかけられますから」と全く意外なことを話し始めるではないか。

○藤くんはその後話したのは、役所に入ってから自分がこの仕事に全く向いていないことに気がつき、それからはストレスとの戦いで気が変になってしまい、ある時フッと魔が差して大阪行きの夜行バスに乗ってしまったと言うものだった。それで無断欠勤が長引いて役所を辞職させられてしまったのです…、というそこら変にいくらでもある様な話である。

だけどその後東京に戻ってから務めた会社も自分には合わなくて辞めちゃって…と延々と自分の話をダイナミックな口調で語るが、北朝鮮やオウムを期待した筆者やY崎先輩にとっては○藤君の話は全然ダイナミックでも何でも無く、そのうち二人とも睡魔に襲われてカウンターでうたた寝をしてしまった。なおこの二次会はすぐにお開きとなり、料金2万円は割り勘にしてもらった事は言うまでもない。






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横浜中華街のニセ中国人たち

香港の友人たちが上海ガニを食ってる写真をフェイスブックにアップし、それを見た女房が「アタシも上海ガニ食べたい」と喚き出した。お前そんな事言ったって上玉のカニは全部香港に持って行かれるので日本じゃロクなカニが無いぞ!と説明したが、コーズウェイベイのカニ屋にしょっちゅう寄っては上海ガニを求めていた女房の願望は止まりそうに無い。

京浜東北線に乗って一路横浜へ。都内の中華料理店でも良かったのだが、女房の要望で横浜中華街まで来ることにした。ちなみに筆者ら香港在住組は現地で美味い中華料理をたらふく食っていたため、日本に帰国しても中華料理は食べるな!というのが鉄則なのだが、女房は何処かでヨコハマ・チャイナタウンという単語を調べていたらしく、まずい飯を食うのを承知で横浜まで出張ることにしたのだ。

到着したのが正午の15分前なので、混雑を避けるため上海ガニを扱っている店を適当に選んで入ることにした。どうせ横浜いちと評判の店に入っても香港の行きつけの店には絶対に叶うはずが無いから(むかし聘珍楼で怒り出したことがある)3000円で食べ放題という店である。ただし上海ガニは食べ放題とは別料金でLサイズ2500円と香港の3倍以上の値段がついていた。

「はい 上海ガニ 美味しいアルね。この生姜で炒めたカニも…」と中国人特有のアクセントで説明し始めるウエイトレス。こっちも中国語で話してやろうか?と思ったが、まあ大人気ない真似はしたくないので日本のお登りさんの振りをして料理の注文をすませた。筆者らが通されたコーナーにはオトコ2人に女1人の計3人の店員がいて、胸につけられたネームプレートを見ると全員中国人である。

さて料理を半分くらい平らげたところで(案の定ダメな代物だった)、トイレへ向かった時のことである。たまたま先客がいたのでドアの前で待っていると、カーテンの向こうにある配膳準備室から「まったく、○○が盛り付ける料理は下手くそだよな…」という声が聞こえた。どうもウエイターが厨房から料理を受け取った時に、そばにいた同僚に感想を漏らしたようなのだが、筆者はアッ!と驚いてしまったのだ。





この男の言葉はアクセントが完全に日本人のものなのだ。筆者は今まで数多くの日本語を勉強した中国人たちと出会って来たが、このウエイターほど全くよどみの無い日本語のアクセントを聞いたことが無い。こいつ…どうも小学校から高校まで日本の学校に通っていたんじゃ無いか?と思った時に、今度はもっと衝撃的な事が起こった。

女の声で「先週△△さんが辞めちゃったから、○○が盛り付けに回されたけど、これってさぁ、言っちゃ悪いけど判断ミスよね」というこれまた全くよどみの無い日本語が聞こえてきたのだ。しかもーこいつはさっき「はい…○○アルね」と中国人丸出しのアクセントで喋っていた女じゃ無いか!。ところが配膳室では完全な日本語を話している…。ひょっとしてこいつら日本人なんじゃあ…。

しかしである。日本のコンビニみたいな低賃金労働は中国人が大半を占めているから、中華街の店員なんか絶対に中国人従業員100%のはずである。しかし仮に彼らが中国人だとしても、あれだけ完全な日本語を話せるならば、こんなウエイターみたいな事をやってるだろうか?。ということは、こいつらはゼンジー北京みたいな怪しげな日中混合語を使う日本人に違いない…。

ここから先は筆者の推測である。この店の時給が高いのか低いのかわからんが、バイトの条件として「中国人風の日本語アクセント」を話すことになっているのだろう。ひょっとして横浜・中華街には怪しい日本語を教える語学学校なんてのがあって、そこには高校中退やヤンキーなど生業に就けそうもない日本人の連中が集まってエセ中国人を育成しているのかもしれない。

「はい、おまちどう。カニミソ美味しいあるね」といかがわしい日本語で上海ガニを持ってきたウエイトレス。しかし筆者はこの女の正体を知ってしまったため、ありがとう…とか答えもせずに、黙って料理に手をつけ始めた。そしてこの上海ガニを口に含んだ女房は第一声で「このカニは本物じゃないわね」と呟いた。そりゃそうだよ…店員だってニセモノなんだからさ。






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ウォシュレットにハマる女房

東京のホテルにチェックインした直後、トイレの中から筆者を呼ぶ声がする。なんだ?と思いドアを開けると、女房がトイレを不思議そうな顔で見ていて「このボタンを押しても水が流れないのよ」と言うではないか。お前…それはウォシュレットのボタンで…と言っても、この単語の概念が女房の頭の中に無さそうなので「いいから座れ!」と命じた。

恐る恐るトイレに座る女房。そしてSPRAYのボタンを押すと女房の表情が一気に変わった。あっ!何これ!水が出てきた!と叫ぶ女房。お前ね、日本じゃ20年以上前からこのタイプのトイレが主流なんだよ…と言うと女房の顔に日本の先端技術(?)への尊敬の表情が浮かぶ。香港ではただの一度もウォシュレットを見たことがないから、女房にとっては初体験なのだ。

お前こっちもやってみろ!と言ってビデのボタンをおすと、今度はアッ!○○○が熱い!と声をあげるが、そのうちになんとなく嬉しそうな表情に変わってきたのをみて即座にボタンをオフにした。ここで発情されてアレコレ要求されるの困る…。それで今から外出するぞ!と言ってその場を逃れることが出来た。





しかし…それ以来な〜んか女房は頻繁にトイレに行くようになったのだ。変だな〜と思ってトイレのドアにそっと耳を当てて聞いてみると、中からウォシュレット特有のブーンという男が聞こえてくるのだが、単にケツを洗うにしては随分長い時間をウォシュレットの上で過ごしているのだ。これは…どうも温水ビデでオ○ニーしてるんでないだろうか。

さて女房が義妹や従姉妹たちとスカイプ会話をしているのを立ち聞きしていたが、その中にウォシュレットという単語が出てきて、義妹と従姉妹ミレットが何ともイヤらしい喜びの声をあげているのが聞こえてきた。どうも筆者の疑問は事実の様で、どうやら義妹はお土産にウォシュレットを買って来い!と女房にねだった模様だ。

さてTOTOさんに要望があるのだが、そっち方面に飢えたフィリピン女性向けにマッサージ効果のある強力温水ビデを開発したらどうだろうか?。さらに1回100ペソの追加料金で棒状のモノが飛び出してきて、ブーンと振動しながら内部から洗うなんて機能があれば、フィリピン女性たちはしょっちゅうトイレで過ごすようになるし、妻の浮気を疑う出稼ぎ中の旦那たちも大枚を叩いて購入すると思うんだけどね。






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確定申告でブチ切れた!

日本到着の翌日に地元の税務署に行き、今年度の確定申告を前倒しですることにした。筆者がフィリピンで始めた商売は損はしなかったがすっかりコケてしまい、現在は日本の株取引で糊口を凌いでいるのであるが、源泉徴収されない一般口座の株を先日売却したため、税務署に赴いて確定申告する必要があったからだ。

「来年の確定申告の時期に日本にいないので早めに申告したいんですけど」と税務署の受付に伝え、一般人向けの税務相談室に通される筆者。本来なら来年の2〜3月に申告するのがルールだが、このためだけに日本に帰国するのも面倒だし何しろこの時期の日本は寒い…。なので来年9月まで住民票は日本に置いたままだが海外に出てしまうのです…と説明したのだ。

出てきたのは新人ぽい若造で、筆者の説明を聞いても「すみません、ちょっと先輩に聞かないと…」と言ってたびたび席を外すような下っ端である。筆者は何度か申告経験が有るので、これが証券会社の取引明細でこれが買い入れ単価、そうすると売却益がこれで、そこから基礎控除が38万円、社会保険は国民年金が19万円で、国民健康保険が・と説明して行く。

ところがここで筆者がよく知らない配偶者控除について質問した時に、この若造が「奥様はフィリピンに住んでいるのですか?」と聞いてきた。女房の住民票があるわけじゃないから嘘を言うわけにもいかない…。それで「ええ、そうですけど」と答えると、「先ほど海外へしばらく出ると言ってましたが、数か月前に日本に住民票を出したと言うことは、アナタの生活の実態はフィリピンにあるのですね」と聞いてきた。

ええ、そうですけど…と答える筆者(これが失敗だった)。非居住者は株の売却をするな!言うので売却前に住民票を日本に置いたのですけど…」と言うと、この若造は「ちょっとお待ちください」と言って先輩の方に歩いていってしまった。そして何やら話し込む若造とオールドミスの眼鏡の中年女。やがて戻ってきた若造は、「あなたは社会保険の控除を受けられません」と言い出した。

はあ…?と驚く筆者。冗談じゃない!これとは別の特定口座の株を同時期に売却しているけど、源泉徴収としれ地方税を5%払ってるじゃねえか!。税金を払う時は居住者扱いとして5%余分に税金を払うけど、控除を受ける時は住民票を出しているのにも関わらず非居住者扱いとして不利になるとはどういう事だ!と爆発してしまった。





ところが…、この若造はまたもやオールドミスの元に駆けつけるとあれこれ指示を仰ぎ、また筆者に怒鳴り散らされてはオールドミスの元に駆けつけるというのを3回繰り返し、ナントカ条文という難解な法律を持ち出して来やがった。ようするに本来なら住民票の除票を提出して社会保険は「払わなくても良い(驚き)」のに、任意加入しているのは筆者の勝手だから(唖然…)控除対象にならないというのである。

お前…政府があんだけ国民年金に入ろう!と言うから俺はわざわざ任意加入で入ってるのに(しかも400円余分の付加コース)、税務署は「非居住者は入んなくても良いんですよ」と言いやがるのか…。だったらお前に海外にいるって言わなきゃばっくれられたのか!とか、本当の事言ったら馬鹿を見る税務署!と散々罵ったが、相手はこんなの慣れっこだから筆者の負けは決定である。はっきり言えば良く調べずに行った筆者が馬鹿なのだ。

けっきょく社会保険料24万円分の20%(ここでも5%は居住者として地方税を払う)を渋々払わされる筆者。海外に住んでる事など黙ってて「来年の2〜3月だけ海外にボランティアに行ってる」とで言っとけば余分に払わなくても済んだのに、航空運賃を浮かそうと思って税務署に行ったらマニラー東京往復航空券と同じ値段だけ損してしまった…というお馬鹿の見本のような話だ。

待合室で待ってた女房に事の顛末を話すと「あんた馬鹿ね!」と怒られてしまった。知らないことはトコトンまで事前に調べないと動かないのが筆者の信条だが、今回は売却した一般口座の株の買い入れ価格の記録を紛失していたことに気づき、しかもみなし取得価という制度がいつの間にか無くなっていたため、売却額の5%という超低価格を取得額にみなされる可能性が有ったため、そこまで頭が回らなかったのである。

幸運な事に株を買った際の記録を売り手が奇跡的に保管していたことを発見し、売却額の19%((100-5%)x課税率20%)を税金で持って行かれる事は無くなったのだが、そこですっかり安心してしまったのが間違いの素だった。それにまさか非居住者の定義で税務署がダブルスタンダードを持っているとは思わなかったのも迂闊と言えば迂闊である。

怒り浸透の筆者は帰りの道すがら本屋に寄って税務関係の本を数冊まとめ買いしてしまったことは言うまでもない。本屋の親父は筆者のあまりの剣幕に筆者のことを自営業者と勘違いしたらしく「知り合いの税理士を紹介しましょうか?」といらぬ事を聞いて来やがった。こうなりゃ徹底的に税金の事を調べ抜いて地元の税務署が手に負えない脱税のプロにでもなってやる!。この4万8000円は高くつくぞ!国税庁!。






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円安にブチ切れて日本に旅に行くことにした

本当ならば今ごろタイに1ヶ月の旅に出かけているはずなのだが、皆さんご存知の通り円安が急激に加速したために及び腰となってしまった。まあ筆者らは一流ホテルには泊まらないし、宿泊も二流ホテルと決めているので滞在費をケチれば良いだけだが、女房が「いつもタイばっかり!」とブチ切れたので、しぶしぶ通貨安の本家お膝元である日本に行くことになったのである。

ちなみに筆者は日本旅行というのは全く興味が無く、自分の金で旅行に行ったのは25年前の熱海日帰り旅行が最後で、香港に住んでいた時は休みが取れればタイばっかり行っていた人間なので、今回の日本行きもはっきり言って気分が浮かないのだが、筆者の女房は日本に行くのが嬉しくてたまらないようで、同居人の義妹の次女(2歳の赤ん坊)に毎日のように「I GO TO JAPAN〜♫」と陽気に話しかけているのである。

お恥ずかしい話だが筆者は女房が日本に行きたいという要望を長年に渡って一切無視し続けてきたのだが(女房はこの事を不満に思っていた)、今回の円安のタイミングを上手く見計らって日本旅行を切り出し、それに今までの恨み辛みを絡めてきたため筆者もNOと言えなくなってしまったのだ。さらに10月末の日銀の追加緩和による円安加速を見て「これでブランド品がもっと安く買えるわ!」と喜んでいやがるのだ。ケッ!。

ただし日本は物価が高いということで滞在期間は1ヶ月ではなく15日に短縮し、訪問先も筆者の出身地である東京だけでは余りに退屈ということで、関西へも足を伸ばすことを了解させた。まあ了解するも何も何も関西どころか日本列島が世界地図のどこに有るのかも知らないんだから、筆者の適当な説明にも女房はウンウンと頷くしかないのである。





さて女房は早速荷造りに取り掛かり、帰りのお土産のスペースを確保するためかヤケにでかいスーツケースを引っ張り出してきた。それにタイ旅行の時はCoachのハンドバックしか持たないのに今回はヴィトンのバッグ大小各一個を用意しているし、隣の部屋にあるパソコンで深夜ヴィトンのホームページを時間をかけてじっくり見ているから、どうも筆者に誕生日プレゼントとして新作のバッグを買わせるつもりのようだ。

話はちょっと脱線するが、女房にブランド品を教え込んだのは筆者で、香港の安食堂のウエイトレスらしく安っぽい身なりをしているのが哀れでD&GやDKNY辺りを買い与えたのだが(当時は大喜びしていた)、だんだんCOACHやBALLYとカーストアップして行き、カルチェの腕時計とアクセサリー、そしてヴィトンのバッグを入手した頃から「あたしはもう他のブランドは買う気は無いわ」と言い出してしまったのだ。

しかし…女房が抜けているのは筆者が予約したホテルの位置(=行動エリア)を確認していないことだ。多分こんな事になるだろうと思って、筆者は東京では上野、京都では京都駅近辺(崇仁地区に近い)、大阪では天王寺駅前という各都市の貧困エリアを予約しているのである。そして言うまでもなく浅草や新世界を「ここがマカティみたいなもんだ」と案内し、銀座や心斎橋には一切近づかせない計画なのである。

さて女房は鼻歌交じりに荷作りを着々と進めているが、筆者のこうした秘密の計画に気がつくはずもない。バーカめ!。お前が向かうのは日本の最底辺と言われる山谷や釜ヶ崎なんだよ!。だいいち犬肉を平気で出す料理店に高級バッグなんか持ってったらたちまち身ぐるみはがされるんだ!。まあそうなれば二度と日本に行きたいとは言わないだろう。やっぱり遊びに行くのはタイって相場が決まってるんだよ!。





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アナーキー・イン・ザ・PH

フィリピンに移住してかれこれ1年半が経過したが、こちらの人たちの社会に対する考え方や向き合い方について一体どういう言葉で表現したら良いのかよく分からない時期が続いていた。ここで言っているのは共産主義者だとか典型的な資本主義者だ、もしくは自由主義者や個人主義者、ファシストと言ったようなレッテル貼りの言葉のことで、フィリピン人って一言で言うと思想上どの戸棚に入るの?という意味である。

まずフィリピン人が共産主義やファシズムのような集産主義的かどうかで言えば、これは絶対的にその反対側、つまり自由主義者で個人主義者であると言い切れる。それから一般的にフィリピンは安易なポピュリズムがはびこる国と言われるが、議会で承認された法律に堂々と従わない輩も多いし、なぜかそういう連中にも一定の理解を示してしまう国民性もあるから、フィリピン人は半面は民主主義者だがもう反面は徹底した利己主義者であるとも言えるだろう。

また富の分配については、アメリカの植民地だった影響でフリードマン型の自由競争、つまり貧富の差が大きい経済モデルに現実的にはなっているのだが、筆者の周辺の人達の意見を聞いてみると「政府は公平実現のために積極的に介入するべき」とフリードマンとは逆の左派的な意見が多数である。そりゃ貧困国なんだからそう言うに決まってるだろう!と思うだろうが、彼らの話によく耳を傾ければ、日本人と同じくらい富の均等化、均質化の傾向が強いように聞こえるのだ。

さてこの半分利己主義者だがみんなで分け合おうぜ!という社会思想について一体どういうレッテルを貼るべきか今まで迷って来たのである。筆者の感覚では反権力的で左派的な言動は京都人や大阪人のように見えるが、じゃあ国家の運営はどうあるべきか?という発想がポッカリ抜けていて◯◯主義者という単語が思い浮かばない。しかし実は昨日久しぶりに読んだジョージ・オーウエルの「カタロニア賛歌」の中に筆者の疑問への答えが書いてあるのを見つけた。彼らはアナーキスト、つまり無政府主義者なのである。

おいおい!フィリピン人はアナーキストとは全然違うよ!と皆さんお思いだろう。実は昨日までは筆者もそう思っていたのだが、オーウエルの時代、つまりスペイン内戦があった1930年代には、王党派、社会主義者、共産主義者以外は驚くべきことに全員がアナーキストと分類されているのである。そりゃ無茶苦茶な話だとお思いだろうが、ここで言うアナーキストという定義付けは国家権力を否定する過激派だけでなく、国家という概念が薄いか(こっちの方がわかりやすいと思うが)初めから無い人たち、さらには不完全な国家システムを讃える人という意味である。





当たり前だが国家運営というのは明暗が伴うもので、税金は払いたくないけど社会福祉は充実すべきだとか主張する人たちは社会構造の概念が無いのと同じである。そして大部分のスペイン人たちは、自分たちの家族と地域共同体と(この中では富の分配はかなり公平である)、あとはキリスト教の司祭がいれば自分の世界は完結しているのだ!というすごく狭い世界観にいたようだ。くどくて申し訳ないが、要はバスク地方とかサラゴサなどの地域共同体(もしくは自分の村だけZ)と精神の支柱となるシンボルの二点セットだけあれば良いという思想だ。

さしずめ日本で言えば丸山眞男の農本主義と天皇制と同じで、財界の大物や政治家を暗殺した血盟団と同じ発想でもある。おいおい血盟団は国家主義者じゃないか!と言う人もいるだろうが、血盟団には自分たち貧しき民と天皇という両極端な存在があるだけで、その中間にある明確な国家設計が頭の中にないのだからアナーキストと定義付けされる方が納得が行くだろう。そう考えると戦前の二二六事件の将校たちが大杉栄らがアナーキストと同じ一筋の系譜で見えるようになった。なんだかジョージ・オーウエルの渡してくれた鍵を使って見た方が日本の近現代史がよく見えるような気がしてくる。

さてフィリピンに話を戻すが、たしかに彼らの発想をよく聞いてみると、自分→家族→職場や地域→バランガイ辺りで止まってしまい、その先の州や国家なると「オレには関係ない」「それを認めると自分にどういったメリットが有るのか?」という打算的な態度が急に見え隠れしてくる。そんなこと無いぞ!フィリピン人は愛国心が強い人達だ!という人もいるだろうが、それはあくまで外国人向けに発露される対抗意識、もしくは民族意識であって国家の概念とは必ずしも一致していないのである。

ちなみに筆者はフィリピン人をバカにしているわけでは無く、彼らの家族や地域への帰属意識というのはそれは大したもので、戦前の日本人はこういう風だったんだろうな!と感じいってしまうほどだ。ただし国家や州といったより大きな共同体への概念が乏しい分、この部分がおざなりとなって弱点になっているのも事実だ。まあそうは言ってもアジアのどの国もそんなに国家思想が強いわけではないのだけれど、フィリピンの場合お神輿に担いでいるのがキリスト教というグローバリズムであるためにローカリズム(民族主義)を唱える他のアジア諸国に比べるとシステム的に脆弱だとも言える。

さてオーウエルを読んだ後で親戚の連中を見てみると、なるほど本当にこいつらはアナーキストだなと思えてきた。社会の規範とかルールというのはあんまり守ってないし、性生活や金銭感覚の無軌道さときたら大阪の通天閣付近の住民のように無軌道そのものと言って良い。政府や役所との関係も阪神タイガースのフロントと選手、それに喧嘩を煽る阪神ファンたる地域住民とそっくりである。そうか…この人達はアナーキスト、いや阪神タイガースのファンたちと呼べば良いのだ。なるほどね…とそのとき独り言ちた。






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田舎の風俗店オーナーの意外な新規ビジネス

小雨の降るなか墓参りを終えて実家に戻って来た一行は早速ウィスキーのボトルを開けて飲み始めることにした。本当はこの日はアルコール禁止の日なのだが、俺が子供の頃は墓の目の前で酒飲んでドンチャン騒ぎしていたんだ!と言い張るある一定年齢以上のオヤジたちは法律など守る気はサラサラ無いのである。

当然男たちが集まれば自然と色っぽい話になるのは世の常で、昨夜ピンクのブラジャーを隠しているのが見つかった義父は愛人(ピリーノという名前らしい)について、従兄弟ラフィーはクバオにあるとんでもなくイヤらしい店で経験についてベラベラと話しはじめた。

当然そういう話になれば何処かに行こう!となるのだが、此処はリサール州の奥地でそんな気の利いた店などあるわけが無い。あるのは以前の日記で書いた近所の公園(写真下)に出没する口内発射専門の女か貧乏女子学生の売春くらいである。しかも今日は聖なる日だから売春も全部お休みなのだ。





ところが義弟の口から思わぬ話が出てきた。半年ほど前にこの村にブリンブリンという格安のナイトクラブ(新小岩や通天閣付近の売り専スナックと思えば良い)が出来たというのである。こんな貧乏な田舎にか?!と驚いたが、最近は首都圏のコールセンターに通う中間所得層が増えてきたので、ビジネスチャンス到来とオーナーは投資を決めたというのだ。

しかしマニラ首都圏に行くまで片道3時間という辺鄙さから、この村の住民は9-18時勤務には時間的に間に合わず、夕方マニラに向かって早朝戻ってくるナイトシフトに従事する人間ばかり。周知の如く田舎の朝は早くて、皆が野良作業に向かう朝っぱらから女遊びに興じるわけも行かないからコールセンター組は店に来るはずがない。

じゃあ夜の営業はどうかと言えば、開店後数日は百姓たちが押しかけてきたためそれなり賑わっていたが、「なんだ!ビール一杯の値段が公園の青空口内発射と同じ値段じゃねえか!」といった凄いクレームが続出し、1週間もすると閑古鳥が啼きはじめ、ついにミンドロ島やサマール島から来た女たちは金にならないと田舎に帰ってしまったという。





義弟が閉店する前にちょっと覗きにいったところ、店の中にいたのは象のように太った中年女たちばかりで、とても店内に入る勇気はなかったそうである。そしてこの店は開店から3ヶ月であえなく閉店…、オーナーには可哀想だが幾ら何でも事前の市場調査不足だろう。それに商売敵である青空口内発射の公園の目の前に店を構えたのも間違いである。

さそかしオーナーは意気消沈しただろうな…と義弟に話したところ、いやいやとんでもない!オーナーは同じ場所で新しいビジネスを始めたんだけど、これが順調でね!と言う。こんな田舎で新規ビジネスがうまく行くのか?と驚いたが、なんとこのオーナーが始めたのは葬儀屋なのだそうだ。

「ナイトクラブと違って葬儀屋なら客は引く手あまたからね!。いいビジネス見つけたってオーナーは喜んでたよ」と笑う義弟。なるほど…この村は年寄りが多いし、コールセンター組の収入増加で最近は葬式に金をかけるようになったからな。だけど…前の店の時に客が来ないことがよほどトラウマになっていたのだろうな。オーナーさん、ご検討を祈ります。






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義父のタンスからピンクのブラジャーが…

フィリピン恒例の墓参りに参加するために渋々女房の実家へとやって来た。11月1日はALL SAINT'S DAY、続く11月2日はALL SOULS DAYと言って先祖の魂を弔うために墓参りにいくフィリピン版のお彼岸である。なお筆者は昨年墓場で炎天下にさらされて散々な思いをしたので今年は逃げたかったのだが、半年前に女房の祖母が死んだばかりなので強制的に参加させられてしまったのだ。

さて10月31日の夜に義父や義弟、いとこ連中が集まってウィスキーを飲み飲み世間話に興じていた時のことである。だいぶ酔いも回って来たところで大学生の姪(筆者の女房の妹の子供)が現れていきなり「アタシお爺ちゃん(義父)の箪笥の中から凄いモノ見つけちゃったの!」と言い出した。

な…なんだよ。何を発見したんだ?、凄いものって何のこと?と大学生の姪に詰め寄る義弟や従兄弟達。そして全員が注目して一時期沈黙が訪れた時を見計らって「お爺ちゃんは女の人を家に連れ込んでいるのよ!」と姪が叫んだ。ええっ!女だって!と周囲は驚いたが、筆者は「なんだよ!。また女か…」と至極冷静であった。



発見者 : 大学生の姪


この義父というのは今年70歳になる老人で、今から35年前に妻と死に別れてからは法律上は独身を通しているが、住み込み家政婦とネンゴロになったり近所の女を愛人にしたり、貧乏女子大の売春クラブに入り浸るなど色事には事欠かない人物なのだ。しかし半年前に二人の娘(筆者の女房と義妹)にとっちめられて小遣い2割カットの罰を受けたため、最近は女遊びができるカネは無いはずなのだけど…。

「お父さん!アンタって人は!」「いい歳して恥ずかしく無いのか!」と二人の娘から罵声を浴びせかけられる義父。しかし義父はこんな事は慣れっ子になっているらしくノラリクラリと言い逃れをし始めた(タガログ語なので内容不明)。しかし義父のいい加減な態度にカチンと来たらしい姪は脱兎の如く家の中に入るや、数秒後に手に何かを持って現れた。

そこで全員が見たものは…ピンク色のブラジャーだった。「ああっ!」とその場に居合わせた全員から驚きの声が上がった。デザインが若め向けなのかどうかは分からんが、なんとも艶かしい色合いである。実家に住んでいるのは義父と義弟と妻(ものすごく地味で牛の様な女である)、それに小さい子供だけだからこんなイヤらしいブラが箪笥に入っているわけはない。



証拠品


「これは一体どう言い訳するのよっ!」という義妹の罵りや、「なんで女はパンティーの方は忘れなかったのか?」という従兄弟ラフィーのピントのずれた質問を浴びせかけられて苦渋の表情を浮かべる義父。これは非常に不味い展開になって来た。まさか自分が女装の趣味があるとも言えないだろうから、義父は脂汗をタラーリタラリと流して黙っているだけである。

しかし義弟が何やらタガログ語で義父に話しかけると、義父は観念したのか「これは半年前に別れされられた女のブラだ」と言い出した。どうも記念と言うか形見の様な感覚で苦学生の女からブラを貰ったと説明するのだが、「どうしてパンティーじゃ無いのか?」という従兄弟ラフィーの突っ込みに狼狽えてしまう始末…。これ絶対にウソである。

その後もしどろもどろで何か説明しているが、娘二人と孫娘の三人はジッと義父を睨みつけているだけで、ろくろく話など聞いていない様である。近日中に家族裁判が開かれるのは必至のようだ。しかし…、いくら小遣いが足りないからと言ってホテル代をケチって実家に女を連れ込むとは…。こりゃあ小遣いのさらなるカットは確実のようだ。お義父さん、どうもご愁傷さま。



義父



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また円安?。もう安倍が嫌になった…。

ヤフーの為替相場を見ていたら日本円が111円というトンデモない安値をつけているのに驚いてしまった。一体何事か!と思ってニュースを読んでみると日銀が追加緩和を決めたことが直接原因だという。直接緩和…?。アメリカが蛇口を絞っているこのタイミングで?。バズーガ2だと?なに考えてやがんだ!と思わずPC画面に対して大声で罵ってしまった。

筆者は一昨年会社を辞めてからは今までの蓄えを取り崩して細々と生活しているのだが、悲しい事に筆者の原資は殆ど日本円建てである。はっきり言うと2012年の為替トレンドを完全に読み間違えてしまい、しばらく円高は続くと思ってドル貯金を先に取り崩してしまい、円貯金と日本の株だけを残してしまったのだ。

ところがフィリピンに移住してから日本円は一方的に落ちるばかりで、もうそろそろ反転するだろう!今ドルに変えたら馬鹿を見るぞ!と思ってホールドして来たのだが、ついに円はリーマンショック前のレベルまで価値を下げてしまった。よって筆者は本日今までにない大きなため息ばかりついているのである。

ただし持っていた株を9月頭に売却したことで何とか為替での負け分の半分くらいを取り戻すことは出来たのが、本日の日銀による追加緩和による影響で手持ちの円がまた目減りするのかと思うと目の前が真っ暗になってくる。そして筆者が会社を辞める前に選別がわりにドルのカラクリを教えてくれたチョイ女史の言葉が頭にリフレインしてくるのだ。





このチョイという香港女は筆者の知る限り最も頭の切れる商売人で、香港の金融界の相当のお偉いさん(あなたが想像する以上にかなり偉い人たち)としょっちゅう昼食を取りながら情報交換している事情通でもあるのだが、彼女がよく口にしていたのはアメリカドルを正常化(供給規模を実体経済と合わせる)するためには別の通貨を丸ごと潰さなければならないくらいまで来ている、という話だった。

冷静に考えれば分かるが、今から20年前のダウジョーンズは4000を切るくらいだったのが、それからたった5年で10000に到達し、現在は17000と急速に膨れ上がっているが、この期間に世界中の人の胃袋や住宅面積が4倍になったわけでは無いのだから、はっきり言うと通貨供給を増やして見せかけの好景気を作っているだけなのだ。

当然世界の指導層は通貨を紙くずにしないために金利や通貨供給をいじったり、反資本主義国を打倒して新市場を作るなどあれこれ努力しているが、すでに通過供給は飽和状態に近づきつつある、特に中国人民元とアメリカドルはいつ破裂するか?というのは時間読みの段階に来ているという話だった。実はここまでは筆者もそう思っていたのだ。

ところがチョイ女史はアメリカは絶対に破裂しない!と言い張るので、では一体どうやって通貨崩壊を回避するのか?と聞いてみたところ、「アンタはアメリカが自力更生すると考えるから間違えるんだよ」と言ってフフンと笑った。学校や会社にいる自分の立場に置き換えて考えてみろ!自分の価値を保つ最善の方法は、自分以上に評価されている人物を潰せば良い!と言うのである。





ちなみにこの話をしていたのは2012年の春、当時の日本は民主党の野田政権の頃である。チョイ女史によれば潰すのに最適な相手は中国ではなく莫大な個人資産がある日本だというのだ。もし日本の通貨の価値を不安定にさせれば、日本人はアメリカドルを買うようのなるし、そうすればドルは実需が伴うので価値が正常化するのだ、という話だった。ちなみに中国でなく日本な理由は政治と軍事が脆弱で、ハンドバッグを引ったくられやすい女と同じだからだそうである。

もちろんその時筆者はそんなバカなことができるか!。日銀は世界でも最も健全かつ優秀な金融機関で…などと反論したが、その後の展開は皆さんよくご存知の通り小沢一郎が東京地検に引っ張られて民主党は張り子の虎と化し、やがて誰も予想だにしなかった安倍晋三が総裁選で実に不思議な勝ち方をして総理に返り咲いてしまった。

そしてチョイ女史の言うとおりに株高・通貨安のアベノミクスという愚策をスタートさせ、物価上昇2%を実現するというお題目で日本円をジャブジャブ刷り続けた結果、日本円の価値は2年間で30%も価値を下げてしまい、今やアメリカが蛇口を閉めにかかっているのとはアベコベに水を放出している体たらく…。

特に今月に入ってからは、株価不安とアメリカの金利上昇により一時期円高に触れたものの、月末に入ってからバズーガ2というサプライズを出すあたり、ちょっと経済をかじった人間なら背景にあるのが経済でも政治でも無いことはすぐに分かるはず。遅ればせながら筆者もチョイ女史の行っていたカラクリが本当だとやっと気づきました。でももう遅いんだけれどね…。






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