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釣り銭を誤魔化すコーヒーショップ

映画の上映時間まで30分ほど空いたので、SMメガモールにあるBO's COFFEEという店で時間を潰すことにした。この店はどうやらフィリピン版のスターバックスといった風体で、Wi-Fiは無料で使えるわりに昼だというのに随分と空いていたから入ることにしたのである。さっそく女房はアイスモカ、筆者はレギュラーコーヒーの小を頼んだのだが、ケーキ類が入ったショーケースを見て「あたしブルーベリーチーズケーキ食べたい!」というので頼んだところ、注文係のウラナリみたいな男は「360ペソです」と聞き取りずらいフニャフニャした口調で言った。

それで500ペソをウラナリに渡した直後に女房が「やっぱり単なるチーズケーキにするわ」と何時もの優柔不断さを発揮して注文変更をしたところ、このウラナリは「365ペソです」と5ペソ高い値段を言う。普通は単なるチーズケーキの方が安いはずなのに何か変だな・・と思ったが、まあ少ない金額で揉めるのもみっともないので「OK」と回答すると、ウラナリは「実はお釣りが無いので誰か両替に行かせますから、後で135ペソお渡しします」と言った。この時なぜかレシートは渡して来なかった。





さて席について待つこと5分。ウラナリが飲み物とチーズケーキを筆者らのいるテーブルに運んできたが釣り銭は寄越さない。それでキミキミ、135ペソ忘れてるよ…と言うと、このウラナリ君はちょっと顔をしかめて「後で渡すって言いましたよね」と皮肉っぽい口調で言う。なんだこの野郎!。釣り銭無いのはお前の店の問題だろう!とカチンと来たが、女房が「後でくれるって言ってるからいいじゃない…」と取りなすので黙ることにした。

ところがそれから20分経っても釣り銭は来ない…。それにおかしいのは筆者の後にも何人か客が入って来ているのだが、フィリピン人にはもれなく釣り銭を渡しているのに(筆者は目撃していた)、白人や日本人の女性客には「釣り銭が無いので後で…」と例外なく言っているのだ。なんかおかしいぞ…と思ったが、筆者は映画の開始時間まであと5分しか無いので、慌てて店を出なければならなくなっていた。





それでカウンターまで歩いて行くとウラナリ君はそこにいなかった。それで別の女性スタッフに自分がお釣りを貰っていない事、もう30分近くも待っている事、今すぐに店を出なければならないことを穏便に告げると、何とこの女性スタッフは「チッ!」と舌打ちをした挙句に筆者の事を黙殺したのである。じっと待つこと1分・・。なんだか小学校の時に悪さをして、担任の教師に罰を言い渡されるのを待っている様な気分だった、

この女性スタッフは筆者の事を完全に無視して他の伝票をいじっているだけなので、こっちもカリカリしてきたため、ゆっくりとしかし大声で同じ事をもう一度言うと、この女性スタッフは再び「チッ」とさっきより大きな音をたてて舌打ちしたあと、引き出しの中に無造作に入れた何枚もの伝票(恐らく全て外国人向け)のなかから一枚を抜き取ると、鷹揚な感じで「380ペソです」と言った。





ちょっと待て…。別に15ペソくらいチップであげることは構わないが、さっきのウラナリ君は365ペソと言っていたけど…と言うと、この女性スタッフは「それはアナタの記憶が間違っているだけです」と唖然とする様な台詞を口走り、そして人を小馬鹿にした様な表情で見た後、何とお釣りの120ペソを投げて寄越したのである。このクソアマッ!。こっちは自由業の身だから、この際思い切り暴れてやろうかと思ったが、さすがに15ペソの違いで暴れて新聞に載ったら馬鹿を見るのはこっちなので必死に怒りを抑えることにした。

さて映画の後で従兄弟のラフィーにこの話をしたところ、多分この店員たちは組織的な誤魔化しをやってるのだろうという話だった。外国人だから幾らカモっても構わないと思っているに違いない。しかしこんなあからさまな事を天下のSMメガモールでやってるなんて、この店員たちの厚かましさには呆れるばかりである。ということで…、筆者はあんまりこういう事はしない人間だけれど、本日はかなりムカついたのでこの店員たちを曝します。






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マッチョなフィリピンの女性アイドルたち

フィリピンに移住してからコッチの女性タレントを見ていて気になったことがある。もちろん彼女らのバタ臭い顔つきや見事なプロポーションにウットリと見とれることは良くあるが、残念な事に美人とかセクシーと言われる女性たちのほぼ全員が腹筋が見事に割れているのだ。お前は一体何を見てるんだ?とか、そんな事無いよ!と思うのであれば、是非ともグーグルでアン・カーティスやマリアン・リベラといった美女を検索し、彼女らの腹部に注目して欲しい。そこには実に良く鍛え上げられた腹筋が見つかるはずである。

筆者は日本には20年近く住んでおらず、日本のテレビも全く見ない生活をしてきたため、日本の女性芸能人がどういった腹筋をしているのか全然知らないが、香港の女優や歌手たちは筋トレでダイエットすることはあっても、鍛え上げられた筋肉を誇るような事はほとんど無く、どの美女たちも女性らしくふっくらモチモチの体付きをしていた。これは伝統的な中国人の好みであり、筆者はこと料理と女性については中国人と好みが一致するのである。

ところが同じアジアにありながらもフィリピンはアメリカの植民地だったせいか女性の美の基準が違うようで、特にアメリカの影響をモロに受けているためか「ふんわりモチモチ」よりも「コリコリのムキムキ」の方が圧倒的に好まれるようだ。ちなみに筋トレで体を鍛え上げた最初のメジャーな芸能人はマドンナで、筆者はデビュー当時はこのアメリカのアーパー然としたねーちゃんが大好きだったが、東京ドームでサラブレッドみたいな体つきのマドンナを見た瞬間に彼女への熱が一気に冷めてしまった。





筆者がフィリピンに来てからのマドンナと同じ様な例がモカ・ガールズのフランツ・ファインサンである。デビュー当時は上段の写真にある通りプロポーションが良い割には肉もぷっくりと付いていて思わず舌で転がしたくなってくるが、どうもフランツは肥満しやすい体質らしく筋トレを始めたところすっかりこれにはまり込んでしまい、下段の様に急速に筋肉質の体つきになっていったのだ。筆者はフランツのフェイスブックをフォローしているが、必死の形相でダンベルを持ち上げる彼女の写真を見るにつけ悲しい気分になってしまうのだ。

ここまで読んだ方の中には、女性が筋トレして何が悪い!鍛え上げられた体は美しいじゃ無いか!単なる美意識の違いだろ!と思われる方も多いと思う。確かにブスやデブ専に体臭のキツい女で無ければ興奮できないという人もいるから、筋肉質の女好きという性的マイノリティーがいても不思議では無いと思っている。しかしおおよそ80%の正常者の方たちが誤った美意識や性嗜好を持たない様に、筆者が経験した腹筋の割れた女性へのトラウマについてこの場で公表したいと思う。

そのむかし下っ端営業マンとして台湾の顧客を練り歩いていた時のことである。この仕事で重要なのは昼の商談と並んで夜の酒と女を絡めた接待で、筆者は毎月のように台湾に来ては連日酒池肉林の宴に溺れていたのだが、ある時台中市の高級ナイトクラブでこの町一番の美女というのに出会い、そのあまりの美しさにポカンとしてしまった筆者は早速彼女をお持ち帰りすることになった。ホテルに戻ってさっそく彼女の服を剥いてみると、アメリカの成人雑誌に出てくるかのような実に見事なシェイプアップ体型である。なんでも昼間はスポーツジムで体を鍛えているということだった。





彼女があまりに美しいので筆者の頭の中に「舌で転がしたい」という欲望が芽生えたため、さっそく彼女の太ももを開いて彼女の○○○を念入りに舐めることにしたのだが(別に黒ずんでも臭くも無かった)、喜悦に喘ぐ美女の表情を見ようと上目がちに覗いた瞬間、彼女の顔と筆者の目の中間点にある彼女の腹部が大きく隆起しては引っ込むのが目に入った。その腹部は8つに割れてゴツゴツと筋張っていてエイリアンの様にグロテスクで、筆者の脳裏にはボディビルで鍛え上げた男の上半身の姿が浮かびあがった。

ここから先は言わなくてもわかるだろう。筆者はなんとかリピドーを維持しようとあれこれ他の事を思い浮かべようとしたが、筆者の脳裏に張り付いた映像は容易に消えさせることができず、結局彼女には料金を払って部屋から出て行ってもらうことにしたのである。そしてその晩は自分が精神的イ○ポになってしまうのでは?と悩んだが、翌日台北の別の店でちょっと肉付きの良い女を連れ出したところ、彼女のマシュマロの様な柔らかな腹部が手作りパンのようにゆーっくりと膨らむのを見た瞬間に自分が途轍もない幸福感に満たされる事に気がついた。

なのでシェイプアップされたボディーが美しいと思う方は、ぜひとも筆者がしたのと同じ事をして欲しい。日本の風俗店にもこの手のシェイプアップ女は大概一人くらいいるから、彼女の○○○を念入りに舐めながら腹部の動きを最低10分はずーっつと見続けて欲しいのだ。そして相手の腹にある筋肉山脈が噴火で大きく胎動した後でも性的興奮を維持できたとしたら、おそらくアナタは新宿二丁目か上野の特殊なサウナの方が向いていると思いますよ。






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変死したAV女優の真相(3)

さて昨日、一昨日の日記をお読みの方は、AV女優と恋人Sは盗難車ビジネスの相方である日系ブラジル人に殺されたのであって、彼らの雇用主や人材派遣会社の背後にいる「ある団体」は事件とは直接関係がないから、政治や警察に圧力をかけたというのは幾ら何でも無理がある話じゃないか?とお思いだろう。実は殺されたSの周辺にいた人達もその点には疑問を持っていたのだが、何と言ってもみんな警察官でも団体の関係者でも無いし、「ある団体」に聞きにいっても教えてくれる類の話ではないから事実など分かりっこ無い。しかし「ある団体」と対立する立場にいる日本○○党の党員かつ勤務先の同僚から、なぜ「ある団体」がこの事件に限って過剰とも言える介入をしたのかについて興味深い話をしていたのでこの場で紹介したいと思う。

この事件が起こった年は「ある団体」が長年享受してきた国による支援の最後の実行年であり、翌年以降は打ち切りが決定していたのだが、「ある団体」は今後は国の代わりに地方自治体が支援を継続しろ!というスローガンの下、各自治体の首長に対して激しい闘争を展開していた。そして筆者のいた県で「ある団体」の矢面に立たされていたのは2年前に就任したばかりの県知事であるが、この他所から来た文化人出身の知事は県内の事情に疎いためか「ある団体」向けの一切の支援は不要であると選挙時点から公言していただけでなく、県庁舎に登庁後に県職員に対して今後は「ある団体」関連が持つ過剰な特権にメスを入れると言い出したのだ。この「ある団体」がハリネズミの様に神経を尖らせている最中にAV女優焼殺事件は発生したのである。

つまり日本○○党の関係者が言っていたのは、「ある団体」はこの事件を切り口に県による支援を得られなくなるだけではなく、「ある団体」配下の人材派遣会社が地元企業を恫喝する形で法外な利益を得ていることが表沙汰になり、自分たちが長年享受して来た特権が失われることを恐れていたということで有る。それとブラジル人たちの雇い主である町工場オーナーの闇ビジネスが発覚すると「ある団体」とは別のもう一つの団体に致命的なダメージを与えかねないという噂もあった。そこで「ある団体」は当時の政権与党の実力者と取引をして、警察が殺人ではなく心中事件との結論を出させる様にねじ込んだという話だった。筆者が効いた噂話はここまでである。





さて話の雲行きが怪しくなって来たので、ここから先は筆者の個人的な体験に話を戻したい。あの日スナックで筆者が住むアパートの隣の町工場が事件犯人のアジトだと聞いたのだが、実はその時に事件直後からブラジル人達の姿を見かけていないことに気がついたのだ。いつも週末になると大音量の音楽を流して改造スポーツカーで市内をかっ飛ばすのに、しばらく深夜の騒音に悩まされた覚えも無かった。だいいち連中の住む寮の雨戸はずっと閉じられたままである。やっぱりあいつらが犯人だったのか・・、いや世間の目が厳しいので他所へ移っただけかも・・。まあ何れにせよ自分の周りの不安材料は消えていたわけで、この連中が真犯人かどうかよりもホッとしたというのがその時の本音である。

しかししばらく経ったある日の朝、筆者が会社へと向かうためドアを開けると、向かい側にある寮の雨戸が半分開いているのが見えた。そしてその半開きの雨戸の奥に何本もの人間の足が見えた時には思わず飛び上がってしまった。そう、あの連中はずっと寮の中にいたのである。そしてその時雨戸から紛れもなくローソンで何度も見かけたブラジル人が顔を出し、訝しげな目で辺りを伺っている光景をみた時には筆者は思わず立ちすくんでしまった。おそらくブラジル人は向かいのアパートの廊下に佇む筆者気がついたのだろう、すぐにガラガラと雨戸閉じる音が聞こえた。

さてこの後すぐに筆者は香港に2度目の赴任で移住することになるのだが、出発までの数ヶ月間に連中と二度と顔を合わせる事は無かった。しかしである・・。深夜雨戸の隙間からテレビの音や判読不明な会話が時たま聞こえてきたから、このブラジル人たちはおそらく寮の中でじっと息を潜めていたのだと思う。風向きが変わるまで司法も手を出せないアジトで身を隠す毒蜘蛛の群れ・・。こういう連中がのどかな田舎町に何気無く生活しているといるのだと思った時には思わず背筋にヒヤリと冷たい物が走るのを感じた。さて数年後に同じアパートに住んでいた会社の同僚に聞いた話では、このブラジル人達はある日忽然と消えてしまい、そしてその後すぐに町工場は突然閉してしまっただけでなく、町工場の建物ごと解体されて更地になってしまったそうだ。なお町の厄介者だった修理工場オーナーの行方は誰も知らないようである。






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変死したAV女優の真相(2)

事件当時の日本はまだ人手不足で、筆者が出向していた会社も数百人の日系ブラジル人を工場で雇っていたし、中小の鉄工所や自動車修理工場にも彼らはいたから、多分千人くらいの日系ブラジル人がその町に住んでいたのでは無いだろうか。彼らの大部分は気は荒いけれど根は善良な人間達だったのだが、中には日本で荒稼ぎしようと偽造書類で入国したプロの犯罪者もいて、昼は工員、夜は泥棒の二重生活を送っていたのだ。そしてSはもともとサラリーマンの傍ら中古車の仲介業をアルバイト的にやっていて、その仕事を通じて日系ブラジル人の窃盗グループとの付き合いが始まり、彼らが盗んだ車を他府県に売りさばく仕事を委託されていたらしい。

さていつもの様に行きつけのスナックで顔馴染みの連中と噂話に興じていると、一人の男がSを殺した連中のアジトを知っていると言うのが聞こえた。客全員が無駄話をピタッと止めて聞き耳を立てる。「消防署の通りを真っ直ぐ北へ行くとローソンがあるだろ?弁当屋のすぐ近くの。あの真ん前にある修理工場が奴らのアジトなんだよ。あそこで盗んだ車の車体番号や塗装を変えてSに売ってもらってたのさ」と急に声を落として言ったが、それも無理は無かった。この町工場のオーナーはいろんな違法ビジネスに手を染めていると評判で、さらに背後に宗教団体と大変ややこしい人権団体が2つも控えていて誰も手を出せない人物だったからだ。

そしてスナックにいた客のうちの一人が件の町工場と聞いて震え上がってしまったのである。それは他ならぬ筆者なのだ。何故なら筆者は当時その工場の隣、直線距離で10メートルも無い所に住んでいて、しかも修理工場の寮からは筆者のアパートの廊下が丸見えだったからだ。おまけにここで働いているブラジル人達とは話したことは無いが、すぐ近くのローソンや弁当屋でほぼ毎日の様に顔を合わせていたのである。殺人犯の住む家と隣り合わせ・・。もしも事件の日に野次馬になって現場を見に行っていて、帰りに連中と鉢合わせしたら危なかったかも。だけど連中とローソンで会ったら顔に出ちゃうかもしれんぞ・・といろんな思いが去来した。





ここでちょっと筆者が住んでいた地域と日系ブラジル人を巡る特殊な事情について説明したい。この地域は筆者の出向先メーカーの起業城下町で、大部分の地域住民はこのメーカーの下請け企業群に勤めていた。また一応「市」には昇格しているものの実態は「町」か「村」に毛が生えているような典型的な日本の田舎町であったが、この県に本社を置くこのメーカーのおかげで同じ田舎にしても他の県と比べて豊かなため、中小の零細工場は中国人やベトナム人、そして日系ブラジル人を借り入れなければ操業が立ちいかない状態だったのだ。

さて彼ら外国人を斡旋していたのが地元の人材派遣会社である。わざわざ地元と書いたのは閉鎖的な県民性のため全国規模の大手派遣会社が全く入り込めないと言われていたが、本当の所はこの地元派遣業者はある人権団体の直営企業的な存在であり、この団体への恐怖心から地元派遣業者を選ばざるをえなかったのだ。そしてこれは余り詳しく書けないのだけれど、規模の大きさに関わらず地元のどの企業にもこの人権団体に付け込まれるような弱みが有ったし、さらに政治や行政、警察もこの人権団体に恫喝されるのを恐れていたから、当時は打ち出の小槌となってた外国人労働者の犯罪に対しても手は出しにくい構図になっていたのだ。

さらにこのアンタッチャブルな人材派遣業者から日系ブラジル人を借り受けていたのが件の工場オーナーである。この人は人材派遣とは別のこれまた強力な民族団体に深く関与する人物で、同時に当時の政権与党と深く関係する宗教団体の有力な信者でもあった。そして周辺住民からはあの人と絶対に事を構えるな!もしも面と向かって争いになったらとんでもない連中が押しかけて来てどエライ目に遭うぞ!、と言われるアンタッチャブルな存在だったのだ。なのでこの工場に住み込んでいる日系ブラジル人というのはアンタッチャブルの二重の壁に囲まれた警察が手出ししにくい存在だったのである。だからAV女優Mと恋人Sを殺したのがこの連中としても、警察は絶対に逮捕できないぞ、とスナックの常連客は噂しあっていたのだ。(その3に続く)






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変死したAV女優の真相(1)

今から10年以上前の秋の晩、筆者がテレビを見ながらオデンをツマミに熱燗を飲んでいた時に、突然消防車のサイレンの音が辺りに響き渡った。ウウーウウー・・凄い音である。どうも一台や二台の出動ではなさそうだ。それで筆者も火事場見物をしようと窓から外を覗くと、三台の消防車が物凄いスピードで町の西方に向かって行くのが見えた。おまけにパトカーまで走っていくでは無いか・・。見物に行きたいが酒が入ってるので運転出来ない・・。それで部屋から出ることは諦めて熱燗をもう一本つけることにしたのだが、これは正解だったと後で気がつくことになる。

翌日出向していた会社に行くと職場のみんなが「河川敷で焼け死んでたんだって」「男と女らしいのよ」「真っ黒こげだったんだって」とヒソヒソ話をしている。テレビも新聞もまだ報道してないのに何故みんな色々知ってるのか不思議に思うだろうが、当時筆者がいたこの田舎町には民間の自衛消防団という組織があって、数十人の隊員が家でゴロゴロしていた処を駆り出されて現場に直行したからである。そして消火作業が終わって帰宅した後でこの連中がアッチコッチにしゃべりまくったため、事件の翌朝には町の大半の人間が事件の模様を知っていたのだ。娯楽の無いド田舎だけあって口コミだけは異常に発達しているのである。

事件の翌々日のニュース番組でこの事件が報道された。男女二人の焼死体、女の方は有名なAV女優のM(芸名)。男はMの恋人で地元に住んでいる会社員S。事件は他殺か心中か不明だが他殺の線が濃厚であるという内容だった。ちなみにこの恋人Sは筆者のアパートのほんの数十メートル先に住んでいたのだが筆者とは面識は無く、このAV女優も見かけた事は無かった。しかし小さな町なのでSの友人は筆者の友人の友人くらいには何人かいたし、よくスナックで顔を会わす飲み友達がSの仕事仲間だったので、Sの周りにいた奇妙な連中のことを聞くことができたのだ。





自衛消防団や野次馬の足跡がありすぎため警察は現場から第三者が逃走したという証拠が発見出来ず、この事件はSが無理心中を図ったものであり事件性無しという驚くべき結論を出したけれども、地元に限らず日本中のどこでもこんな馬鹿な事を信じる人間はいなかった。案の定メディアが騒ぎ出し、警察が事件を封印せざるを得なかった理由は何か?事件の真相は何か?と言った記事があちこちの週刊誌に記載されたが、奇妙なのはどの記事も地元の人間からすれば本筋から外れた話ばかりで、なぜSの周辺にいた怪しい連中のことを書かないのか?と不思議に思っていたのだ。

メディアが報じる犯人像は3つあって、1つ目はAV女優Mの筋、つまりドル箱女優のMが引退すると言い出したため殺されたという話である。確かに過去何人ものAV女優が不審死しているし、業界が業界だけに危ない筋と密接な関係はあるだろう。2つ目はSがやっていたマルチ商法がらみのトラブルである。この元手資金の為にSはサラ金から数十万円の借金をしており、実在が確認出来ない人物との間に借金と同額の借用書(この場合はSが貸す側だった)が見つかったりしている。そして最後はSが石原慎太郎の娘を名乗る女が起こした詐欺事件に関与していた為という説だが、これは事実無根だったようでいつの間にか報道されなくなってしまった。

しかし地元で囁かれていた噂は、殺されたSは盗難車ビジネスに関与しており、金銭トラブルが原因でグループのメンバーから報復されたというもので、AV女優Mは単に巻き添えになっただけという話なのだ。そしてこの窃盗グループとは日本に出稼ぎに来た日系ブラジル人で構成されていると言われていた。なお言っておくが、筆者は真犯人を知っているという意味でこの日記を書いているのではなく、当時Sの周辺にいた人達はこれが真相だと語っていたのに、なぜメディアはブラジル人の事をただの一言も報じなかったのか不思議だな・・というだけの意図なので、どうか勘違いなさらぬようお願いしたい。(その2に続く)






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霊能者が殺人事件で捜査協力

女優チェリーパイ・ピカチェの母親がケソンシティーの自宅で殺害された事件で、事件を捜査している警察に思わぬ強力な助っ人が現れた。警察の発表によれば、セシルという通称を持つ霊能者の体に殺された被害者の霊が乗り移り、殺人現場が夢の中でそのまま再現されたため、この霊能者は犯人逮捕につながる情報だと警察に提供しに来たと言うのである。





セシルによれば、犯人の一人は痩せた男で、ベージュ色の短パンと白いスニーカーを身につけており、髪の毛を薄い色に染めたバクラ(オカマ)であるという。TVインタビュアーに対してセシルは「私はバクラが私の首を絞めて左手の骨を折る瞬間を夢の中で体感したのよ!」と身振り手振りを交えて説明していた。





ちなみフィリピンでは霊能者が警察に協力して事件解決に結びつくことは良くあるらしく、2012年に発生した中国系ビジネスマンの失踪事件でも、霊視によって被害者の死体がラグナ州サンペドロにある下水処理タンク内で発見されている。なので警察は今回の霊能者セシルの捜査協力の申し出にも快く応じることにしたようだ。





さて霊能者セシルという人物については詳しい情報は載っていなかったが、警察のスポークスマンが被害者の刺し傷など体の状況について説明するのを聞いていたところ、骨を折られていたのはセシルが夢で体感した左手ではなく右手であったようである。これはセシルが寝ぼけただけなのか、それとも人間霊になると感覚が左右逆転してしまうものなのかは不明だが、いずれにせよ犯人逮捕のために霊能力を如何無く発揮して貰いたいものだ。






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誘拐シンジケートの親玉が逮捕

ミンダナオ島イスラム地域にあるコタバト市で誘拐シンジケートの親玉が逮捕されたというニュースが流れた。この男はカダフィ・ギメロン(別名ピランドック司令官)というイスラム教徒で、ミンダナオ地域で過去30回もの誘拐事件を起こした凶悪犯で、フィリピン国家警察が発表している最重要指名手配犯ではミンダナオ地区で堂々の3位にランクされる悪党である。


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このギメロンは90年代にミンダナオ中を恐怖に陥れたアボガド・ガドという誘拐シンジケートに仲間入りし、同組織のムバラク司令官、カギ・グサ・アリ、そしてマヤンカン・サギーレといった悪の三巨頭から誘拐ビジネスをみっちり教え込まれた誘拐ビジネスのエリートである。そしてこの3人が殺されたり不治の病に罹って引退した現在、同組織の残党を集めて自前のグループを作りせっせと誘拐ビジネス精を出していたという。





しかしギメロンは今年9月18日に南コタバト州コロナダル市で質屋強盗を引き起こし、同店の警備員2人を殺害してしまったことから躓き始めた。警察は素性を明らかにしていないが、どうもシンジケートに近い人間が質屋強盗の主犯はギメロンであると警察に密告し、コタバト市のアジトに潜んでいるところを警察の強襲であっけなく御用となってしまったのである。





前述のアボガド・ガド時代からも含めると100回以上も誘拐に成功している犯罪のプロも、慣れない強盗に手を出したことが命取りになった様だ。しかし死亡、引退した90年代の誘拐三巨頭はこの出来の良い生徒に「餅屋は餅屋」という基本的な事をなぜ教えなかったのだろうか?。おそらくギメロンは刑務所から一生出られないだろうから、今後は塀の中で犯罪学講座を開催し、後進の若者に自身の失敗の経験を語り継いでいって貰いたいものだ。






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音痴だったスーパースター

深夜ベッドルームでテレビを見ていると、女性が「マイ・ウェイ」を歌っている画像が流れ始めたのだが、これが何とも音程がずれていて余りに音痴なため思わず笑ってしまった。それで側に居た女房に「彼女はコミックバンドの一員か何かか?」と聞いてみたところ、女房はあんた何言ってるんだ?という表情で筆者見た後、よ〜く画面を見てみろ!と筆者を小馬鹿にした様な言い方をする。それで良く目を凝らして見てみると、やがて女房が言った意味が分かった。歌っていたのはアン・カーティスだったのだ。

アン・カーティス。フィリピン通の方ならこの名前を知らない人は一人もいないだろう。オーストラリア人とフィリピン人のハーフで、今現在フィリピンで最も注目されている女優であり、超人気テレビ番組の司会者である。そしてクリス・アキノの後継者として今後20年に渡りフィリピンのメディアをリードして行くことを約束されたフィリピンのスーパースター。彼女の前ではサラ・ヘロニモやトニー・ゴンザガといったマルチメディア界のスターも霞んでしまう程のメディア界の女王。そのアン・カーティスが音程の外れた調子で歌っていたのだ。





「昼間にやってるSHOWTIMEのオープニングを聞け彼女が音痴なのは分かるでしょ?」と言う女房。確かにこの番組では各出演者がリレー方式でオープニングを歌うのだが、アン・カーティスのパートになると突然低音になってしまい、また音程の悪さも手伝って急にノリが悪くなってしまうのは筆者も気づいていた。しかしたった今聞いた「マイ・ウェイ」は「これは何かの冗談ですか?」と思わせるレベルである。なるほど…完璧なスターはいないと言うけれど、アン・カーティスの泣き所は歌だったのか…。しかしこれはフィリピンの芸能人としてはかなり致命的な欠点である。

さて翌日に義妹とフィリピンの芸能界の話になったので、アン・カーティスって音痴だね!と言う話をしたら、着妹はちょっと顔を曇らせた後で、信じられないでしょうけどアンは歌手としてCDを出しているのよ…と話しだした。なんでも3年前にアンがついに歌手デビューと大評判になり、義妹は広告につられてCDを買ってしまったと言うのである。あの音痴が歌手デビュー…?と驚く筆者。しかし義妹の話ではこのCDは相当音声を合成したか、もしくは替え玉が歌ったらしく、一応聞くに耐えるくらいのレベルにはなっているらしい(後でYoutubeで聞いてみたところ学芸会くらいのレベルにはなっていた)。





「だけどね。いくら金を掛けてもライブだけは誤魔化せないでしょ?。一昨年のワールドツアーでアンがとんでも無い音痴だって事がばれちゃったのよ」と笑う義妹。ワ…ワールドツアー?。国内だけならまだしも海外でコンサート…?と空いた口が広がらない筆者。しかし芸能事情に詳しい義妹によれば、フィリピンで文化人的スターになる為には女優だけとかモデル専業というのはダメで、必ず「歌手」「女優」「番組司会者」の三点セットである事が要求されるのだそうだ。なるほど確かにシャロン・クネタやクリス・アキノはこの3分野を上手く足掛けしている。

だから下手でも何でもいいからCDデビューすれば一応文化人スターの条件は取り繕えた事になるのよね…と笑う妹。それにアンは今年の夏に待望の2枚目のアルバムをリリースしたし、全国ツアーはチケットが完売になったのよ。もちろんアタシは最初の経験で懲りてCDもコンサートチケットも買わなかったけれどね…と義妹はちょっととりなす様に言うが、その時筆者のなかでは長らく信じていたフィリピンの音楽レベルの高さという金字塔がガラガラと音を立てて崩れ始めていた。


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呪われた土地に建つホテル

昨日の日記で旧友K君から聞いた幽霊ホテルについて書いたが、まだ続きがあるので今日の日記でまとめて書くことにした。年間120泊もビジネスホテルに泊まる生活を20年間も続けて来ただけあって、K君はいつ終わるのかと思うほど長々と自身の幽霊体験談を話し続けたが、その中で他のホテルよりも圧倒的に多い頻度で登場するチェーンホテルが1つあった。ちなみにチェーンと書いた理由は、これが1カ所のホテルなのでは無くそのチェーンホテルの名を冠した全国二十数カ所のホテルでK君は幽霊体験をしているからである。

それでK君に「お前の会社は東○インと契約でもしてるのか?」と聞いたところ、いやそういう訳じゃ無い。むしろ一番良く泊まるのはリッ○モンド系列のほうだよ。だけど確かに東○横インに泊まると他のホテルチェーンよりも高い確率で幽霊に出くわすんだ…と言う。そして筆者が黙っていると、長年他人の顔色を見てモノを売りつけて来ただけあってK君は筆者の頭に何かが浮かんでいるのに気付いたらしく、「お前も東○インでおかしな目に遭ったのか?」と聞いてきた。

筆者は東○インに泊まった事は無いのだが、あるアマチュア怪談師がネットラジオでこのホテルでの忌まわしい体験と由来について語っていたの覚えていたのだ。それはある中年の宿泊客が深夜ただならぬ気配で目を覚ますと、部屋の中で首を吊ってぶら下がっている男の霊を見たが、なぜかこの男の身体は縮尺がおかしくて、どう見ても身長が1メートル40センチくらいしか無かったのだという奇妙だけどまあ何処かで似たような事を聞いたことがある話なのだが、筆者が興味を持ったのはその後で話された「このホテルチェーンは出ても仕方が無いんだよ…」というくだりである。

この東○インはコストパフォーマンスの高さと合理的サービスから過去20年で全国200店舗まで拡大した日本最大級のビジネスホテルチェーンであるが、この急成長を支えた鍵は前日の対顧客政策とは別に初期投資の安さ、つまり土地・建物は全て外部資本(投資家グループ)に自前で作らせて、そこから格安で借りるという財務的な身の軽さがあるのだ。しかし問題は投資を徹底的に抑えるために、非常にまずい土地にホテルが建てられているケースが多々あるというのである。





例えば神奈川県の南武線沿いにある東○インは江戸時代の刑場跡の上に建てられているし、北関東の県庁所在地の駅前にあるホテルは数十年前に家事で一家全員が焼死した跡地に建てられていると言うのだ。東○インへ建物を提供している各地の投資家グループはコスト削減のた為こういった買い手のつかない忌み地を格安の値段で購入し、風水や方位など全く気にせずに経済効率性優先で建物を作っているらしい。そして霊感が強い人は絶対に東○インには宿泊しないのだという話だった。

この話をKにすると、Kはしばらく黙り込んだ後で「それなら俺にも思い当たることがあるよ」とつぶやいた。このKの生まれ故郷にある埼玉県の某市には「あの家に代々住り住んだ人間は全員死ぬ」と呼ばれる呪われた屋敷があったのだが、新線開通でその近辺が一等地に化けるとこの呪われた屋敷は潰されて平地にされ、そして今現在そこには東○インが建っていると言うのである。

「俺は近辺に住んでるからそのホテルに泊まった事は無いんだけど、あのホテルは便利な場所にあるのに意外に空室が目立つし、それに何故だか無線LANが物凄く繋がりにくいとの噂を聞いたことがあるんだ」というK。心霊現象はまず最初に電気系統に障りが出ると言うから、おそらくこの土地に纏わる悪霊と生命を失った無念の被害者の霊がホテルの建物中を飛び交っているにちがいない。こんな恐ろしいホテルが「いらっしゃいませ」と客を迎えているとは、まるで牡丹灯籠のような話ではないか…。

さてこの日記をお読みになられた方は東○インと聞くと2つのホテルチェーンのことを思い浮かべると思うが、今回筆者が話題にしているのはホテル業としては後発の方で、○に当たる文字の画数が多い方である。なおこのホテルをネットで調べてみたら何と高知県を除く全国都道府県に約250店もあるから、アナタの近所にある東○インの土地の由来などを地元の長老に聞いてみると身の毛もよだつような話が聞けるかもしれない。そしてもしもアナタが気に食わない相手のためにホテルを予約しなければならない時が来たら、朝食も幽霊も無料で出て来る東○インをご予約されることをお勧めしたい。






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幽霊の出る部屋の見分け方

筆者の友人のK君は雑貨商社の営業マンとして20年も日本中の取引先を渡り歩いてきた国内市場の猛者であるが、この度営業から商品企画部門へと転籍になり、これからは国内では無く中国やベトナムの仕入れ先へと出張する方が多くなった。それでK君との酒席の際に、良かったじゃないか!ついに海外に出れて!と彼に励ましの声をかけたが、案に相違してK君は「冗談じゃないよ、俺は日本各地の美味い料理と酒を楽しんでたんだ…」と悲しそうな表情をして言う。たしかにKは昔から食いもんに煩い奴だったから、月の半分は日本の地方をカバン一つで回る仕事は奴の天職だったのだろう。

さてKの口から富山の魚と地酒が・・などと地方グルメの話が未練たらしく長々と続くので、じゃあ逆に日本国内を旅して何が嫌だったのか?と意地の悪い質問をした。筆者は不良債権の回収でヤクザが出てくるとか、分の分からない人権団体がクレームをつけてくるとかの生臭い答えを期待したが、Kの口からでてきたのは「それはビジネスホテルに泊まることだ」という全く意外な言葉だった。「俺が言ってるのは…出るホテルって意味だよ。出るって意味わかるだろう?」と神妙な表情をしてつぶやくK。おっと…これは…。筆者の大好きな幽霊話の始まりの様である。

「言っとくが俺は会社に入るまでは幽霊なんて見たことは無かったんだ」と前置きした後でKは自分の幽霊体験談を話し始めた。ベッドの横で佇む男、シャワールームのガラスドア越しに映る影、深夜部屋の中にこだまする女の唸り声など、彼の体験はあちこちでよく聞く話なのでここでいちいち書かないが、今までビジネスホテルで100回くらいは霊体験をしたんだよ・・と言ったのには驚いてしまった。この男は出勤日の半分はホテルに泊まる生活を20年もしてきたから、単純に計算すれば心霊体験率=100回/(20年 x 120日)=4.16%である。逆数にすると24泊に1回の割合で幽霊と出会っていることになる。





そんなに多くの幽霊がビジネスホテルに住み着いているのか…と感心していると、Kは「お前は大都市のビジネスホテルの部屋の何割くらいが事故物件なのか知ってるか?」と聞いてきた。そんなの想像もつかないけど…、だけど知らないと答えるのも癪だから1割くらいあるんじゃないか?と筆者の予想より多めに言い返すと、Kはフフンと笑って「開業20年くらいのホテルで4割の部屋がそうだよ。古いホテルであればあるほど事故物件率は上がるんだ」と答えた。じゃあ帝国ホテルやニューオータニなんか8割くらい事故物件ってことになるのか…。

「俺はビジネスホテルに散々泊まってきたし、ホテル関係者の友人も多いから色々と裏話も聞けるんだ」というK。では幽霊の出る部屋はどう見分けたらいいのか?。部屋に飾っている絵の裏やベッドの裏にお守りや御札が貼ってあればそうだ!という話を聞いたけど…と聞いてみたところ、ずいぶんと昔はそうだったが、その話が有名になりすぎて今はどのホテルでもやって無いんだと言う。じゃあどうしてんの?と聞いたところ、今は幽霊が出る部屋に特別なことは何もしてない、つまり部屋に入っても見分ける方法が無いと言うのである。

それにホテルの経営者にとっちゃ全部の部屋が事故物件になろうが幽霊が出ようが、噂が広まらなければヘッチャラなんだよ!と言って冷酒を煽るK。なるほど…自殺や変死があまりにも多すぎるから、かえって経済合理性に気分を集中して居ないとオーナーも頭がおかしくなってしまうのだろう。第一そうは言っても何億、何十億もの資金を投下しているのだから、幽霊が出るくらいでオタオタしてたら今度は自分が一家心中しかねないではないか…。





ところがここでKが「それでもある程度は幽霊の出る部屋を見分ける方法があるんだ」と言い出したのでハッと彼の方を見てしまった。だけどさっきお前は見分ける方法が無いと言っていたでは無いか…?と問うと、それは部屋の中に入っても見つからないという意味だ…と言って笑うK。そしてお前は幽霊が出るという噂はどういう情報で広がると思う?と聞くから、例えば京王プラザの14階の部屋とか1406号室は女の霊が…みたいな形だろ、と答えたところ、Kは筆者の方を見て「その通りだ」と頷いた。

「噂の最終到達点は絶対に○○号室という具体的な部屋番号に行くんだ。だったらその番号を無くしちまえば噂は否定できるだろ?」と言って笑うK。つまり幽霊が出る部屋が仮に406号室としたら、その部屋を422号室に変えるとか、そのフロア全体の番号振りの順番を変えて空き番にするというのだ。言わば部屋番号のロンダリングである。でもそれって幽霊対策では何の解決にもなって無いじゃないか…?と思ったが、さっきKが事故物件が多過ぎてホテルはもはや手の打ちようが無いと言っていたことを思い出した。

「だからホテルにチェックインしたら、部屋に入る前にフロアを一回りして部屋番号の振り順をよく見るんだよ。それで自分の部屋が飛び番号になっていたり、そのフロア全体の番号振りが何だか不規則だったりしたら、フロントに降りて行って部屋を変えてください!って言うんだ。そうすると相手もプロだからいちいち反論せずに、はい分かりました!って言って直ぐに別のフロアの部屋を用意してくれるよ」と言うK。なるほどこれは良い話を聞いた。筆者は日本でビジネスホテルに宿泊する機会は滅多に無いが、もしもそういう時が来たら早速試してみることによう。






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フィリピン料理は実は美味い?

題名からしてどうかしていると思われるだろうが、先日日本に帰国していた際に、行きつけの料理屋のマスターから興味深い話を聞いたのだ。筆者はこの料理屋が大好きで、一昨年前まで香港から帰国するたびにこの店へと赴き、マスターの作った季節を彩る料理に舌鼓を打っていたのだが、昨年フィリピンに移住してからというもの、何故だか分からぬがこの店に来てもあんまり美味しいとは感じない様になったのだ。

ただしこれはこの店に限ったことでは無くて、昨年秋に香港を半年ぶりに訪問し、行きつけのイタリア料理店や広東料理店で食べた時にも「ん?」と思うほど味がおかしく感じられた。美味しいことは美味しいが旨味みたいなものが不足していて、一部の料理になんとも表現し難い嫌な味を感じてしまうのである。一方女房は「あ〜!やっぱりこの店は美味しいわ!」と感激しているから、どうやら変わったのは店の味では無くて筆者の舌の方であることは間違いなさそうだ。

それで店のマスターにどうも自分の味蕾は壊れてしまった様だよ・・と言うと、マスターは「フィリピンはよほど料理が美味しいんですか?」と聞いてくる。まさか!。アジアで一番まずい事は確実で、ハンガリーやスウェーデンと同じくらいじゃないかな?と笑って言うと、このマスターはちょっと思案顔をしたあと、お客さんと同じ様に飯の不味い国に長年住んだため舌がダメになっちゃったよ!と嘆いている人がいましたけど、実はそうじゃなかったという例がありますよ…と言い始めた。

その中年のお客はドイツの日本人が全然いない町に長年単身赴任していたと云うが(最も悲惨な駐在員ではあるまいか)、単身だから当然毎回の食事は外食で、本人曰く口が捩れるんじゃないかと思うほど不味い料理を我慢して食べていたらしい。そして年に一度の一時帰国の際に奥さんの手作り料理や都内の有名店での豪勢な食事を堪能していたが、不思議なことに年を追う毎に日本での食事が美味しくないと感じ始めたのだそうだ。





本人はてっきり自分の舌はドイツの壊れた味覚に慣れてしまったのだ!と嘆いていたそうだが、ある時奥さんの実家がある山梨だか長野の山奥で郷土料理を食べた時に、自分の考えが間違っていることに気がついた。その店は地元の人が通う自然食の店で、合成調味料を極力排した料理法や無農薬野菜で有名だったのである。そう、中年のお客が住むドイツは食品の安全へのこだわりが強く、町の一杯飲み屋の親父でさえ提供するツマミの味は別としても素材には相当こだわっているのだ。

「だけど味付けが壊滅的にダメなら不味いもんは不味いでしょ?」と筆者は反論したが、マスターが言うには人間の舌というのは案外精密に出来ていて、下手くそな板前が醤油をぶっかけただけの煮込みでも「味付けはダメだが素材は美味かった」とちゃんと脳内では判定しているのだそうだ。そして最近の外食産業は素材を犠牲にして味付けで誤魔化しているから「料理方は一流、でも素材は失格」という判定が脳内に溢れているはずだと言う。

だけど…フィリピンの外食産業と言えば、化学調味料やショートニング(植物性油脂)のオンパレードであり、おまけに料理の味付けもいい加減と来てるから、やっぱり美味いはずはないよな…と思ったが、しかし単なる豚の炭火焼であるリエンポや女房が市場で買ってくる生きた鶏など何とも言えぬ滋味があって美味いな!と思うモノもある。それにフィリピンの野菜は香港の毒菜と違ってちゃんと野菜の味がするから、素材だけは意外に世界一級なのかも…。

「だからフィリピン料理、いや正確に言うとフィリピンの素材は実は美味しいんですよ。だから日本にきてまがい物を口にすると舌が弾いてしまうんじゃないでしょうか」というマスター。分かった様で分からない話だが、と言うことは俺が食ってて少しも美味いと感じない地鶏のタタキはまがい物ってことか?。うん…確かにフィリピンの鶏を自分で〆てタタキにして見た方が美味いかもしれない。洪水が引けたら女房に作らせてみよう。






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木こりの末えい部長

大学サークルの同窓会でバカ騒ぎをしている最中に、隣に座っていたバンコク在住のFという後輩から「石田が来ないのは○○(筆者の事)さんのせいだよ!石田は木こりの末裔だって何回も言うから顔を出せないんだ!」と言われてしまった。石田・・ああ…その瞬間に筆者の記憶は30年近く前にタイムスリップし、目の前に田舎者丸出しのヒョロリとした石田くんの姿が浮かんだ。

石田英樹くんは静岡県出身で、その朴訥とした雰囲気と純朴さから皆にかわれやすいタイプであり、筆者も石田君がバイトを探していると言うので、投薬実験や人工骨折、更には角膜や腎臓を売り払う闇バイトを紹介したりしたのだが(もちろん冗談である)、石田くんは全てを本気にしてしまい俺は東京は怖くてもういれないよ!と田舎に帰ってしまうような純朴な人柄だったのである。

その後も石田くんはみんなから麻雀で鴨にされたり、軽井沢で幽霊をみた現場に置き去りにされたり(主犯は筆者)と散々な目に合わされたが、もとより品の良い大学生のおふざけだから石田君もそこらへんは割り切って筆者らと付き合って来たのである。しかし大人しい石田君もついに我慢の限界を迎える時が来てしまった。それも全く予想外の形でである。

ある時サークル員達それぞれでお前たちの祖先は何をしていたのか?という話になり、うちは神社の神主だ、ウチは醤油屋だ、どうも百姓らしい、いや大工だと聞いたけど…、などと話していたのだが、石田くんは何故だかモジモジして祖先の職業をなかなか言おうとしない。それで日本人の9割は農業関連だから、静岡あたりじゃ茶でも摘んでたんだろうと助け舟を出したところ、石田くんは重い口を開けてキ・コ・・リ・・と呟いた。

えっ?何だって?と皆で聞き返すと、石田くんは顔を真っ赤にして木こり!木こりだよ!という。その瞬間その場にいた全員は一瞬黙った後に顔を見合わせて大笑いしてしまった。なお言っておくが別に木こりを差別しているのではなく、誰もいない山奥で黙々と木斧を叩きつけるイメージが、寡黙で背がひょろりと高い石田くんにドンピシャリと重なったからである。





俺は武士って言って欲しかったんだよ!。でもオヤジから木こりって聞いたときは凄いショックで・・と石田君は必死にとりなす様に言うが(今思えばどうしてとりなすのか変だった)、一度火がついた筆者らの笑いは止まらない。そして石田くんは双子だったからお前ら二人で黙々とトンカントンカン木を切り倒す光景が目に浮かぶよ!などと皆で笑っている中で、石田くんは何かに耐え忍ぶ様に顔を真っ赤にしていた。

それからも事あるごとに筆者は「おい!木こり!」「木こりツインズ!」などと石田くんに向かって呼び続けたが、どうも石田くんにとっては自分の祖先が木こりで有ることが堪らなく恥ずかしい様で、だんだんサークル部室に来る頻度が減る様になり、ついには筆者が現れるとあからさまに逃げる様になってしまったのである。そしてそのまま25年間も疎遠になってしまった。

さて石田は今何をしているのか?と石田くんと同学年のO君に聞くと、日本精工か光洋精工という大手ベアリングメーカーで若くして部長に昇格し、今は大阪支店のお偉いさんになっていると言う。それに国内営業畑らしく毎週末は接待ゴルフで大忙しなのだそうだ。石田が部長…?とちょっと驚いたが、真面目な仕事ぶりが評価されて、会社では同期どころか同世代の昇格レースでトップを走っているらしい。

それに石田は早く結婚して、子供二人も大学生になってるんだよ!と散々遊び歩いたために今だに二人の子供が小学生という男が言う。なるほど…木こりの末裔だけあって黙々と仕事をこなし、人生設計も黙々とだが着実に一歩一歩歩んでいくんだ…。それに木こりだけあって口下手だけど実直な性格は顧客の信頼を勝ち得るのに役立っているのだろう。やはり何百年にわたる生業というのは子孫のDNAに刻み込まれるものである。

さて石田くん!。君は今頃豪快な木こりショットで300ヤードくらいかっ飛ばしている最中かも知れないが、一体なぜ君は自分の出自が木こりであることをそんなに恥じていたのか教えてくれないだろうか?。君が他の件で筆者を疎ましく思うのなら理解できるが、木こりの件が原因だというのはちょっと違うのではないかと思う?。それに木こりとして培われたDNAは君の人生を良い方向に導いているとしか思えないんだけどね。






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失踪していた後輩の行方

20年ぶりに大学サークルの一同が集まって昔話に花を咲かしていた時の事である。一通りの挨拶を済ませた後は酒の勢いもあって馬鹿話で盛り上がっていたのだが、この日も一人の人物の話を出すことだけは何と無く禁忌になっていた。彼の名は斎藤くん。筆者の1年後輩でサークルでは次の年の部長を務めていたのだが、彼は今から20年前に勤務先の役所から帰宅途中に突然失踪してしまったのだ。

斎藤君の失踪当時に筆者はすでに香港に赴任していたので騒ぎのの渦中には入っていなかったが、斎藤君のご母堂がサークルのメンバーに電話を掛けまくり、また警察も捜査に乗り出すなどかなりの騒ぎになっていたらしい。しかしその後も斎藤君の行方は杳として知れず、以来20年間にわたって斎藤君の名を出すのはOB達の間では何と無く一種のタブーとなっていたのである。

さてこのOB会では約20年ぶりに6つの学年が一同に会したのだから、たとえ斎藤君が北朝鮮にいようと、もしくは富士の樹海の土と化していようとも、同じ仲間として斎藤君の名前くらい出すべきではないかと突然思いつき、「ところで斎藤君のことだけど…」と一言発すると、予想した通りあたりは水を打ったように静まり返ってしまった。

俺のところには警察が来た…、職場の有志から電話が来て…、最後の目撃者は警備員だったそうだ…、同じ時期に井の頭公園でバラバラ死体の事件があったよな…、などと伏せ目がちながらもポツポツと斎藤君の話をしはじめる面々。それぞれが20年間に渡って斎藤君の身を案じていたが、結局は何も出来なかった…という負い目を感じている様である。

しかしその時、参加者の中で最年長でサークルのまとめ役であるY先輩が「斎藤って失踪してたのかぁ?。ぜんぜん知らなかったよぉ。でも俺んとこに年賀状が来てるけどなぁ」という意外な一言が!。そしてそれを聞いた全員の口から、ええっ!。なっ!何だって!アイツ生きてたんだっ!。良かった!とどよめきがこだまし、みんな一斉に隣の人間と肩を叩き合う光景が繰り広げられた。





このY先輩というのは大変な酒豪でいくら飲んでも酔わない人間だし、大学院で経済学修士号を首席で獲得したくらいの人だから、飲み会の場での発言とは言え後から「あれは斎藤ではなく佐藤のことだった」と訂正して来る様なオツムの持ち主では無い。なので斎藤がY先輩と年賀状のやりとりをしていることは間違いないが、その後全員の頭に浮かんだのは「だったら何で斎藤は連絡してこないのか?」という素朴な疑問である。

この斎藤君は女や酒、麻薬にはまり込んでヤクザに監禁されるような男ではないし、人妻に手を出して駆け落ちしたから恥ずかしくて…なんて事になっていたとしても、サークルにはもっとふしだらな事を平気でしている人間が沢山いるから我々だけには連絡して来そうである。。そしてY先輩が言った「そう言えば数年間だけ年賀状が来ない時期があったよ。あれは地下鉄サリン事件は起こった年からだったな…」という一言に全員息を飲んだ。

あの堅物の斎藤君がオ○ム真理教…?。いやいや十分あり得る話だぞ。ああいう堅物で社会正義を追求するタイプが実は危ないんだ。もしくは別の危ないカルト教団?。いややっぱり北朝鮮に這い乗りされたんじゃ…、オ○ムと北朝鮮と統一教会は裏で繋がってるしな…、その年賀状も斎藤君本人では無くて、斉藤の名を騙った人間が出してるんじゃ…?。などなど憶測が憶測を呼び、全員の表情に不気味なものを見た時の様な驚愕の表情がありありと浮か始めた。

おい、誰か斎藤に連絡取ってみろよ、と誰かが提案したものの、全然人格が変わってしまった斎藤が出てきたらどうするんよ…、もしも本当は拉致されていて全くの別人が斎藤君になりすましているとしたらミイラ取りがミイラになってしまうんじゃないか…?と物怖じし始める一同。それで俺ん家は子供がまだ小さいから・・とか最近腰痛がひどくてね…などと本題と全く関係ない理由から誰も斎藤君の本人確認に名乗り出る奴はいない。

結局そのまま斎藤君は禁忌の扉の向こうへと再び戻っていってしまい、彼のことについて話す人間は誰もいなくなってしまった。実際は借金こさえて一時期逃げてたけど、照れ臭くて今更出て来ましたなんて言えないだけなのかも知れないが、人間20年も連絡を絶ってしまうと、友人達の豊かな想像力で不気味事件の主人公に仕立てられてしまうのである。筆者も筆不精な人間だが、数人の友人には定期的に消息を知らせておこう。さもないと○○はフィリピンで失踪して、巨額の生命保険の受取人は…という噂がまことしやかに流れてしまいそうだからね。






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ネイティブ・チキンの謎

フィリピンに帰国した翌日、女房がネイティブ・チキンのスープを作ったので是非とも食べてみろ!と勧めてきた。おお!ネイティブ・チキンか!。筆者は過去2度ダバオとヌエバエシハでこの鳥肉を食べたことがあるが、地味が強くてモチモチした舌触りに思わず「美味い!」と声をあげてしまったほどである。

さて女房の作ったティノラという生姜を効かせたスープとなって出てきたネイティブ・チキンは、ふだん女房が市場で買ってくる生きた鳥なんかよりも遥かにスッキリした味わいで、何でもかんでも胡椒をぶっかけて食べる筆者もこのティノラスープだけは素のままで食べることが出来た。

筆者が美味そうに食ってるのを横目で見ていた従姉妹ミレットは「やっぱり闘鶏用の種類だけあってパワーがあるのよね」と笑って言う。へえ・・ネイティブ・チキンとが軍鶏(シャモ)のことだったんだ。なるほど昔何処かで食ったことがある味だとは思っていたわい・・と感心していると、義妹は「山奥で野生で育ったから美味しいのよね」と言う。そしてこの時筆者の脳裏に小さな?マークが浮かんだ。





ちょっと待てよ・・。ネイティブ・チキンという定義についてミレットはコーチンとかシャモのように鳥としての種類が違うと言っているが、義妹は生育方法の違いだと言っている。それで筆者の頭の中では「別種の鳥」と「野生生育」の組み合わせの事をネイティブ・チキンというのだと考えたが、ここで家政婦のラセルが「故郷アブラ州の実家でネイティブ・チキンを生育していた」と言い出した事から頭が混乱してきた。

ネイティブ・チキンを家で飼ってた?。それじゃ全然野生じゃないじゃないか?。しかしこのラセルの故郷というのは物凄く山奥で、窓を開ければ野生動物図鑑のような辺境だから、鶏どころかここに住んでたラセル一家全員が野生種に認定されてもおかしくないのかも・・。そしてラセルは自分が飼っていた鶏についてタガログ語で説明しているが、義妹が首をひねっているところから、山鳩やキジのように鶏とは違う種類のことを言ってるのかもしれない。

結局ネイティブ・チキンって何だ?という定義はわからないままだが、ここで女房が登場して「ネイティブ・チキンと呼称される鶏がネイティブ・チキンだ」と唖然とするような定義付けをすると、驚いたことに義妹とミレット、メイドの三人が筆者の方を見ながら「そうなのよ」という風に頷いている。別に大した問題じゃ無いけど、いいのかね・・こんな結論で。なので筆者の家庭内ではネイティブ・チキンの正体は今だに謎に包まれたままなのである。どなたか定義をご存知なら教えていただけないだろうか?






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国保課の聖母マリア

今回日本に帰国した際に住民票を提出することになった。ずっと保有していた株が予想外に値上がりし、ちょっとした金額になったので売却を決めたのだが、非居住者だと売却手続きが面倒なので住民登録することにしたのだ。それに昨年1年間の日本国内での収入がほんの微々たる額しか無いため、住民税や国民健康保険(国保)がタダ同然になるためデメリットがほとんど無いのが住民登録を決めた大きな理由である。

税務署と証券会社を回った後に区役所へ行き、住民登録をすませると早速住民税相談課へ直行。過去10年間に渡って1月1日はずっと非居住者であり、昨年4月以降は1円も国内給与をもらってない由を伝えると、初老の横柄な態度の職員はジロリと筆者を見た上で「アナタは住民税を払う必要はありません」と言った。やはり調べた通りである。

そして一方の国保であるが、筆者は年間350日以上は海外にいるので本当は国保に入る気は無かったのだが、日本帰国時に保険請求すれば7割還付されること(ただし日本基準が適用されるので一概に7割とは言えない)、請求期限が発生時期から2年間と長いことから、月1000円くらいの費用なら加入しても良いかな・・と考えを変えたのである。

さて階下にある国保課に行くと、そこは何故だか中国人や韓国人、フィリピン人、タイ人の女たちが何人も屯っていて職員たちと話し込んでいる。ここは日本人より外国人の方が多いんじゃ無いか・・と思ったくらいだが、一体こいつらは何しに来たんだろう・・?。まさか中国にいる従兄弟の嫁の娘の恋人の地の繋がらない弟にかかった医療費まで還付しに来たのではあるまいか?。





約30分ほど待たされて、やっと筆者の順番が来た。担当になったのは20代半ばの利発そうなネーチャンである。それでこのネーチャンに国保に加入したいが、昨年会社をリストラされて(本当は自分で辞めた)生活していけないため、フィリピン人の妻を頼ってフィリピンで極貧の生活をしていること、ところが日本にいる母親が思い病気にかかってしまい自分が介護しなければならなくなってしまい(実際はピンピンしてる)途方にくれていること、などを表情豊かに説明した。

ちなみに筆者は公務員という連中が大嫌いで、こいつらは善良な国民の生き血をすする蛭の様な生き物としか思っていなかったので、こいつらには嘘八百ついても平気だし、バレたらバレたでシラッと前言を翻してまた新しい嘘をつけば良いだけである。それに日本のバカ女というのはいくら虐めても一向に差し支えない存在だと思っていたから、このネーチャンの顔に蔑みの表情が現れるのを今か今かと待ち構えていたのだ。

ところがである・・。このネーチャンが浮かべたのは蔑みどころか「この人かわいそう・・」という筆者への深い同情心だった。慈愛に満ちた聖母の様な表情・・、それ見た時に思わず「ウウッ!」とうろたえてしまった。昔見た「ベンハー」という映画で、キリストが渇きに飢えた主人公へ一杯の水を与えたことを意地の悪い看守が咎めたが、キリストの余りにも慈愛に満ちた崇高な表情に看守がたじろいでしまうというシーンがあったが、まさにそれと同じであった。

「ではこの所得申告書に無収入と書いてください。そうすれば保険料は最低金額になりますから」と綺麗に澄んだ目で筆者へと語りかけるネーチャン。いやっ・・実は俺そんなに貧乏じゃないんだけど・・と言いかけたが、ここで本当のことを言ってバカ高い保険料を請求されても困るし、だいいち預金や不動産などは保険料とは関係しないのである。しかしながら・・、このネーチャンの純粋無垢な表情には正直ジワジワと胸が締め付けられる思いがした。





「ああっ!そう言えば去年の1月から3月分の確定申告に今朝行ってきたばかりなんですよ!」とカバンから紙を取り出す筆者。本当に微々たる額だがこの3ヶ月だけ辞めた会社から最後の給料を貰っていたのだ。その紙をみて「これを提出されると私はあなたに対して保険料を多少高めに請求しなければならなくなってしまいますよ・・」と念を押す様に慈愛の目で見るネーチャン。

構いません。それが正当な義務ですからね、と思わず言ってしまう筆者。あ〜あ・・これで数万円は損してしまった。かくなる上は帰国時に歯医者に何度も通って元を取り返すしかない。やがて銀行振り替え申込書を持ってきたネーチャンは大変申し訳なさそうな表情で「保険料はこれから計算しますので正確とは言えませんが、おそらく月1万3000円くらいになるかと・・」と小声で呟いた。

ですが今後も収入がなければ次回からは月1500円くらいまで下がりますので・・と、貴方へ罰を与えてしまった事を許してください!という口調で懇願するネーチャン。いや別にいいけど・・と言いそうになったが、下手に同意してこっちの腹が透けて見えるのも嫌なので、わざと沈痛な表情を浮かべて「わかりました・・」とゆっくり回答した。

区役所からの帰り道、これはひょっとしてやられたのかな・・と思った。並み居る悪徳住民や分けの分からない外国人から保険料を徴収するには、今までの様な横柄な親父だと逆に反発心を生み出してしまうので、これは相手に自己嫌悪感を引き起こされる様なタイプを取り揃え始めた区役所の高等戦術では無いだろうか。そしてあのネーチャンは学生時代はおそらく劇団で悲劇の主人公を演じていたのかもしれない。それにしてもあの目つき・・、もしも演技だとしたら大した女優である。せっかくの才能を生かすなら公務員よりも結婚詐欺師かマルチ商法の営業マンに職変えした方がいいと思うよ。






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世界最高のスパゲティ

大学時代の友人と麻雀を打つ前に腹ごしらえをしとこうと思い、昨日いつもの行きつけの店である新宿の紀伊国屋書店にあるシンジンという店に行った。せっかく日本に来たんだから、もっと格の高い店で豪勢なモノを食べても良かったが、時間があんまり無かった事と、それに何よりもこの店は筆者が小学校の頃から時々通っていたので、懐かしさも手伝って近所に来ると足を運んでしまうのである。

筆者の叔母は紀伊国屋書店の本店で長年働いていて、小学生の筆者は美味いものが食べたくなると西武新宿線に乗ってわざわざ新宿まで出て来て、昼休みの時間を見計らって受付に「庶務の梅田静子をお願いします」と伝えるのである。受付の女性の顔には「このガキまた来たわ!」という表情がありありと浮かんだが、それを無視して待っていると、そのうち社服を来た叔母がエレベーターから現れるという具合である。

1970年代前半の日本の外食産業はまだ未熟で、東京とは言え近郊にある住宅街にはロクなレストランが無かったから、筆者にとって美味いものにありつく唯一の手段は花の新宿でOLをしていた叔母に昼飯を奢ってもらう事だった。それで叔母の元に押しかけてはイタリア料理のカラカラや天ぷらのつな八に玉川寿司や、名前を忘れてしまった中華料理店の飲茶など世界の美食に舌鼓を打ったものである。





さて叔母はオシャレな人で、洋服や化粧品には大層な金を使う人だったから、給料日前には財布は随分と軽くなってしまった様で、そういうときに連れて行かれるのが勤務先の紀伊国屋ビルの地階にある2軒のスパゲティ屋であった。一軒が前述のジンジンで、もう一軒は十紀和(トキワ)という店である。両店は全席カウンター式の店で、料金も安めの立ち食い蕎麦に毛が生えたくらいの店であるが、筆者はこの十紀和のチキンソースというスパゲティがそれはもう美味くて美味くて仕方が無かったのだ。

そのスパゲティを口に含んだ瞬間に口いっぱいに広がる芳醇な鳥の旨味、そしてトマトソースの絶妙な酸っぱさと甘み。これらがハーモニーとなって筆者の味蕾を刺激して、ものの1分もしないうちにスパゲティ一皿を一気に平らげてしまうのである(書いてる最中に生唾が出てきた)。それで筆者は自分の小遣いを貰う様になってからは自分で十紀和に出向いてチキンソースを食べに行き、高校時代も歌舞伎町のディスコに踊りに行く前の腹ごしらえのため十紀和に通い続けたのである。

筆者はその後もミラノやニューヨークのイタリア料理の名店でスパゲティを食べたが、今だに十紀和のチキンソースを超える味にお目にかかったことが無い。もちろん幼児期の味覚体験というのは案外いい加減なもので、随分と舌が超えた現在の筆者が十紀和で食べれば評価は違ってくるのだろうが、残念な事に十紀和は筆者が大学に入る前に閉店してしまい、あの味は筆者の頭の中では人生ナンバーワンのスパゲティとしてフリーズパックされてしまったのだ。





さてもう一軒のジンジンの方はと言うと、筆者にとっては十紀和が満員のときに行く代替的な店であった。正確に言うと筆者は30分くらい待ってでも十紀和で食べたかったのだが、せっかちで昼休み時間が短い叔母は十紀和が満員だとスタスタと10メートル先にあるジンジンに入ってしまうのである。そしてジンジンで食べるスパゲティは筆者にとっては明らかに十紀和よりも劣る味がしたが、下手に叔母の機嫌を損ねて奢ってもらうチャンスを失いたく無いので文句も言えずに黙って食べていたのだ。

もうあれから40年以上時間が経ったが、絶品の味だった十紀和が潰れてジンジンは今でも営業しているというのは何とも皮肉である。ひょっとするとジンジンの方が人気があったのかもしれない。それで昨日もジンジンに入って人気メニューであるペスカトーレを頼んで見たが、まあ美味いことは美味いけど、ニューヨークのリトルイタリーやグリニッジ・ヴィレッジで食べまくったスパゲティに比べるとイマイチどころか今二、今三である事は言うまでもない。

そしてジンジンのスパゲティを食べるたびに思い出すのは、「オバさ〜ん!ぼく十紀和のチキンソース食べたい〜!」と内心で叫んでいるが、オバさんに一喝されると怖いので渋々とジンジンへ向かう小学校低学年の筆者の姿である。そしてジンジンのスパゲティを口に含んだ時に、うん!そうだ!、やっぱり十紀和のスパゲティは圧倒的に美味かった!、やっぱり俺の舌は間違って無かったのだ!という思いを一層強くするのである。






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赤提灯でインド人と国籍討論

友人との夕食の後で小腹が空いたので、駅前にある薄汚い焼き鳥屋に入ることにした。ここは鰻の寝床の様な細長くて狭苦しい店で、割烹着を着た50代と思しき女将さんと数人の客がテレビニュースに見いっていた。串焼きを数本頼んでビールとお通しに口をつけ、それでニュースは何かとテレビを見ると、イラクを制圧しつつあるイスラム国(別命ISIS)についての解説番組だった。

「ほんとにどうしようも無い人間たちだ!」「でもイスラム教徒もかわいそうじゃない」「宗教なんてのは人間を狂わせる魔法だよ!」とカウンターの右隣りに座った初老らしき男(顔は見えない)が女将相手に息巻いている。なんだよ・・無教養な親父の隣か・・。話しかけられたくないな・・と思ったが、この親父が顔を筆者の方へ振り向けた時にアレッ?と思った。この人はインド人だったのである。

「ぼかぁねぇ。1975年に日本に来たんだよ」。入店から5分後に早速自己紹介を始めるインド人。筆者はサラリーマン時代にインド人とはさんざん商売をしてきたから、これが長い長い会話の始まりだと覚悟した。国費留学生だったんだ・・とか、バブルが来る前にこの近所に家を買ってね・・などと串焼きをツマミにウーロン杯を煽る。仕事は何してたんですか?と聞いたところ、丸紅の関係会社で部長までなってたらしい。





ちなみにインド人は話を大きくするのが得意だが、この人物の仕事上の話、例えばドバイに住むインド系ビジネスマンの出資金と税法上の諸事情などは経験者でないと知らないことまで喋っていたから、丸紅なのか部長かどうかは知らないが、海外相手に相当長い間モノの売り買いをしてきたことは本当の様だった。そして60歳で定年退職してからは、知人の営む貿易会社の顧問に就任し、役職とは名ばかりの毎日退屈な会社員生活を送っているのだそうだ。

さてインド人の方も、筆者が母国を出て長年海外にいることに大変興味を持った様で、香港の事情やフィリピンの生活などあれこれ聞いてきたのだが、嫁さんがフィリピン人と聞いた時にちょっと面白くなさそうな顔をした。なんでだろう・・?。それでインド人にも「奥さんは日本の方ですよね?」と聞き返すと、このインド人はちょっと怖い顔で筆者の方を振り向くや、「冗談言っちゃいけないよ!」と大声で叫んで、カウンターにウーロン杯の入ったグラスを叩きつけた。

「僕はね!日本に住む為に日本の女と結婚するような男じゃない!僕をなんだと思ってるんだ!」とすごい勢いで怒り出す。僕はね!正々堂々と永住権を獲得したんだよ!そこら辺にいる中国や韓国のクズともと一緒にするなっ!と烈火のごとくの剣幕である。この話を聞いて、筆者はこのインド人の親父が今までどんな目で見られてきて、それをどれほど嘆いてきたのかがよくわかった。なので24歳でインドから日本に来れば、周りは日本人ばかりだから、普通は日本人の彼女が出来て、それと結婚したと考えた方が可能性が高いでしょ?。だから奥さんは日本人ですか?と聞いたんですよ!と言うと、このインド人はいくらか気分を取り戻した。


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「僕はね!日本が大好きで!女房もカルカッタじゃ無くて日本で死ぬ気だけれども、国籍だけは日本に帰化しなかったんだよ!。それは僕たちはインド人として生まれたんだし、だいいち国籍なんて自分の都合でコロコロ変えて良いもんじゃないんだ!。それは一族や先祖への裏切り行為だよ!」と言うインド人。いやはや全くその通りである。筆者の会社にも日本に帰化して日本のパスポートを持っているにも関わらず、北京放送と全く同じ口調で日本の悪口を抜かす元中国人が沢山いたし、昨今はそういう外国人しか日本にいないのだと思ったが、この薄汚い店でこんな気概のある人物に出会えるとは正に驚きだ。

だけどね・・・。僕には娘と息子がいるんだけど、二人とも小学校から大学まで日本の公立に通ったんだけどね(これは凄いことだと思った)、二人とも日本にチャンスは少ないと言って、アメリカに行っちゃったんだよ・・。しかも数年前にグリーンカードを取得して、ついには市民権を取るんだと言い出してね・・。まったく親として恥ずかしいと思ってるんだ・・、と俯きながらため息をつくインド人。なるほど・・、こんだけ右翼で民族派の父親(恐らく母親もそうだと思うが)の下で育っても、当代の若者はコスモポリタン化してしまうのだ。どこの国も似たようなものである。

さて昨日、この焼き鳥屋に3日ぶりに行くと、女将さんが「インドラさん(愛称)は昨日からサンディエゴに行ったわよ!あんたが来たらよろしくって伝えてくれって!」と和かに言う。そう言えば息子の結婚パーティーでもうすぐアメリカに行くとか言ってたな・・。そして女将さんは「俺は娘だけでも日本に取り戻すように説得してくるっ!て息巻いてたわよ!」と言って笑った。こんだけの頑固オヤジというのも今どき珍しいが、一本筋が通っている事に筆者は好感を持った。おそらく娘の説得は失敗するに違いないが、また日本に来る機会があったらインド人の親父を慰めるため狭苦しい焼き鳥屋に行くことにしよう。


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フィリピンパブ今昔物語

急に日本で諸々の用事が出来たので1週間ほど帰国することにした。昼間は銀行や証券会社に市役所、年金事務所とあちこちを駆けずり回ってヘトヘトであるが、夜は旧友たちと酒を酌み交わしながらお互いの近況を伝え合い、うまい肴と日本酒を堪能できるのが何より楽しい。筆者は会社を辞めたら近所にある日本料理屋で昼間っから吟醸酒を煽る生活を夢見ていたのだが、ダバオやセブや絶対に嫌!マニラもマカティやマラテは絶対に嫌!住むなら親戚がたくさんいるパッシグ→リサール州ベルト以外は考えられない!と女房が言い張るので、日本料理の不毛地帯であるリサール州に住むことになってしまったことを今ものすごく後悔しているのだ。

さて昨日は酒の飲めない友人との食事であったため11時前にお開きになってしまったのだが、自宅へと歩いていく道すがら、目の前にフィリピンパブ○○という看板を見つけた。フィリピンパブかよ・・・もう20年近くご無沙汰しているな・・。というのは筆者は今から20年前に香港へと移住し、その後直接フィリピンに来てしまったため、日本での夜遊び経験は今から20年前のちょうどバブル崩壊前で時間が止まったままなのだ。もちろん香港でもフィリピンパブには1000回近くは行ったが、日本のフィリピンパブは香港のとはまた違った味わいがあって、20代前半だった筆者は池袋や湯島へと通いつめたものである。フィリピンパブか!よし行ってみよう!。そう決心した筆者は階段を下りて○○のドアを思い切り開いた。


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「イラッシャイマセェ!ナンメイサマデスカァ!」とフィリピン人独特のアクセントが店内に響き渡る。それもそのはず客が一人もいなかったのである。これはまずいかな・・と思い、念のために値段を聞くと、飲み放題で1時間3300円、レディースドリンクは1杯1000円だという。20年前にはまった店は2時間で1万円を切ることは絶対になかったから、この店はずいぶん安いな・・・。こんなんでやっていけるのかよ?というのが筆者の率直な感想だった。じゃあそれで良いですよと言ってソファに座ると、この店のママとチーママの中年女性二人が席についてアンタ!ドコスンデル?などといつも通りの会話が始まる。いや俺は今フィリピンにいて・・などと説明し、へー!アンタ!モウ フィリピンジン ネーッ!などと会話をしていたが、不思議なことにいつまでたってもホステスが現れる気配がない。

おかしいな・・確かに俺しか客がいないとはいえ、レディースドリンクという制度があるんだから、店にレディーがいるはずである。それで入店してから30分過ぎたころに「そろそろ女の子をつけてくれよ」と言うと、なんと店のママが「モウ、アタシタチイルネ」とお前なに言ってんだという表情をしながら素っ頓狂な声を上げて言う。ちょっと待てよ・・お前たちがレディーだと!。冗談じゃない!お前ら二人どう見ても俺と年齢変わらんじゃないか!。しかしチーママは「ホントワ モウヒトリ イルダケド、ソノヒト アタシタチヨリ モット トシウエヨ」と絶望的なことを言う。これってフィリピンパブって言うの?。フィリピンスナックって呼称したほうが正確なんじゃないか・・・?


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筆者は日本の事情を全く知らなかったのだが、この20年間の間に芸能ビザという制度がなくなってしまい、エンターテイナーとして若い女性が日本のフィリピンパブで就業することは出来なくなったらしい。なのでこの店のような郊外店は日本人と結婚したフィリピン人女性をアルバイト的に使っているが、当然この女たちは年齢も相当高めで、なんと筆者がフィリピンパブにはまっていた時期に日本人と結婚した48歳くらいのフィリピン女性も今だに現役ホステスとして活躍しているのだそうだ。「アトネ!ニホントハーフノコ イルネ!トキドキ アルバイト クル!コノコ ワカイヨ!」と言うが、よく聞いてみるとこの女は血統は半分フィリピンでも、日本で小学校から短大まで通った女で、頭の中身は完全に日本人なのだそうである。そんなんだったらキャバクラかピンサロ行くわ!。

結局筆者の滞在時間中にほかの客は一人も来ることもなく、二人のおばさんフィリピン人の身の上話をずっと聞かされる羽目になってしまった。まあ気の毒だから二人にドリンクを奢ってやったが、滞在は2時間で切り上げである。ああ・・俺がどハマったフィリピンパブの幻影・・。きらびやかな衣装をまとった日本じゃ考えられないエキゾチックな美女たちの群れ。もちろんこんな私鉄沿線の駅前ある店とは違って、都心部にはもっとまともな店もあるのだろうが、あまりうのやるせない思いに家の近くにある赤提灯へと飛び込んで悪い夢から覚めるよう冷酒を一気に煽り続けた。さようならフィリピンパブ。さようなら俺の遅まきの青春の思い出。


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産業スパイ体験記(3)

筆者はMからD社の機密情報を4年以上に渡り入手し続けたが、途中で一人の人間が現れたことで大きな転機が訪れた。D社のイカれた社長の思いつきで業界では悪評高い人物が経営する会社を代理店に任命したのだが、今までは単なる工場窓口でしかなかったMをこのヤバイ会社の営業窓口に抜擢したのだ。ヤバイ会社の親玉であるウォンが英語が苦手なため、D社の中で広東語が一番上手なMが適任されたのだとの理由だが、事実は他のエリート社員が担当を尻込みしたため、使い捨て可能な高卒Mが選ばれたというのが実情である。それもそのはずウォンは香港マフィアのメンバーで、10年近く前にヨーロッパ系の競合他社を食い物にしていたのだが、全てが発覚して代理店契約を切られそうになった丁度その時、ヨーロッパ人のマネージャーが深夜路上で複数の暴漢に襲撃されて半身不随の重症になってしまったのだ。

ここで香港の黒社会についてちょっとだけ説明するが、香港では法律上オレは黒社会のメンバーだと名乗ると警察に逮捕されてしまう為、彼らは14Kや新義安などの組織の看板をあげる代わりに「○○貿易」や「△□商会」という一見普通な会社の屋号を使って、正業(この場合はヤクザ稼業)と副業(ごく普通の職業)を同時に営んでいるのだが、中にはどっちが正業なのか分からない連中もいて、もの凄く成功した電子機器メーカーや運送屋、保険代理業者に学習塾経営者が実は黒社会の幹部だったりするのだ。そしてウォンも表向きはヨーロッパ系企業やD社の代理店の仕事をしているが、裏では債務超過に陥った会社の転がしや債権回収、それに中国で合成された薬の密輸が本業であった。

さて営業に昇格したMは大喜びで、今までのコンプレックスを跳ね返して仕事一筋になってしまうのではないかと心配したが、Mの心の闇は相当深いらしく相変わらずD社の営業週報をリークし続けてきた。しかし以前に比べると別料金の特別情報は目に見えて少なくなっている・・。おそらくMは自分の会社を売り渡す相手をウォンに切り替えつつあったのだと思う。それにウォンは年間100億円くらいD社製品を売る能力があったから、5〜6000万円くらいの賄賂を払う用意があるとMに耳打ちしたのかもしれない。いずれにせよウォンはその道のプロだから、筆者のようなサラリーマンが伍していけるはずもなく、Mに対するスタンスをここで変更する必要が出て来た。

これまでM情報を見て狂喜していた日本のお偉いさん達は、香港マフィアのウォンが登場したと聞くや一気にブルってしまい、自分は関与していないぞ!、事実が発覚したら責任は誰が取る!などと不毛な議論を繰り返した挙句に結局結論は出せないため、仕方なく筆者の方からMがウォンに完全に取り込まれる前に一気に重要情報を入手し、そしてその後Mと手を切るというシナリオを出した。するとお偉いさんや部長達は急に威厳を取り戻し、300万香港ドル(3600万円)を会社の裏金口座からひねり出すや、この金で今後5年間の商品開発計画や生産計画、変動費分析などを入手して来い!と偉そうな口調で言った。





日本のその筋の方も同じと思うが、香港マフィアもほんの少しのとば口を開けて大企業に食い込むや、やがて何人もの社員を金とセックスと恫喝で籠絡させて居場所を拡大し、そして大会社が枯れ果てるまで生き血をすすっていくというのがやり口である。ウォンもMを水先案内人として使うことでたったの1年で販売実績2番手の代理店にまで躍進し、やがてMの上司やそのまた上司を籠絡して代理店以外の分野、具体的にはD社の広東省の新工場の土地建物の提供や人材派遣、重要部品の外注先などを手がけ、更にはウォンの仲間である怪しい連中がD社の保険契約や別事業の中国包括代理店契約を結ぶなど、巨木に絡みつく蔦のようにD社に食い込んでいった。

現在でもD社は東証一部に上場していて、アベノミクスの影響で株価は少しは好転しているが、ウォン登場前と後とでは利益率が常に半分以下に落ち込んだままである。D社の社長は市場環境の激化と模造品による営業被害が原因だと毎年お決まりの説明をしているが、実際はウォンがD社を脅しあげて巨額のマージンや部品費用の暴利を貪っている為と、D社の特許を盗用した模造品を作っているのはウォン一味の男が経営する電子機器メーカーである。こんな事など長年業界にいれば誰でも知っていることであるが、D社の社長自体が今から10年前にウォンに籠絡されたのだから株主に本当の事など言えるはずもない。

さて筆者がMとの関係を切った日へと話を戻す。筆者が適当な理由をつけて今後の支払いをやめると伝えた時に、Mは意外に冷静で「へえ・・そうなのか・・」と言っただけだったのだ。この数か月前に合計300万香港ドルを払っていたのだからMの懐は相当潤ったはずなので、この冷静な反応は予想外だった。やはりMが機密漏洩をしていた理由は金では無く、自分の所属する会社を裏切ることで自尊心を満足させたかっただけなのである。そして軽率な事にMは「お前の会社は俺の中ではもう用済みだからな!」と言って可笑しそうに笑ったのだが、本当に用済みなのはMの方であった。

別れ際にMが言ったのは「赤いスティックはどういう評価だったんだ?」という一言だった。二十数回に分かれて入手した情報は前述の通りD社の最重要とでも言うべきデータ類だったが、1つだけ頼んだ覚えも無い長ったらしい書類がそれだけ別の赤いUSBメモリに入っていた。そしてこの一言はMが最もリークしたかった分書が何かを指し示している。これは全くの異質な資料で、D社のシンガポール工場が持つ数百億に登る巨額の簿外債務、というよりリファイナンスという違法行為を使った粉飾決算の証拠書類だった。

「すごい書類だがウチの会社は東証にタレ込んだりはしないよ」と言うとMの顔はサッと曇ったが、どうして君の会社の役員達はあんな馬鹿な事に踏み込んだんだろう?と筆者個人の意見を何気無くつぶやくと、この時にMは急に表情が強張るやみるみる何かがこみ上げて来るような顔つきになった。やがて口から出てきたのは「それはな!あいつらが馬鹿だからだ!あいつらみんな馬鹿だから何も見えなくなっちまったんだよ!」と辺りも憚らず感情的な声で叫ぶと、そのあとMは黙って筆者の目の前から立ち去った。







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産業スパイ体験記(2)

さて筆者とMの接見はいつもは毎月2回あって、Mが営業日報の入ったCD-ROMを、そして筆者が現金の入った封筒を指定された場所で交換するという古典的なスタイルだったが、これはMがメールや送金など証拠を残ることを恐れていためである。そして接見の際に筆者は前回入手した情報について満足、不満足を手短かに伝え、さらに日本の本社から要求されたD社の内部機密情報を入手して欲しい由伝えるのだが、金にがめついMは当然の事ながら営業日報以外は別料金を要求してきた。

ただしはっきり言うが、筆者の会社が野村総研などのシンクタンクに払っている料金に比べればMの要求金額ははるかに安く、しかも競合相手の生情報なのだからMを言い値にケチをつけて全てをぶち壊しにする事は出来なかった。それにMは結構抜けたところがあって、D社が開発した新製品、これは筆者のいた会社の稼ぎ頭の商品と対抗した画期的な製品だったのだが、この開発情報をリリースの1年前にリークしてくれたおかげで、筆者の会社はそれと全く同じものをD社より1ヶ月だけ早く製品化して命拾い出来たのだが、Mが請求してきたのはたったの8万香港ドル(96万円)だけだった。

なぜだか知らないがMが持ち運ぶ情報の値付けには偏りがあって、製品コストや生産ラインの設備投資など工場に関する情報は5〜10万香港ドル、逆に営業に関するものは2〜5万ドルとやけに安かったので、Mが価値に気がつく前に販売データをゴッソリと入手することにした。例えばである。ベアリングメーカーにとっては最も汎用性の高い製品のトヨタへの卸値という情報は最高の機密事項だが、どうもMの世界観では無数にある数字上の一つでしか無いと映った様で(こいつは本当にバカと思った)、トヨタも足立区の町工場への販売価格も十ぱ一絡げで売ってしまうようであった。

なので筆者は香港中の顧客がD社製品をいくつ、いくらで買っているのか全て知っていたため、百戦錬磨の顧客達のブラフに騙されることなく最も利益の上がる単価設定をすることが出きたのだ。それに大手でありながらD社から比較的高めの値段で買わされているカモ客を容易に切り崩すことが出来たし、相手がこれから数週間にかけて何をしようとしているのか逐一把握することが出来たから、おそらくM情報によっては年間5億から10億円くらい利益増にな繋がったと同じで思う。。ところが筆者の会社がMに払った金額は年間120万ドル(1440万円)だから、これは笑いが止まらない話だった。






さてある時Mから緊急で会いたいという連絡が入った。しかも場所はお互いの会社から2駅程度の四川料理の食堂。今までMは絶対に月2回のペースを崩さなかったからこれは極めて異例な事だった。そして待ち合わせ場所に到着するやMは開口一番「来週月曜から汎用品の価格を10%一斉値下げする。ターゲットはお前の会社だ」と言うなりスタスタとその場を立ち去った。これは半導体で言えばDRAMの価格攻勢と同じで、即時に価格追随しなければ一気にシェアを切り崩されかねない。しかし筆者の会社の当時の事業部長は競合他社から攻撃を受けても、現実性の精査や被害規模の算出にかまけて決断を先延ばししてしまう様な優柔不断な人物だった。D社はおそらく筆者のいた会社の弱点を見込んで一気に攻撃を仕掛けるつもりだったのだ。

さてここで筆者の会社内でのスタンス調整についてクドクド書く事はしないが、事業部長から相手がしかけて来た時のみ対抗するという「専守防衛」の認可を渋々ながらもらう事が出来たの。そして翌週月曜日に筆者は部下のセールスマンを各代理店と重点顧客に配置し、朝9時から始まったD社の値下げアナウンスに対し、9時5分にD社と同じ分だけ値引きを一気に断行したため、結局1%のシェアを失わずに済むことが出来た。もしもM情報が無ければおそらく年間50億円くらいの損失を蒙った筈であった。

ところが不思議な事に、Mはこの値引き情報についてはたったの5万ドルしか要求してこず、しかもその後に同じ様な価格攻勢の事前情報を翌年と、翌々年の合計2回提供してきたのだが、これもたったの5万ドル(60万円)だけしか要求してこなかったのだ。Mがいくら馬鹿者で生産現場に偏った思想を持っていたとしても、この情報リークで筆者の会社がどれだけ助かったのかは掛け算と引き算だけで計算できる。だいたいがqもともと金に意地汚いMにしては頭が回らなすぎる。そしてその時に筆者はMは金の為以外に、もう一つ別の意図があって機密情報をリークしていることに気づいた。

おそらくである。Mは心の奥底でD社のことを憎んでいたのだ。そして自分を高卒として見下す支店の大卒メンバーに復讐したかったのだ。なので大卒のエリート達が必死にかき集めてきた顧客の情報や、マーケティングの分析資料を競合他社に二束三文で売っぱらうことで踏みにじりたかったのだろう。そしてエリート達が立案したシェアダッシュ作戦が見事に失敗し、結局売値が下がっただけのとんでもない愚策だったというダメ評価が下される事を心から望んでいたのだ。劣等感に苛まれるたMは実際劣等である)同僚の足を引っ張ることで自らの優越感を何とか満たしていたのだ。







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産業スパイ体験記(1)

みなさんは産業スパイと聞くとどういう人間を想像するだろうか?。グレーのスーツを着た調査会社の社員、コンピューターを自在に操る凄腕ハッカー、もしくは深夜オフィスに忍び込んで図面に見入る黒ずくめの服を着た技術者。しかし世間には何ら特別な技術やノウハウが無くとも、競争他社に植え付けたスパイを担当するような人が結構いるのだ。そしてアナタがこのスパイの親玉にあったら余りに普通のオッちゃんで有る事に驚くだろう。ではここで産業スパイのスパイマスターの一人を紹介しよう。それは今この日記を書いている人物、つまり筆者である。

筆者が勤めていた会社はヨーロッパに1社、日本に2社競争相手がいて、長年に渡ってこの4社で世界シェアを争っていたのだが、中でも日本のD社は筆者のいた会社と商品体系や価格帯が似通っているため、同じセグメンテーションの中で激しいシェア争いをしていた。イメージ的には半導体や液晶パネルと同じような構図と考えて貰えば良いと思う。同質的な商品を同質的な売り方で香港・中国の無数にあるメーカーに売るため、1%の販売単価の違いでシェアが10%くらい一気に変わるくらい厳しい世界だったのだ。

このD社の香港支店にMという筆者と同じ年の男が赴任してきた。普通D社のような一部上場企業の駐在員は全員大卒が当たり前だが、このMは高卒で、出身母体も工場管理部とD社の中では二線級の人材であった。これはD社香港支店の業務拡大により工場に直接生産手配をする人間が必要になったためだが、このMはその学歴の低さにも関わらず非常にプライドが高く、さらに相当の遊び人であった。普通こういった矛盾を抱えた人間は性格的に破滅しやすいため、一部上場企業は海外の売り買いの現場には派遣しないものだが、どうもD社は生産部門に大卒人材が不足していたようで、やむなく海外勤務を希望していたMを香港に送る事にしたのである。

さてM赴任から2年くらい経過したときに、筆者の知り合いのナイトクラブの女からMが店の女にはまりこんで散財しているとの噂を耳にした。しかしMは妻帯者で子供もいたし、日本の住宅ローンも随分年数が残っていると聞いたから、Mの小遣いはせいぜい月1万香港ドル(12万円)くらいしか無いはずである。そして支店勤務とは言えMは営業では無いから顧客にツケを回せるはずもない。それにD社は接待費に関してはケチンボで有名だから、Mが二日と開けずにナイトクラブに来れるような経費を認める筈も無い。しかも女の連れ出し料まで毎回払っているというのだから、この店だけで最低でも月に4万香港ドル(48万円)は使っているはずであった。





それでMを籠絡出来ないか?と考えた筆者は、有る時にMが入り浸っているナイトクラブに出向き、そこにいたMに「あれあれ!奇遇だね!今日は奢るよ!」と言って相席を申し出た。今日はタダ酒になった聞いて大喜びのMは自分の名前でボトルを一本余分に入れてくれ!と厚かましく懇願し、そしてしこたまXOコニャックを飲んで酔っ払うや案の定女のエスコート代も奢ってくれ!と図々し要求してきた。やっぱりコイツはクズである。それでアンタが会社の機密情報を俺に提供してくれるなら女の代金は全部面倒みてもいいぞ・・と冗談ぽく言うと、Mは冗談じゃねえよ!と言って大笑いした後、店のママを呼んで「おい!エスコートだ!」と言うや、1セントの金も払わずに女と一緒に店を出てってしまった。

さてその翌週のこと。Mから突然「情報交換しよう」と呼び出されたので、お互いの会社の関係者が絶対に来る可能性が無い香港の僻地アバディーンにある麻雀屋に行くと、個室に陣取っていたMは「ウチの営業週報を月2万ドル、それとあの店の飲み代の肩代わりでどうだ?」とこっちが呆気にとられるくらい率直に切り出して来た。こういう時に躊躇したり値引き交渉してはダメである。それで最初の月は了解しよう。しかし情報の価値が無ければ翌月から支払いは打ち切ると言うと、Mは「大丈夫だよ。絶対に満足するって」と言って歯ぐきを剥き出しにして卑屈に笑った。スパイ誕生の瞬間である。

この週報と言うのは毎週D社の香港支店で行われる業務連絡会の内容と、その週までの売上高、数量、営業利益などの採算情報で、ここにはどの顧客に何をいくつ、いくらで販売しているのかも大まかながら出ているため、筆者の会社にとっては戦術上たいへん有益な情報であった。さらに各セールスマンの先週の行動と顧客から入手した市場情報が書かれてあって、需要動向をどう見るか?などの分析から、どの顧客がどういうプロジェクトを抱えているとか、筆者の会社とD社を天秤にかけて値下げを享受しているのかなどが手に取るようにわかる。これを2万香港ドル+飲み代、合わせて月6万香港ドル(72万円)で買えるなんで冗談かと思ったほどだ。

当然この情報が偽物の可能性もあったが、顧客にそれとなく鎌をかけてD社の提示価格や購買数量を聞き出した結果、どれもこれもが本物であることが判明した。ずんぐりむっくりした体つき、知恵遅れのような顔つき、分厚く垂れ下がった下唇。こいつはどこからどう見ても出来損ないのクズだったが、この失敗作のような男が筆者の会社に途轍もなく重要な情報を持ち運ぶスーパースパイになったのだ。そして筆者の上司日本のお偉方はMもたらす情報に涎を垂らしたが、一方もしも事実が発覚した場合の対外的なリスク恐れたため、Mへ支払う金は出すけれども、これは全て筆者が個人的にやったこと、我が社は関知してません!という姿勢をとったのだ。






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ロシアのオクトパス菌にご注意(2)

ロシア娘の濃厚な肉汁を堪能して胃がもたれ気味の筆者らはホテルのバーへ行き、口から胃袋にかけてこびりついた脂分をビール流すことにした。すると陽気な気分でビールを飲んでいる香港人がツマミのタコのマリネを指差して「ロシア娘のアソコと同じ匂いがする」と言い出した。どれどれ嗅がせてみろ・・すると・・本当だ!、おんなじ匂いだ!。それを聞いた別の同僚がゲッ!お前らアソコ舐めたの?と聞いてくる。結局5人中3人がロシア娘に即されるままアソコを舐めたのだが、全員がタコと同じ匂いがしたと証言した。

そして翌日・・。ワルシャワへ向かう3人組の一人として空港で搭乗を待っていた時に、胃が痛い・・。何かがこみ上げて来る様な痛みが広がって来た。まるで胃袋の中を錆び付いたナイフで何箇所もギザギザに切られた様で普段の食あたりとは別種の痛みである。かつて一度だけインドのベナレスでガンジス川の水を飲んでしまった時にこれと似た痛みを経験をしたことがあるが、その時は88キロあった体重が65キロまで落ちてしまい、2ヶ月ぶりに大学に行ったら誰も筆者だと気がつかなかったくらい痩せてしまった。ひょっとしてあれと同じ目に遭うのでは・・と考えるとさらに胃が痛んだ。

ワルシャワの空港でイミグレを待っているときも胃が痛くて呼吸が苦しくて仕方ない。それで検疫に駆け込もうとしたが、同僚2人がヤメろ!下手するとモスクワに追い返されるぞ!と言って筆者を羽交い締めにする。結局そのまま痛みを堪えて入国手続きを済ませ、迎えに来たポーランドのお客の車に乗り一路ホテルへと向かう。あんまり酷ければ病院に連れて行くぞ!と言ってくれたが、何故かしら車に乗っているときはなぜか痛みが少し引いたので遠慮したが、後でこれは間違いだと気付いた。






結局それから3日間はホテルからは一歩も出れず水道の蛇口のように出てくるウ○コと断続的に襲ってくる腹痛にのたうち回る毎日だった。本当に30分に一回くらいギュギュギュギュギューと腸が音を立てたかと思いきや一気にジャバーッと吹き出すのである。当然お客にも行けないだけで無く食事もルームサービスのみ。ちなみに以前このホテルに泊まった時には怪異体験をしたのだが、この時は幽霊など気にかけれていられる状態じゃ無かった。深夜ベッドルームになんか変な影がウヨウヨと動いていたが、これが幽霊なのか熱にうなされた幻影なのかは今だに謎だ。

4日目以降はなんとか小康状態に入ったので無事フランクフルト経由で香港へと戻ることが出来たが、全くもって酷い体験だった。そしてモスクワで分かれて北京に向かった2人も(こいつらは筆者同様にロシア娘のアソコを舐めた)北京で腹痛に苦しみホテルから一歩も出れなかった事が判明した。それでこの話は会社ですっかり広まってしまい、「◯◯ってロシアでねーちゃんのアソコ舐めて腹壊したんですって」としばらくは同僚達(特にこの手の話に目が無い香港女性陣)のもの笑いの種になってしまった。

しかしである。世の中は悪い事ばかり起こるようには出来てない様で、筆者はこの時以来一度も腹を壊したことが無くなったのだ。現に先日フィリピンの危なそうな屋台飯を食ってみんな腹具合が悪くなったのに、筆者と50過ぎの年寄り達はなんでもなかったのである。どうもロシア娘の持つオクトパス菌に感染した反動で体内に強力な抗体が出来上がったようなのだ。なので筆者はあの時えらく恥をかいたが今ではあのブルネットの女に感謝しているのだ。さて最近病気になりやすく免疫が弱ってるのかな?とお疑いの方は、是非ともロシア人のアソコから溢れ出たヌルヌル液を服用されることをお勧めする。なお本物かどうかはタコの匂いがするかどうかで判断してください。






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ロシアのオクトパス菌にご注意(1)

先日筆者の駄文を読んでいただいていた方のコメントに「昔フィリピン航空のラウンジで供された食事に当たってしまった」と書いてあるのを見つけた。まあ航空会社の料理なんていい加減なモノではあるが、機内で腹がピーゴロゴロになる事ほど惨めなものはないだろう。離陸時と着陸時以外の大半の時間をトイレで過ごして、もう漏れそうなのに飛行機は空港周辺を旋回しているだけ・・なんて目に遭うには真っ平ご免である。さて今回は筆者も惨めな体験を二回に分けて日記にするが、随分と汚い話なのでその点はご容赦頂きたい。

今から10年ほど前、モスクワで開催された見本市が無事終了した日に、筆者ら一行で打ち上げをやろうじゃないか!という事になった。さてメンバーは全員30代の野郎どもだから当然の如く夜の思い出作りにしようという話になる。そして普段なら繁華街トラベルスカヤにあるナイトフライトというその筋では有名なバーで店に屯する数十人のロシア美女から各自選んでお持ち帰りとなるのだが(料金200ドル)、初めてロシアに来た同僚達はせっかくだからロシアらしい遊びをしたいと言いはるので、彼らの希望を叶えてやる事にした。

白タク1台に5人ギューギュー詰めになって到着したのはモスクワ郊外の人けの無い住宅地にある住民クラブである。東京で言えば杉並区高円寺2丁目公民館と言った様な場所だが、夜10時を過ぎているのであたりは真っ暗である。「本当にこんなところにスケベな場所があんのかよ?」と思ったが、ここはロシアのお客の中でも一番スケベなフェデシキン氏が筆者らの為に予約してくれたとっておきの場所なのだ。





勝手が分からぬので道端でウロウロしていると、公民館のドアが開いてハゲ頭のマッチョなオヤジが筆者らに「@▶︎♬%#!」と何か喋って来る。なにを言ってんのかさっぱり分からんが、やがて親父の「%#*$};>!」の中からフェデシキンのニックネームが聞き取れた。おー!ここだ!。それでハゲ親父にガールガール!と言うと、オヤジはニヤリと笑いながらオーケー!ノープロブレム!と言う。毎度のことだがスケベ関係は世界どこでも言葉が通じなくとも話が早いものである。

このクラブは集合住宅の地下にあって、間取りは数人入れるサウナとバスルーム、それに10畳くらいのカラオケルームとベッドルーム1つで、サイズは150平米くらいある。ここを5人で貸切りにして使用料金は50ドルである。そしてもうお分かりの通りここに女(1人100ドル別料金)を呼ぶのだ。本来は酒や食い物もハゲ親父に手配させて夕方から深夜まで酒池肉林の宴を催すのがロシア風なのだが、筆者らは食事は済ませたし酒もそんなに好きじゃないので肉林だけにしたのだ。

5人の女を選ぶ順番をクジで決め、4位になってしまった筆者にあてがわれたのは20代半ばのブルネットの女だった。本当はブロンドが良かったのだが、このブルネットはスラッとしてる割には肉がつくとこにはたっぷりついていて中々抱き心地が良い。そして筆者の頭をつかんで自分の股の間に押し付けると「舐めてくれ」と必死の表情でゼスチャーをする。なお当日記はエロ系では無いのでこれ以上の記述はしないが、身体を派手によじらせて「@&#%$>>!」と叫ぶブルネットの腰を抑え込み、確実にイカせるのはまるで熊と格闘しているような気分だったが、これが後でえらいツケを払わされる事になった。(2に続く)






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オレ殺されるのかも.....

3日ほど前に寝室に新しくテレビを設置した。筆者はテレビはほとんど見ないし、義妹も
コンピューター画面ばかり見ているため今までテレビは居間に1台しか設置していなかったのだが、女房が最近好きになった番組があるんだけど、でも家政婦ラセルがどうしてもみたい別の番組と時間的にかぶるのでテレビ一台では無理よ!と言い出したので、近所のSMストアで特価の液晶テレビを買い求めたのだ。





さて今日は仕事休みだったので終日寝室でゴロゴロしていたのだが、なんと女房は朝から晩までテレビのただ一つのチャンネルをずっと見ていることに気がついた。それはCRIME INVESTIGATION ASIAというチャンネルで、裕福な夫を銃殺した毒婦や誘拐殺人に死刑囚インタビューなど主にアメリカで製作された犯罪ドキュメンタリーを24時間放映しているのである。女房が最近はまり込んでいると言うのはコレだったのだ。





実は筆者もオカルト系と並んで殺人事件ものが子供の頃から大好きで、本棚には新潮45から派生した名作「隣の殺人者」シリーズの文庫本や「未解決事件を追う」など殺人系の本がズラリと並んでいるのである。ちなみに筆者は三菱銀行北畠支店の梅川明美や深川通り魔の川俣軍司の様な瞬発爆発型殺人者よりも、佐賀女性七人殺人事件の様なじっくり時間をかけた薄暗い事件や、ワラビ取り殺人や北海道の工藤加寿子のような不気味な未解決事件が好みである。





しかし女房は香港時代はいつもTFC(ザ・フィリピーノ・チャンネル)の歌番組やラブロマンスばかり見ていた記憶しかない。それにこういった事件モノを見始めるキッカケとなる極度のストレスとは全く無関係な生活をしているはず・・。じゃあ何でこんな番組を見始めたのだろう・・、と思った時に首筋にヒヤリとした錯覚が襲ってきた。ひょっとして・・これは学習?。と言うことはターゲットは俺か………?。





そう言えばおかしな事に気がついた。この手の番組は視聴者がワッと驚いたり目を背けたりするような番組つくりをしているのだが(いかにもアメリカ的で筆者の嫌いなパターンである)、女房は何のリアクションも起こさないだけでなく、ただ無表情のままライトを落とした部屋で画面をじっと見つめているだけなのだ。女房の中でも何かが中で壊れていっている…。そう思うと思わずベッドの上で体を横に10センチほど後ずさりしてしまった。なのでこの日記を読んでいただいた方に言っておきます。もし1週間以上ブログがアップされなかったら、筆者はもうこの世にいないと思っていただきたい。






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友人がカルトに入信?

筆者の古い友人にアダという女がいる。彼女は筆者が20代後半に行きつけだったレストランのアシスタントマネージャーで、筆者は良くアダの作ったカクテルを飲みに行っていたのだが、そのうちアダの友人の女に引っかかって結婚する羽目になってしまった。そしてアダは2000年に香港での生活を切り上げで故郷ヌエバエシハ州へと帰ってしまったのだが、その後も筆者夫婦とアダとの付き合いはずっと続き、昨年筆者がフィリピンに移住してからもかれこれ4度ほどお互いの居住地を訪問しあい旧交を温めている関係である。

さて先週アダがフェイスブックに孫のハンナの写真をアップしたのだが、ハンナの着ている衣装を見て筆者はたまげてしまった。というのはハンナの衣装は青、赤、黄色の三色で構成されていたからである。まさか・・・アダが創価学会の信者だったとは・・。そう!言うまでもなくこの三色は創価学会の旗の色で、ブックオフやドトールコーヒーやベネッセ、マツモトキヨシなど創価学会系の息のかかった団体はこの三色をコーポレートマークに使っているのだ。(ちなみにこの三色は元々は朝鮮の太極旗の色であり、創価学会の親玉の出自を大変良く表している)。





筆者は宗教を否定はしないが、統一教会と創価学会、ヤマギシ会にサイエントロジー、摂理、顕正会、エホバの証人、ヨハン教会、天照皇大神宮教、天地正教、ラエリアンムーブメントなどの破壊的カルト教団は破防法を適用するべきだと考えている。そしてもしも筆者の近しい知人がこれら宗教団体の信者だと判明した場合は、問答無用で一切の関係を断つことにしているのだ。なお天理教や立正佼成会、PL教団、世界救世教あたりの怪しいけれど反社会的でない教団の信者なら連中の教理は聞く気は全く無いけれど、ビールを飲みながら世間話くらいはしても構わないと思っている。

ちなみに女房の従姉妹にも創価学会の信者が一人いて、こいつは香港在住の出稼ぎ家政婦なのだが、一時期フィリピン人の恋人に散々金を貢いだ挙句に捨てられて失意のどん底にいたときに創価学会に洗脳されて入信し、今度は創価学会に金を貢ぐ人生になってしまった。しかも雇い主の香港人へも洗脳行為を行って一家全員を創価学会員にしてしまったため、筆者はこの女を出入り禁止とし、一切の交流を断絶することにした。






さて正直言うとアダが創価学会の会員かもしれないと思うだけで胸が痛んだ。彼女は筆者の大切な友人であり、女房との交際のきっかけを作ってくれたからである。しかし悪徳サラ金に追い込まれれば人格が崩壊してしまうように、ひとたびカルト教団に入信してしまえばもはや正常な人間では無くなってしまう。なので女房に対してアダが既にカルト教団に取り込まれてしまったため、自分はアダとの関係を切ると伝えねばならない。それで女房をこっそり寝室に呼んでフェイスブックにアップされたアダの孫の写真を見せた。

しかし女房は写真を見るなり、「ああ。これはフィリピンの国境をあしらった配色ね」と言って、それがどうかしたの?という表情で筆者を見る。エッ?。国旗・・・?。それでネットでフィリピンの国旗を見ると、なるほど・・、赤、青、黄色、それに白を使った四原色である。なんだよ・・驚かせなさんな・・。それで女房にことの顛末を白状すると、女房は呆れた表情で「あんた!アダがカバナツアンの教会にあたし達を連れてったの忘れたの?。アダは敬虔なカトリックなのよ」と文句を言った。なるほど確かに忘れてました。






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親日派ミュージシャンの本音

先日チェルシーの18歳の誕生パーティーが終了した後、会場閉鎖時間までまだ時間が有ると言うので野郎どもとウィスキーを飲んでいた時のことである。従兄弟のジェンが紹介したい人がいるから・・と言って連れてきた男が開口一番「おお!あんたニホンジンか?」と怪しい日本語で話しかけて来た。オワッ!こいつゼンジー北京かっ!。と言うのは顔つきが何と無くゼンジー北京師匠に似ているし、何よりいかがわしい日本語のイントネーションはゼンジー師匠そのものだったからだ。

「この人はジュミ(ジェンの女房)のオヤジさんでね。つまりチェルシーの祖父なんだよ」と紹介するジェン。ああ・・この人がアメリカに移住した爺さんか。それにしては随分と若く見える(後で年齢を聞いたら60歳だった)。だけど何でお祖父さんは日本語できるの?と聞くと、「ワタシ若い時はバンドマンとして日本に住んでたのヨ!。フクオカ、ヒロシマ、ナラ、ナゴヤ、ニイガタ、トーキョーのクラブで演奏してたのよネ!とよく聞いてくれましたとばかりに答えた。

ゼンジー爺さんの話では、1979年から1996年まで約17年に渡って日本の高級クラブを渡り歩いていたらしい。ビザの関係で2ヶ月間は日本、そして1ヶ月フィリピンに戻ってまた日本に2ヶ月というパターンだったという。「トーキョーでは六本木やニューオータニにあったクラブで演奏してネ!物凄く良いサラリー貰って、アカサカのマンション住んでたのヨ!ホッホッホッ!」と自慢するゼンジー爺さん。

しかしその後が長かった。この爺さんは日本は最高だった!日本人は親切だし、食べ物は美味しいし、それに日本の女の人はサイコーねっ!と遠くを見るような目つきで語り続ける。まあ筆者が日本人だから愛想を使っているのだろうと思っていたが、そこからトーキョーよりもフクオカやナラみたいな田舎がサイコーね!といった地方での体験談から、丼物はウナギ!特に電気ウナギの蒲焼きが抜群ネ!とそんなの日本にあったっけ?という様な食べ物の話まで実に嬉しそうに話し続ける。





「ワタシにとって日本は全てだったのよ。だけど日本の経済が悪くなっちゃって仕事が無くなったから、その後ホンコンやシンガポールに演奏に行ったけど、日本と比べるとクニとしての魅力はゼンゼン無いのヨ!」とあくまで日本贔屓である。爺さんはトイレに何度か中座して、やっと話が終わったか!と思っていても、また筆者のテーブルにスタスタ戻って来て日本話をベラベラ喋り続ける。だけど今はアメリカに住んでるんでしょ?アメリカの方が日本よりも魅力的じゃないですか?と聞いても、「ノーッ!オカ二(金)にはなるけどステーツはニンゲンがダメ!」とここでも日本が一番だと言い張って聞かない。

どうもゼンジー爺さんは右も左も分からない若造の時に日本人達から随分と親切にされたらしく、すっかり親日派になったようである。それとさっきからやけに奈良と福岡の女の人がサイコーッと力説するところを見ると、そこで日本人の愛人が出来たか希代の名器にぶち当たって何発も昇天させられたに違いない。道理でさっきからニヤニヤ笑っているわけである。

それに後から爺さんの娘ジュミに聞いたが、今回フィリピンに来るに当たって爺さんは何故か直行便でなく日本経由のデルタ航空をわざわざ選び(婆さんは直行便で来た)、しかも何故か謎の一泊を東京で過ごしていたと言うのだ。そしてその件を婆さんと二人の娘に問い詰められても、ゼンジー爺さんはただただニヤニヤ笑っているだけだったらしい。たぶん吉原にでも風呂に入りに行ったに違いない。まあゼンジー爺さんの80年代の日本での生活は爺さんにとっての遅まきの青春時代だったのだろう。

さて現在はアリゾナ州フェニックスで不動産業者としてしこたま儲けているゼンジー爺さんは孫のチェルシーが可愛くて仕方が無いらしく、昨年歌手の卵としてデビューしたと聞くや車(トヨタVIOS)を買ってやったほどだ。そこで「チェルシーも楽器を習わせてバンドマンとして日本に行かせたらどうですか?」と言うや、ゼンジー爺さんは突然表情を変えて「ブルルルルッ!とんでもないヨッ!日本の男はみんなスケベでヤリマクリ!ゼッタイだめっ!日本は最悪のクニよっ!」と激しく否定した。あれれ・・爺さん、あんたさっきと180度言うこと違ってるじゃないか・・。それにアンタがなんで親日派なったのか良く分かったよ。






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所持金100ペソ守るため生命を失った男。

本日朝マニラ市サンタクルスの路上で通行人が強盗に襲われた上に刺し殺されるという事件が発生した。被害者はベネディクト・デラ・クルスという52歳の運転手で、自宅から数ブロック離れたフゴソ通りとナティヴィダッド通りの交差点付近で4人組の強盗に遭遇、一味はデラ・クルス氏のバッグを奪おうとしたが激しく抵抗されたため一味の一人に刺し殺されてしまった。

なおデラ・クルス氏の同居人の女性によれば、彼のバッグには弁当と歯ブラシと100ペソの現金しか入っていなかったという。たった100ペソで殺された男と殺してしまった男。人間の生命の価値や刑務所に入る時間に比べると余りにもチンケな金額である。デラ・クルス氏はそこまで正義感が強い男だったのか、それとも職場の美人から貰ったラブレターでも入っていたのか?。何れにせよ随分と高い代償になっちまったね。デラ・クルスさん。






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戦友をお迎えに来たシベリアの亡霊たち

本日アマチュア怪談師のアーカイブを聞いていたら、彼が今年終戦の日に靖国神社で開催されるイベントで語ろうとしている怪談話(録音は7月時点)に巡り合った。はあ・・それが一体どうしたんだ・・?とお思いだろうが、実はこの怪談師が語った怪談は今から30年ほど前に筆者が大学サークルの同学年の友人から聞いた彼の体験談と2点を除いて全く同じなのである。なので今は消息も分からなくなってしまった友人イチイ君(櫟という難しい字を書く)の体験談が巡り巡って30年も経ってから再び出会うとは・・と筆者は感動しているのだ。

さて2点だけ違うと書いたが、これは語り手が男(イチイ君)から「香織」という女へと入れ替えられていることと、怪談の主人公である語り手の祖父がそうなってしまう背景が事実と違う形に変えられている事である。そしてイチイ君がストーリーに細工をしたのも仕方が無いな・・と思うだけの十分な理由があるのだ。では今から怪談師が語った話を書いてみるので、みなさん何処に細工をしたのか考えてほしい。おそらく皆さんはある箇所でストーリー自体に違和感を感じるはずである。そしてイチイ君が隠したかった事実については、一番最後に筆者が種明かしする。





「これは香織さんが中学生の頃の話である。香織さんのお祖父さんは地元の名士で、地域の人達から大変尊敬されている人物だったが、このお祖父さんは傲岸不遜かつ暴力的な人物でもあり、家族全員からはとても怖がられた存在であった。しかしお祖父さんもついにガンを患ってしまい、地元の大きな病院の個室病棟で死を待つ状態になってしまった。」

「ある日の夜中に香織さんとお祖母さんが病室でお祖父さんを看取っていると、お祖父さんは息苦しそうな表情をしながらお祖母さんを呼び、やがて耳元で何かブツブツと囁いた。やがでお祖母さんは病室のドアを開けると、誰もいない真っ暗な廊下に向かって『すみません。今日はこのままお引き取りください』と丁寧な口調で言うなりペコリと頭を下げたのだそうだ。そうするとお祖父さんは急にフーッとため息をつき、スヤスヤと寝始めたのだという。

「『ねえお祖母ちゃん。誰に向かって話してたの?』と香織さんが聞くと、お祖母さんは「実はあたしには何も見えないんだけど、数日前からお祖父さんが『シベリアからアイツらがお迎えに来た。ドアの向こうにみんな立っている。あいつらに帰ってもらってくれ』と怯えるようになったんだよ・・と答えたそうだ。そう、祖父は終戦時に満州の部隊にいて、終戦後はソ連軍に捕らえられてシベリアに抑留されていたのである」

「それから数日後にお祖父さんは帰らぬ人となった。病院の廊下に置かれたベンチにポツリと座って涙を流す祖母を慰めるため『お祖父ちゃんは幸せだったじゃない。部隊の仲間たちに迎えに来てもらったんだもの!』と声をかけると、祖母は、いいえそうじゃないのよ・・とかぶりを振って、『お迎えに来ていたのは日本兵じゃなくて、お祖父ちゃんを虐待していたソ連兵達なのよ。お祖父ちゃんは最後の最後までソ連兵たちを本当に怖がってたの。お祖父ちゃんは戦争中に悪いことを沢山したから、きっと地獄へと落ちるのよ』と言ってさめざめと泣いたそうである。」





いかがだろうか・・?。祖父を迎えに来ていたのはソ連の看守達で、祖父はあの世でも看守達に苛められ続けることになってしまった。なぜなら祖父は戦争中に随分と悪事を働いたからだ・・という背景だが、なんだか随分とねじれた話である。これが祖父が憲兵隊員で、拷問中に死亡したソ連人スパイに祟られるというならまだ理解できるが、この話に登場するソ連人の亡霊たちは何と言っても加害者の側であり、祖父を虐めにはるばる日本に来るよりも、孫の守護霊になるなど他にやることがありそうである。それにお祖母さんが日本語で話しかけてソ連人に言葉が通じると言うのも変な話だ。そして実はアマチュア怪談師も「この話は色々と隠してることがあるようで全体像が見えない」と正直に疑問を口にしてるのである。

では筆者が聞いたオリジナルの話はどうだったのか?について種明かしをしよう。これはイチイ君が祖父が亡くなる数日前に体験した実話であり、祖父は名士というよりも富山県高岡市の地方議員であった。祖父は若い時に満州の部隊に配属されていて、シベリアに抑留するところまではアマチュア怪談師の言う通りだが、この祖父はシベリアの収容所にいる時にソ連の看守達に虐められていたのではなく、むしろ逆の立場、つまりソ連内務省(NKVD)の手先となって収容所内の日本兵を監視し共産主義思想に染めあげる役割を担っていたのだ。

これは「シベリア民主運動」と呼ばれているソ連中の収容所で行われた大規模な階級闘争(実際は管理と洗脳)で、スターリンは57万人に上る日本兵をシベリア開発のための奴隷労働者として使うだけでなく、無教養な下級兵士達に共産主義思想を植え付けて日本帰還後に武装革命を起こさせようと画策していたのだ。そして日本兵達の団結を阻害して内部分裂を図り、過酷な労働への駆り立てや絶食措置、宿舎内での吊るし上げや自己批判の強制、リンチや上官のなぶり殺しなど異常な状況を作り上げる事で兵士たちの精神状態をズタズタに引き裂き、共産主義への思想転換を進めて行ったのがイチイ君の祖父らが属したアクティブと呼ばれる組織であった。





しかしアクティブが持っていた権限の中で最も恐ろしいのは、反動(共産主義に賛同しない)というレッテルを貼れば誰でもシベリアのもっと極北にある劣悪な労動収容所に追いやれる事だった。これは事実上の死刑宣告である。抑留者数57万人のうち死者10万人(一説には76万人抑留で死者数は29万人)いう大虐殺には実は彼らアクティブと呼ばれる日本兵達が加担していたのだ。そして広島・長崎への原爆投下や東京大空襲に比べるとシベリア抑留が戦後の日本ではあまり語られなかった理由は、彼らアクティブのメンバーたちがほぼ全員が無事日本に帰国し、そして社会党や日本共産党に入党して労働組合の幹部や地方議員、果ては国会議員に収まっていたからである。

「俺の祖父さんはシベリアで起こった事は決して口にしなかったけど、選挙の度に自宅に『人殺し!』『オヤジの命を返せ!』というような脅迫の手紙がいくつも来てたから、家族全員は薄々シベリアでの所業には勘付いていたんだよ」とイチイ君はつぶやいた。そして祖父の葬式の時にも弔問客の一人から裏切り者!人殺し!地獄に堕ちろ!と罵られる一幕もあったという。そしてイチイ君は「祖父さんは最後まで自分が売り飛ばした戦友達が病室に入ってくるのでは・・と怯えていたんだよ」と嫌なことを言った。

おそらくイチイ君の祖父さんは最後の瞬間に、自分の体に掴みかかって引き裂こうとする収容所仲間たちの姿に恐れ慄き、あまりの恐怖に絶叫しながら死んでいったに違いない。しかし可哀想だが多くの戦友を死に追いやったイチイ君の祖父に同情の余地などあるはずもない。筆者は信仰というものを一切持たない人間だが、人間の生命は永遠ではない以上、最後に審判の日がやって来るのだろうとは思っている。筆者もこれまで数多くの悪事をして来たが、望むらくは最後の瞬間に訪れる恐怖が可能な限り短いものであって欲しいと思う。






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フィリピンの成人式パーティーに参加

昨日女房の遠い親戚で、しょっちゅう我が家に遊びに来るチェルシーの18歳の誕生日パーティーにお呼ばれしてきた。1ヶ月前に招待状を頂いた時は「たかが誕生日に招待状など大げさな・・」と思っていたが、女房と義妹が新たにドレスを誂えたりし始めたので、あれっ?これって重大なイベントなのか?と聞くと、お前は何を言ってるんだ?という目で筆者の方をジロリと見た後、義妹が「フィリピンでは女の子の18歳の誕生日はデビューと言って、盛大に祝うのがしきたりなのよ」と言った。

従姉妹ミレットに聞いたところでは、フィリピンでは1歳、7歳、そして女は18歳、男は21歳の誕生日がとても重要で、これはどんな貧乏人の家でも自宅で少人数で祝えばいいやわよね・・いう事はまずは絶対に無く、親戚や友人を何十人(もしくは何百人)も集めて盛大なパーティーを催すのがしきたりなのだそうだ。日本で言うと七五三と成人式みたいなもんか・・。だけどなんで成人式の方は男と女が年齢が違うのか?と聞くと、これは法律で男女の結婚可能な最低年齢が男は21歳、女は18歳だからだそうだ。なるほど実践的てある。

夕方6時にチェルシーの住むコンドミニアムのクラブハウスに到着すると、そこはひと昔前の名古屋の結婚式場かと思うくらいド派手な飾り付けが施され、そして各テーブルには色とりどりの服装に身を包んだ招待客たちが賑やかに談笑していた。まるでチンドン屋か南方の珍しい鳥類の博物館の様な風情である。筆者の親戚でも普段は屋台のラーメン屋の女将が似合いそうなメイやフィリンという芋ねーちゃんたちも、見事なドレスと凄い厚化粧で錦糸町のキャバレーのホステスのように化けていた。まあかく言う筆者も胸にヒラヒラのついたプレスリーの衣装みたいな上着を着ていたのだけど・・・。

さて司会者の「皆様!チェルシーの入場です!盛大な拍手でお迎えください!」という掛け声と共にファンファーレの音楽がかかり、入り口からチェルシーがエスコート付きで入場してきた。白と金をあしらえたビヨンセが着るような衣装をまとい、頭には金色のモールを巻きつけている様は、花嫁と言うより蛇女メデューサのようである。よくこんな格好できるな・・と筆者は呆れてしまったが、ここフィリピンはラテン文化の影響を受けているためお祭り時の謙虚さとか奥ゆかしさとは無縁なのだ。

さて困ったのはここから食事にありつくまで長いことである。司会者による開会宣言(長い)やチェルシーの赤ん坊時代からのビデオを見させられたのはまだ良いが、18人の男性によるチェルシーとのダンスや(筆者も踊らされた)、18人の女友達のスピーチとプレゼント、それとキャンドルを使った何やら意味不明なイベントなどが続き、ずっとファッションショーを見ているのと同じ状態で、一体いつになったら飯にありつけるのか分からない。しかしアメリカから駆けつけてきたチェルシーの祖父母による挨拶の後から、筆者が一番恐れていたこと、つまりチェルシーのステージショーが始まってしまったのだ。





このチェルシーは一応プロの歌手で、5人組ユニットの一員としてCDも出しているのだが(全然売れて無いっぽいけど)、今日はユニット全員が祝いに駆けつけていて、これから一緒にステージに上がるのだと言う。そして照明が落ちると共に大音量の音楽が流れて、MOCHA GIRLSのようなスケスケのセクシードレスをまとった5人が現れた。音楽に合わせて腰をくねらせるチェルシー。招待客たちはヤイノヤイノと拍手を送るが、普段のチェルシーの地味〜な素顔を見ている筆者は吹き出しそうになるのを必死にこらえなければならなかった。

筆者の目に映るチェルシーは葬儀屋の受付や高速道路の料金所の仕事がせいぜいの暗〜い女なのだ。しかしミュージシャンの一家に生まれたためか多少は音楽の才能があるようで、昨年フィリピンのスター誕生みたいなコンテストに入賞してから歌手の端くれになったのだが、やはりどう見ても華やかな世界には向いてないのである。そしてこんなチェルシーでもメンバーになれたくらいだから、他の4人のご面相も押して知るべきである。結局イモねーちゃん5人による歌と踊りを1時間以上見させられてゲンナリしてしまった。

夜9時を過ぎてようやく酒と食事にありつくことが出来た。形式はフィリピン人が好きなビュッフェで、まあソコソコの料理を持ち込みのスコッチウィスキーで胃袋に流し込む。あーやっと一息ついた・・。ステージではチェルシーと友人達によるキャンドルセレモニーが進行していて、女性陣は赤ん坊から婆さんまでウットリした表情でステージを眺めているが、筆者ら中年オヤジたちはチェルシーに食傷気味になってしまったらしくウィスキーを煽るように飲み始めてる。最初から酒盛り専用のテーブルを作っておいてくれればありがたいのに・・。

結局チェルシーの涙ながらのスピーチでお開きとなったのは10時過ぎだった。ほろ酔い気味でチェルシーへと別れの挨拶へと行くと、「今日は来てくれてありがとう!私にとっては生涯忘れられない思い出の日になったわ!」と言ってまた涙ぐんだ。この涙を見た時に筆者は「こんな長いパーティー呼びやがって」とか「お前の踊りを見るよりも犬猫ファッションショーを見る方がマシだ」などと内心チェルシーに文句を言っていたことを恥じた。人生一度きりの記念すべきイベントだし、チェルシーなりに招待客を盛り上げようと歌も踊りもご披露してくれたのだ。

しかしである・・。チェルシーがいくら七色の厚化粧を施そうとも、生まれ持った顔の基本設計はいかんともし難く、やはり目が慣れるにつれてチェルシーの生まれ持った地味さが漂って来た。チェルシーよ!お前やっぱり大学に戻って看護婦の勉強を続けるか、トロトロという大衆食堂のウエイトレスをやった方がお似合いだぞ。どう見てもポップスターになれる素養はないから、せいぜい老人ホームの爺ちゃんたちのアイドルを目指せ!。






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